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★タイトル (lig ) 06/09/01 20:35 (367)
箱の中の猫と少女と優しくて残酷な世界[05/10] らいと・ひる
★内容 06/09/04 20:30 修正 第2版
■Everyday magic #4
カメラのシャッター音がした。
学校帰りに公園の前を横切った所で、ありすは音に気付きそちらを見て立ち止ま
る。
大きな一眼レフカメラを構えて、一人の男がこちらをレンズ越しに見つめている
ようだ。
初めは風景でも撮っているのだろうと思っていた。だけど、立ち止まった彼女が
歩き出すとレンズもそれを追いかける。
不審に思った彼女は再び立ち止まる。レンズはそれに倣って動きを止め、シャッ
ター音を吐き出す。
なぜ自分など撮すのだろう。疑問に思い首を傾げていると、男はカメラから顔を
離しありすに近づいてくる。
どこかで見たような気がした。小太りで大して暑くもないのに額から汗が吹き出
ていて……。
「……」
ありすは反射的にくるりと男に背を向け、逃げ出そうと足を踏み出したところで
呼び止められる。
「アリスちゃんだよね」
背筋に悪寒が走った。
誰?
ありすは見ず知らずの男に名前を呼ばれた事を薄気味悪く感じていた。
首だけ振り向いて、苦笑いをしながら男を観察する。二十歳くらいだろうか、油
でベタついた長い髪を後ろで縛っている。
知り合いではないはずだ。前にネコ耳を付けた時に声をかけられたあの男と同一
人物かどうかも、ありすには思い出せない。もし同一人物だとしても赤の他人には
変わりはない。
「なんであたしの名前知ってるんですか?」
苦笑いはそのまま顔の筋肉を引きつらせていく。彼女はなんとか冷静に言葉を紡
ぎ出した。
「いや、こうしてお話するのは初めてかもしれないね」
そう言って男は名刺を出す。
名刺には『Tweedledum』とあり、その下にhttpから始まるウェブアドレスのよう
なものが書いてあるだけだ。だが、目の前の男は典型的な日本人にしか見えない。
ありすが名刺と男を見比べて首を傾げていると、それに気付いたかのように呟く。
「『トゥイードルダム』。呼びにくかったら『ダム』って呼んでくれていいよ。サ
イトでの管理人名だから」
「あの、どちらさまでしょうか?」
ありすは警戒しながらそう訊いた。名刺を渡されたので、カメラマンか雑誌の記
者かと思ったのだが、それも違うらしい。
「アリスちゃんの写真」
男は唐突に言葉を吐き出す。どうも会話が噛み合わない。
「へ?」
「サイトに載せてもいいかな。ボクのサイトね、一日千くらいしかカウンタ回らな
いけど、結構評判はいいんだよ」
「困ります」
ありすはインターネットがどんなものかくらいは知っていた。そんな所で自分の
写真を晒されるなんて許可できるわけがない。
「そう、残念だな。じゃあ後で、ありすちゃんところに今まで撮った分送ってあげ
るね」
男はそう言ってニヤリと笑った。
「え?」
メモ帳を取り出してありすに質問する素振りはない。まるで、既に彼女の住所を
知っているともとれる。そう考えるとぞくりと背筋が凍えた。
それとも、またこの公園で出会った時に渡すという意味なのだろうか。
ありすは二度とこの男には近づきたくなかった。それは本能がそう告げているの
だ。今だって、逃げ出したい気分なのだから。
その時、沈黙を守っていたホワイトラビットが叫ぶ。
「いかん! 邪なるモノの気配が増大している。近くにいるぞ」
「まさか、アレを付けろっての」
ありすは小声でホワイトラビットに問いかける。『アレ』とは言わずもながらマ
ジックアイテムであるネコ耳付きのカチューシャだ。
「当たり前じゃ、敵を目の前にしてわざわざ見逃すこともあるまい」
ホワイトラビットの立場ならそれは当然の指示であろう。でも、ありすには躊躇
せずにはいられない。
「だって、普通の……普通じゃないかもしれないけど、一般人がいるんだよ」
「言ったじゃろ、奴らは人間を害すると。今すぐ排除せねば、その一般人にも被害
が及ぶ」
「やだよ。あんな変な人、助けろっての」
思わず本音が溢れてしまう。ありすは目の前の男に対して良い印象を持っていな
い。
「それが魔法使いの宿命じゃ」
