#376/598 ●長編 *** コメント #375 ***
★タイトル (AZA ) 10/12/24 00:00 (433)
サンタは色々考える<後> 寺嶋公香
★内容 17/04/20 20:38 修正 第2版
「だってしょうがないだろ。いきなりで慌ててたし。できれば、内緒にしてお
いて、クリスマスイブに渡そうと考えてたんだから」
ショッピングモールからの帰路、暦は車中での時間を言い訳に費やしていた。
「プレゼントをあげることや、何を贈るのかを隠しておきたかった気持ちは分
かる。でも、さっきみたいになってしまったら、さらっと打ち明けるべきだっ
たんじゃない?」
「分かんないよ」
「あの場で買ってすぐ、『少し早いけれども、これ、クリスマスプレゼント』
とでも言って小倉さんに渡していたら、感激されたかも。そのまま、一緒に買
い物に行けた可能性も」
「そういう臨機応変なこと、できねえってば」
何せ、好きな人への初めての贈り物なんだから、緊張が高まっているのだ。
段取りを整えるだけで、いっぱいいっぱい。
「で、どうするのよ」
碧は弟の手にあるリボンの掛かった小箱を指差す。中身は例の月形をしたブ
ローチだ。流れのままに購入してしまった。
「どうしよう……もしこれを渡したら、小倉さん、どう思うんだろ」
「多分、あのときのブローチだわって覚えてるでしょうね。『お姉さんにあげ
たのと同じ物を贈られた』と考えるだろうから、そのことをどう受け取るかと
いうと……」
「と?」
「私だったら、『あのとき、本当は私の分を選んでくれていたのね』と、いい
方に解釈するわよ。小倉さんはどうかな。『お姉さんと同じ物を選ぶなんて、
シスコン?』とかだったりして」
「小倉さんはそんな人じゃない」
「じゃあ、自信を持ってそのブローチを渡せばいいわ」
「うう、それはなあ、また話が別」
最初のプランにこだわってしまう。相手をびっくりさせたい。
「もう。買い直すんだったら、一人で行ってよね。次は付き合わないから」
「分かってる」
両手で包むようにして持つ小箱を見下ろし、はぁ、と息をついた。
二人が帰宅すると、父が待ち構えていたかのように聞いてきた。
「今年のクリスマスも休みが取れたから、どこかに行こうか」
「クリスマスってイブ?」
碧が着替えるために部屋に向かったため、暦が確認を取る。
「そう、イブだ」
「……今年はパスしていい?」
「え。それはまた悲しいことを」
本当に悲しそうに、父の表情から笑みが引いていく。
「丸一日ってことにはならないと思うけど、用事があるんだ。多分、半日ぐら
い掛かる」
「――デートなら仕方がない」
突然、父の口からデートなんて単語が出たものだから、暦は焦った。
「ど、どうして分かったの?」
「びっくりすることじゃない。自分の手に持ってる物を忘れているな」
ああ、そうだった。リボンの掛かった小箱を、隠しもせずに持っていたんだ
った。それでも気恥ずかしい思いをした悔しさから、抵抗を試みる。
「お父さんかお母さんに渡す物かもしれないじゃないか」
「僕達のどちらかにくれる物なら、帰宅するまで隠し持って、見られないよう
にいそいそと仕舞い込むんじゃないかと思ってね」
「……かなわないなあ」
「同級生の女の子か、相手は?」
「うん、そうだよ。まだ確約はもらってないけれど、デートの」
「だめになる可能性があるのかい?」
「ほとんどないと思う。何人かで遊びに行ったことある放課後、二人だけでち
ょっと遠回りしたことも。ただ、向こうは何だか“付き合う”っていう語感に
抵抗があるのかな。仲のいい友達関係を続けたいみたいだ」
「苦労しそうだな、はは」
父の笑い声に、思わず、「笑い事じゃないよっ」と反応してしまった。する
