AWC 「仏教高校の殺人」1    朝霧三郎


        
#574/598 ●長編
★タイトル (sab     )  21/10/31  08:51  (448)
「仏教高校の殺人」1    朝霧三郎
★内容

 第1章


 極楽寺高校は東京都下八王子市にある私立の仏教系高校である。
 今は授業が始まる前で、佐伯海里は3年8組の教室の一番後ろの廊下側の席に
だら〜んと突っ伏していた。
 ちょっと受け口で目が離れていて垂れ目。
 ファニーといえばファニーだが、可愛くなくもない。
 そこに後ろの入り口からV系バンギャルメイクの女子が寄ってきた。
「おはよー」
「おは、」
 思わず息を呑む。
「つーか、あんた、誰、だれー、…リエラか」
 2ケ月前から不登校になっていた江良リエラ。
 不登校になってからもチャットとかはしていたが、リアルがこんなになっていた
なんて。
「なんでそんなに」
 と海里はリエラをまじまじと見た。
 耳の軟骨にストレートバーベルのピアスが5つ並んでいる。
 極細眉毛にもピアス。
 髪の毛は黒に赤のヘアカラー。
 ブルーっぽいアイシャドーに、瞳にはグレーのカラコン。
 肌の色は青白く毛細血管が浮き出ていた。
「今日はファンデはつけていないから。
 つーか、もうスッピン捨てているから」
「2ケ月前はあんなおたふくだったのに」
「これには深い理由があるんだよ」
 リエラは隣の空いている席に座った。
「実は夏休みに抜け駆けして代ゼミに行ったんだよ」
「それはチャットでも言ってたじゃん」
「そうしたら、すごいストレスで。
 都内って凄いストレスじゃん。
 山手線なんて乗車率190%とか。
 教室もすし詰め状態で」
「うん」
「しかも教室はシリコンの清潔な感じで。
 そうすると、自分が臭いんじゃないか、って思えてくるんだよ」
「えー」
「厭離穢土(おんりえど)だよ」
 厭離穢土とは娑婆の全てを穢れたものとみなす仏教の考え方である。
「…白い歯、赤い唇といえども、一握りの糞に粉をまぶしたようなもの…」
 とリエラは授業で暗記させられた『往生要集』の一節を言った。
「みたいな気持ちになる。
 吹き出物が気になって、便秘の予感がして、脂肪とかが超気になりだして」
「へー」
「しかも吐き気がしてきてさぁ。
 こんなところでゲロ吐いたらやばい、と思って、屋上に逃げたら」
「うん」
「屋上の金網ごしに、遠くの方に浄土が見えたんだよ。
 ピカピカの10円玉みたいにピカピカの平等院鳳凰堂が見えた。
 うん」
「そこらへんまではチャットで見ていて知っているよ。
 つーか、だからってなんでV系になったのかという」
「だあら、ストレスで自分が厭離穢土になって、遠くに浄土が見えてって、世界が
まっぷたつに分かれたんだけれども、同時に、あれは『スッキリ』のEDだったか
なあ、それで『in The BLOOD EYES』を聞いて、これだ、と思って、ユーチューブ再生
しまくって、一気にクリムゾンまで遡って」
「えぇ」
「厭離穢土で身体は否定したんだけれども、脂肪のない皮膚に、タトゥーとかピアス
とかすれば、一気に逆方法に振り切って、一気に浄土を目指せる」
「えー、なんだよ、それ」
「だから、ストレスで厭離穢土になったんだけれども、そんで浄土が見えたんだ
けれども、V系で浄土に至る道が見えた」
「だからなんでV系なんだよ」
「それは、仏教でも、菩薩だとか如来だとか色々な偶像があって浄土に至る様に、
V系の曲とかファッションとかコスメとか、そういうのでニルヴァーナに至ると実感
しただよ」
「ふーん」
 ここまで喋ると、チャイムが鳴った。
 キーンコーンカーンコーン
「え、もう時間」
「じゃあ、又後でね」
「こりゃあなかなか一回じゃあ説明できないから、おいおいね」
 リエラは隣の7組に行く。
 わざわざ色々言いに来たのは、地元が一緒だからというのもあるし、催眠・瞑想
研究会という一緒の部活のメンバーでもあるというのもあるのだろうか。
