AWC お題>ネットビジネス 上   永山


        
#300/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  06/09/18  23:59  (381)
お題>ネットビジネス 上   永山
★内容
 夜と言っても週末ではないから、店内に客はまばらだった。
 ふらりと立ち寄ったバーで一人、飲んでいると、妙齢の美女に声を掛けられ
た。恐らくそのときの自分は年甲斐もなく目尻を下げて、にやにやと締まりの
ない顔をしてしまったことだろう。肩まであるブロンドに大きな胸と、好みに
ぴたりと当てはまったせいもある。
 彼女もまた一人で、話し相手を探していたと言った。無論、大歓迎で隣の席
に座ってもらう。こちらに断る理由は何もないのだから。
 自分のような老齢の男に話というから、悩み事の相談でもあるのかと予想し
ていたのだが、言葉を交わす内にどうも違うらしいと知れた。
 彼女は私に関心があるかの如く、私自身のことを聞いてきた。それがいつま
でも続くものだから、これは話のとっかかりとしてではなく、本当に私に興味
を持っているような気がしてきた。こちらは端から気分が高揚しており、気前
よく答えていたのだが、興味を持たれたと思うと一層、口が滑らかになった。
「ふうん。じゃあ、今はお一人なの。寂しくはない?」
「一時的に落ち込みはしたがね。家にこもりきりになることはなかった。幸か
不幸か、身体だけは丈夫で、こうして夜、外出し、少々のアルコールをたしな
む。これで充分に紛れる」
 美女からの誘いらしき問い掛けにこの返答は、格好を付けた訳ではなく、亡
き妻のメアリーを思い出し、ブレーキが掛かったのだ。
「それだけお元気なら、もしかするとまだ現役で働いてらっしゃる?」
「いやいや、とうに引退した身だよ。メアリーの遺してくれた資産と生命保険
とで、贅沢さえしなければ充分に暮らして行ける」
「妬けてしまうわ。二言目には、奥様の名前を聞かされるなんて」
「もちろん、君に魅力を感じない訳じゃない。今はそういう気分になれないだ
けでね」
「ああ、私ってば、つきがないわ。あなたを陥落させて、その財産をいただけ
るチャンスがあったのに、今夜はだめだなんて」
 冗談めかした口ぶりで言ったあと、続けて笑う彼女。私もつられて笑った。
「それが本心だとすると、こっちは運がよかったことになるのかな」
「さあねえ、どうかしら。運と言えば、占いには興味あって?」
「占い? 女性のものだろう、あれは」
 率直な感想を述べると、彼女も髪を揺らしてうなずいた。
「ええ、そういうイメージでしょうね。私もご多分に漏れず、得意の占いがあ
るの」
 言いながら、彼女はセカンドバッグの口を開け、万年筆と紙を取り出した。
万年筆は量販店でよくあるタイプが一本、紙はドル紙幣二枚を縦に並べた程度
の物が一枚。店内の照明が暗いため、色はよく分からない。それらをカウンタ
ーの上に置くと、さらに言葉を重ねてきた。
「東洋の占いに、姓名判断というのがあるでしょ。ご存知?」
「生憎、詳しくないので、分からない」
「知らなくてもいいの。私達西洋にも同じように、名前で運勢を判断する占い
がある。名前の一文字一文字に数を与え、それの組み合わせを元に様々なこと
が分かるのよ」
 そして彼女は、紙と万年筆を私の前に押しやった。
「あなたもいかが。お代はいただきませんから、安心して」
「ふむ……」
 東洋云々と前振りがあったせいか、エキゾチックなものを感じた。占いを信
じる質ではないのだが、彼女の目を見ていると、この雰囲気を楽しまないのは
馬鹿だとさえ思えてくる。
「面白そうだ。名前を書けばいいんだね?」
 私は万年筆を手に取った。キャップを外しつつ紙に視線を落とすと、その中
ほどにはすでに一本の線が鉛筆で薄く水平方向に引かれている。
「その線の上に、筆記体で書いてくださる? 大きめに、はっきりと」
「いいとも」
「考えてみれば、私達、お互いにまだ名乗ってもいなかったわ」
 彼女はさもおかしそうに、くすくすと笑った。
 私の方は別段、名乗り合わなかったことを不思議に感じなかった。たとえ関
