AWC 特別な人にマジックを 1   寺嶋公香


前の版 次の版 
#249/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  05/01/01  23:59  (398)
特別な人にマジックを 1   寺嶋公香
★内容                                         05/01/18 02:05 修正 第3版
 一気に高まった緊迫感の中、教室にはざわめきが渦巻く。
 暦(こよみ)は相手の動きをよく見定めようと、神経を集中させる。
 拳をかわして接近し、相手の胸に張り付くと足を掛けて倒す。腹の上に跨り、
仰向けの相手の頭をすかさず平手で叩く。これでだめなら、拳骨を握ることに
なる。
 小学生離れした手際のよさに、周りで喧嘩を囃し立てていたクラスメート達
も徐々に声をなくす。つまんなさ半分、怖さ半分。
「ちょっと。退いてよ」
 碧(みどり)は長い黒髪を振り乱し、人垣を割って前進した。最前列に躍り
出るや、予想した通りのシーンを目撃して額に手の平を当てた。
 気を取り直し、手を下ろすと深呼吸した。次に女の子とは思えないほどの大
声で、喧嘩している二人の内の片方を怒鳴りつける。
「こら! 暦ったら、また喧嘩して!」
「――何だ」
 手を止め、勝ち気な目で肩越しに振り返った少年は、端整な顔立ちをしてい
た。今の今まで激しく動き回っていたというのに、息はほとんど乱れていない。
表情は険しく、唇の両端は得意そうに上を向いている。
「邪魔するな。女が口を出すことじゃない」
「うるさーい! お母さんの言い付けを破って、喧嘩しといて、偉そうな口を
利くんじゃないわ」
「男の意地ってものがあるっ。……おっ?」
 ふてくされた口調になった暦の下から、喧嘩相手が這い出した。碧への言い
訳をする内に、暦の身体からは知らず力が抜けてしまったらしい。暦は素早い
動作で立ち上がると、反撃に備えた。
 が、案に反して、相手は逃げて行く。喧嘩はあっさり終わった。
「ちぇ、つまんねえ。弱いくせに、吹っかけてくるなっての」
 鼻の頭をこすってから、腕組みをした暦。その背後へつかつかと歩み寄った
碧は、後頭部を思い切り強くはたいた。
「ばか」
「いってえなあ。顔は殴るな!」
「顔じゃないわ、頭よ」
 否定すると、碧は暦の腕を掴み、人の輪の外へ出た。そのままどんどん遠ざ
かる。廊下に出てから、暦と向き合った。
「がたがた言わないの。あんたのその頑丈な頭なら、少々ショックを与えても
影響ないでしょうに」
「身内なのにひどい言い方するなあ。だいたい暴力反対みたいなこと言っとい
て、俺には手を上げるのかよ」
「そっちが言うこと聞かないからでしょ。もう、帰ったらたっぷり叱られなさ
い。そして反省する」
「やなこった。母さんに言うなよ」
「さあ、どうしようかしら。恐がるくらいなら、始めからやんなきゃいいでし
ょうが」
「相手が先に悪口を言ったんだぜ。引き下がれるか」
 そっぽを向いて口を尖らせた暦。碧は肩をすくめた。
「どんな悪口?」
「……俺の名前、女みたいだって」
「ばかねえ。またそのこと」
 ため息をつくと、碧は頭をかいた。暦の二の腕に注意が行く。小さな引っ掻
き傷を見つけたのだ。
「血が出てるわよ」
「――これぐらい、何でもない」
 一瞥すると傷をひとなめした暦。
「顔に怪我しなければ、誰も文句ないだろ」
「ばか言わないでよ」
 ばかばか言われて、しかめ面になる暦。そんな弟の態度に気付いたのかどう
か、碧は涼しい調子で続けた。
「よその大人に対してはそれでよくても、お母さんやお父さんに心配かけるこ
とになるでしょうが。それに、私だって心配してるんだから」
「……姉さんが心配してるとは、びっくり」
 どうにか落ち着けたこともあって、おどけた口ぶりで言い、お説教を逃れよ
うときびすを返した暦だった。が、間一髪のところで肩を掴まれる。女子にし