 それにしてもびっくりした。
 リエラがひきこもってからチャットではやりとりしていたが、リアルがあんなに
変わっているとは思わなかったから。

 リエラが出ていくと同時に、前の扉が開いて若い女の教師が入ってきた。
「教壇に向かって一同、起立、礼、着席」
「それでは朝拝を始めます」
 と教師。
 ここは仏教系の高校で朝拝がある。
「係りの人、聖歌をお願いします」
「はい。
 法の深山(のりのみやま)を歌います」
 前の方の日直が言った。
「いちにーのさん、
♪法のみ山のさくら花
昔のまーまに匂うなり
道の枝折(しおり)の跡とめて
さとりの高嶺の春を見よ」
「それでは次に般若心経を唱えます」
 と教師。
 一同「観自在菩薩 行深般若波 羅蜜多時 照見五蘊皆〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜」
「それでは最後に瞑想1分間」
「瞑想はじめー」
 と日直が言う。
 退屈だぁ、と海里は思った。
 海里の家も尼寺なので、この手の事には慣れている筈だったが、退屈した。
 海里は薄目を開けるとあたりを見回す。
 窓際の後ろの方では、金井妃奈子が机の下で『JJ』をめくっていた。
 家は豊かなお寺で、服でも靴でも何でも買って貰えるらしい。
 見た感じは教師に言わせると『雁の寺』の若尾文子的エロさがあるという。
 なんだそりゃ。
 髪も茶髪のロン毛でしょっちゅう美容院に通っている感じ。
 隣の席から腰巾着の太古望花が覗いていた。
 見た感じは松たか子か。
 望花の家は丸ビなので指をくわえて見ているだけ。
 この二人は催眠・瞑想研究会の部員だ。
 窓際前の方には、剛田剛が座っている。
 家はお寺ではないのだが、仏教原理主義的なやつで、見た感じも金剛力士像みたいな
感じで、声も太くて、明王様だったらあんな声か、と思わせる声だ。
 彼によれば、楽しいこと、気持ちいいことをすると“なまぐさ”がたまると言う。
 例えば、妃奈子みたいに欲しい洋服を買ったりしても“なまぐさ”がたまると言う。
 真ん中の列の前の方には、クラスのマドンナ、否、如来、遊佐蓮美が座っていた。
 グレース・ケリーよりも美人。
 取り巻きの猿田だの雉川だのの男子が近くに座っているが、休み時間になると
下敷きで仰いで風を送っている。
 そんな蓮美も、中学校の頃に東北地方から引っ越してきたのだが、東北の大震災で
親類縁者の多くを亡くすという暗い過去があった。
 そして廊下側の前の方には萬田郁恵がいた。
 これも美形だが、グレース・ケリーとは違って、萌え系の可愛い顔で
『アルプスの少女ハイジ』と安室奈美恵を足して2で割った感じ。
 眉尻の下の骨がコーカソイドの様に出ていて、あれ純粋に日本人か、
ハーフかクオーターなんじゃあないの? と言われていた。
 郁恵の家は、海里んちの尼寺の系列の僧寺の大きなお寺だった。
 それに比べて尼寺なんて、檀家も少なく、僧寺の法事のお茶くみだのなんやらの
手伝いをして糊口をしのぐという感じだった。
 という訳で海里は郁恵とは幼少の頃から付き合いはあったのだが、自分ちが貧しい
尼寺なので、密かに羨ましいと思っていた。

 退屈な授業が始まった。
 1限目は英語。
 「He is a so-called bookworm
 本の虫ってなんですか? 辞書をあけると小さい虫がいますよね。
 あれが本の虫ですか」
 と教師。
 教室の中では、衣替えしたばっかのブレザーの背中が、無邪気に揺れていた。
 わーっはっはっは
 窓の外を見ると、校庭の向こうの木々が風でざわざわと揺れていた。
 二限目はじじいの教師のやる日本史。
 白衣を来たじじいの教師が教壇でポケットに手を突っ込んでいた。
 ポケットの先に穴が開いていていんきんをかいているという噂だった。
 それから3時間目は袈裟を着た僧侶の教師の古典。
 お布施と教員の給料のWで稼いでいる“なまぐさ”坊主。
