AWC お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 3   亜藤すずな


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#268/598 ●長編    *** コメント #267 ***
★タイトル (AZA     )  06/06/30  00:00  (492)
お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 3   亜藤すずな
★内容                                         16/11/23 03:00 修正 第4版
 どうやら、対岸にある看板(最初、そう見えた)と同じ物らしい。縦に五メ
ートル、横に十メートルはある。足下から頭のずっと先まであり、雑木林は見
えない。完全な平面ではなく、ところどころ、折り目があって、何だか屏風み
たいだ。絵は描かれていないけれど、横方向に長い筋が何本も掘られている。
その筋も、それぞれ微妙に角度が違っていた。
 こんな物があったのに気付かないなんて、さっきの自分は、突然の声とその
内容に、よっぽど驚いてしまってたんだ……。
 ようやく落ち着いてきた。ほっと息をつき、足下に視線を落とす。すると、
何かの印だろうか、星のマークがあった。とんがりが五つある星じゃなく、四
つの星。あ、トランプのダイヤって言えばいいんだわ。コンクリートを削って
象り、表面を改めて平らに加工してあるから、躓くこともなければ、水がたま
ることもない。
 ていうことは、これ、施設の一つなんだ? 多分、この壁みたいなのとセッ
トなんだろうけど、どういう使い方をするのか……。
 いけない。思い悩んでいるときじゃなかった。さっき聞いてしまった恐ろし
い内容を、誰かに知らせなくてはいけない。
 ――誰に?
 あの人影は、この施設に今いる誰かであるに違いない。じゃあ、あたしが信
用して相談した相手こそが、当人だったなんて最悪なケースもあり得る。確実
に違うと言い切れるのは、あたし自身と友達四人、それから復讐のターゲット
とされてる苫田さん自身。瀬野さんはどうなんだろう? ここで苫田さんが支
配人兼管理人をするっていう事実を、だいぶ前から知ってたのなら、さっきの
会話はおかしいわよね。
 ここは慎重に、石橋を叩くに越したことはない。苫田さん本人にいきなり聞
いても、色々と裏の事情があって、難しそうだから、友達に話してみるしかな
い。でも、中学生に何ができる?って気もする。
 それとも、最初から警察に通報するべきなの? 人殺しの話を聞きましたっ
ていうだけで、警察が来てくれるんだろうか。それに、来て捜査した結果、何
事も起きなければいいけれど、あたしが嘘をついたと思われるかもしれない。
警察が来たら、モニターのことだって、ぶちこわしになっちゃうだろうし。で
きれば、おじいちゃんに迷惑を掛けないようにしたい。
 ああ、だめだ、一人で考えても。警察どうこうって話も含めて、誰かに相談
しないと。結局、最初の問題に戻ってしまった。
 とにかく、部屋に帰ろう。みんなが心配してるかもしれない。あたしを捜し
て、部屋に誰かが来たら、魔法を目撃される恐れだってある。
「ラスレバー・エブリフェア」
 あたしは自分の部屋を強く思い浮かべると、呪文を唱えた。
 ひょっとしたら、さっきの人影がまだ近くにいて、声を聞かれると恐いから、
小声になった。

 移動完了と同時に、頭をハンガーにぶつけた。いたた。
 もしも誰かが部屋に来ている場合を考え、壁に埋め込み型の簡易クローゼッ
トの中に移動したのだけれど、ハンガーがいくつもぶら下がっていたのを忘れ
てた。扉をそっと開けて、外(と言っていいのか、部屋の中と言うべきなのか)
を窺う。誰もいないようだ。部屋の様子も、着替えてきたときと変わってない。
