AWC 南総里見八犬伝本文外資料10   伊井暇幻


        
#114/598 ●長編
★タイトル (hir     )  02/12/04  01:34  (263)
南総里見八犬伝本文外資料10   伊井暇幻
★内容
八犬伝第九輯自序
在昔自室町氏走鹿諸侯割据不稟武断於幕下大以駢呑小強以威服弱是以蝸角力戦無所不勉
狼貪蚕食各不知厭当是之時田夫植矛而耕▲(耕のヘンに云)山婦掛弓而紡織人情都賢勇
悍不厚於忠孝好名忘死屠城薪骨以為愉快且也毎莅軍陣為勇名以知于敵改姓異名欲不与衆
同者間有之所謂若鵜北花氏吉見八谷党里見八犬士尼子七馬九牛十勇介大内十杉党上杉十
五山党朝倉十八村党及山中狼之介野中牛助不遑枚挙也其名所載軍記事実多不詳素是史闕
文歟以類想像此則暴虎憑河勇已矣蓋戦国澆漓士風武勇有余而文学不足徒▲(ニンベンに
昌)異好奇為俗如此鳴▲(虎のアシが乎)野哉野哉文武猶花実也未見其花悪得其実耶故
孔子曰有文備者必有武備若夫其勇有余而一文不通則其行侏離譬如沐▲(ケモノヘンに
爰)之戴▲(目のしたに免)与彼楚人兇暴又何異焉由此思之三綱無道乱離世行似▲(ケ
モノヘンに竟)梟者雖有記伝実録而不足見矣是吾所以作八犬伝也然而今之所伝非古之八
犬士事也非古之八犬士之事猶且曰里見八犬士其故何也野史用心仮彼名而新其事於是乎善
可以勧悪亦足懲果乎君子尋文外隠微而解悟奨導深意婦幼代一日観場而不覚春日秋夜之長
云因茲刊行書賈利市三倍不思作者之閑与不閑年〃徴月〃責所彫鏤五十有余巻于此既而至
第九輯意匠漸疲腹稿有限結局団円且近抑〃童蒙等身之書於稗史所罕閲者僂指可復俟輯末
之出焉
  天保五年長月之吉 題于著作堂東園 菊花深処    蓑笠漁隠
                                      董
斎盛義書
在りて昔、室町氏の鹿を走らせしより、諸侯割据して武断を幕下に稟けず、大は以て小
を駢呑し、強は以て弱を威服す。是を以て、蝸角の力戦し勉ざる所なし。狼貪蚕食、お
のおの厭(あ)きることを知らず。この時に当たりて田夫も矛を植え、しこうして耕▲
(耕のヘンに云)し、山婦も弓を掛け、しこうして織を紡ぐ。人情、都(すべ)て勇悍
を賢とし、忠孝に厚からず。名を好み死を忘れ、城を屠(ほふ)り骨を薪にし、以て愉
快と為す。かつや、軍陣に莅(のぞ)むごとに勇名を以て敵に知られんが為に姓を改め
名を異にして、衆と同じからざるを欲する者、間(まま)之あり。いわゆる鵜北の六花
氏、吉見の八谷党、里見八犬士、尼子の七馬九牛十勇介、大内の十杉党、上杉の十五山
党、朝倉の十八村党および山中狼之助野中牛助のごときは、枚挙に遑あらず。その名を
載する所の軍記に事実は多く詳らかならず。もとより是、史の闕文か。類を以て此を想
像すれば則ち、暴虎憑河の勇のみ。けだし戦国澆漓の士風か。武勇ありて、しこうして
文学は足らず。ただ異を▲(ニンベンに昌/とな)え奇を好んで俗と為すこと、かくの
如し。ああ野なるかな野なるかな、文武はなお花実たるべし。いまだその花を見ず、い
ずくんぞその花をや。故に孔子は曰く、文備あれば必ず武備あり。もしそれ、その勇あ
りて一文に通ぜざれば則ち、その行いは侏離。譬えば沐▲(ケモノヘンに爰)の▲(目
のしたに免)を戴くがごとし。かの楚人の兇暴と与し、また何ぞ異なるか。此によりて
之を思えば、三綱に無き乱離の世。行いは、▲(ケモノヘンに竟)梟に似たる者は、記
伝実録にあるといえども、しかれども見るに足らざるなり。是、吾が八犬伝を作る所以
なり。しかして、しこうして、今の伝わる所は、古の八犬士の事にはあらず。古の八犬
士の事にあらずして、なおかつ里見の八犬士と曰(い)う。その故は何ぞや。野史の用
心に彼の名を仮(か)りて、しこうして、その事を新たにす。是においてか、善を以て
勧むべく悪もまた懲らすに足る。果たせるかな、君子は文外の隠微を尋ねて、しこうし
て奨導の深意を解悟し、婦幼は一日の観場に代えて、しこうして春の日秋の夜の長きを
覚えず。よりて茲に刊行の書賈は利を市に三倍す。作者の閑と閑ならざるとを思えば年
〃徴して月〃責めらる。彫鏤する所、此に五十有余巻たり。既にして第九輯に至れり。
意匠は漸く疲れて、腹稿に限りあり。結局団円は、まさに近づかんとす。そもそも童蒙
等身の書、稗史においては罕なる所なり。閲する者は指を僂えて復た輯末の出るを俟つ
べし。
  天保五年長月之吉 著作堂東園の菊花深き処に題す    蓑笠漁隠
                                      董
斎盛義書く

