AWC 未完全犯罪(前)   永山


        
#429/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  13/09/28  23:30  (499)
未完全犯罪(前)   永山
★内容
 ジャンルを問わず、同好の士というものは案外と近くにいるようだ。
 謎好きの同志となると数も多い方だろう、知り合うきっかけさえあれば、十
を超える人数が軽く集まる。その中に仕切り役が一人でも含まれていたら、サ
ークルはできたも同然。
 自分の所属する“迷言解”は、そんな風にして結成された集まりの一つだ。
 インターネット全盛の昨今、手広くやるのも可能だろうが、迷言解はこぢん
まりと、月に数度の会合に顔を出せる範囲でメンバーが構成されている。厳密
な会則が定めてある訳ではなく、会費を徴収する訳でもなし(場所はメンバー
の一人が経営する喫茶店を開放してくれる)、常識と節度を保ちさえすればい
い。入会には既存メンバーによる紹介の後、仮会員として会合参加を何度か重
ねてから可否を下す決まりになっているものの、現時点では実質オープン状態
だ。
 名簿作成のため、本名や住所等の登録は必須だが、会合では偽名を使ってか
まわない。むしろ、推奨されているくらいだから、これはペンネームや芸名の
ような物と捉えるべきだろう。経歴や年齢も偽ってかまわないが、なりきるだ
けの技量・才能が求められるのは言うまでもない。
 会合の中身だが、たまにバス旅行などに出掛けて親睦を深めることもあるよ
うだ(自分はまだ旅行には参加したことがない)が、原則的にはメンバーが輪
番で謎の提示役となり、それについて皆で考えるスタイルを取る。
 出題者が正解を承知もしくは用意している場合は、各人個別に考えた後、答
合わせをし、最優秀正解者に賞品が進呈されることも希にある。
 正解が不明な場合――たとえばスーツを三着も抱えて走り回る男を見かけた
とか、毎週決まった日に五十円玉二十枚を千円札に両替してくれと頼みに来る
男の謎とか――は、出席者全員で議論し、会なりの答を出す。
 適当な謎の提示が無理であれば、推理小説に関する話題をメインに雑談で時
を費やすのが常である。
「ぼちぼち、始めるとしましょか。今回の当番は、どなたでしたかな」
 白く豊かな顎髭を撫でながら、二葉亭迷宮(ふたばていめいきゅう))が言
った。迷言解会長を務める彼は、その肩書きにふさわしい雰囲気を纏っている。
当年取って六十一、実年齢より老けて見られがちだが、好奇心旺盛で、思考の
柔らかさも保たれている。
「会長もお人が悪い。またそうやって、我々の記憶力を試す」
 カウンターの向こうで、四角い顔をした男が言った。蝶ネクタイをし、カッ
プを磨く彼は、当喫茶店「理窟」のオーナーマスター。会合時には、トリック
スター保志(ほし)を名乗る。
「滅相もない。真実、記憶が朧気だったので、尋ねたまで。それで――」
 再度問い掛けるように、場を見渡した二葉亭。各人は思い思いの席に着いて
いるが、さほど広い店内ではないため、議論するのに支障はない。
「私です」
 額が広く、白皙の有場伊知朗(ありばいちろう)が答えた。大学教授と称す
る彼だが、何を専門とするかまでは明かしてくれない。これまでの会合での言
動では、豊富な知識や雑学を誇り、何の専門であろうと合点が行く。逆に言え
ば、極端な話、詐欺師だったとしても納得できる。五十歳になるという割に、
皺がほとんどないのは、穏やかな性格なのか、笑みを絶やさぬように心掛けて
いるのか。
「おお、有場さんが当番ですか。今回も犯人当てですかな。楽しみにしていま
すよ」
「いえ、それが違うんです。回を重ねてきますと、アイディアも枯渇気味でし
てね。皆さんのご期待に添うような謎をこしらえるのは、難しくなってきまし
た。代わりに、ちょっとした議論の種をお届けしようかと」
 幾人かのメンバーが落胆するのを感じたか、有場は取りなすような笑顔を覗
かせた。
「友人から聞いた話です。そこそこ知られた話だそうなので、もしかするとご
存知の方もいるかもしれませんが、そのときはあしからず」
 前置きをしてから、有場は本題に入った。それは次のようなパズルめいた話
だった。
 A、B、Cの三人が砂漠にテントを張って過ごしていました。日を重ねる内
に三人の間でいさかいが起こり、やがてBとCはそれぞれ別個に、Aに殺意を
抱くようになりました。
 とある深夜、BはAのテントに忍び込むと、Aの全飲料水が入った水筒に毒
を投じました。少しでも飲むと確実に死に至る猛毒です。
 直後に、CはBのそんな行動を全く知らずに、Aのテントに忍び込みます。
CはAの水筒の底に小さな穴を空け、一晩で流れきってしまうように細工しま
した。
 水を失ったAは数日後、命を落としました。
 さて、Aを本当に殺したと言えるのは、BとCのどちらなのでしょうか?