 あたしはクローゼットから出て、部屋の机に置かれたパンフレットで、テニ
スコートの位置を再確認した。頭にちゃんと叩き込み、今度こそ迷わないよう
にと、出発。それと同時に、例の件を誰に話そうか、今一度考える。
 建物から出た時点で、結論も出た。
 もしかしたら、魔法で事件を食い止められるかもしれない。だったら、相談
相手は一人しかいない。
 テニスコートを目指して、歩みを速める。自然をなるべく残そうという方針
なのかもしれないけれど、通路を整備するか、方向を示す矢印でもあればいい
のにと思った。
 と、前から誰か来る気配が。
「――江山君」
 俯きがちにして急ぎ足だった江山君は、あたしの声に顔を上げ、立ち止まっ
た。硬かった表情が見る間に和らぐ。
「あ、ちょうどよかった。あんまり遅いから、様子を見に行くところだったよ」
「ごめんなさい、道に迷ってて。こっちに来てるの、江山君一人?」
「うん。じゃんけんで負けて、見に行くことになったから。今、向こうじゃ、
東野が二人にコーチしてるよ」
 それはラッキーだわ。あたしは、周りに他の人がいないのを確認してから、
起こったことを話した。
「――要するに、松井さんとしては」
 聞き終わるや、江山君は口を開いた。
「まず、事件を未然に防ぎたい」
「ええ」
「二番目に、離れた場所にいる人の声を聞こえたのが、魔法の力なのか、確か
めたい」
「それもあるけど、人殺しが起きないようにするのに比べたら……」
「まあ、魔法に関しては、ゲームを進めていないのに身に付くなんて、これま
でになかったんだから、他の可能性の方が高そうだ。後回しにしよう。人殺し
の話、夜に決行というのは間違いないんだね?」
「多分。何時なのかまでは、聞き取れなかったけれど、真夜中なのは間違いな
いわ」
 江山君の口ぶりは、とても落ち着いていて、頼りになった。
「じゃあ、猶予はまだ少しあるわけだ。真夜中って、何時から何時までを思い
浮かべる?」
「えっと、夜の十一時から朝の三時ぐらいまで、かな?」
「うん、僕もだいたい同じだ。大人にとったら、もう少し遅いかもしれないが、
その辺りと見ていいと思うよ。そんな時間にアリバイを作れと言われて、作れ
るもんなんだな、大人って」
「え? あっ、電話の相手のことね。電話番号が分かれば、その相手の人を通
じて説得できそうな感じもしたんだけどな」
「難しいだろうね。『千載一遇のチャンス』と言ったからには、瀬野さんや他
の従業員とかじゃなく、モニター客の誰かなんだろうけど。管理人の苫田さん
だっけ。本人なら、モニター客の中に知っている顔を見つけられるかもしれな
い。その人物が怪しいってことになる」
「あたしもそれは考えた。ただ、復讐とか言ってたから……苫田さんにも悪い
とこがありそうで、聞きにくくない?」
「うーん。警察に知らせるのは、現時点では大げさすぎるし、まともに取り合
ってくれるか、期待薄だろうなぁ」
「噂を流すの、だめかしら。誰かが誰かを殺そうとしてるって。そんな噂が広
まれば、犯人――というか、犯行を計画してる人だって、思い止まるかも」
「どうかな? 自殺に見せかける自信があるんだろ、犯人は。ああ、面倒だか
ら犯人と呼ぶよ。犯人にとっちゃあ、そういう噂が流れても、苫田さんに警戒
さえされなければ、実行は容易い気がする」
「じゃあ、誰かが苫田さんを殺そうとしてる、っていう噂を」
「それは危険だと思うよ。別の犯罪を誘発しかねない」
「どうして」
「苫田さんて、人から恨まれて、命を狙われるような人物なんだろ。悪いこと
に手を染めてきた可能性、あるんじゃないか? そういう人が、自分の命が危
ないと警戒したら、大人しく守りを固めるよりも、積極的に反撃に出る気がす
る。極端な場合、相手を突き止め、逆に殺してしまうとかさ」
「まさか、そんな」
 否定的な反応をしてみたものの、ないと断定することはできない。
「加えて、下手をしたら松井さんだって危険だ。電話をしていた犯人が、噂の
