#364/598 ●長編 *** コメント #363 ***
★タイトル (AZA ) 10/07/11 23:47 (493)
水は氷より出でて 3 永山
★内容
僕がロールプレイングゲームを連想したのは、きっと、ドラゴンという名前
のせいだろう。反面、暗号には漢字が混じっており、和の匂いが感じられる。
「これって、殺人予告でしょうか。もしかして、針生さんを?」
「それはない」
即座に断言する十文字先輩。根拠はなく、そう信じたいだけのように見えた。
口では嫌っていても、針生さんをライバルとして認めているようだから、悪い
想像はしたくないに違いない。
「針生の命を狙うなら、本人宛にこんな予告状を出すものか。矛盾している。
この文面は、明らかに針生に挑戦しているのが分からないかね。殺人事件を起
こすからその謎を解いてみよ、という訳だ」
一応の根拠はあったのか。お見それしました。
「何はさておき、暗号を解く必要がある。断るまでもないが、真っ当に行間を
読んでもだめだ」
「思い付いたんですけど、いいですか」
七尾さんが控え目に発言を求めた。
「無論。遠慮なく」
「行間を読めとは、ギョウの間を読めという意味じゃないですか? ほら、こ
の暗号文て、ギ、ョ、ウの三文字がたくさん使われています」
指差しながら自説を展開する七尾さん。関係ないけど、彼女のきれいに手入
れされた指に少々見とれてしまったことを、ここに密かに記す。
「面白い意見だ。でも、三文字の間とは?」
「多分、ギとョ、ョとウ、それぞれの間を読み取るんじゃないかなって」
「ふむ。やってみよう」
手帳にメモを取る先輩。結果は……。
「一ノゴイ丁イ、か。意味がありそうには見えないな。縦読みを含めるとして
も、タが一つ増えるだけ」
「一年五組の誰かを狙う、という意味かもしれません」
あきらめきれない様子の七尾さん。なるほど、一ノゴが一年五組を表すとい
うのは、考えられなくもない。むしろ、賛同できる。だが、そうなると、イ丁
イとは何だ? 個人を示すはずだが、こんな人名、あるだろうか。
「あるとしたら、『糸井』かな? 片仮名でイトイと書いて、真ん中のトを横
倒しにしたとか」
「百田君。推理するのはいいが、考えなしに何でもかんでも声に出すのはいけ
ない。もしイトイを表したいのであれば、丁の字を使わず、最初からトを書け
ばいいじゃないか」
「そうですよね……」
速攻で否定された。毎度のことながら、ちょっとばかり落ち込む。僕が黙り
込むと、再び七尾さんが口を開いた。
「丁は『ちょう』と読みますから、『伊調』さんではどうでしょう? 残るイ
は下の名前の最初の文字。一年五組には伊調さんが二人以上いて、区別するた
めに」
「ぴんと来ないなあ。七尾さんの推理で当たりなら、名前を漢字と片仮名で表
す理由というか、必然性がほしい。これだけの文字数を使っているんだ、イチ
ョウの四文字ぐらい、すべて片仮名で表せるはず。なのに、犯人がそうしてい
ないということは、解読方法が間違っている気がする」
「だめでしょうか」
七尾さんも沈黙してしまった。が、先輩の態度は、僕のときと若干異なって
いた。
「いやいや。君はなかなか素晴らしい示唆を、僕に与えてくれた。ギ、ョ、ウ
の三文字はきっとフェイクなんだ。落とし穴を這い出て、真の正解に辿り着く
には、もう一つの行間を読む必要がある」
そう云うと、十文字先輩は暗号全文を写し取り、そこへペンで丸を入れてい
った。
「このノとイを重ねたら、ぎょうにんべんに見える」
「はあ」
「一と丁を重ねると、片仮名のテに似た形になる。呼び方があるのかもしれな
いが、生憎、僕は知らない。肝心なのは、ぎょうにんべんとテを並べると、行
の字になることだよ」
「え……っと」
書いてもらって、すっきり理解できた。確かに行という漢字ができあがる。
「行間を読めとは、ノ、一、イ、丁の四文字に囲まれた字を順に読めという意
味ではないか。こう考え、該当箇所を拾っていくと……タイイクソウコになる」
