AWC 階段を駆け上る靴の音  IK


        
#36/569 ●短編
★タイトル (ICK     )  02/10/18  13:31  (431)
階段を駆け上る靴の音  IK
★内容
注意;この小説には暴力的な表現が含まれています


『ケネディ大統領が狙撃されました! 大統領が撃たれました!』
 ジャズが中断されて、ラジオが沈黙を強いられた後、アナウンサーのひときわ大きく
震える声が響き渡った。
 ディックはシャワーの栓を急いで締めて、バスタオルで体を拭きながらラジオのボリ
ュームを大きくした。
『繰り返します。ケネディ大統領がテキサス州ダラスでのパレードの最中に狙撃されま
した。かなりの重傷の模様です。どうやら死亡したようです。同乗していたコナリー州
知事も負傷したようです。大統領夫人については不明です』
 意識していないのか、アナウンサーの声は金切り声を増していった。それがいやがう
えにも現場の衝撃と困惑を溢れさせていた。
「ケネディが死んだって?」
 ディックは探るようにして右手で頬を撫でた。
「いいねえ」
 と軽く口笛を吹いた。
 南部の男に洩れず、ディック・キャヴストンも民主党を支持して来た。彼の父も、祖
父も、曽祖父もそうしてきたからである。
 だが、リベラル派と呼ばれる北部のエリート連中には大概うんざりしていた。ジョ
ン・フィッツジェラッルド・ケネディはその親玉だ、とディックは思っていた。しかも
ケネディはカトリックであり、この異端の大統領の死はまさに朗報だった。
 それから彼は台所へ歩いて行き、冷蔵庫から、気の抜けた、飲みかけのビールを取り
出した。それを胃の腑の奥に流し込みながら、ケネディが死んだことの意味を考えた。
 ケネディが死ねば、次の大統領にはリンドン・ジョンソン副大統領が昇格することに
なる。ジョンソンは南部の男だ。ジョンソンならば、ケネディのように黒人をつけあが
らせることもないだろう。
「黒んぼめ、奴隷のくせに」
 そう呟くと、ディックは残りのビールを一気に飲み込んだ。
 しばらく前、ディックは橋げたを作るコンクリート会社をくびになったが、それはよ
り安価な労働者である黒人を経営者が選択したからだった。高校を出て以来ずっとその
工場で働いてきて、六年、単純な仕事だったがそれなりに熟練とやりがいを感じてい
た。勤務状況もいたって真面目で、他の連中のように仕事を早めに切り上げることもし
なかったし、月曜日だからと言って当日欠勤するような真似もしなかった。
 勤勉こそが成功へ到る唯一の道。
 祖母のその教えをただひたすら信じてきたのだ。
 北部の大学の経営大学院を卒業したグリーンという男が総合マネージャーとして赴任
してきたのがすべての始まりだった。合理化の名のもとに従業員を次々と解雇してい
き、はじめは勤務態度の不良な者から、次第に勤勉な者にまでその対象を広げていっ
た。ついにはそこに勤務する白人労働者をすべて解雇するに到った。
 ディックは一番最後に解雇されたグループに属していたが、それでも無一文同然で放
り出されたのには違いなかった。
 そしてディックたちが追い出された後、黒人労働者が招き入れられたのである。
 そんなわけで、ディック・キャヴストンは現在、失業保険で暮らしていたが、まもな
くその期限も切れようとしていた。アラバマ州のこの小さな田舎町では働くあてがそう
そうある訳でもない。どこか都会へ移る決断の時が迫っていた。
 ディックの家はもともと農家だったが、大恐慌の時、農場を失った。ディックが生ま
れた時には既に父親は工場労働者であり、生まれてからずっとこの小さなロックヴィル
の町で暮らしてきた。
 キャヴストン家の人間はこの辺りでずっと生きてきたのだ。何としても離れたくな
い。
 けれども眠っている時にも時間は過ぎていく。期限はもう手が届くところまで来てい
る。飢え死にしたくなければ働かなくてはならないのだ。そしてその手段はこの町では
得られない。それはまったく確かなことだった。
 このような境遇になぜ自分が追い込まれなければならないのか、ディックには理解で
きなかった。何の落ち度があったというのだ?
