AWC お題>スイス 1   永山


        
#348/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  09/08/23  23:54  (270)
お題>スイス 1   永山
★内容
 足を抜いて一歩進むだけで苦労する。とは言え、体力の衰えのせいにするに
は早すぎる。滝田星来(たきたせいら)には、まだ若く健康だという自信があ
った。
 雪の降るのが珍しくない地方ではあるが、今年の量は例年に比べてかなり多
いようだ。
 馴染みの屋敷の玄関に辿り着いたときには、息を弾ませていた。そんな彼を、
よく通る声が迎える。
「まあ、ようこそ滝田さん。ささ、上がって。今年も大いに楽しみましょう」
 上品な外見をした初老の女性が、笑みをたたえる。小柄だが、存在感に大き
さがあるのは、のんびりした調子だが通りのよい声に理由があるのかなと、滝
田は思う。
「よろしくお願いします、トメさん。以前のようにお元気そうで何よりだ。あ、
名字が変わっても、下は一緒だからトメさんでいいよね?」
「はい。斉藤トメ(さいとうとめ)になりましたが、トメで」
 笑みを広げるトメに、滝田も笑みを返す。
 トメは元々、派遣の家政婦をしていた。若い頃に一度離婚を経験し、その後
独り身のまま、何とはなしに人生を終えるのだろうと考えていた彼女にとって、
派遣先の主人からプロポーズされたことが大きな転機になる。その初老男性は
斉藤一栄(いちえい)といい、働き盛りの頃から投資で財をなし、裕福な暮ら
しをしていた。だが、家族に悉く先立たれた上、病が重なり、心身ともに参っ
ていた。どん底状態から救ってくれた家政婦に、好意以上の感情を抱いても不
思議ではない。トメは、お世話をしたのは仕事だから当然だし、病気が治った
のは言うまでもなく医者の功績だとして、当初は断った。だが、相手の再三に
渡る熱意溢れる求婚に折れ、一緒になることを承知した。
 斉藤一栄は本格推理小説の研究を趣味にしており、定年退職を機に、愛好者
の集まり「謎求会」を創った。いくつかの恒例行事を催すが、最大のイベント
は、年に一度の懇親会だと言えよう。会場は、ここ斉藤の屋敷と決まっていた。
冬ともなると交通の便が極端に悪くなるが、本格推理の世界に出て来そうな、
和洋折衷の大きな邸宅が会員らを惹きつけるのだ。
(今年で四年目か。さすがにもう、“雪の山荘”での殺人事件なんていう“期
待”はしなくなったけれども、それでも何だか胸躍るな)
 と、滝田が会に入ったばかりの頃を思い起こしているところへ、第三の声が
加わる。
「文字通り、“差”を付けられた訳よね、私」
 トメの後方、屋敷の奥から、黒のドレスに包んだすらりとした姿を現したの
は、赤井留美(あかいるみ)。元ファッションモデルで、今は、個人――主に
主婦――の発想から生まれた便利グッズを商品化する会社を営む。順調らしく、
ために結婚できないと嘆いていた。差を付けられた云々は、そのことを差すの
だろうと滝田は解釈した。
「お早いご到着ですね、赤井さん」
「私はいつもこんな調子でやってるわ。お久しぶり、滝田さん。少しお疲れの
ようね」
「まだ若いつもりなんですがね。日頃の運動不足がたたったかな。それに比べ
て、あなたは年齢を重ねないようだ」
「お世辞じゃないなら、ストレートに、きれいだ美しいと言ってほしいところ
だわ」
 冗談めかし、笑い声を立てる留美。その笑い方には、しわが面に浮かばない
よう気を付ける様が覗えた。
「あっ、聞こうと思っていて忘れていたわ。トメさん、他の人達には結婚した
と言ったの?」
 トメを見る留美の視線は、意外と穏やかだ。案外、当人は結婚に興味がない
のかもしれない。
「いいえ、まだ留美さんと滝田さんにしか。他の方々へは、今夜にもと思って
いたのですが、主人の一栄が……」
「そういえば、ご主人にご挨拶をしたいのですが、今、よろしいですかね?」
 向き直り、滝田が尋ねると、トメは申し訳なさげに目を伏せがちにした。
「実は、まだ帰って来ていないんですよ。お目当ての原書以外にも、思わぬ掘
り出し物があったと言って、ずるずる延びてしまって。そうこうする内に、あ
ちらも天候が悪くなって、今日は大事な会合だというのに間に合わなくなる始
末です」
 台詞を区切ると、深々と頭を下げた。
「あの人が不在の間は、私が精一杯、ホストを務めますので、ご寛恕ください」
「天気が相手では仕方ない。ミステリ好きが高じての原書収集ですしね。明日
