AWC 三月の事件(上)   永山


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#134/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  03/03/23  23:07  (447)
三月の事件(上)   永山
★内容                                         03/03/23 23:18 修正 第2版
 少しでも長くみんなと一緒にいたい。そして、いい思い出を最後に作りたい。
そう願っただけなのに。

           *           *

 何故こんな物が。
 妹尾一美は封筒に写真を押し戻すと、フラップを閉じ、きつく握りしめた。
正方形に近いその封筒は全体に淡い赤色で、ダイヤ貼りタイプの〆の箇所には、
かわいい熊のイラストのシールが張ってあった。開封のとき、シールが破れて
しまったのは、不吉な知らせであることの前兆だったのかもしれない。
 何年か前のあの出来事が、おぼろげな記憶から段々と、鮮明なビジョンへと
転じていく。
 妹尾は落ち着きのない目で周囲を見回した。子供達が元気にはしゃぐ声は聞
こえるが、視界に誰の姿も捉えられない。ブレザーの内ポケットに封筒を仕舞
い込んだ。
 しばし俯いていた妹尾は、荒い呼吸音が自分のものだと気付き、口を硬く結
んだ。形のよい唇が、ひきつったように歪む。面を起こして、汗など出ていな
いのに手の甲で額を拭った。
「一美ちゃん!」
 背後からの突然のかすれ声と肩への接触に、妹尾はばね仕掛けの人形のよう
に、全身を激しく震えさせた。
 振り返ると、見慣れた顔があった。妹尾は軽いため息のあと、ブレザーを直
し、髪をかき上げながら、「その呼び方、やめなさいと前々から言ってきたは
ず」ときつい調子で告げる。
 相手の男、桂木新次郎は、飄々とした態度のまま、すぐ横を通って掲示板を
見上げる動作をした。
「別にいいじゃねえの。一美ちゃんの名前が一美であることは紛れもない事実
なんだから。これが現実だと思ってあきらめれ」
「……」
 耳障りな言葉遣いを注意する気もとうに失せ、妹尾はきびすを四十五度動か
し、廊下を行く人の流れに乗った。追い掛けてくるような足音はなかったが、
変声期特有のハスキーボイスが背中に届いた。
「今度のテストで、カンニングさせてくれたら、名前の呼び方を変えてもいい
ぜよ! なんてな!」
 妹尾は口の中で馬鹿と言い捨てると、桂木のことを頭から追い出し、降って
湧いた災難への対策を講じ始めた。
(ことの性質上、誰にも相談できそうにない……。独力で解決しなくては)
 廊下の壁に掛かるホワイトボードの掲示板に、いつもの習慣通り、目をやっ
た。二〇〇三年六月三十日と、やたらと角張った文字で記してある。
(もうこんな時期……テストどころではなくなりそう)
 先ほどまでの動揺を消し、表面上は普段の態度を取り戻した妹尾は、小さく
歯ぎしりをした。

