#211/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 04/01/27 23:59 (236)
からくり魔神 6 平野年男
★内容 04/04/23 14:35 修正 第2版
「江田は木村殺害後、屋敷に戻ろうとして、愕然とした。雪がやんでいたから
だ。靴は最初からゴム長を履いて来たのでどうとでもなるが、足跡を残しては
自分が犯人である証拠になる。そう思い込んで、足跡を付けずに戻る方法を必
死に考えたらしい。足跡は重要な証拠になるという知識が、余計な方向に働い
たんだ」
「短い時間であんなトリックを考え出すぐらいだし、秘書としても立派に務め
ていたのだから、頭はいいはずなのに」
牧が感心したような、呆れたような調子で述べた。
「坂上記者の事件は、どうして起きたの?」
良子は待ちきれなくなって直接聞いた。流はまず「全部、犯人の自白による
ものなんだが」と断った。
「しかもまだ取り調べは始まったばかりだから、不完全な供述でしかない。当
人の話やあとで刑事から聞いたことを総合すると、家捜しをする坂上を見とが
めたそうだよ。坂上は悪びれる様子もなく、宛われた部屋に江田を招き入れる
と、秘密の暴露を求めてきた。謝礼は弾むと言い添えてね」
「江田さんが逆上するのも無理ないかもな。あの人、うちに忠誠を誓ってたと
ころあるし」
「だとしたら、忠誠心がこんな形で発露したのは、残念でならない。間違って
いるよ」
「平常の精神状態じゃなかったんだわ。頭に血が昇って、前後の見境がなくな
ってしまってたのよ」
江田に同情心を抱いた良子は、少しだけ弁護した。流はこの点、冷静であり、
冷たかった。
「計画殺人よりは罪が軽くなるかもしれないけれど、だからといって許される
ものじゃない。結果的に失敗に終わったものの、犯行時刻の偽装を試みたのも
印象を悪くしている」
「犯行時刻の偽装? そんなことしてたのか」
「あの夜、僕と良子さんが聞いた悲鳴は、江田本人が精一杯高い声を振り絞っ
たものだったんだ。それに坂上の部屋のドアノブの血も、あたかも犯行直後だ
と見せかけたいがための小細工。で、当然、偽アリバイを証言してくれる人を
こしらえねばならない。江田は外部の知り合いに電話をしたらしい。ところが、
『今、悲鳴があった』云々という肝心要の時点で、電話が不通になった」
「あ、雪のせいで」
「そう。このハプニングにより、元から脆弱だったアリバイトリックは、全く
成立しなくなってしまった。かえって、電話の相手に“犯行時刻ちょうどに通
話が切れた”と証言されでもしては、逆効果も甚だしい。だから江田は黙って
いたんだ」
「それなのに、木村が勝手にアリバイ証言をぺらぺらでっち上げたのだから、
泡を食らったろうな」
「恐らく。しかし、江田の演技も大したものだったと思う。あの段階で二人の
証言を疑う気持ちは、爪の先ほども抱けなかったからね」
流は説明に一区切りを付けると、今度は藤川兄妹に質問した。
「君達のお父さんとお母さんは?」
「うん……まだ、ショックが大きいみたいだな」
さすがの貴之も表情を曇らせ、暗い声になる。
晋太郎も真美も、藤川家のために長く仕えてきた江田が犯人だったことに感
じ入るものがあったらしく、言葉数が少なくなっている。警察による説明も、
全てが分かってからでいいと拒絶したほどだ。
「あれは、火事や事故に遭ったときと同じぐらい、沈んでる感じだ。まあ、二
人ともハンディキャップを負いながら強く生きてきたから、立ち直りも早いと
信じてる。流が心配することじゃないさ」
「一日も早く、元気になられることを願ってる。そうお伝えしてほしい」
「ああ」
貴之は請け負い、それから腕時計を見た。
「まだ少しあるな。荷物はまとめたな?」
「忘れ物のチェックはしてないけどね」
流の冗談を、貴之はまともに受け取った。それなら早くチェックしてこいと
