AWC お題>冷たくならない   永山


前の版 次の版 
#383/567 ●短編
★タイトル (AZA     )  10/10/04  20:47  (221)
お題>冷たくならない   永山
★内容                                         11/07/19 01:47 修正 第3版
 朝一の授業は、早めに切り上げられた。といっても十分程度だが、それでも
ありがたく感じられる。何しろ、ここのところ猛暑続きな上、大教室の冷房装
置が故障と来ているのだから。
 乙守淳平は次のコマが空きなので、いつものように部室に向かった。彼が一
年前に復活させたミステリ研の部室だ。復活までの経緯には、ちょっとした逸
話がある。
 入学前からミステリ研入部を心に決めていた乙守だったが、いざ部室を訪ね
てみると、ミステリ研とは名ばかりで、隣のワンダーフォーゲル部が占領して
いたのである。(一年生の乙守にとって)勇気を出して話を聞いてみると、ミ
ステリ研は数年前に部員ゼロになった。本来ならそこで廃部もしくは休部とな
り、部屋が空けられるものだが、隣のワンダーフォーゲル部がよからぬことを
考えた。ワンダーフォーゲルの部員数名でミステリ研に入部した形を取り、二
部屋を自由に使おうという悪知恵だ。顧問の先生も名前を貸しただけで活動に
は関与しておらず、問題は表面化しなかったのである。
 が、ここに乙守淳平という、この大学には珍しい、久々となるミステリマニ
アの入学により、この“悪事”は暴かれた。決して強い立場にあるとは言えな
いワンダーフォーゲル部は、乙守の希望を聞き入れ、拍子抜けするほどあっさ
りと部室を明け渡してくれたので、事なきを得た訳だ。
 そんな過去の経緯はさておき。
 部室に誰もいない場合は、ドアに組み込まれた押しボタン式のキーシステム
で、暗証番号を入力して解錠する必要があるのだが、本日は火曜日。多分、一
年生がいるだろうと思いつつ、先にドアノブを回すと、案の定、簡単に回った。
「――あ、ぶぶ部長? お早いお付きで」
 ドア近くの指定席に座ったまま、頭を抱えていた一年生女子、小日向流里が
顔を起こして言った。彼女は、じっくり話すチャンスさえあれば雄弁になるタ
イプなのだが、大勢集まると口数が少なくなる。加えて、いかにも和風美人ぽ
い長い黒髪のせいもあって、大人しい性格とみられがちだ。
「おはよう。授業が早く終わったからね。それより頭なんか抱えてどうしたの。
頭痛?」
 よく見ると、眉間にしわを作っている。その割に顔色はよい。
「大丈夫です。考え事をしていただけですから」
「へえ、難解な推理小説を読みかけか、それとも授業で出された課題が難物な
のか」
 軽口を叩きながら、部室備え付けのミニ冷蔵庫に近寄る乙守。朝、大学に来
るなりこの部屋に寄り、ペットボトルを入れておいたのだ。夏になると習慣で、
500ミリリットルのペットボトルに水を詰めて、大学に持ってくる。今夏は
あまりの暑さに、キャンパス到着までに半分近く飲んでしまうこともしばしば
で、今朝も同様だった。そんなときは大学内の水道からペットボトルに水を補
給してから、部室の冷蔵庫できんきんに冷やすようにしている。
「あ、飲むんですか」
「うん」
 変なことを聞くなあと感じた。部室の冷蔵庫は部員が自由に使えるだけのス
ペースがあるし、ペットボトルは取り間違えることのないよう、キャップに印
を書き込む習わしだ(尤も、水を詰めてくるのは乙守一人なので、他と間違え
ようがないのだが)。
 もしかして、彼女も飲みたくなって取ってほしいのだろうか。でも遠慮して
言いにくいとか。
 そんなことを考えつつ、乙守は自分のペットボトルを取った。その刹那、違
和感を覚える。
「あれ?」
 思わず声に出し、再度、手触りを確かめた。
――ぬるい。
 今朝、この冷蔵庫に入れてから、二時間近く経っている。もっと冷えている
はずなのに、やけにぬるく感じる。
「どうかしました?」
 小日向の問い掛けに、乙守は冷蔵庫の扉を閉めてから応じた。
「もしかして小日向さん、この冷蔵庫、開けっ放しになってた?」
「――は? い、いいえ。今日はまだ触ってもいません。だから、扉が開けっ
放しだったかどうかなんて」
 首をぶるぶると横に振って否定した小日向。乙守の方は首を傾げざるを得な
い。手元のペットボトルを見つめながら、説明する。
「今、僕が開けたときは、ちゃんと閉じていた感触があった。なのに、今朝入
れたペットボトルが、いまいち冷え切っていないんだ」
「……故障でしょうか」
 声に振り返ると、小日向が一つ思い付いたとばかりに右手人差し指を立てて
いた。
「効きが悪くなったのかもしれませんよ。ほら、学校のクーラーだって調子悪
いみたいですし」
「そういうものなのかねえ。機械には強くないが」