 自分を解雇したグリーンをディックは激しく憎んだ。そして自分の後釜に座った黒人
たちを。
 ラジオのむこうはまだ混乱の中にあった。アナウンサーは冷静を取り戻しつつあった
が、秩序の形成にはまだ時間がかかるようだった。
 隣の子供が帰って来たらしい、勢いよく扉が開く音が響く。母親がすぐさま大声で、
「大統領が死んだわよ!」と叫ぶ。
 ディックは瓶を床に置いて、ベッドに歩いていき、そのまま横になった。煙草を吸お
うと思って、ベッドの上に乱雑に放り出されているジャケットのポケットを漁ったが、
出てきたのはくしゃくしゃになったパッケージとジッポのライターだけだった。
 そのままディックは視線を空へと向けた。灰色の雲がゆっくりと流れて行った。いつ
になく静かで、どんよりとした囁きが遠くで響いていた。
 空気が生ぬるかった。これがケネディが死んだ日なんだ、とディックは刻むように心
の中で呟いた。
 それからディックは足を直角にあげ、振り下ろしてその反動で上半身を起こした。両
手をしなやかに伸ばし、机の上のコーラの缶を取った。上半分が切断されたその缶には
硬貨が数十枚入っていた。その中から2ドルと少しを取り出すと、煙草を買いに行くた
めに立ち上がった。
 部屋を出て、階段のところでアイリーンという少女が歌っていた。金髪の綺麗な子だ
った。学校に行くには小さすぎて、両親とも働いているので、この子はいつもひとりだ
った。この辺りにはその年頃の子供は少なかった。
 失業してから時おり、ディックはアイリーンと遊んでやっていた。
「こんにちはディック」
「やあ、アイリーン」
「どこに行くの?」
「煙草を買いにね」
 アイリーンは髪をいじりながら、ふうん、と呟いた。
「私、煙草を吸う人は嫌いよ。一緒にいたら臭いんだもの。だからボブおじさんとガー
タは嫌い」
「じゃ、俺も嫌われているのかな」
 とディックはわざと心配な顔を浮かべた。
「違うわ」
 とアイリーンは懸命に首を振った。
「でも煙草をやめてくれたら、もっと好きになると思うの」
 なんてこったい、とディックは心の中で呟いた。この子は6歳にしてもう男の操り方
を心得ている。
「それじゃ、今日は煙草は吸わないよ」
 そう言って、ディックはアイリーンの隣に腰掛けた。こういう時間はアイリーンにと
っては貴重な娯楽の時間だったが、ディックにとっても安らげる時間だった。
「ねえ、鬼ごっこしない?」
 アイリーンは秘密でも打ち明けるかのように囁いた。
「こんなところでかい? 公園でやってるだろう、いつもは」
「でも今日は車が走ってないわ。きっと大統領がここで鬼ごっこが出来るよう命令して
くれたのよ」
 この子はケネディが撃たれたことをまだ知らないんだ、とディックは思った。それを
告げるべきか迷ったが、アイリーンを驚かせる誘惑には勝てなかった。
「ケネディは死んだよ。殺されたんだ」
「ケネディ? それジャックのことを言っているの?」
「君が大統領を何と呼んでいるか知らないけどね、ジョン・フィッツジェラルド・ケネ
ディのことだ」
 ディックにとって、アイリーンの反応は意外だった。そのまま固まって、静かに泣き
出したのである。まさか泣くとまでは予想していなかった。しくじったな、とディック
は内心舌打ちした。
「もう月へ行けないわ」
「月? ああ、月へ人間を送るとか言ってたな、そう言えば。そんなのは夢物語さ。俺
の言っていることが分かるかい? ケネディはインチキ野郎だったってことさ」
 アイリーンは泣くのをやめて、
「ジャックが嘘をついてたの?」
 と驚いた。
「もちろんさ、あいつはまったくのインチキ野郎だったね。あいつは南部を食い尽くし
てアメリカを駄目にするところだった。誰がケネディを殺したか知らんが、それこそ勲
章もんだ」
