#263/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 06/05/01 00:00 (386)
お題>該当作なし 5 永山
★内容 06/11/30 15:49 修正 第2版
静かだが、一定間隔のノックの音で、若山の浅い眠りは破られた。
目を開けると同時に、眠る前に外しておいた腕時計に手を伸ばし、時刻を確
かめた。無意識の動作だ。
「……五時?」
思わず、声に出して言った。時計が示す時刻は、五時五分過ぎ。止まってい
る訳ではない。
こんな朝早くに何事かと、胸騒ぎを覚えながら、若山はドアに向かった。
「はいはい。どちら様です?」
「開けてください」
ノックはやみ、代わって聞き覚えのある女性の声が、早口で言った。
「――中畑さん?」
「ええ。開けてください。緊急のお話が」
ひそひそ声に拍車が掛かり、聞き取りづらくなった。若山がドアを開けると、
そこに立っていたのは間違いなく、女流評論家だった。彼女の他に人影はない。
「あの、出発はまだなのでしょうか……」
「中に入らせてください。緊急かつ内密のお話があるんです」
「は、はあ」
半ば、押し入るようにする中畑に気圧され、若山は身体の向きを斜めにずら
し、道を作った。そしてドアを閉め、鍵を掛けるように言われたので、その通
りにする。
ベッドの端に腰を据えた中畑は、額に汗を浮かべ、息も若干、切らし気味で
ある。髪も、寝る前に見たときに比べて、乱れているようだ。これでもし寝間
着姿だったら、悪夢から目覚めた直後といった具合だが、今の彼女は白いシャ
ツにパンタロン姿である。
「新たな事態が起きたんですね?」
緊迫した相手の様子から、察しの付いた若山は、会話の気賭を作ろうと、自
分の方から話し掛けた。すると、彼にとって意外なことに、中畑がきつい目で
にらんでくるではないか。
「ど、どうかされたのですか」
「……」
相手は、しばらく若山を観察するような態度を見せた。目が、立ったままの
若山の頭から爪先まで、二往復した。
「あったことを、まず、伝えるわ」
ようやく言葉を発してくれたことに、若山は安堵する。中畑の声が、ひどく
冷たい響きを持っていたにも拘わらず、だ。
「選考委員の西田編集長、綾川さん、福原さんと、候補者である江本さん、上
尾さん、須藤さん、松岡さんの七名は、一台の車でここを午前四時前に出発し
た」
「え……っと、中畑さん、あなたは同乗されなかった?」
「私も乗るつもりだったわ。けれどね、選考に関わる人間がこちらに一人もい
ないのでは、招待者へのしめしが付かないし、信用も得にくいであろうという
ことで、残ったの。おかげで助かったわ」
「助かった?」
おうむ返しをした若山を、中畑は何故かきつくにらみつけ、鼻を鳴らした。
「ふん。たった今――と言っても、十分は経過しているかしら。私の携帯電話
に、連絡が入った。綾川さん達の乗った車が事故を起こしたという連絡よ」
「ええっ?」
「詳しい状況はまだ不明だけれど、運転をしていた綾川さんが意識のある内に、
救急隊員に伝えたそうよ。下りのカーブが続く中、ブレーキが効かなくなり、
道路をはみ出て、崖下に転落したって。今は、その綾川さんと候補者四名が死
亡、他の三人も重傷を負って病院で治療を受けている」
「そんな……」
自分の出した作戦のせいなのか。
「私が問題視しているのは、ブレーキは、効かなくなるように細工がされてい
たみたいな点よ」
「ほ、本当ですか。だったら、脅迫状の犯人が勘付いたのかも」