 再び冷蔵庫を開け、手を入れてみる。感じる冷気はいつもと変わりない気が
する。ついでにしゃがみ込み、庫内の目盛りも確かめた。“強冷”の少し手前
に合わせてある。以前からこの状態のはずだ。
「不調ってことはなさそうだけど、念のため、目盛りを上げておこうか」
「それがいいですよ」
 ペットボトルの水を一口飲むと、冷蔵庫に戻した乙守。自分の指定席に収ま
ってから、改めて疑問を呈した。
「それにしても変だなあ。水道の水自体、ぬるくなっているだろうけれど、これ
ほどとは。注ぎ足したときには気付かなかった。一口飲んでみればよかった」
「今年の猛暑って、とんでもないですね。――乙守部長は水に塩とか入れるん
ですか? 塩分補給に」
「いや、入れないよ。家と大学の往復をするだけなら、塩を直接摂らなくても、
キャンディでも持っていれば充分。ほら、今持っているのだって――」
 ポケットから個包装の一粒を取り出し、成分説明に視線を落とす。
「――うん、塩分が入っている」
「そうですよね。水はミネラルウォーターでなくても、水道水で事足りる……。
あ、私、次の授業がありますから、この辺で失礼しますっ」
 腕時計を見るや、荷物を胸元で抱き、ぱたぱたと足音を立てて出て行く小日
向。乙守は「ああ、またあとで」と見送った。
 しばらくして、水道水の温度を実感しておこうと思い付いた乙守は、部室を
出た。この部室棟の各階、階段を上がりきった突き当たりに、シンクが備わっ
ている。さして歩く必要もなく辿り着いた乙守は、カランを捻った。出て来た
水は、いつもと変わらないように思える。
(ぬるいことはぬるい。が、さっき飲んだペットボトルの水と、ほとんど変わ
らない気がする……)

 そんなことがさらに二度ほど続いた。
 冷蔵庫の故障でないことは明らかだった。他の物はちゃんと冷えているのだ
から。
(もしかすると……)
 その場にいつも小日向流里がいたため、乙守は彼女に疑惑の目を向けるよう
になった。もっと言えば、毎週火曜日一時間目のあとの休みまでに決まって起
こる現象なのだ。ミステリ研究会部長でなくとも、疑いたくなる状況である。
小日向が乙守のペットボトルの中身を捨て、水道水と入れ換えているのではな
いか、と。
 ただ、仮に小日向流里が“犯人”だとして、理由がさっぱり分からない。水
を入れ換えて何の意味があるのか分からないし、動機も分からない。
(まあ、もうちょっとだけ様子を見るか。隠しカメラなんて設置したくない。
あと一回、同じことが起きたら、小日向君に直に探りを入れてみるかな)
 そう決心した翌日、火曜。
 まだまだ猛暑が続く中、部室にやって来た乙守は、小日向がいることを視認
し、何とはなしに緊張感を意識した。固い挨拶を交わし、冷蔵庫に向かう。も
しペットボトルの手触りが、ここ数週と同様に冷え切っていないものだったら、
後輩に問い質さねばならない……。
 気が重くなるが、吹っ切って、自分のペットボトルを手に取った。
「――冷たい」
 心の内でガッツポーズを取った乙守。頬が緩む。やっぱり、気のせいだった
か。うん、そういうことにしておこう。
 笑みを浮かべて指定席に収まった乙守に、小日向が話し掛けた。
「あの、部長」
「うん?」
 ペットボトルの蓋を開けようとしていた手を止める。
「飲む前に聞いてほしいことがあります。というか、飲んじゃだめです、その
ペットボトルの水」
「へ?」
 ほっとしていたのも束の間、唐突におかしな成り行きに引き込まれ、乙守は
目を白黒させていた。とにかく忠告に従い、ペットボトルを手放して机に置く
と、指で押しやり、距離をおいた。
「まさか小日向君。これまで水が冷え切っていなかったのは、やはり君の仕業
だったとでも?」
「え――。ええ、そうです」
 虚を突かれたのが露わな小日向。目の下辺りを赤くしている。音を立てて椅
子から立つと、表情を隠したがるかのように、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。すみません」
「……何が何だか分からない。説明してくれ。時間はあるのか?」
「あ、あります。お話をしようと思ったのも、次の時間が休講になったからで
すから」
 立ったままの彼女に、座るように言う。乙守も席を移動し、小日向から一つ
空けた椅子に腰を下ろす。手には問題のペットボトル。
「さて。聞きましょう。今なら二人だけだし、大ごとにならずに済む」
「え、ええっと、説明の順序が、思惑とは逆になっちゃったんで、うまく話せ
ないかもしれませんが……」
「かまわない」
「じゃ、じゃあ。実は三週間前、ここに来たとき、冷蔵庫の中にあった部長の
ペットボトルに異変が起きていたんです」
「異変? 水なのに? それも朝入れたばかりの」
「腐るとかじゃないんです。その……物凄く、塩辛くなっていました」