「実は私、退職後に暇ができたら、これを組み込んだ推理小説を書きたいと目
論んでいます。皆さんのお考えを伺い、参考にしたいと思いまして、今回、提
示させていただきました」
 有場伊知朗はにこやかな笑みを見せた。
「謎は謎でも、推理小説のそれではなく、パラドックスに近い感じですね」
 自分――窖霧(あなぐらきり)は、率直に第一印象を口にした。
「仮にAの死に様が公にならないとしたら、BとCの二人ともが、自分こそが
Aを殺したと思うでしょうね」
 続けて述べると、対する有場は「ああ、勘がいいというか何というか」と嘆
き口調になり、額を押さえた。
「私の腹案の一つにそっくりなのです。Aを国王か何かにして、その死がしば
らく伏せられる状況を作ろうと思っていたのですが……まさか、霧さんの口か
ら同じアイディアが早々に出るなんて」
「それは……すみません」
「いえいえいえ。謝られる必要は皆無です。ただまあ、今はストレートにお答
えを聞かせていただきたい。BとCのどちらを殺人犯だと考えるのか」
「自分は……Cですね。結果が全てと思いますから」
「俺も同感」
 紫野安吾(しのあんご)が片手を挙げつつ言った。休学中の学生と称する彼
は、粗野なところと繊細なところが同居したような人だ。ハーフっぽい顔立ち
をしており、これで髪を整え、無精髭を剃れば、二枚目として充分に通用する
に違いない。
「毒を飲んでいたら、確実に死んだ。水を飲めなくても、確実に死んだ。実際
に機能したのは後者。単純明快な理屈さ」
「そう単純かな? 毒を入れられた時点で、Aの死は決まったんだ。Cが穴を
空けようが空けまいが、関係ない」
 全員分の飲み物を用意し終えた保志が、各自の前に器を置いて周りながら口
を挟んだ。
「むしろCは、毒を飲むのを防いでくれたとさえ言えるかもしれない」
「それは日常生活の場合でしょう。水がないことが即、命に関わる状況とは全
然異なる」
「少なくとも一つ、確認したい点がありますね」
 可能風(かのうふう)が手元を見つめたまま、質問を発した。彼女の手には、
ほぼ常に折り紙がある。悪魔や蜥蜴といった複雑な部類に入る折り紙を、売り
物になるのではと思えるほど、短時間できれいに仕上げる器用さの持ち主。丸
眼鏡を掛けたどこにでもいそうな主婦、といった外見からは想像が付かない。
「他の二人から、水を分けてもらう訳には行かなかったのか、という点です」
「BもCもAに殺意を抱き、現に実行しているのですよ。Aが水を分けてくれ
と言ったって、はいどうぞとは……」
「私の表現が穏やかすぎましたね。Aが他の二人から水を得ることは、いかな
る方法でも不可能だったのでしょうか。つまり、殺してでも奪い取る行為も含
めて」
「おっ。それはちょっとした盲点でした。殺し合うという選択肢は、考慮しな
いといけませんね。パズルとしてなら不要でも、小説にするなら絶対に考慮の
必要がある」
 有場はメモを取るのに忙しい。本気でこのネタを推理小説にしようと思って
いる様子だ。
 可能風は微笑をたたえつつ、
「問題文の通りだとしますと、Aは他の二人を殺そうとせず、死んでしまった
ようです。つまり、水が飲めずにじわじわと死んだのではなく、毒でほぼ即死
だったと考えるのが適切でしょう。辻褄の合った解釈をすると……Aは空にな
った水筒を嘗め、毒を口にしてしまった。僅かでも毒は残留しているでしょう
から」
 と、意地の悪い見解を示した。
「もう、これまでの意見をまとめるだけでも、掌編が書けそうだな」
 真葛明敏(まくずめいびん)が、半ば茶化すように言った。野太い声とは対
照的に、柔和な顔をしている。歯科医師をやってるとのことだけれども、小さ
な子は顔と声のギャップに怖がるのではなかろうか。
 このあとも、活発な意見交換がなされ、話題は古今東西の毒殺ミステリ及び
トリックに移った。古典的な作品について、いくつか未読のある自分は、退席
しようか迷ったが、結局は最後まで居続けた。ミステリの名作は、種を知って
いても楽しめる、多分。
「おや、もうこんな時間」
 壁の時計を見上げ、いささか芝居がかった物言いをしたのは二葉亭。落語に