「とぼけないでくださる?」
冷たい響きに加え、声音が低くなる中畑。若山は絶句した。
「あなたが細工をしたんでしょう?」
「な……何を言うんですか、中畑さん」
「犯人に勘付かれないよう、細心の注意を払い、私達は行動を起こしたわ。絶
対に秘密は守られた。なのに、ブレーキに細工がされていた……。誰の仕業か。
事の次第を知る若山さん、あなたの仕組んだことと考えるのが、論理的よね。
私達が準備に手間取る間に先回りして、車に細工するぐらい、簡単だわ」
ずばりと言って、若山を見据える中畑。容疑者を見る探偵の目だ。
若山の方は、指差されたような錯覚に陥り、思わず、仰け反りそうになった。
空唾を飲み込むと、若山は椅子に腰掛けた。宥めるような口ぶりに努め、口を
開いた。
「変なことを言わないでくださいよ、中畑さん。私は寝ていたんですよ」
「証人はいないでしょう?」
「そりゃあ、真夜中のことですから。でも、私はしていない」
「口では何とでも言える。ここから別の場所に移動するというアイディア自体、
あなたが出したものでしょうが。私達は、まんまと嵌められた」
「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、た、確かに私の出した作戦です、
場所を移すっていうのは。けど、そもそも私の推理力を借りたいと言ってきた
のは、そちらじゃありませんか。あれがなかったら、私は皆さんの話し合いの
場に加われなかった。当然、別の場所に移る案も出せなかった」
「ごまかそうとしても無駄よ。それこそが、あなたの狙いでしょうに。お声が
掛からなかったら、自ら売り込めばいいのよ。難問の犯人当てで一席を獲った
実績をたてに、頼み込んでくればいい。そのときに、気の利いた推理の一つで
も披露すれば、私達は喜んで受け入れたでしょうね」
「いや、しかし、私は脅迫状のことを知らなかった」
「私はあなたが犯人だと思ってるんだから、そんな抗弁は無意味。ご丁寧に伏
線を敷いてくれていたじゃないの。毒殺トリックの部屋にいなかったにも拘わ
らず、源之内さんが倒れたことを小耳に挟んだと言って、ちょっと騒いでみせ、
荒耕社の編集者に印象づけた。これって、そのあとの脅迫状で私達が話し合い
をするのを見越していたのよね。自分もおかしなことを経験したと名乗り出れ
ば、話し合いに加わりやすいという狙いだった。実際は、綾川さんが遊び心を
出して、私達の方からあなたに手を差し伸べたんだから、涙が出るわ」
「誤解です。ひどい誤解、曲解だ」
声を大にしたいところだが、騒ぎ立てて、近隣の部屋の者に気付かれるのを、
若山は恐れた。もしそうなったら、ますますまずい立場に追い込まれそうな予
感が働いた。
「いいですか、中畑さん。もしも、ですよ。もし仮に、あなたのこれまでの推
理を認めるとして、じゃあ、動機は何なんですか。私は荒耕社にも選考委員に
も恨みはないし、ましてや候補者の方達とは、言葉を交わしたことすらない。
『P.E.』の愛読者だし、犯人当てではいい目も見させてもらいました。探
偵小説大賞だって、楽しみにしています。投稿経験がないと言ったのも、事実
ですよ。調べてくれていい」
一気に喋った若山は、先程の中畑以上に、呼吸を乱していた。
中畑はすぐには反応せず、軽く頷いた。若山が動機について弁明するのを待
ち構えていたかのように、悠然とした口ぶりで、やがて静かに切り出した。
「若山さん。あなたは肝心なことを、隠しています」
断定調が、若山の心を震えさせる。何があるというのだ?
