AWC お題>スイカ〜Revenge [1/4] らいと・ひる


        
#238/598 ●長編
★タイトル (lig     )  04/08/29  20:23  (443)
お題>スイカ〜Revenge [1/4] らいと・ひる
★内容


8月2日


 四月朔日麻衣夏(わたぬきまいか)は西瓜が大好きだった。
 西瓜だけではない、夏らしいすべてのものが好きだったのだろう。海水浴が
好きで、夏祭りが好きで、浴衣が好きで、真っ昼間の騒がしい蝉の音が大好き
で、とにかく夏を目一杯楽しんで生きている女の子だった。
 そんな彼女が、朝から嘉島崎爽平(かしまざきそうへい)の家を訪ねてくる。
学生である彼女は、夏休みに入って暇を持てあましているらしい。
 社会人となって間もない爽平は、貴重な休日の睡眠時間を彼女の来訪によっ
て邪魔されてしまう。
「おはよ!」
 合い鍵を持っている彼女は、まだ布団の中で熟睡している爽平にお構いなく
勝手に上がり込み、寝室のカーテンをおもむろに開けて、寝ている彼の上に馬
乗りになった。
「こら、爽平! 朝だぞ。天気いいぞ。夏真っ盛りだぞ」
 ここのところ、爽平を起こすさいの台詞はそんな感じだ。夏なのだから、早
く遊びに連れてってと言わんばかりの勢いである。まるで、夏休み入った子供
を持つ父親のようだった。
 重さに耐えかねて彼はうっすらと目を開ける。
 そこにさらに衝撃が加わる。胸の上に何か重みのある物を乗っけられた感じ
だった。
「なんだよぉ」
 その物体を確認する。緑の球体、黒い縞模様がある。遊びに行くのだからビ
ーチボールなのだろうと眠い頭で考えながらも、その重みに対して別の思考回
路がそれを否定する。
「!」
 驚いて急に起きあがったものだから、上に乗っていた麻衣夏が布団の後方へ
と転がっていく。爽平の胸にあった物体はそのまま横にすべり落ち、こちらは
まだ布団の中だろう。
「もう、急になにすんのよ!」
 眉間にしわを寄せて彼女は起きあがる。口が「よ!」のままこちらを捉えて
いた。
 そんな彼女から逃げるように視線を逸らして、ふと横を見ると西瓜が転がっ
ている。
「西瓜?」
「そう西瓜。ここへ来る途中、八百屋さんでね。スーパーじゃないよ、八百屋
のおじちゃんにね、いい西瓜選んでもらったんだから。冷やしといて後で食べ
ようよ」
 満面の笑みを浮かべる彼女に、申し訳なさそうに爽平は答える。
「俺、西瓜嫌いなんだけどな」
 寝起きということもあってか、彼の声はぶっきらぼうに聞こえてしまったか
もしれない。
「え? 嫌いなの? なんで? 夏だよ、西瓜だよ。甘いし、おいしいよ。爽
平、果物嫌いじゃないでしょ」
 顔中に?マークをつけた感じの無邪気な麻衣夏の笑顔。
「ぶー、西瓜は野菜です」
 爽平は無性に意地悪がしたくなって、そんなどうでもいい知識をひけらかす。
「ムカツクぅ! そうじゃなくて、そんなにクセのある味じゃないでしょ。メ
ロン食べられるでしょ。梨も食べられるでしょ」
 さすがに「メロンも野菜です」なんて言ったら叩かれるだけであろう。
「うん、だけど嫌いなんだ。なんか赤いし」
 嫌いな物はあまり深く考えないのが吉である。爽平はそういう性格だ。
「ほぉー、爽平、苺嫌いなんだ。トマトもだめなんだ。ボルシチもレッドカレ
ーもキムチも赤いきつねもだめじゃん」
 まくしたてるような麻衣夏の言葉に爽平は少し呆れてしまう。
「おいおい」
「そんな事言ってたらね、何も食べられないよ」
 非道い言われようであるが、彼は好き嫌いが激しいわけではなかった。
「いや、西瓜だけダメなんだけど」
「なんかトラウマでもあるっての? もう、嫌だなぁ。夏だってのに健全じゃ
ないんだから」
 爽平はその言葉を聞き流しながら、立ち上がってテレビの電源を入れる。朝
起きて一番初めの行動はいつもこれだ。一人暮らしが長くなると、それが習慣
のようになってしまっているのかもしれない。
 画面にはどこかの球場のスタンドが映し出され、応援する人たちの声が聞こ
えてくる。それは高校野球だった。
 見覚えのある学校だったが、彼はすぐさまいくつかチャンネルを切替えて、
最終的にはバラエティ番組に落ち着ける。
「えー、高校野球みないの? さっきの爽平とこの地元じゃないの?」
「ん、野球嫌いだから。特に高校野球は」
「もー、どうしてそう夏らしいものばっかり嫌いになるかな」
「なんかね。あの金属バットがカンに障る」
「わがままだなぁ」