言う。もしかすると、事件の説明を聞き終わった今、恋人と二人きりになりた
いだけなのかもしれない。その証拠に、流を追い払った手を、牧の腰に回し、
自分の部屋に足を向けた。普通に歩いているだけなのに、スキップを踏んでい
るように見えるのは何故かしら。
残された良子はふーっと音がするほどの勢いで、鼻息を荒くした。呼吸を整
えてから、流の部屋に向かった。
「流さん。手伝おっか?」
ドアの隙間から顔だけ覗かせ、できる限りの笑顔で話し掛ける。流は手を止
め、肩をすくめた。
「忘れ物のチェックだけだから、手伝ってもらいようがないよ」
それもそうか。良子は舌先をちらと出し、部屋に入った。立ったまま、二つ
目の問い掛けを。
「流さん。ここの居心地はよかった?」
「居心地はね。大変な雪だったけれど、それもこの土地ならではのものと思え
ば楽しめたろう。しかし、殺人事件が全部ぶち壊した」
「そうですよね……居心地がよかったと言ってくれただけで、ちょっと救われ
たかな」
「君が責任を感じることじゃない」
「でも。流さんに嫌な思い出を作っちゃって……」
床に視線を落とした良子の前に、影が差す。面を起こすと、流が優しく笑っ
ていた。さすがに作り笑いめいていたが、それでも充分に気持ちを感じ取れる。
「僕は僕で、いい経験になったと思ってるよ」
「ほんと? どこがいい経験になりました?」
追及したのは、流が自分のことを気遣って嘘をついたのではないかと思った
から。もし嘘なら、口ごもるはず。良子は相手の口元をじっと見つめた。
だが、返事はすぐにあった。
「まず、考えがまとまらない内に推理を披露しない。今回はぐだぐだになりそ
うだった。次に、必要な手がかりを得たと判断するタイミングを誤るな。僕が
中途半端な推理を話したのも、そもそもはこれが原因。三つ目は、他人のプラ
イバシーには可能な限り踏み込まない。表面上は気にしない素振りをしていた
つもりだけど、僕は藤川家の秘密とやらが重大な要素だと考え、聞き出そうと
していた。勇み足をしなくてよかったと思ってる。それから……警察とうまく
付き合っていくこと。まあ、全国各地に知り合いを作るのは難しいに違いない
けどね。あと、大勢いる前で推理を話すことに、予想以上の緊張を強いられた。
あれには慣れないといけないな。そして、ファーストインプレッションを大切
に。真っ先に容疑者リストに入れた人物が犯人だったからねえ。勝手に、これ
は難事件だから、もっと複雑な理屈が待ちかまえているはずだと決め付けてい
た」
「……全部、事件のことじゃないですか」
「そうだよ。探偵をやるからには、全て大事だと思うんだけどな。違うかな」
「大学を卒業されたら、探偵になるつもりですか」
「なれるものなら、なりたい。周りからは反対されているけれどね」
「け、警察じゃ、だめなんですね」
「……興味津々だね、良子さん」
良子は頬を両手のひらで押さえて、流から顔を逸らした。
「そんなことないですっ」
「僕が探偵になるかどうかが、君に関係あるんだろうか? 分からないな」
これに対し、沈黙を保ってたっぷり間を取ることで、心理的体勢を立て直し
た良子は、気に入った答を見つけた。
「……秘書になってあげるわ。格安のお給料で」
「悪くない話だが、果たして君の家族が許すかな。特にお兄さんが」
ウィンクした流を、良子はかわいいと感じてしまった。
「分かんないけど、ほんとに秘書が必要で、なってくれる人がいないときは、
連絡ください」
「覚えておくとしよう」
流はきびすを返し、荷物を手に取った。
「お喋りに夢中になっていたから、こんなに時間が経ったとは思わなかったな」
「忙しくないんだったら、もっと泊まっていっていいのに。お父さん達も歓迎
すると思う。何たって、事件解決の恩人、じゃなくて、えっと、立役者?」
