AWC そばにいられると<後>   寺嶋公香


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#426/598 ●長編    *** コメント #425 ***
★タイトル (AZA     )  13/04/30  19:05  (396)
そばにいられると<後>   寺嶋公香
★内容                                         14/01/12 10:40 修正 第2版
           *           *

「水泳の授業や、健康診断のときも思ったんだけれど」
 背中の流しっこをしている最中、小倉が不意に言い出した。
「碧の肌って、きれい。すべすべとかなめらかなのは当たり前だけど、そうい
うのとは別のところで」
「ほめてくれて、ありがとう。私、ほめられると真に受けて、ますますきれい
になるタイプだからね」
 冗談めかす碧に対し、小倉は鏡越しに真顔を向けた。
「実際、どんな手入れをしているの?」
「特別なことはしてなくて、お母さんからの贈り物」
「そうなんだー。……碧のお母さんとも一緒に入りたかったな、なんちゃって」
「肌を見るだけだけに? まあ、見たら驚くかもね。歳を数え間違えていると
しか思えなくなる」
 話を聞いて、小倉はふーっと息をついた。
「うらやましい。今から心配することじゃないけれど、私もそうなりたいな」
「何のために? 好きな男を惹きつけるため?」
 碧は話の流れをつかまえ、聞きたいと思っていたことを探り始めた。
「な何でそういう話に」
 慌てる小倉を見て、碧は先に自分の身体の泡を洗い流した。そして交代を促
す。今度は碧が小倉の背中を洗う番。
「充分、きれいなのに、そんなこと言うから。片思いの相手でもいるのかなっ
て考えるのは、至極自然な成り行きだと思いますが。いかが?」
「それは……私も人並みにいるようないないような」
「おっ」
「で、でも、そのことと肌をずっときれいに保ちたいのとは関係ないわ」
 碧にとって、最早、肌のことはどうでもいい。
「いるのね、好きな男子」
「……うん」
「よし、今の内に恋愛トークしましょ。寝るときは暦がいるんだから、多分で
きない」
「……先に碧が言って」
「あ? あれ、言ったことなかったかしら? 私が好きなのは、父さん達の知
り合いで、探偵をやってる人だって」
「それは聞いたことある。でも、それとは別に、学校の誰それとか、いるでし
ょ?」
「少なくとも今までのところ、いません」
「そんなあ」
「嘘じゃないもんね。私の言ってる探偵さんを知ったら、優理だって心が揺ら
ぐかもしれないわよ」
「そんなことない――と思う」
「言い切るからには、よっぽど格好いい男子なんだ? 誰よ、その羨ましい一
名は」
 にやにやしつつ追及する碧に、小倉はあきらめの体で嘆息した。
「私、移り気なのかもしれない。一人じゃなくて、三人いるの」
「何と」
 背中流しが終わった。湯船につかっても、同じ話題を引っ張る。
「三人同時に好きになるとは、ある意味すごい」
「好きになるというより、今は、いいなって感じてるだけだと思う。本当に好
きになるのは、その中の一人だけ……のはず」
 自分のことなのに自信を持てない、そう思わせる小倉の話しぶりだ。
「うーん、じゃ、その三人の名前、教えて」
「三人ともは言えない。碧は一人しか言ってないのに」
「そりゃあ、一人しか好きじゃないからじゃないの」
 思わず苦笑いを浮かべた碧。
「ま、いいわ。一人だけでいいから教えて。――あ、ちょっと待って。質問を
変える。三人の中に、私の弟は入ってる?」
 碧は必要な情報を得るため、率直な問い掛けに切り替えた。
 小倉はしばらく無反応だったが、やがて碧をじっと見上目遣いで見て、深く