ありすは泣きそうになった。というか、涙目にはもうなっていた。「魔法を使い
たいって思わなければよかった」と小声で愚痴をこぼしながら、半ば自棄になって
肩に下げたトートバックからネコ耳付きのカチューシャを取り出して装着する。
「おお!」
目の前の男が仰け反るように興奮していた。「キター」と奇声を発しているよう
な気がするが、そんな事に構っている場合ではない。ありすは注意深く周囲を索敵
する。
「いないよ」
空中を浮遊しているような化け物は見あたらなかった。ありすはホワイトラビッ
トだけに聞こえるような小声で囁く。
「目の前の男を見ろ。邪気が溢れておる」
「え??」
ありすが男を見ると、その周囲が灰色の靄で囲まれている。まるで身体から燻っ
て出た煙が彼自身を覆っているかのように。
「取り憑かれたのじゃ。邪なるモノに」
「え? え? そんな事できるの?」
これまでは単純に見た目でわかりやすい敵ばかりに遭遇してきたのだ。異様な状
態の敵を前に戸惑いは隠せない。
「云ったじゃろ。人間を害すると。取り憑かれた人間は自覚のないまま他人を攻撃
する」
「どうすればいいのよ。普通に魔法を使っちゃっていいの?」
「攻撃の魔法は取り憑かれた人間まで消滅させてしまう。できれば男の身体から引
き離す魔法がよい」
カシャリと短い機械音がする。
ホワイトラビットとの会話に夢中になっていて気付かなかったが、先ほどから何
やらシャッター音のようなものが聞こえていた。
「……って、えぇぇぇ! また写真撮られてる」
再びカメラのレンズと対面したありすは恥ずかしがって頭を抱え込む。
「何をしておる。早く魔法を発動させんかい。簡単な呪文は伝授したはずだ」
無責任なもの言いには慣れた。命令を聞いてネコ耳を装着してしまったのだから
これ以上恥をかくこともあるまい。ありすはゆっくり深呼吸をすると、記憶に刻ま
れた呪文を思い起こす。
「えーとなんだっけ……邪なるモノよ、この地より退け! えーと、えーと……ニ
フラム……だっけ?」
自信なさげな詠唱ではあったが、彼女の身体から青白い淡い光が放たれた。
靄で覆われていた男の身体はその淡い光に包まれる。
口をあんぐり空け、構えていたカメラが男の手から離れる。ストラップが付いて
いるのでカメラは地面には落ちなかったが、男の身体に変化は起きていた。顔面は
蒼白になり、脂汗のようなものをかいている。
「教えた呪文と違っていたがまあいい。効果は期待できそうじゃ」
男はそのうち手足が震えだした。何かを喋ろうと口を開くも、言葉にならないら
しい。
「ししししし……しむ」
本当に効果があったのだろうか。首を傾げながらありすが一歩近づこうとすると、
男は一歩後退する。もう一度首を傾げて一歩踏み出すと、今度はくるりと背を向け
た。
「な、なおまあー!」
男は奇声を上げて逃げ出してしまう。
「へ?」
何が起こったのか分からずにありすは唖然とした。
「やはり、完全に魔法が発動していなかったようじゃな。おかげで、取り憑いた人
間ごと逃がしてしまったわい」
「もしかして呪文間違ったせい?」
がっくりと項垂れながらありすは問いかける。話をきちんと聞いていなかったこ
とをまた怒られそうだった。
「間違ったも何も、教えた呪文とまったく違っていたではないか。発動した方が奇
跡に思えるぞ」
「そ、そうなの? でも、なんであんな呪文がとっさに出たんだろ」
もし既存の呪文でないのなら、自分には即席で呪文を創り出せるセンスがあるの
かもしれないと、ありすは密かに喜んだ。
だが、本当にオリジナルの呪文だったのだろうかとの疑問もある。
「ありすちゃん!」
背後から聞き覚えのある声がする。
「え?」
振り返るとそこには羽瑠奈がいた。
からみ素材の黒いジャンパースカート姿で、ウサギの耳のような物が付いた黒白
のボンネットを被り、リボン付きの黒いブーツを履いている。相変わらずのゴシッ
クロリータファッションだ。
「すごいね、見てたよ。悪者やっつけたんだ」
公園のベンチにありすは座り、羽瑠奈が散歩の為に連れてきたコリー犬のフカフ
カな毛並みを心地良さそうに撫でている。
「前に会った時は、見習いとか言ってたけど、もう一人前じゃない」
隣に座った羽瑠奈は感心した口調でそう呟く。ありすには少しくすぐったい言葉
だ。
「うーん、呪文間違えちゃったし、魔法も完全に効いたわけじゃないから、まだま