佐渡相川人石井夏海氏者予故人也山海隔絶不相見二十有余年于此客歳偶々有鴻翅其書曰
貴著八犬伝一書新奇絶妙世人所知我孤島亦年年流布雖老圃▲(舟に肖)公樵夫鉱匠而未
閲為羞如僕秉燭不知飽愛玩与米石一般因而為庶幾附驥之僥幸呈閲賤咏二三(長歌一反歌
三)伏乞賜筆削見許載諸後輯則生平望足矣於戯旧故情願不可辞然若其長歌無余楮可録即
取二三短歌以附載焉歌曰
家くにの盾にやたりのすぐれ人夜をもるのみの門のいぬかは
いにしへの犬のはなひし糸ならむ筆もて綾につづる君かな
こがねなす君がことの葉なほみまく穴めでたしとほりす佐渡人
右夏海氏所咏其第二歌則取今昔物語載白犬呑繭而鼻中吐糸故事(与本伝第七輯目録欄内
所図蚕繭紙糊狗即同意)
                                   蓑笠陳人
又識
佐渡相川の人、石井夏海氏は予が故人なり。山海隔絶して此に二十有余年、相見(ま
み)えず。客る歳、たまたま鴻翅にその書ありて曰く、貴著の八犬伝一書は新奇にして
絶妙たること世人の知る所たり。我が孤島にもまた年年流布す。老圃▲(舟に肖)公樵
夫鉱匠といえども、いまだ閲せざるを羞とす。僕がごときも燭を秉りて飽くことを知ら
ず。愛玩すること米石と一般なり。よりて、しこうして、附驥の僥幸を庶幾(こいね
が)う為に、賤咏二三(長歌一反歌三)を閲に呈す。伏して乞う、筆削を賜え。諸を後
輯に載するを許さるるときは則ち、生平の望み足る。戯れに旧故の情願を辞すべから
ず。しかれども、その長歌のごときは余楮に録すべきなくんば即ち、二三の短歌を取り
て以て載に付せよ。歌に曰く、
家邦の盾に八人の優れ人夜を衛るのみの門の犬かは
古の犬の鼻びし糸ならむ筆もて綾に綴る君かな
黄金なす君が言の葉なほ見まく穴愛でたしと掘りす佐渡人
右夏海氏の咏ずる所その第二歌は則ち今昔物語に載す白犬が繭を呑みて鼻中に糸を吐く
故事を取る(本伝第七輯目録欄内、蚕繭紙に糊にて図えが/く所の狗と即ち同意なり)
                                   蓑笠陳人
又識


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八犬伝第九輯口絵 
神童甫九歳 筋力捷成人 不羨甘羅敏 勇且唯得仁  著作堂 
神童はじめの九歳、筋力は成人に捷る。甘羅の敏を羨まず。勇にして且つ唯仁を得る 
犬江親兵衛仁いぬえしんひやうまさし・砥時願八業当とときぐはんはちなりまさ・平田
張盆作与冬へたはりぼんさくともふゆ 