「さっき、あなたは弁明する内に、犯人当てにも触れましたが、触れたくなか
ったのが本心じゃありません?」
「何のことだか……」
「『ローリングクレイドル』を独力で推理し、真相に辿り着きました?」
不意に、中畑は邪気のない笑みを覗かせ、明るく軽い調子で尋ねてきた。つ
い、こくりとうなずいてしまいそうなぐらいのタイミングのよさだ。
だが、若山は踏みとどまる。隠していた事実を言い当てられた衝撃のおかげ
だとしたら、皮肉である。
「何を根拠に、でたらめの言いがかりを……」
「――おかしいわ」
「は?」
ミスを犯したか?と焦りを覚え、若山は瞬きを激しくした。
中畑は、明後日の方向を見つめ、とぼけた口調で続ける。
「まず、質問に答えるのが普通でしょう? 独力で真相に辿り着いたか? は
い、もしくは、いいえ。なのに若山さんは今、いきなり否定から入った」
「そ、それは、これまでの流れから判断したんだ。あなたは、私の動機を述べ
ようとしていたんだから」
「それにしても、反応が早すぎじゃないかなあ。まあ、いいわ。答は?」
「答? あ、ああ。……もちろん、自力で解きましたよ。昨日の夕食のとき、
言いましたように」
「誰にも相談せず? ミステリ好きの知り合いがいっぱいいるだろうに」
「だから、それは言い換えれば、ライバルじゃないですか。相談するはずあり
ませんよ」
「それは信じてあげてもいいけれど……知り合いじゃない人に、相談したのよね」
「何ですって?」
「インターネットの掲示板。顔も名前も知らない人同士が集まり、知恵を合わ
せて、ああだこうだと意見を書き込み、やっとこさ推理を組み立てた」
「……そういう掲示板があるのは、知ってます。だが、私は使ってない」
表情に出ないように、平静を装うとする若山。成功を収めているかどうか、
心許ないが、確かめる術は現時点ではない。
「嘘」
「嘘じゃない。そんなに言うのなら、根拠を示してもらいたい」
「何のために、荒耕社が、犯人当ての優秀な正解者を、このイベントに招待し
たと思っているのかしら」
「……え?」
「不正の有無を調べるためよ。あなた方の自宅に入り、パソコンを調べさせて
もらったの。ああ、私は関与してないのは、言うまでもないわね。荒耕社の方
針よ。記録の痕跡があったみたいね」
背筋が寒くなった。若山は息苦しさに抵抗し、声を振り絞る。
「そんな……ことが、許されると?」
「主催者も大金を出しているんだし、不正があれば、それは犯罪じゃない?
実際、警察に協力してもらって、あなた達の家に入ったと聞いているわ」
「だ、だけど、一人で考えなければならないなんて決まりは、ないはずだ」
「この間の『ローリグクレイドル』では、募集要項に注意書きとして、ちゃん
と載せていたわよ」
「う、嘘だ! そんな珍しい文言が書かれていたら、気が付く!」
「あらあ、読まなかったのね? 雑誌の目次と巻末に、はっきり書いてあった
わ。『本誌に掲載のあらゆる懸賞に応募の際は、個人においてご参加ください。
これに反すれば当選の権利を失うものとし、また悪質なケースには、当社から
法的な対応を起こすこともあります』とね。一字一句合っている自信はないけ
れど、意味はこんな感じだった」
「……そういう……」
若山は最早、言葉が出なかった。彼自身、気付かない内に、床を凝視してい
た。顔を上げるのが恐ろしい。
「その態度、不正を認めたと見なすわ」
冷淡な口調に戻る中畑。
「それこそが動機。あなたの本当の狙いは、綾川有人だけだった。あなたは犯
人当てで一席を獲得したものの、不正をしたという負い目から、ストレスを溜
めていた。そんな折、思い掛けず、綾川有人と出会うチャンスが降って湧いた。
この機会に綾川を葬れば、自分は心の安寧を得られる……そんな誤った妄想に
駆られ、犯行を決意した。他の選考委員や候補者を巻き込んだのは、万が一に
も、真の動機に辿り着かれるのを恐れたため。これに間違いないわね?」
催眠術に掛かると、恐らくこんな感じではないか。そんな想像をしてしまう
くらい、若山の耳に中畑の言葉はすんなりと入って来た。今度もまた、うなず
きそうになる。
「――ち、違う。知らない!」
冷や汗とともに、強く否定し、叫んだ。我に返るのが一秒遅かったら、殺人
を認めていたに違いない。若山は、がくがくと頭を何度も振った。
