#51/598 ●長編 *** コメント #50 ***
★タイトル (CWM ) 01/12/30 03:25 (120)
最後の物語D 憑木影
★内容
おれは闇の中にいた。
何も見ることができない、宇宙の深淵のような闇。
おれがいるのは、そういう闇だ。
そして、そこには声が谺している。
無数の声だけ存在する幽霊たちが浮遊し、囁きあっているようだ。
その声は微かに聞き取ることができる。その意味を理解することはできない。しか
し、
その虚空を浮遊する言葉をおれは感じとっていた。
(対象は覚醒しました)
(凍結処置を実施します)
(仮想世界の修復は完了。破綻した時間はコンマゼロ一秒。全ての人間の記憶修復も完
了しました)
(世界は再び安定を取り戻しています)
そして女の声がする。おれのよく知っているあの女の声。
(安定といっても、一時的なものね。対象が復活するのは時間の問題。触媒はどうなっ
ているの?)
(触媒は再びコントロール下にあります)
(しかし、この触媒を通じて対象をコントロールするというのは相当な無理があるので
は?)
(対象を除去できないのでしょうか)
(それこそ無理だわ。対象はもうシステムの最深部まで食い込んでいる。対象を除去す
るのは全てを破壊するのと同じ。私たちには触媒を通じてコントロールするしか道は無
いのよ)
そしておれはまた、眠りにつく。優しく暖かい闇。その闇がもたらす忘却の眠りへお
れは戻っていった。
透明なガラスの向こうで北野は語り終えた。ひどく落ち着いた、何か満ち足りた笑み
を浮かべている。
「気が付いたときには、ここのベッドの上にいたのさ。色々薬を飲まされたりはした
が、
意識は正常だよ。えびねはどうなったんだい」
私は、北野を見据える。薄い笑みを浮かべたその態度は、面白がっているようにすら
見えた。
「真実を語るときが来たようね」
北野はげらげらと笑う。
「もうごたくはいいよ」
「いい、これは本来、話をしてはいけないことなの。でも、それをしなければならない
ほど、私たちは追い詰められている。さあ、あなたの記憶の封印を一部はずすわ」
突然訪れる闇。一瞬だけ、私たちは闇を共有する。北野にはそれで十分だった。
闇の中を谺する声も思い出したはずだから。
北野はもう笑っていない。さっきまでの、ある種賢者じみた余裕の表情も失われてい
た。これは賭けだ。北野の精神はどこまで耐えられるのか。
「今のなんだ?」
「手短に説明するわ。私たちに残っている時間は少ないの。いい、人類はある意味で1
999年の夏に滅んだといえるのよ」
「おい」
北野の顔が歪むのを無視して、私は話を続ける。
「隕石群が地球に降りそそいだ。日本にもいくつか落ちたわ。そのうちひとつが新宿に
落ちたあれ。あなたが見たのは、その時の風景の再現よ」
北野は呻く。
「そういうことなのかよ」
「ええ。人類の数パーセントは地下シェルターへ逃れることによってかろうじて生き延
びた。でも、今の地上は環境が激変しておそらく再び人類が生活できるようになるまで
数世紀かかるでしょうね。そして、地下に逃れた人間も精神的に異常をきたしたり、食
糧不足による絶滅の危機に瀕している。だから私たちはこのシステムを創り上げた。仮
想現実システム。全ての人間に、絶滅する前の地上の夢を見させるシステム」
「これが、仮想現実というわけだな」
北野は自分の手のひらを見つめながら、そう言った。
北野は落ち着きを取り戻している。思ったよりタフな男のようだ。
「そう。私たちはワームというナノマシンを開発した。脳のシノプシス内に入り込み、
ニューロンの発火パターンを調整し、現実と寸分違わない夢を見させるマシン。でも、
とんでもない誤算があった。ひとりの少女がなぜかそのナノマシンをコントロールし
て、
逆にシステムを支配しつつあるのよ」
北野はため息をつく。
「その少女がえびねという訳か」
「そう。えびねはシステムのコントロールを行い始めたけれど、完全に制御できた訳で
はない。そこで、彼女は自分が完全にシステムをコントロールできる存在になるために
必要なものを造りあげた。そして、それによって自分を補完することに成功した」
「それはまさか」
私は笑みを浮かべ、北野の問いに答える。
「そのまさかよ。あなたのギター」
「しかし、あれは」
「あなたはあれを友人が造ったと思っている。でも、それはえびねが与えた偽りの記憶
なの。あれを造ったのはあなた自身。その時の記憶をえびねは除去し、あなたは友人か
らギターを得たものと思わされている。私たちはあなたの精神の深層から記憶を取り出
した。そして、知ったの。あのギターはえびねを覚醒させるものであると同時に、封印
するものであると」
北野は物思いに耽るように口を閉ざし、俯いた。
「さあ」
私は部屋の片隅に置いていたケースからギターを取り出すと、北野の前につきつけ
る。
「考えている暇は無いわ。えびねは狂っている。このシステムを操って、世界を現実に
一致させようとしている。人類に二度目の滅亡を与えようとしているのよ。そんなこと
をしては、私たちの創り上げた仮想現実という世界が終わっていまう」
私は北野を真っ直ぐ見詰めた。
「世界を終わらせるわけにはいかないのよ」
北野は顔を上げた。ギターを見つめる。そして、私の手の中で、ギターは雄たけびを
上げた。私たちを隔てていたガラスの壁が炸裂し、細かな破片は中空へ消失する。
北野は私の手からギターを奪い取った。私たちは、地上へ向かう。
地上は焼け焦げた荒野と化している。えびねの世界支配は予想を遥かに上回るペース
で進行していた。
私たちは空を見上げる。そこにあるのは渦巻く闇。そこから無数の流星が地上へ降り
そそいでいる。
「あんたは」
北野は闇に閉ざされた空を見上げたまま呟く。
「どう思っているか知らないが、おれはこのギターをコントロールできるわけじゃな
い。
むしろ、おれはこのギターにコントロールされていると言ったほうがいいだろう」
私は笑みを投げかける。
「どうでもいいわ。世界が望む方向を決めてくれる。あなたのギターを通じて」
地表は延々と続く紅い荒野であった。所々に紅蓮の花が開いている。空を覆った闇は
生き物のように渦巻き、時折炎の塊を地上に向かって吐き出す。
それは地獄のような光景ではあったが、なぜか人を魅了する美しい光景でもあった。
風が渦巻き、天上へ昇ってゆく。
北野は無造作にギターを弾いた。
たった一つの和音。
「これで、私の物語は終わりです」
少女はそう語り終えると、私に向かって微笑んで見せた。
「世界はそういう意味ではあなたの物語になったということね」
私の問いかけに、少女、落合えびねは穏やかな笑みで答える。
「そうね。そうです。そして、本当は物語は終わっていないのです。もうしばらく。私
がそれを完全に忘れ去るまでは残っているに違いありません」
そういい終えると、彼女は彼女の病室へと戻っていた。
この世界はもうしばらくあるということだ。
彼女の忘却の海に沈むまで。