 今日は映画に行こうということになった。夏らしいということで、ホラー映
画に決まった。なんでも韓国で制作されたものらしい。友達に先に見に行かれ
たと麻衣夏が悔しがっていたので、単純にそれに決めた。今日はなるべく彼女
の機嫌をとるほうが良いみたいだからだ。
 爽平の横を歩いている彼女は、腰くらいまであるであろう長い髪をアップに
してバレッタで短くまとめている。出逢った時からそんな感じなので「だった
らショートにしてしまえばいいのに」と言うと「髪は女の命なんです、そう簡
単に切ってたまるものですか。それにね、あたしギネスブックに載るのを目指
しているんだから」と訳のわからない事を言う。いや、単純にバレッタを外せ
ばいいのだが。たぶん、それを言うと「長くて鬱陶しいから」と矛盾したこと
を言い出すだろう。
 今日は気温が上がるということもあって麻衣夏の服装は、上は水色でセーラ
ーカラーのブラウスに下はジーンズ生地のミニスカートだ。彼女はわりと行動
的な服装を好む。街でゴシックロリータファッションの少女を見かけて「あん
な服とか着てみたくないの?」と問うと「恥ずかしくて着れないよ。それにな
んか動きにくそうだし、なにより暑そう。どうせなら涼しげな甘ロリチックな
のがいいよ」と言う。それを聞いて爽平も彼女らしいと納得した。そんな彼女
を好きになったのだからと。
 映画を見た後、バーガーショップに入って、税抜きだと100円であろうシ
ェーキを注文してたわいのない話をする。
「爽平ってホラー映画とか平気なんだね」
「なんで? 俺ってそういうのにビビるタイプだと思ってた?」
「いや、そうじゃなくて。あんまり気乗りしてなかったから」
「まあね、どっちかっていうと洋画の方が好きだから」
「今日見たのは邦画じゃないけどね」
「そんな勝ち誇ったように言われてもなぁ」
 その後は、映画についてのあれこれとくだらない議論を交わす。あそこの血
しぶきはやりすぎたとか、驚かすならもっと溜めが必要だとか、少女をなぶり
殺すシーンがまだまだ甘いとか、ある意味爽平はお腹がいっぱいになった。


 その夜、夢を見た。
 まだ小さい頃の自分だった。
 どこかの少年野球チームのユニフォームを着て、ベンチに座ってみんなと西
瓜を頬張っていた。
 赤い。
 味はわからなかった。
 でも、幼い頃に野球チームに入っていた記憶なんてない。だいたい、初めて
夢中になったスポーツはサッカーだった。爽平はそう思った。
 たぶん、夕食時に高校野球の話を熱心に麻衣夏が語っていたのと、夕食後に
目の前で大皿に山盛りになった西瓜を彼女が必死に食べたのを見ていたからで
あろう。夢は印象に残った記憶を乱雑に再配置するだけだ。記憶の再現ではな
いのだから。