「私は何もしていません。してないんですよ、本当に」
「不正をして賞金をせしめ、なおかつ、そのことを隠し通そうと嘘をついた人
の言葉を、信じろと仰るのですか」
中畑はいかなる表情をして、この台詞を言っているのだろう。若山は気にな
ったが、実際に見る勇気は起きない。頭を下げ、許しを請う。
「た、確かに、私は規則に反し、他人の力を借りて組み立てた推理で、『ロー
リングクレイドル』に応募し、一番になりました。だ、だけど、それだけです。
脅迫状や毒物、ブレーキの細工に関しては、本当に何も知らないっ。ああ、中
畑さんのご指摘の通り、綾川さんと対面したときは、どきどきしました。でも、
それは私が小心者なだけであって、綾川さんを亡き者にして安寧を得ようなん
て、考えません。そんなことをすれば、余計に重荷を背負うだけです。それく
らい、私にでも分かります」
必死だった。いつの間にか、椅子を降り、床に伏して、平身低頭していた。
そんな若山に頭上に、中畑の声が降る。
「神に誓えます? ミステリの神様に」
声の調子が、微妙に変化している。冷たい感じは相変わらずだが、どことは
なしに、悪戯げな嘲笑のニュアンスが込められたような……。
「誓います!」
「犯人当ての不正は認めるのですね?」
「は、はい。無論、賞金は返上します。もしも可能であるなら、誌上に謝罪文
を載せていただきたく、今は考えております……」
「いいわ。全ては、私の胸の内に仕舞っておく――」
「え?」
面を起こし、見上げる若山。差し込んできた朝日のせいで、相手の顔はまぶ
しく、よく見えない。
「――なんて言ったら、その決心は揺らぐかしら」
「……どういう……意味でしょうか……?」
恐る恐る、探りを入れる若山に、女性評論家は左手の人差し指をぴんと立て
た。その横顔には、悪魔じみた笑みが張り付いているよう。
「たとえばの話、私が口止め料を要求したら、あなたはどのくらいの誠意を示
すのかしらね」
「……訳が分かりません。荒耕社でパソコンを調べたと、あなたは言った。だ
ったら、すでに手遅れなんじゃあ……」
「それ、はったり」
「――」
目の前が真っ白になった若山。幻覚だ。
そんなことなら、と膝を立てた彼の鼻先へ、テープレコーダーが突き付けら
れる。
「しっかり、録音してあるから。さらにその音は、携帯電話でよそへ飛ばし、
そこでも録音していて、バックアップは完璧」
若山は再度、膝を折った。相手の言葉の真偽は分からないが、大人しくする
しかない。
「どうして、そんな鎌を掛けることを思い付いたんですか……」
「これでも私、表情から心理を読み取るのには、自信があるの。昨晩、食事を
ご一緒した際、あなたの顔つきの微妙な移り変わりから、こうじゃないかと当
たりを付けた。的中したようね」
女性は恐ろしい。改めて実感した若山だった。
「悪い話ではないでしょう? 綾川さんはこの世にいないんだから、もう、う
じうじと悩みを抱え込まずに済むんだし」
「……しかし……殺人を犯した訳ではなく、犯人当ての不正だけで……」
小さな声でそんな反論を途切れ途切れ言う内に、ふっと閃いた。
(まさか、この女が、源之内先生に毒を盛り、脅迫状を置き、ブレーキの細工
をしたのでは?)
きっ、と顔を上げ、中畑の表情を探る若山。だが、相手の得意技は、自分に
は使えないようだ。怪しいというだけで、何も読み取れない。
それでも、言われっ放しでいるよりも、この容疑をぶつけてみるべきではな
いか。今は証拠ゼロだが、当たっているとしたら、このあとの交渉を有利に運
べる、いや、逆転できるかもしれないのだ。
「ブレーキに細工をしたのは、いったい誰なんでしょうね? それをはっきり
させないと、話が進まないと思うのですが」
若山はそんな風に切り出した。
中畑は一瞬、目を見張ったようだが、すぐに無表情になった。次いで、ふっ
と口元を緩めると、
「――ねえ、聞こえた?」
と、一段高いトーンで、“なにものかに話し掛けた”。
「え」
若山が訝しみ、視線を左右に向ける。と、突然、ドアの開く音がし、びくり
としてしまった。
「な、ど、どうして、開く――」
鍵を閉めたのに。混乱を来す頭で、それでも懸命に考える若山の眼前に、そ
の男は姿を現した。
「及第点ですよ、若山さん」
綾川有人が言った。
「ただし、ぎりぎりですけどね」
綾川も中畑も、肩や腕を、傍目からも分かるほど震わせている。