と父は、「いや、ごめんごめん。悪気はない。子供だった頃を思い出していた
んだよ」と答えた。
「子供の頃? そういえばお父さん、お母さんにはなかなか気付いてもらえな
かったんだってね」
口元だけで笑って、やり返す暦。
「やれやれだな。誰に聞いたんだ、まったく。確かにその通りなんだけれど。
小中学生の僕は気持ちをはっきりと口に出さなかったし、お母さんは――」
「鈍感だったと」
着替え終わった碧が現れるなり、そう言った。父は苦笑いを浮かべ、キッチ
ンの方を気にする素振りをみせる。お昼時、母が食事の準備中。
「それもないとは言わないけれど、周りに気を遣っていたのもあったと思って
るよ」
「その点、暦はもう告白だけはしてるんだから、あとは踏み出すだけってとこ
ろね」
「そんな簡単でもなさそうなんですが」
憮然としつつも冗談口調で応じて、暦は部屋に向かった。とりあえず、ブロ
ーチを仕舞っておかないと。
明けて月曜日。姉と一緒に学校に着いた暦は、一人、教室に急いだ。クラス
委員長の碧は職員室に寄らねばならない用事があった。都合がいい。
(小倉さんの反応が気になる。昨日のことを話題にされるかもしれない)
少しでも早く、様子を見たい。
角を折れて、教室が見える位置まで来ると、歩く速さを落とした。やがて開
け放された戸口から、中が窺える。小倉優理の姿はすぐに見付かった。来たば
かりなのか、誰かと話すでもなく、鞄から一時間目の授業の教科書などを机に
出している。
暦は自分の机に鞄を置くと、すぐさま小倉の席に向かった。おはようと声を
掛けるのと、彼女が気付くのとが重なる。
「あ、おはよう。暦君、ちょうどよかった。今の内に」
机のサイドに掛けていた鞄を取り、中を探る小倉。暦は唐突な展開に、内心、
「えっ、え?」と慌てていた。もしかして、早めのクリスマスプレゼント?
が、彼女の鞄から取り出されたのは、一冊の雑誌だった。表紙写真から、フ
ァッション雑誌と分かる。しっかりした造りで、ちょっとしたカタログに見え
る。 付せんが一つ、貼ってあり、小倉はそのページを開けた。
「これって、昨日、暦君が選んでいた物と同じデザインだよね?」
細い指が、モデルの身に着けたアクセサリーを押さえる。
プレゼントじゃないと理解して落ち着きを取り戻していた暦は、アクセサリ
ーをじっと見つめ、小さく頷いた。
「デザインは同じみたいだけど、材質が違うね」
「ええ。これは全体がトルコ石で、中に小さな宝石がはめ込んである」
まさかこれをクリスマスプレゼントにとリクエストされるんだろうか。ほし
い物がはっきりするのはありがたいが、全体がトルコ石となると……。はめ込
まれた宝石にしても、小さいとはいえ、種類によっては相当な……。暦の脳裏
で、昨日、ショーケース越しに見た品物の値段がスライドショーの如く流れて
いく。
(いくらバイトで稼いでいても、これは厳しいぞ)
思わず身構える。
ところが、小倉の口から次に出た台詞は、暦が勝手に想像していたのとは全
く違った。
「暦君のお母さんが持ってるから、お姉さんも同じ物をほしがったのかな?」
「え?」
「持ってるんじゃないの? だってほら」
小倉の指が誌面を移動し、モデルの顔に注目を促す。
「この人、暦君のお母さん」
「ええ?」
雑誌を少し持ち上げ、まじまじと見た。確かに。
あれやこれやと変なことに気を回していたおかげで、モデルの顔にまで意識
が行かなかった。
(それにしても何年前の雑誌なんだろ。ひょっとして産まれる前? 小倉さん、
わざわざ古本屋で見付けて、購入するほど好きなのかな)
「うん、母親みたいだ」
「そんな言い方するなんて。男の子だなあ」
くすっと笑う小倉。暦は聞こえなかったふりをして、「そのブローチを持っ
てるかどうかは、分からないよ」と言った。