 それもあっという間に終わった。
 キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴ると教室はざわついた。
 4時限目は体育だったが休講だった。
 となりの7組も休みだった。
 V系リエラが後ろの入り口から顔を突っ込んできた。
「部室に行こうか」


 北側に校舎を背にして、南側の部室棟に向かって、海里とリエラは、プールだの
体育館の横を歩いて行った。
 体育館の角まで行くと左に曲がって欅の下の小道を歩く。
 部室棟の階段を2階に上って、外廊下を真ん中辺まで行くと、催眠・瞑想研究会は
あった。
 鉄の扉に『催眠・瞑想研究会 梵我一如研究会』という看板が張り付けてある。
 扉を開けて中に入った。
「こんちわーっす」
 とリエラ。
 正面に窓があり、左手はロッカーで隣の部室と仕切られていて、床にはビニール製
の畳が敷き詰められていた。
 その上に、小暮勇と乾明人、城戸弘が座っていた。
 乾明人はK−POPのイケメンみたいな顔をしている。
 小暮勇は山田孝之似。
 城戸弘は神田正輝か三浦友和みたいな感じ。
 この3人はナンパ師三羽烏と言われている。
 みんな3階の3組の男子だった。
「リエラ。
 おめー、変わりすぎだよ」
 と乾明人。
「あれ、あんたらも自習?」
 外履きを脱いで畳に上がりながらリエラが言った。
「おお、教師がノロウィルスに感染しやがってよぉ」
 と乾明人。
 小暮勇と城戸弘は立て膝をしてにやけていた。
 鉄扉が開いて、3階4組の伊地家益美が顔を突っ込んできた。
 名の通りいじけた感じがする女子で、フィギュアの村主章枝に似ている。
「あれー、篠田君は?」
 と部室を見回す。
「いないの? じゃあ帰る」
 と言って行ってしまう。
 篠田亜蘭というのが催眠・瞑想研究会のリーダーだ。
 伊地家が行ってしまうと、城戸弘がが突然リエラに言った。
「リエラ、お前、解脱しないとやばいよ」
「えーっ」
「お前、代ゼミだかどっか、都市的な空間に行って、自分の身体が厭離穢土の様に
なって、拒食症患者みたいに脂肪を嫌って、同時に、遠くに浄土が見えてきたん
だってぇ?」
「なんでそんなの知ってんのよー」
「みんな知っているぞ。
 お前、チャットでべらべら喋っていただろう」
「そっかー」
「まあ、そういうのは、全くありがちなんだけれどもな。
 ただそういう場合、たまに解脱して浄土に触れる様にしないと、自分の厭離穢土
にやられてしまって“なまぐさ”がたまりだす」
「解脱ってどうすればいいのよ」
 リエラは畳にしゃがみこんだ。
「まず、こうやって、人差し指をピーンと立ててみな」
 言うと城戸弘は、リエラの顔の前で人差し指を立てて見せた
 リエラも真似して人差し指を立てる。
「じゃあそれをこうやって曲げてみな」
 と、城戸弘は万引きのサインの様にコの字に曲げてみせる。
 リエラもかくっと曲げた。
「今、自分で曲げたと思っただろう。
 だが脳的には、曲げた0.2、3秒後に曲げろと命令しているんだよ」
「えー、そんな事あるのぉ」
「あるんだよ」
「えー」
「じゃあ、今度は、指を繰り返しコの字にカクカクやってみな」
「リエラはカクカクと指をコの字曲げては伸ばすを繰り返した。
「もっと早く」
 カクカク、カクカク、カクカク、カクカク
「カクカクやりながら、般若心経を唱えてみな」
「かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー
 しょうけんごーうん かいくう どいっさいくやく〜〜〜〜」
「できるだろう。
 今お前の脳は般若心経読経をやっている。
 だったら、カクカク指を曲げているのは誰なんだよ」
「えっ」
「それは、脳というより神経というか、それは無意識がやっているんだよ。
 まあ受動意識仮説、というか、トランス状態、つーか変性意識状態に近いんだが。
 その時、無意識にアクセスしやすんだよな。
