#5513/9229 ◇フレッシュボイス過去ログ
★タイトル (mor ) 09/05/26 12:45 ( 57)
脳死移植・守屋
★内容
今国会で審議され、どうしても気になっているので、場違いな話題かもしれません
が、脳死移植について書き込みします。
正確には脳死がどうのという以前に、「臓器移植」が前提としてあるわけです。つま
り、そろそろ脳死を認めてもよいというふうに国民意識が変わったのではなく、どうし
ても臓器移植がしたいから(医師が)、移植手術を受けたいから(患者が)、脳死を認
めてたくさんの臓器を取り上げようという動きなのです。
以前、臓器を提供してもよいと考えていた自分は、医療に興味を持っていたこともあ
り、あれこれ調べてみたのです。すると、とんでもない事実がごろごろ出てくるではあ
りませんか!
もちろん、医者だって神様じゃないし、うっかりもすれば失敗もします。たとえ、結
果が悪くても、ミスについてはやむをえない部分もあります。
しかし、確信犯というのは怖いでしょう。
1968年8月、札幌医大で和田寿郎教授による世界30例目の心臓移植が行われる。移植の必
要のない患者に対し、脳死でもない患者の臓器を移植し、死なせたというほとんど殺人
的な手術。レシピエントに事前の検査もなく、ドナーとレシピエントの適合も考えず
(血液型しか見ていなかったのではないか)、執刀医は免疫抑制剤についても無知だっ
たが、学会の権威となった友人知人らが問題はなかったと発言し続けた。
1984年9月25日、筑波大学で精神障害者から臓器提供。しかし、本人の意思表示もなく、
脳死判定もずさんなまま摘出手術を敢行し、執刀医の教授はのちに「なんで私が脳死に
ついてやっているかというと、臓器移植のために新鮮な臓器が欲しいからなんです」と
語る。
1990年8〜9月、大阪大学でとんでもない経緯の臓器摘出手術が行われる。駅で殴られ、
意識不明になった患者が救急搬送されるや、ドナーカードを持っていると聞いた事務長
が臓器摘出手術を手配。喜んだ教授の指示により、患者はろくな手当てもされず、脳死
判定もされないまま、ドナーとしての臓器保存処置が始められる。傷害事件として駆け
つけた警察、検察官さえシャットアウトしての摘出手術だった。教授は裁判で「脳死判
定は必要ない」「セレモニーとしてやっている」と証言。
1993年10月、関西医大にクモ膜下出血を起こした看護師が運ばれると、家族の同意もな
く(夫は自分の臓器を移植すれば妻が助かる、という話だと解釈した)、無理やり脳死
扱い。臓器保存処置を始めて心停止させ、腎臓を摘出した。
このあたりはあちことで発表されているので、よく知られた事件です。
現在、検討されているのは子どもからの臓器提供。
病気に苦しむわが子をなんとか助けたい親の気持ちはわかりますが、子どもの脳死判
定にはさらに問題が。脳死と判定されても1ヶ月以上生きるケースはざらです。ニュー
スで見ましたが、脳死だと宣告されながら、何年も生きている子どもさえ国内例があり
ます。
逆の問題もあります。幼児の救急搬送はその1割が親による虐待です。医師が断言でき
るだけでその数なので、疑いを含めれば2割に迫る数かもしれません。しかも、そういう
親に限って臓器提供を申し出るそうです。
大事な子どもといらない子どもが、身勝手な親によってのみ線引きされるなんて、あ
まりに非道な社会じゃないかと思うのは、もはや少数派なのでしょうか?
もっと書けば、病気のわが子に臓器を! と望む親で、海外渡航後、容態が悪化して
脳死になったとて、臓器を提供したという話は聞いたことがありません。ドナーになっ
てくれと申し込まれたのに、断って無理やり帰国したというケースのほうが、親や支援
者により公表されています(日本の病院を訴訟するため)。
これは成人の患者にも言えるのですが、自分や家族はレシピエントになるんだという
思い込みで出発しているから、ドナーになるなんてとんでもない! 絶対否定! とい
う態度しか取れないのではないでしょうか。自分たちはもらう側で、それしか受け入れ
ないという気持ちのありようが、わからないわけではありませんが、第3者として知れば
すごく虚しいです。