AWC 魔法使いはみどり色 2.Bottom   寺嶋公香


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#271/598 ●長編    *** コメント #270 ***
★タイトル (AZA     )  06/07/22  00:00  (251)
魔法使いはみどり色 2.Bottom   寺嶋公香
★内容                                         07/12/23 01:11 修正 第3版
 演目の最後はイリュージョン系の大がかりなマジックで、名塚が等身大の人
形を相手に一人芝居を重ねた後、瞬間の入れ替わりをやってのけた。その上、
服も緑から鮮やかな赤のドレスに着替えるというおまけ付き。最高潮の盛り上
がりを見せたところで、ショーは幕となった。
(これは当たりだった。思わぬ拾い物をした感じ)
 相羽は得をした気分だった。席を立ち、出口に向かう途中、他の観客の様子
を見ても、皆、満足そうな表情をしている。例外がいるとしたら唯一人、タロ
ー氏は別かもしれないが。
(それにしてもあのタローさん、何であんな挙動不審なことを……。ショーを
潰すマニアみたいなのがいるのかな)
 すでに姿の見えない中年男性の振る舞いを思い出しながら、小さく首を捻る。
そうしながらも歩を進め、やがて券売所の前に差し掛かったとき、顔なじみの
受付女性から声を掛けられた。
「相羽さん」
「あ、どうも」
 窓口を離れて立っている相手を見て、相羽も足を止めた。
「とってもよかったですよ。テクニックも演出も予想以上で、楽しめました。
ただ、あの喋り方は、うつっちゃいそう――」
「それよりもですね、相羽さん、ちょっと」
 小声で言いつつ、手招きするその様子は、どことなく秘密めいている。勢い、
返事する相羽の声も小さくなった。
「何かあったんですか」
「あるある、伝言よ。名塚翠さんが呼んで来てほしいと言ってるみたいよ。個
人的なお話があるとかで」
「誰を呼んでほしいんですって?」
 聞き返した相羽に、係の女性は黙ったまま、真顔で顎を振った。
「何でまた……」
「見てなかったから知らないけど、ショーの間、出演者とやり取りしたんだっ
てね? その関係じゃないかしら」
「ああ、あの……うーん、怒られるのかな」
 即座に、一つのイメージが浮かんだ。目をつり上げた名塚が、何故か手にハ
リセンを持ってぱしぱしと音を立てながら、「おまえのおかげでショーの流れ
が悪くなったです、このへっぽこぽこのすけ!」と相羽を怒鳴りつける一幕だ。
「出向くのはかまわないけれど、今は他のお客さんの目があるから、まずいん
じゃ? サクラと思われかねない」
 周囲を見渡すと、まだ人が結構残っている。
「大丈夫。誰も気にしてなぞいますまい」
 不意に、係の女性とは反対側から、耳打ちされた。振り向くと、白髪で細身
の男性が立っていた。初老、いや、老人と称しても差し支えのない外見だが、
背筋はぴんと伸びている。目尻のしわが笑みと混じり合って、優しそうな雰囲
気を織りなしていた。
「名塚の公演は先程ので本日最終ですが、他の方のショーがこれからございま
すからね。今、おられるお客様の大半は、そちら目当てでしょう」
「あなたは」
 相羽は聞き返した。受付女性がタイミングを待っていたかのように去ったの
も気になったが、まずは眼前の人物の正体を知らねば。
「失礼をしました。私は名塚翠のマネージメント全般を取り仕切っております、
森永一葉(もりながいちよう)という者です」
 慣れた手つきで名刺を差し出され、相羽は受け取った。横書きのそれは、周
囲を蔦の模様で彩ってあった。
「自分は相羽と言います。学生なので、名刺はないのですが……」
「いえ、一向にかまいません。それよりも、どうでしょう。お時間があるので
したら、控室へ足を運んではいただけませんか」
「時間はありますが、あのぅ……怒ってます?」
「そのようなことは決して」
 マネージャーは静かな口ぶりだが、きっぱりと首を横に振った。
「それじゃ、しょうがないか」
 頬をかきながら、相羽はうなずいた。

 承知したものの、気は進まず、足取りは重かったが、部屋に通されるなり、