にはお着きになる?」
「本人はそう申しておりましたが、あちらが晴れても、こちらの天気がどこま
で回復するか……」
「そうでしたか。まあ、私は時間の融通が利くので、長逗留が許されるのなら、
一栄さんの帰国を待ちたいものです」
「私の方からお願いします」
 再度、頭を垂れるトメ。そこへ被せるように、留美が声を張る。
「私はそう簡単に予定変更できない。だから、早く来なさい、滝田さん。とり
あえず飲まないと」
 言って、滝田の手を引っ張る留美。近くに寄ると、若干、アルコールの匂い
が。顔に出ない人なので気付かなかったが、すでに飲み始めていたようだ。
「荷物を置いてこないと。他の方で来られているのは――?」
「いいえ、誰も。独り手酌で寂しい時間を過ごしてたわ」
 トメは飲めない質なので、他の面々がいないのであれば、留美一人で飲んで
いるしかなかったろう。
「皆さんも、雪のせいで遅れてるんでしょうかねえ」
 荷物を持とうとするトメを、滝田は慌てて制す。
「そんなことしなくていいんですよ、トメさん。以前ならいざ知らず、今は」
「いいえ、そういう訳には。慣れていますし、私達の結婚を知らない他の方々
が来られたら、同じように振る舞わないといけませんからね。驚いてもらうた
めにも」
「しかし、今はまだいないのですから」
 ちょっとした押し問答の末、赤井留美から急かされたせいもあり、荷物を一
つずつ持って部屋に向かった。
 荷物を置いてエントランスに戻ると、留美の姿はなく、代わりのように新た
な来訪者がちょうど玄関ドアを開けるところだった。日本人男性とアメリカ合
衆国の白人男性の二人組だ。
「まあ、砂辺さんにサンドストロームさん。お待たせしてすみません」
「着いたばかりですよ。今年の雪は、また格別ですな」
 砂辺時夫(ときお)が、その大きくない体躯で胸をせり出すようにして声を
張った。玉の汗をかいているが、元気そうである。塾講師の彼が、この時期休
みを取れるのは三年に一度がせいぜいで、滝田もこの会合で顔を合わせるのは、
まだ二度目だ。
「初めてここに来たときを、思い起こしますか」
 滝田が微苦笑を浮かべながらそう言葉を向けると、砂辺は受け取ったタオル
を顔表面一周させてから、これまた微苦笑を浮かべた。
「あのときは来たというよりも、迷い込んだ、ですからなあ。疲労の程度が全
然違う」
 その場に居合わせた訳ではないので、滝田は話に聞いただけだが、砂辺とハ
ーレイ・サンドストロームが謎求会に入るきっかけは、迷い子だった。地質や
植生の調査で日本に来たというサンドストロームは、元からの知人であった砂
辺を通訳とし、この地を訪れ、森の中へ分け入った。冬とはいえ、珍しいほど
の大雪に見舞われ、方角は分かるのに進むべき道を見失う失態。果ては気力も
体力も低下してきたとき、森が急に開けたかと思うと斉藤家の屋敷が目に飛び
込んできた。一も二もなく、助けを求めて駆け出したという。
「あのときのスープの味は、今でも忘れられないうまさだった」
 当時まだこの屋敷の家政婦だったトメは、突然の来訪者にも慌てることなく、
あり合わせの材料――ベーコンとポテトとトマトとタマネギ――を使ったスー
プを手早く作り、二人に供したとのことだ。
 砂辺がそのときのことを話しているとの旨、サンドストロームに英語で聞か
せる。相手は鼻髭を一つこすり、「そうそう」と日本語の発音で応じた。ハー
レイ・サンドストロームは何度か日本に来ているが、日本語はほとんど解せな
い。話すのは片言にも達しておらず、読みは仮名のみ、書くとなるとからっき
しだ。
「それでは、今度の滞在中も、同じ物を出しましょうか」
「ぜひぜひ。こちらからお願いしたいほどだ」
 味を思い出したか、手のひらをこすり合わせる砂辺が、案内されて行く。サ
ンドストロームも続いた。
 滝田は彼らを見送ると、留美の居所を探して屋敷奥へ向かい、洋室の広間を
覗いてみた。
「やっと来たわね」
 留美がグラスを掲げ、歓迎する。透明なガラス製のテーブルを挟み、真向か
いのソファに収まる滝田に、彼女はいきなり問い掛けた。
「殺人トリックで、こういうのはどうかしら。孤島で探偵能力を競う大会が催
される。百名の参加者は外部との連絡禁止。もちろん、携帯電話を始めとする
機械の類は取り上げられ、主催者が一括して保管する。何日目かの朝、主催者
が携帯電話に埋まるようにして死んでいるのが発見される。目立った外傷はな
く、毒を盛られた形跡も見つからない。後の検査で心臓発作と判明するのだけ