二人とも、笑いをこらえるのに相当な努力を要しているらしかった。
全ては、綾川有人の悪戯であり、壮大な復讐であり、お仕置きであった。
犯人当て小説『ローリングクレイドル』を掲載した「P.E.」の発売以降、
真相を推理しようという話題でにぎわうネットの掲示板を子細に見て行った綾
川は、送られて来た解答の過半数が、ネット掲示板で出された結論と同じであ
り、最優秀と認めた若山の解答文も、掲示板に書き込まれた推理の寄せ集めだ
と分かった。
言葉遣い、文字遣いから、これは一人で考えたものではなく、寄せ集めに間
違いないと確信を持った綾川は、編集長の西田にある提案をしたのだ。悪戯を
持ち掛けたと言い換えてもいい。
もちろん、最初から全体の計画ができあがっていたのではなく、探偵小説大
賞の選考イベントをその舞台にし、若山をおびき出すアイディアは、西田の方
から出た。その後も話は膨らんでいき、最終的には、選考委員全員と保養所の
管理人、編集者(胡桃沢、譲原ら数名)、そして余田が関わることになった。
そう、余田が最初に若山へ接触してきた時点から、計画は本格始動したので
ある。と言っても、彼は実は、犯人当てで二等になった余田ではない。余田の
不参加を確認した上で、荒耕社が偽者を用意したのだ。偽余田の役目は、源之
内が倒れた乃至は死んだかもしれないという噂話を若山に吹き込み、そのあと、
人間消失が起きるに至って、消極派に転じたのは筋書き通り。若山の探偵心に
火を着ける役割を果たした。
人間消失を起こした男性も、編集者の一人である。予め、消失を起こす部屋
を決めておき、窓のクレッセント錠を滑りのよい、鉄製の物に取り替え、外か
ら磁石で操作することで施錠できるようにしたのである。
「難関は、若山さんの推理から『犯罪』を作り出し、我々を死んだことにする
ための段取りでした。柔軟性のある計画を立てる必要があった」
心身とも疲れ切った若山に、綾川の解説が続いている。中畑と福原も同席し
ていた。
彼らがいるのは、受賞パーティの会場の片隅である。西田編集長は、他のお
偉方の応対に忙しく、源之内はまだ病院にいる。選考委員最年長者は、演技の
つもりだったのが、本当に体調を崩して入院中なのだ。
「とりあえず、用意しておいたのは、会議室であなたの推理を聞いている間に、
胡桃沢さん、堂本さんらであなたの部屋に、血まみれの腕の一本でも転がして
おこうと考えていました。あ、当然、作り物ですよ」
彼の言葉に合わせて、中畑が紙袋から、その“片腕”を少しだけ覗かせた。
「よくできていますね……」
感心する出来映えだったが、若山には誉める気力が残っていない。
「出番がなかったのは残念だけれど、代わりに、あなたは素晴らしい推理を展
開してくれた。推理と言うよりも、対策案でしたね。利用させてもらいました
よ。何しろ、こっちはミステリ頭の集まりだ。急な事態にも対応できた」
「ミステリというのなら、私が真実に気付くための伏線が、一つでもなければ
いけないんじゃないですか」
悔し紛れかつ皮肉を込めて、若山は言った。
すると綾川は、女性二人と顔を見合わせ、オーバーに両腕を広げた。
「おやおや、心外だなあ。まだお気付きでなかった? ちゃーんと、ヒントを
入れておきましたよ。一つだけですがね」
「……どこに、どんな」
考えてみようとしたが、すぐに諦めた若山。もう、どうでもよい。さっさと
教えてもらって、楽になろう。
「私があなたの部屋に飛び込んでからです」
中畑が微笑し、手にしたグラスから透明な液体を飲み干す。
「今朝の、ですか。ああ、もう、早く種明かししてください。降参です」
「私一人が車に乗らず、ここに残ったと言ったとき、若山さんはおかしいと思
わなければいけなかった。だって、そうでしょう? 脅迫犯から狙われている
八人の内、私一人だけが残ったら、犯人に襲われるのは私しかいなくなるじゃ
ありませんか。とても不自然だわ」
明かされてみれば、そうだ。だが、若山は見落としを素直に認めず、「あれ
は、中畑さんの迫真の演技に圧倒されたのです」と言った。
「そうよね、中畑さんの演技は堂々としていたわ」
福原が、何故かぐったりとした体で言う。愚痴のようだ。
「それに比べて自分は、向いてないのね。本当のことを言いたくてたまらなく