「――体育倉庫!」
「って、どこだ?」
七尾さん、僕の順で云った。学校関係者じゃない僕らには、体育倉庫がどこ
にあるのか分からない。体育館内にある用具置き場とは違うのだろうか。辺り
をきょろきょろと見回す。
らしき建物が、体育館と直角をなす位置にあった。直射日光を避けるためか、
数本からなる人工林に遮られていたが、正面にある大きな扉は左右にスライド
させるタイプで、物の出し入れが容易な構造になっている。
「あそこでしょうか。鍵が掛かっていそうだけれど、学校の人に頼めば中を調
べてもらえるかも」
呟いた僕の前から、先輩が消えた。言葉より行動とばかり、体育倉庫(と思
しき建物)に向かっている。
「あ――。えっと、七尾さん、暗号が体育倉庫を示していたことと、僕らは倉
庫に向かったことを、布川さんに伝えてくれる?」
「はい。またあとで」
記述者役として最低限のことは果たした、と思う。七尾さんの姿が扉の向こ
うに見えなくなると、僕は先輩のいる体育倉庫を目指した。
建物正面にはいない。が、開けられた気配はなく、実際、錠が下りていた。
ぐるっと見て回ろうとすると、向かって右側面奥に、勝手口のようなドアを見
付けた。荷物の出し入れとは別に、人の出入りのためにあるようだ。その手前
に、十文字先輩はいた。近寄る僕に気付き、早口で云った。
「鍵が掛かっている」
「じゃ、じゃあ、鍵を借りてきましょうか。念のため、中を調べないと」
「待て。さっき呼び掛けたんだが、中から音がするんだ。呻き声のようなのと、
物を引きずるような」
先輩が口を噤むと、確かにそのような音が聞こえてきた。誰か、あるいは何
かがいるのは間違いない。
「……乱闘って雰囲気じゃありませんね。物を引きずって、疲れて喘いでいる
感じに近い」
「犯人が遺体を引きずっているとも考えたんだが――」
名探偵を自負する先輩は、さらっと恐い発言をする。
「――犯人がいるのなら、外から声を掛けられれば、逃げ出そうとするのが普
通だ。その気配が全くない。ということは、誰かが身動き取れない状態で、も
がいているんじゃないだろうか」
「だ、だとしたら、なおさら早く助けないと」
「君に同意してもらいたかったんだ。それともう一つ。ドアに鍵が掛かってい
ることもね」
そう云って、ドアの前のスペースを空ける先輩。僕はノブに手を伸ばし、捻
ってみた。手応えがあった。
が、そのとき、ドアの下部をどしんと叩く、大きな音がした。反射的に手を
引っ込める。二人して様子を窺っていると、小さく、かちゃっと音がし、直後
にもう一度、どしん。
「中から開けた?」
十文字先輩がドアノブを回す。抵抗なく回った。用心しつつ、開ける。中は
薄暗い。ドアは内開きで、三十度と開かぬ内に、何かに当たった。外の光で、
それが人の足と分かる。仰向けの格好で、ロープ上の物で足首を縛られていた。
靴下は身に着けているが、靴は履いていない。上半身に目を移すと、猿ぐつわ
を噛まされた男の顔が見えた。
「針生!」
十文字先輩が叫ぶや否や、無理矢理にドアを押し開け、中に転がり込む。
光が増したおかげで、僕はその男性の格好が、最後のマジックで探偵役を演
じていた人の格好と同じだと気付いた。針生徹平その人である。よく見ると、
手も後ろ手に拘束されていた。
「大丈夫か」
右側に跪き、猿ぐつわに用いられた手ぬぐいを外しながら、先輩は針生さん
に声を掛けた。必死さが表に出ている。
対する針生さんは精根尽き果てた様子だったが、目をうっすらと開け、口を
動かした。すぐには声が出ず、二度ほど唾を飲み込んで、やっと聞こえてきた。
「どうにか……助かった……。もう一人、いる」
それから弱々しく首を振り、奥を示す。先輩はすっくと立ち上がり、僕の方
を見ると、「百田君、明かりを」と指示してきた。
僕はほんの少し遅れて、電気のスイッチのことだと理解した。ドア枠の横に
あるスイッチを見付け、オンに入れる。複数の蛍光灯が灯り、一気に明るくな
る。