だなんだけどね……あはははは、やめてやめて」
犬にすっかり気に入られたのか、ありすは顔をぺろりと舐められた。それを嬉し
そうに避けている。
「でも、すっかり正義の味方が板についてきたんじゃない? 普通の女の子だった
ら逃げちゃうでしょ」
「あはははは、逃げたかったけどね」
犬にじゃれつかれて大笑いしながらも、羽瑠奈の言葉には苦笑するありす。逃げ
たかったというのは本音なのだから。
「いいなぁ、私も魔法を使ってみたいな」
羨ましそうな羽瑠奈の顔を見たありすは、ふと右手に握りしめていたホワイトラ
ビットに視線を移す。
「ねぇ、ラビ。羽瑠奈ちゃんもラビの声が聞けて姿も見えるんだから、魔法使いの
素質があるんじゃないの?」
「それは無理じゃ。素質があったとしても、魔法を託せるだけの力がもう我には残
っておらん。まあ、ありすに会う前に彼女に会っていたら、逆だったかもしれない
がな」
もしかしたら、羽瑠奈の方が聞き分けがよくて魔法に対するセンスも良かったか
もしれない。運命とはどこでどう転がるかわからないものだなと、ありすは思う。
「ははは、残念。心強い仲間ができると思ったのになぁ。というわけで、羽瑠奈ち
ゃん、魔法は無理だってさ」
再び羽瑠奈の方へと視線を戻したありすは、そこに柔らかな笑みを浮かべた彼女
の表情を見る。同年代だというのに、それはまるで幼い我が子を見守る母親のよう
な表情だった。
「ふーん、無理ならしょうがないね。せいぜいありすちゃんの邪魔にならないよう
に、応援させてもらうわ」
■Everyday #4
あれは初めてキョウちゃんと出会った時だろうか。
微睡みの中でありすはぼんやりと昔の事を思い出す。
転校生としてやってきた彼女は、ありすと同じ三つ編みのお下げ髪だった。担任
の教師に促されて壇上で自己紹介をするあの子は、俯きながら小さな声で自分の名
前を口にする。そして、驚いた。
苗字は違うが、名前は自分と同じ「ありす」だった。
そして名前や髪型だけではなく、奥手な部分もありすと共通し、とても他人とは
思えなかった事を覚えている。
転校してきたばかりのあの子は人見知りが激しかったのか、クラスの子が話しか
けても下を向いたまま黙ってばかりいた。そんな態度が気に入らなかったのだろう
か、その日はもう誰も声をかけることはなかったのだ。
その頃のありすは、あの子と同じ引っ込み思案の性格で、クラスメイトのように
気軽に声をかけられるわけでもなかった。その日一日、誰からも相手にされなくな
って寂しそうにしている彼女を横目で見ながら、ありすは心を痛めていた。
次の日の放課後、一人でぽつんとしているあの子に、ありすは思い切って声をか
けてみることにしたのだ。
「ね、家はどっちの方? 一緒に帰らない?」
「……」
一瞬だけ目が合うがすぐに逸らされてしまう。他人を警戒して怯えているのだろ
うか。まるで昔の自分と同じだ。その時、ありすはそう感じた。
「あたしもね、ほら三つ編みなんだ」
彼女の興味を惹くように、頭を動かして二本のお下げを揺らしてみる。自分は敵
ではないというアピールをする為に。
「そのピンク色のゴム」
あの子の口が開く。
編んだ髪を留めているピンク色のゴムには白いウサギが付いている。ありすが一
番気に入っている髪留めゴムだ。お気に入りのアイテムという事もあって、家には
予備が五、六個ある。
「ん?」
「かわいいね」
伏し目がちながらも、ちらちらとそれを羨ましげに見つめる彼女にありすは「気
に入ったのならあげようか?」と微笑みかける。
「いいの?」
ようやくあの子の顔が真っ直ぐにこちらを向く。
「うん。うちにまだあるから」
ゴムを外すと彼女の髪へと付け替えた。「似合うよ」とありすが言うと、あの子
も微笑み返してくれる。
そんな時に、タイミングが悪く現れたのがクラスの男子数名だった。彼らは、あ
の子がその日一日クラスメイトたちを無視していた事に対していきなり言いがかり
を付け始めたのだ。それは子供っぽい理屈で固められた幼い故に容赦のない言葉だ
った。
そこで交わされた言葉の詳細をありすは覚えていない。ただ彼女は、生まれて初
めて自分が傷つく事を厭わずに、他人を庇おうと行動に移したのだ。二対多数、し
かも相手は男子ということで勝ち目がないことも理解していた。それでも彼女は必