元を突き止めようとするかもしれないんだぞ」
 あたしはしゅんとなっていた。心の中で、悪くない考えだわと一瞬、自画自
賛したのが恥ずかしい。思い付きは思い付きに過ぎなかったみたい。
「結局、魔法しかないわ」
「それなんだけど、どうやって食い止めるのさ? 移動と治療と攻撃、それに
雪を降らせるだけなのに」
「これから考える。江山君、言ったじゃない。まだ時間はあるって」
 あたしの即答が、江山君には意外だったみたい。口を半開きにしたまま、し
ばらく絶句して、それから唇をかみしめた。
「……分かった。話はあとにして、とりあえず、テニスコートに行こう。みん
なが心配してる」

 テニスの出来は散々だった。遅れた分、たくさんゲームするようにと、コー
トに立たされたけれど、考え事をしながらだったせいもあり、パートナーの足
を引っ張るばかり。あ、ダブルスしかしなかったのよ。
「体調、よくないんじゃない? 疲れない内に休んだ方が」
 東野君が言い出して、成美と司も「そうしたら」と心配げに勧めてきた。自
分がゲームから外れて審判に徹するつもりで、あたしは同意したのだけれど、
それっきり、全員でテニスそのものを終えることになった。あたしが加わって
から小一時間、悪いことをしちゃった。対策を練るには、ありがたいんだけれ
ど……。
 まだ日は高いから、外の施設を回ることにした。といっても、あたしは体調
が悪いってことになってるので、部屋で休まざるを得ない。予定がころころ変
わりすぎで、五人揃って回らないというのは問題ありだけど、「回れなかった
ら、みんなの話を聞いて、適当に書くから」と言って、ごまかしておく。
 部屋に一人でいる間に、対策を色々と考え、夜、江山君にそれを伝えて、決
定しようという寸法ね。
 みんなの出発を見送る間際に、その話を江山君とひそひそしていたら、司が
めざとく、見とがめてきた。
「二人で何の話してるの〜」
 言いながら、じと目で見上げてくる司。明らかに嫉妬してるよぉ。思い返せ
ば、江山君とあたしが二人並んでテニスコートに来たときも、何だから羨まし
そう(恨めしそう?)にしていたし、その直後、江山君とペアを組んで、東野
君と司のペアと対戦したら、あたしのときだけやたらと強く打ち込まれた気が
する。今日のことがなくても、あたしは江山君の家を訪ねる機会が増えている
わけで。
「えー、夕食のそ――」
 適当に答えようとする江山君を突き飛ばし、あたしは司の片腕を引っ張った。
二人だけで内緒話の格好だ。
「ねえ、司。四人で回るのって、効率が悪いと思わない?」
「そんな今さら。飛鳥の調子が戻ったら、そりゃあ、全員で」
「違うったら。あんた達四人が二組に分かれて、片方は最初から、片方は終わ
りから体験して行けば、早いじゃない。合流したら、教え合って、面白そうな
とこだけつまみ食い」
「それはそうかもしれないけど」
「その組み分けだけど、男女のペアがいいと思うんだ。司は当然、江山君とが
いいでしょ?」
「――」
 鼻息が聞こえたような。司の様子を窺うと、目の動きが挙動不審だ。
「い、いやー、それはいい考えかもしんない。けどさ、そううまく、組み分け
できるかなあ?」
「だからさっき、江山君にお願いしたの。組み分けを、グーとパーで決めるこ
とにして、江山君はグーを出し続ける。司もグー。いいわね?」
「……飛鳥ちゃん、感謝」
 両手を強く握られた。とっさの思い付きに、そこまで感謝されると、こっち
の心が痛むよ。
 とにかく、これで走り出してしまったからには、後戻りできない。急いで、
江山君に駆け寄り、あたかも念押しするかのようににして、耳打ちした。
「――分かった」
 一瞬、目元をしかめた江山君だけど、さすが、飲み込みが早い。イニシアチ
ブを取り、二組に分かれることをみんなに提案した。
 グーとパーによる組み分けは、幸いにして、二回目で東野君と成美がともに
パーを出し、決着した。ほっとする。長引くと、江山君と司が揃ってグーを出