「衣装なら買い取る場合もあるけれども、装飾品はね」
「そうなんだあ。絶対に、親子で同じ物を、だと思ったのに」
「もしかしたら持っているかもしれないから、母さんに聞かないと、ほんとに
分からない」
「聞いてみてほしいなあ」
「――何なら、小倉さんが直接聞く?」
思い付きで言ってみた。小倉が暦の母親に会ったことは既にあるけれども、数えるほ
どだし、交わした言葉もさほど多くはない(と暦が思っているだけで、いないところで
女同士、どんな話をしているか分からないけど)。場所も、暦の家を除くと、学校で見
掛けた程度。
そのせいか、小倉は少し前に、暦の母親ではなくモデル・風谷美羽に会ってみたい
と、言葉にしていたのだ。
見学に関して母はウェルカム態勢なのだけれど、暦や碧も一緒に仕事があるときがい
いと考えている、そう、明らかに。これは暦にとって、あまり嬉しくない。クラスメー
トに仕事場を生で見られるのは遠慮したい。
(小倉さんが会いたいのは、僕らじゃなく、風谷美羽一人だけなんだし)
そこで、今のブローチの話をきっかけにすれば、母単独の仕事の見学話にうまく持っ
て行けるかもしれないと考えたわけ。
「え、いいのかな。こんなつまんないことを聞くだけで会うなんて」
「別に。他に用事があるときでもいいし。母さんも超多忙ってわけじゃなし、
時間が空いてるときを教えるよ。ついでに、見学も頼んでみたら? ただ、見
て幻滅しても知らないけどさ」
「何で幻滅するのー?」
声が大きくなる小倉。表情を見ると、目を丸くして何やら驚いている風だ。
「小倉さんが憧れてるのは、昔の風谷美羽だろ。この写真と比べたら、今は年
相応に――」
「やだ、暦君」
よほどおかしかったらしく、小倉はいきなり吹き出し、口元を両手で覆った。
それでもおかしくてたまらないようで、今度はお腹を押さえるようにして背を
丸める。
「な、何だよ。そんなに笑わせるようなことを言った?」
「だって」
顔を起こした小倉が、笑い涙を指先で拭いながら答える。
「この写真、最近の撮影のはずよ。本が発売されて二週間ぐらいなんだから」
「え、まじ?」
またもや雑誌を手に取り、今度は凝視してしまった。
「し……信じられん」
若い。メイクとライトの助けはあるだろうし、カメラマンの腕もいいのだろ
う。でもそれらのことをまるで感じさせないくらいに、写真の母は若々しかっ
た。“少女”を演じていると言っていいのかもしれない。
(凄いや。俳優の経験が生きてるのかなー)
脱帽ものだと感嘆しながらも、言葉には出さないでおく。
「まあ、ブローチや見学のことは別としても、次に遊びに行くとき、うちに寄れ
ないかな? 会って挨拶するだけでも」
「……じゃあ、二十四日のときに」
小倉が答える。彼女はデートという表現もあまり使いたがらない。
「あ、結局イブで大丈夫だったんだ?」
「ええ。踏ん切りが付いたというか……」
クリスマスイブに同級生の男子と出かけることに対し、両親がどうこう以上
に、小倉自身の中で迷いがあったようだ。暦は思わず苦笑した。先は長そうだ
と改めて実感する。
とりあえずイブの待合せ時間ぐらい決めておこうとしたところで、予鈴が鳴
り出した。小倉は急いで雑誌を仕舞い、「またあとで」と言った。
寒波に見舞われた十二月二十四日。公園は陽が高くなりつつある今も、まだ
寒い。時折、強い風が吹いて、空っぽのブランコを軋ませて行く。暦以外に誰
もおらず、静かだ。すぐ前のバス停にも、誰も並んでいない。
朝の十時半に待合せをして、夕方五時までに帰る(送り届ける)。健全だ。
中学生だから当たり前だが、実に健全である。
(予定通りに終われば、夜はみんなで外食か)
父の顔を脳裏に浮かべた暦は、これでよかったんだと思った。ちなみに両親