出てきそうな風体だが、当人も落語観賞が趣味の一つだという。
「今宵はここらでお開きにしましょうか」
「ええ。ただ、散会の前に、宿題を出したいと思います」
 保志が店内を見渡した。まるで、小学校の先生だ。と言っても、自分達の方
は児童みたいに、「えーっ」と叫んだりはしないが。
「来月の当番は私なのですが、完全犯罪をテーマにと思っております。論じる
ほどたくさんのネタがある訳でもないので、皆さんもちょっと考えていただき
たいんですよ。完全犯罪の定義ってやつをね。そしてできれば、それを実行す
る手段も」
「空想でも実行することを念頭に置くと、比較的軽い犯罪になってしまいそう
ですが」
 自分が感想を述べると、即座に答が返ってきた。
「ああ、殺人に限定しましょう。ごく普通の人間が、無差別にではなく、面識
のある相手を、明確な動機を持って、計画的に殺すこと。この仮定の下、完全
犯罪を定義付け、可能なら実行手段も考えてみてください」
 興味をそそる設定に、店内は、議論が直ちに始まってもおかしくない空気に
なったが、会長の声でそこまでは至らず、〆となった。

 およそひと月後、会合の日を迎えた。場所はいつもの通り、貸し切りにした
喫茶“理窟”の中。
「本題に入る前に」
 会長が柔らかな物腰で始めた。柔らかいが、凜としてよく通る声。
「新規の入会者がおりますので、紹介しておきましょ。こっちに入って来て」
 斜め後ろを振り返ると、大げさな動作で手招きをする。ドアの向こう、隣の
部屋から現れたのは、年齢のよく分からない男性だった。黒のスーツを着こな
し、細身で背が高い。外見だけで判断するなら、芸能人か、でなければ裏の世
界で生きる人だ。マスターの知り合いだろうか。
「彼は僕の知り合いで、名はヒソカムロ・アヤト」
 案の定、保志が紹介をする。そしてちょっと妙なことを付け加えた。
「どんな字を書くのかは教えてもらっていないんだ」
「『密室殺人』と書いて、そう読むということにしておいてください」
 ヒソカムロはそう応じると、ほんの僅かな笑みを浮かべた。切れ味の鋭いナ
イフのような笑みだ。対照的に、声は意外にもソフトだ。それはともかく、名
前については、この会ならではのニックネームということのようだ。
「彼の肩書きやプロフィールなんかは、後回しにしようと思う。今日の本題を
進めたいからね」
 保志が断定的に言うと、会長があとを継いだ。
「まあ、ヒソカムロさんには、今日は意見を求めることはしないから、気楽に、
オブザーバーか何かのつもりでいてほしい。よいですかな」
 ヒソカムロ当人も他のメンバー達も一様に頷いた。全員の前に飲み物とつま
む物が並んだところで、さあ、いよいよメインテーマだ。
「定義するに当たり、漏れが生じるのは好ましくないので、最大公約数的に考
えてみました」
 完全犯罪の定義の発表は、会員になってからのキャリアが若い順にというこ
とで、自分がトップバッターに立った。
「それを踏まえて、絶対に必要なのは捕まらないこと。犯人が逮捕された完全
犯罪なんて矛盾を孕んでいます。大雑把に言えば、この条件だけで完全犯罪で
あるか否かを判定してもいいでしょう。ただ、これだけでは、完全犯罪と迷宮
入り事件との区別が付かない」
 時折、メモに視線を落としつつ、聴衆にも目を向ける。会で壇上に立つのは、
今日でまだ三度目。少々緊張しているのを感じる。
「そこで、完全犯罪の『完全』が表すところを推し量るとします。どこにも欠
けたところのない犯罪、でしょうか? 換言すると、万全の計画犯罪。つまり、
犯人と同じような立場の人がその計画通りに行えば、百パーセント成功する犯
罪。これこそが完全犯罪と呼ぶにふさわしいんじゃないかと思います。まあ、
百パーセントはハードルが高すぎるかもしれませんが、よほど不運でない限り、
成功率九割九分九厘は求めたいですね。残りの一厘は、大地震に遭遇するとか、
ターゲットが先に死んでしまうとかの偶然を考慮すると、どうしても詰め切れ
ません」
「まとめると、犯人が逮捕されず、誰がやっても成功する犯罪、ですか」
 マスターの保志が、小刻みに頷きながら言った。