8月7日

 海へ行くことになった。
 麻衣夏と付き合ってもうすぐ一年になる。だが、付き合い始めたのが夏も終
わり頃だったので、爽平が彼女と一緒に海へ行くのは初めてのことだ。
 更衣室で着替えて浜辺で麻衣夏を待ちつつ座っていると、急に頭に衝撃が走
る。といっても、軽い感じのものだ。
 見ると、西瓜の形をしたビーチボールが転がっていく。
「爽平、お待たせ」
 そのボールを追いかけて麻衣夏が現れる。ショッキングピンクのカーゴショ
ーツに白地に薄いピンクのハイビスカス柄のタンクトップ姿。街を歩くにはや
や派手目な格好であるが……。
「おまえ、なんか間違ってない?」
 爽平はそう言わずにはいられなかった。
「えー、なんで?」
 西瓜のビーチボールを胸に抱えた麻衣夏は不満げに口を尖らせる。
「まだ着替えてないんだよな」
「え? だって、ほら」と、彼女はくるりとまわって「さっきと服装違うでし
ょ」と得意げに言う。たしかに、Tシャツにキュロットスカート姿の着替える
前とは違っていた。だが、爽平には納得がいかない。
「それ、水着だとか言うなよな」
「ほら水着の生地でしょ」
 爽平の手を掴んで腹部の生地を触らせる麻衣夏。ニッコリ笑ったその顔に誤
魔化されまいと爽平は手を離す。
「この前一緒に買いにいったアレはどうなったの?」
 専門店まで一緒に買い物に行った時、あれこれと思い悩む麻衣夏に焦れった
く感じながらも2時間近く付き合った記憶がある。
「ああ、アレね。うん、なんだか恥ずかしくなって」
 おもむろに視線を逸らす麻衣夏。その仕草はわざとらしくも感じる。
「つうか、麻衣夏、おまえは夏少女だろ。全身で夏を感じるような生き様じゃ
なかったのか」
 見損なったと言わんばかりの勢いで爽平は攻撃をかける。
「あー、やっぱりぃ、夏少女っていうにはもう年だしぃ」
 急に気怠そうな、それも演技っぽい口調になる。まあ、22才にもなって
『少女』というのには無理があるが。
「こういう時だけ夏を否定するなよ」
 いつもは夏を背負って歩いているような性格の彼女なのだから。
「あははは。夏はやっぱりスクール水着だよね」
 その作り笑いにも話を逸らす為の方向にも無理はあった。
「なんか誤魔化してるだろ」
「うん、実を言うとね」
 伏し目がちになる麻衣夏。
「なんだよ。もったいぶって」
「だから! 勢いで買っちゃったけど……やっぱね、ビキニタイプって胸ない
とちょっと格好悪いんだな、これが」
 「てひひひ」って感じの変な苦笑いを麻衣夏はした。そこで思わず爽平は胸
の小さなふくらみに目がいく。
「あ、そっか。麻衣夏、貧乳だもんな」
「貧乳いうなぁー! セクハラ男」
 爽平の頬に彼女の拳で思いっきりぶつかってくる。そう、平手じゃなくて拳
だ。麻衣夏の右ストレートには手加減はなかった。



 水着はおとなしめではあったが、海の中では大はしゃぎの麻衣夏だった。
 二人でくたくたになるまでふざけあって、海に来たというのに大して泳ぐこ
とはなかった。それでも楽しい時間を共有できたと爽平は思う。
 途中、肌を焼きたいという彼女にサンオイルをたっぷり塗りたくって(肌を
焼きたいのに、露出が少ない水着を着てくる矛盾を爽平は感じたが)、しばら
く休憩となる。飲み物を買ってきて麻衣夏に手渡すと、彼女はこんなことを言
った。
「そういえば最近、砂浜で恒例のイベントやる人ってあんまりいないのかなぁ」
「イベント?」
「そう、いかにも夏の砂浜っぽい感じのやつ」
「例えば?」
「西瓜割りとか」
「……西瓜割りなんて、今時お笑いタレントのコントでも見かけないぞ」
「そうかなぁ」
「少なくとも今どきの奴はやらないだろ」