係を持つに至ったとしても、今宵限りとの意識が頭のどこかにあったのだろう。
「私の名前はデイビー=アレクサスよ。あなたは……レジナルド=ホブソンと
仰るのね」
 私が書いた紙を渡すと、それを読みながら彼女――デイビー=アレクサスは
言った。いつの間に用意したのか、鉛筆を手にしている。それを使って、私の
名前の周りに、数字を書き込んでいった。
「あなた自身の今後を占う前に、お聞きしたいんだけれど、奥様のメアリーと
いう綴りは、ごく一般的なもの?」
「そうだね。それが?」
「やっぱり、私が入る余地はなかったんだわって、思い知らされたところよ。
姓名判断に寄れば、レジナルド=ホブソンとメアリー=ホブソンとの相性は最
高なのだから」
「ほう、そうかい」
 嬉しくもあり、残念でもある。その占いが正しいのだとしたら、今後、メア
リー以上の女性と知り合うことはほぼ皆無となる。三十年ぐらい生きるつもり
なのだが、少し寂しい。
「さて、気を取り直して」
 見た目で言えばメアリー以上のアレクサスは、髪をかき上げてから、色々と
語り始めた。難しい言い回しもあったが、要するに健康や安全の面で私は非常
に良好であると告げられた。金銭面はまずまずで堅実に行くことを勧められ、
異性関係を含めた交友面では今よりも積極的になるのが吉であるとされた。
「と言っても、私に対して積極的になれと促している訳ではありませんので。
念のため、ご注意を」
 拗ねたような口調で最後を締めくくるアレクサスを、私は微笑ましく感じた。
最初は熟成した大人のイメージを抱いたのだが、今は大学生か下手をすると高
校生のようにも映る。プリズムを思わせる変化(へんげ)ぶりだ。
「多分、当たっていると思うわ。だから、私が言ったことを心に留め置いて、
明日から、ううん、現時点から行動してみて」
「分かったよ。そう心掛けるとしよう」
 鉛筆と万年筆、紙をハンドバッグに仕舞うアレクサスに、私は笑み混じりに
返事した。
 と、ここまではなかなか楽しい時間が過ぎていたのだが。
「ちょっと失礼しますよ」
 声に振り返ると、上背のある白人男性が私とアレクサスの後ろ、その中間に
立っていた。えらがやや張っているが二枚目の部類に入るであろう。歳は三十
代半ば辺りか。その割に、声は落ち着いた感じに聞こえた。スーツ姿だがノー
ネクタイで、リラックスした空気を纏っている。
「何だね、君は」
 ほろ酔い気分だったこともあり、私の口調はいささかぞんざいになった。ア
レクサスの前でいいところを見せたい、という気も多少あったのは確かである。
 ところが、そのアレクサスの様子がおかしい。見知らぬ男が割って入って来
て怖がる、というのなら分かるが、彼女の反応は明らかにそれとは違う。丸椅
子を半回転させ、男の方を見上げているのだが、小さな背もたれに身体を押し
付ける姿は、この男を前から知っているとしか見えない。その態度と言い表情
と言い、“いやな奴に出くわした”と物語っている。
「会話を中断させてしまい、すみません。私はこちらの女性にほんのちょっぴ
り、用があるのです」
「あ、ああ。かまわんよ」
 穏やかな物腰に何故か気圧され、私は応じた。
 男はアレクサスのハンドバッグに手を置くと、勝手に開けた。
「鉛筆と万年筆は君の物だが、紙まで持って帰る必要はあるまい?」
「……分かったわ」
 椅子を降りるアレクサス。占いに使った紙を除き、ハンドバッグを取り返し
た彼女は、呆気に取られる私の前に立つと、頭を軽く下げた。
「今夜は楽しかったわ。でも、もう帰らないといけないので」
 そうして、こちらから声を返すいとまもなしに、勘定を済ませ、出入り口の
方へと消えた。私に最後に見せた表情こそ微笑を浮かべていたが、他は逃げる
ようにという形容がふさわしい焦りようだ。
「楽しい時間を終わらせて、申し訳ない」
 男が言った。見ると、空いた席を指差し、「よろしいですか」と聞いてきた。
先程のおかしな雰囲気の理由を知りたく、私は承知した。
「どうも。これはあなたにお渡ししておきますよ」
 占いに使った紙を、私の手に握らせる。どうしろと言うのだろう?