           *           *

「ひとみちゃん」
 友達の村山と一緒に下校路を行く菱川は、下の名を呼ばれても立ち止まるこ
とはなく、ただ、肩越しに振り返った。
 声を掛けた米倉は、やあ、という風に片手を挙げた。その隣には大西が並ぶ。
校門を出るところから、女子クラスメイトのあとをつける格好になっていた二
人は、はにかんだ表情を浮かべた。
 同じ五年四組で、この三学期、米倉は委員長、菱川は副委員長を務めていた
ため、一緒に作業することが何かと多かった。他と比べると、お互い言葉を交
わすことに抵抗は少ない。
「なぁに」
 菱川は足を止め、赤いスカートを翻し、向き直った。
「あと、ちょうど十日、だな」
「うん」
 米倉の緊張気味の口ぶりとは対照的に、窮しもせず、普段通りの元気な調子
で即答した菱川。
 数秒の間ができたが、米倉が話を続ける。大西の方は、眼鏡をしきりにいじ
るばかりで、菱川と村山をちらちら伺いながらも、黙っていた。
「お母さんは、もう、行ってしまうんだっけ?」
「そう、明後日。仕事の都合で、仕方ないんだって」
「ということは、残り……七日間は、一人きりか」
「あ、伝わってない? 麻緒ちゃん――村山さんのところに泊めてもらうこと
になって。ね?」
 三歩ほど先で立ち止まっていた村山に、そう呼び掛けると、「うん」と、こ
れまた元気のよい相槌があった。
「ふうん、そうか。てっきり、家に一人かと思った」
「まっさかあ。あのマンションの契約なら、もう解除するって、お母さんが言
っていた。えっと、あと三日は私達の家だけれど」
「……本当に、転校するんだな」
 米倉の声には、小学生らしくない、しみじみとした響きがあった。菱川が何
か返そうとするのを遮って、彼は言葉を重ねた。
「いきなりで悪いんだけど、俺達、お別れ会を開こうと思ってる。OKしてく
れるよな?」
「え? お別れ会なら、クラスでもうやったのに」
 意外そうに口を丸い形に開け、そのままになる菱川。村山もまた、「どうい
うこと?」と半ば叫びながら、引き返して来た。
「学校でやったのって、ほら、堅苦しかったから」
 大西が初めて口を開く。
「校則のおかげで、食べ物も飲み物もなくてさ。寄せ書きを渡したり、歌を唱
ったりだけで終わりなんて、つまんない」
「それなら、学校の外でやり直せばいいってね」
 米倉があとを受けて言った。最初のぎこちなさが消えて、笑顔になっている。
「外って、どこがあるの」
「僕の家」
 米倉が右手親指を自らの胸に当てる。
「みんなが集まれるくらい広いし、両親とも留守の日にやれば、気にせずに騒
げる」
「そんなこと言うからには、日も決まってるのね」
 村山が確認する口ぶりで尋ねる。米倉は軽く首肯した。
「ぎりぎりの日なんだ。終業式のあとさ。昼過ぎから夕方ぐらいまで」
「私は別にかまわないけど」
 村山は菱川の方を向く。
「ひとみちゃんの予定、どうなってたっけ?」
「うん、その日の内に出発する予定だよ。夕方の新幹線」
 時刻までは覚えていないらしく、台詞が途切れる菱川。すると米倉が、やや
落胆した具合に眉根を寄せた。
「じゃあ、お別れ会、夕方までやってたら、間に合わないな」
「別にいいよ。変更できる。最終便でいい。お母さんに言って、迎えに来ても
らう時間を変えたら済むわ。多分」
「しかし、あんまり夜遅いと……危なくない? 酔っ払いとかも多そうだし、
ひとみちゃんのお母さんだって、夜遅いのはつらいだろうし」
「どうせなら、一日伸ばせば?」
 村山が我ながら名案とばかりに、目を輝かせた。
「私から両親に頼んであげる。もう一日、泊めてあげてって。きっと大丈夫。
そっちの都合は?」
「えっと、問題は全然ないと思うけど、それはあまりにもお世話になり過ぎっ
ていうか」
 気が引ける様子の菱川を、村山は笑い飛ばした。
「いいっていいって。遠慮しないで。知っての通り、うちのお母さんは、世話
を焼くのが大好き人間なのよ。ほーんと、これで家が広かったら、私のとこで
やってもいいくらいだよ、お別れ会」
「狭くて助かった。僕の自慢できることを取られなくて」
 米倉が冗談を言うと、村山も含めた他の三人が声を立てて笑った。