「シンプルで、なかなかよいですね。異論反論は、他の方の発表のあととして、
実行する方法は浮かびましたか?」
「そっちの方はちょっと……。思い付いたら、ここでは発表せずに、小説にし
たいですし」
「小説にしない方の案、てのがあるんじゃあないのかね?」
 どきりとする。会長には見透かされていた。確かに、なくはない。ただそれ
は、ありふれているからという理由で、開陳しづらいだけなんだが。
「一応、あります。つまらないんですが、皆さんの露払いの役目を果たす意味
で、発表してみますよ。
 先月、宿題を提示された際に、保志さんは確かこんな風におっしゃいました。
“無差別ではなく、面識のある相手を明確な動機から殺す、完全犯罪の計画”
と」
「ああ、そんなことを言ったよ」
「自分はこれを、『木の葉を隠すのなら森に隠せ』方式を弾く条件ではないと
受け取りました。つまり、殺したい人物だけを殺すのでは目立ってしまうが、
大量殺人に紛れ込ませれば目立たなくなり、真の動機も見えづらくなるという
あれです」
「無差別ではないという表現が微妙なところだけれど、まあかまわない。具体
的にはどうする?」
「仮に……保志さんの立場に立って、展開してみましょうか。保志さんには一
人、殺したい人物Xがいるとします。そのXを殺したいがために、保志さんは
彼を――あ、Xは男性としとしてください――彼を、自分の所属する仲よしク
ラブに入会させる」
「ほう」
 声を上げて反応したのは、ヒソカムロアヤト。後方の席、壁際に位置してい
た彼は、なかなか察しがよいようだ。
「無論、保志さんはクラブの面々には何の恨みもない。そんな中にXを引き込
み、全員まとめて命の危険にさらそうという訳です」
「骨子は分かった。じゃあ、僕は皆をどんな方法で殺す?」
「毒……だと、いくら何でも疑われるでしょうし、入手にも苦労しますよね。
爆弾かな。爆弾なら、ネットで調べて努力すれば、作れないことはない」
「確実性に欠ける」
 口を開いたのは紫野安吾。辛抱たまらないといった感が窺えた。
「そもそもね、この想定では、君の案は全然生きない。死んでるぜ」
「どうしてですか?」
 反論を受け、こっちも唇を尖らせる。紫野は余裕綽々の態度で応じた。
「考えてもみな。保志さんが我々に何の恨みも持っていないと認識しているの
は、我々だけだ。一人を殺したいがために、全員の命を危険にさらしたとして、
警察は保志さんがメンバーの誰にも恨みを抱いていないなんて、知りゃしない。
徹底的に調べるさ。そして些細なことを大げさに捉えて、いくらでも殺意を見
付けてくるに違いない」
「……その通りかもしれません」
 悔しいが認めざるを得ない。二の矢を探し求めて、自分は脳細胞をフル回転
させた。
「こういうのはどうでしょう。本命の殺害決行までに、この一帯の喫茶店で、
毒殺未遂事件を何件か発生させておくんです。本当に死ぬかどうかは、どっち
でもいい。本命さえ殺せたらいいんですから。でも、未遂事件が続いたあと、
本命の殺害で連続毒殺事件が幕を閉じたら、疑われる可能性があるので、何人
かは死んでいてほしいですね。それに、本命殺害後にも、最低一人は殺したい」
「それだと、リスクが大きすぎやしないか」
 保志が苦笑交じりに言った。
「テーブルにある調味料にでも毒を混入する手法を採るんだろうけど、同業者
の店に客として行くだけでも、かなり目立って印象に残ると思うよ。さっき君
自身が言及した、毒の入手難度は棚上げするとしても、毒を入れるタイミング
も気になる。いよいよ本命を殺すつもりで、毒を店の砂糖壺に入れたはいいが、
不意に団体客がやって来て、ターゲットの座る席がなくなっちまった、なんて
展開が排除しきれないだろ」
 旗色が悪い。いや、もう完全に押し切られていると見るべきだ。白旗を掲げ
よう。
「つまらないアイディアでしたが、初っ端にはこれくらいでよかったんだと思
うことにします」
「そう腐りなさんな。あくまでも、メインは完全犯罪の定義なんだから。シン
プルで悪くはないと思いました」
 保志はそう言うと、紫野に視線を向けた。
「キャリア順で行くつもりだったけれど、流れ的には次は紫野君がいいかな? 