華やいだ気分にさせられた。と同時に目を見張る。
 ドアの方に背中を向けて座る名塚翠は、何故かまだ舞台衣装で――まさか私
服兼用ではあるまい――、しかもショー終了時の赤いドレスではなく、当初着
ていた緑のドレス姿になっていた。鏡に映る彼女の顔は、化粧を落としてさえ
おらず、舞台上に引けを取らない輝きを保っている。
「やっと来たですか」
 森永マネージャーが声を掛けるよりも先に、名塚は言い、座ったまま、くる
っとこちらを向いた。当たり前だが、ハリセンは持っていない。
 相羽はお辞儀をしようとして、名塚が目をそらし加減であることに気付いた。
「初めまして、相羽と――」
「自己紹介なんか後回しですっ。今日の舞台で一番、種を知りたいマジックは
どれだったか、早く言うです」
「……あの」
 質問の意味も状況も、何もかもが飲み込めず、相羽は森永の方に視線を送っ
た。森永は無言で小さく首肯すると、名塚に対して発言する。
「名塚さん、分かるようにちゃんと説明しませんと、こちらの方が困ってらっ
しゃいますよ」
「……」
 頬を膨らませ、不満そうに森永を見やった名塚だが、その唇が憎まれ口を叩
くことはなく、一度目を伏せ、髪をなでつける仕種をした。そして気を取り直
したかのように面を起こすと、若干、改まった口調で始めた。
「相羽さんとか言ったかしら」
「はい」
「あなたは、マジックには詳しいのですか?」
「知識はそれなりにある方かもしれませんが、実際に演じることができるのは、
父から教わった程度で大したものはありません。あ、無論、父もマジシャンじ
ゃありません」
「それでしたら、今日、わたくしの行ったマジックの種、全部を見抜けたとい
うことはない、ですね?」
「答えるまでもないと思いますが、はい」
「その中の一つの種を教えてやるですから、早く答えなさい!と言ってるです。
これで分かったですね?」
 唐突に指差され、相羽は「はあ……」と生返事をするにとどまった。ただ、
彼女がわざわざ緑の衣装に袖を通していた理由は分かった。種明かしをするた
めに、必要であるに違いない。種を仕込むためには、あの緑色のドレスでなけ
ればならないのだ。
 と、名塚は立ち上がり、きーっと言い出しかねない顔つきになって、「だか
ら、早く!」と声を張る。それを森永マネージャーが抑えた。
「どうして教えてもらえるのでしょうか。ただの観客に過ぎないのに」
「それは……あなたがよくご存知のはずですぅ」
 落ち着きを取り戻した名塚は、相羽のこの質問にも、何故か目をそらした。
頬がほんのり赤くなっているところを見ると、恥ずかしがっているようだ。
「ということは、やっぱり、名塚さんご自身も気付いていたんですね」
 相羽が表情を明るくすると、名塚は対照的に、不機嫌そうに口を尖らせた。
「ええ、ええ、気付きましたです。あなたよりも遅れてですけどっ」
 ここで森永が、「よろしいでしょうか」と言葉を挟んできた。
「私には、何のことかさっぱり分からないので、ご説明願えませんか。名塚が
相羽さん、あなたに助けてもらったということだけは、当人の口から聞いて承
知しているのですが……」
「まったく、マジシャンのマネージャーをやってる癖に、節穴の持ち主なので
困るです、この森永さんは。しかも、舞台を横から見ているにも拘わらず、な
んですから、呆れて物も言えないです」
 名塚がくさしても、森永はにこにこと受け流すのみ。なるほど、このマジシ
ャンにはこの人が適任――相羽は納得した。
「それで、説明は……?」
「やりたければ、あなたがやればいいです。先に気付いた人の特権というもの
です」
 名塚は座り直し、横を向いて肘をついた。相羽は笑いをこらえ、森永の方に
近寄った。
「二番目のお手伝いに選ばれた自称タロー氏を、覚えておられますよね」
「はい。あの方が関係していることは、私でも想像できました」
「どんないきさつがあるのか知りませんが、タロー氏は名塚さんを失敗させよ
うと試みたんです。あ、正確には、物的証拠がありませんから、失敗させよう
としたはず、となります」
「ほう。どのようにして」
 さして驚いた様子もなく、森永は重ねて聞いてきた。
「右手の内側にパーム――パームはご存知ですか?」
