#168/569 ●短編
★タイトル (lig ) 04/07/12 22:05 (316)
お題>スイカ〜夏の刻 らいと・ひる
★内容
「なんでそう名付けたんだろうね」
放課後の夕色に染まった教室で渡貫良男はふとした疑問を口にした。
たわいものない話の途中の事だった。もっとも、ここまで落ち着いて話をす
るまでには多少の時間はかかったのだ。
告白という大イベントをこなした後はお互いの事を意識しすぎていて、沈黙
のまま無為に時間を過ごしてしまう。これが約十分以上。ようやく回り出した
会話のキャッチボールも、最初は堅苦しい学校の話題で、いつものようにバカ
話ができるようになるまでは一時間以上の時間が必要だった。
「そうだね。音だけ聞いてるとやっぱり勘違いされるよね」
西日が差し込む教室の真ん中の席で、机越しに向かい合うように座っている
彼女がそう答えた。緩やかにウェーブのかかった、肩まである栗毛の髪は、夕
陽に反射する水面のようにきらきらと輝いても見える。
「夏っぽいことには変わりはないけど」
「変わり者の親だからさ」
首を傾げながら彼女が苦笑いをした。小さな口元が左右非対称につり上がり、
整った顔立ちからは窺えなかった人なつっこさが表れる。
「そういえばお仲間がいるじゃない」
スイカと言われて食べ物以外に思いつくのはJR東日本のあのカードだった。
「や、プリペイドカードもどきが仲間と言われても」
「あれは夏限定じゃないもんな」
「あたしだって夏限定じゃないよ」
「やっぱり仲間?」
「や、それは否定しておく」
再び苦笑いの彼女。
「西野さんってさ」
「いいよ。……名前で呼んでも」
不意をつかれたその言葉は、告白が成功した時の彼女の返答よりもドキドキ
した。一瞬だけ頭の中が真っ白になる。
「嫌いじゃなかったの?」
彼女が下の名前で呼ばれるのを良男は聞いたことがなかった。大抵は名字で
呼ばれるか、女の子なのに「西やん」と愛称で呼ばれるのがほとんどであった
からだ。
「嫌いな奴から呼ばれるのはムカツクけど……」
そう言ってうつむきがちになる彼女は、そこで口を濁す。
「けど?」
彼女は開き直ったように良男の目をまっすぐに見つめ直した。
「わかるでしょ? あたしは一回しか言わない主義なの」
彼女はそう言って口元に人差し指を押し当てる。その仕草がやけにかわらし
くも思えた。
「うん。でも、実は俺も恥ずかしいんだ」
見つめられた事にも照れるが、それ以上にこそばゆい理由もある。
「生まれてからずっとこの名前で生きてきたあたしの方がもっと恥ずかしいけ
ど」
さらりとそう言い流したその言葉からは羞恥心が感じられない。でも、それ
が彼女らしさなのかもしれないと改めて感じる。
「そうだけど。いや、そうじゃなくてさ。俺が……その、スイカの事大好きだ
って言っても、それって単なる食いしんぼにしか聞こえないところが悲しくも
あり、恥ずかしいわけで……」
言ってから顔が熱くなるような気がした。さきほどの告白の瞬間が脳裏に蘇
る。
「あ、大好きだって。初めて聞いた」
上目遣いに彼女は良男を見つめると、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「ちゃんと告白しただろ」
「『大』はついてなかったじゃん」
「細かいな」
刺すような日差しは麦わら帽子で防御はしている。だが、もわっとした空気
の塊は彼を覆い尽くすかのように、全身から汗を搾り取っていくようだ。
青空と、それとは対照的な目の前のひまわり畑はこの季節らしい風景でもあ
り、暑さを忘れさせてくれる清涼剤のようなものだった。
隣にいた身重の妻がふと一本のひまわりの花の前へと移動する。それは彼女
の背丈とほぼ同じくらいのもの。向日葵の花の弁が彼女の顔とちょうど同じ位
置で向かい合っている。それはまるで、二人が友達同士で会話をしているかの
ようにも見えた。
「綺麗ね」