「でもディック。ジャックは私のお友だちだったのよ。インチキ野郎だったとしても」
 アイリーンのその言い方は、心臓の鼓動を早めるほどにディックの祖母に酷似してい
た。もちろん祖母はアイリーンのようには話さなかったが。
 いつのことだったろうか。ディックがちょうどアイリーンくらいの年齢の時である。
 ディックの父が詐欺にあってなけなしの貯金を盗られたことがあった。
 その光景を今でもディックは鮮明に覚えていた。ほとんど寝たきりの祖母と同じ寝室
でディックは寝ていたが、その夜、台所でディックの両親は互いを罵り合っていた。彼
らが喧嘩をするのは珍しいことではなかったが、この時のものはどちらかがどちらかを
殺すのではないかと思えるほどに激しいものだった。
 薄い板一枚では怒声を遮蔽するのは不可能で、ベッドにうずくまるディックをも容赦
なく刺し貫いた。ただただ恐ろしかった。眠ろうと努力はしたが、その度に隣の部屋の
情景が正確に浮かび上がった。
 ひどく蒸し暑い夜だった。布団をよけたかったが、それをすれば怒声が直撃する。体
の上から下まで、汗でびっしょりだった。少しでも乾いた部分を欲してシーツの上を彷
徨ったが、そんな部分はなかった。呪いの言葉が暗い光と共に差し込んでいた。そんな
時間を随分長く、ディックはもがいていた。
『ディック、起きてるかい?』
 とふいに向かいの側のベッドで寝ていた祖母が呟いた。ディックは返事をしなかっ
た。ただ、軽く唸った。
 祖母は言葉を続けた。
『ディック、私はもうそんなに先がないからこんなことを言うんだけどね、人生で最大
の教えは人を恨んじゃいけないってことさ。こんなことはどこの教会の牧師さんも言っ
ているけどね、本当にそう思うよ』
 それから数日後に祖母は死んだのだった。

 次の住まいをどこにするか、迷った挙句、ディックはアトランタに住むことにした。
あそこならば同じ南部だし、何といってもすぐに就職先が見つかりそうだった。父の
弟、つまりディックの叔父がそこにいた。父の葬式以来一度も会っていない叔父に手紙
を出したところ、面倒を見るとの返事が来た。自分が勤めている清涼飲料水の工場でお
そらく空きがあるだろうから紹介してやっても良いということだった。
 出発には10日ほどあった。懐かしい人たちに別れを告げておこうとディックは思っ
たが、実際には特に別れがたい人はいないのに気づいた。いつの間にかディックは故郷
で孤独になっている自分がいるのを知った。
 ケネディの暗殺から2日が過ぎていた。何度もその場面はテレビをつけるたびに放送
されていた。ケネディについて語ることがいまやアメリカ人の証のようになっていた。
 誰もがケネディを褒め称えた。共和党員でさえそうだった。どうやら筋金いりのケネ
ディ嫌いはディックだけのようだった。そのディックにしても、大統領の肉片を必死に
なって拾い集めるジャクリーン・ケネディの姿を見た時、胸が詰まった。
 今はアメリカ合衆国大統領となったリンドン・ジョンソンは、ホワイトハウスで演説
を行い、ケネディ路線の継続を訴えた。生粋の南部人である彼が、公民権運動への支援
を明確に打ち出したのは誰にとっても意外なことだった。それに対して、キング牧師は
ジョンソン政権への期待を語った。
 その直後にルイジアナ州で何とかという黒人青年が木に吊るされて惨殺されているの
が発見された。その首からは「親愛なるJFKへ。KKKより」とのプラカードがぶら
さげられていた。しかしそんな事柄は大統領暗殺のビッグニュースにかき消され、ディ
ックが隅々まで新聞に目を通す人間でなかったならば気づかずにいたに違いなかった。
 昼食用にハンバーガーを自分で作って、ディックは公園に出かけた。陽射しは穏やか
だったが、秋にしては蒸し暑く、長袖のシャツをまくりあげた。