れども、これが他殺だとしたらどのようにして犯人はなし得たのか?」
「……もしかして」
 馬鹿々々しい発想だと思いつつ、正解だった場合に備え、その感想は口に出
さない滝田。
「百台前後の携帯電話全てをマナーモードに設定し、一斉にメール送信した、
とかですか? 一つ一つは小さな振動でも、慣れない内は結構びくっとなりま
す。それが百ともなれば、通常の携帯電話の振動とは認識でないでしょう。恐
怖を喚起させるのに充分かもしれない。死に至るかどうかは、分かりませんけ
どね。主催者の健康状態次第かな」
「瞬殺ね。当たりよ」
 身体をソファに預け、留美はグラスの残りを煽った。
 謎求会では、こんな風にメンバー間でミステリ絡みの問題を出し合うのが、
日常になっていた。むしろ、これが楽しみで会合に出席する者も多かろう。出
来のよいトリックやストーリーを思い付けたら、有志で合作する計画があるた
めか、出し惜しみする雰囲気はない。
「普段、多忙な赤井さんらしい思い付きだからこそ、すぐに分かったんですよ」
「慰めてくれてありがと」
 会話を楽しんでいると、トメがお茶を持って入って来た。広がる香りで、滝
田の好きなコーヒーだと分かる。礼を述べた彼に、トメが付け加えた。
「お腹が空いてましたら、夕食まで時間がありますし、何か作りましょうか」
「いただきたいところですが、夕食を存分に味わいたいので。今は――」
 と、コーヒーカップに添えられた、棒状の菓子を手に取る滝田。
「――これで充分。……ん?」
 菓子の銀色をした袋を破こうとして、滝田の手が止まる。
 袋は元はいくつかが縦に連なっているタイプで、その一つをちぎり取った物
が、滝田の手の中にある。
「端が上下ともぎざぎざですね。トメさん、習慣を変えたんですか? お客さ
んに出すお菓子は、その日開封した物をと言っていたはず」
「いいえ」
 にこにこしながら首を横に振るトメ。
「以前と同じですよ」
「それじゃあ……」
 滝田は留美をちらりと見た。
「まさか赤井さんに、お菓子を出した?」
「冗談! 私は甘い物は、食後のデザート以外には食べない。宗旨替えしてな
いわよ」
 トメより早く、留美自身がまくし立てるように答えた。滝田はあごに手を当
てた。
「ということは……トメさん、赤井さん。お二人、私に嘘をつきました? 雪
をかき分け、やっと到着して一息ついたばかりの私に」
 ずばり尋ねると、トメは口元を手で隠し、ほほほと小さな笑い声を立てた。
「私は積極的には嘘をつかなかったつもりですが……お気付きになりました?」
「ええ、まあ。私の来る前にどなたかが――赤井さんの他にも、誰か来客があ
ったんですよね」
「はい。来客というよりも、メンバーの方々ですけどね」
 変わらぬ笑みで認めるトメ。対照的に、留美はちっと舌打ちし、表情をゆが
める。
「どうして感付いたの、滝田さん?」
「以前、これと同じ菓子を出されたときのことを、覚えていましたから。一番
乗りだった私に出たそれは、袋の片方の端が平らだった。つまり、いくつか連
なった菓子の最初と最後の一箇だけが、平たい端を持っているものと推測でき
る。対して今、私に出された菓子は両端ともぎざぎざでした」
「あら、嬉しい。こちらの意図した通り、読み取ってくれて」
 トメが空になったお盆を小脇に抱え、手を叩く。何のことやら理解できない
滝田は、留美に向き直った。留美は留美で、「だから、ヒントを出さずにやり
ましょうって提案したのに」云々と、不平そうだ。
「事態が飲み込めませんが、“私の知らないところで不正が行われている”っ
て気がするなあ」
 滝田が呟くと、女性二人はようやく説明してくれた。
「まず、滝田さんよりも早くここへ到着したのは、留美さんの他に、お三人い
ました。沖島(おきしま)さん、中立(なかだて)さん、世羅(せら)さん」
「この屋敷なら、隠れ場所には事欠かないでしょうね」
 呆気に取られつつ、平静を装い、応じる滝田。コーヒーが冷めるのも気にせ
ず、三人の顔を思い浮かべた。
 沖島志貴雄(しきお)は、見た目は骨張った痩身で、穏やかな表情と相俟っ
て頼りなげだが、空手の先生をしており、腕っ節は強い。よって好みの推理小
説もハードボイルドかと思いきや、学園ミステリだというから分からない。
 中立は下の名を中(あたる)とするペンネームで活躍するイラストレーター。
本名は麗子(れいこ)といい、文字通り、見目麗しい顔をしている。首から下
は職業上の理由から来る運動不足でぽっちゃりしており、前回会ったときは、