 帰り道、「お腹空いた!」と麻衣夏が言ったので、手軽に食事のとれるファ
ミリーレストランに入ることにした。付き合って1年近くにもなるので、今更
豪華なディナーに誘わなくても彼女は不満を言わないはずだった。
「最近、ファミレス多いよね」
 今日に限って彼女はそんな風に漏らす。大好物のカルボナーラをペロリと平
らげた後だった。
「不満か?」
「いや、気取ったお店ってのも気を遣ってヤだけどさ。でも、なんかお気軽な
扱いされているようで、ちょっとムカツクかも」
 そう彼女は笑顔で言った。「ムカツク」の部分がこれ以上にないくらいの笑
顔だったので、彼は少し恐怖を感じた。
「仕方ない、今度はもっと豪華なディナー連れてってやるからさ」
「ま、いいんだけどね。あたしジャンクフード嫌いじゃないし、時間や周りを
気にせずに喋れるってのはある意味魅力的だし」
「どっちなんだよ」
「まあまあ、怒らない。複雑なのよ女心は」
 そう言って彼女は食後にとっておいたアイスティーを飲む。
 爽平も口の中を潤そうと思ってコーヒーカップに手を出すが、その中はすで
に空だった。
「コーヒーのおかわりいかがですか?」
 話の切れ目をついて席に近づいた店員が、空になったカップに目を向ける。
わりと小柄な二十代前半ぐらいの女性だった。
「あ、お願いするよ」
 そう言って店員に視線を向ける。だが、彼女はこちらではなく、麻衣夏の方
を見つめていた。そして驚いた口調で呟く。
「あれ? エイフーじゃない?」
 その声で、麻衣夏もアイスティーのグラスから視線を上げて店員を見る。
「え? あ、佳枝じゃん。なに、ここでバイトしてんだ」
「まあね、こちらは彼氏さん?」
「うん、そんなようなもん」
 そう言われて爽平は口を出せなくなった。せっかく爽やかな自己紹介の方法
を考えていたというのに、まるで脇役扱いだ。
「そんな言い方していいのかな?」
「いいんだよ。で、いつからバイトやってんの?」
 麻衣夏は爽平の事など気にしない様子で話に夢中になっている。
「夏休み入ってからだよ。ごめん、あんまし喋ってると店長がうるさいから」
 彼女は一度後ろを振り返り、麻衣夏に右の手のひらを向ける。
「うん、わかった。後でメールするね」
「では、ごゆっくり」
 そう言って彼女は去っていく。
「友達?」
 親しそうに話していたのだから十中八九そうであろう。
「高校の時のクラスメイト」
「ふーん、で『エイフー』って? ニックネーム?」
「そうだよ」
「変わった呼び方だね。どういった経緯で付いたわけ?」
「うん、ほらあたしの苗字って変わってるじゃん」
「あ、そうか『四月朔日(わたぬき)』は『四月一日』だから、エイプリルフ
ールね。はいはい、すっきりした」
「ほんとは『朔日』って陰暦だから、正確にはエイプリルフールとは違っちゃ
うんだけどね」
「ま、ニックネームなんてそんなもんだろ」


 その夜、また印象的な夢を見る。
 血に染まった砂浜。
 頭から血を流している幼い少女の死体。
 頭痛がしてきた。
 またしても乱雑な記憶の再配置だ。先週観に行ったホラー映画と、海に遊び
に行った事が入り混ざっている。どうせならもっと楽しい夢がいいのだが。や
はり元凶は映画の後のくだらない議論だったか。あれが一番影響しているのだ
ろう。



8月8日

 一人暮らしをしている麻衣夏を家まで送り届けた後、爽平は帰るついでに乗
換駅にある大型書店へと入る。ここは比較的大きなターミナル駅なので周辺は
それなりに開発が進んでおり、飲食店も多いので夜になっても人通りは絶えな
い方だ。
 家の近くの小さな本屋には入荷していない雑誌が多いので、この大型書店を
彼はたまに利用している。
 一通り立ち読みして外へ出たとき、見覚えのある女性が彼の前を通り過ぎて
いく。彼女はそのまま繁華街の方へと歩いていくようだ。
 黒を基調とするフリルやリボンのついたミニのワンピース、黒いハイソック
スに黒いストラップシューズ、頭にはローズギャザーのヘッドドレス、両手で
黒い小さなハンドバッグを持っていた。いわゆるゴシックロリータのファッシ
ョンである。
 髪はまるで人形のような艶やかな腰まであるストレートだった。
 印象的な服装と髪型に惑わされて、爽平には誰に似ているのか思い出せない。
 何か謎解きをしなくてはいけないかのような気がして、無意識に彼女の後ろ
を付けていた。
 背筋を伸ばしさっそうと歩く後ろ姿に覚えはない。知り合いであれば、歩く
姿から想像がつくものだが。あまり近づくと本当に犯罪者になってしまいそう
だったので、爽平はある程度の距離を置く。
 しばらく、ストーカーのように後をつけ、空しくなってあきらめかけたとこ
ろで彼は気が付いた。
(麻衣夏?)
 さきほど一瞬だけ見た横顔が、彼女と重なる。たしかに顔の造りは似ていた
かもしれない。
 だが、そう呟きながらも心の中では否定する。彼女は先ほど家まで送り届け
たではないか。しかも、彼女が着ている服は、彼女自身があまり好きではない
と言っていたファッションだ。
(他人のそら似にか)
 そう答えを出しながらも、それを否定できない何かが隠されているような気
もしてきた。
 だから、前を歩く彼女から目が離せなかった。かと言って気軽に声をかけら
れるような状況でもない。
 歩いたまま、爽平は片手でジーンズの後ろポケットに入っていた携帯電話を
取り出す。
 目の前の彼女は麻衣夏でははない。そう思いながらも確かめずにはいられな
かった。
 メモリから彼女の電話番号を呼び出し、発信する。
 呼び出し音が鳴った。
(もし出なかったら、どうする気だ?)
 彼は自分自身に問う。答えは簡単だ。彼女だと思うのなら声をかければいい
だけの話である。
「もしもし」
 電話が繋がった。
 眠そうなややくぐもった声だが、たしかに麻衣夏だ。
「……」
 そこで安心したのだろうか、爽平の足は自然とそこで止まっていた。
「もしもし、爽平? どうしたの?」
「いや、なんでもない。麻衣夏の声が聞きたかっただけだから」
 それは本当に本心からだった。