妻が呟いた言葉に彼は、条件反射のように言葉を投げかける。
「名前、向日葵にするか?」
「そうね。元気な女の子に育ってくれそうね。候補の一つとして考えておきま
しょう」
「もうすぐ夏だね」
嬉しそうに彼女は言った。
もう夕刻だというのに空気はまだ淀んだように熱を帯びている。今年は空梅
雨ということもあってか、夏休み前のこの時期でも昼間は真夏並の気温だった。
「すでに真夏のような気がするけど」
教室の窓から見える鮮やかな夕陽は、たぶん明日も晴れるであろうことが予
測される。そしてそのまま、ずっと暑い日々が続きそうな予感もした。
「本格的な夏って言ったら、夏休み入ってからでしょ」
彼女は少し不満げに反論して唇を尖らせる。その唇には薄くリップが塗られ
ているのだろうか、艶やかな光沢を放っている。
「まだ西瓜も出回ってないもんな」
「その気になれば一年中食べられるよ」
潤った彼女の唇がそう答えた。一瞬、鼓動が高まる。
「……なんか、すごく意味深に聞こえる」
「バーカ、スケベなんだから」
彼女は立ち上がって良男を睨み付けた。その仕草も女の子らしく感じて、彼
は照れ隠しに目線を逸らしてしまう。
「なんだよ。誰がスケベな事考えてるって……」
そして、いちおう誤魔化すようにそう答えてみる。
「普段から煩悩全開なんだから、ごまかしてもわかるよ」
頭の上からのきつい言葉だが、それほど苦痛は感じない。それは惚れてしま
った者の弱みなのか。だから、素直に謝ることにした。
「……ごめん、ちょっとだけ思った」
「ま、いいけど」
彼の前には収穫前の西瓜畑があった。梅雨が明けた直後ということもあり、
畑には出荷前の青々とした西瓜が転がっている。
いつの間にか前方の視界からいなくなっていた妻は、西瓜畑の片隅に座り込
んで丸々と大きくなった実を興味津々に見つめていた。
そんな彼女を見て、彼は少々不安になる。
「まさか、とんでもない事を考えていないだろうね?」
妻は振り返って笑みをこぼす。邪気のない表情はかえって不安を増すばかり
だ。
「まさか、そのまま付けるわけないでしょ」
子供のような笑顔は崩れない。
「やっぱり、とんでもない事を考えているんじゃないか?」
「でもね。ここにいると夏の香りがするの、瑞々しい西瓜は夏そのものって気
がしない?」
たしかにほんのりと土の香りと西瓜の香りが混ざった夏らしい匂いがするよ
うな気がした。
「うん。だからって、その名前を付ける気かい?」
「ううん、そのままじゃ芸がないから、ちゃんと意味を込めるわ。そうね、瑞
々しい西瓜はこの季節には大切な水そのものね。その香りがするから『水香
(すいか)』ってのはどう?」
「それなら読みは『みずな』の方が自然だろ」
「うん。でもね、それだと季節感がないわ」
「まったく、しょうがないな。候補の名前の一つに入れてやるか」
「名前の由来とか意味って聞いたことあるか?」
出会った時から疑問に思っていた事を良男は口にする。さすがに親しくない
内は訊くのが憚られたからだ。たぶん名前の事に関してはあまりいい思い出は
ないだろう。自分も含めて子供は残酷だからと、彼は思っていた。
「ううん。教えてくれないもの」
意外にあっさりとそう言い切られて拍子抜けをする。変わった名前なのだか
ら子供を説得するためにも意味を教えるのが普通ではないかと、そう彼は考え
ていたのだ。
「フィーリングでつけたとか?」
音を先に考えて、それに漢字を当てはめるという親もいるそうだ。彼女の親
もそうなのだろうか。
「うーん。どうだろ」
彼女は相変わらず飄々と答える。まるで、自分の名前には無関心のように。
「誰がつけたの?」
「パパだよ」
夏らしい名前がいいなと夫は言った。だから、初夏にしては厳しい暑さの中、
散歩に出ようと彼女は彼を誘ったのだ。
道を歩けば夏の匂いがほのかに漂ってくる。熱せられた空気の匂い、青々と
した草の匂い、灼けた砂利道のくすんだ匂い、そして夫が先ほど買ってくれた