           *           *

「はあっ?」
 担任の男性教師は三者面談の席で素っ頓狂な声を上げた。その直後、声が廊
下に漏れ出たかどうかを気にする風にきょろきょろし、次に、ノンフレームの
眼鏡をしきりにいじり、資料のページを繰って、体裁を取り繕った。
「どうも失礼をしました。突然のことで、驚いてしまいまして……その、おか
あさん。理由をお聞かせくださいますか」
 そう求められた女性は、肩のショールをゆっくりとした動作で直しにかかっ
た。鮮烈な紅の塗られた唇が、すぐに動くことはなかった。
 教師は間を保とうとするかのように、男子児童に一旦見やる。児童は何の反
応も示さないどころか、目を合わせようともしない。教師は嘆息し、父兄に視
線を戻した。
「先日までは、お子さんともども、やる気いっぱいだったじゃありませんか。
それなのに、今日になっていきなり、受験を取り止めたいと言われましても」
「自信がなくなりましたの……と答えても、納得していただけないでしょうね」
 母親の声は一定のトーンで、感情表現に乏しかった。教師は彼女の言葉を肯
定した。
「当たり前です。K学園はここいらで最高の中学ですが、流甫君の成績なら、
合格間違いなし。ランクを下げる必要なんてありません。これまでの実力テス
トでも、ミスは皆無と言っていいです。面接も楽々クリアできるでしょう。な
のに、何故……」
「お骨折りいただいた先生には申し訳ないのですが、その、流甫には、普通の
人生を歩ませるのがよいだろうという結論が、家族の話し合いで出ましたので」
「そんな、今さら」
 絶句した教師だったが、舌なめずりすることで気を取り直したか、さほど沈
黙は続かなかった。
「はっきり言って、素直に受け入れられない理由です。米倉さんのお宅は、ま
あ、かみ砕いて言えばエリートの家系じゃありませんか。ぜひともK学園にと
いう話は、そちらから出されたものでしたよね。こんな間際になってそれを翻
すには、今おっしゃった理由は薄弱に過ぎます」
「ですが、事実は変えようがありません」
「……米倉君」
 話し掛けると、子供は一瞬、びくりと身体を震えさせたようだった。
「本当かい?」
「はい」
 見た目の態度とは裏腹に、案外しっかりした口調で返事があった。ただ、そ
のあとすぐさま俯いた仕種は、教師の不審を深めただろう。信念に基づくもの
でも、真実を語るものでもなく、事前に決められたことを喋っただけ、という
風情が漂う。
 しかし、教師が教え子をそれ以上追及することはなかった。
「米倉さん。同じ説明を、塾の方にもされましたか」
「まだしていませんわ。それに、先生には無関係でしょう」
「私はここで引き下がっても、大した問題にはなりませんが、塾は納得しない
と思いますよ。恐らく、流甫君を、確実に合格させられる生徒として計算して
いたでしょうから。その上、米倉さんのお宅は有力者であることも、塾の評判
に関わってくるはず。『あの米倉さんのところのお子さんが辞めたのには、塾
に問題があるから』なんて噂が立てば、来年以降の経営に響きかねない訳です
し」
「脅していらっしゃるの? 教職者ともあろう方が」
 目尻を吊り上げ、頬をひくつかせる母親。
 教師は首を水平方向に素早く振った。
「そんな風に受け取られるのは心外ですし、たとえそうお感じになったとして
も、お子さんの前で口にする言葉じゃないでしょう。まあ、いい。前言撤回し
て、私も引き下がらないことにします。学校の信頼に関わりますからね。最終
的な責任を、私一人に押し付けられてもたまりません」
「……どうしても受けろと?」
 推し量るような目つきで問われ、教師は両手を身体の前で振った。
「とんでもない。真実を話してくれればいいのです。と言っても、おかあさん
のご様子では、それもかないそうにありませんねえ」
「……」
「他の先生方を納得させられる、もっともらしい説明を用意してください。そ
うしたら、私が全て丸く収めます」
「それでしたら」
 母親は思慮する仕種を一瞬見せたが、じきに笑顔をこしらえ、流甫の肩に手
を置いた。

