#257/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 06/02/28 20:10 (269)
お題>過去からの手紙 上 永山
★内容
その異常に気付いたとき、支倉は何だこれと口の中で呟き、マウスの動きを
止めた。ノートパソコンでメールソフトを起ち上げており、画面には受信メー
ルの一覧が表示してある。
未読は三件。リストの先頭にあるのは、登録して半年ほどになるメルマガで、
二番目は知り合いからの物。
三番目が問題のメールで、記憶にないアドレスの上、タイトルが「Help!!」
となっている。これだけなら、開くまでもなく、怪しげな広告メールと判断し、
即削除してもいいくらいだ。事実、今回もそうしようとした支倉だったが、受
信日時に目を留め、手が止まったのである。
今日は西暦二〇〇六年二月二十二日。ところが、そのメールを受信したのは、
99/12/23となっていた。少なくとも、メールソフトはそのように表示
している。
差出人の送信した時刻と、実際にメールサーバが受信した時刻とに開きがあ
ることは、たまにある。だが、支倉の経験ではせいぜい数時間のスパンだ。友
達の中には、一週間遅れで届いたメールというのを経験した者もいるが、その
ときは送信元の不具合が原因だったらしい。仮にこのメールも送信元の不具合
だとして、およそ七年も遅れて届くなんて、度が過ぎている。
あるいは、故意に送信日時を改変しているのだろうか。差出人をごまかす方
法があるとは聞いたことがあるが、受信日時の改変はどうなんだろう。また、
可能だとしても、何の意味が。支倉は疑問と関心を抱きつつ、メールを開いて
みた。
より詳しいデータが示され、その中の日時に、真っ先に目が行く。
「……ええっ?」
自室に一人でいるというのに、声を上げてしまった。日付に関するデータは、
次のようになっていた。
Date: Sat, 23 Dec 1899 10:45:55
つまり、一九九九年と思っていたのが、一八九九年だったのだ。
あり得ない。インターネットもコンピュータも存在しない時代から、電子メ
ールが届くなんて。これはサーバが一時的に異常を起こしたに違いない。
あとで問い合わせをするなり、ネット検索をするなりして、自分が考えたよ
うなトラブルが起きていたことを確認してみよう。そう決めた支倉だったが、
念のため、文章にも視線を走らせた。
本文はまず英文で書かれており、その下に数行空けて、日本語が続いていた。
支倉は当然、日本文から読み始めた。
<私達は二二九九年の日本から一八八八年の英国へ時間旅行に訪れたのですが、
機械の故障で十一年先の一八九九年に到着後、動けなくなりました。救助を求
めるメールを送ろうにも、その機能までもが不調で、特定の相手にしか送れな
いようなのです。現時点では、あなたにしか送信できません。もしもあなたが
時間旅行の実用化されていない時代の人でしたら、信じられないかもしれませ
ん。しかし、これは本当のことなのです。どうか私達を助けてください。この
時代から救い出してください。
関東順平 佐久星子 獅子尾らる 霧先王子 >
英文の方も、これと同じ内容のようだ。
それにしても変だ。常識で判断するなら、単なる電波な文章、悪戯メールだ
ろう。ただ、本文に記された日時と、メールを受信した日時の年が一致してい
るのは、どういうことか。単なる偶然なのか、故意の改変が施されたのか。後
者なら、随分と手の込んだおふざけだ。名前を「らる」や「王子」としている
辺り、未来っぽいと言えなくもない。仮におふざけとしても、支倉宛に送りつ
けてくる理由が分からない。
「返信してみるか」
試すぐらい、いいだろう。自分のメールアドレスが実在することを、相手に
知らせてしまうことになるが、さほど害はあるまい。試験の終わった私大の社
会学部一年生、暇潰しに飢えている。
支倉は少し考え、文章をこしらえた。
<過去からのメールを受信しました。こちらは、二〇〇六年二月二十二日の日
本。時間移動は、空想世界の産物に過ぎません。本当のことだというのなら、
証拠を示してほしい。たとえば、一八九九年のイギリスの風景を写真に収め、
メールに添付して送るなり、二〇〇六年二月二十三日に起きた日本にまつわる
大きな事件について、メールで即座に知らせるなりしてもらえれば、信じられ
るかもしれない。>
署名は日本人かつ日本語で書いてきているのだから、英訳する必要はないと
判断し、そのまま送信した。現在から過去へメールを送ろうというのも変な話
だが、尋ねるからには相手の土俵に上がるしかない。