「ははは。ま、謹んで辞退するよ。事件の記憶が鮮明な間は、何日滞在しても
重苦しい雰囲気のままだろうから」
「……向こうに戻ったら、流さんと一緒に、思いきり楽しみたいです。一度で
いいから」
「そうだね。今回の穴埋めを僕もしたいよ。事件ばかりで、貴之達とも満足に
話せなかったし」
流は良子の前を横切って、ドアを抜け、廊下に出た。
良子はまだ足を動かそうとせず、言葉を探した。
「流さん。藤川家の秘密って気になる? 私も知らないんだけど、分かったら
教えてあげよっか?」
「いや。もういいよ。さっきも言ったように、プライバシーの類に無闇に踏み
込んでも仕方がない。隠すぐらいだから、きっと楽しくないことだろうしね」
「それじゃあ」
良子の台詞が終わらない内に、流はゆっくりとではあるが、廊下を進み始め
た。やむを得ず、良子も歩き出す。
「兄貴の大学に行ったら、いつでも会えますよね?」
「多分ね。ただ、広いキャンパスだから、探し回らないといけない」
「あ、あの。家庭教師をお願いしたら、引き受けてくれます?」
「家庭教師は牧君がいるでしょうが。それに、異性の家庭教師を付けることは、
普通、親が反対するよ」
「そっかあ」
玄関が見え、そこには貴之と牧の姿もあった。会話をあきらめるしかない。
「流、すまんな。両親はともに出て来る元気がないようだ。別れの挨拶と感謝
の言葉をよろしくと頼まれた」
「了解。僕から最後の顔見せと行こうか」
「時間がないだろ。年寄りは話し出すと長くなる。雪もまだ解けきっていない
んだから、余裕を見て出るべきだ、と忠告させてもらおう」
「それもそうか。じゃ、顔を見るのは、再会のときの楽しみにとっておくとす
るかな」
流の言葉に、良子の気持ちはちょっと上向きになった。表情も自然とほころ
ぶ。
「友達の親をつかまえて、再会の楽しみってのも変だろ。そういうのは友達本
人に使うもんだぜ」
兄が馬鹿笑いするのを、笑顔で聞き流せた。
* *
はい、どうか口外しないでください。ただ、誰かに聞いてもらいたいという
気持ちが高まり、どうしようもなくなったので……。ええ、先生でかまいませ
ん。他に話す相手もここにはいませんし、弁護士には守秘義務があるのでしょ
う? それでこそ、安心して話せるというもの。長くなりませんから、お願い
します。
木村賢治を殺した動機について、です。
仰る通り、私は坂上伊予を殺し、逃亡するところを目撃されたからと申し立
てをしましたが、それには多少の嘘が含まれています。いえ、嘘と言うよりも、
隠し事と言うべきでしょうか。
目撃され、脅迫されたことが殺意の一部を形勢したのは事実ですが、木村賢
治を殺そうと決意させたものは、別にあります。もしかすると、それがあった
からこそ、脅迫が最後の一押しとなって、今のような結果に至ったと言えるの
かもしれません。
あの男、木村賢治は、非常に狡猾でした。永続的な不労所得を勝ち取るため
なら、一時の労を全く厭わない面を持っていたのだと思います。
あの男は、藤川家の秘密を調べ上げていたのです。父親からせびり取る金だ
けでは満足できなくなったのか、はたまた元からそうしていたのかは知りませ
ん。数年に渡って、我々の隙を見つけては、少しずつ調査を重ね、事実を嗅ぎ
つけたのでしょう。坂上記者よりも手際がよかったかもしれない。いえ、これ
は冗談です。
そう、藤川家の秘密でしたね。
一言で済ませるなら、藤川家のお子さん二人は、どちらも社長の血を受け継
いでおられません。医学的な検査をして確認を取るまでは、可能性は五分五分
でしたが、今となってはあり得ないと断言できます。
奥様である真美さんの血は継いでおり、藤川の血筋であるのは間違いありま
せん。だから問題ないかというと、FUJIX発展の経緯を知る者からすれば、
そうでないのです。現社長を社の者達が受け入れたのは、真美さんに認められ、