すると、倉庫の中央辺りに人影が浮かび上がった。古びたマットが三つ折り
に畳まれて置いてあり、その上に横たえられていた。ぴくりともしない。身体
の真ん中よりやや上辺りに、細い何かが見えた。
「――百田君。君は針生の拘束を解いてやってくれ。あっちは僕が見る」
云うと同時に行動を起こし、先輩はとぐろを巻いた綱引き縄やハードル、無
造作に置かれた鉄アレイや砲丸、それに徒競走で順位を示す旗といった様々な
“障害物”を避けながら、マットの方へ急ぐ。
僕は遅れて「はい」と頷き、しゃがんだ。まずは足からと思ったのだが、拘
束具はビニール製の丸い紐で、結び目は固く、解きづらい。引きちぎろうにも、
素手では皮膚が切れそうだ。では腕はと見ると、何と、手錠であった。銀色に
光っているが、手触りから、プラスチック製の玩具だと知れた。それでも、鍵
がないと開けられそうにない。
「どこかに、工具箱があるかもしれない」
針生さんが苦しげな声でそう伝えてきた。なるほど、体育倉庫なら、工具箱
があっても不思議ではない。僕は一旦、彼の元を離れ、探した。
勝手が分からず、当初はおろおろしたが、案外近くで見付かった。入って来
たドアを右に、壁沿いに進んだ途中に工具箱はあったのだ。ペンチやドライバ
ーなど、役立ちそうな物が入っている。選ぼうとして、僕は莫迦だなと内心呟
いた。箱ごと持って行けばいい。
手錠はペンチで破壊し、外せた。足のビニール紐が意外と難物で、鋏があれ
ば一発なのだろうけど、残念ながら見当たらない。鋸では危険だ。結局、鑢で
ごしごし擦り、部分的にぼろぼろにしてから引っ張ると、ようやくちぎれた。
「先輩、こちらは終わりました! そっちはどうですか?」
叫ぶようにして聞くが、返事がない。と、先輩はくるりと身体の向きを換え、
僕の方へ戻ってきた。表情が険しい。
「おい、針生。何があった?」
「何って、マジックで外に出たあと、誰かにやられたとしか。おまえが噛んで
るにしては、乱暴すぎるとは感じたが……。保健室、連れて行ってくれないか。
手当てを」
「勿論だ。が、あと一つだけ。おまえが云ったもう一人の奴、死んでいるぞ」
「何?」
「殺されたようだ。何も知らないのか?」
詰問調の十文字先輩に、呆然とした様の針生さん。僕は突っ立ったまま、聞
いているほかなかった。
昼休みの学食は騒がしく、多少のお喋りは誰に聞き咎められることもない。
「それでどうなったのよっ?」
五代春季(はるき)先輩にどやされる十文字先輩。それに付き合わされる僕。
休み明けの学校でも、貴重な昼休みを潰さざるを得ない羽目に陥っていた。
「あとは、君にも伝わってるんじゃないかな?」
気取った手つきの十文字先輩。悪びれる様子は欠片もない。
「五代君の名前を出したら、比較的早く、解放してもらえたよ」
「私の名前じゃなくて、私の父や祖父の名前でしょうが!」
「必然的にそうなる」
「……呆れた。まったく、私と知り合う前は、どうやって切り抜けていたのや
ら」
「五代君と知り合えたからこそ、前よりも踏み込めるんだ。その点、感謝して
いるよ」
「――百田君。あなたを常識人と見込んで、敢えて無理な頼み事をする。この
男の手綱をしっかり持って、できる限り操縦するように。いいわね」
五代先輩は名探偵を指差しながら、僕の顔を真っ直ぐ見据えた。そんなこと
頼まれても、まるで自信ないのですが。でも、ここは首を縦に振っておかない
と、場が収まらない気がした。
「とにかく」
再び、十文字先輩に向き直る五代先輩。
「今回は被害者にあなたの友達がいるから、分かったことがあれば特別に教え
てあげる。でも、そちらから聞いてくるのはなし。以上、最大の譲歩をしたの
だから、反論は認めない」
「やむを得まい。本来、探偵とは警察の力を当てにしないものだ」
十文字先輩の答を聞き終えず、五代先輩は席を立った。
「やれやれ、しょうがないな。困ったもんだ」
いや、困ったもんだはあんただ、と喉まで出かかった。
「こうなると分かっていたら、もう少し容疑者らしく振る舞って、あの刑事達