「基本的なことは森永でも知ってるです。気にせず、続けるがいいです」
 相羽は森永に尋ねたのに、早口で答えたのは名塚だった。森永自身も「右手
にカードを隠し持っていたんですね?」と言ったので、通じていると分かる。
「恐らく。そのカードを、名塚さんが予め決めていた特定のカード、スペード
のクイーンとすり替えるつもりだったんでしょう。だからあのとき、タロー氏
は、選んだカードを自分の手でめくることにこだわった」
「ちなみに、タローの用意したカードはジョーカーに決まってます。他のカー
ドでは、わたくしの用意したカードと偶然にも一致する確率が、僅かでも出て
来るですからね」
 名塚は素早く言うと、またそっぽを向いた。相羽は笑いをこらえるのに、一
段と努力せねばならなくなった。
「確かに、あのマジックで、スペードのクイーンを他の物とすり替えられては、
大変な失敗になりますね。でも、相羽さんはどうやって、そのことに気付いた
んでしょう? ここのホールCは、観客席から舞台を見下ろす造りになってい
ます。つまり、下からタロー氏の右手の内側が見えた、というわけはありませ
ん」
「実は開演前から、タロー氏が気になったんです。気になったと言っても、怪
しいとかどうとかではなく、舞台の真正面、周りが空席だらけの区画に一人だ
けいたから。そのときに、何となく記憶に残ったんですよね。タロー氏が右肘
をついていた姿が」
 いつの間にか、名塚も聞き耳を立てていた。相羽は彼女にもよく聞こえるよ
う、身体の向きをずらしてから、話を続ける。
「ところが、お手伝いに選ばれ、ステージに上がった彼は、考え込むときに左
手を顎に当てる仕種を見せました。また、名塚さんに対してお願いをするとき
も、左手だけで拝みました。その間、右手はずっと同じ形を保っていたように
思います。それで、ひょっとしたら右手を上げたくないんじゃないかと感じ、
カードを執拗にめくりたがった彼の態度や、真正面の席を恐らく買い占めてい
たこと、リボンの花を必死になって取ろうとしたことなどと考え合わせると、
名塚さんを失敗させようとしているんじゃあ……という結論に至りました」
 感心にたえない風に、森永はしきりと首を縦に振る。名塚はと見ると、相羽
と視線が合うのを避けてしまった。
「そ、そんな開演前の出来事があったなら、あなたが先に気付いても不思議じ
ゃありませんです。逆に言ったら、わたくしが気付かないのも無理ないってこ
とです。そこのところを勘違いするな、です!」
「はい。そう言えばもう一点、名塚さんの見ていなかった場面がありました」
 相羽が言うと、名塚は関心を新たにしたらしく、目だけこちらに向けた。
「一人目の手伝いを選ぶに当たり、あなたは後ろ向きになって花を投げました。
その折、タロー氏は彼の右側に花が飛んだのに、わざわざ左手を伸ばして取ろ
うとした。もうそのときには、右手にカードをパームしたあとだったんでしょ
うね。開演後、場内が暗くなったのを利用して」
「素晴らしい観察眼です。説明がなければ、あなたもまるでマジシャン、いや、
魔法使いですね」
 森永が手を叩いた。一方、名塚はしばし、口を半開きにしていた。はっと気
付いて、急いで閉じる。それから相羽を認めた。
「さ、さすがのわたくしでも、仮にその場面を目撃していても、そこまで気が
回りませんです。マジックの進行に集中しているですから」
「なのに、妨害してしまって、ごめんなさい」
「何を謝ってるですか! わたくしの方こそ言うべき言葉が……その……あり
がとうです」
 礼を述べられ、まだ言われていなかったことに初めて思い当たった。
「あなたがあのような突拍子もない行動に出てくれなかったら、わたくし、気
付かないまま、タローがめくることを認めてしまっていたです。――気付いた
あとは、三人目のお手伝いを選ばなくたって、どうとでもなったですけど」
「でも、少なくともあの女の子には、忘れられない思い出になったでしょうね」
「……」
 名塚は答えず、完全に背を向けてしまった。その後ろ姿を見つめながら、探
るような調子で聞く相羽。
「あのタロー氏って、名塚さんのショーをだいぶ前から観ていたようですね。
それも前の方の席を買い占めてまで。ただの嫌がらせ以上のものを感じるんで