年齢順に変更ってことで」
「何でもかまいまやしないよ。個人的好みを言えば、早い方がいいし、大歓迎
ってところだね」
 入れ替わる形で、紫野が演壇に立つ。手には何も持っていない。メモの類を
必要としないようだ。
「俺が定義する完全犯罪、殺人の完全犯罪とは、単純明快だ。被害者の死体を
完璧に隠すこと、ただそれだけ」
「これまたシンプルな定義で来ましたな」
 そう発言した会長が、どこかおかしそうな表情をしている。もしかすると、
用意してきた定義が紫野と被ったのかもしれない。
「殺人事件の主体である死体を隠し果せれば、殺人という犯罪そのものが起き
たのか、実証できない。警察はお手上げという段取りさ」
「しかし……現実には、疑惑から捜査が始まり、死体が見つかる前の段階で、
犯人が逮捕されたケースがあったように記憶しておりますが」
 主婦の可能風が、顎に指先を当てて思い出す風に言った。今日は折り紙を手
元に置きこそすれ、折ってはいない。
「仰る通り。事例に関しては、俺も承知しています」
 率直に認めた上で、紫野は持論を繰り広げるつもりのようだ。
「実際の事件で、死体を消すことに成功したかに見えた犯罪が、何故、露見す
る結果に終わったのか。それを考えてみると、一つのポイントが浮かび上がる。
疑惑を招いた、それだけのことだ。普通、人ひとりいなくなると、周りの人間
が遅かれ早かれ気付く。身寄りがいなくても、世間と何らかの接触を持ってい
れば、いつかは気付かれる。だから、俺が考えた実行するための方法は、殺し
たい相手を、失踪しても不思議でないよう、事前に状況を整えることから始め
るんだ」
「面白い。具体的にはどう状況をこしらえるのか、興味を惹かれるね」
 有場が反応した。二人は各々、大学教授と大学院生だからか、どことなくゼ
ミの雰囲気が漂う。と言っても、自分は大学のゼミがどんなものなのか、ドラ
マなどでしか知らないが。
「被害者とはそれなりに親しいという設定なんだから、普段から接触を図れる
訳だ。時々、気が滅入るようなことを吹き込んでやればいい」
「つまり、何かね? 精神的に追い詰めて、第三者が見て、『あいつは失踪前
から様子がおかしかった』と思えるように持って行くと?」
 真葛が今日初めてまともに発言した。最前まで、しきりに書き物をしていた
様子だったのは、発表する内容をまとめ切れていなかったせいらしい。
「犯罪を疑われぬようにするためなら、それで充分だと思うが?」
「そこの点にも異論はなくはないが、認めがたいのは、精神的に追い詰めるこ
とができるくらいなら、端からそのテクニックを用い、ターゲットを自殺に向
かわせるなんて芸当が可能ということになりはしないかい?」
 紫野の弁明に、真葛は全く納得していないようだ。さらに、一つ空席を挟ん
だ隣では、有場もしきりに首肯している。だが、紫野も負けてはいない。
「失踪してもおかしくない状況を整えた後に殺害し、死体を完全に隠蔽すると
いう手法は、自殺させるという手法に比べれば、確実性が段違いに高い。確実
性の高い方法を選ぶのは、犯罪者であるかどうかとは関係なく、人として当然
の思考ではないか」
「尤もな意見だと言いたいが」
 今度は会長が軽く挙手してから始めた。
「前提に少々問題があるんじゃないかの。他人を精神的に追い詰めるには、そ
れなりの技術がいるじゃろ?」
「そりゃまあ、多少は……」
「ましてや他人に気付かれずになると、なおのこと。果たしてそんな技術を、
世間一般の人が遍く有しているかな?」
「……少なくはないが、多くもない、でしょうな」
 悔しげに認める紫野。会長の言いたいことを既に理解しているようだ。皆ま
で言わさず、続けた。
「テーマを出した保志さんが言っていた、“ごく普通の人間が”という条件に、
抵触するかしないか、際どいところであると認めますよ」
 それだけ言うと、敗北に耐えられないといった風情で彼は引き下がった。
 なかなか激しい応酬があったためか、店内の空気がいささか重たくなった。