★甘羅は、史記巻七十一樗里子甘茂列伝に登場する。因みに樗里子は秦の恵王の弟で、
「滑稽多智」の人であった。人は彼を「智嚢」と呼んだ。軍事的才能があったらしく、
幾度かの戦いに勲功を上げている。次代の武王の時、甘茂と共に左右丞相となった。さ
て甘茂は下蔡の人で学問を修めて恵王に仕えた。左丞相となるが、昭王の時、讒により
罪を得て亡命した。優れた人物であったため秦も呼び戻そうとしたが、優れすぎて亡命
先の国に「秦の丞相に返り咲かれては迷惑」と妨げられた。結局、魏で客死した。此の
甘茂の孫が甘羅である。甘羅は甘茂亡き後、十二歳にして秦の丞相・文信呂不韋に仕え
た。王は政、後の始皇帝の代になっていた。甘羅は自ら志願して趙への使者たらんと言
う。丞相らは反対したが、甘羅は頑として使者になるという。秦王政も許し、甘羅は趙
へ赴いて、忽ちにして五城を割譲させた。条件は秦に燕からの人質を帰させることであ
った。契約は成り、友好関係にあった秦と燕は袂を分かつ。秦の支援を失った燕を趙は
攻略し三十城を得て、うち十一城を秦に渡した。甘羅は上卿に列せられ、祖父・甘茂の
田宅を賜った。十二歳で戦国の世の外交に成果を上げた甘羅を「羨まず」すなわち嫉妬
しない仁は、それ以上の敏才を持っている……が、まぁ、司馬遷は史家だから残ってい
る史料以上の事は口に出せないものの、「甘羅年少然出一奇計声称後世雖非篤行之君子
然亦戦国之策士也」とか何とか、グズグズ言っている。私家版口語訳をするならば、
「黒幕は呂不韋か始皇本人か。既に強大となった秦と敵対するより、自分より弱い燕を
趙が攻めたくなる気持ちを利用しやがったな。まず五城、成功報酬として十一城、合わ
せて十六城を秦は座して手に入れた。趙は差し引き十四城の増。差は広がったわけだ。
恐らく趙は、地理上不利になる城を割譲してはいないだろうが、規模や収穫で極端に劣
る城のみ渡して超大国・秦の怨みを買う愚は犯すまい。結局、秦が一番得をしたことに
なるが、んなもん、誰だって思い付く。要は、秦が燕との盟約を破棄するイーワケが欲
しかったからこそ、君子たることを要請されない十二歳のガキを引っ張り出したんだろ
うが。生意気盛りのガキに、さりげなく入れ智恵しといて、表向きは軽く反対する。ム
キになって凝り固まったら、自分で思い付いたように信じ込むだろうし、使者に行って
カマをかけられても一途に言い募るだけで、背景までは察知されまい。勿論、甘羅の祖
父・甘茂の声望あってこそだろうが。あぁあ、大人って、ヤだねぇ」ほどになろうか。
こんなの羨んだら、少なくとも江戸庶民には、嗤い物にされたのではないか?


しら波のよるへの礒にかひハあれとみるもあやふきあまのおとなひ  雷水 
八百比丘尼妙椿はつひやくびくにミやうちん・蟇田権頭素藤ひきたごんのかミもとふじ 

★試記・白波の寄る辺の磯に貝はあれど、見るも危うきアマの訪ひ/盗人を意味する白
波から海の歌にしつつ、アマは海女だが尼にかける

創業尚義守文弥賢富有房総九世延延  ▲(頼の下に鳥)斎散仙 
創業の義を尚(たつと)び文を守りて弥(いよいよ)賢、富を房総に有(たもち)て九
世延々たり。 
里見義成朝臣さとミよしなりあそん・杉倉武者助直元すぎくらむしやのすけなほもと 
花さかぬみやまかくれの姫ゆりのくしたまは世にあらはれにけり  玄同 
伏姫神霊ふせひめのくしたま・東六郎辰相とうのろくらうときすけ 

★試記・花咲かぬ深山隠れの姫百合の、奇し霊は世に顕れにけり

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第九十二回
「二犬路を分ちて一犬を資く  
 孤忠▲(カネヘンに鹿そ下レンガ/クツワ)に携りて衆悪を訟ふ」 
畔を隔て二犬士奸党を鋤く 
荘介・かずを・やすなり・小文吾・しん五 