死になってあの子を守ろうとした。まだ友達にもなっていなかったけど、友達にな
れるだろうという確信がありすの中にはあったのだ。
結局、廊下を通りかかった担任の教師が教室内の異変に気付いて間に入ってくれ
たので、なんとか治まりはついた。
その日以来、ありすとあの子は急激に仲良くなった。後に取り返しのつかない喧
嘩をするまで、二人はずっとお互いを信じ合っていたのだ。
そして、永遠に楽しい日々が続くと幼心に思っていたのだった。
「ええーん、遅刻するー!」
ありすは、人通りの極端に少なくなった通学路を疾走する。いつもなら登校する
生徒で溢れる銀杏並木の道も、ほとんど人の姿は見えない。
昨日、夜遅くまで書いていた創作が災いして寝坊してしまったのだ。思いの外に
筆が進み、キリのいいシーンまで書いていたところ、普段の就寝時間を三時間も上
回ってしまったのが原因だ。おまけに無意識のうちに目覚ましを止めてしまったら
しい。夢の中で彼女は、誰かに言いがかりをつけられそれをうるさいと感じてしま
っていたのだ。もちろん、その原因は目覚ましのベルに他ならない。
今まで何があっても遅刻だけは避けてきただけにかなり焦っている。もちろん朝
食は抜きで洗顔さえ満足に行われていない。
ただし、食パンを喰わえながら走るなんて乙なことはできないし、曲がり角で転
校生にぶつかることなど有り得ない。
いつもなら待ち合わせをした成美や美沙と一緒に登校するのだが、さすがに遅刻
スレスレの時間まで待っていてはくれなかった。
なんとか生活指導の先生方の並ぶ校門をギリギリの時間で通過して、急いで上履
きに履き替えると教室まで一気にかけあがる。
扉を開けて挨拶。
「おはよう!」
その一声が限界だった。体力を使い果たしたありすはそのまま床へぺたんと座り
込む。
「おはよ。おいおい、大丈夫か? ん?」
美沙が駆け寄って肩を貸してくれる。彼女はそれに掴まりなんとか自分の席に座
ることができた。
既に着席していた成美が振り返る。
「ごきげんよう、ありすさん。あら、今日は新風ですか?」
「へ?」
そう言われてはたと気付く。彼女は朝起きてから、髪を何もいじっていなかった。
三つ編みを止めるゴムさえ忘れてきてしまっている。
「ブラシぐらいならお貸し致しますわ。そうですね、いつもの三つ編みも正統派で
よろしいですけど、今日のナチュラルな髪型も魅力的ですわね」
「あわわわ。成美ちゃん貸して貸して」
手渡されたブラシでありすは急いで髪を梳く。
「ついでにカチューシャもお貸し致しましょうか?」
「おい、そこのネコ耳。六十四ページの七行目から読んでくれ」
嵌められたと思ったときにはもう手遅れだった。いや、たぶん成美は嵌めるつも
りはなかったのだろう。純粋に「かわいいのではないか」というつもりで渡したの
かもしれない。彼女はそういう性格だ。
状況はこうだ。成美がそのカチューシャをありすの頭に装着した時、ちょうど一
時間目の授業を担当する英語教師が入ってきた。彼女は自分の頭にある物体がどん
な形状をしているのか確認する暇はなかったのだ。さらに、事実が発覚するのが遅
れたのは、ありすの席が一番後にあったからであろう。
教室に入ってきた英語教師はありすをちらりと見てニヤリと笑った気がした。
だがそれはいつもの三つ編みの髪型でない彼女を見て、新鮮に感じたのだろうと
ありすは思い込んでいた。
十数分後、それは見事に裏切られる。
教師が発したその「ネコ耳」という言葉がクラス全員の好奇心を刺激した。八割
の生徒が何事かと教室内をぐるりと見渡す。間違い探しの部類としては簡単な問題
だ。気付くのに時間はかからなかったのだろう。
そして視線の集中。それは、ありすの頭上へと注がれる。
一瞬の静寂。天使が通り過ぎたのか? そう違和感を抱いたありすの背筋を、嫌
な感じの汗がたらりと流れる。
あとは祭りのようだった。
室内から歓声があがる。
クラスメイトからは「かわいい」とか「萌え〜」「ネコ耳最高!」や「笑いすぎ
てお腹痛いよ」などとお笑い芸人を賛美するような言葉も聞こえてきた。
一瞬、ありすには何が原因で笑われているかがわからなかった。だが、すぐにそ
の理由に気付く。あわてて外したカチューシャにはかわいらしいネコの耳が付いて
いた。
「ねぇ、成美ちゃん」
「はい。なんですか」
天使のような笑顔の成美がこちらを向く。その表情には一点の曇りもない。