 注文を済ませ、酒を受け取った男は、「まずは乾杯させてください」とグラ
スを当ててきた。
「私はジン=アウターランドと言います。ホブソンさん、どうぞよろしく」
「……」
「ああ、そんな怪訝な顔をしないで。実を言うと、さっきの女性はチェック=
ザ=ペギーの名で通る詐欺師なんです」
「え? しかし、彼女はデイビー=アレクサスだと……」
 口に運び掛けたグラスを止め、私はいっぱいに見開いた目でアウターランド
を見返した。
「無論、偽名です。本名で詐欺を働く輩などおりません」
「では、いかにして詐欺を働こうとしたのだ? 確かに、いい気になった私は、
大まかな資産状況をぺらぺらと喋りはしたが……」
「答はあなたの手の中にあります」
 彼の台詞に、私は自らの手をじっと見た。渡された紙を握っている右手を。
「この紙が詐欺に使えるのかね」
「ええ。特殊な技術を要しますが、ペギーにはその腕がある。彼女は名前の書
かれた紙を元に、小切手を偽造するのです」
「紙切れを小切手に!? それは何というか……凄い」
 想像しただけで、感嘆させられた。そんな私を見て、アウターランドは苦笑
した。
「その技術を他の真っ当なことに活かせばいいのに、といつも思います」
「アウターランドさん。あなたは一体何をされている方なんですか。もしや、
警察……?」
 こちらの送った値踏みするような視線を、彼は微笑で受け止め、否定した。
「そのようなご立派でお堅い職ではありません。調査員、平たく言えば探偵に
なりますか」
 アウターランドは名刺をくれた。彼の名前とコンビッグ・リサーチなる社名
が大きく刷り込まれている。肩書きは所長となっていた。
「詳細は、そこにあるURLにアクセスしてもらえれば分かります。ホブソン
さんはインターネットは?」
「あちこち見る程度なら。あとはメールぐらいだな。それよりも所長ですか。
お若いのに」
「今でこそ大勢の部下を使う立場になりましたが、元は相棒と二人で始めたも
のでしてね。CONBIGという名称には、彼、アイバン=ウォードの頭文字
Iと、私のジンの頭文字Gがコンビを組んだという意味も込められています」
「コンビネーションは確か、Nではなく、Mだったと思うが……」
「ストレートにCOMBIGでは面白くない、一緒に(CON−)でかいこと
(BIG)を成し遂げようぜという意味もまたあるんですよ。アイバンの出し
た洒落っ気でした。志半ばで彼は亡くなりましたが、現在の私を見れば文句を
付けることはないでしょう」
 明るい調子でさらっと言ったアウターランド。知らなかったとは言え辛いこ
とを思い出させてしまったかと、私が次の言葉を探していると、彼はすっくと
席を立った。
「しばし失礼。元々、用足しのためにこの店に入ったのに、ペギーのせいですっかり忘
れていましたよ。ははは」
 彼はバーテンに聞いてから、トイレへ向かった。
 興味深い人物だと思った。詐欺に引っ掛かる寸前を救われたことに感謝して
いるのは言うまでもないが、彼に抱いた好印象はそれだけが理由ではなかった
。親しみの持てる表情に会話の巧みさ、立ち居振る舞いも洗練されているよう
に見える。スーツも靴も高級品らしかった。
 調査員とはそんなに儲かるものなのか……。
 ふっと考えたそのとき、アウターランドの座っていた椅子に、革製の財布が
あるのが目に留まった。結構厚く、膨らんでいる。手に取るまでもなく、いく
らかの札とたくさんのカード類が詰まっているのが分かった。
 グラスには飲み物が残っている。まさか場所取りのために財布を置いていっ
たとは考えられない。
 案外、抜けている一面もあるのかもしれないな。
 そう思った矢先、アウターランドが戻って来た。心なしか、行きしなよりも
急ぎ足のようだ。
「私の財布は――ああ、よかった」
 椅子の上に財布を見付けると、焦燥感がすっと消え、最初の快活な表情にな
った。拾い上げ、ポケットにしっかりと仕舞い込んでから座る。
「いやあ、焦りましたよ。ハンカチを取り出すつもりが、財布の感触がないん
ですから」
「優秀な調査員も、ここら辺は凡人と変わりありませんな。さっきのあなたの
顔は、なかなかの見物だった」
「そりゃあもう、血の気が引いたというやつです。仕事上の大事なメモも入っ