返信されてきた場合、まず注目すべきは日付だ。再び一八九九年と表示され
るようだと、意図的な改変である可能性が強まる。もしくは、このメールの差
出人の言葉が真実……。
支倉がこの先の展開を予想する内に、メールの返信があった。タイトルは前
と同様、「Help!!」。早速開く。
Date: Sat, 23 Dec 1899 17:38:00
これも一八九九年から来たことになっている。支倉は警戒心を強めつつ、本
文を読み始めた。今度は日本語でしか書かれていなかった。
<レスポンスを感謝します。仰るとおり、写真をファイル1として添付してお
きます。また、二〇〇六年二月二十三日に起こる、日本に関連する大きな出来
事ですが、私達の現状において知り得るデータに、残念ながら記録がありませ
ん。ただ、その翌日、二〇〇六年二月二十四日の日本時間早朝に、冬季五輪フ
ィギュアスケート女子シングルにて、Arakawaという日本人選手の金メダルが
確定しています。確かめていただきたいところですが、私達も時間がありませ
ん。ぜひとも写真だけで信用してください。信じてもらえたのなら、添付した
ファイル2の設計図通りに機器を組み立ててください。製作は専門家の手を借
りねばならないかもしれませんが、材料はあなたのいる時代でも簡単に揃うは
ずです。その機器=簡易型時間移動機があれば、あなたのいる時代からこの時
代に来られます。そののち、私達の一人が私達にとっての現在に戻り、新しく
時間移動機を調達し、再び一八九九年を訪れ、私達とあなたを乗せて、それぞ
れの時代に帰るという寸法です。機器が完成したら、すぐにメールをください。
折り返し、私達のいる座標値を知らせますので、機器に入力しもらえれば自動
的に作動します。
時間がなく、まとまりのない長文になりましたが、私達が危機に陥っている
ことを念頭に、ご対応くださるよう、切に願います。前回書き漏らしましたが、
御礼はします。あなたから見て未来の品物をお渡しできると思います。>
読み進むにつれ、支倉は吹き出してしまった。二十三日のことは分からない
からと、二十四日、しかも冬季五輪のネタを持ってくる辺りは、うまいと思う。
ショートプログラムで三位に着けた荒川が金メダルとは、ちょっとサービスし
過ぎだろうが。
御礼に未来の品物をというのも、なかなか面白い。もし本当にもらえるのな
ら、添付ファイル2に設計図があるという時間旅行機だけで充分。すでにこの
時間旅行機は手に入れたも同然なのだから、支倉は一八九九年のイギリスに四
人を助けに行かなくてもいいことになる。真面目な交渉だとしたら、大きなミ
スだ。明らかにおかしい。
疑念に拍車が掛かった。それでも支倉は、添付ファイルを開いてみた。exe.
ファイルでないことを確かめたのは、言うまでもない。
「――おお」
外国のドラマや映画でしか見たことがないような、いかにもイギリス(ロン
ドン?)らしい町並みが、鮮明なカラー画像で現れた。建物と建物の間の細い
路地から、大通りの方を向いて撮ったものらしい。何らかの乗り物の後部車輪
が写り込んでいるが、馬車なのか、自動車なのか、支倉の知識では判断できな
い。片隅には、三人の若い男女が立っている。前二人の男女は若く、高校生か
大学生ぐらいか。これからどうなるのだろうと不安なのか、硬い表情をしてい
た。その後ろ、二人の肩に腕をかけて励ますようにしているのは、長髪長身の
男で、前列の二人よりも年長のようだ。笑顔を覗かせているものの、目付きが
鋭いのは、やはりこの男も焦燥感を覚えているに違いない。
彼らがメールを書いた四人の内の三人で、もう一人がシャッターを切ったと
思われる。日本人らしくない外貌が、支倉はちょっと気になった。
しかし、それ以上に気になる物が、彼ら三人の後ろにあった。やや曇った銀
色のボディは、小型のホバークラフトを思わせる形。その上部に、いくつかの
座席が見切れている。紫色の細い帯は、シートベルトか? ロゴらしき文字列
が横に走っているが、小さくて読み取れない。
「これが、時間移動機?」
奇妙に、現実味が感じられた。機械の発する雰囲気が、写真を通じてさえ、
伝わってくるかのようだ。
これの設計図があるというのなら、こしらえて、現物を目の当たりにしたい
ものだ。たとえ動かなくても、子供の頃のようなわくわく感が味わえる気がす
る。いや、メールによれば、写真の機械とはまた別の時間旅行機らしいが……。
「吉山に頼んだら、作ってくれるかな」
工学部の友人を脳裏に浮かべながら、ファイル2を開く。三通りの詳細な図
面が列挙されていたが、皆目理解できない。ただ、完成すれば、小石を打ち出