ては力が強い。いや、六年生ぐらいだと、男<女でも不思議ではないか。ただ、
姉のしなやかな手とのギャップが大きい。
 暦はそれを振り払わずに、うんざりかつふてくされた表情で、向き直った。
「まだあるの?」
 辟易とした気持ちを滲ませた声だったが、姉の碧は眉を寄せることもなく、
真顔で聞いてきた。
「あなた、自分の名前が嫌い?」
「名前って、下の?」
 うなずく姉。暦は即答した。
「嫌いじゃない。むしろ好きだ」
「そう。だったら」
 安堵とともに碧の目元がほころぶ。きつい感じが消えて、欠点の見つからな
い美人の出来上がり、といったところだ。
 一人納得して、教室に戻ろうとする姉を、暦は慌て気味に呼び止めた。
「おおいっ。どうしてそんなことを聞くんだよ」
「ん? だって」
 歩みを遅めて、首から上だけ振り返った姉は、まだにこにこしていた。
「女みたいな名前とからかわれたのが、喧嘩の原因だって言ったから」
「何だ、そういうことか。好きな名前をからかわれたのが、許せなかっただけ
だよ」
「――ついでに。上の名前はどう? 昔、馬みたいっていう風にからかわれて、
やっぱり喧嘩になったことがあったけれど……」
「もちろん、好きだ。姉さんもだろ?」
 碧もまた、すぐに首肯した。
「お母さんの昔の名前も好きだけれどね」

 暦達の通う小学校では、十二月頭になるとクラスごとにクリスマスお楽しみ
会が催される。何をするかは児童が学級会で決めるため、低学年の頃は、簡単
なプレゼント交換をしたあとはずっとドッジボール、のパターンがほとんど。
 でも、五、六年生にもなると、少しずつ凝ってくる。
 暦や碧のいる六年四組では、今年、各自が隠し芸を披露することが決まった。
無論、小学生の一クラスみんながちょっとした芸当をできるというのは、現実
的でない。だから、何人かのグループで歌を唄う、難しいゲームの神技を一発
で成功させる、クイズ大会をする、なんていうのもあり。ただし、他と被らな
いように。
「それで、暦は何をする予定?」
 学級委員長を務める碧が、事前の聞き取りに来たのは、その日の放課後。お
楽しみ会まで約二週間といったところ。他のクラスメートからはすでに聞き終
え、弟を最後に回したらしい。
「家で言わなかったっけ? 歌」
 暦は、歌の一つでも唄って済ませるつもりでいた。幸い、声変わりはまだ先
のようだし、それなりにうまいのは自他ともに認めるところだ。合唱は肌に合
わないから、一人でやる気でいる。
「普段、聞いてるから、隠し芸っぽくないわね」
「それは姉さんだけだろ」
「どうせなら、あれやりなさいよ。マジック」
「……サイン会でもしろと?」
「ばか。そうじゃなくって、手品、奇術、イリュージョン」
「最初の二つはともかく、イリュージョンは無理」
「いいから、手品にしなさいって。だいぶ、お父さんから教わってたでしょ」
「練習してないから、自信ないな」
 教わるぐらいだから、嫌いではない。実は練習もそこそこしている。おyし
み会でやりたくないのは、やれば、女子の気を引こうとしていると見られるに
決まっているからだ。
 そんな男の気持ちを話しても、姉に聞き入れられるとは到底考えられないの
で、言わない。
「そっかあ。残念だわ。じゃあ、マジックをやるのは一人だけか……」
 手帳を閉じ、細い鉛筆を仕舞うと碧は、すっくと腰を上げて自分の席に向か
おうとする。暦は台詞に引っかかり、思わず声を掛ける。
「誰が?」
「何が?」
 振り返った碧の表情を目にした瞬間、作戦にも引っかかったと思った暦だが、
もう遅い。ここは根気よく、丁寧に聞き直す。
「クラスの誰が、マジックをやるのかって聞いてる」
「羽根田(はねだ)君よ」
 答を聞いた途端、暦は口元を歪めた。眉間にもしわが寄ったと気付き、すぐ
に気分を鎮めようと努力した。そして平静を装いつつ、教室を横目で見渡す。
あまり暖かくない夕日が射し込む中、何人か残っているが、羽根田の姿はない。