頷いた。お湯に口元がつかるくらいに。

           *           *

「ほんと、長かったなー。先に入っていて正解だった。今も退屈で退屈で」
 ノックおよびドアの開く音に暦は振り返らず、パソコンでやっていたシンプ
ルなゲームを終わらせた。
「あぁ、いいお湯だった。つい長湯を」
 姉の言葉に、「どうせ、俺に聞こえないと思って悪口を」と応じ、パソコン
本体の電源を落とす。ここで初めて振り返った。
「――か」
 かわいい、と言いそうになって、飲み込む。
 小倉優理の上気した赤い顔、まだ少し濡れたようなつやの髪、そしてキャラ
クター柄のパジャマ姿。学校では見られない彼女に、どきっとさせられた。
「あ、サイズ、合ったんだ? よかった」
「お、おかげさまで」
 暦の取って付けたような台詞に、小倉も妙な反応をした。二人のぎこちない
雰囲気を横目に、碧は机についた。引き出しを開け、コンパクトタイプのデジ
タルカメラを取り出す。
「滅多にない機会だし、記念に写真撮ろうか。携帯電話のだと、他人に見られ
る可能性大だから、こっちで」
 椅子を回して、暦達に尋ねる。
「俺は別に、どっちでも」
「主体性を持ちなさいな」
「小倉さんが嫌がるかもしれないだろ」
「そんなことないよねー」
 碧の呼び掛けに、首肯する小倉。風呂の中で、何か約束ができあがったのか
なと暦は想像した。
「それじゃあ、二人ずつ撮って、最後にタイマーで三人一緒に」
「二人ずつって、俺と姉さんも?」
「あ、それはなくていいか。あはは。最初は暦がカメラマンね」
 カメラをよこすと、立ち上がって小倉の横に並ぶ碧。やはり、入浴中に話が
できていたらしく、さっさとポーズを決めた。売り出し中の女性デュオの決め
ポーズだ。
「いい? ちゃんと公平に入るようにしてよ」
「分かってるよ」
 このカメラ、暦も使い慣れた物だ。特に意識せずにシャッターを押した。が、
小倉を被写体にしたことでどこか力が入ったのか、大きく手ぶれしてしまった。
「わ、悪い。もう一回」
「ちゃんと構えて。美女を写すんだから、真剣にやりなさい」
「はいはい。そういや、かけ声は?」
「そうね。自然な笑みになるっていう、ウィスキーで」
「え、ウィスキー?」
 小倉がポーズを解いた。目を丸くして、説明を求めている。
「カメラマンから聞いた話よ。どこの国だったか忘れたけれど、チーズの代わ
りにウィスキーっていうところがあるらしいの。チーズよりも柔らかで自然な
笑顔になるって触れ込み」
「そうかな……」
 小倉は声に出さず、口の形を「ウ・イ・ス・キー」と動かした。
「チーズだと横に引っ張る感じが長くて、作った笑顔っぽくなりがちなんだっ
てさ。たいして差はないと思うけどね」
 そう言いながら暦は小倉を撮った。仕種が非常に愛らしかったので、つい。
当然、音で気付かれる。
「あ。ひどーい」
「ごめんごめん。テストのつもりだった。押すタイミングとかさ」
 迫ってきた小倉の叩く身振りをかわし、暦は言い訳しつつ謝った。
「変な顔になってるんでしょ?」
「そんなことはない。絶対」
 データを消してと言われない内に、カメラの裏を相手に向け、画像を見せる。
「……」
 小倉は微妙な反応だった。が、彼女の後ろ、肩越しに見た碧が「あら、ほんと。
かわいく撮れてる」と感想を述べたことで、消さずに済んだ。
「代わりに、あとで暦君の変顔、撮らせてもらおうっと」
「うう、仕方がない」
 かような経緯で撮った記念写真は、チーズやウィスキーと言わなくても、自
然な笑顔になった。暦と小倉、二人きりの写真でも。
 あとは寝るまで、ひたすらおしゃべり。話題は、小倉が二人にモデルや母の
ことを尋ねるパターンが多くなった。
 その間、一応テレビを入れ、水害のニュースを気にしていたが、進展がない