ていますしね。ここで落としたんじゃなければ、今日一日のルートを遡らねば
ならないとこだった」
 身振り手振りを交え、おろおろする様を表情豊かに表すアウターランド。ユ
ーモアも持ち合わせていると分かる。
「それにしても、調査員という仕事は儲かるようですな。服装もそうだが、財
布自体、いい品物のようだったし、中身の方も羨ましいほどに詰まっていた」
「身なりをきちんとしておかないと、入れない場所が多々ありますからね。逆
に、砕けた格好じゃないと潜入できない場所もある。ケースバイケースです」
「しかし、大勢の部下を使う立場だと言った。やはり儲かっているに違いない」
「そうですね、それなりに繁盛しているのは事実です。認めましょう」
 アウターランドはここで急に周囲を気にする風に、目線を店内に走らせた。
さらに声を潜める。
「ホブソンさんはお金儲けに興味がおありで?」
「ない人はいないと思うが」
 つられて小声で答える。相手は一段と低めた声で応じた。
「ペギーに狙われるくらいだし、資産はそれなりありますね?」
「まあ、慎ましく暮らす分には」
「少し贅沢ができる程度に増やしてみるおつもりは、ないでしょうか?」
「……面白そうな話ですな」
 彼の言動から、何か特別なやり方を持ち掛けられていると直感した。
「では」
 アウターランドは、酒の残りを呷った。次に彼の口から出た声は、元の音量
になっていた。
「場所を移しましょう。私の泊まっているホテルへ。部屋からインターネット
ができるから、説明をしやすい」

 ワンブロック行った先にあったホテルもまた、かなりの高ランクだった。入
っているバー一つとっても、先程まで我々がいた店よりも立派なぐらいだ。
 彼の泊まる部屋は七階の七号室。縁起を担いだのかと思いきや、単なる偶然
だそうだ。
「大事な話なので、アルコールはお出しできませんよ」
 広い部屋の中央、テーブルを挟んでソファに収まった私とアウターランドは、
酔い覚ましのブラックコーヒーを片手に、話を始めた。彼が話し手、私は聞き
手だ。そして彼の手前には、ノートパソコンがある。
「さて、ホブソンさん。これからお話しすることは他言無用で願います」
「分かっている。でも、口約束しかできない。あなたに信頼してもらうには、
どうすればいいのやら」
「言葉による約束だけで充分です。私はすでに信頼していますよ。ペギーに引
っ掛かりそうになるほど素直だし、私の落とした財布を見ても手を伸ばさなか
った。正直者である証だ」
「それはどうも」
「――よし、つながった。まずはこれを」
 ノートパソコンの画面をくるりと返し、こちらに向けるアウターランド。
 そこにはコンビッグ・リサーチ社のサイトが表示されていた。最初のページ
に、小さいながらも彼の笑顔の顔写真がある。文字通り、ジン=アウターラン
ドが“顔”なのだろう。
「現在の社の状況、実績のリスト、その他諸々、疑問に思われるところはクリ
ック一つで分かるようになっています。気の済むまで、ご覧になってくださっ
て結構ですよ。あなたに私を信頼してもらうためにもね」
「うーん、いや、これだけでいい。このページを見ただけで立派な会社だと感
じるし、何よりもあなたは私をペギーから助けてくれた。第一、信頼していな
ければ、こんな夜遅くにここまで着いて来やしませんよ」
「ありがとう。それでは次の段階へ。ここからが本題かつシークレットな領域
になる」
 彼が操作をすると、新たなサイトが表示された。株取引、いわゆるオンライ
ントレードのサイトらしい。
「ホブソンさんは、株のご経験はありますか」
「それが全くない。ギャンブルは嫌いじゃないんだが、株となると、メアリー
が――亡くなった妻があまりいい顔をしなかったこともあってね。大金を動か
すというイメージがよくなかったようだ」
「それはお若い頃の話では? 今なら手数料も下がり、少額の取引でもネット
を通して手軽にできます」
「うむ。話には聞いているし、関心はなくないんだが、何せ、元本が保証され
ないどころか、下手を打つとゼロになるというのはやはり恐い」
「それでは、どうしましょうか……少し、株で儲けることを体験してもらいま
しす」
 アウターランドは両手を合わせてぽんと音を鳴らすと、例の財布を引っ張り