縁連を斬て毛野又猛虎と戦ふ 
毛野・よりつら・たけとら 

定正怒て守如を鞭つ 
定正・もりゆき 

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第九十三回 
「轎に坐して守如主を救ふ 川を隔て孝嗣志を演ぶ」 
現八大角双で大敵を破る 
現八・大角・仁本太・おり平 
品革の原に道節定正を▲(ソウニョウに干)ふ 
道節・みさきち郎・高四郎・定正 

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第九十四回 
「高畷の板橋に道節戦馬を放つ 五十子の城に信乃姓名を留む」 
忠孝を感賞して二犬士孝嗣を諭 
毛野・道節・たかつぐ 

信乃計五十子の城を火攻す 
守門頭人・信乃 

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第九十五回 
「頭鎧を梟て忠与凱旋す 鼓盆の悼み定正過を知る」 
晋五を誅して七犬士倶に帰帆す 
大角・荘介・現八・信乃・小文吾・道節・しん五・扇谷定正 

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第九十六回 
「管領讒を容れて良臣を疑ふ 郷士義に仗て大敵を俟つ」 
百金の餽遺道節土兵に酬ふ 
ありたね・おも戸・大角・荘介・なつゆき・道節・信乃・現八・毛野・小文吾 

この処第二輯に見えたる伏姫自殺の明年長禄三年の談也 
功臣を集めて義実意見を示す 
東の六郎・堀内貞行・あら川清すみ・杉倉氏元・よしさね 

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第九十七回 
「良将征せずして地を二総に広くす 兇賊心なくして自積悪を訴ふ」 
高梨職徳市に但鳥業因を▲(テヘンに南)捕ふ 
もとのり・なりより 
八まん山・をぐら山・黒主山 

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第九十八回 
「盗人の従者偸走りて盗に戮さる 賊巣に宿りて強人難を免る」 
赤阪の客店に素藤卒八を逐ふ 
もとふぢ・そつ八 

紙戸を隔て素藤夜旧党の密談を偸聞す 
ぼん作・ぐはん八・つむ二郎・いら九郎・もとふぢ 

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第九十九回 
「素藤鬼語を聴て黄金水を施す 遠親邪説に惑て館山城を閙す」 
素藤巧に館山の城を奪ふ 
わん九郎・ほん膳・もとふぢ・とほちか首級 

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第百回
「旧党招に応じて土民益憂ふ 返魂術を異にして美人弥奇なり」 
浮雲の富素藤酒色に耽る 
もとふぢ・あさかほ・夕かほ 
願八盆作剪徑して旧好の書を得たり 
ぐわん八・ぐすけ・ぼん作 

妙椿夜返魂香を焼く 
もとふぢ・妙ちん 

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第百一回 
「老尼計を薦て旧祠新に葺る 逆将人を樹にして公子衛を喪ふ」 
素藤諏訪の神社に義通を擒にす 
ぐわん八ぼん作がある処左とおなじからずしかれども別に図しがたきゆゑに左に出せり 
ぼん作・ぐわん八・よしミちきミ・もとふぢ・のりかつ・あつむね・かげよし・ほんぜ
ん 

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第百二回 
「伏姫霊を顕して敗損を補ふ 義成兵を制めて家訓を聴く」 
両社の神主路に怪異に遇ふ 
葉門・宇佐の神主 

ひくやいかに妻恋ふ雉子にあつさ弓子ゆゑによるのさわはたつとも 
このところの本もんは本巻十九ちやうの右に見えたり 
よしなり・友かつ・たかむね・ぐはん八・よしミち・ぼん作

★試記・ひくや如何に、妻恋ふ雉子に梓弓、子故に夜の沢は立つとも/「ひく」は「引
く」とすれば、雉が子を思って鳴いた故に所在を知った射手に、子を思って鳴く雉に弓
を引けるかと問いかけることになる。しかし、歌は其処に留まらず、「退く」ともなっ
て、子/義通の命が惜しければ兵を退け、と里見軍を脅す意味が浮かび上がってくる。
雉は子供思いである、とは前出


ときすけ一騎からめてよりはしり来 
辰相 

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第百三回 
 「里見源老公富山に亡女を弔ふ 犬江親兵衛高峯に勍寇を拉ぐ」 
神童再出世して厄に老侯に謁す 
出来介・おち八・また五郎・しん兵衛・よしさね・くさ四郎 
なミ六 

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