	*							*


 麻衣夏と初めて会ったのは去年の夏の終わりだった。
 暦の上でも本当にぎりぎりの8月31日である。
 街には秋冬ものの衣服が売り出され、夏限定品のあれこれは姿を消すか在庫
処分品とされていた。
 爽平は真っ昼間から友達と軽く飲んだ後、夕方には別れて街を散策していた。
ほろ酔い加減ということで、足下も少しおぼついている。そんな事もあってか、
前から歩いてきた女性と正面からぶつかってしまった。
「わるい」
 相手の女性が倒れ込むことはなかったが、何か手に持っていたものを落とし
てしまったようだ。
「あ!」
 女性は悲しそうな顔で足下を見ている。それは大事な誰かに置いていかれた
子供のように、いまにも泣きそうな表情でもあった。だから、ぶつかってきた
爽平に対する直接的な怒りは感じられない。
 だが、別の事で爽平は気が動揺した。一種の既視感だろうか。目の前の女性
はまったく知らない他人だというのに、どこかで会った事があるような気がし
たのだ。それはもしかしたら、彼女に会ったと記憶するものではなく、誰かに
会った事を忘れていて、その誰かが彼女に似ていただけのことかもしれない。
 そんな奇妙な感覚に陥りながらも、爽平は頭を下げる。悪いのはどう考えて
も自分なのだから、それは当たり前であった。
「申し訳ない。こちらの不注意だ」
 爽平はふと女性の足下を見る。そこには道路に落ちて無惨な姿となった赤い
色のソフトクリームがあった。
「あーあ」
 女性は悲しそうに呟いた。彼女は十代にも見えなくはなかったが、服装や多
少の化粧慣れした感じから二十代であることが想像つく。まさか、高校生では
ないだろう、爽平はそう思った。
「弁償するよ」
 たかがソフトクリーム一つに、幼子でもないのにここまで傷心した雰囲気と
なる彼女にも疑問を感じる。が、爽平自身の落ち度は紛れもない事実なのだか
らと彼は真摯に受け止めた。
「限定品で、最後の一個だったの」
 かすれるような声で彼女は呟いた。
「え?」
 爽平は単純に赤だからストロベリー味のものだと思っていた。でも、彼女の
口調からして何か特別のものなのだろうか。
「『夢見月のアリス』の夏期限定品。西瓜味のフレーバー」
「西瓜味?」
 爽平は思わず吹き出してしまった。確かに夏らしいものではあるが、それほ
ど売れるものなのだろうか。過去に、夏になるたびに違うメーカーから発売さ
れる西瓜ジュースを思い出し、それを毎年酷評するためだけに買い続ける古い
友人の顔を思い出す。
「笑うことないでしょ。ひどいな、ほんとなら弁償してもらいたいのに」
 目の前の彼女は不満げな顔で爽平を見つめている。たぶん、これ以上笑った
ら憤慨するだろう。
「ごめん、ちょっと昔の事思い出したから」
「だからって」
 彼女はまだ未練がましく、ほぼ液体と化したソフトクリームの残骸を見つめ
ている。その表情は先ほどと同じで何かもの悲しそうだった。
「ごめん。そうだね、悪いのは俺だから」
「責任とってくれる?」
 彼女は上目遣いに、懇願するように呟く。
「落とした分の金額は弁償するよ」
「そうじゃない。あたしの夏を返して」