出し、入っていたメモを一瞥した。どんなことが書かれているのか、その内容
は私からは全く窺えなかった。
「今の時間帯、市場が開いていて、なおかつ条件にぴたりと合うのが一つだけ
ありました」
「あの、アウターランドさん。体験と仰ったが、私の持ち合わせは百ドルもな
い。家に帰れば調達できるが……」
 不安の声を上げると、アウターランドはこちらを安心させるような笑みを返
して来た。
「今回はお試しです。そうですね、名目は……先程のバーで、あなたから美女
との楽しいひとときを奪ったそのお詫びとして、千ドルまでお貸しします」
 そう言って、彼は実際に千ドル分の札を数え、机に置いた。
「これから動かすのは、ネット上にある私の口座から引き出して使います。テ
ーブルに出したのは、まあ、分かり易くするためだと思ってください」
 喋る間も、彼の手は素早くキーを叩く。画面は彼の方に戻されているので、
何がどうなっているのかさっぱり分からない。
 そんな私の様子に気付いたアウターランドは、「こちらへどうぞ」と促して
くれた。私はソファから腰を上げ、彼の側に回った。
「これ、J国の株式市場です。あと一時間あまりで閉じてしまうから、急ぎま
しょう」
 彼は株式の銘柄を表すらしいコードを打ち込み、注文を出した。通貨単位が
分からないが、九百株の買い注文を出したことだけははっきりしている。
「分かり易く換算すると、一株およそ一ドル十セントの銘柄を九百――ああ、
買えました」
 説明するそばから取引が成立したらしい。アウターランドは再び素早い操作
を行いつつ、「今度はこれを一株およそ二ドル二十セントで売りに出します。
もう少し行けるかもしれませんが、欲張らないでおきましょう」と言った。
 だが、その直後、株価は一段と下がった。下向きの矢印が表示されるのだか
ら、私にも簡単に理解できる。
「大丈夫かね、アウターランドさん」
「予想の範囲内です。私は、絶対確実な情報だけを元に動きます」
 今、ちらりと漏らした言葉から、彼が何らかの裏情報を掴んでいるのだと確
信が持てた。なるほど、それなら儲かるだろう。
「上昇に転じましたよ」
 その言葉をきっかけにしたかの如く、株価は上がり始め、三十分ほどが経っ
た頃には我々の九百株が希望の価格で売れた。
「これで、売買の手数料を差し引いて、千ドル近い儲けが転がり込んできまし
た。あなたに差し上げますよ。テーブルの千ドルをお受け取りください。お貸
しした千ドルは、こちらの口座に戻しておきます」
「……いいのかね」
「はい。あなたにお貸しした千ドルを私が再びお預かりし、運用して二千ドル
とし、利益分の千ドルをあなたが受け取った、ただそれだけに過ぎない。たっ
た四十分程度の出来事ですし、私自身の手数料は不要ですよ、ホブソンさん」
 彼の返答を受け、とりあえず千ドルはもらっておくことにした。
「しかし、私もこの歳だし、株の仕組みぐらいは承知している。この場合、肝
心なのはあなたの掴んでいる情報ではないか?」
「よくお分かりで」
 彼はノートパソコンの電源を落とすと、これまでになく秘密めかした態度に
転じ、口を開いた。
「先程も言いましたが、私は調査員を長年続けてきました。その過程で、色々
なコネができたり、色々な情報を得たりしてきた。その一つに、世界各国の株
式市場で荒稼ぎをする、国際的な仕手集団組織とのつながりを得たのです」
「ははあ……」
「莫大な資金力と際立った協調性により、狙いを定めた株の価格を思うがまま、
それこそ自由自在に操る。その結果、大金を得るのが彼らのやり口です」
「アウターランドさんも組織の一員なのかね」
 尋ねる口ぶりに、恐る恐るといった響きが多少入ってしまった。
 が、アウターランドは例の笑顔を見せ、片手を激しく振った。
「いえいえ。私はそこから漏れてくる情報をこっそりさらってくるだけです。
何月何日、どこの市場の何という銘柄をどこまで下げ、どこまで上げるか。そ
ういう情報を時折、得ることができる立場に、私はいる」
「法に触れる?」
「ですから他言無用と念押ししました。組織の上の方にばれても、こちらは危
険にさらされるかもしれません」
「うむ……つまり、私自身も後戻りはできないということか」