ラムネの淡い匂い。
彼女はそれらに誘われるように歩き始めた。もちろん優しい夫は、彼女を見
守るように後ろから付いて来てくれている。
「空が青いね」
空を仰ぐのは夏を感じたいから。夫とお揃いの麦わら帽子を脱いで胸に抱く。
熱風さえも心地よく思えてきた。
「青空は却下だよ」
夫はまるで駄々っ子を諭すようにそう呟いた。彼にとって妻も大きな子供の
一人なのだろうか。
「わかってる。女の子らしい名前にするわよ」
「それは本当にお願いしたいものだね」
「ね、本当にわたしが考えていいの?」
約束があった。最初に生まれてきた子供は夫が名付けた。そしてその次に生
まれてくる子供は彼女自身が付けるというものだ。
「意見ぐらいは言わせてもらうけど、基本的には君が名付け親で構わないよ」
「そういえば良くんって妹さんいるんだよね」
たわいもない話は続いていく。そろそろ下校放送が流れてくるだろう。
「うん。うるさいのが一人」
頭に浮かんだのは、家でやたらと大きい妹の声。
「うるさいとか言っちゃかわいそうだよ」
「だって、おまえと年一緒だよ。元気がいいのはわかるけど、落ち着きがない
し」
人にあげられるならどこかへやってしまいたい、と密かに思っている兄でも
あった。
「へぇ、一つ違いなんだ。いいよね、兄妹って」
「あんまりいいもんじゃないぞ」
「あたしはね、一人っ子だからうらやましいの」
「うらやましい?」
「うちの母親ってなんか、もう子供が産めないカラダみたいなの。もしかした
ら、あたしが原因なのかもしれないけど」
「妹か弟が欲しかったと」
「まあね」
「一人の方が気楽だぞ」
「あたしは寂しがり屋だからね」
「うちの妹、レンタルしようか?」
「あ、それいい」
彼女は目を輝かせてそう答える。まるで本気で嬉しがっているようにも感じ
た。
「ま、冗談じゃなくなるように、そのうち紹介するよ」
「うん。あ、そういえば妹さんって名前はなんていうの?」
「ん? おまえと一緒で夏っぽい名前だよ」
『すいか』という字が真っ先に目に飛び込んでくる。その赤子の右足首につ
いている札には確かにそう書いてあった。
新生児室の前は透明なガラスの壁で区切られている。何人かの赤子が両足を
こちらにむけて寝かされている中で、その文字はひときわ目立っていたのだ。
「西瓜?」
中を覗いていた男の頭にそんな文字が浮かび上がる。
「でも、ひらがなで『すいか』とはまた粋な名前だこと……」
男はそう呟いて新生児室の前を後にする。
「そういや、おまえの名前って英語にするとかっこいいぞ」
たわいのない話だからこそ、直感的な事を言葉に変換する。意味のないよう
な会話でも二人にとっては重要な事だった。
「や、かっこいいと言われても」
「そうか? 俺なんか『good man』だぜ」
名前に関しては、自分だってそれなりのコンプレックスは持っている。良男
は普通であることにいささか不満や負い目を感じていたのだ。
「いや、その場合は『a handsome man』か『a nice man』でしょ」
「どっちにしろかっこわるい!」
力説したところで情けないだけなのだが。
「どうでもいいじゃん」
彼女は笑いながら受け流す。そんな顔を見ていると自分の名前に関しては本
当にどうでもよく思えてきた。
「でもおまえの場合は、なんか英語にすると爽快感が増すんだよな」
「や、増すとか言われても」
「店の名前っぽいかも」
「将来、店出せってか?」
「いや、だからさ。感覚的な問題。日本名でも英語でも間抜けな俺だぜ」
「大丈夫。人類は『愛称』という情緒的な省略法を手にしてるから。『良くん』
ならまだ恥ずかしくないでしょ」
『良くん』の部分が妙に生々しかったので、深層心理に眠っていた羞恥心が
騒ぎ出す。
「違う意味で恥ずかしいんだけど」
「本名で呼ぶぞ」
「いや、俺芸名使ってないし」
「良男!」
「なに?」
「……つまんないよ」
彼女は何を期待したのだろうか?