トレーニングに付き合ってくれる彼氏募集中だと公言していた。
 世羅永邦(ながくに)は白髪頭が見事な内科医で、屋敷の主人、斉藤一栄を
診たのが縁で、謎求会に加わった。病院の方は息子に任せ、趣味を満喫してい
る。“健康を気にしない医者”を自任していて、息子に代を譲ってやっと存分
に喫煙できるようになったと苦笑混じりに語るのが口癖だ。
「で、五人で私を引っかけようとしていた?」
「五人じゃなく七人よ」
 留美が嬉しそうに訂正した。二人増えたということは、あとから到着した砂
辺とサンドストロームも、一味の仲間らしい。
「嫌われてる訳じゃないから、安心して。この間の犯人当てで優秀すぎる成績
を残したあなたを、一つやっつけてみようって相談がまとまったの」
 この会合を謎求会の冬のメインとするならば、夏のメインは犯人当てだろう。
メンバーが順番に出題を担当して犯人当て小説を作成、各会員のもとへ事件篇
が郵送される。出題者以外の面々は探偵を気取り、夏の終わりまでに推理を文
章にまとめた物を送り返すのだ。
 今夏は斉藤一栄が力作でもって挑戦してきた。結果は、滝田以外の者は何が
手掛かりかさえ掴めず、白旗を掲げた。逆に滝田は一栄の仕掛けを悉く見破り、
完膚無きまでにねじ伏せた。
 そんなことがあって、皆は滝田の推理小説能力(推理力ではない)を讃えつ
つも、能力の再確認という名目で団結、冬の会合にて計画を決行することにな
ったという。
「私が思うに、本格ミステリにはフェアプレイの精神がなければいけません」
 トメが言う。
「滝田さんを試すために、嘘の殺人事件を起こすのであれば、まず『これから
起きることはお芝居ですよ』というシグナルを発して差し上げるのが、フェア
プレイというもの。そう提案し、皆さんに承諾していただいたのですよ」
「渋々だけれどね」
 留美が付け加えた。右手で、空にしたグラスをもてあそんでいる。
「しっかし、まさかこうも簡単に見破られるなんてね、予想外。やっぱり最後
まで反対しとくべきだったわ」
「それは悪いことをしたなあ」
 滝田はコーヒーにやっと口を付けた。
「準備していた皆さんに申し訳ない。気付かないふりをして、このまま続けま
しょうか」
「そういうのはちょっと……」
 返答に困る様子のトメに、滝田は続けて言った。
「さっき言っていましたよね、殺人事件を演じるつもりだと。私はそれがお芝
居と知っただけで、内容に関してはまだ一切知りません。推理劇を観るつもり
で、挑戦したい気持ちがふつふつと。折角の準備を無駄にするのも何だし、全
員、状況を把握した上で、フェアにやりませんか」
「そうおっしゃってくれるのなら……どうしましょう?」
 留美に話を向けるトメ。即座に、別にいいんじゃない?という返事があった。

           *           *

 いきなり、二人の犠牲者を出して、事件は幕を開けた。
 犠牲者の一人は、ハーレイ・サンドストローム。あてがわれた部屋で、床に
仰向けに倒れて死んでいた。朝の八時過ぎ、いつまで経っても食堂に姿を見せ
ない彼を起こしに、トメが部屋まで行き、見つけた。死亡推定時刻は、世羅医
師の見立てによれば、午前0時から二時までの間。死因は腹部を鋭利な凶器で
刺されたことによる失血死。凶器とおぼしき文化包丁が、遺体のそばに落ちて
いた。この包丁は台所の棚にあることを誰もが知っており、また、誰もが持ち
出せた。
 いま一人の犠牲者は、赤井留美。彼女もまた朝食の場に現れないのを不審に
思われ、トメが呼びに行ったが、前述の通り、トメはサンドストロームの遺体
を見つけたため、それどころではなくなった。無事を確認すべく留美の部屋に
駆けつけたのは、滝田自身と砂辺であったが、そこはもぬけの殻。ならばとそ
のまま二人揃って探し続けた結果、一階の図書室で後頭部から血を流し、絶命
した留美の発見に至る。こちらは撲殺であったが、凶器は未発見。世羅医師は
死亡推定時刻を、午前一時から三時までと見積もった。
 それぞれの事件について、全員のアリバイ調べが行われ、第一の殺しでは、
アリバイのある者はなく、第二の殺しでは、トメと滝田のみ、アリバイが成立
した。
 そして、二人の被害者には、共通点があった。
 ダイイングメッセージを残していたのである。

           *           *

――続く




 続き #349 お題>スイス 2   永山
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