は揃って買い物に出掛けた。姉は姉で、友達と遊びに行くと言っていた。
(それにしても)
腕時計の文字盤に視線を落とす。十時三十五分ちょうど。待ち人来たらず。
(遅くないか? たった五分が長く感じる)
次にバス停に駆け寄り、時刻表に目を向けた。乗る予定のバスは、十時四十
五分発。
お互い、携帯電話を持ってはいるが、まだ番号を教え合っていない。自宅の
番号なら知っている。
(十分経って来なかったら、電話しよう。直接、家に行ってもいい距離だけど、
小倉さんがあんまり来られたくないみたいなんだよな)
今日だって、わざわざ待ち合わせなんかせずに、迎えに行ってよかったのに。
それからまた腕時計を見ようとしたそのとき、小倉が白い息を弾ませて姿を
現した。ほっとした暦の口からも、白い息がこぼれる。ついで、笑みまでこぼ
れた。
そして「おはよ」と言いかけたのだが、それより先に、謝罪の言葉が飛んで
来た。
「遅れてごめんなさい。服、迷っちゃって」
小倉は手を合わせつつも、舌の先をちょっと覗かせ、かわいらしい。白いダ
ッフルコートをまとった姿は、白いウサギみたいだと暦は感じた。スカートか
ら覗く足は素肌のままのようだ。寒くないのかなと心配になる。
「あと一分遅かったら、電話してたところだった」
そう言うと、暦は携帯電話を仕舞ってみせた。すると小倉は、「あ、私から
電話すればよかったんだね」と今気付いたように応じる。
「バスの時間が迫ってたし、ちょっと心配になってたんだぜ。余裕を見ててよ
かった。次からはほんと、電話してくれよ」
「服を選んでたら、そんな暇ないよー。でも、分かった。なるべくそうする。
だから、許してね」
目の前でまた両手を合わされ、暦はようやく気付いた。
「許すも何も気にしてないから。それよりさ、バスが見えた」
目的地の複合施設は、ショッピングよりも趣味・娯楽に重点を置いている。
スクリーン数は少ないが映画館があるし、併設の科学博物館は季節ごとに特別
展示を入れ替える。子供でも自転車で充分行ける範囲にあるが、今日はバスと
徒歩。いつもより時間を要し、到着した。
混雑は覚悟していたので、相当な人混みにも気後れしない。かき分けるよう
にして、まずは映画館を目指す。幸い、映画館に向かう人の流れができていた。
「次の上映は……十一時三十分」
間に合ったことを確認すると、チケットを買うために窓口に並ぶ。暦は小倉
に、グッズ売り場を見ていていいよと言ったのだが、彼女は一緒にいることを
選んだ。
「だって、はぐれでもしたら……」
「三分ほど、そこからそこの距離で、はぐれるわけないってば」
「でも」
小倉の手が、暦の服の袖をぎゅっと掴む。手をつないだり、腕を組むまでは
しない辺り、彼女らしい。
そうこうする内に行列は消化され、暦達もチケットを買った。もちろん、学
生割引。
「上映が終わるのは何時頃ですか」
ついでに窓口の人に聞くと、十三時五分頃となっていますという返事。やや
遅めの昼食になる。
「食べ物や飲み物、何か買っておく?」
窓口を離れ、館内に入る前に、小倉に尋ねた。コートの前ボタンを外しなが
ら、彼女は迷う風に首を傾げた。
「食べるのはあとかな、やっぱり。飲み物だけにしよっか」
「買ってくる。何がいい?」
暦の質問に、小倉は少しふくれっ面になった。
「一緒に行く」
ああ、そうか。最前のことをもう忘れてしまっていた。頭に手をやり、反省
する。
(親切のつもりで言ってるのにな。ずっと一緒にいられるのは嬉しいものの、
その理由が『はぐれると怖いから』じゃあ、嬉しさも半分)
内心ぼやきつつ、コーヒーとゆず茶をそれぞれ買って、券面にあるスクリー
ン番号へ向かう。
「私、映画は一年ぶりぐらい。暦君は? 忙しいから私より久しぶりなのかな」