し続けるのが不自然に見えたに違いないもの。
「不本意だが、仕方がない」
 東野君は角の立つようなことを言っておきながら、成美の前に跪いた。
「エスコートさせていただきます」
「――なーんか、二重に腹が立つわ」
 成美ったら、東野君のおでこをちょんと押すと、さっさと先に歩き出した。
バランスを崩した東野君は、片手を地面につきながらも立て直し、まだ「お待
ちを」なんてやってる。
「あっちの二人は、最初の方から回るようだから、僕らは後ろからだね」
 江山君が司に声を掛ける。司は、表情を柔らかくしようとしたのか、肌のて
かりを気にしたのか、頬の辺りを手のひらでこすってから振り向いた。
「ええ。ゆっくり回ろうね」
 司のしゃべり方、普段のようになってる。これなら大丈夫だよね。
「行ってらっしゃい。はりきりすぎて、怪我しないようにね」
 手を顔の横で振って見送る。そうしたら江山君、余計な反応を。
「うん。松井さんは部屋でお大事に」
 まあ、司の頭は、今、江山君と二人きりになれることでいっぱいみたいで、
助かった。
 みんなを見送ってすぐ、部屋に閉じこもった。着替えようかどうしようか、
汗はほとんどかかなかったし、リラックスできる格好の方がいいアイディアが
浮かびそう。
 リラックスがいいとしても、寝転がると眠ってしまうかも。机に向かい、宿
題をするときでもここまでしゃきんとしないってぐらい、背筋を伸ばして、椅
子に収まる。備え付けのメモ用紙――便せんかも――を台ごと引き寄せると、
ボールペンを構えた。思い付きを書き出し、考えをまとめよう。
 まず……あたしの魔法でできることを書いてみる。移動、攻撃、治療、雪の
内、人殺しという凶行を未然に防ぐのに役立ちそうなのは、どれか。
 未然に防ぎたいのだから、攻撃は違う。犯人が行動を開始して、いよいよ危
ないっていう場面に居合わせられたら、使う必要はあるけれど、防ぐ方には向
いていない。あたしは“攻撃”の項目に、△を記した。
 治療も役に立ちそうにない。凶行の直後に、傷を負った苫田さん(もしくは、
反撃を受けた犯人)を手当てするという使い道はあるけれども、防犯にはどう
使えばいいのか、さっぱり。“治療”には×印。
 移動魔法は、これまでの二つに比べたら、使える気がする。たとえば、管理
小屋の出入り口をじっと見張って、犯人らしき人物が近付いてきたら、その人
をどこか遠くに移動させてしまうか、苫田さんの方を別の場所に移してしまえ
ば、とりあえず防げる。相手と向き合わなければならない攻撃魔法と違って、
移動魔法は使っても「あれ? 自分、寝ぼけてたのかな」で済む確率が高いか
ら、あたしとしても秘密が守れる。
 ただ、すでに一度使ってしまったから、もし今夜中に事件が起きたら、あと
一度しか使えない。慎重にならなくちゃ。それはともかく、“移動”は○。
 雪を降らせるのは……。一人でいるのに、思わず「うーん」と唸ってしまう。
今の季節、外に降らせるのは、異常気象のせいにできるとしてもよ。屋根のあ
るところに雪を降らせるのは、秘密を守るにはちょっと危険な気がする。屋外
限定じゃあ、何ができるかしら? 管理小屋のドアの前に、雪でブロックを作
るわけにいかないし、それ以前にそんなに降らせたら、あたしの体温が上がり
過ぎて、危険かも? 寝込む程度ならまだしも、命に関わるのはちょっと……。
 現時点じゃあ、“雪”は×に近いクエスチョンマークってところ。江山君な
ら、妙案を出してくれるかもしれない。
 他にないだろうか。早々と手詰まり感を覚えて、情けなくなっちゃう。こん
な程度じゃ、魔法が使えると言ってもたかが知れている。
 魔法に頼らない手段でもかまわない。うまく行くなら、何だっていいんだ。
 苫田さんについて、たとえば過去に何をしていたかが分かったら、恨まれる
理由が見えてくるかも。次に、モニター宿泊客全員を調べて、苫田さんの過去
と交わる人がいれば、怪しい。その人を見張っていれば、凶行を防げる――机