そしてもう一人、暦の脳裏に浮かんだ子は……いた。
 その子を含む女子のグループに背を向ける形で、暦は姉に言った。
「ふーん。あいつが手品ね。そんな趣味を持っているとは知らなかった。まさ
しく、隠し芸」
「私も意外に感じたから、聞いてみたの。大丈夫なのかって。そうしたら、潤
沢な資金でマジックグッズを買いあさっているそうよ」
 はっきり言って、羽根田の家はお金持ちだ。父親が大企業の偉いさんで、母
親は宝飾品のデザイナー兼ショップオーナーとかどうとか、聞いたことのある
暦だが、詳しくは知らない。興味がないので忘れたのだ。
「やる気、出た?」
 押し黙った弟に、姉は再び近付いて、小首を傾げる風にして持ち掛ける。
 暦は目線を上げ、訝しがってみせた。
「意味分からないんですけど」
「とぼけなくていいのよ。他人に聞かれるのが不安なら、筆談してもいいわ」
「……」
「小倉(おぐら)さん、どうやら羽根田君のことをいいと思ってる気配が」
 弟への配慮だろうか、声を小さくした碧。暦は顔が赤らむのを意識し、手の
ひらで鼻から下を覆った。姉から目をそらしたついでに、さっきちらと見た女
子グループへと意識を向ける。小倉優理(ゆうり)の横顔が視界に入ってくる
と、目と目が合うような気がして、暦は慌てて元の姿勢に戻った。
「マジック対決と行かない?」
 碧がいたずらげにウィンクする。
「勝ち負けをはっきり付けるのは無理と思うけど、続けざまにやれば、自ずと
比較するものね。あなたの腕で、羽根田君のマジックグッズに勝てるのかは知
らないけれど、闘わずに逃げるのなら、彼女の注目はますます羽根田君に」
「難しく言ってごまかすなよ、姉さん。要するに、面白がってるんだろ」
「それもあるわよ、当然。でも、羽根田君の負けるところが見たい。女子の前
では紳士ぶってて、人気も割とあるけれども、男子の中では自慢したがりで、
裕福さを鼻に掛けてるもんね。私は知ってる」
 何で女子の姉さんが知ってるのだ。疑問が湧くが、差し挟む間はなし。
「小倉さんはおしとやかなお嬢様風で、人の裏を見ようなんて全然考えないよ
うだから、全然気付いてない。どうにかしてあげたくても、私の口から教える
の何だし」
「……姉弟愛として、気持ちだけありがたく受け取っておく」
 もう少し気の利いた返事をしたかったのだが、思い付かなかった。
「歌をやめて、マジック、やってもいい」
「決心してくれてありがと」
「一つだけ注文。不公平にならないように、なるべく早く、できれば今すぐに
羽根田に伝えてよ。俺もマジックをするつもりだってことを」
「お、格好いい。分かったわ。電話しておくから、暦は心置きなく準備に取り
掛かって。対戦形式は追って伝える。了解?」
 暦は黙ってうなずいた。うまく乗せられたと、多少の自己嫌悪を覚えつつ。

 翌日は朝から羽根田が絡んできた。暦が着席するのを待って、すっと近寄る
と、背中から声を掛ける。
「聞いたよ、お姉さんからの対戦申し込み」
「申し込んだんじゃない。俺も同じマジックをしたくなっただけだ」
 色白できつね目の相手を一瞥すると、暦は一時間目の準備にかこつけて、そ
っぽを向いた。羽根田は片手を机の隅についた。
「つまらないことで突っ張るのはどうかな。嫌でも対決になるんだし」
「なら、そっちもこだわらなきゃいい」
「こだわる理由はある。君がどれほどの覚悟があって、マジックをやるのかを
確かめたくてさ」
 わざと鼻につく言い方をしているのか、普段以上にかんに触る。耳障りであ
ることをアピールすべく、暦は片耳の穴を指でいじくった。
「覚悟って何だよ」
「修学旅行のときにやっていたカードマジックぐらいでは、もはや誰も驚かな
いだろうってこと、分かってるのかい?」
 羽根田の言う通り、暦は修学旅行の折、ホテルの部屋でトランプを使った手
品をやった。みんなトランプでの遊びに飽きてきた頃、気分転換に簡単なもの