「そんなことない。同じぐらいだよ。前は小学生のとき、姉さんと行ったっけ。
アニメだった」
「ふうん。どんなアニメ?」
題名を答えると、「それ、私も観たわ」と返事があった。
座る直前、小倉はコートを脱いだ。下は淡いピンク色のワンピースだった。
暦の視線を意識したか、彼女が「どうかな?」と聞いてくる。
「似合ってる。小倉さんのイメージにぴったり」
「よかった」
「コート、持とうか?」
「え。いいよいいよ。大丈夫」
腕の中でコートを二つ折りにすると、膝上で小さく抱えるようにした。
(いいところ――ってほどでもないけど――をなかなか見せられない。まあ、
楽しそうにしているならいいか)
明かりがじわじわと落ちて、館内が暗くなる。近日上映作品の予告が始まっ
た。
〜 〜 〜
時刻は午後一時を少し回ったところ。暦と小倉は、施設内のファーストフー
ド店にいた。お昼を食べながら、観たばかりの映画の感想で盛り上がる。
「結構よかった」
小倉に聞かれて、そう答える。今日の映画は、小倉のリクエストに合わせた、
少女漫画原作の恋愛物。そのせいか、彼女は暦が退屈したんじゃないかと気を
揉んでいたようだ。
「本心から言ってる?」
「元々、少女漫画、嫌いじゃないよ。割と読む方。姉さんが持ってるのを借り
てさあ」
「そういえば碧さんと、少女漫画のことでお喋りしたこと、何度もあるわ。さ
すがに暦君が読むかどうかまでは、話題に出ないけれどね。どんなのが好き?」
「ジャンルは何でもかまわないけど、ありがちな展開の方がいいな。奇を衒っ
たようなのは、敢えて読む気はしない。どぎつい描写があるのも」
「今日の映画はぴったりだったね」
「そういうこと。次に映画を観るときは、僕の希望を優先で」
「案外、似たような恋愛物だったりして」
微笑すると、小倉はストローで飲み物をすすった。手元のトレイを見ると、
まだ食べ残しが結構ある。暦も小倉ほどではないが、似たり寄ったりの食べ具
合だ。話に夢中になったというよりも、互いに相手を意識して、食べ方がお上
品になっているようだった。
それでもどうにか完食して済ませると、ほとんど時間をおかずに店を出た。
次は科学博物館だ。
もうすぐ順路が終わろうという頃になって、彼女の口数が減ったことに、暦
は気付いた。
科学博物館の特別展示は、人工衛星と宇宙をテーマにしたものだった。興味
深く観て回り、元々宇宙の話が好きな暦は無論のこと、小倉も目をきらきらさ
せて隕石の標本に見入る等していたのだが。
「飽きた?」
出口を抜け、お土産店の前で聞いてみた。陳列棚のフックから下がるキーホ
ルダーに、ゆっくり歩きながら触れていた小倉は、びくっとして立ち止まった。
振り返った顔も、どこかびっくりした風。
「そんなことないよ。面白かった」
「それならいいんだけど。何だか、喋らなくなったなあって思ったから」
「……暦君て、本当に碧さんと仲がいいよね」
「は?」
一瞬、絶句。その間に小倉は、博物館の出口に近い壁際に移動した。すぐに
着いていく。彼女は暦の顔をちらと見、視線を外した。後ろ手に手を組むと、
壁にもたれてから口を開く。
「映画の前もあとも、話に碧さんが出て来た。さっき、展示を回ってるときだ
って、『昔、姉さんと』どうこうっていう言い方がたくさん」
「それはまあ、小学生のときは、姉さんと一緒か、でなきゃ家族揃ってが普通
だったから」
思い出話に姉がしばしば登場するのは当然、というつもりで答えた暦だった
が。
「この前だって、一緒に買い物してたよね。でも、私は比べられている気がし
て、居心地よくなかった」
「え」
ぽかんとする暦。そういうものなのか。他の女子の話をしたのなら分かるが、
実の姉の話もだめなのか?