「少しニュアンスが異なりますね。他言無用を通してくださるのならば、投資
を無理強いをすることはありません。チャンスを看過していただければ、ホブ
ソンさんに害が及ぶことはないでしょう」
 唇を結んで、しばらく沈黙した。肝を据える必要があった。
「法に触れること自体は、そんなに気にしていないんだ。大した罪には思えん
し、株式市場で誰かが得をすれば誰かが損をする、そういうものだと考えてい
る」
 私は私自身を説得するために、こう言ったのかもしれない。
「行くも引き返すも、決めるのはあなた自身です。ただ、決断までの猶予はあ
まりありません」
「というと?」
「私は四日後、この街を発ちます。ですから、三日以内に決めてください。し
かも、その三日の間にチャンスが訪れるかどうかは分かりません。早ければ早
いほどいい」
「アウターランドさんが発ったあと、こちらから送金するというのではいけな
いのですか」
 自然と丁寧な言葉遣いになっていた。相手はとんでもないとばかりに首を横
に振った。
「巨額の送金は目立ちますからね。なるべく証拠を残したくないのです。現金
を直接、持ってきていただく必要があります」
「では、チャンスがあるかどうか分からないとは? さっき、あなたがやって
見せたのは、いくつかある情報から適切な一つを選んだように見えたが」
「先程のお試しは少額でしたから、問題なく、言い換えるのなら気兼ねなく行
えました。目立ちませんからね。これが数十万、数百万ドルとなると、事情が
違ってくる。組織にしろ、司法にしろ、連中から注目されるとまずい」
 新たな質問にもよどみなく答えるアウターランド。
「我々が大きな額を動かしても目立たない状況が見込めるとき、つまり大規模
な仕手戦を組織が仕掛けるときが、私の言うチャンスです。分かってくださっ
たでしょうか?」
 確実に儲けるには、彼の言う通りにすべきなのだ。そう悟った。
「分かりました……アウターランドさん。話に乗ります。この三日でチャンス
が巡ってくることを期待して」
 私がそう返事すると、アウターランドは小さく首肯し、若干身を乗り出して
握手を求めてきた。応じた私は、彼の表情を見る内に安心感を得た。一歩を踏
み出した不安は、どこかにかき消えた。
「よく決心してくれました。私もチャンス到来を祈りますよ」
「それで、アウターランドさん。いかほど工面すればよいのでしょう? さっ
き出た数百万ドルはとても無理でして、私が用意できるのは家屋敷などを処分
しても五十万ドルがせいぜいだ」
「いけませんよ、ホブソンさん。よほどのことがない限り、現金以外の財産に
手を着けてはいけません。現実問題として、換金の時間がないというのもあり
ますが、手持ちの現金だけで勝負してください」
「それなら三十万ドルぐらいかな……」
「結構です。実は、十万ドルを一口として、出資者を密かに募っていたのです
よ。あなたをお誘いしたのには、そういう事情がありましてね。計画では全体
で一千万ドルで、九百八十万ドルまで埋まっています。残り二口なんですが、
どうします? ホブソンさんがお望みなら、あと一口分、十万ドルの上乗せを
検討します」
「ううーん」
 ありがたい申し出に、唸り声を発して悩んだ。二十万ドルあるのは確実なの
だが、三十万ドルとなると微妙だ。ぎりぎり足りないかもしれない。
 そのことを伝えると、アウターランドは張ったえらの辺りを撫でつつ、室内
をうろうろと歩き回った。
「二十九万ドルは間違いなくありますか?」
 足を止めず、目だけを向けて聞いてくる。私が「それは確かです」と明言す
ると、アウターランドは立ち止まり、ぽんと手を打った。
「でしたら、不足分の一万ドルは私が出しましょう。もちろん、あなたへの分
け前は三口分ではなく、出資額に応じて正確に計算しますがね」
「それで結構です。ありがたい、感謝しますよ」
「こちらこそ、ありがとうと言わせてください。よく決断してくれました」
 私達は再度、しっかりと手を握り合った。その力強さが頼もしかった。

――続く




 続き #301 お題>ネットビジネス 下   永山
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