           *           *

 妹尾一美は部屋に隠るとドアに鍵を掛け、本棚の上から段ボール箱を下ろし
た。上面の埃を払うと、ガムテープを剥がし、蛍光灯の明かりを頼りに、卒業
アルバムを探した。
 一分と掛からず、見つかった。卒業アルバムには埃が積もっていないにも関
わらず、妹尾はやはり表面を手で払う。
 適当なところでページを開き、卒業生の連絡先は最後にまとめて掲載されて
いることを思い出した。目的のページを開け、指を当てて、上から下へと名前
を見ていく。
「よ……よ……よ。あった」
 意識せずに声に出していた。人差し指が示す先は、米倉流甫の文字、
 携帯電話を求めて視線をさまよわせた妹尾。見当たらず、ブレザーのポケッ
トに入れっ放しだったと思い出す。
 立ち上がり、ブレザーのポケットを探ろうとして、手が汚れていることに気
付いた。机の方に足を向け、ウェットティッシュで汚れを拭き取り、改めて携
帯電話を手に取った。
 もう片方の手で、卒業アルバムのページを押さえる。米倉家の電話番号をプ
ッシュした。つながらない可能性も割に高いだろうと予測しつつ、耳を寄せる。
 呼び出し音の繰り返しを八度数えたところで、反応があった。
「もしもし。米倉ですが」
「あ、夜分失礼します。私――」
「誰の番号かと思ったら、君か。僕だ。流甫だよ」
「え、分かる?」
「声の感じ、全然変わってない」
「そんなことはないと思うけど」
「で、珍しくと言うか何年かぶりに電話を掛けてきたのは、どうしてだい?」
「うん……今、周りに人は?」
「すぐ近くにはいないが、隣の部屋には、両親がいる。聞かれちゃ困る話か」
「うん、できれば」
「それじゃ、こっちの携帯から掛け直す」
 妹尾が返事しない内に、電話は切れた。それからおよそ一分後、手の中の携
帯電話が震えた。
「もしもし?」
「あ、ああ。わざわざ掛け直してくれて、ありがとう。長くなると思うんだけ
れど、電話代、大丈夫?」
「ははははは。腐っても米倉家。安心して長話していい」
 話の中身が全く安心できるものでないと知っている妹尾は、密かにため息を
ついた。と同時に、米倉流甫の裕福さを羨んだ過去を、懐かしく思い起こす。
好ましい思い出と化しているのが、自分でも意外だった。
「実は――脅迫、みたいな手紙を受け取って」
 なるべく落ち着いた調子で告げたつもりだった。
「脅迫」
 疑問形でなく、単にリピートしただけの平板な声が返って来た。妹尾はもう
一度息をつき、思い切った。
「うん。小五のときのことで」
 それだけで、米倉流甫にも伝わったようだった。電話の向こうで息を飲む気
配があった。
「まさか、三学期の終わり頃の、あれか?」
「うん……」
「それなら、自分も脅された。中学入試目前にな。くそっ」
 妹尾は目を丸くしていた。かつての同級生がこれほど粗野な口調で吐き捨て
るのを、初めて耳にした。