すパチンコのような形になることと、サイズが一輪車程度になることは容易に
分かる。取扱説明らしき文章もあり、それによると一人乗りで、時間の流れの
中の特定の二点を結び、往復するだけの機械とある。
それから材料一覧を見て、これなら本当に作れるかもしれないと思った。
吉山に図面付き(ただし取扱説明部分は省いて)でメールを送り、作れるか
どうかを電話で尋ねたところ、材料集めに半日、組み立てに一日あれば充分と
の返事をもらった。材料費や交通費などの実費プラスいくらかの報酬を約束さ
せられたが、それほどの自腹を切る価値はある。支倉はいつの間にか、信じて
いた。写真に魅せられたのかもしれない。
関東順平ら四人には、今一度、質問を送った。外見が日本人らしくない点が、
どうも気になったのだ。相手側はかなり切羽詰まっているのか、返信は素早か
った。
<十九世紀末のイギリスに溶け込むために、特殊なメイキャップを施していま
す。あなたのいる二十一世紀初頭の技術とは比べものにならないほど、発達し
ました。ついでに申し添えると、言語に関しても、あるガスを身体の周囲に常
に漂わせることで、読み書き発音全て障害なく、コミュニケーションを取れる
ようになります。
そんなことよりも、私達の願いを聞き入れてもらえるのかどうか、早い決断
を頼みます。本当に、時間に余裕がないのです>
一転して、胡散臭い回答になったと感じた。しかし、写真の時間移動機から
支倉が受けた、何とも表現のしようのない好感触をぬぐい去るほどではない。
支倉は決断し、メールを書いた。
一応信じることにしたという意思表示とともに、機械の完成が明後日の早朝
になる見込みであること、そのついでにスケートの結果を確認し、そちらの話
の信憑性を見極めてから連絡する旨を伝えた。すると折り返し、なるべく急い
でほしいと懇願するメールが届いたが、これには返事を出さなかった。支倉に
はどうしようもない。それに、二〇〇六年と一八九九年の時間が、同時進行で
流れるとして、その“勢い”が全く同じなのか、また、一定の速さなのかはっ
きりしない。極端な仮定をするなら、こちらの一時間が、向こうの一日に当た
るかもしれないのだ。
とりあえず、まだ半信半疑ではあるものの、“時間旅行”に出掛ける準備だ
けはして、そのまま吉山のアパートに向かった。完成品を可能な限り早く受け
取るためと、吉山に時間移動機のテストをさせないためだ。正確な座標値とや
らを入力しない限り、正常に作動しない安全機能付きということだが、でたら
めに打ち込んで、たまたま正確な値になる場合もないとは言い切れまい。
幸い、吉山は大の五輪好きと来ている。テレビの中継に注意を向けさせれば、
作った機械がなんなのかを大して気にすることもなく、明け渡してくれるはず
だ。支倉はそんな算段を立てた。
ちょっとした目論見違いはあったが、支倉は簡易型時間移動機を手に入れた。
起こってしまったトラブルは、仕方がない。吉山ともめる前の時間に戻れば、
やり直せるはず。睡眠不足のまま、明け方を迎え、気分が高ぶっていた。その
せいだ。
そんなことよりも、支倉の心は、いよいよ期待感に支配されていた。トリノ
で開かれている冬季五輪、フィギュアスケート女子の最終結果をテレビで見守
った彼は、心底、驚かされた。あの過去からのメールは真実なのだ。最早、疑
問を差し挟む余地はない。
まだ薄暗い屋外に立ち、準備を進める。十九世紀末のイギリスにいる四人か
ら知らされた座標値を、テンキーで入力し、実行する。正常な値だと認識され、
いつでも出発できることを示す青ランプが点灯した。取扱説明の指示通り、パ
チンコのバンドに当たるパーツを、自らの腰の後ろにあてがうと、柄の部分を
徐々に前向きに倒していく。
何も知らない者が端から見れば、滑稽で笑いを誘う格好だろう。適切な角度
を自動検出し、その瞬間、時間移動が始まる、とあるのだが、誰にも目撃され
ない内に作動してくれないものか――。
――周囲の風景が異国のそれになった。一瞬の変化だった。
イギリスかどうかは分からないが、昔の西洋ということは、それとなく伝わ
ってくる。呆然とする支倉だが、やっと意識して頭をぐるりと一周させた。目
をぱちぱちさせる。焦点を結ぶのに、普段よりも時間を要した気がした。
座標値設定のおかげなのか、建物の陰、それも人通りのない路地裏に到着し
ていた。目立たずに済んだ訳だ。
そう思った途端、まだ握り締めていた時間移動機に意識が行く。急いで、身
体から離した。手に提げているだけでも目に着くので、背負ってきた鞄に無理
矢理押し込もうかと考えた。そんな支倉の前に、不意に人が現れた。