 人通りはなく、ただ自動車だけが向かいの道路を頻繁に往来していた。何もかもが見
慣れた景色だった。
 天気雨に降られて、ディックは公園の脇のベンチに据わった。ハナミズキの青い葉
が、ゆるやかなフードとなってディックを覆った。
 ポケットからフィリップ・モリスを取り出して、煙草を一本くわえた。ジッポライ
ターを着火しようとしたが、ライターはシュッという空気を切る音を聞かせるだけで、
ディックの期待には応えてはくれなかった。
 しばらくすると銀河さえ見えそうな青空の中に雨は吸い込まれていき、つんとしたア
スファルトの匂いがひどく嗅覚を刺激した。
 ぼんやりと泳いでいたディックの視線はやがてある一点に留まった。
 公園の中央に水飲み場があった。この田舎町には不似合いな御影石で作られたその水
飲み場には金のプレートがこれみよがしに埋め込まれていて、「プレストン夫人からロ
ックヴィル市民へ。長年の友情に感謝して」とイタリック体で書かれていた。
 ひとりの男が水を飲んでいた。そしてその後ろに、挑発的に漆黒の瞳を輝かせなが
ら、ふたりの男が順番を待っていた。
 その男たちに、この一画の人々の視線が集中した。アパートの窓から、路地から、停
車している自動車の中から。視線の網が、その男たちを中心点にしてパリの街のように
放射状に伸びているかのようだった。驚きと恐れ、そして怒りと憎悪のファンファーレ
を響かせながら。
 ディックは立ち上がった。今目の前で起きている光景。このところ連日、ニュースで
伝えられる光景がついに現実のものとなって、この自分の故郷でも起きたのだ。
 黒人が白人の聖域を侵している。
 黒人はあふれ出る汗を拭うこともせず、ひたすら水を飲んでいた。ディックの主観的
な光景では、彼らの汗がやがて酸となって白人の水飲み場を溶かしていた。それを支え
る白人たちをも。
 ディックは彼らの方向へ走り出した。同じように、何人かの白人男性が、走り寄って
いた。
「おい、ニガー!」
 ディックは叫んだ。と同時に、ディックの右拳がその黒人の右眼球を捉えた。男は吹
き飛び、そのまま地面に倒れた。
「ここは白人の水飲み場だ。おまえたちは向こうで飲め!」
 ディックは公園の隅にある、みすぼらしい水道を指した。不潔に黄ばんでいて、いか
にも黒人に相応しいもののようにディックには思えた。
「ここは市民の水飲み場だ。そして私はロックヴィル市民だ」
 男はゆっくりと立ち上がり、潰れた右目でディックを睨んだ。その言葉にある白人の
若い男が叫んだ。
「おまえたちが市民だって! おまえたちはニガーじゃねえか」
 嘲りの声が起こった。それが静まるのを待って、殴られた黒人男性はゆっくりと、つ
むぐように口を開いた。
「私たちの肌は黒いが、あなたたちと同じロックヴィル市民だ。アメリカ合衆国市民
だ」
 それは威厳に満ちた宣言だった。しかしすべての言葉は受けて次第である。そこにい
た白人たちにとってそれは文法的には正しいが意味を成さない無意味な構文に過ぎなか
った。
「ニガーが生意気を言いやがって…ぶっ殺してやる」
 若い男が叫んだ。それが狩りの合図だった。
 黒人は囲まれ、一人ずつ分断された。白人たちの拳は神の鞭のように容赦なくその黒
い肉体に降り注ぎ、物言わぬサンドバッグのように、黒人たちは肉体から放たれるあら
ゆる攻撃を甘受した。彼らが血まみれの動かない人形になるのにそう大した時間はかか
らなかった。
 これ以上やるとさすがに死んでしまうと誰となくなけなしの理性を取り戻す頃には、
その数個の黒い肉塊は水揚げされた魚のように目を不規則に動かし、肩でようやく呼吸
している有様だった。
 体のあちらこちらについた黒人の血を、ディックは舌打ちをして眺めた。死にかけた