「碧さんはこの歳でモデルをやるくらいきれいで、素敵なスタイルをしてる。
正直言って、うらやましい。暦君自身もモデルをしてるから、きれいな女の子
のモデルが近寄ってくるだろうし、お母さんもきれいな人だから、きっと目が
肥えているのね。比べられたら、かなわないな」
おいおい、と内心焦る暦。対象は姉一人だったはずが、範囲を広められてし
まった。
「そんなこと、全然思ってない」
真剣な表情、真剣な口調で言った。こちらを向いていない小倉に、どれほど
伝わったろうか、不安は残る。暦は彼女の顔の正面に立った。
小倉が潤んだ瞳を合わせてくる。
「信じられない。プレゼントを贈るほど、碧さんと仲がいいじゃない。罰ゲー
ムって言ってたけれど、結局、プレゼントでしょ、あれは」
「違う」
即答する暦。
「プレゼントなのは確かだけれど、あれは姉さんに渡す物じゃなくて――」
コートの左ポケットに手を入れる。包みに悪い影響を与えないよう、柔らか
く掴んで、慎重に引っ張り出す。もっとあとで渡す予定でいたが、今はこのタ
イミングで渡すべき。レンアイでの臨機応変は苦手だが、このくらいの判断は
できる。
「小倉さん。君に贈るために選んだんだ」
片手で差し出すと、急に気恥ずかしさがこみ上げてきた。
「……嘘っ」
小倉は両手で口元を覆い、くぐもった声で反応した。早口で応じる暦。
「本当だってば」
「でも、あんな大人っぽいデザイン、碧さんなら似合うだろうけれど、私には」
「そんなことはない。小倉さんにこそ似合う」
「……信じていいの? 本当にそう思ってる?」
この時点でやっと受け取ってくれた。ほっとした暦は、苦笑いを浮かべて、
「モデルやってる二人が選んだ物なんだ、絶対に似合う。信じてよ」と答えた。
そして急ぎ気味に付け足す。
「何だったら、ここで着けてみなよ」
「えー、でも、アクセサリーと服って組み合わせもあるし」
小倉は不安を払拭できて、機嫌を直したらしく、弾んだ声に戻っている。
「どんな服と組み合わせても、小倉さんには似合う」
多分。
「さっき、誰にメールしてたの?」
バスを降りたとき、ふと思い出したように小倉が尋ねてきた。
「父さんに。最初に言っていたより早く終わっちゃったって、一応、言ってお
かないとね」
予定より少し早かったが、太陽が完全に沈む前にバスで戻ってこられた。
「ああ、このあと、親子揃って夕飯なのよね。私は家でだけど、おんなじ」
首肯する彼女の胸元には、月の形をしたブローチ。時折、光を反射する。バ
ス停から小倉家までの道すがら、歩調に合わせて小さく揺れる。
「碧さんにもお礼を伝えてね。次に会ったとき、私も自分で言うけれど」
「姉さんにお礼?」
「暦君のブローチ選び、手伝ってくれて」
「そういうことね。あの……単刀直入で何だけど、気に入った?」
道路側を歩く暦は、隣の小倉の胸元、そのブローチを一瞥した。小倉は白い
歯を覗かせた。
「うん」
「買った次の日、小倉さんが雑誌持って来て、全体がトルコ石のやつを見せた
だろ。あのときは焦った。見劣りするなあって」
「そんなことないわ。大切に使うって約束する」
「よかった」
「逆に、私のプレゼントが見劣りしちゃって、申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない。君からもらえるだけで充分です」
すでに一度行われたやり取りを、笑い声を交えて繰り返す。