           *           *

 最寄りの公立中学に入って二年目の夏休み、米倉流甫は旅に出た。
 当初は一人旅を計画するも、親の猛烈な反対に遭い、頓挫しかけた。年齢の
近い――と言っても十ほど離れた――叔父に同行を頼んで、ようやく了解を得
た経緯があった。
「こういう豪華なところに泊まれるのはありがたいが、行動は慎重にな」
 ホテルにチェックイン後、寺下育哉、流甫の叔父が部屋で言った。口調は厳
しいが、サングラス奥の目は笑っている。
「何かあったら俺が責任取らされるんだから」
「よく分かっているよ。叔父さんには迷惑かけない。別行動を取ったことすら
分からないように、うまく立ち回るさ」
 流甫は若干背伸びした言葉遣いを駆使して余裕を見せると、真っ直ぐに伸ば
した右手親指を自分の胸に当てた。
「まあ、俺から見ても、流甫はしっかり者だから、一人旅でも大丈夫だとは思
うがね。姉さん達も頭が固い」
「お父さんやお母さんに言わせれば、叔父さんは勝手気まますぎるらしいよ」
「へえ、そんなこと言われてますか! はは、そりゃしょうがないなあ。文字
通り、好き勝手に生きてるからな。まあ、出入り禁止にされないだけでも、あ
りがたいと思うとしよう」
 そう言うと、寺下は茶色い直方体――カメラバッグを肩から提げた。二つの
持ち手の間には、三脚ならぬ一脚を挟んでいる。
「今日の叔父さんは、カメラマン? 腕前、大したもんだもんね。運動会をカ
メラとビデオで撮影してくれた上に、凄く本格的に編集までしてくれて。あれ
は、お父さんも誉めていたよ」
「はははは。光栄だねえ。でも、今日は違うんだ。カメラマンじゃなく、ルポ
ライターってとこだな。とある取材を頼まれて、成功すれば報酬がっぽり。そ
れとは別口で、資料写真を集めることも知り合いから頼まれたんで、ついでに
やってやるのさ」
「ふーん。じゃ、ホテルに戻るのは、叔父さんの方が遅くなりそうだね」
 と、こちらはスポーツバッグを肩に掛ける流甫。ずれないように位置を調節
する。
 寺下は先に出て、室内に向き直った。
「なるべく早く戻る。今日中に片付ける必要ないんだから。流甫君、そっちこ
そ懐かしさのあまり、遅くなるなよ。何年かぶりの再会だろ?」
「大げさだなあ。そんなに懐かしがるほどじゃないね」
「十四年の人生じゃあ、ほんの一、二年でも大きいぜ。会ってみりゃ分かるさ。
お互いを抱きしめて、おいおい泣くかもしれない」
「冗談きつい」
 流甫も廊下に出て、ドアを閉める。自動的に施錠された。