黒人たちを見ながら、つくづく醜い連中だと思った。醜くて、嫌らしくて、汚らわし
い。こんな獣と人間が平等だなんて、まっぴらごめんだと改めて感じた。
 まもなく警察がやって来た。
 しかし連行されたのはその黒人たちの方だった。白人警官たちは、その黒人たちをど
うしても死なない生き物だと思っているようで、小突き回し、歩けないようだと容赦な
く腹に蹴りを入れた。
 そのたびに、ある黒人は返り血を浴びて、呻きながら大地にひれ伏した。それに対し
て周囲の白人たちは罵声と蹴りを浴びせかけた。その黒人は薄れ行く意識の中で天を仰
いで、神に祈った。もちろん、それは声にはならず、振り下ろされる鉄拳の前に潰え去
った。
 心ある人が見たならば彼らの姿は再現されたイエス・キリストに見えたかも知れな
い。あらゆる憎しみの発露の中、彼らは沈黙の訴えを発していた。そしてそれ故に周囲
の者たちは執拗な攻撃を加え続けた。
 黒人たちはしかし自らの足で前進することを諦めなかった。ただ、威厳をもって、彼
らはゴルゴダを目指していた。
 彼らが連行されると、残った者たちはバツの悪い思いを残しながら、何も言わずにそ
れぞれの場所で戻って行った。やがて誰もそこから消えた後、ディックは水飲み場で少
し水を飲んだ。カルキの強い、まずい水。
 血はそこら中にこびりついていたが、涼やかな風が吹き、それを些細なことにした。
手に残る鈍い痛みだけが、あの憎悪の遺産だった。
 家に帰り、ベッドに倒れこむと、ディックはぼんやりと視線を漂わせた。
 あの黒人の苦悶の表情を思い浮かべた。その顔はやがて線が薄れていき、ひとつのイ
メージになった。狂ったようにディックはその物体を殴っていた。黒い肌はそのたびに
歪められ、変形した。
 振り返った時、その塊はディックを解雇したあの男になっていた。グリーンという、
あの北部の男。
 そうだったのか、とディックは思った。あいつは黒人だったんだ。
 だから俺をこんな風にしたんだ。
 黒いグリーンはディックをあざ笑っていた。侮蔑を撒き散らしながら、嘲りの中でデ
ィックに死を宣告していた。
 それを打ち負かすのは正当なことだとディックは確信した。あの家畜を殺すのに何の
言い訳が必要だろうか。こんな状況に追いやった黒人を殺すのは正当なことだ、とディ
ックは呟いた。
 奴らを駆除しなければこの国は滅びる。
 警察に連行された黒人たちは翌朝には死体になっていた。
 彼らは留置場に入れられると、心臓発作を起こす体質らしかった。

 狼が駆けていくうちに仲間を増やしていくように、同じ血を持つ仲間のところへディ
ックは吸い寄せられていた。
 闇に鈍い炎がよどんでいた。
 白い布を全身にまとった彼らはディックの出現に警戒したが、すぐにディックが発す
る憎悪にあてられて、ディックが仲間だと認識した。
 リーダーと思われる男がディックの肩に手を置き、ディックを歓迎した。最近、この
辺りで頻発する黒人殺害事件の作り手はこの男だろうとディックは思った。
 ディックはその日の昼、偶然この会合のことを知った。規律が厳しく、部外者に絶対
に漏らさないこの組織のことをディックが知ったということは、知らされたということ
と同じだった。おそらく、あの黒人たちを暴行するのに加わったことで、ディックにこ
の栄誉が与えられたものであろう。
 用意されていた白装束を身に着けて、声を交わすこともなく、ディックはその集団と
共に闇の中を歩いた。
 その晩の獲物は、モートンという黒人の学生だった。1週間前、この地域の公民権運
動をてこいれするために、シカゴからやってきたのだ。今はブラウンという黒人農夫の
家に潜伏していた。
 今、そこにいるということにディックは不思議と違和感を感じなかった。数日前まで
黒人を殺すということに現実感がなかったが、今やそれはなされようとしている。