を披露したのだ。このときも主に女子に受けた(小倉も喜んでいた)のだが、
そのおかげで、以来、マジックを人前でやるのは状況をよく考えてからにしよ
うと決意した次第。
「奥歯に物を挟んでないで、はっきり言えって」
「ふん。一番下のカードをこっそり見て覚え、相手の引いたカードに重ねるこ
とで目印にする。当てるのは簡単。こんな基本中の基本のマジックは通用しな
いよ、てね」
 気のせいか、羽根田の声が大きくなったようだ。当然、近くの席の何人かに
も会話の内容は聞こえた。種を知りたがっていたクラスメートが、男女を問わ
ず集まってくる。
「あれ、そういう種だったのか」
 一番近くにいた冬木が、暦の肩を揺さぶりながら、羽根田を見る。
「さあ、やったのは僕じゃないからね。本人に聞いてみれば?」
「――当たってるのか? 外れか?」
 冬木が腰を屈めて目線を合わせてきた。他にも注目しているクラスメートは
数知れず。隠してもしょうがない。暦は淡泊な口調で「合っている」と答えた。
「なーんだ。そんな種だったのか」
「どういうこと?」
 まだ理解できないか、あるいは最初を聞き逃したかした何人かが、口々に尋
ねる。冬木が解説役を引き受けた。
 その間、暦は席を立つと、羽根田を真正面から見据えた。
「みんなの前で種明かしして、楽しいか」
「さあて、どうだろ。ま、あんなちゃちな種、僕がこの場で言わなくても、い
ずれ誰かが気付いてたさ。くだらないことに頭を悩ませていた人だっているか
もしれないし、僕は手間を省いただけ」
「種が分かればがっかりするのは、どのマジックでも大差ないぜ」
「だが、ばれにくい種とそうじゃない種があるのは、認めるよね。君がやった
のは、ばれやすい、つまり程度が低いってこと」
「……羽根田。おまえ、まさか、マジック対決って種を見破るかどうかの勝負
と思ってないか?」
 ふと気付いて、問い質す。だが、その答が返ってくる前に、邪魔が入った。
「マジック対決って?」
 聞き咎めた女子の一人、石川が聞いてくる。多分、想像は付いているに違い
ない。興味津々、握った両手を胸元に引き寄せ、その想像通りの返事を期待し
ているのがよく分かる。
 暦と羽根田は顔を見合わせた。どちらが答えるのか、迷う雰囲気ができてし
まった。が、ここは暦が先手を打った。もしも羽根田が、マジックの種を見破
る勝負なんだとでも言い出したら、取り返しがつかなくなる。
「クリスマスのお楽しみ会で、俺と羽根田がマジックをやるの。別々にな」
「対決っていうのは?」
「委員長が面白がって言ってるだけさ」
 姉の存在を意識しながら、暦は答えた。一緒に登校したのだから、いるに違
いないのだが、今この場に首を突っ込んでこないところを見ると、用事で職員
室にでも行っているのかもしれない。
「僕は望むところなんだけれどね、勝負。相手が逃げるんじゃ、話にならない」
「逃げてないさ。そっちがその気なら、やってやるよ。でも、俺とおまえがマ
ジックをやって、その種を見破るってのは断る」
「そうだろうな。自信がないんなら、仕方ないね」
「種をばらし合うのが、ばかばかしいだけだ。そっちが見破るのは勝手にしろ。
ただし、よく考えてしろよな」
 いつの間にか、机を迂回して胸を突き合いそうな距離にまで接近していた。
羽根田は暦の語気に圧されたかのように、ふっと顔を背け、肩を竦めると、か
ぶりを振った。
「よく考えなくても、少し考えれば充分だろうさ。で? 種を見破るんじゃな
いのなら、どうやって勝負をつけるのかな?」
 羽根田が気取って言い捨てたのと同時に、教室の前のドアががらっと音を立
てる。見れば、入ってくる碧の姿が。話は聞かせてもらった、とでも言いそう
な雰囲気で、勢いよく駆けてくる。暦の机の前にたどり着くと、
「マジック対決の話よね? 勝負の方法、たった今決定したわ」
 と、息を切らせ気味に喋った。
「たった今?」
 感じた疑問を口にする暦に、姉は例のウィンクをした。