のか、順調に復旧しているのか、ローカル枠でも大きな扱いではない。夜九時
半を過ぎたところで、小倉は自宅に電話してくると言って席を外した。
「ツーショットが撮れてよかったでしょ」
「やっぱり、姉さん、そういうつもりだったんだ。急に写真なんて、おかしい
と思った」
「感謝してくれないの? パジャマ姿の小倉さんに心を奪われていたようだけ
れど」
「……感謝してる」
「よろしい。ま、がんばりなさい。望みはあるから」
「ん?」
 どういう根拠で言ってるのか、問い質そうとしたら、小倉が戻ってきた。
「お母さんに宿題全部済んでるのと言われて、思い出した。国語で一つだけ、
意味の分からない問題があったの。分かる?」
「え、どんな問題だったっけ?」
 暦が答えて、碧がプリントとドリルを持ち出す。問題を見つけ、これでいい
んじゃないかという答を伝えると、小倉はしばらく考え、やがてぱっと閃いた
みたいに表情を明るくした。ノートにメモを取りつつ、舌先を覗かせた。
「私ったら早とちり。指示語の受け取り方、勘違いしてた」
「あー、あるある」
「教えてくれてありがとうね」
「どういたしまして。ところで、私と暦は、社会科のとある問題に苦戦してい
るのですが」
 碧の手には、社会科の宿題のプリントがあった。

 互いに教え合ったあとは、もうそろそろおやすみの時間。
 と言っても、布団に入るだけで、すぐに就寝するわけではない。
「川の字になって眠ると言うけれど、これは差し詰め……矢印?」
 元々あるベッドが直角をなしているところへ、布団を敷いたあと、碧がそん
な感想を述べた。横になったとき、三人の頭が一箇所に集まるようにした結果
だ。
「高さの違いが気になる……」
 ベッドに入ってみた暦は、床の布団、枕の辺りを見下ろしてつぶやいた。小
倉は今、歯磨き中でこの場にいない。
「何なに? 同じ床で眠りたいって?」
 姉が聞き咎めていた。慌てて「ち、違う」と否定する。
「今からでも、布団をもう一揃い敷く?」
「うるさいなー」
 薄手の毛布に潜り込んだ。
 そうしていると小倉が戻って来た。暦君どうかしたのと碧に聞いている。身
体を起こすべきか迷う間に、碧が「電気消すよー」と言ったかと思うと、突然
暗くなった。毛布の端から頭を出すと、オレンジの豆球だけが光っていた。
「姉さん、いきなり消さなくてもいいのに」
「このまま怪談でもやる?」
「だめっ。私、恐いの苦手だし、怪談知らないし!」
 下から小倉の声が早口で届いた。焦りが手に取るように分かる。
「それじゃ、優理がお題を決めて」
「お題? えっと……今までで一番どきどきしたこと、とか?」
「なかなか面白そう。私は……やっぱり、初めてステージに立ったとき」
「ちょっと待った。同じ初めてで、モデルをやったときは、どきどきしなかっ
たの?」
 暦が疑問を呈すると、碧は頭を動かす気配を見せた。
「あのときは、わけも分からずやっていたから。暦は緊張してたの?」
「緊張したよ。大人の目がいっぱいで」
「ねえ、二人はそもそも何歳のとき、初めて仕事したのか、教えて」
「幼稚園のとき」
 小倉の質問には、暦が即答する。
「新入学の制服やランドセルなんかの広告に出てみないかって、母さんが持ち
掛けられて、僕らの気持ちを直接聞いたらしいんだけど、全然覚えてない」
「あら、私は覚えてる。やりたいってすぐに言ったわ」
「おかしいなあ。撮られるときはだいぶ緊張したのに、最初に聞かれたときを
覚えてないなんて」
「暦君の一番どきどきしたのは、その最初のモデル撮影のとき?」
「それはない」
 答ながら、心中で別のことを付け足す暦。
(君にどきどきしたことがいくらでもあるんだけど、それを口にするのは……
躊躇してしまうな)
 他に何があったっけ。思い返そうと努める。
「じゃあ何?」
「えっと、だいぶ恥ずかしくて言いにくいんだけど」
「もったいぶらずに、早く」
「女子から初めて告白されたとき」
「ほう」
 声で反応したのは姉の碧だけで、小倉のいる方からは特に何も聞こえない。
「あれって小一だったっけ?」
「二年になったばかりだよ。一丁前に意味を理解してたから、ちょっとしたパ
ニックだった。で、速攻で断った」
 小倉が口を開く。
「誰から告白されたの? 断ったのは、どきどきしていたせい?」
「誰だったっけな」
 暦はとぼけた。本当は覚えているのだが、好きなクラスメートの前でわざわ
ざ言うことはない。
「でも、断ったのは好きじゃなかったからと覚えてる」
「好きでもない子から告白されて、そんなにどきどきする?」
「初めての経験だったら、普通するんじゃないか。小倉さん、経験ない?」
「ない。したこともされたことも」
 この答は、喜んでいいのだろうか。
「それで、優理の一番どきどきしたことって何?」
 碧が尋ねると、小倉は「うーん」と迷う気配を出した。暗がりだから、どん
な表情をしているのかは分からない。
「とりあえず、今日、泊まるって決まったときは、すっごくどきどきした」
「なるほどね。うまいこと逃げたな」
「逃げたって何よー」
 女子二人がきゃあきゃあやってる横で、暦はまた同じ感想を抱いた。喜んで
いいのだろうか、と。
「次のお題、行きましょ。碧が決めて」
「そうね、じゃあ……言える範囲で秘密を明かすっていうのは」
「言える範囲なら、たいした秘密じゃないような」
「たいした秘密じゃなくていいの。他人の噂話なんかで結構。ただし、今ここ
で知ったことは他言無用ね」
 暦は「面白い。姉さん、乗った」と呼応し、碧に取られない内にととってお
きの芸能ネタを披露する。
「噂話って言ったら、芸能界にはつきもの。ヘアスタイリストさんから聞いた
話なんだけど、歌手の木邑祐剛(きむらゆうごう)と俳優の中福刀一郎(なか
ふくとういちろう)が」
「だめっ。暦、それはだめだと思う。聞いたら、絶対に言いふらしたくなるネ
タよ」
 碧が止めに入った。おかげで、小倉はますます聞きたくなった模様だ。ごそ
ごそと布団から身を乗り出すのが、気配で伝わる。
「何なに? その二人なら、二枚目同士で前までよく共演していたけれど」
「共演しなくなったのには理由があって、実は」
「しゃべるなって言ってるの!」
 碧の大まじめな声とともに、ぼこっという軽い衝撃が暦を襲う。枕が飛んで
来たのだ。
「痛いな。そんなにNGか、これ?」
「だめ。真偽に関わらず、だめだって」
「あのー、喧嘩してるとかじゃないの?」
 小倉が想像を述べる。碧と暦は薄明かりの下、首を横に振った。
「じゃあ何だろ……」
 暦は喉から出かかっていた答えを、努力して飲み込んだ。
(同性愛の噂が持ち上がって、事務所同士が共演をやめさせたって言われてる
んだ。検索しても多分、出て来ない)
「私から振っておいて何だけど、このお題は取り消そう、うん。それが平和だ
わ」
「そんなあ。今の話だけでも、聞きたかったな」
 小倉が惜しそうに言う。といっても、執着しているわけではないらしい。そ
の証拠に、続けて交換条件を出してきた。
「代わりに、私から二人にお題を出すから、聞いて」
「しょうがないなー」
「碧と暦君が知っている、風谷美羽の秘密を一つずつ、教えてください」
 暦は目を見開き、次いで姉の方を見やった。きっと姉も同じ行動を取ってい
る。
「風谷って、僕らの母さんの芸名だけど。母さんの秘密を?」
「もっちろん」
 小倉の口調が弾んでいる。いい流れになったと思っているに違いない。
「大げさに秘密ってことじゃなくても、家族だけが知っている、みたいなこと
でいいの。聞きたい」
「そう言われてもなぁ。家では普通の人だし」