「……なるほど、味が変わっていたのか。って、どうして君はそのことが分か
ったのさ?」
 声が大きくなる乙守に対し、小日向は恥ずかしげな様子のまま、彼女自身の
唇に人差し指を一本、縦に当てた。そのジェスチャーを汲んで、乙守が静かに
すると、小日向流里は物凄く早口で一気に喋った。
「内緒にしておきたかったんですけど、私、乙守部長のことが好きなんですっ」
「……衝撃の告白だ」
 パイプ椅子からずり落ちそうになったが、背もたれを掴んで踏ん張った。
「でもそのことと、ペットボトルの水の味が分かることと、どんな関係……あっ。
もしや、小日向君」
 乙守は後輩をまじまじと見返し、次いでペットボトルを指差した。蓋を開け、
口を付ける仕種をする。
 乙守のボディランゲージを見ていた小日向は、こくこくと二度頷いた。
「はい……つい、出来心で、間接キスのつもりで」
「……いやはや。驚いた」
「お、驚いたのはそのときの私です。だって、滅茶苦茶にしょっぱかったんで
すよ! 暑さ対策には水分の他に塩分も必要だからって、こんなに入れたら身
体に悪いって思うぐらいに。嘘だと思うんでしたら、今日の分のペットボトル
にも入ってるみたいですから、ちょっと舌を付けてみてください」
「いや、疑いはしないよ。まあ、しょっぱさを確かめる意味で……」
 乙守はペットボトルを開け、手のひらで水を少し受けると、ぺろっとなめて
みた。
 か、辛い!
 苦くて痛い感じすら覚える濃い塩味だった。横を向いて思わず、ぺっぺとつ
ばきを飛ばす。
「そ、それで君は、さすがにこのしょっぱさは尋常じゃない、何かの間違いだ
と判断し、水を捨てて入れ換えた訳か」
「はい……部長が部屋に来るの、一時間目が完全に終わってからだと思ったの
で、それまでには冷えるだろうと考えたんです。でも、実際は早くに来られて、
おかげでばれてしまうなんて」
「――それであのとき、塩分補強がどうのこうのって言ってたのか」
 裏の事情がだんだん飲み込めてきた。だが、まだ全てではない。
「そのときに塩入になっていたことを言ってくれなかったのは分かるが、二回
目以降も塩が入ってたんだろ? 何で言ってくれなかったの」
「はあ。次の週の火曜にも、念のためにって味見をしてみたら、やっぱりしょ
っぱくなってました。部長の意思で塩を入れたのでないことは、最初のときの
会話で分かってましたから、これは誰かの悪戯だなって。部室に出入りできる
のは、私達部員だけだから、身内が犯人がいることになります。だから、部長
に知らせない内に犯人を見付けようと。私だって、この部が好きですから、部
の空気が悪くなるのは避けたくて、なるべくことが広がらないようにしたくて
……」
 しょんぼりとして、肩を落とす小日向。乙守は元気づけるように言った。
「気持ちは分かる。ありがとう。ただ、当事者の僕に何も知らせないままとい
うのは、無茶だ。解決するにも無理がある」
「ですよね」
「それで、犯人の目星は?」
「情けないんですが、全然だめなんです。乙守部長がペットボトルを持ってく
るのは当日の朝早くと言っても、せいぜい八時過ぎですよね? そして一時間
目の授業に向かうのが……」
 答を求められたと気付いて、乙守は口を開いた。
「遅くても八時四十分には、部室を出るよ」
「だと思ってました。私はほぼ決まって、八時五十分に来ますから、犯人に与
えられた時間は十分しかありません。こんな短いチャンスを捉えて、部室に入
り、ペットボトルに濃度の高い塩水を垂らして、すぐさま逃走するなんて、神
業です。そりゃあ、どこか近くに身を潜め、部長が部屋を出た直後を狙うとか
なら容易に達成できるでしょうけど、このフロアにそんな都合のよい隠れ場所
なんて、あります?」
「……ないな」
 廊下の様子を思い浮かべて、乙守もそう結論づけた。
「でも、たとえばの話だが、部室の中に身を潜めることができたら、可能にな
るぞ」
「そう思って、私、一人のときに徹底的に調べました。元々広くない部屋です
し、人が隠れられるスペースなんて、なかったです」
 自信ありげに“報告”する小日向。思わぬ形で告白する羽目になった衝撃は、
すでに乗り越えられたようだ、少なくとも、表面上は。
「ふむ。ならば、僕に心当たりがある」
「え?」
「やっぱり、早く言ってくれればよかったと思うよ、小日向君。恐らく、あい
つらの誰かが犯人で間違いない」
 乙守は席を立つと、部室を出て、隣に向かった。
(迂闊だった。ワンダーフォーゲルの連中も、前はこの部屋を使ってたんだか
ら、暗証番号を知ってるんだよな。早いとこ事務課をせっついて、番号変更の
設定をしてもらわねば)

――終わり





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE