#400/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 12/02/27 23:57 (445)
相克の魔術 1 永山
★内容 16/01/07 03:29 修正 第3版
「まったくもって、嘆かわしい限りだ」
マルス・グラハンズは吐き捨てるように言った。彼の前、三メートルほど先
には大型テレビとビデオデッキが置いてあり、そのテレビ画面は再生VTRを
映し出していた。
「ケンツのような輩がテレビに出て、小手先の魔術を披露しても、何の益もも
たらさない。むしろ、我々魔術師にとって害になる」
「具体的にはどのような害が……」
探り探り尋ねたのは、雑誌記者テッド・メイム。マスコミ嫌いのグラハンズ
に、ケンツの出演番組を見せた上でのインタビューを取り付けるという、粘り
強さが信条だ。中肉中背、金色に近い茶髪と小さな目が特徴と言えば特徴の、
一見すれば気弱そうななりをしている。
「ケンツが本物かいかさま師かは知らんが、あの男のやるショーは、マジック
――ここでいうマジックとは奇術・手品の意味だが、奇術でも可能なものばか
りで占められている。私は本来、魔術師や超能力者と呼ばれる者のテレビ出演
に反対する立場だが、もし出るのなら、奇術では決してできないものを見せる
べきだと考えている」
「あれが手品の技術でできる? 僕にはさっぱり見当も付きません」
テレビの中では、ケンツが十指の先から炎を出したり消したりしていた。身
なりは赤いシャツに黒のズボン、トレードマークの白い手袋がまぶしい。
グラハンズは身体の向きを換え、画面から視線を外してから言った。
「私は奇術師の領域を侵食する気はないから、種を示唆することはやめておく。
専門家に尋ねるといい。うまくやれば秘密を聞き出せるだろう」
「では仮定の話ですが、グラハンズさんがもしもテレビで魔術を披露すること
になったら、何を見せていただけますか」
「不愉快な仮定だが、お答えしよう。テレビの収録というものは、大勢の人間
が関わり、現場は騒がしく雑然としていると聞く。時間が細かに決められ、出
演者ではなくテレビ局が主導権を握っていると。その通りであるのなら、私の
ような者でも、できることは非常に限定されてしまうのだ。ケンツがやってい
るようなことは確実にできるが、明白に魔術と分かる、奇術では不可能な現象
を披露できるかどうかは……その場に立ってみないと分からないというのが正
直な気持ちだ」
「そうですか。テレビ放映なしの、観客を入れたライブショーのような場合
でも?」
「時間の制約から解放される分、いくらかましかもしれないな。しかし、雑音
や多数の観客の存在といった不安定要素はある訳だね。そのような環境で、真
の魔術を発動するには、当人にも制御あるいは予測できないことが多く発生す
るものなんだ。一例を挙げるなら、魔術の発動の実現が、何分後になるのか何
時間後になるのか何日後、何ヶ月、何年後になるかは確約できないのだよ。シ
ョーとして成り立つまい」
メイムは内心、うまく言い逃れられているなと感じなくもなかった。無論、
そんな気持ちはおくびにも出さない。グラハンズはかつて、巨石を浮かせたり、
半日足らずで精密な石像を完成させたり、あるいは予言を的中させたりした実
績が伝えられる(主な証拠が伝聞と怪しげな写真しかないのが難だが)、伝説
の“魔術師”なのだ。
マスコミ嫌いで知られた伝説の魔術師に、新聞記者の人間がこうしてインタ
ビューできるだけでも行幸と言える。
「グラハンズさんが全てを設定できる立場なら、魔術を披露してもらえるので
しょうか」
「うむ。テレビを入れなければ、あり得るね。テレビはだめだ。どんなに超常
的なことをやってみせても、どうせ映像を細工したんだろうという連中が、必
ず出て来る」
「そうでしたか。実は、あなたがインタビューを受けてくれることを聞きつけ
たある人物から、言づてを頼まれています。マルス・グラハンズの魔術を世間
に知らしめる手伝いをしたい、その際の費用は全て持つと言っているのですが、
いかがですか」
「まず、どのような人物かを窺いたい。話はそれからだ」
「ドン・クレスコ氏。興行師として有名な方ですので、あなたもご存知かもし
れません」
「うろ覚えだが、もしや、テレビショーに出る前のケンツを売り出すのに一役
買った男ではないかね。つんつんした白髪頭で、いかにもやり手の雰囲気をま
とった」
「その通りです。気分を害するかと思い、伏せておくつもりでしたが……」
「ふん。その男、私もテレビの業界に引き込むつもりか」
「いいえ、そのような意図は全くないと。このことはしっかり念押ししてくれ
と言われています」
「どうだかね」
鼻で笑うグラハンズ。落ち着いた雰囲気が薄まり、若かりし頃の尊大さが甦
ったようだ。
「まあ、あなたの顔を潰すようなことはしたくない。たいがいの記者連中はこ
のような場で、『ちょっとした魔術でいいから見せてくれ』とねだってくるが、
メイムさん、あなたはそうじゃなかったからな。先方には考えておくとだけ伝
えてもらいたい。ただし、結論をいつ返事するかは確約できん」
「分かりました。もしかすると、クレスコ氏からあなたに直接、何らかの反応
があるかもしれませんが……」
「かまわない。接触してくるのは自由、こちらが拒否するのも自由だ」
グラハンズはそう言うと、テッドに手帳の切れ端をくれないかと頼んだ。そ
して一枚の紙を受け取ると、両手のひらで軽くまるめる。硬貨ほどの直径を持
つ球になった紙を、グラハンズは目の高さに浮かせてみせた。
「どうかな、テッド・メイム記者。これが魔術か奇術か、見分けられるかね?」
「……私には何とも……」
戸惑うテッドに、グラハンズは笑みを浮かべてこう付け加えた。
「今思い付いたんだが。私がケンツよりも優れた魔術師であることを証明する
場。それならば興行師の言葉に乗ってやってもいいかもしれない」
* *
フォーレスト・ケンツは、そろそろ飽きられ始めたとは言っても、まだまだ
売れっ子だ。それだけに、一記者のテッド・メイムが彼をつかまえるのには苦
労をした。“公演”終了後の控え室でケンツに会う時間を得たテッドは、事の
次第を手短に伝えた。
「グラハンズがそんな話を。面白いね」
黄金色をした前髪を手で軽く払い、口笛を短く吹くケンツ。目を大きく開い
た様は、興味・関心を隠そうとしていない。その大柄で厚い胸板の持ち主にし
ては、実に子供っぽい仕種だった。
「望むところだ。舞台が用意されるなら、いつでも応じましょう」
グラハンズからのいわば対戦要求を、ケンツはあっさり受けた。テッドは少
し興奮すると同時に、ケンツのスケジュールを心配した。いつでもと言っても
実際は早くても何ヶ月か先になるだろう。
「それで、クレスコ氏は何と?」
「まだ伝えていないんです。あの方はたまに、こうと決めたら先走ることがあ
るので。私はこの話を壊したくない。ぜひ実現してもらいたいから、慎重に動
いていることをご理解ください」
「なるほど。知っての通り、クレスコ氏とは旧くからの仲だが、確かにそんな
ところはあるねえ。メイムさん、あなたの判断は正しかったよ。クレスコ氏に
は、僕の口から伝えるとしよう」
「よろしいので?」
「ああ。ちゃんとあなた経由の話だと言っておくから、心配なく。それに僕は、
グラハンズとも全く面識がない訳じゃない。彼が渋ったとしても、引きずり出
してみせよう」
ケンツの口ぶりは自信満々だった。魔術を使ってグラハンズをおびき出せる
と言わんばかりに。
「グラハンズさんの様子だと、テレビは絶対に無理ですよ」
「承知している。少なくとも最初は、テレビなしで話をまとめることになるさ」
最初はというからには、二回、三回と対戦して一儲けとの目論みがあるに違
いない。その過程でテレビ中継を付けられたらさらに美味しい、ということで
あろう。
「実現の暁には、メイムさんのところの出版社で後援することになるのかな」
「まあ、その線で進むんでしょうね。できれば取材の独占も」
こちらも特ダネ狙いかつ後援狙い、お互い様だ。
両者の間で暗黙の了解めいた合意が成立し、取材がほぼ終わった空気になっ
た。その頃合を計っていたかのように、控え室のドアがノックされた。続いて
女性の声がして、ケンツが「お入り」と応じる。
「メイムさんにも紹介しておこう。僕の一番の助手、ニナイ・カラレナだ」
入って来た女性は、最前までテッドも観ていた舞台での格好そのままだった。
口元以外の顔を硬質な仮面で隠し、レオタードを改造したような衣装はラメで
きらびやかに飾り付けてある。浅黒い肌、栗毛色の髪にとても映えるデザイン
だ。肉体的アピールと魔術・超能力との間に具体的な関連性はないはずだが、
ショーの構成要素として必要なのがよく分かる。カラレナを目の当たりにし、
テッドはつくづく感じる。
仮面を外し、カラレナはテッドに頭を下げた。
「初めまして。舞台はお楽しみになりました?」
「ええ、とても興味深かったです。ショーアップぶりと魔術のアンバランスさ
が、緊張感を生んでいる」
テッドの感想に礼を述べたカラレナは、ケンツに顔を向けた。
「ケンツさん。三番目の演目のことで、ヤンが……」
「分かってる。――メイムさん、ここらで切り上げてかまわないかな?」
「ええ、用件は伝え終わりましたから」
魔術ショーの舞台裏を覗きたい気持ちはあったが、ここで無理な希望を出し
て信頼関係にひびを入れては元も子もない。テッドは退出することにした。
ただ、最後に一つだけ、現時点で聞いておきたい質問があった。記事の売り
になるポイントだ。
「仮にグラハンズさんとの対決が実現した場合、どのような形で勝負すること
を望みますか?」
「相手の出方次第だけれども、僕の希望としちゃ……身体を張った危険なもの
がいいね。スリルがあるほど、観客は盛り上がる」
台詞の中身とは裏腹に、天気の話でもするかのような軽い調子で答えたケン
ツ。テッドはドアノブに手を置いたまま、この日最後の質問をした。
「命がけでもかまわないと?」
「いいねえ。それこそ最高のスリルだ」
ドン・クレスコからグラハンズに正式な打診がされ、返答が注目された。
ケンツとの対戦に用いる形式以外は、グラハンズ側の要望を飲むことを原則と
していたが、それでも交渉は難航が予想されていた。テッド・メイムだけでな
く、他のどんな第三者にとっても、同じ見方をしただろう。十数年前に己の魔
術の公開をしなくなって以来、マスコミとは全く関係を持とうとせず、たまに
民間の研究機関に協力するぐらいだった魔術師が、おいそれと興行に出演する
とは思えなかったためだ。
ところが、彼らの予想は見事に外れた。マルス・グラハンズは首を縦に振り、
契約書に署名した。手練れのクレスコが、そのあまりのあっけなさにかえって
警戒し、サインに用いたインクがあとで消える“魔法のインク”なのではない
かと、グラハンズに尋ねたほどだったという(無論、真っ当なインクだった)。
ただ、若干、引っかかりを覚える点もなくはなかった。
「勝負の方法に関しては、まずはケンツ君の意見を聞きたい。不服があれば遠
慮なく言わせてもらうし、こちらからも意見を出そう」
グラハンズはそう述べたらしい。勘繰るなら、ケンツの持ち出した勝負方法
に難癖を付け、話をおじゃんにすることだってできなくはあるまい。グラハン
ズの提示した方法をケンツが無条件で飲めば成立するかもしれないが、不利に
なると予想される丸飲みを、いかにケンツといえども受けるとは考えづらい。
「最初から関わっているあなたにだけ、先行して特別に見せてあげるよ」
ケンツの招きで彼の邸宅を訪ねたテッドは、何となく高貴そうな名前の紅茶
をいただきながら、一枚の企画書らしき物を見せられた。
「今度、グラハンズに提示する対決方法だ。すでに、クレスコ氏経由で相手側
に届いていると思うが、記事にするのはもうしばらく待ってくれよ」
「その辺は承知しています。それよりも、これは……本当に危険というか」
ざっと目を通したテッドは、そう感想を漏らした。尤も、書いてあることが
実際に起こったとすればの条件付きだが、そこは胸にしまっておく。
とはいえ、常識人であるテッドが、実現を疑うのも無理はなかった。ケンツ
の提示する勝負方法とは、かいつまんで説明すると、次のような形式だったの
だ。――ケンツとグラハンズ両魔術師は、別々に用意された部屋に単独で入り、
内と外から鍵を掛ける。その際、ケンツは部屋に金属製の矢を持ち込む。グラ
ハンズが部屋に持ち込む物に関しては注文を付けない。両者が部屋に籠もって
から一両日中に、ケンツは魔術を用いて金属の矢をグラハンズめがけて撃ち込
む。グラハンズはそれを防いでみせよ――。
「衆人環視の中、これを行うと?」
「いや、完全に見せるのは無理だ。さすがのフォーレスト・ケンツ様でもね。
ここまで高度な魔術となれば、発動には大変な集中力がいる。部屋の中は、観
客から見えないようにしてもらう。もちろん、事前に改めてもらって、部屋に
妙な仕掛けがないことを証明するつもりだ。そういった細々とした点は、裏に
書いてある。あとで熟読するといい」
「いただけるので? ありがとうございます」
折り畳み、スーツの内ポケットに仕舞う。それから何気ない口調で聞いた。
「気になることがあります。この対決が実現し、ケンツさんが魔術の発動に成
功したとします。その上で、グラハンズさんが矢を避け損なって怪我を負った
としたら、それは警察沙汰になるのかどうか……」
「主催に名を連ねる出版社としちゃあ、揉め事は困るという訳だね。ごもっと
もだ。残念ながら、僕や助手は治癒魔法の類を使えない。相手側にもいないん
じゃないかな。いや、いてもそばに付いてもらっては困る。矢が命中したのに、
僕らが確認するより早く治療され、当たってないと強弁されたら面倒だ」
「まじめにお話しているのですが」
「いたってまじめ、真剣な話だよ。契約の際には、そのこともきちっと明記せ
ねばならない。急ぎ、追加しておこう。合わせて、この対決で双方の心身に何
らかの悪影響が生じても、相手を訴えない、自己責任であることも」
「……救急隊の手配は、万全を期すことになりそうですね」
ため息と苦笑を混じえ、テッドは言った。
舞台はすでに整った。
二人の魔術師の対決場所に選ばれたのは、郊外にある観光名所の一つ、旧い
城跡。城跡と言っても、石造りの堅牢な部屋を複数有する建築物が残っており、
修復により充分使える。また、その前庭には大勢の人間を入れることができる。
雰囲気も申し分ない。グラハンズとケンツが下見をした上で、対決の条件を満
たすうってつけの場所だと、合意したものだ。
「約束通り、テレビカメラは入れていない。他のマスコミにも制限を掛け、ス
チールカメラはテッド・メイム君のところだけだ」
満足だろうと言わんばかりに、クレスコは後ろ手に組み、胸を張る――とい
うよりも腹を突き出すようにして立っていた。話し掛けられた二人の魔術師は、
ともに小さく頷いた。勝負を前に、多少緊張しているのか、表情に硬さがあっ
た。
テッドは強い風に苦戦しつつも、手帳の頁を繰った。対決前、短い時間なが
らインタビューの機会をもらった彼は、最後に意気込みとエールの交換を頼ん
だ。
「危険は感じない。むしろ、相手の心配をしている。ケンツ君、くれぐれも注
意したまえ。私の魔術は確実に発動する」
隠しきれない自信を滲ませ、グラハンズが宣言した。今日の彼は紳士然とし
た普段のスーツ姿ではなく、古式ゆかしいマジシャンの衣装をまとっていた。
タキシード風の黒の上下に、赤く縁取りされた黒マントを羽織り、手にはシル
クハットという出で立ちだ。
「君のレベルがいかほどかは知らぬ。が、手加減はしてやろう。承知の上で身
構えておれば、どうにかかわすぐらいはできる程度に」
グラハンズが、ケンツの提案した勝負方法に対し、付けた注文は一つ。もし
も矢が撃ち込まれたのなら、その報復として用意したナイフで斬りつけるとい
うのだ。もちろん、部屋に籠もったままの状態で。
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
強風の中、ケンツは前髪を押さえながら、挑発に対し丁寧に応じた。
「ただし、そのお言葉、そっくりお返しいたしましょう。我が手を離れた矢は、
とてつもなく素早い。心臓を貫かれぬよう、ご用心願います。いくら力の証明
のためとはいえ、血なまぐさいのは嫌いなのでね」
そう言うと、ケンツは勝手に切り上げ、先に城へと向かい始めた。石ころと
雑草の広場には、すでに観客が二百名近く入れられ、その前を通っていくこと
になる。案の定、テレビで有名な魔術師の姿を見つけた観客らから、歓声が上
がった。
「やれやれ。まともに魔術勝負をするつもりがあるとは思えない」
グラハンズは、軽蔑するような視線を振ったあと、同じ方向へ歩き出した。
強い風にも彼のマントがほとんどはためかないのは、魔術の力か、単なる偶然
か。
魔術師二人に続き、立会人としてこの興行を取り仕切るドン・クレスコ、記
者代表のテッド・メイム、物理学者で奇術愛好家でもあるヤン・フロイダーの
三人が城建物内に入った。
外から建物内はほとんど見えない。せいぜい、窓を通して覗き見る程度だ。
しかも通路が観客のいる広場に面しているため、魔術師の籠もる個室は一層見
えづらい。ならば通路のない、反対側に客を入れるべきだが、残念なことに反
対側は城壁の崩壊や地面の陥没などがあって手入れが行き届かず、荒れ放題。
ちょっとした崖のようになってしまっていた。雑木の枝の間から、各部屋の窓
はどうにか見えるものの、角度や光の加減によっては全く見通せない。
ちなみに、部屋の窓は開閉できる。が、それを利用して何らかの不正を密か
に行うことは、前述のように窓のすぐ下が崖状態であるため、到底無理である
と判断。それでも念のため、窓の外壁に某かの道具が貼り付けられていないこ
とが確認されていた。
五人揃って、まずは手前の部屋に入る。対決開始時、ここにはケンツが籠も
る予定だ。
「直前になって、助手の誰かが道具を設置するなんて真似も、これではできま
すまい」
入室するなり、早速窓外に目をやったのはフロイダー。テッドは、まだこの
学者に密なインタビューをできていないのだが、社の推した人物で、渡された
資料によれば、科学にも奇術にも強いとある。
「問題の矢を拝見したいのですが、どこにありますか」
「助手に持って来させます。今、観客の皆さんに披露している頃で、じきに来
ると思いますよ。しばしお待ちを」
ケンツに言われたフロイダーは、ならばと今度は室内の点検に入った。テッ
ドもついて回る。部屋は出入り口から見て横長で、広さは8×3.5ほどだろ
うか。窓や戸口を除けば、壁や床は石のみでできており、天井だけは修復時の
都合で現代的な施工が施されている。作り付けの棚に寝台、椅子と机が一組あ
る他は、特別な物は置かれていない。机の上には水の入った水差しとコップ、
寝台の下には日持ちのする食料が運び込まれていた。およそ三日分だという。
長期戦を想定しているらしい。
「どこにも不審な点はありませんね。隙間一つない」
フロイダーは納得したように呟いた。引き続き、ケンツの身体検査が行われ
た。何か目当てがあって探すのではないせいか、意外にあっさりと終わった。
ちょうどそのとき、ケンツの助手が姿を見せた。仮面をしていないが、カラ
レナだ。白い手袋をした彼女の手から、一メートル弱の矢がケンツに渡されよ
うとする。が、ケンツは直に受け取らず、フロイダーに渡すように指示した。
その様を、グラハンズは無関心を装いつつも、しっかりと見つめているのが、
端からでも分かった。
「意外と軽いですね。しかし、堅くて頑丈だ。この先端の覆いは、今取ってみ
てもかまわないので?」
「無論です。気を付けて」
危険防止のためであろう革製の覆いを取ると、鋭く尖った矢先が露わになっ
た。金属そのものを削って作られた物だと知れる。
「返しはなし。矢羽根もないんですね」
「魔術・魔法で飛ばすのに、矢羽根は不要ですよ。獲物を狩る訳じゃないので、
返しも必要ない」
「なるほど」
微苦笑を浮かべるフロイダー。当然ながら、彼は懐疑派の立場を取ることを
公言している。テッドもどちらかといえば懐疑派だが、不可解な事象を見せら
れると受け入れてしまう質だった。興行師のクレスコは、見解をはっきり口に
したことはなく、一儲けできれば何だっていいという考えなのかもしれない。
「末端付近にイニシャルを刻んでいるんですね。筆記体でFKと」
「ええ。間違いなく、この矢を撃ち込んだという証にね」
フロイダーから矢を受け取ったケンツは、次にグラハンズに声を掛けた。
「あなたも見ておきますか、グラハンズさん?」
「ありがとう。だが、手に取る必要はない。ちょっと見れば充分だ」
言葉の通り、一瞥しただけでグラハンズはマントを翻し、背を向けた。と思
ったら、また向き直り、懐より鞘に収まった短刀――ナイフと呼ぶより短刀の
方がふさわしく思えた――を出してきた。
「この部屋から出てまた戻るのも面倒だろう。私の用意した得物を、ここで確
認したまえ」
「手間を省くのはいいことです。ま、僕も見るだけで充分ですよ」
ケンツはグラハンズのナイフを受け取らず、手のひらを相手に向けた。グラ
ハンズはまた身体の向きを換え、フロイダーに言った。
「先生は?」
「私は手に取って確かめるとしましょう」
フロイダーはナイフを両手でおしいただくように受けると、その鞘を外した。
表れた銀色の刃が、周囲を映している。
「これは見事……。柄に高価そうな石がはめてあるし、宝飾品として値打ち物
なのでは」
確かに、平たい柄の両サイドには赤と青の石が一つずつはめ込んである。そ
れらの石を取り囲むように、複雑な文様?が施されていた。
「あいにく、金銭的な価値には興味がなく、承知していない。魔術を発揮する
のに最適な物を選び、ここに持って来たまでのこと」
「それだけ年代物、伝統のある品なんでしょうね」
フロイダーの感想に、グラハンズは何も述べず、ナイフを返してもらった。
「では、ケンツ氏はこのまま、部屋にとどまっていただけますか。このあと、
グラハンズ氏がもう一つの部屋に行き、それぞれ準備が整ったところで対決開
始と」
クレスコが笑みを浮かべ、揉み手をしながら言った。
「ケンツさんは相手の部屋を確認しなくてかまわないので?」
テッドが尋ねると、ケンツは「ああ」と応じた。
「下見は済んでいるし、グラハンズさんが何をしようと関係ない。先制攻撃を
仕掛けるのは、僕なんだ。仮に何らかの小細工で防御されても、文句は言わな
いし、物ともしない自信がある」
矢を手にした魔術師は、自信に満ちあふれた表情をしていた。
ケンツの籠もる部屋から、グラハンズのために用意された部屋まで、直線距
離にして四十メートルほど。実際の移動距離は、通路が若干折れているため、
五十メートルを超えようか。間に他の部屋や壁などはなく、ほぼ正対する位置
関係にある。
広さや形状、中の家具、果ては運び込まれた水や食料についてまで、二つの
部屋は同じである。出入りのための戸口の位置だけが反対だった。グラハンズ
の部屋の扉の前に立つには、通路を奥まで進まねばならない。。
二つ目の部屋の確認もフロイダーやテッドによって行われ、特段、異常は見
つからなかった。身体検査も何ごともなく済み、対決の時がいよいよ迫る。
「あちらはすでに内と外から施錠された。待たせては悪い。早くしようじゃな
いか」
グラハンズは、まるで自首してきた大悪党の如く、己の“収監”を急ぐよう、
求めてきた。即座に応じるフロイダー。部屋を出て、中から錠を降ろすように
と声を掛ける。音がして、施錠を確かめると、フロイダーはクレスコから受け
取った鍵と錠前で、外側からも部屋を封じた。
「これで二人の魔術師は、全く同じ、一種の監禁状態に置かれた訳だ」
錠前の鍵は二つともフロイダーが預かる。予備は(少なくともこの現場には)
ない。扉そのものの錠を開ける鍵は、クレスコが保持することになった。
「さて」
こほんと咳払いをしたクレスコ。
「対決が始まったとはいえ、ここからしばらくは、地味な絵しか見せられない。
お客を盛り上げるのは、君らに掛かっている。頼むぞ」
カラレナに言った。
そう、ショーとしてはとても間が持たない今回の対決で、場つなぎをするの
が、カラレナを筆頭とするフォーレスト・ケンツの助手数名と、マルス・グラ
ハンズに師事する弟子――これまた女性で、ジャッキー・レベルタだ。彼女ら
がいくつかの魔術・魔法・超能力を披露する手筈になっている。双方、対抗意
識を燃やしているのかもしれないが、こちらは勝敗をつけることはない。
先手のレベルタが、舞台に上がった。舞台は、本題の魔術師対決を遮らぬよ
う、観客でいっぱいの広場の横手に設けてある。よって、客が舞台を見るには、
顔を横に向けねばならない。
レベルタは生真面目そうな外見の女性だった。黒のショートヘアに眼鏡、黒
のスーツという地味な出で立ちで登場し、簡単なカード当ての実験を披露した。
待たされていた観客には、それなりに受けたが、このあと行われるであろうカ
ラレナ達のショーに比べると、数段見劣りする。
当たり前だ、とテッドは思った。グラハンズが“本物”か否かは判断できな
いが、超常的な力をショーとして見せるケンツを批判してはばからない。その
弟子が、ショーアップされた魔術をやる訳がない。
「舞台に立つ順番は、クレスコさんが指定したのですか」
話の種に、テッドは聞いてみた。
「いやいや。まずいと感じた場合は、口出しするつもりだったが、彼女らに任
せたらこうなった。問題ないだろう」
「え。ということは、ジャッキー・レベルタとカラレナ達が相談したのでしょ
うか」
「そのはずだ」
「敵同士なのに……」
「敵同士なのは親玉だけのようだ。助手と弟子は、穏やかに話し合いを持ち、
順番を決めたらしい。演目――と言っていいのかどうか知らんが、魔術が被ら
ないように配慮したそうだよ」
「ふうん。いがみ合ってばかりじゃ、魔術だの超能力だのといった力がいつま
で経っても世間に認められない、協力できるところは協力しようということで
しょうかね」
「何だってかまわん。ショーが盛り上がりさえすればいいんだ。カラレナ達の
腕前は心配していない。あとは、魔術師二人の対決でどう盛り上げてくれるか。
かつて、脱出奇術を得意としたマジシャンがいたが、その見せ方は素晴らしか
った。観客を飽きさせない演出を心得ていて、感心させられたものだよ」
昔を懐かしむように言うと、クレスコは葉巻に火を着け、ふかし始めた。
テッドは場を離れ、フロイダーの姿を探した。
科学的な立場からの検証役であるヤン・フロイダーは、当初、通路に陣取っ
て魔術師達の様子を見張ることを主張したが、集中力が乱れる・途切れる恐れ
があるとの理由で拒絶された。話し合いの結果、開始から二時間おきに五分程
度の巡回をすることが許可された。ちなみに巡回の権利は、テッドやクレスコ
にも許されている。
「まだ一時間ありますね」
広場の端で椅子に座っていたフロイダーは、腕時計を気にしていたようだが、
テッドが近付くのに気付くと、顔を上げた。
「待つのがこれほど辛いとは。せめて一時間半毎の巡回にしてもらいたかった」
「フロイダー先生、暇潰しにちょっと窺ってかまいませんか」
「答えられないこともあるかもしれないけれど、今ならおしゃべりを歓迎した
い気持ちですよ」
「ではまず、この役目を引き受けた経緯、いや、経緯は知っていますから、引
き受ける気になった理由をお聞かせください」
手帳を構えることなく、リラックスした態度で尋ねるテッド。
「まあ、一般の人とあんまり変わらないんじゃないかなあ。人並みに超科学的
なことに関心があるし、そこにいんちきがあるなら暴いてみたい」
「聞き方を変えましょう。仮に不正や嘘を見つけ、暴けたとしましょう。その
場合、先生は何を得られると思います?」
「うーん……名誉? 違うな。短い栄光、それと引き替えに、危険に晒される
恐れがないとは言えまいね。熱狂的な信奉者がいるかもしれない。まあ、その
可能性は低いと思ってますよ。でなきゃ、こんな役目、引き受けない」
「暴露に成功すれば報酬が跳ね上がる、といった取り決めはないのですか」
「ははは、残念ながら聞いてないな。ああ。あれは完全にマジック、奇術だね」
舞台方向を指差しながら、フロイダーが囁いた。今、演じているのはカラレ
ナらの一団で、物体浮揚をやっているらしかった。眼鏡に傘、鉢植えや火の着
いた蝋燭などが、しばし宙に浮いている。
「演出が著名な奇術のそれとそっくりだ。尤も、奇術と同じことを魔術でやっ
てみせたとも考えられるけれど」
口元を片手で覆い、苦笑いを隠すフロイダー。専門分野のみならず、奇術に
関する知識も確かなようだ。
それからもテッドはフロイダーと話し込み、ときに舞台に目をやりながら時
間を過ごした。そしてようやく、“巡回可”になった。フロイダーは言うまで
もなく、テッドも観客状況を伝えるレポート役と記者を兼ね、一緒に行動する。
巡回と言っても、室内に向けて声を掛けてはならないし、むやみに騒ぎ立て
るのも禁止。部屋の外観や通路に異変がないことを確かめるのが、目的の全て
である。
「怪しい人影を見咎めて、そいつを捕まえてみると魔術の鍵を握っていた、な
んて展開になれば、張り合いも出るんですが」
フロイダーは期待しない口調だった。実際、巡回はあっという間に、何ごと
もなく終わった。ケンツの、あるいはグラハンズのいる部屋から妙な声や物音
が聞こえるでもなし、通路をただ歩いただけに過ぎなかった。
「これでは意味がほとんどないな。もし万が一、何らかの絡繰りがあるんだと
しても、通路を利用するような方法は、我々の巡回時間を外してくるに違いあ
りません」
これではレポートにならないとテッドがこぼすと、フロイダーはこんな提案
をしてきた。
「では、念のため、次は不意を突いてみましょうか」
「どうやって。二時間おきに巡回することは、魔術師には丸分かりなんですよ」
「次は二時間後ではなく、二時間四十五分後ぐらいに行くとしましょう。最低
二時間空ければいいのであって、それ以上の間隔を空けることはルール違反に
当たりますまい」
「なるほど、理屈です」
二人はこのちょっとした妙案にほくそ笑んだ。
――続く