から情報を聞き出しておくべきだったかもしれない」
実際、最初期だけだったが、十文字先輩は容疑者扱いされた。
その原因は、遺体と一緒に倉庫に閉じ込められた針生さんの証言にある。特
に、渡された手紙にあった署名が十文字龍太郎を意味するものと信じていた、
と証言したためだ。なるほど、ジョン=ドラゴン・クロスを強引に和訳すれば、
十文字龍太郎になる。加えて、針生さんと十文字先輩が昔からライバル意識を
燃やしていた事実、十文字先輩が美馬篠高校を訪れた日に事件が起きたこと等
を勘案すれば、警察としても疑わない訳に行くまい。
勿論、犯行推定時刻には体育館で奇術倶楽部の公演を一緒に見ていたという
僕の証言により、ひとまず容疑は晴れた。僕の証言以上に、五代先輩サイドの
口添えが効果大だったかもしれない。他にも理由はあって、被害者――針生さ
んではなく殺された方――が、先輩とは直接のつながりを持たない人物だった
のだ。名を葛西知幸(かさいともゆき)といい、美馬篠高校二年生。つまりは
針生さんの同学年で、一年時は同じクラスだったそうだ。話はするが深い付き
合いはなく、クラスが別れてからは、顔を合わせることもほとんどなかったと
か。どちらかといえば目立たぬ存在で、トランプの独り遊びやクイズパズルの
類を好んでいた、とは針生さんの弁。パズルという共通項のおかげで、一年生
のときに針生さんと話が合ったのかもしれない。
文化発表会当日も一人で行動していたようで、具体的な動きは、警察でもま
だ把握できていない模様だ。
「報道で知る限り、凶器も未発見のようだね」
昼休みの残り時間を費やし、事件を整理するトークは続く。
葛西――呼び捨てにさせてもらおう――は、セラミック製の包丁で刺し殺さ
れていた。凶器は胸に刺さったままになっており、少量の出血を僕自身も目の
当たりにした。その他、いくつかの打撲が全身にあったという。なお、この包
丁は、美馬篠高校の調理実習室から持ち出された物と判明している。
死亡推定時刻は、発見が早かったおかげもあってか、文化発表会当日の十一
時から正午までの一時間に絞り込まれていた。奇術倶楽部の公演は十一時から
の一時間を予定していて、ラストの演目中に、針生さんの身にトラブルが降り
懸かったと分かったのが、十一時五十分を回った頃。
「僕らが体育倉庫に駆け付けたのが、十二時十五分か、遅くても二十分にはな
っていませんでした。あの時点で、倉庫内に犯人はいなかったと思われます。
十一時五十分過ぎに、針生さんを襲って倉庫内に連れ込み、遺体とともに転が
し、現場を密室状態にしてから逃げ出したと……できなくはありませんね」
「まだ、手紙を針生から奪い、用具置き場に放り込むという作業があるから、
ぎりぎりだろうね。尤も、密室が合鍵の産物だとしたら、密室作りの手間はゼ
ロに等しいが」
体育倉庫の鍵は正面扉、勝手口双方とも、職員室で保管されている。とはい
え、生徒であればほぼフリーパスで借り出せたし、錠前屋に持ち込めば簡単に
コピーできる程度の代物。そもそも、勝手口のドアは普段から施錠せず、開け
っ放しだったという。授業時に、鍵を職員室まで取りに行くのが面倒であれば、
勝手口から入り、正面扉のロックを内側から外す、これで事足りる訳だ。
「針生さんは気を失っていて、犯人が鍵を掛けるところ、ないしは密室状況か
ら抜け出すところを見ていないんですよね」
「百田君。正確な記述を心掛けるのは結構だがね、そんな密室トリックの分類
に拘るのは、無駄だよ。他にも種々様々なパターンがある。たとえば、密室状
況の倉庫に、気絶した針生と遺体を何らかの方法で入れた、とかね。全ての事
例を挙げていては、冗長になってしまう」
「はあ」
妙な点で注意されてしまった。記述者として期待されているのだから、仕方
がないかもしれない。
「それにしても針生さんは、縛られた状態で、よく中から解錠できましたよね。
勝手口のドアは内側からなら、ノブの上にあるつまみを倒すだけで開くとはい