上の空論、という言葉が頭に浮かんだ。警察でもないあたし達に、苫田さんや
他の人の経歴を調べられるのか。尋ねたって、教えてくれないだろう。自力で
調べようにも、ここにはインターネットは無論のこと、図書館もなければ、新
聞資料だってない。何よりも、時間がないのよ。
 それに、仮に怪しい人物を特定できたとしても、問題解決になるのかしらと
思えてきた。未然に防ぐのを最優先にしているのだから、当然、現行犯逮捕を
するわけじゃあないのよね。今日明日の、この場での犯行を防ぐのが精一杯で、
違う日に再度決行されたら、防ぎようがない気がする。
 怪しい人を特定できた方ができないよりずっといいのは、もちろんだけど。
 そこまで考えて、ふっと思い出した。犯人は電話で、「確認した」とか言っ
てなかった? あれって恐らく、苫田さんの姿を間近で見て確かめたっていう
意味なんじゃないかしら。
 これが当たっているとしたら、特定につながるかもしれない。
 あたしは立ち上がると、少し迷ってから決断した。

「他のお客さんと会ったか、だって?」
「はい」
 とびきりの笑顔を作り、無邪気さを前面に出して、あたしはうなずいた。
 話す相手は、苫田さん。場所は、そう、管理小屋だ。瀬野さんはすでにおら
ず、小屋の中には、あたしと苫田さんの二人だけ。
「そりゃあ会ったが、どうしてまた、そんなことを知りたいんだね」
 苫田さんは、初対面のときよりは優しい調子で尋ね返してきた。
「あたし、ちょっと体調を崩しちゃって、友達と一緒に回るのをパスしたんで
す。大人しく部屋で待ってるつもりが、退屈に感じてきて。それで、他にもお
客さんがいるってことを思い出して、感じのいい人がいるのなら、仲よくなっ
ておきたいなって」
「ふうむ。それは、男限定かい?」
 うわ。口調は優しくてもセクハラっぽい。そういう目で見られるのは、非常
に心外です。
「違いますよー、男も女も関係なし。年齢も関係ありません。ここでモニター
として一緒になったのって、何かの縁だと思うんです。折角だから仲よくなり
たいっていうだけです」
「ま、そういうことならね」
 あとの台詞は飲み込んだみたいで、黙ったまま、椅子を軋ませる。以前は大
企業の、かなり上の地位にいた人なのかもと想像させるに充分な貫禄だけれど、
口ぶりの方は嫌味がかっていて、相当にマイナスだわ。
「他のモニター客について、大まかには瀬野さんからも聞いておるんだろ? 
なら、印象を話しても問題あるまい。子供という意味でなら串木さんという一
家が来とる……来ています」
 唐突に丁寧な物腰になった。瀬野さんからの注意を思い出したのかしら。で
も、板に付いてなくて、居心地が悪そう。口元がむずむずしてる。
 と、そんなことを気にしてるときじゃない。
「あ、聞きました。小学生の子がいるとか」
「男の子だけどな」
 喋り方、もう戻ってる。
「眼鏡を掛けた、よく言えば賢そうな、悪く言えばこましゃくれた感じの坊主
だったよ。運動が苦手、と言うよりも、外が嫌なんだろうな、あれは。面倒臭
いからと言って、外の施設をとっとと見て回ってるようだ」
「ご両親はどんな?」
「旦那――旦那さんは平凡なサラリーマン風だった。やっぱり眼鏡をしていて、
歳を食ったら髪に来そうな」
「あの、そういうことじゃなくて、どんなお仕事をされてるのかとか」
「今から、就職活動の種まきかね? それならこの俺にも、コネはあるがね」
「い、いえ、就職とかも関係なくって。あ、でも。苫田さんは前は、どんな仕
事をされてたんですか?」
 いい具合に、相手からきっかけを作ってくれた。そう思って、質問してみた
んだけれど。
「公務員の一種さ。それだけじゃない、転々としたからなあ。一言では説明で
きん」
 一瞬、勿体ぶっているように聞こえた。でも、当人の様子を観察してると、
本当のことは話したくないように見える。ひょっとすると、仕事を次々に変え
た、つまり辞めたというのが、他人から恨みを買うことに結び付くのかも?