そこでという訳でもないだろうけれど、三番目は女性である可能風が登壇する
ことになった。
「今月のテーマが出されてから、私、ずっと考えてました。完全犯罪。定義す
ること自体は、案外、簡単でした。私にとっての完全犯罪とは、誰がやっても
成功する犯罪です。ここで、“犯罪の成功”についても定義ないしは分類をし
なければいけないところです」
 彼女は何も見ずに、なめらかに喋り続けた。身振り手振りを抑えるためなの
か、その両手は一羽の大きな折り鶴を掴んでいる。
「本懐を遂げさえすれば、警察に捕まってもいい、死んでもかまわないといっ
た殺人者がいることは確かです。そんな人達にとったら、相手を亡き者にでき
さえすれば、犯罪は成功したと言える訳で、私の心情では、これも完全犯罪の
一種です」
「しかしそれでは――」
 保志が口を挟むのを、可能風は「ええ、分かってますよ」と制した。
「捕まったり、死んだあとも犯人として糾弾されたりでは、犯人に近しい者達
に多大な影響が及びます。間違いなく、悪い影響でしょう。それをよしとしな
い殺人者は、露見しないことを目標とした犯罪計画を立てるはずです。それじ
ゃ、露見しない犯罪とは? 先ほど、紫野さんが述べられたように、遺体が発
見されないというのも一つに数えられるでしょう。そこに加えてもう一つ、誰
もが思い付くものがあります。そう、他殺を他殺ではないように見せかける。
病死や自然死は条件が厳しくなりますから、ここでは事故死と自殺に絞ります。
通常、事故死は確実性で劣り、自殺は科学捜査による検証に耐えられるかどう
かがハードルになるでしょうね」
 しゃべり疲れた風の可能は、一息ついた。冷たいお茶で喉を潤すと、「失礼
をしました」と言ってから論を再開する。
「一般人にも比較的簡単にできて、最も確実性が高く、かつ、科学捜査でも区
別しにくいというと、高所からの転落死があるんじゃないかしら。マンション
の高層から落ちて命を取り留めた事例は、割とありますが、亡くなる人の方が
遙かに多いですし」
「待った待った。転落死させるのだって、それなりに工夫しないと、簡単には
事故や自殺と見なしてくれるもんじゃない」
 真葛が疑問を呈した。自身の定義の方は、すっかりまとまったようだ。
「簡単に言うと、落ちたときの姿勢で、おおよそのことは推測可能とされてい
るはず。その辺をどう克服するかは、看過できない問題だ」
「はい。自殺だと、足から着地することがほとんどだというあれなら、私も存
じています。工夫・苦心すれば、足から飛び込むようなポーズで突き落とすこ
とも不可能ではないと思いますが、難しいことは確かでしょうね。それに、最
終的には運の領域になってくる気がするんですよ」
「運?」
 ロジカルな話だったのが、不意に、突拍子もない単語が飛び出してきた。そ
んな風に受け取った聴衆が、一斉にオウム返しした。
「だってそうじゃありません? どんなに工夫しても、偽装を見破られる可能
性は残るはずなんです。絶対に見破れまいと自信を持てる方が、どうかしてい
ます。逆に、凡庸な監察医に当たる幸運だって、なくはないでしょうけれど。
結局のところ、ばれない・捕まらない完全犯罪というのは、とても幸運な殺人
者にしかできないことじゃないかしらね」
「……えっと。ということは、つまり?」
 保志マスターが、戸惑いを露わにする。自分を含めた他の人達の反応も、そ
れぞれ似たようなものだ。いや、今日来たばかりのヒソカムロだけは、全てが
興味深いといった風情で、泰然としている。
 そんな中、発表者の可能は、にこりと笑って認めた。
「完全犯罪は不可能。ただし、幸運が味方すれば、偶然成功することもある。
というのが私の結論です」
 場を脱力感が包む。
 彼女の言っていることはある意味、正鵠を射ているのかもしれない。けれど
も、不可能だなんて認めては、推理小説マニアにとってつまらなくはないか。
「お次はどなたで?」
 会長の求めに応じたのは、真葛だった。
「可能さんの論に近いものがあるので、続けて発表させていただきたいなと思