うものの、あそこまで這って行き、ドアに足を向けて精一杯振り上げ、つまみ
に的確にヒットさせなきゃならない」
「あいつも僕に似て肉体派ではないが、身の危険を感じ取っていたんだろうな。
普段やれと云われてもできないだろうが、危機的状況下故にやり遂げたに違い
ない」
「靴があるのとないのとでは、どちらが楽なんでしょうね」
「うん?」
「床に横たわったまま、ドアのつまみを倒すとして、靴を履いているのといな
いのでは――」
「面白い着眼点だ」
僕が皆まで繰り返さぬ内に、先輩は大きく頷いた。
「もしも、靴のない状態の方がやり易いとしたら、犯人はわざと針生に逃げる
チャンスを与えた可能性が出て来る」
「そんな」
「いや、考えてもみたまえ。犯人は針生の命を奪おうと思えばできたのだよ。
しかし、現実にはそうしていない。遺体と一緒に密室状態に放置するなんて、
故意にあいつを苦しめようとしているかのようだ」
「確かに、云われてみれば」
「犯人は、僕に濡れ衣を着せたい節がある。針生を殺さずに苦しめるやり口は、
ある意味、針生をライバル視する十文字龍太郎らしい、と犯人は考え、こんな
犯行をしでかしたのかもしれないな。どう思う?」
「僕には何とも云えませんが……犯人がそう思い込むことは、あり得るんじゃ
ないでしょうか」
下手に先輩を批評するような発言は控えたい。
「うむ、結構。ただ、犯人が靴を脱がせたのは、針生に渡った手紙を取り戻し、
用具置き場に置くという目的が大きかったとも解釈できる」
針生さんは犯人からの手紙を受け取ったあと、どこかに置いておくことはせ
ず、身に着けておくことを選んだそして、。奇術の邪魔にならないよう、靴底
に入れた。この隠し方は、針生さんの親しい男友達なら誰もが知っているとい
う。無論、十文字先輩も。
「だとしたら、犯人は針生さんと親しい人ってことになりませんか」
「おかしくあるまい。僕と針生に恨みを持つ者を怪しむのなら、当然、針生と
親しい人物も入ってくるさ。むしろ気にするとしたら、犯人は他の箇所を探す
ことなく、真っ先に靴を当たったらしい点じゃないかな」
ミス研及び奇術倶楽部の部室に、荒らされた痕跡は皆無だった。また、拘束
された針生さんの衣類を探ったかどうかは、針生さんが床を這いずり回ったお
かげで、判然としなかったものの、短時間で靴という正解に辿り着いている事
実から、衣服は端から眼中になかったと考えられる。
「まあ、些細な引っ掛かりに過ぎないがね。針生が手紙を身に着けていなかっ
たら、犯人は予め用意しておいたもう一通を取り出しただけさ、きっと」
ここで予鈴が鳴った。
事件のおさらいがまだ少し残っているんだけれど、仕方がない。五代先輩の
お説教が長かった。手綱をコントロール云々の指令もあるし、切り上げるとす
る。
「あっと、忘れるところだった。百田君」
十文字先輩が僕を呼び止めた。
「七尾君と接触できそうかい?」
学園長の孫娘も、結局は他の下級生と変わりなく、「君」付けするようにな
っている。
先輩のそんなところに変に感心しつつ、僕は受け答えした。
「ええ、どうにかなると思います」
七尾弥生は学校を休んでいた。学園長の七尾陽市朗が、殺人事件に巻き込ま
れた孫娘を案じて休ませたというのが、専らの噂である。
実は、十文字先輩は事件発生の時点で早々に、七尾さんに詳しい話を聞きた
いと申し込んみ、色よい返事をもらっていたのだが、一夜明けて、断りの連絡
が入ったという。何故か七尾さん自身からではなく、学校側から。
「前に園内で事件が起きたときは、探偵活動を認められたのに、今回は学外の
事件にも拘わらず、渋るとは。いくらお孫さんが巻き込まれたと云っても、極
端だな。裏に何かあるのかもしれない」
こんな風に推理を働かせた名探偵・十文字龍太郎は、僕と一ノ瀬に七尾さん
とコンタクトを取るよう、頼んできた。一年生同士の方が接触し易かろうとい
うのと、先輩自身は針生さんと話がしたい欲求が強いため、僕らに任された次
第。
