#2865/9229 ◇フレッシュボイス過去ログ
★タイトル (AZA ) 05/05/05 21:25 ( 32)
少し〜過ぎた 永山
★内容
小説を読んでいて、次の記述にぶつかりました。
「気付くのが、少し遅過ぎた。」
どことなく違和感を覚えて、それが何だろうと考える内に、程度の少なさを
表す「少し」と程度の過剰を表す「過ぎた」を併用していることが原因ではな
いかと思い付く。
これが「気付くのが、少し遅かった」でも意味は通じるし、ニュアンスも変
わらない気がします。
あるいは、「気付くのが、遅過ぎた」でも、大きな違いはありません。「少
し遅過ぎた」と単なる「遅過ぎた」では、遅れた(超過した)時間の長さに差
があるように思えなくもありませんが、結果に変化は生じないはず。
とまあ、こんな風に考え、「少し〜過ぎた」は「少し〜した」と大差がなく、
先述の理由から言って「少し〜過ぎた」という用法は避けるのがいい、と結論
づけかけたのですが。
もうちょっと考えてみると、「少し〜過ぎた」と「少し〜した」ではまるで
意味が異なってくるケースもあることに、じきに思い当たりました。たとえば、
「少し食べ過ぎた」と「少し食べた」。ほぼ正反対と言っていいでしょう。む
しろ、こういったケースの方が圧倒的多数。
最初に挙げた文は、時間の流れを含むため、例外となる(んですよね?)。
「遅過ぎた」だけでなく、「早過ぎた」もこれに当てはまるように。
最初に違和感を持った文こそが特殊なケースであることに、もし気付かなか
ったとしたら、はやまった結論を下したまま、安心してただろうなあ。
個人的に、時間の流れを含む文は小さい頃の鬼門でして、その昔、数学の時
間に習った、<ある命題が真ならばその対偶も真になる>という則が、(一見)
成り立たないため、戸惑った覚えがあります。
たとえば、「お腹が空いたので食事をする」の対偶を、「食事をしないので
お腹が空かない」だと考えてしまって、おかしい、成り立たない、と。
ではでは。正しくは、「食事をしないのはお腹が空かないからだ」。