「芸能ネタは、話せないし」
 暦、碧の順に言って、考え込む。
「基本的に、母さんて裏表がない気がする」
「うんうん。嫌味や皮肉を言うことはたまにある。でも、率直な言動が多い」
「だからといって、秘密がないわけじゃないと思う。むしろ、秘密をまとって、
着こなしている感じ」
「何たって、私達にも分からないことが多いもんね。若々しさの秘訣や、顔の
広さ……」
 語尾を濁して含み笑いをする碧。
「一つ、全然たいした秘密じゃないけれど、思い出したわ。母さんと父さんの
馴れ初め」
「え、それは知りたい」
 小倉が碧のベッドの方に顔を寄せる。暦は、あれを話すのかと、黙って聞い
ていた。
「最初の印象は最悪だったって言ってたわ、母さん」
「本当に? 直接お話ししたことはほとんどないけれど、とても素敵な感じの
お父さんに見えたよ」
「ええ。何しろ、小学六年生のときに会って数日で、唇を奪われたそうだから」
「――」
 絶句した小倉。正確で詳しいいきさつを話すのは、もう少し待つとしよう。
面白いから。

 朝。
 サイドテーブルの目覚まし時計に目をやる暦。七時まであと十分ぐらい。
 姉の方のベッドに視線を移す。毛布は人型に膨らんでいるから、まだ眠って
いるようだ。自分ももう少しだけ――と視線を戻す途中、床が視界に入った。
「わ!」
 がばっと上半身を起こす。
(……そうだった。小倉さん、泊まったんだった。しゃべってる内に、いつの
間にか眠って。最後まで起きていたのは自分だと思うけど)
 状況を把握して落ち着くと、暦は改めて小倉の寝床を見下ろした。
 あいにく、彼女はドア側を向いて横たわっていて、横顔がどうにか確認でき
る程度。朝から幸せな心地になるには、それでも充分だけれども。
(起こさない方がいいんだろうな。寝顔を見られたってだけで、恥ずかしがり
そうだし。てことは俺、寝たふりしておかなきゃ)
 そう結論づけた暦だが、小倉のすやすや眠っている様子を、少しでも長く見
ておきたい気持ちもある。しばらくそのままの姿勢でいた。その判断がよくな
かった。
「――あ」
 小倉の右目が開くのが、スローモーション映像のように映った。事実、ゆっ
くりと開いたのかもしれない。だが、暦はさっと毛布を被ることすらできず、
ただただ見つめてしまった。
「うぅーん」
 小倉は横になったまま、一度目を閉じ、伸びをした。次に目を開けた彼女は、
当然のごとく、暦と目が合った。
「えっと、ごめん。ちょうど起きたとこ――」
 暦が早口で弁解した。それを聞いたか聞こえなかったか、小倉は「いやっ」
と短い悲鳴のように言って、毛布を被る。
「あの……」
 伸ばし掛けた手を宙に浮かせ、もてあます暦。そのとき、姉がベッドで起き
上がった。長い髪を手櫛で撫でつけながら、嘆き調でつぶやく。
「まったく、何をやってるのよ……」
 暦が目覚めるよりも少し前の時点で、起きていたようだ。

 テレビのニュースは、この近所の水が引いて、道路が通れるようになったこ
とを、繰り返し伝えていた。
「こっちこそごめんね。一緒に眠ることにしたんだから、当然、寝顔を見られ
るのも予想できてよかったのに」
 朝食の席で小倉に謝られ、暦は恐縮した。「もういいよ、こっちが悪かった
んだし」と何度繰り返したことか。
「話はまとまった? そろそろ食べましょうか」
 今朝のことを知らない相羽母は、笑顔で着席し、昨日は何時に寝たのかを聞
いてきた。
「時計見てなかった。十一時ぐらい?」
 碧に確認を求められたが、暦もよく覚えていない。小倉も同様で、「日付が
変わっていなかったとだけは、言えると思います」と答えるのが精一杯。
「普段に比べると、起きていた方ね。どんなことしゃべってたの?」
「それは……」
 母さんの秘密について、とは言えない。一瞬口ごもったとき、ちょうど電話