「昔、殺人事件に首を突っ込んでいるね、孫娘さんは」
前日に一ノ瀬にリサーチを依頼し、朝一番での報告があった。どうやって情
報を入手したのかは、敢えて尋ねまい。
「えっと、中学生のときか。そんでもって、解決に一役買ってるよん」
「そうなんだ? 意外だな」
七尾さんの容姿を思い浮かべ、小柄な彼女が謎解きする場面を想像してみた
が、まるでぴんと来ない。十文字先輩のそれを当てはめてはいけないのかも。
「でも、分かった気がする。このときのことがあるから、事件に関わらせたく
なくて、学園長は十文字先輩が七尾さんに話を聞くのを邪魔したんだ」
「謎が解けるんだったら、自由にさせればいいのに」
「たまたま一件、解決できたからって、事件に積極的に関わるようになってい
ったら、まずいだろ。自ら火に飛び込むようなもの。娘がそんなのだったら、
親や家族も嫌だろうし」
「あれれ、じゃあ、十文字さんはー? 息子だったらいいのかにゃ?」
と、一ノ瀬から反撃を食らったところで、朝の休み時間は終了。その後、授
業間の短い休憩を活用し、僕と一ノ瀬は、どうやって七尾さんに接触するか、
段取りを考え、作戦を練った。僕自身はだめだ。事件関係者であることが七尾
さんの家族に伝わっているだろうし、十文字先輩に助手扱いされていることも
同様。一ノ瀬にしたって、四月の事件では十文字先輩と一緒に探偵に収まって
いた。
「という訳で、お願いします、剣豪殿」
「……」
放課後、帰り支度を始めていた音無が振り返り、じろりと僕らを見る。怪訝
がる目付きだ。
僕は説明を端折っていきなり云った一ノ瀬を引っ込ませ、ことの次第を改め
て話した。
「話は分かったが、それよりも百田君。先に、私に報告することはないの」
「あ、十文字先輩の都合のよい日? あれは――」
「そこなんですよぉ」
また勝手に喋る一ノ瀬。今は猫の手つきは影を潜め、太鼓持ちみたいな仕種
を垣間見せる。最近、落語でも観て覚えたか?
「実はみつるっち、尋ねたはいいが、十文字さんに見抜かれまして。あなたが
招待したがっていることを白状してしまったんですよ」
「え?」
こちらを振り返った音無に、僕は違う違うと首を左右に振った。まだ一切の
話をしていないんだってば。
しかし、一ノ瀬のお喋りは止まらないどころか、勢いを増す。
「それを知った十文字さん、にこりと笑い、『音無君が僕に協力してくれれば、
お礼なんて充分』と云って、今度のことを頼んできたんですよ〜」
「それは困る。言伝ぐらいでは、私の気持ちが済まない。礼を尽くすには、是
非、ご招待を」
「うん、そう思って、ミーも十文字さんに重ねて伝えたよ。ならばってことで、
『今度の件で協力をしてくれたら、喜んで招待を受けよう』だって」
音無の堅い物言いに肩が凝ったのか、普段の喋り方に戻った一ノ瀬。音無に
それを気に留める風はなく、安堵の表情を浮かべた。
「そういうことであれば、こちらこそ、喜んでお引き受けしますと、伝えてほ
しい。早速、お見舞いを兼ねて出向くとしよう」
「りょーかい」
軽い受け答えの一ノ瀬を押し退け、僕は「ありがとう、先輩も僕も助かるよ」
と云った。
「君なら、学園側にもいい印象を持たれているに違いないし、例の事件のとき
だって、巻き込まれた被害者の立場だったから、ある意味、七尾さんと同じ境
遇と云える」
「だから受け入れられる、と。百田君が云うと重みが感じられないのは、何故
なんだろう。口が軽いからかな」
音無はぐさりと突き刺さるような言葉を残して、教室を出た。
「よかったよかった。これでうまく行くよ、みつるっち」
一ノ瀬め。こいつが女でなかったら、後ろから蹴り倒していたのに。
「さっき出て行った人、誰?」
入れ替わりの来客――無双と衣笠の二人――に、七尾はまだもらった花を花
瓶に生ける間もなかった。
「学校の人。お見舞いに来てくれた。病気じゃないんだけれどね、学校を休ん
だから」
「ふうん。じゃ、委員長なのね。確かに、らしい見た目だった」
「委員長かどうか、僕は知らない」