 神の御業だとディックは思った。
 その家の黒人はすでに眠りについていた。リーダーの指示で、ディックたちはゆっく
りと家を取り囲んだ。付近には民家もない。取り逃がすことさえなければ、充分に祭り
は成功裏に終わるだろう。
「おー!」
 ひとりの男が雄たけびを上げ、他の男たちが倣った。月に吼える狼に似ていた。もは
や彼らの高ぶった血は血によってのみ癒されるだろう。一斉に彼らは侵入した。
 すぐに悲鳴が鳴り響いた。恐怖が夜の闇をつんざいた。
 ここに居住し、滞在していた5名の黒人がまず血祭りにあげられた。家に入ってすぐ
の寝室に寝ていた少年をディックはひきずりだした。少年は言葉も出ないまま、ディッ
クを見つめた。
 ディックは少年のシャツを掴み、少年を庭へ引きずり出した。その衣服をすべて剥ぎ
取り、ロープで縛ると、庭の木に両手を掲げさせて吊るし上げた。
 少年期をまもなく終えようとするその不安定な肉体が夜風に撫で上げられ、震えた。
「ニガーめ、どこもかしこも真っ黒でいやがる」
「助けて」
 ようやく震える声で少年が懇願した。闇に彼の体全体が溶け、眼球の白い部分だけが
浮かび上がっていた。少年は周囲を見渡した。近くで、彼の姉が数人がかりで足を広げ
られ、ヴァギナに棒を突っ込まれていた。悲鳴が幾つも、花火のように打ち上げられて
いた。
「見ろよ、ニガーの女はあそこまで黒いぜ」
 男が愉快げに言った。しかしそれに反応する者はいない。拷問する者とされる者、そ
れぞれに忙しかったからである。
 別の方向では、少年の母親の頭に斧が振り下ろされていた。少年が眠る前にキスをし
てくれた分厚い唇から黒く濁った血があふれていた。一瞬、少年を見て、彼女はそのま
ま直角に地面に倒れた。
 ディックは少年の肉体に鞭を振り下ろした。少年の悲鳴を更に罰するように、ディッ
クは何度も何度も鞭を振った。
「ニガーは鞭には慣れているだろうに」
 ディックは呟きながらも、腕を休めなかった。反抗的な奴隷に正当な懲罰を加えてい
るのだ、とディックは確信していた。
 あるべき世界がここにはあるのだ、とディックは思った。
 少年の肌はやがて闇に浮かび上がるほど赤く染まり、鞭を振るう余地さえなくなって
いた。少年は気絶し、虫の息になっていた。
 用済み、と判断したディックは、ためらうことなく銃弾を少年の胸に放った。少年は
ぴくりと動き、それきりすべての機能を停止した。
 更なる獲物を求めて、ディックは再び家の中に入った。
 モートンはまだ発見されていなかった。数人の男たちがディックに続いた。
 しばらく探し回った後、1階、北の角部屋が外から見た感じよりも狭いことにディッ
クは気づいた。壁が太すぎるのである。何人かを呼んで、ディックは壁のワードローブ
をずらした。そこにはとても小さな隠し部屋があって、モートンが窮屈そうに縮こまっ
ていた。
「こんなところにいたのか、豚野郎」
 ディックは震えるモートンを引きずり出した。その恐怖そのものという表情からはこ
の男がとても公民権運動の闘士だとはうかがい知れなかった。それがディックには余
計、腹がたった。
 ディックはモートンをリーダーに突き出した。モートンは叫んだ。
「俺たちが何をしたって言うんだ!」
 それに対してリーダーは言った。
「お前たちは白人の権利を侵そうとした。これは死に値する大罪だ」
 処刑が宣告された。
 モートンはやはり裸に剥かれ、木に吊るされた。足が動かないよう、両足首も縛ら
れ、石で固定された。
 煙草が押し付けられた。モートンは最後の意地を見せるべく、悲鳴を上げるのは必死
にこらえたが、顔が苦痛に歪むのはどうしようもなかった。それからモートンの体は木
片で打たれた。数人がかりでやられたので、見る見るうちにモートンは赤く腫れ上がっ