なったり、笑い出しそうになったりで演技どころじゃなかった。なるべく喋ら
ないようにして、下を向いていたら、何とか乗り切れたという感じ」
その振る舞いさえ、若山には、福原が心から怯えているように映った。怪我
の功名というやつだ。
「それもヒントと言えなくはありませんね。あと、元刑事の松岡さんに事件の
相談をしないでいるというのも、落ち着いて考えれば、不自然だと気付けたで
しょう。『反転』の作者の方ですよ」
「とにかく、もうこれっきりにしてちょうだい。若い人には着いて行けないわ」
綾川と福原のやりとりを、ぼんやりと眺める若山。推理作家という人種は、
こんな人ばかりなのだろうか、なんて思う。
「あの、結局、犯人当ての件で、私はどうなるでしょうか」
うやむやになっていたことを思い出し、聞いてみた。
「ご自由に。返上したければ返上してください。謝罪文の掲載は無理だと思い
ますけどね」
中畑が素っ気なく言う。若山が首を捻ると、彼女は言い足した。
「推理小説のよき読者にしては、疑うことを知らな過ぎですよ、若山さんは。
個人で応募するようになんて条件、雑誌のどこを探しても載っていないんじゃ
ないかしら」
「……あれまでも、はったりですか」
「どうかなあ。もう、私の言葉、信じられなくなったんじゃないですか? だ
ったら、ご自身の目で確かめてくださいね」
「……そうします」
「まあ、辞退だけはしないでくださいよ。僕が許す」
綾川が笑いながら請け負った。
「辞退されたら、『ローリングクレイドル』の一席も、該当者なしになってし
まう。それは避けたい」
第十回探偵小説大賞は、候補の四作品に甲乙付けがたく、また帯に短したす
きに長しであったため、大賞は該当作なしとされた。代わりに、四作とも手直
しをして一定レベルをクリアできたら出版するという、奨励賞扱いになった。
第十回なので、荒耕社も大盤振る舞いをしたのかもしれない。
「そう言ってもらえると、気持ちが楽になります。次からは、一人で推理する
ようにしますよ」
「はははっ。そうしてくれると、僕らとしても作り甲斐があります。やはり、
正々堂々と一対一の対決をしたいもんです」
「そうね」
綾川に続いて、中畑が相槌を打った。その流れに、かすかな違和感を覚えた
若山。顔に出たのだろう、中畑が、「どうかしました?」と聞いてくる。
「い、いえ。何となく……中畑さんも推理小説を書くみたいなニュアンスに聞
こえたので」
感じたままを口にすると、対する中畑は隣の綾川に首を傾げて見せ、それか
ら二人は目配せをし合った。
「この際だから、教えて差し上げても?」
中畑の言葉に、綾川がしばしの逡巡のあと、仕方がないかと呟く。
「手ひどくだましたお詫びの意味も込めて、ある秘密を教えてあげます。ただ
し、絶対に口外しないでくださいよ」
声を潜め、周囲を横目で見渡すポーズを取る綾川。尤も、どこまで秘密なの
か怪しいもので、福原は微苦笑を浮かべて座ったままでいるのだ。少なくとも、
この業界人の間では、大した秘密でもないのだろう。
「分かりました。約束します」
「実は……綾川有人は、僕と彼女の合作ペンネームなのです」
中畑英実を指差す綾川。
若山はぽかんとしてしまった。
「より詳しく言うなら、アイディアは二人で出し合って、作品を書くのは僕。
そして評論活動は、彼女だけがしている」
「そうだったんですか……」
若山は、昨日のことを思い出した。まさしく、エラリー=クイーンばりでは
ないか。
「で、ついでに言うと、僕の本名は中畑英実」
「え、え?」
「私は中畑有子、旧姓・綾川有子と言うんですよ」
「ええ?」
二人は夫婦だった。
「そうか……」
若山は、遅ればせながら気が付いた。
「だから、中畑英実名義の書評で、綾川有人作品が取り上げられることはなか
った。そうですね?」
「お見事」
綾川が拍手する。といっても、彼の手にはグラスがあるため、形だけだが。
「最後の最後で、犯人当て一席の実力を発揮しましたね」
「勘弁してください」
若山は力なく笑うと、あることに考えが至る。
「ということは、犯人当てに挑戦するに当たって、二人で相談をしてもいいですよね?
だって、出題者は二人一組なんだから」
「残念。それは認められない。少なくとも『ローリングクレイドル』はね」
綾川が言い、中畑は含み笑いをしていた。
「あれは、僕一人で考え、書き上げたんですから」
――終