暦も小倉からクリスマスプレゼントをもらった。彼女へのプレゼントと入れ
替わりに暦のポケットに収められたそれは、まだ開けられていない。
「全体がトルコ石のブローチも、いつか」
「うふふ。私はそのときまでに、ブローチが似合うレディになっておけばいい
のね」
目的とする家並みが見えてきた。小倉の家までの距離が縮まるのに反比例し
て、二人の歩みは遅くなっていた。が、そろそろ限界のようだ。
「じゃあ――今の時季、こういうときの挨拶って何て言うんだろ。よいお年を、
かな?」
「あ、あの、暦君。初詣、一緒に行かない? 大晦日の夜からというわけには
いかないと思うけれど……」
家まであと数メートルの地点。立ち止まった小倉の口から、思いがけない提
案がされた。暦はすぐに返事した。
「初詣? 行きたい」
「だったら、また年内に電話する。そのとき、都合が付くかどうかも含めて、
決めましょ」
「了解。じゃあ――メリークリスマス、だな、やっぱり。今日はまだ二十四日
なんだし」
「うん、メリークリスマス。今日はありがとう。えっと、お家の人によろしく
ね」
「僕の方こそ。あ、母さんに会うのはまた別の日にってことで」
「いつでもいいよー。暦君の家に行く口実に使うかも」
遠ざかりながら手を振る暦に、小倉も同じようにしながら、そんなことを言
った。
(やれやれ。本当に両親がうるさいんだろうなあ。昔、うちに泊まったのも水
害で緊急事態だったのと、あくまで同級生の女の子――相羽碧の家に泊めても
らう、というのが向こうの両親の認識だったに違いない。今日のデートは特例
中の特例ってところか)
もしかしたら、今日出掛ける用事について正直には伝えずに、親のOKをも
らったのかも。だったら……嬉しい。暦は想像した。
そうして自宅に戻るべく、角を二度ほど曲がったところで、突然、聞き覚え
のある声が背後から届いた。
「別れ際にキスでもしやしないかと、緊張しちゃったわ」
「――母さん?」
振り返ると、車の助手席から、窓を下げて顔を少し傾けている母の姿が目に
飛び込んできた。運転席の方には、もちろん父が。
「見てたの? 人が悪いや」
安全確認をしてから道を横切り、暦は言った。何となく、ばつが悪い。
「いいデートだったみたいね、暦。乗りなさい」
「ここにいるって、どうして分かったのさ」
質問への返事は、暦が車に乗って、ドアをきちんと閉めたあとに。
「暦、お父さんにメールを送ったでしょう。だいたいこの辺りにいれば、最後
の場面を目撃できるかなと踏んだの。当たってよかったわ」
「……予定していた最終手段が必要なくなったことだけ、母さんに伝われば充
分だったのに」
プレゼントを渡す段取りとして、成り行きからうまく行く自信が持てなかっ
た場合、母に助け船を請うつもりでいた。風谷美羽ファンの小倉なら、当の風
谷からプレゼントを渡されるのが一番嬉しいだろうという読みである。
尤も、計画を母に話したとき、そんなことしなくても大丈夫よとお墨付きを
与えられていた。その時点では懐疑的だった暦も、今となっては納得している。
「さ、少し早いけれど、碧を迎えに行こうか」
父の言葉に、暦は慌てて要望を出す。
「あ、待って。家に寄ってほしい」
「何か忘れ物? それとも着替えたいとか」
「そうじゃなくて……いや、そういうことにしとく」
もらったばかりのプレゼントを、見つからない内に部屋に隠しておかないと。
暦はポケットの上から、改めてその感触をそっと確かめた。
――おわり