 つーか、飛べる可能性があるんだよ。
 つまり瞬間的に解脱する可能性があるんだよ」
 二人のやり取りを黙ってみていた小暮勇が口を開いた。
「その変性意識状態って、たとえばチャリを漕いでいてもそういう事が起こるんだぜ」
「は?」
 と城戸弘が小首を傾げる。
「チャリって、乗れない人が初めて乗る時には、大脳を使ってよろとろ乗るだろう。
 しかし慣れればスマホをやりながらでもこげる。
 その時は、実は、無意識につけこむチャンスなんだよ。
 その時スマホから催眠でもすればスーッと無意識に作用できるという。
 それを使ってナンパが出来るんじゃないかと」
「ナンパぁ? どうやって」
 と城戸弘。
「俺は考えたんだが、具体的には、こうだ。
 自転車置き場に、いやにサドルの高いドロップハンドルのサイクリング自転車が
放置してあるだろう。
 あれに乗らせると股間を刺激して、女は感じると思うんだよなあ。
 と同時に自転車をこぐという行為をしているから変性意識状態になっている。
 つまり、トランス状態で股間に刺激がいっている。
 そこでだなあ、その女の斜め前に、誰か、例えば乾、お前が走っていて、そして、
お前はウルトラマリンか何か強めの香水をつけていて。
 そうすれば、洗脳でいえば、股間で感じるのがアンカーに、ウルトラマリンが
トリガーになっている。
 そうやっておいて、サイクリングから帰ってきた時に、更衣室で俺がウルトラマリン
をつけて登場する。
 俺のコロンの匂いをかいで、ターゲットは欲情する。
 そこで俺はジッパーをおろして、オカモト0.01を装着するという訳さ。
 はっはっはっはっは」
 と小暮勇は笑った。
「それって、催眠でも瞑想でもなく、条件反射じゃない」
 と海里が目を細めて言った。
「かもな」
「で、ターゲットは」
 と城戸弘。
「とりあえず8組の遊佐蓮美だな」
「えー、そんな事したら、犬山君が発狂しちゃう」
 とリエラ。
 犬山というのは7組の生徒で、催眠・瞑想研究会と一緒にアマチュア無線部にも
入っていて、宇宙からのメッセージが如来である遊佐蓮美に届くだのと、とにかく
電波なやつで、猿田、雉川らの信者と共に蓮美の三銃士を結成しているのだ。
「犬山みたいなスクールカースト下位の野郎が遊佐蓮美みたいな鮮度のいい女と
仲良くしているのか」
 と乾明人。
「前に、女の眼球にキスするのが流行って、結膜炎が蔓延したとかあったが、
それって犬山なんじゃない?」
 城戸弘が変な事を言った。
「えーなんで。
 犬山君にはそんな事、出来そうにないよ。
 つーか、だいたいなんでそんな事したいの?」
 とリエラ。
「犬山にしてみれば遊佐蓮美なんて星野鉄郎におけるメーテルだろう。
 鉄郎っていうのは不細工でモテないから、そうすると、リエラの平等院鳳凰堂
みたいに、如来が立ち上がってくるんだよ。
 それがメーテルで。
 その時メーテルに求める愛の形は完璧な愛なんだよ。
 性愛とかじゃなくて、自分の全てを包み込んでくれるような愛。
 乳児の愛というか、子供が求める愛は、赤ん坊はおぎゃーとしか泣けないから、
おっぱいが欲しい、とか、オムツを換えて、とか言えないから、常に母親が最大限の
気配りをしてくれなければならない。
 それが子供の相手への万能感で。
 だから、それは、性的なものじゃないんだよ。
 だからメーテルには性器がないんだよ。
 母に性器があったら、他のオスがよってくるから。
 自分への完璧な愛がなくなってしまうから。
 そんな感じで、自分だけを見て、というんで、眼球にキスしたんじゃないの?」
「なんか難しい話だな。
 そんなに難しい事考えているのか。
 お前は変態だからな」
 と小暮勇。
「とにかく、犬山みたいなうらなりが、あんなに鮮度のいい女を相手にしているのは
許せないな」
 と乾明人が言う。
「こっちはストリートに出て、すれっからしのずべ公ばかり追っかけているって
いうのに」
「お前はすれっからしに縁があるからな」