いましてね」
「近いというと?」
「最初に断っておきます。私の定義する完全犯罪には、実行する方法がありま
せん。少なくとも、私には見付けられなかった。それを承知の上で、お聞き願
います」
 そう前置きしてから、彼は壇上に立った。メモ、というかプリント用紙らし
き物を四つ折りにして手に握り混んでいるが、基本的に見ずに話すようだ。
「完全犯罪。この言葉にはどことなく矛盾した響きが感じられないでしょうか。
即ち、犯罪と認識された時点で、それは完全な犯罪ではないのではないか、と
いう疑問が生じる。たとえ刑事罰に処せられなくとも、世間から疑われたり、
民事訴訟を起こされたりしたのでは、完全犯罪の名にふさわしくないと私は考
える」
「要するに、さっきの可能さんと同じ趣旨ってことか」
 有場が小声で口を挟んだ。真葛はそちらの方を一瞥し、首を横に振った。
「自殺や事故死等に見せかけても、疑われることはある。完全犯罪と称すから
には、疑われる余地のないものを目指さねばならない。だが、残念ながら、定
義としては、百パーセント完璧に疑われることのない、としたのではあまりに
も現実的でない。そこで、限りなく百パーセントに近い物を目指すと言い換え
るとする。こう定義することで、実行手段ではないが、事例を挙げることが可
能になる。たとえば、地震や洪水といった大きな災害が起きたとき、ターゲッ
トである人物を災害事故に見せかけて殺す。常日頃より機会を活かすことを意
識し、ターゲットとさほど距離をおかずに生活を送っていれば、これも一つの
完全殺人計画と言えなくはないでしょう」
「待ちの姿勢の完全犯罪、という訳ですね」
 保志は感想を述べると、テーブルの間を回る。空になったグラスなどを回収
し、新たな飲食物を用意し始める。
「面白い発想だが、受け身というのが気に入らん」
 会長が笑いながら言った。
「ころり転げた木の根っこ、プロバビリティの犯罪とさほど変わらない。それ
どころか、突き詰めれば、相手が老衰して死ぬのを待つのも似たようなもので
はないかな」
「そういった一面も、あるにはあります」
「問題は他にもあるぜ」
 紫野が、何故か愉快そうに割り込んだ。
「死人が出ておかしくない大災害が起きたとき、犯人自身が生き残れる保証が
全然ないってとこ。自分自身が死んでいい完全犯罪なんて、俺は認めたくない
な」
「それは弱った」
 と、会長が反応した。
「私にはそういう類の論理展開になってるんじゃが」
「おっと、そいつは失礼をしました。気にせずに発表してくださいよ。最初か
らだめと決め付けるのは、やめておきます」
 冷や汗混じりの苦笑を浮かべ、紫野は会長を送り出す手つきをした。そのま
ま、会長が登壇する流れになる。
「えー、私も断りを入れることから始めようかの。これから話す内容は、完全
オリジナルではないということだ。かまわんかな?」
「そりゃまあ、ミステリの創作じゃないんだから、完全オリジナルである必要
はないでしょう」
 保志が肯定すると、会長は安心したように胸をなで下ろした。芝居がかった
人である。
「では、先に進もう。私が定義した完全犯罪は、非常に感覚的でな。後の世で、
犯罪が起きていたことに気付いた人が、『ああ、こいつは完全犯罪だ』と思っ
てくれれば、それが完全犯罪だよ」
「はは、そりゃいい」
「ま、最低限、犯人が存命の内は、誰にも犯行を気付かれないのが望ましい。
が、一歩譲ってもらって、犯行が露見しようとも、犯人に疑いが向かなければ
よしとしましょうか。とは言え、単に殺人決行後、自殺するだけでは、いくら
何でも完全犯罪と認めがたい。そこにプラスアルファが要る。アルファとは何
か。推理小説の話であれば、機知や趣向と言い表すべき装飾だ。さあて、ここ
からがオリジナルではないと断った部分になる。とある推理小説のトリックに
ついて軽く言及するが……」
 会長は全体を見渡した。ネタバレ注意の念押しに、保志が軽く手を挙げ、応
じる。
「できれば、作品名を伏せて、トリックもぼかしていただきたいのですが」