ていった。魂の根元から搾り出される悲鳴が、重く、低く続いた。
 リーダーがディックに言った。
「新入り。おまえに手柄をやろう。苦痛を与えて殺せ」
 渡されたナイフを掴み、ディックはモートンの膨れ上がったペニスを引っ張った。そ
してケーキでも切るようにして、根元からゆっくりと切断した。
 すでに意識を失っているはずのモートンが感覚を蘇らせる痛みに、断末魔の叫びを上
げた。そして確実に息絶えた。
 ディックは震えたが、これは正義の戦いなんだと自分に言い聞かせた。
「まだ、誰か残っているかもしれない。手分けして調べろ。確実に殺せよ」
 リーダーのその言葉に、彼らは一斉に家の中に入った。
 ディックは血で滑りやすくなった階段に注意しながら2階へと上がった。
 上りきったところの踊り場は月明かりに青白く照らされ、そこだけが神聖な場所であ
るかのような印象を与えた。しかし周囲の暴力の名残が、その思いを否定した。
 突き当たりの部屋の扉をディックは開けた。
 そこは子供部屋らしく、布製の人形がいくつか、ベッドに並べられていた。
 部屋は散乱し、荒らされていたが、床に書きかけの手紙が落ちているのにディックは
気づいた。ディックは拾い上げて、月明かりでそれを読んだ。
『しんあいなるベッキーへ。おてがみとどきました。カナダはどうですか。おともだち
はできましたか。あなたがいなくなってとてもさみしい。ねるまえにちゃんとわたしの
なまえを10回となえていますか。わたしはちゃんと、ベッキー、ベッキー、ベッキ
ー、ベッキー、ベッキー、ベッキー、ベッキー、ベッキー、ベッキー、ベッキーといっ
ています』
 ディックはそこまで読むと、手紙を丸めて放り投げた。
 さっき殺した黒人たちの中には小さな女の子はいなかった。まだ、どこかに隠れてい
るのだ。ディックは動きを止め、耳を澄ました。改めて目を閉じて、耳を立てた。
 ほんのかすかだが、空気とは別の音がした。呼吸の音だった。
 ゆっくりと、ゆっくりと、ディックはその音を辿った。やがてひとつの方向が示され
た。
 ベッドの下で、小さな黒人の女の子は、両目でディックを見据えていた。ディックは
笑いかけた。
「やあ、お嬢ちゃん、そんなところで何をしているんだい?」
 ディックの声に女の子は応えなかった。ただ、しっかりと人形を抱きしめて、震えて
いた。彼女を襲ったのは恐怖だった。しかしようやくゆっくりと口を開いた。
「マーティンが夜中に騒ぎが起きたらここに隠れろって言ったの」
 ディックは微笑んだ。
「誰が言ったって? 出てきてごらん、何もしやしないから」
 ディックを無視して、女の子は言葉を続けた。
「マーティンはわたしのお兄さんよ。ボクサーになるからもうすぐニューヨークに行く
の」
「出て来いよ、ダーリン」
「マーティンがいなくなったらさみしいわ。行って欲しくないけどどうしても行くって
きかないの」
「話はやめて出て来いよ」
「なんでボクサーになりたいのかしら。あんな野蛮なもの。男の子は殴り合いが好きな
のよ」
「出て来いって言ってるだろう、聞こえないのか」
「だからわたしも我慢するの。どう言ったって聞きやしないわ」
「話すのはやめろ、出てくるんだ」
「ねえ、この歌、知ってる? マーティンはとても好きなのよ」
 女の子は唄いだした。静かな低いメロディ。それはディックのアパートの入り口で、
アイリーンがよく唄っている歌だった。
『汽車を降りると懐かしいあの子が駆けてくる
 金色の髪、熟れたさくらんぼのような唇
 緑に包まれた故郷に帰るのは素晴らしいことだ…』
 アイリーンは少しさびしげに唄う。この子も同じだった。
 その少女にアイリーンの面影が重なった。アイリーンは言った。
 どうしたの、ディック。どうしてそんなに怖い顔をしているの?