 と小暮勇。
「乾は去年卒業した一個上のヤンキーの姉ちゃんにまだつきまとわれているんだっけ」
 と城戸弘。
「俺は最近つくづく、スクールカーストの嘘、というのを感じてるよ」
 と乾明人。
「『アメリカングラフィティー』っていうジョージ・ルーカスの昔の映画を
ネットフリックスで見たんだけれども、あれでも、不良は街に出て、追っかけている
女はすれっからしで。
 でも、学校ではプラムがあって、ロン・ハワードみたいな、スクールカースト下位の
野郎が鮮度のいい女子を相手にしている」
「それにストリートは危ないしな。
 海里、お前の地元でも、ひと夏で3人も死んだんだって」
 と小暮勇が言った。
 海里の地元の日野市立2中の卒業生で、違う高校に行ったり就職したりしていたOB
が3人もこの夏から秋にかけて、バイク事故で亡くなっていたのだった。
「甘いね。
 つーか、古いね」
 とリエラが言った。
「昔は、禁止するのはPTA教師やPTAだったから、禁止をやぶってストリートで
遊ぶすれっからしがいて、片方で、大人しい“鮮度のいい女”が教室に残っていたん
だよ。
 ところが禁止が変わって、今は、地域の大人が禁止をしているんじゃなくて、
今や身体が禁止の理由になっているんだから。
 身体が厭離穢土になって、自由を禁止しているんだから。
 だから、教室に行っても、“鮮度のいい女”はいないよ。
“鮮度のいい女”と思っても、だぼだぼなカーディガンを脱がせてみれば、
その下にはきっとリスカの痕と、ボディーピアスとタトゥーがあるんだよ。
 現代のすれっからし、だよ。
 そうじゃないのは、芋姉ちゃんなんじゃないの?
 蓮美も芋姉ちゃんなんじゃないの?」
「ナマイキ言うじゃん。
 ビョーキになって少しは考えたか」
 と小暮勇は睨んだ。
 リエラをシカトして、乾明人や城戸弘の方に向いて言った。
「まあ、ともかく、前哨戦として、明日の文化祭で催眠をかけてやるか」
 催眠・瞑想研究会の文化祭の出し物は催眠だった。
「あのグレース・ケリーにS&Bの練りからしを食わせてやるよ」
 と小暮勇言い切った。
 海里は3人を見て思った。
(この3人は言うなればこんな感じか。
 乾明人。
 ストリートですれっからしに凝りている男。
 小暮勇。
 ストリートでインポテンツになった黄昏た男。
 城戸弘。
 変態。)
 鉄扉がギューッと音をたてて開いた。
 篠田亜蘭が剛田剛と部室に入ってきた。
「よぉ、おつかれさん」
 などと言って、乾明人と城戸弘がさっと立ち上がると、小暮勇もよっこいしょと、
立ち上がって上座をあけた。
(なんでこの三羽烏、亜蘭に気を遣っているのだろう)
 と海里は思った。
(多分こうだ。
 亜蘭の祖父が三鷹の方ででっかいお寺を営んでいるのだが、…亜蘭の父は
サラリーマンで後を継がなかった。
 だから亜蘭がいきなり住職になるかも知れない、…そのお寺が最近ボヤを出した。
 そんで、本堂修復の為に、宮大工だの仏具屋だのに大量の発注をするのだが。
 小暮勇んちは仏具屋、乾明人んちは宮大工で、城戸弘は石材店。
 それで気を遣っているいるのでは。
 この三羽烏は国立府中周辺に住んでいるので三鷹と近いし。
 嫌だね、業者は。)
 そう思って三羽烏と上座にどっかと腰を下ろした亜蘭を見比べていた。
 亜蘭の横では弁慶か明王の様に、如来を守る様にして、剛田剛があぐらを
かいていた。
「さてと、お経でもあげるかな」
 と剛田が片膝を立てて、お香だの数珠だのがしまってある共用のロッカーに手を
伸ばして扉をを開けた。
 すると、扉の裏に、曼荼羅が貼ってあった。
「何、それ、誰が貼ったの」
 と海里。
「昨日までそんなの無かったよ」
 亜蘭も身をよじって見て、首をかしげる。
「わー綺麗、万華鏡みたい」
 とリエラ。
「万華鏡じゃねーよ、曼荼羅だよ」
 と剛田。
「知っているけど」
「つーか、お前なんてお寺の娘じゃないから、こういうの詳しくないんじゃない?