「ありきたりの名前だから」
「つまりありきたりの名前でないあたしが羨ましいと」
「ある意味」
「微妙なお答えだね」
「でもさ、将来ホントに店出してみれば」
「『water summer』って」
「そう」
「名前が名前だけに水商売ですかね」
夕闇があたりを染め上げていた。誰そ彼とはよく言ったものだ。人の形は見
えてもそれが誰であるかは判断がつきにくい。
そんな夕刻の小径を男は散歩していた。
ある人影が赤子らしきものを抱えて彼の横を通り過ぎる。だが、ここは私有
地内にある小径である。親戚縁者か、家を訪問してきた知人連中以外にこの場
を訪れることはないだろう。
誰何。
挨拶もせずに通り過ぎる人影に、男は不審に思って声をかける。
「あの、どちらさんでしょうか?」
人影は足を止めて振りかえる。が、会釈をしてそのまま去っていってしまっ
た。男の目には表情どころか顔立ちすらわからなかった。ただ、鋭い眼光だけ
が印象に残る。会釈をした人影は笑顔でないことだけは確かだった。
男は背筋に悪寒を感じ、それ以上は考えることをやめてしまった。おぞまし
いとの直感が記憶からその事実を消し去ることを優先させたのだ。
「もうわかるでしょ?」
唐突に彼女が言った。いや、そう思ってしまった、だからつい間抜けな答え
を返してしまったのだ。
「何が?」
「さっき告白してくれたときに聞いたじゃない。どうしてOKしてくれたのか
って」
「ああ、その話」
良男の投げやりな言い方に、彼女は機嫌を損ねてしまったようだ。
「聞きたくないならいいや」
「いや、気になるし」
急いで言葉を取り繕おうとして失敗する。これでは投げやりな部分が打ち消
されていない。
だが、彼女は機嫌を損ねたのが一瞬であるかのように話を続けた。
「うーん、改めて言うのも変なんだよね。さっきみたいに会話の中の流れで言
いたかったからさ」
ここは形振りかまっていられないと、小指の先ほどのプライドを捨て去って
彼は正直に答える。いや、正直というよりバカの付く真っ直ぐさかもしれない。
「いや、それだと俺が気付かない」
「鈍いのを偉そうに言うんじゃないって」
あきれたような彼女の声。
「鈍いかどうかはわからないけど」
「普通に会話しててもあんたとは妙にフィーリングが合うんだよね」
どうやら話の続きをしてくれそうだった。
「たまにかみ合わないぞ」
かみ合わなくて、漫才のネタのようになってしまうこともある。でも、それ
さえもが楽しくて仕方がない。
「かみ合わないところも含めたフィーリングだよ。だってかみ合わなくても不
快感はないじゃない」
「まあ、そうだけど」
「だからね、初めて出会った時からそう感じてたんだ。ピスタチオとカシュー
ナッツのような存在だって」
「そんな風に観念的に言われてもピンとこねえよ。ていうか、例えが全然わけ
わかんねぇよ」
「うーん。だからね……わかりやすく言えば」
「参考書なみに易しく解りやすく頼むよ」
「そうね。他人って気がしないってこと」
※unnecessary addition:interview
「閑静な住宅地ですね。ここ数十年凶悪な事件は起きていないということです
が」
「普通に空き巣やこそ泥ならあるぞ」
「例えば誘拐事件のような事は起きていらっしゃらないのですよね?」
「ああ、人さらいね? 確かにそんな事件は起きてねぇな。平和な街だよ」
「病院で子供が取り違えられたとか、そんな事件もないんですよね」
「そんな噂、とんと聞かねぇな」
「そういえば、ご近所に変わった名前の女の子がいるとお聞きしたのですが」
「ああ、西野さんのところの『水夏(すいか)』ちゃんか。名前は変わっとる
が至って普通の子じゃよ」