「こういうのナンパっていうんでしょ?」
 彼女はニヤニヤしながら爽平の顔を見る。
「だから、俺なりの責任の取り方なんだけどな」
「普段でもこんな簡単に女の子誘っちゃうの? 純朴そうな顔してるのに」
「大きなお世話だ。それにノコノコついてくる子だって相当遊んでるんじゃな
いのか?
 爽平は知り合いの家の近くにある団地の自治会が、毎年8月の最終日に祭り
を行っているのを思い出し、彼女をそれに誘ったのだ。もちろん、彼女の機嫌
を取るために途中で浴衣を買い与えた。
 たかがソフトクリーム一つにここまでしてやる義理はないのだが、彼女の寂
しげな表情が気になったのだ。そして話を聞くうちに、情が移ったというべき
か、一肌脱いでやろうという気持ちになった。
 彼女は今年の夏は散々だったらしい。夏に入る前に恋人と別れて、唯一楽し
みにしていた友達と行く予定の沖縄への旅行もキャンセルとなり、地元の花火
大会は強風で中止、夏物バーゲン品は日にちを間違え買えず、夏祭りの前日に
お腹を壊して次の日ずっと寝ていたそうだ。
 つまり夏らしい事を一つも楽しまないうちに夏が終わってしまうのが悲しか
ったらしい。唯一まだ食べていなかった夏季限定品のソフトクリームを食べて、
最後の夏を満喫しようとしていたところに、それを台無しにする男が現れたと
いうことだ。
 そして麻衣夏は、自己紹介の時に自分の名前に「夏」が入っている事を強調
し、どれだけ夏が好きであるかということをくどいくらいに爽平に語った。
 正直、彼は最初はそんなことはどうでもよくて本当に煩わしささえ感じた。
だが、あまりにもまっすぐに感情をぶつけてくる姿は、最終的には煩わしさよ
りかわらしさの方が勝ったのだ。



「夏が終わっちゃうね」
 夏祭りは21時をもってきっかりと終了した。余韻に浸る間もなく屋台の火
は落とされ、人もまばらとなっていく。
「そうだな」
「夏の思い出って花火みたいにすぐに忘れられていくんだよね」
 麻衣夏はいつの間にか涙を流していた。
 あまりの突然の事に一瞬、爽平は言葉に詰まる。
 そんな彼女を見て、彼は胸が締め付けられた。彼女の涙の訳を知りたい。も
し知ることができたなら、その涙を流させないように努力したい。
 彼はそこで気付く。一夏どころか、小一時間ほど彼女と話しただけだが、自
分は麻衣夏に恋をしたということを。夏が大好きな普通の子にいつの間にか夢
中になっていたことを。
 だから、爽平は彼女に向かって囁いた。
「もし君さえよければだけど、来年は一緒に夏を楽しもうよ。二人で思い出を
作って、それを二人で共有すれば忘れてしまうことはないと思うよ」
「……っ!」
 その言葉で彼女は吹き出した。そして、我慢できなくなったかのようにけら
けらと笑い出す。
「笑うことはないだろ」
「ごめん。真面目だったんだね」
「だから、望まないんだったら放置していいよ。下手に反応されるとこっちも
傷つく」
「けっこうロマンチストなんだ」
「『けっこう』じゃなくて『かなり』ね」
 爽平は自嘲気味に笑う。
「じゃあ、あたしもスイッチ入れようかな」
 と謎な言葉を呟いた彼女の唇がいきなり接近し、爽平の頬にそっと触れる。
「え?」
 一瞬の事で彼は頭の中が真っ白になった。
「これは今日のお礼。最後の夏を楽しませてくれたことに対する」
 そう言って、彼女は人差し指を自分の唇に触れる。
「こっから先は、お預け。もし、あたしがあなたを好きになったらあなたの勝
ち。賞品はその時まで。いい? そうね、期限は来年の夏の終わり」
「それって」
「あたしもね。そんなに軽い女に見られるのは嫌だから。はい、いちおう携帯
の番号。携帯つうかピッチだけどね」
 彼女の手から名刺のようなものが渡される。そして続けてこう言った。
「今日はありがと。で、今日はさようなら。後で連絡して、気が変わらなかっ
たら付き合ってあげるから。とりあえず友達としてね」






 続き #239 お題>スイカ〜Revenge [2/4] らいと・ひる
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