かつ、お子さんをもうけられたからでして……決して心からの信用や忠誠を得
てはいませんでした。強引なやり方が嫌われる要因にすらなっていましたが、
確実に業績を上げるその手腕で、皆を黙らせていたのが実状です。そんな状態
なのですから、もしも社長が藤川家に真に入ってはいなかったと知れたら、大
事になるのは目に見えています。下手を打つと、社の屋台骨を揺るがしかねま
せん。
木村賢治がどうやって突き止めたのか、細かいことは私にも分かりません。
どうやら、事故のときのカルテを手に入れていた節がありますから、それで社
長夫妻の血液型を知り、貴之さんと良子さんどちらか、あるいはお二人ともに
血液型の不整合を見つけたのじゃないでしょうか。
あの男は、そうやって調べ上げた事実を一枚の紙にきちんとまとめ、ある場
所に隠していました。人形の関節を外し、そこにできた穴に、小さく折り畳ん
だ紙片を詰め込んでいたのです。いい歳をした大人なら、誰もあんな人形に興
味を持ちやしませんから、よい隠し場所だったと言えましょう。実際、あの男
が私に紙を見せるために、人形をばらしていったときの、その得意そうな顔と
言ったらなかった。
ええっと、まだ話し足りないような……ああ、そうだ。肝心な点を忘れると
ころでした。
そんなに重要な秘密を記した紙を、木村の奴が私に見せようとした訳。分か
りませんよね?
でも、私からすれば至極当たり前なんですよ。何故って、私が貴之さん達の
本当の父親なのですから。
ええ、もちろんです。比較的若い私が、秘書とは言え、FUJIXの中で重
要な役割を与えられていたのは、真美さんの口添えも大きかったでしょう。社
長も私に信を置いてくださっていたと、自負していますよ。
誤解して欲しくないのは、私の頭には、社長に取って替わろうなどという愚
かな考えは、これっぽっちもなかったことです。商才や人の使い方の妙といっ
た点で、あの方――晋太郎さんは独特の能力を持っていらっしゃる。私なんぞ、
とてもとても。それに、藤川の元のお屋敷が炎上した日、真美さんが外出して
いたのは仕事のためとなっていますが、本当は違います。仕事も関係するには
していましたが、主となる目的は私と逢う、ただそれだけでした。その結果が
交通事故、ひいては真美さんの足の自由を奪うことになったのだとすれば、き
つい天罰です。私はあのとき怖じ気付いたというのが、正直な感想です。社長
に取って替わろうものなら、我が身が危ないと。案外、迷信深いんですよ、私
は。ただ、社長はほとんど気付いておられないようですが……。社長は恐らく、
記者が探ろうとしていた秘密は、FUJIXの拡大に伴う法律すれすれのやり
口のことだと今でも信じているんじゃないでしょうか。
ともかく、私が坂上記者や木村賢治をこの手で殺したのは、藤川家と会社を
守るため。ただただそれに尽きるのです。
いえ……正直な気持ちを申すなら、木村賢治には恨み骨髄でした。パーセン
テージは低いでしょうが、FUJIXをあの男が継ぐという目も絶無とは言い
切れない。私は心の奥底で、あいつを抹殺したいと念じ続けていたのでしょう
か。それだからこそ、離れからの脱出方法を考える内に、あの男をばらばらに
することで成り立つ方法を思い付いたのかもしれません。
……ですが……口幅ったい言い方が許されるなら、子供達のために無理・無
茶をした、ということに集約されます。まあ、今となっては、すっきりしてい
ます。これで丸く収まるものと信じていますのでね。
え? ああ、流君のことですか。彼には参りました。まさか、ほんのちょっ
との言葉から、あんな風に見破るなんて。はい、恨んでなんかいません。彼の
おかげで、私は秘密を公にすることなく、こうして罪を背負えるんですから。
彼にそのつもりがあるのなら、将来、優秀な刑事か探偵になれるでしょう。
これでも私、人を見る目には多少自信があるのですよ。
――終わり