「やめないか! 汚らしいニガーが!」
 ディックはすべてを打ち消すかのように、その少女の髪を掴み、ベッドから引きずり
出した。
「あんたはマーティンを殺したのね!」
「おまえも殺されるんだよ」
 ピートは銃口を彼女の頭に押し当てて、ためらわず引き金を引いた。彼女の頭部は瞬
間、奇妙にひしゃげ、炸裂した。
 ディックはそのまま向きを変え、部屋を出て、階段を下りた。
 おもてでは仲間たちがディックを待っていた。
「まもなく太陽がのぼる。急いで戻らなくてはな」
 リーダーはそう言って歩き出した。ディックは頷いて、それに続いた。
 しばらく歩いて、ディックは言った。
「あんたは誰なんだ?」
 その言葉に男はかすかに笑った。
「おまえを守る者さ」
 ディックは頷いた。それからしばらくして、言った。
「何を守るんだ、豚野郎」
 その言葉に一群は歩みを止めた。男は振り向いて、ディックに言った。
「何と言った。ディック・キャヴストン」
「おまえたちはインチキ野郎だと言ったんだ。何を守るんだ。おまえたちに何が守れる
っていうんだ」
 ディックを取り押さえようとする周囲の者たちを制して、男は言った。
「白人の権利を守るためにわたしたちは戦っているんじゃないか」
「戦ってるだって? あの子は唄ってたんだ。アイリーンと同じ歌を。俺が殺した少年
には名前があった。マーティンという名前が…。もう守るべきものなんてどこにもあり
はしない!」
 いつしかディックは泣いていた。何のために泣いているのかまでは分からなかった
が、今はそれだけがただひとつの真実になっていた。
「おい、俺たちを裏切るな。馬鹿な真似はよせ」
 男のその言葉に、ディックは睨んだ。
「おまえたちは豚野郎だ!」
 叫びながらディックは駆け出した。連中が追ってくるのは分かっていた。今はもうデ
ィックも粛清されるべき身となったのだ。ディックは走った。それだけが生きているこ
との証だった。夜が白み始めていた。
 アパートの階段を駆け上り、自分の部屋に飛び込み、鍵をかけた。ラジオがつけっ放
しになっていたらしい。
『おはようございます、午前5時のCBSニュースです。昨夜、ホワイトハウスでジョ
ンソン大統領は次のように演説しました。今なお人種ゆえの差別がこの国に存在するこ
とを私は決して誇りに思うことは出来ない。合衆国は自由と平等の国であり、この国に
生まれた者はいかなる皮膚の色であれ、公民としての権利を当然保有する。これはいか
なる者も侵すことが出来ない…』
 ディックはベッドの横に座り込み、すすり泣いた。やがてそれは号泣となった。
 その音をたどるようにして、階段を上る幾つもの靴の音が、朝日に染まりつつある町
を切り裂くように響いた。





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