           *           *

「久しぶり、だな」
「米倉君、わざわざ来てくれて、ありがとう。ほんと、一人でどうしたらいい
のか、不安でたまらなかった」
「叔父さんとの二人旅ってことにして、出て来たんだ。まあ、少しは感謝され
てもいいな」
「感謝してる」
「電話もらったときはびっくりしたぜ。突然の電話にもびっくりしたが、まさ
か、君にも脅迫……家族の人が、いきなり入ってくることはないな?」
「え? ああ、うん。自分の部屋だからね。お菓子とお茶を持って来たから、
多分、もう来ないよ。鍵を掛けようと思えば、掛けられるけど、知られたら、
あとで何してたんだって聞かれるかも」
「鍵はした方がいいな。絶対に内緒にしなければならない話なんだ」
「そうだね。米倉君がそんなに言うのなら……」
「いや、いい。僕の方がドアに近い」
「それじゃあ、話を……まあ、お菓子でも食べながら」
「そんな悠長な話題じゃないだろ。前の電話から、何も変化はない?」
「なかった」
「それなら、まずは一安心だな。先に、君に届いたという脅迫状を見せて」
「う、うん。分かった。――これなんだけど」
「同じ封筒みたいだな。宛名だけで、切手や差出人はない。当然、消印もない」
「あ、それ、学校の靴箱に入っていたんだ」
「何だ、早く言ってくれよ。僕のところは、直接、郵便受けに入れてあった」
「米倉君の家に届いた封筒は? 持って来たんだよね?」
「あとで見せる。この封筒が届いたのは、いつだっけ?」
「六月三十日。朝八時過ぎに来たときには、入ってた。もうすぐ期末テストだ
ってのに、これのせいで全然身が入らなくて、散々」
「その前の日は、何時に下校した?」
「正確に覚えてる訳じゃないけれど、四時半頃と思う」
「手紙を置いた時間からの犯人特定は、無理そうだな。で、中身の方は……な
るほど、僕に来たのとほぼ同じ写真のようだ。あ? 手紙がないな。脅迫文は
どこにやった?」
「それが……薄気味悪いから、くしゃくしゃに丸めて、ちぎってしまって」
「捨てた?」
「捨てようと思ったけど、恐くて。燃やしちゃった」
「馬鹿だな。手がかりを」
「で、でも、よくある普通の紙に、定規を当てたみたいな四角っぽい字で書か
れていただけだよ。犯人につながる手がかりなんか、なかったと思う」
「まあな。指紋を採るのも無理だからな。だけれども、文章から分かることも
ある。どういう脅迫だった? 思い出せるだけ思い出せ」
「言わなければならない?」
「ああ。嫌なら、僕に来た脅迫文を見せてやろうか」
「……うん。見せて」
「その代わり、見たら、君も言うんだぜ」
「分かった」
「――ほら。写真は同じだから、見てもしょうがないが。脅迫文の方は……小
六のとき、僕はK学園を受けると言っといて、やめただろ? あれの原因」
「ああっ、こういう感じの字だった。多分、一緒」
「定規を使って書いたら、たいていは似た感じになると思うけどな。読みにく
い上に長たらしいが、要するにK学園受験をあきらめろってことさ」
「これはいつ届いたの?」
「去年の一月に、僕の家に届いた。消印がないから、直接入れたに違いない。
あ、念のために聞いておく。君の仕業じゃないよな?」
「ち、違う。全然知らない」
「本当か?」
「誓って。だいたい、こんな写真がどうしてあるのか、さっぱり分かんないよ」
「……そうなんだよな。こんな物、撮れるはずない」
「あの、米倉君。これ、送り付けられて、どうしたのさ? 警察?」
「馬鹿。いくら小中学生ったって、こんな写真を見せる訳に行くか。母親に言
っただけさ。僕の言うことなら何でも聞いてくれるからな」
「大西君には?」
「言ってないし、聞いてもいない。まさか、君は大西に電話で言ったのか、こ
のことを?」
「ううん、言ってない。米倉君の方が頼りになるし、なるべく広めない方がい
いと思ったから」
「それならいい。あいつもこの写真何枚かに写ってる。差出人じゃないに決ま
っている」
「そうか……そうだね。で、でもさ、大西君も脅迫されたのかもしれないよ。
やっぱり、話をした方が」
「大西も脅迫されたんなら、あいつの方から僕に言ってくる。間違いなく。そ
うなってないってことは、脅迫されてないんだ。まあ、あいつも脅迫されてる
と確信できるまでは、言うつもりはない」
「どうして」
「下手すれば、あいつにも弱みを握られかねないじゃないか。この写真を他人
に見られたとしたら、大西よりも僕の方がダメージが遥かに大きいし」
「……何で、私には打ち明けたの?」
「君の方から相談を持ち掛けてきたから。ついでに付け加えると、君は今でも
僕を好きなんだろ」
「……まあ……ねぇ」
「好きな相手と同じ中学に進みたい、という理屈も考えたけどね。小学校卒業
と同時に引っ越してしまった君に、僕のK学園進学を邪魔する理由はない。だ
から、最初に君が犯人でないことを確認した上で、犯人を突き止めるために協
力し合おうと考えたんだ」
「……分かった。それで、どうしたらいいの?」
「写真の現場にいたのは、僕ら三人とひとみだけだ。犯人を捜そうにも、もう
