#449/598 ●長編 *** コメント #448 ***
★タイトル (CWM ) 13/11/22 00:42 (107)
love fool 16 つきかげ
★内容
其の二
夜の空に向かって掲げられている光の剣であるかのような、摩天楼が聳える聖都市。
その都市に隣接する地区に、広大な貧民街がある。
それが、ヴェローナ・ビーチであった。
バラックが作り上げた迷路のただなかに、その教会は暗く孤独に建っている。
闇の中に佇む隠遁者のようなその教会の前に、一台のリムジンが止まった。
巨人の棺桶のような、巨大で四角いリムジンから立ち上がった影のように黒い男が
姿を現す。
そのおとこは、真っ直ぐに教会へと向かった。
その大きな扉を無造作に開くと、中へと入り込む。
液体化したかのように濃い闇が、教会の中を支配している。
そしてその最奥にある祭壇に、世界の中心の木で吊るされたおとこを祭る、十字架
があった。
闇の中に、世界の罪を贖うために血を流したおとこが、月明かりに浮かび上がって
いる。
おとこは、その祭壇めざして歩いていった。
その祭壇の下に、黒衣のおとこが佇んでいる。
黒衣のおとこは、穏やかに笑みを浮かべると、自分に向かってくる黒いおとこへ語
りかけた。
「これはこれは、エスカラス大公。あなたが主の導きを必要とされるとは、珍しい」
「あいにく戯言は間に合ってる、ロレンツ神父」
ロレンツは笑みを浮かべたまま、エスカラスに傍らの椅子を勧めたが、エスカラス
は無視する。
「なぜだ、なぜおまえは」
黒い男の瞳が闇の中で、昏く光っている。
「ジュリエットを殺した」
ロレンツは、驚いたように眉を片方だけあげて見せる。
そして、少し皮肉な笑みを浮かべた。
「なぜ、わたしにそんなことを聞くのです?」
エスカラスは、吠えるように、答える。
「そんな問いに、答えさせるな」
ロレンツは、そっとため息をついた。
「いいでしょう、あなたはこの天国に一番近い街の支配者だ。わたしに答えさせる
権利があるのでしょう」
ロレンツの顔から、すっと笑みが消える。
「あなたは悪魔に、魂を売った。その償いのためですよ」
エスカラスは、失笑する。
「悪魔だと。まさかラングレーの連中のことじゃあないだろうな」
ロレンツは、答えない。
エスカラスは、少し苛立った声になる。
「ラングレーの連中、ロミオが言うところの、カンパニーから来たアウトローども。
やつらに興味があるのはコークだけだ。コークとその流通経路」
ロレンツは無言のまま、話を続けるよう促す。
エスカラスは、うんざりしたように語る。
「ラングレーは随分前からメデジンを叩こうとしている。直接叩き潰すのはもうす
ぐだろうが。ラングレーはメデジン・カルテルが壊滅した後、分散した小規模カル
テルがコークを捌き続けるのを恐れてる。だからコークの流通ルートの情報が必要
なんだ。そんなものくらい、くれてやればいい。それが一体どうだっていうんだ」
ロレンツは、ようやく口をひらく。
「あなたは、ジュリエットを結婚させた」
エスカラスは、肩を竦めた。
「ああ、ラングレーからきた、すかしたアウトローにくれてやったよ。それがどう
した」
「ヴァージニア州からきたアウトローだろうとなんであろうと。パリスは愛してい
たのですか?」
エスカラスの顔から、表情が消えた。
ロレンツは、落ち着いた声で問い直す。
「パリスは、ジュリエットを、愛していたのですか?」
エスカラスの顔が一瞬赤く染まり、そうして蒼白になった。
まるで、憎悪と絶望が、交互に襲いかかっているようだ。
「神父、あんたまさかそんな理由で、おれたちを皆、破滅に導いたのか!」
ロレンツは、真っ直ぐエスカラスを見つめる。
まるで、大天使のように冷酷な瞳で。
「ジュリエットは幼くまだ子供ではあるが、ひとりのおんなです。家畜のように扱
われてもいい理由はない」
エスカラスは、空気を奪われたように口を開いたり閉じたりする。
そして、ようやく絞り出すように言った。
「ふざけるな」
「ふざけているのは、あなたのほうだ、大公」
ロレンツは、狂おしい表情になったエスカラスとは対照的に、落ち着いた声で語る。
「キャピュレットとモンタギューの対立にしても結局のところ、メデジンとカリ、
ふたつの麻薬カルテルの代理戦争にすぎない。そしてその上にはステーツと革命勢
力の対立がある。じつにふざけています。わたしたちは、二重にも三重にも奴隷と
なっているのです」
エスカラスは、咆哮するような声でいった。
「そんな状況をなんとかするために、ラングレーを操ろうとしたんだろうが!」
ロレンツは少し哀しげに、首を振る。
「怪物と戦うために、怪物になったというのですね。あなたは気高い、大公。でも、
その戦いには意味がない」
エスカラスはもう言葉を失ったかのように、沈黙していた。
ロレンツは、優しげと言ってもいい調子で語る。
「わたしたちは、天国に一番近い街に住む。けれどそれは、地獄にも近いところに
住んでいるということでもあるのです。そんなところで生きていくには戦うことよ
りも、必要なものがあるのです」
エスカラスは、黙ったままロレンツを見る。
ロレンツは、ゆっくりと言った。
「わたしたちに必要なもの、それは希望です」
エスカラスは、失笑する。
「まだ子供のジュリエットを殺しておいて、言う台詞か」
「死んでませんよ」
エスカラスが、驚いた顔になるが、それを無視してロレンツは言葉を重ねる。
「それと大公、あなたは忘れていることがある。ジュリエットこそ、あの愚かな愛
の奴隷であるロミオを縛る鎖であったはず」
エスカラスは、乾いた笑いをみせる。
「やつならまだ、革命派のゲリラと遊んでる」
その時。
夜の闇を、砕くような。
魂を、串刺しにしてしまうような。
傷ついた獣の、遠吠えのような。
雷鳴を思わせる銃声が、轟いた。
ロレンツの顔が、驚愕に歪む。
「どうやら、わたしたちは二人とも、あの愛に飢えた野獣の愚かさを過小評価して
しまったようだ」
ロレンツは、歩き出す。
「急ぎましょう、もう手遅れかもしれないが」
エスカラスは頷き、その後ろに続く。