 これこそ知りたい点だけど、ここで深追いしたら、変に思われるに違いない。
慎重に進めなきゃ。
 苫田さんを恨んでいる人を、苫田さんが知っていると断定できれば、話は早
いんだけれど、そう単純でもない。かといって、聞かないわけにもいかない。
「たくさんの仕事を転々とされたら、知り合いもたくさんいるんだろうなあ。
あ、でも、今日泊まるモニター客の中に、苫田さんの知っている方はさすがに
いませんよね」
「うむ、いない。いや、いると言えばいるな」
「えっ?――と、何が何だか、分からないんですけど」
 聞き返す声が上擦り、勢い込んでしまう。どうにか取り繕ったつもり。
「ここの支配人兼管理人に就くと決まってから、運営会社やスポンサー企業の
役員に会った。その内の一人が中村と言って、うちの息子がモニターとして行
くから、丁重に扱ってくれよと冗談交じりに頼まれた。系列会社の研究員らし
いんだが、何故かその場に来ていてね、その息子さん。憎たらしいほどのハン
サムだった。君のような女の子なら、いちころでやられるだろうから、注意す
ることだ」
「ええ?」
「ふん、冗談さね。同僚の彼女連れで、カップルとして来るんだからな」
 真顔で冗談はやめてほしい。とにかく、管理人になることが決定したあとで
知り合ったのなら、その中村某が犯人である可能性は低そう。あの通話内容か
ら考えても、犯人は苫田さんを、今日ここに来て確認できたという雰囲気だっ
たし。
「あー、でも、カップルって羨ましい。美人でした?」
「ちらっとしか見てないから、細面としか言えないな。尖った顎が印象に残っ
た。研究者と言われりゃ、なるほどとうなずける」
「頭いいんだろうなぁ。宿題を教えてほしい。それで、もう一組は?」
「アメリカ人の夫妻だ。ヘンリー=ヘイズ氏とマリリン夫人。外人特有のイン
トネーションがあるものの、日本語は堪能のようだから、会話には不自由しな
い。英語を教えてもらうかね?」
「いいかも。日本語ができて、このモニターに参加してるってことは――英会
話学校の先生かな? あ、でも、プロの人じゃ、無料にならないか」
「ふふん、いい勘をしているな。夫婦揃って、さっき言った中村拓也が通った
大学で英語講師をしていたそうだ。そのつながりで、モニターに招待されたと
聞いている」
「日本に来て何年ぐらいなんでしょうね? どれくらいで日本語が上手になっ
たのかしら……」
「そこまでは知らん。だが、日本の大学で教えてる英語の先生は皆、日本語が
ある程度話せるはずだ。そうでないと、授業にならん」
「じゃあ、やっぱり努力か……。あたしもアメリカで三年ぐらい暮らせば、英
語がぺらぺらになると思ってたのに」
 日本に来て短いのなら、容疑から外れると思ったんだけど。でも、よく考え
てみたら、苫田さんの仕事によっては海外勤務もあり得るわけだから、決め手
にはならないよね。うーん、うまく行かない。
 あとはモニター客それぞれに直接、聞くしかないかなという思いが脳裏をか
すめた矢先、瀬野さんが現れた。
「苫田さん、館内放送をお願いします。――おや」
 あたしを見て、ちょっぴり意外そうに口をすぼめる瀬野さん。でもすぐに元
通りになり、放送の内容を伝える。中村さんに電話があったからフロントまで
来てくださいとのことだけれど、今時、若い人で携帯電話を持っていないのは
珍しいかも。
 あ! 携帯電話を持っていないとしたら、中村さんは容疑から外れる?
 興奮で鼻の穴が膨らむのを感じ、慌てて手で隠した。すると、瀬野さんがあ
たし以上に慌てた様子で腕を引っ張り、外に連れ出した。
「な。何ですか」
 後ろ手に扉を閉めた瀬野さんに、あたしは腕を振りながら尋ねた。瀬野さん
は、ふーっとため息をついてから、
「放送中にくしゃみをされたら、困りますので」
 なんて答えた。さっきのあたしの仕種が、くしゃみ直前の動作に見えたらし
い。そうじゃなかったことを表明してから、ついでに聞いてみる。
「苫田さんて、前は何の仕事をされてたんでしょう? 色々と変わられている
みたいな話だったから、気になって」
「残念ながら、存じ上げていませんので……」
 ゾンジアゲテの漢字が、一瞬、分からなかった。子供相手に、ここまで丁寧
にされると、かえって恐縮しちゃうわ。
「瀬野さんは携帯電話、持ってますよね?」
「え? ええ、それが何か」
「あたしはだいぶ前から親にお願いしてるのに、まだだめ。防犯に役立つって
言って押してるんだけれど。串木さんのお子さんは、持ってるのかな。持って
たら、小学生でも持ってるんだよって、親に言うの」