すが、何か心当たりがあれば教えてくれませんか? 差し支えがなければ、で
いいんですけど……」
「ないこともありません」
 答えて、相羽の方に向き直り、「です」と付け足した名塚。
「マジシャンになることを、父に反対されたです。いいえ、今も反対されてい
るですけど。家を飛び出して、父の目の届かないところでやっていたのに、あ
の分からず屋のこんこんちきは、わざわざ自分から探してマジックを辞めさせ
ようとしたです。だから、無名のマジシャンを雇って、わたくしのショーに潜
り込ませ、失敗させるくらいのことはやりかねないです」
 喋る内に腹が立ってきたのか、名塚は俯きがちになり、その声は低くなった。
それを吹っ切るかのように、不意に顔を起こすと、頭を振って髪をなびかせた。
そしてまたもや背中を向け、一際大きな声で言った。
「さあさあ、説明は終わり! じゃ、種明かしのリクエストをとっととするが
いいです!」
 鏡を通して、視線をマネージャーから相羽に移動させた緑の女マジシャン。
「そのことなんですが、不思議は不思議のまま、取っておいていいですか」
「な――何を言うです? 折角、種明かしをしてあげると……」
 猛スピードで振り返った名塚に、相羽は笑顔で語りかける。
「代わりに頼みが。聞いてくれます?」
 名塚は困ったような戸惑ったような、少々複雑な表情になった。
「言ってみるです。言わない内から、頼みを聞けるかどうか、答えられるはず
がないです、この慌てん坊さん」
 ちょっぴり、言葉遣いが変わったかな? あるいは、他に適当な単語を知ら
ないだけかも――なんて考えた相羽だが、名塚の機嫌がよさそうな内にと、頼
みごとを口にした。
「今日、初めて名塚翠のマジックを観て、ファンになりました。だから、名塚
さんの本名を教えてくれたら、そして私の顔と名前を覚えてもらえたら、嬉し
いんですけど……だめかな?」
「そんなことが、種明かしの権利と同等と言うですか」
 呆れた、と身体全体で語る名塚。相羽は間をおかず、言い足した。
「同等と言うよりも、むしろ、覚えてもらえる方がいいかも」
「――分かったです。それならさっさと自己紹介しやがれです」
 目元を赤くしながら、マネージャーに目配せをした名塚。森永は手帳を取り
出した。
「それでは相羽さん。下のお名前は、何とおっしゃるんですか」
「実は」
 相羽が答える寸前に、名塚が割って入って来た。
「ちょ、ちょっと待つです! どうしてわたくしの名前が本名でないと見抜い
たですか?」
 面食らった名塚の慌てぶりに、相羽も面食らいつつ、ゆっくりと口を開く。
「だって、お父さんの目が届かないように、マジックをしてるんでしょう? 
本名だと、じきにばれてしまう」
「……分かってたです。聞いてみただけです」
 早口で応じてから、彼女は本名を口にした。父親がドイツ人、母親が日本人
のハーフで、ランドルフ神鳥奈津 (かみどりなつ)というらしい。
「では、相羽さん。改めて、下のお名前を」
 手帳に書き付けた相羽に、手持ちぶさたにしていた森永が尋ねる。
「はい。実は名塚さんと同じ、みどり、といいます」
 相羽は――相羽碧は、打ち明けるのが楽しくてたまらなかった。
「紺碧の碧一文字で、みどりって」
「それじゃ、やっぱり、女性だったですか」
 何故かしら、ほっと安堵してみせるマジシャンの翠。
 相羽が目をしばたたかせると、名塚はにっと笑った。
「外見や衣服ではどちらか判断しかねたので、ショーのときはハンサムと呼ん
だのを、覚えてないですか?」
「あれは最初、変なことを言うなと思いましたけど、じきに理解しました。ハ
ンサムは性別に関係なく使えると習った記憶が、かすかに」
 相羽が微笑むと、名塚翠も微笑した。このマジシャンが見せた、初めての優
しげな笑みだったかもしれない。
 それはでもほんの短い間だけで消え、ぷいと横を向くと、名塚はため息をつ
いてみせた。
「それにしても残念ですぅ。わたくしも、舞台名があなたと同じで嬉しかった
のに、父にばれてしまったようなので、変えなくちゃいけないなんて!」

――おわり




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