無双の早合点を訂正する。
「ええ? 何で。同級生なんでしょうが」
「それが違う。学年は同じでも、クラスは別の人。音無さんといって、名前は
知っていたけれど、話したのは初めてだった」
「うーん。さっぱり分からない」
衣笠が持って来たお菓子を開けながら、首を捻る。
「事件を推理しようと思って来たのに、その前に謎を出されちゃうと困る」
「しーっ! 事件の話はなるべく小さな声で」
七尾は自室のドアをしっかり閉めた。祖父は不在のはずだが、お手伝いさん
がいる。彼女らの耳に入れば、筒抜けも同然だ。
「とにかく説明するから、座って」
友人二人を落ち着かせ、自分も落ち着くと、七尾は話し始めた。
「文化発表会での事件、第一発見者になった七日市学園の生徒がいたでしょ。
あの人が十文字龍太郎さんといって、数学やパズルの天才にして、名探偵を目
指してる人。音無さんは、その十文字さんの命を受けて――って音無さん本人
の言葉だよ――、事件解決のため、話を聞きたいと頼みに現れたっていういき
さつ」
「あ、何か思い出した。当たり前みたいな顔をして、事情聴取を始めていたあ
の人ね。名探偵志望ってことは、やっぱり、ちょっと変人入ってる?」
「僕も詳しくない、というか、親しくないので……」
衣笠の問いに、言葉を濁すしかない七尾。そこへ無双が決め付ける調子で云
った。
「確実に変人でしょ。本人が直接来ないなんて。理由があって来られないとし
ても、電話で済むんだしさ」
「いや、それは」
と、七尾は十文字自身がここへ足を運べず、電話もしづらい理由を話して聞
かせた。ついでに、事件解決の実績があることも強調しておく。
「――なるほど。じゃあ、一応、前言撤回しておくわ。私達にとって他校生と
はいえ、年上だし」
「それより、七日市学園の名探偵が乗り出してきたってことは、私達にとって
ライバル出現な訳で、困るわ」
衣笠が眉間にしわを寄せ、困りを作る。芝居がかっているのは、この前の舞
台だけでは物足りないせいかもしれない。
「そういえば、電話でマジック探偵団とか云っていたけれど、本気でやるの?」
「だからこそ、こうして久しぶりに来たんじゃない」
「そうそう。事件解決の実績なら、私達にもあるんだし、自信を持っていいと
思うよ」
のりのりの二人。彼女らの目の輝きを前にして、七尾も決心した。
「よし、やろっか。――でも、天野君と法月君がいないよ」
「あの二人には、あとで伝えておく。問題は、一堂に会する時間が、マジック
の練習の合間ぐらいしか取れそうにないことね」
「僕が十文字さんに接近して、話す代わりに情報を得る。それをみんなにメー
ルか何かで伝え、一緒に考える。これでいいんじゃない?」
「うん、名案」
無双が大きく首肯した。
「どうやら出し抜かれてしまったようだよ」
放課後、十文字先輩の教室まで足を運ぶと、先輩は僕の顔を見るなり、切り
出した。
「いくら知り合いが巻き込まれていたからと云って、充分に観察する余裕をな
くしていたのは、名探偵としてあるまじき失態だった」
十文字先輩が何をこんなに悔しがっているかというと、警察が既に密室の謎
を解き明かした(らしい)ため。
五代先輩からもたらされた話によれば、捜査陣はまず、合鍵の可能性を潰し
た。市内にある鍵関係の店を虱潰しに当たった末、美馬篠高校体育倉庫の鍵を
持ち込んで合鍵作成を依頼した者はいなかったと結論づけた。
次に、現場となった体育倉庫を徹底的に調べた結果、天井近くの壁に通気の
ための小さな孔が設けられていた事実に着目。さらにその孔を通して、細いゴ
ムホースが倉庫内へ引き込まれていたという。後の聞き込みで学校の備品と判
明したそれは、長さにして二十メートル。
これとは別に、釣り糸が校庭の茂みの中から発見された。長さは約三十メー
トル。
ゴムホースを子細に調べてみたところ、内側に筋ができていた。ちょうど、
釣り糸を通して擦れることで付くような痕跡であったらしい。
これらの事実から推測されたのは、犯人は三十メートルある釣り糸の片端を、