が鳴った。携帯電話ではなく、家の電話だ。
 母が席を立つことで、会話は中断。しばしほっとする。
 が、じきに戻ってきた。
「川内君からよ。昨日、忘れ物をしたみたいだから、これから寄ってもいいで
すかって」
「ええ? これからって今から?」
 子供達三人はそれぞれ声を発した。小倉が泊まったことを、知られるのはま
ずい。
「暦達の都合が分からないから、まだ返事していないし、電話もつながってる。
直接話す?」
「う、うん」
 暦は飛び降りるように椅子を離れ、固定電話のある一角に急いだ。
 外したままの送受器を通して、小倉の声が伝わっていないことを祈る。
「はい、代わりました。おう、おはよう。何を忘れたって?」
「いやー、あのとき慌ててただろ。ICレコーダーだけ見つからないから、焦
った焦った。あれ、俺個人の物じゃないからさ」
「ここに忘れたなら見つけておくから、あとで届けてやるよ」
「そうか? でも五分ぐらいだし、今なら暇なんだけど。あ、そういや、宿題
どうなった? 完成したか?」
「そっちの方は心配ない」
 あまり好ましくない話題だと感じる。今は、見に来いよと言えない。見たい
と言われれば、断る理由がない。暦は先を急いだ。
「とにかく、川内はこのあと出掛ける予定とかないんだろ? じゃあ、届ける
から、待ってりゃいいよ。今日はそっちで遊ぼう」
「分かった。じゃあ……あ、レコーダーのスイッチ、もしも入っていたら、切
っといてほしい。バッテリーの保ちが悪くなるかもしれないから」
「了解。万が一、見当たらなかったらすぐに連絡する」
 電話を終えた暦は、食堂に顔を出し、事情を皆に説明した。そういうことな
らと、碧と小倉もテーブルを離れ、川内の忘れ物を探すべく、子供部屋に向か
う。
「来なくて大丈夫なのに。想像が正しければ、簡単に見つかるはず」
 暦は部屋に入るなり、壁際に畳んで置いてある布団を横にぐいと押しのけた。
すると、本棚の陰に隠れる形で、銀色の細長い物体が見つかった。ICレコー
ダーだ。言った通り、簡単に発見できた。
「床の片隅にあったのが、母さんが布団を運び込んだとき、隠れてしまったん
だ、きっと。そのまま気付かずにいただけ」
「なるほど、理屈だわ」
「……暦君。それ、赤いランプが光ってるけれど、もしかして録音スイッチ入
ってる?」
 小倉の指摘に、暦は持っていたレコーダーをしげしげと見た。確かに録音さ
れている。長時間の録音が可能とは聞いていたが、まさか昨日からずっと入り
っ放しだった?
「ふー、危ない危ない」
 録音を止め、記録を消さねばならない。
「川内が電話なしに、いきなり来ていたら、そのまま渡すことになっていたか
も」
「幸運だったと。でも、消す前に、聞いてみたい気もするわね」
 碧が手を伸ばしてきたのを、暦はさっとかわした。
「どうせ、今聞けば、単なる恥ずかしい会話だよ。昨日の夜、あの状況で話し
たからこそ、楽しく感じただけに決まってる。朝から気まずくなりたくない」
「それもそっか」
 碧はあっさり引いた。小倉はと見ると、唇をぎゅっとかんで、暦の手元のレ
コーダーを見つめている。
「記録されてたなら、残しておけば、いい思い出になるかも……」
「――いや、やっぱり消す」
 有無を言わさず、レコーダーを操作した暦。小倉の「ああ」という声と、残
念そうな表情に、少し責められる心地。
「記録なんかなくても、いい思い出じゃない? 三人だけの秘密だよ」
 暦の言い分に、小倉はすぐさま微笑んだ。
「そうだよね」

――そばいる番外編『そばにいられると』おわり




元文書 #425 そばにいられると<前>   寺嶋公香
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