「泣いていい? ていうか、なんでこんなもん持ってるの?」
洒落のわかる教師だった事もあって、その場でのお咎めはなかった。むしろ、騒
ぎ立てる生徒と一緒になって笑い出していた。成美もそれをわかってネコ耳付きの
カチューシャを貸したのだろう。
授業が終わり、恥ずかしさで真っ赤になった顔を冷やす為にお手洗いへとありす
は向かう。彼女はそこで先に来ていた三人組のクラスメイトを見かけた。
「あ、ネコ耳だ」
「ネコ耳だね」
「ネコ耳じゃん」
声のトーンはあくまでも訝しげ。笑顔ではなく嘲笑がありすを出迎えた。とても
冗談で受け流せるような雰囲気ではない。
というのも、この三人組の女子、彩実清花、氷月冬葉、館脇純菜とありすはあま
り仲がよくない。
ネコ耳騒動の元凶である成美の場合はあくまでも『天然ボケ』という性格上、そ
こに悪意は感じない。授業中に盛り上がって笑っていた八割方のクラスメイトだっ
て、そこには純粋な『ありすの格好のおかしさ』に着目していたのであって他意は
ないだろう。
だが、目の前の女子達はどうなのか。
ありすは無視して、洗面所の鏡の前へと向かう。火照った頬を見てみっともない
なと思いながら蛇口をひねる。
「人気取りは大変だね」
「これで男子にも大注目ってか」
「やっぱさ、男が欲しいと手段は選ばないものなのかね」
彼女への嗤いは止まらない。頭を冷やす意味も含めてありすは顔を洗う。
これがどこのグループにも所属していない女子ならば、陰湿な虐めへとエスカレ
ートしていくのだろう。ありすは独りではない。だから、目の前の女子も最低限の
嫌味を言うに留まるはずだった。
「……」
ありすは続けて無視を決め込む。相手をするだけ時間の無駄だ。
だが、女子生徒達はその場からなかなか離れようとしない。
「なんかムカつくよね」
「金持ち女と暴力女を味方に付けてるんだもの。そりゃ調子に乗るよ」
「でも、一人じゃ何もできないのよね」
空気がおかしかった。仲が良くないとはいえ、ここまで攻撃的な彼女たちを見る
のは初めてだ。ありすは深く溜息を吐く。自分に何か他の落ち度があったのだろう
かと考えた。
「あたし、前からムカついてたんだ」
「だよね、わたしも気に入らないね」
「そうだよ。ちょっとかわいいからって調子に乗ってるんだよ」
攻撃の意図がわからなかった。あまりにも言葉が直接的で、あまりにも粘着的で
ある。虐めるのであればもっと間接的に、もっと陰湿的に徹底するだろう。
「それはあたしの事?」
状況を把握できないありすは、なるべく穏やかに笑顔を浮かべる。もちろん作り
笑いだが。
「あんたバカにしてんの」
三人のうちリーダー格である館脇純菜が一歩前に出た。他の二人と違って、明ら
かに興奮している。主犯格は彼女なのだろうか。ありすは冷静に分析する。
「授業を妨害してしまった事を怒ってるのなら謝るよ。でも、あれは質の悪いジョ
ークに嵌められただけなんだから、勘弁して欲しいんだけど」
言い終わると同時にありすは胸ぐらを掴まれた。他の二人が、純菜の行動に驚い
て一瞬固まる。
だが、すぐに同調したのか、ありすを囲むように他の二人が両脇へと詰め寄って
きた。
「あんた生意気なのよ」
純菜の鋭い視線がありすに突き刺さる。それは相手を恨んでいるに等しい感情な
のだろう。
ありすは必死に心当たりを探った。これは虐めというより、憎しみや嫉妬に近い
感情だ。
たしかに彼女の友人である成美と美沙は、クラスの中でも少し特殊な存在だ。成
美は資産家の令嬢であり、その親しみやすい性格と美貌から学内でも一二を争うほ
どの人気ぶりだ。男子はその家柄に尻込みするが、女生徒達からは逆に慕われる。
美沙はそのサバサバした性格と中性的で整った容姿から男女問わずに憧れる生徒も
多い。腕っ節は強いので、真っ向から喧嘩を売ろうという女子は皆無だ。
一方、ありすはなんの取り柄もない普通の女の子である。成美や美沙とは不釣り
合いな関係に見えるのだろう。妬まれたとしてもしょうがないのかもしれない。
だけど、本当にそれが理由だろうか。今ひとつ決め手には欠けていた。
もし、三人を相手に戦うとするとしても、成美や美沙に頼ることはしたくない。
難癖を付けられたのはありす自身だ。甘えるわけにはいかない。
そして、逃げることもありすのプライドからは許されなかった。