勝手口のつまみに結び付けたあと、恐らくは滑りをよくするためにゴムホース
内を通して外へと出し、倉庫を脱出してから、釣り糸を引くことでつまみを倒
し、施錠せしめるというトリック。
「通気孔の位置、ドアとの角度、ゴムホースを通気孔のある高所に仕掛けるこ
とができるか否かといった疑問をぶつけてみたが、警察は実験済みだそうだ。
まさか、こんな推理小説めいたトリックを、警察がこうも早く見破るとはね」
「犯人も間が抜けていますね。苦労して密室を作った割に、釣り糸やゴムホー
スを放置するなんて」
「うむ。加えて、何のために密室にしたのかも、判然としない。針生を犯人に
仕立てたかったのかもしれないが、百田君が指摘した通り、詰めが甘い。ゴム
ホースにしても、摩擦軽減のためなら、二十センチもあれば充分だと思うんだ
がね。切るのが面倒だったか、切る道具がなかったのか……。計画性があるの
かないのか、よく分からない犯人だ」
「計画は立てたが、釣り糸だけで大丈夫と思ってたんじゃないでしょうか。実
際に仕掛けてみると、滑りが悪い。そこでゴムホースの利用を思い付いたが、
切る道具がなく、丸ごと使用した……」
「調べた訳ではないが、刃物ぐらい学校にあるんじゃないか? 鋸の一本や二
本。剪定鋏でもいい。工具箱には、ペンチがあったんだろ。それでも事足りる
んじゃないかな。ゴムホースを現地調達したのなら、刃物にも気が回りそうな
ものだ」
名探偵の否定に、僕は黙って自説を引っ込めた。代わりに、殺害方法に話題
を転じる。
「釣り糸といえば、殺害トリックにも用いられていたんですよね」
「うむ。警察の推定では、天井近くを横に走る柱を跨いで、片方の端には包丁
を結わえ、もう片方は金バケツの中に作られた氷塊で固定されていたというこ
とになっている。包丁は被害者の真上にセッティングされていた」
時間の経過とともに氷が溶け、包丁が落下、身動きを取れなくされていた葛
西の胸に突き刺さったと考えられている。勿論、警察が見付けたのは水を張っ
たバケツと、包丁の柄にある孔に付いた糸が擦れたような痕跡であり、その痕
跡から類推して釣り糸を倉庫内で発見したのだ。
「この仕掛けにより、犯人は犯行時刻にアリバイを得る狙いだったんだな。警
察に簡単に見破られるとは、予想していなかったのかね。僕が思うに、釣り糸
にはコンパクトだが重量のある物が、いくつか絡めてあったかもしれないな。
包丁一本だけでは、確実に殺せるかどうか、流石に不安を感じるだろう。僅か
でもずれれば、アウトだからね。それを補うために、重量物を絡めておけば、
脳天に直撃することで致命傷を負わせ得る」
「全身の打撲は、その痕だと」
「ああ。現場に鉄アレイが三つ四つ、転がっていたのを覚えている」
釣り糸さえ目にしていれば、十文字先輩も警察と同じ推理を、警察よりずっ
と早く組み立てていたに違いない。改めて、頼もしく感じられた。
それはさておき、警察が現時点で力を注いでいるのが、氷を用意し得た者の
炙り出し。学校外から調達するのはなかなか困難を伴うと考えられるので、美
馬篠校内にある設備を利用したのではないかと見ている。家庭科室に冷凍室付
きの冷蔵庫が、学食の調理場に冷凍庫があるらしい。だが、いずれかが使われ
たのかとなると、疑問が残る。前者は学園祭前日に故障が発生し、そのままに
なっていたし、後者は食材が常に保管されているため、バケツ一杯分の氷を作
るスペースがないという。
他方、針生さんと七尾さんそれぞれに手紙を渡した人物や、針生徹平を自称
した男の割り出しにも、重点を置いている。
こちらについてクロースアップされるのは、手紙の渡った順番だ。七尾さん
の証言によると、仮面の人物から受け取り、直後に現れた偽の針生に渡してし
まったことになる。一方、針生さんは手紙を、矢張り仮面をした者から渡され
たという。両者の証言から、各々の仮面の怪人は扮装や背格好が非常に似通っ
ており、同一人物と推測される。
――続く