見られたか? 慌てた上に、どう振る舞うのが適当なのか、心の準備ができ
ていない。焦りが募る。
が、次に声を掛けられ、ほっとした。
「メールに応えてくれた人ですね?」
日本語だった。俯きがちにしていた面を起こし、声の主の顔をしげしげと見
つめる支倉。あの写真に写っていた人物の一人、長身の男だと気付くのに、さ
ほど時間は掛からなかった。写真に見られた、作ったような笑顔ではなく、心
からの笑顔になっている。支倉の到着を待ち望んでいたのだ。
よく見ると、その男の陰に隠れるようにして、他の三人もいた。こちらはま
だ表情が強張っている。メールに応じて現れたとはいえ、見ず知らずの男と対
面して、反応に戸惑っているといったところか。
「皆さん、外国人にしか見えませんね」
愛想笑いを浮かべながら、支倉は言った。自分一人が浮いていると自覚する。
この時代では、東洋の島国からの留学生としたって、服装がおかしいだろう。
「無駄話や挨拶は後回しにしましょう」
長髪の男は、優しい物腰だが、若干早口で言った。
「誰か一人、二二九九年に行く者を決めなければならない。断るまでもなく、
あなたは――」
と、支倉を指差す。
「――二二九九年という未来に行っても、私達を救い出す役には立たない。あ
なたのお役目は、ここにこの機会を持って来てくれたことです。それから、私
も行きたいのは山々だが、ご覧の通り――」
今度は、背後の三名に顎を振る。
「仲間達は精神的にすっかり怯えてしまっている。彼らを残していくのは、心
許ない。むしろ、彼らの中で一番しっかりしている者を、二二九九年に行かせ
るのが、最善の策と言える」
「なるほど」
相手のまくし立てる口調に圧倒されながらも、支倉は同意した。確かに、そ
の通りだと思えた。支倉自身、この長身の男に行かれて、来たばかりの過去の
イギリスで、おどおどしている三人の男女と一緒に過ごすのは、心細いこと極
まりない。
「そういう訳だから、とりあえず、その機械をこちらへ」
長身長髪の男は、右手を差し出してきた。薄皮の手袋をしている。指は細長
く、器用そうに見えた。
「ええ。まだ一度しか使っていませんが、とても快適です。造りはしっかりし
ていると思いますよ」
「しばらく時間をいただきたい。彼ら三名の、誰がこの役目に最も相応しいか
を、相談して決めたいのでね。その間、あなたにはこれで」
男は機械を受け取ると、空いているもう片方の手で懐をまさぐる。次に出て
来たとき、その手は何枚かの硬貨を掴んでいた。
「そこの大通りに出て、右に曲がった角にカフェがある、そこでお茶でも飲ん
で、くつろいでいてください。初めての時間旅行で、お疲れでしょう」
「あ、ど、どうも。これ、この時代の?」
「もちろん」
「ありがたくいただきますが……言葉に自信なくて……」
「心配はいりません。すでに、私達の纏うガスの影響で、あなたも英語がぺら
ぺらになっているも同然のはずですよ。気になるのでしたら、改めて、ガスを
吹きかけてもらうといい」
長身の男はそう言うと、後ろの三人の内、ショートカットの女の子に合図を
送ったらしかった。その女の子は、おずおずと前に進み出ると、支倉の時代の
携帯電話によく似た、ピンク色の物体をポケットから取り出した。無言で、そ
れを支倉に向けたかと思うと、音もなく、ただ、初めて嗅ぐ爽やかな香りが漂
い始めた。五秒ほどで女の子は手を下ろし、後ずさりするようにして戻った。
「これでいいんだな?」
長髪の男が女の子に確認を取る。彼女は以前として無口で、首を縦に振るの
みだった。
「さ、どうぞ。私達はここで話を付けます。終わったら、私達の方から店に向
かいますので、ごゆっくり」
「え、ええ」
そう促されても、足がすくむ。置いてけぼりにされるのではないかという不
安が、支倉の胸の内にわずかだが芽生えていた。あの時間移動機が一人用なの
は間違いないが……。そういえば、あの魅力溢れる正規の時間移動機はどうし
たのだろう? 故障がひどく、かさばるので、どこかに隠したのか。
「どうしました?」
長髪の男は、笑みをたたえて言った。機械を手元に収め、安心し切っている
風にも見える。支倉を含めた五人の中で、今や、この男が最も落ち着いている
のは明白である。
「ほんのしばらくのことです。御礼は後ほど、たっぷりとしますよ。それに折
角、過去の世界に来たのだから、観光も少しはしてみたいでしょう。カフェで
お茶を飲む程度で臆していては、始まりません」
「……そうですね。言葉も不自由しないんだし、楽しまないと」
支倉が軽く頷き、きびすを返しかけたその刹那。
「逃げて! この人、切り裂きジャックなのよ!」
――続