「それくらいは心得とるよ。舞台は大きな館内で、殺人犯人はつい先ほど亡く
なったばかりの人物。つまり死者だ。いやいや、慌てるでない。無論、犯行前
には生きておる。死亡を装って、犯人は安置所代わりの部屋に運び込まれる。
皆が寝静まった頃、密かに抜け出し、ターゲットを殺害。その後、また安置室
に戻って本当の死を迎える。あとは灰に帰すという次第だ」
「――某クリスティの某名作を思い浮かべましたが、少し違うようだ」
 有場が言った。会長は右手の人差し指を立て、ちっちと左右に振った。
「有場さん、無粋なことをするでない。作品を当てるのは本筋とはかけ離れた
行為よのう。この作品に行き当たったとき、大いに驚きなさい」
「それじゃあ、お言葉に倣って本筋に戻しますが」
 口を開いたのは真葛。
「今述べられた状況なら、完全犯罪と呼んでも差し支えないと思える魅力はあ
ります。でも、実際に行使するとなると、かなり条件が絞られてきますよね。
その、犯人の」
「その通りだ。犯人は少なくとも医者一人を抱き込めるだけの金が必要かもし
れんな。ま、私なりの定義に対する、ほんの一例を紹介したと捉えてほしい」
 会長はかかと笑いつつ、壇を降りた。個人的感想を言えば、これまでの中で
一番好きな定義だ。周りが認めれば完全犯罪。何て言うか、爽快な解釈じゃな
いかしらん。
「とりは提案者、今回は保志マスターに飾ってもらうのが恒例。ということは、
次は私だね」
 有場が立ち上がった。壇を前にした彼を見ると、人に教える職業に就いてい
るとこちらが知っているせいか、様になっている気がした。
「結論から言うと、私、有場伊知朗流の完全犯罪とは、“犯人が己の犯行につ
いて他人に話しても、咎められることのない犯罪”である」
「……ハードルが高すぎないですか」
 誰も何も言わなかったので、自分が発言した。多分、他の人も似たような印
象を受けたんだと思う。その証拠に、無言ながら頷く人を何名か確認できた。
 有場もまた、あっさり頷く。
「このぐらいでないと、完全という表現にふさわしくない。しかし、残念なが
ら、この定義に沿った殺人は、まずあり得ない気がする」
「真葛さんと同じ立場ですね」
 可能風が、真葛の方をちらと見てから、聞いた。
「ええ、そうなります。ただ、それで終わりだとあんまりなので、仄かな光明
――と自分で信じているだけなんだが――を示すとします。別人に罪を擦り付
け、その別人に対する有罪判決が一点の疑いの余地もなく確定すれば、完全犯
罪と言えるかもしれない」
「それはあり得んでしょう」
 真っ先に反応したのは会長だった。当然ながら、他の会員達からも否定的な
声が飛ぶ。自分だって同感だ。罪を擦り付けられた相手が、おとなしく刑に服
すとは考えられない。徹底的に戦うに決まっている。そうなれば、世間の何パ
ーセントかの人間は、判決に疑いを持つ。
「予想通りの反応で、嬉しい限りです」
 有場はいささか嫌味な調子で応えた。でも、表情は真面目そのもの。決して、
皆をからかった訳ではないと分かる。
「皆さん、早合点をなさってる。濡れ衣を着せられた人物は、そのこと自体に
気付かない。言い換えると、その人物は本当に自分が殺人を犯したと信じてい
るのです」
「まさか。それこそあり得ない」
 紫野が首を傾げながらも、吐き捨てるように断じた。
「有場さん、仰る意味は分かった。ある種の光明ではある。が、実現する道筋
の方には、光明はあるのかな?」
 会長の質問に、有場は曖昧に首を振った。そしてその口から出てきた言葉の
意味も、曖昧だった。
「ないといえばない、あるといえばあるような」
「何ですかそりゃ」
「ご存知の通り、私は素人の手すさびながら、書く方もやっていますので。腹
案がなきにしもあらず、だが、ここでの披露は勘弁してもらいたいという訳で
す」

――続く




 続き #430 未完全犯罪(後)   永山
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