八方塞がりなんだよ。ひとみじゃあり得ないし、君でもない。大西も違う」
「ちょっと待ってよ。私はともかく、米倉君は今さら犯人を見つけてどうする
つもり? 中学、K学園に入り直す?」
「二年生だぜ。そんなことするかよ。ただ、癪なんだよね。この僕が見下され、
弱みを握られたままっていうの、我慢できない。こっちが不利なのは、犯人の
正体が分からないから、それだけさ。誰だか分かれば、逆転できる」
「中学受験のときに、犯人を捜そうとはしなかったのに?」
「捜さなかったんじゃなくて、できなかっただけ。中学受験をどうするか、急
いで決めなければいけない。時間がなかった。それっきり、関わるのすら馬鹿
らしいと思って忘れようとしていたのに、君まで脅されていると知ったからに
は、黙ってられなくてね。僕自身、いつまた脅されるか分からない、危ない立
場だしな」
「……暴力で復讐するんじゃないよね?」
「さあ? 知らないね。相手の出方次第さ。方法は色々ある」
「あんまり、危ないことしてほしくないんだけど……」
「心配してくれてどうもありがとう。だけどね、やるときはやるよ」
「……」
「さて。君の受け取った脅迫状の中身について、そろそろ話してくれよ」
「……同じクラスの女子を隠し撮りしろって……着替えてるときのね。そして
そのフィルムを渡せって」
「それ、君自身がやっていたことじゃないか。小五、小六のときに」
「あれは、米倉君達が買い取ってくれたからよ。いい小遣い稼ぎだった」
「今はやってないの?」
「危ないから。小学校のときより、持ち物検査が厳しくて、もしもカメラを見
つけられたら、何て言い訳すればいいのか分からないもの」
「でも脅迫されたらやる気になった、とか?」
「だったら、こうして相談してない」
「変だな。六月三十日に要求があって、今まで一度もフィルムを渡さずに済ん
でいるのか」
「夏休みの間、何度か水泳の補習授業があって、その分を撮り溜めしておけと
いう指示だったの。渡すのは九月になってから」
「ふん。だったら、渡すときに相手を捕まえられるぜ」
「私もそう考えたんだけど、渡す方法はまだ指示がなくて」
「犯人は、また下駄箱に手紙を入れるつもりか。手紙を入れる瞬間を見ること
できれば、手っ取り早いのになあ。いつ指示があるのかまでは、書いてなかっ
たんだろ?」
「うん」
「仕方ない。フィルムを受け渡す方法の指示があったら、すぐに電話してくれ
よ。そのとき、どうするかを考えよう。念のため、着替え中の写真は撮ってお
くんだ。ばれない程度に」
「受け渡しの指示がある前に、何とかして、犯人を見つけられない?」
「ああ、それが一番いい。僕もやってみようとはしてるんだ。いいか、見てく
れ。この写真は、ピンぼけなのも結構ある。それに方向が三種類に限られてい
るのも分かる。多分、隠しカメラを三台、置いたんだよ。あの日、僕の家に集
まったのは、クラスのほぼ全員だった。その中に犯人がいるはずだ」
「隠しカメラって、自動的にシャッターを切れるようになっている?」
「自動撮影装置付きカメラってのがあるんだ」
「そんな専門的な物を、小学五年生のときに準備できるのかなぁ……米倉君の
家みたいなとこは別だけど」
「買うのは難しいが、親や親戚が持っているのを借りたのかもしれない」
「親だって、そんな特殊なカメラ、持ってる人は少ないと思う。それにそんな
カメラがあっても、多分、シャッターやモーターの音がするよ。全然気付かな
いなんてこと、ある? あのとき確かに、声が漏れないように、大きな音で曲
を掛けてたけれど」
「それじゃあ、どうやったって言うんだっ?」
「あんまり大きな声を上げたら」
「おっ、そうだった。つい、自分の部屋にいる気になっちまう。じゃ、冷静に
……。カメラをどうやって用意したかは、横に置くとして、誰がカメラを仕掛
けることができたかを考えよう」
「もっと大事なことがあると思う」
「へえ? 何?」
「カメラを仕掛けた人は、何を撮るつもりだったの?」
「そんなことか。僕と大西が一緒になって、ひとみに悪戯するところを撮るつ
もりだったに決まっている。僕を脅迫するためさ」
「でも……あの日、私達があんなことを計画してるなんて、犯人はどうやって
知ったの?」
「――見落としてたな。僕としたことが。知られるはずがないのに、犯人は知
っていた、か……。たまたまってことはないだろうし」
「それにさあ、隠しカメラをあとで取りに来なきゃいけないよ。そんなことが
できた人って誰かいた?」
「ふむ。多分、三月中か、遅くても春休みが終わるまでに取りに来たろうな。
そうでなきゃ、僕や家の者に見つかる確率が高まるんだから」
「春休みに、米倉君の家に来た人を調べれば、分かるかもしれない」
「同じことを僕も考えていた。早速、名前を書き出そう」

           *           *

 “旅行”を終え、家に帰った流甫は、残りの夏休みの大部分を、脅迫犯を特
定するために費やした。

――続く





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