 こういうの、意味分かる?」
「意味? わかんなーい」
「じゃあ説明してやろうか」
「うん」
「それじゃあまず」
 剛田はロッカーの前にずれていってしゃがみ込むと扉の裏を指さして説明した。
「まず上の曼荼羅は、これは、こうやって月輪状の絵が3×3に並んでいるが、
これは、金剛界曼荼羅といって、これは、大日如来の智慧や道徳を表しているんだよ」
「ふむふむ」
「それから下のこれー。
 これは胎蔵界曼荼羅といって、この真ん中のが大日如来。
 この絵を中心に9つの仏像がキューピーちゃんみたいに並んでいるでしょ。
 これは胎内の胎児を表していると言っていいだろう」
「胎内?」
「おお、まあね。
 でへへ」
 剛田はがちがちの原理主義者なのだが、“でへへ”と笑う癖があった。
「金剛界曼荼羅は宇宙のお父さんで、胎蔵界曼荼羅は宇宙のお母さん。
 お父さんのダイヤモンド的な智慧が、お母さんの胎内にぴゅぴゅぴゅっと
発射されて、9体の仏像が懐胎し、生まれると娑婆に出て行く、という感じ
だろうか」
「娑婆行って何するのよ」
「それはねえ、この9体の子供は宇宙の智慧を持っているのだが、“なまぐさ”
も持っている。
 だから、何十年かの娑婆での生活で、それを減らす、というのが この9体の
人生の目的だな。
 そうすれば、曼荼羅に帰った時に、宇宙全体の“なまぐさ”も減るだろう。
 それが娑婆にきた目的だな」
「ふーん」
「しかーし、宇宙に“なまぐさ”が少しでも残っている間は、輪廻転生が
繰り返される。
 だがやがて、宇宙全体に一点の“なまぐさ”もなくなったならば、
この輪廻転生は終わって、宇宙全体が解脱して極楽浄土が完成するのである」
「じゃあ、その×はなによ」
 3×3段に描かれているキューピーちゃんの様な仏像の、上の段と真ん中の
大日如来に×印がしてあった。
「えぇ? 誰かがいたずら書きしたんだろ」
 と剛田。
「何で宇宙の“なまぐさ”を娑婆で減らさなきゃならねーんだよ」
 乾明人が脇から突っ込んできた。
「そりゃあ、油でないと油はとれないから。
 油性のマジックインキなんて油でないととれないだろう。
 それと同じで、下等な人間でないと“なまぐさ”は消せないんだよ。
 だから、胎蔵界曼荼羅の仏像が人間に姿を変えて、“なまぐさ”を背負って
この世に降りてきて、“なまぐさ”を減らすんだよ。
 増やすやつもいるけどね」
「何すると“なまぐさ”が増えるの?」
 と小暮勇。
「そうだなあ、例えばストリートでジャンクフードを食ってナンパするとか。
あと、それに飽きてあろうことか、平和な教室で女子を誑かしたりすること」
「俺はそうは思わねーな」
 と小暮勇。
「そんなよぉ、精進料理食って禁欲生活してりゃあいい、なんて発想は浄土宗
みたいで貧乏っくせえや。
 俺はむしろ、平安時代の貴族みたいに、やりたい放題やって、1日に一回だけ
禅や瞑想で解脱して、又やりたい事をやってみたいに、自力本願がいいよ。
 俺も乾明人も城戸弘も、催眠で瞬間的に解脱すれば“なまぐさ”は減るだろう、
と思ってんだよ。
 別に女と遊んでもさ」
「そうそう、私の話はどうなった? 厭離穢土になってしまったら、解脱して
“なまぐさ”を減らした方がいい、とかいうのは」
 とリエラ。
「まあ、それは、明日の文化祭の後だなあ」
 と城戸弘が言った。




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