「はあ……それも分かりかねますね」
 困ったような笑顔になる瀬野さん。そのまま引き返そうとするのへ、あたし
も着いて行く。鬱陶しがられたか、「親御さんが持ってらっしゃるのなら、こ
の目で見ましたが」と答えてくれた。
「アメリカ人夫婦は? 外国の携帯電話って、日本でも使えるのかな」
「苫田さんから聞いたんですか。ヘイズ夫妻は日本が長いですし、使っている
携帯電話は日本の物でしょう」
「中村さんは持ってないんですよね。恋人はどうなのかしら。自分だけ持って
て、相手が持ってなかったら、嫌なんじゃないかと思うけど」
「お二人とも、精密機械の動作テストを受け持つことがあるため、最初から持
たない主義だと聞いたことがあります。それで特に不便はないようですよ」
 今度はすらすらと答えてくれた。系列会社の社員だからか、詳しいみたい。
 それにしても、思い切って質問を重ねた甲斐があったんじゃない? 携帯電
話を持っていないカップルと、日本語のイントネーションが特徴的な外国人夫
妻を容疑から除いたら、串木さん夫婦だけが残る。小学生の子は最初から考え
に入れてない。だって、人影は大人のものだったし。
「携帯電話に向けるのと同じくらい、ここの施設や展示にも興味を向けてくだ
さいよ」
 足を止めたあたしに瀬野さんはそう言って、仕事に戻ろうとする。
「あの、少し体調がすぐれなくて……。でも、部屋で休むと決めたら、退屈で。
栄養剤みたいな物、ありませんか?」
 嘘でもいいから薬っぽい物をもらっておこう。モニター客なのに、こうして
さぼってるんだから、その理由付けをしておかなくちゃ。
「でしたら、常備薬の中にドリンク剤がありましたから、お持ちしましょう。
ここでお待ちを」
「ありがとうございます。苦くなければいいんだけど」
 悪い気がして、瀬野さんの背中に頭を下げた。

 管理小屋からまっすぐ宿泊棟へ向かい、全面ガラス張りの扉を押して中に入
ると、一旦振り返って外の様子を見た。みんな楽しくやっているかな。風が少
し吹いてるものの、天気はよさそう。
 ドリンク剤の他、念のためにと解熱の薬も渡された。一緒に服用しても副作
用はないけど、できれば時間を空けるようにとも言い添えてくれた。あと三回
ぐらい、深々とお辞儀しなくちゃいけない気分。
 あたしは自分の部屋に戻り、とりあえず、ドリンク剤を空にする。苦くはな
かったけれど、病院の空気を濃縮したみたいな匂いがきつかった。
 それから再び、事件を未然に防ぐために知恵を絞ってみたものの、大したア
イディアは浮かばなかった。串木さん夫婦に一度会っておきたい、という気持
ちが強かったせいもあると思う。
 しばらくすると、にぎやかな声が聞こえてきて、段々大きくなる。廊下を通
ってこちらに近付いてくるな、と思ったら不意に静かになった。成美や司が戻
ったんだと思ったのに、違ったかな?
 仕舞いかけた便せんを、また元の位置にしようとしたとき、ドアが控えめに
ノックされた。続いて、人の声が。
「飛鳥ぁー? 起きてる?」
 ボリュームを絞りすぎて分かりにくかったけど、成美の声だ。なあんだ、や
っぱり、帰って来たんじゃない。
 あたしは椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。が、はたと気付い
て、ベッドの脇に座り直す。あ、もちろん便せんは改めて仕舞い込んだ。
「起きてるよ。どうしたの? 入って」
「いいの? 身体の具合は?」
 ドアが細く開けられ、今度は司。少し疲れた風に見えるのは、江山君と一緒
に回って、興奮しっ放しだったせいかもね。
 あたしは、疲れてるけど回復しつつあるよっていう加減の声を心掛けた。
「うん、だいぶよくなった。大丈夫だから、入って来て」
 促すと、二人は「じゃあ」と、それでも普段よりはしずしずと部屋に入って
来た。
「お、ほんとだ。顔色、よくなったじゃない」
 成美が言う。あたしは本当は何ともないのだから、おかしな気がしたけれど、
さっき、テニスコートで会ったときは、人殺しの話を聞いてしまった直後で、
それが顔に出ていたのかもしれない。今は落ち着いたというわけ。
「何か欲しい物はある? 飲み物でも……って、何この、ファイト一発みたい
なサラリーマンドリンクは」
 机の片隅にあるドリンク剤の空き瓶を、目ざとく見つけた成美。
「体調が悪いって言ったら、瀬野さんがくれたの。それのおかげで、かなり復
活しました」
「そりゃ結構なことで」
「そっちはどうだった? 面白かった?」
「ああ、展示よりずっとよかった。楽しめたわよ。パートナーが気に食わなか
った以外は」
 東野君のことを言うときだけ、口を尖らせ、目は斜め上を向く成美。それ以
上、詳しい説明をしてくれないのは、東野君との間によっぽど気まずい空気が
流れたのかしら。
 あたしが司に目を向け、「たとえば、どんなのがあった?」と聞いてみた。
 司が「あのね、鏡が――」と答えようとするのを、司がすかさず遮る。
「ちょっと待ったぁ。あとで回る可能性、ゼロじゃないんでしょ、飛鳥?」
「え、そ、それは当然。今日は無理でも、明日、時間があれば」
「だったら、白紙の状態で体験したらいいと思うよ。まあ、身体を使った科学
マジックみたいなのが多かった、とだけ言っておくわ」
 そういうことか、説明をしてくれなかった理由は。納得して、頬が緩む。
「じゃあさ……」
 と、いつもなら、司と江山君の会話などを肴に盛り上がりたいところ。だけ
ど、今はちょっと優先順位を下げよう。
「……他のお客さんとは会わなかった? 全然見ないから、あたし達だけなん
じゃないかって思い始めてる」
「見たよ」
 司が答える。
「親子連れ三人と。すれ違ったとき、頭を下げたぐらいで、話は何も」
「よかった、いたんだ。どんな感じの人だったかなあ」
「どんなって……普通の幸せそうな一家団欒て雰囲気だった」
「そう? ここの人に聞いたんだけど、そこの男の子って、あんまり外で遊ぶ
のが好きそうじゃないタイプだって」
「嘘ぉ。そんな風には見えなかったわよ。気に入った施設というか遊具なんか、
何度も何度も試してたんだから。きっと、やり始めたら思ってたより面白くて、
夢中になったんじゃないかな」
 司の話に、成美も「あー、それなら目撃した」と相槌を打つ。
「両親、特に父親の方が、何時間も付き合わされてへとへと〜って感じだった
わね、あれ」
「ふうん」
 続いてその両親について、突っ込んで聞こうとしたんだけど、違和感があっ
たのでやめた。しばし考え、串木さん夫婦を犯人に見立てるのには、時間的に
無理があるんじゃない?と思い始めた。
 苫田さんから聞いた話の印象からだと、串木さん家の子供は、かなり早くか
ら外の施設を回り始めたはず。それなのに、あとから回り出した司や成美それ
ぞれが見かけてる。ていうことは、相当に長い間、外の施設で遊んでいたこと
にならない? 遊んでる間に、旦那さんか奥さんのどちらかが輪を外れ、携帯
電話を掛ける余裕なんて、あったのだろうか。あたしが聞いたあの会話、結構
時間を取ったと思うし、あの川縁まで行くのも、距離があるんじゃないかしら。
「おーい、どうした?」
「まさか、また具合が悪くなっちゃった?」
 はっと我に返ると、成美はあたしの顔の前で片手を振っており、司は心配げ
な顔で覗き込んでた。
「い、いや、平気平気。えーと、東野君と江山君は?」
 話を逸らすというよりも、早く江山君と対策を練りたい思いから、名前を出
した。
「二人とも、部屋に戻ってる。で、思い出したんだけど、食事前にひとっ風呂
浴びようって言ってたわ。飛鳥が大丈夫なら、あたし達も行かない?」
 もうそんな時間。普段、家では夕食は七時過ぎが当たり前だから、こんなに
早くお風呂に入ることも滅多にないけれど。
 さて、どうしよう。江山君がお風呂じゃなきゃ、成美と司には先に入っても
らって、その間に江山君と相談するのがベストなんだけどな。
 男子は女子より入浴時間が確実に短いし、待ってみる価値はありそう。
「ごめん、今は一応、パスしとく。先に入って」
「えー、そんな。だったら、あとで一緒に入る」
 司がつまらないとばかりに、首を横に振った。
「いいじゃない、今入って、あとでもう一度って。二度入った方がきれいにな
るわよ。うふふ」
「……そうしよっかな。今夜は江山君がいるし」
 よかった、こっちの提案に簡単に乗ってくれた。
 成美も不本意そうではあるけど、「じゃ、決まり」と言って、きびすを返す。
「いっそのこと、東野の奴が目の玉剥くぐらい、ヴァージョンアップしてやろ
うかしら」
 ロングヘアを後ろに流す仕種をやりながら、大股で出て行った。

――続く




元文書 #267 お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 2   亜藤すずな
 続き #269 お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 4   亜藤すずな
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