「勝ち負けを付けていいか、念のために、先生にお伺いを立てに行ってたの。
徒競走で順位を付けない学校があるくらいだものね」
 そうして軽く息をついて呼吸を整えると、この場にいる皆に向かって一気に
話す。
「それぞれ同じ数だけ、マジックを交互にやる。最後に二人以外の全員で投票
して、得票数が多い方の勝ち。単純明快でしょう?」
「人気投票になると、僕が不利じゃないかな」
 羽根田は苦笑混じりに異議を申し出た。
「特に女子の票がね。暦君は、何故だかもてるようだから」
 暦は撫然としつつ、否定しない。不本意ながら、確かによくもてる。この年
齢にして、何度か告白をされたこともある。小倉優理という好きな相手ができ
てからは、すべて断っているのだが、その分、一部で恨みを買いもした。過去
の話である。
「おまえも似たようなもんだろ。差があるとは思えないけれど、不満なら、男
子だけの投票でもかまわない」
 暦はばからしく感じながらも、そう提案する。
 男子だけの投票なら、かえって不利になることを羽根田は自覚しているのか
どうか、これを突っぱねた。
「いや、いらないよ。情けは受けない。凄いマジックをすれば、自ずと勝ちは
転がり込んでくる。みんなも公正に判定してくれるだろうし。ね?」
 満面の笑みで、全員を見渡す羽根田。いんちき宗教家か選挙運動中の政治家
みたいだ、と思った暦だが、声に出しはしない。みんなが、「もちろん」「公
平な目で見て決めるわ」と言っている中、余計な発言で空気を壊したくない。
「じゃ、当人同士の了解も得たということで、決まりね。さっき言ったマジッ
クの数は、二人で話し合って決めてくれていいんだけれど」
 碧が手を打ち、言った。
 暦は最前から気に掛かっていた点を挙げることにした。
「それを決める前に、数よりも、時間が重要だと思うんだけどな」
「持ち時間てこと?」
 碧が聞き返すが、そこへ被せるようにして羽根田が発言。
「そんなもの、一つ三分ほどで計算すればいいじゃないか。他の人の隠し芸も
あるんだよ。どんな大マジックをする気だい?」
「……」
 おまえ、本当に分かってないなというフレーズを飲み込み、他の言葉を探す。
だが、暦が応じない内に、予鈴が鳴った。これでは、羽根田に言い負けた格好
になってしまう。
「まあ、当日まで時間はまだある。スゴいやつを頼むよ。ああ、楽しみ」
 余裕の笑みを見せると、胸を反らし加減にして羽根田は離れていった。
「勝てそう?」
 石川が心配げに聞いてきた。さっき握りしめていた両手は、今は組み合わさ
れてまるでお祈りする形だった。
「分かんね」
 舌足らずな言い方で返事すると、暦は姉の方を向いた。勝手に話を進めたこ
とで、睨みつけてやる……つもりが、すでに消えていた。
「がんばってね。応援してるから」
 席に戻りつつ言う石川に、暦は心の中だけで応えた。
(ひいきはいらない。公正に判断してくれよ、まったく)

 お楽しみ会まで一週間を切った木曜日の放課後。掃除やホームルームが終わ
っても、誰一人帰ることはなかった。
 これから、羽根田だけがデモンストレーションを行う。修学旅行でマジック
の腕前を披露した暦に比べ、印象点で不利だという意見が、(何と)碧から出
されたのを受け、このような場が設けられたのだ。
「最初は、さすが委員長、身内が関わっているのに公平だ、と思ったのだけれ
どね」
 教壇に立った羽根田は、始める前にひと演説ぶつ気だ。と言っても、手には
紙製らしきケース入りのカードが握られているから、じきに終わるだろう。
「よくよく考えると、僕にもマジックの演目を一つ出させるのが狙いなんじゃ
ないかな。暦君が、修学旅行のときにやったマジックをもうできないのと同じ
ように」
「当たり前でしょ。それもあるわ」
 碧は眉一つ動かさず、淡々と答えた。
「それでこそ公平、平等っていうもの。違うかしら」
「いや、ごもっともです。ちょっと確認したまで……。それじゃ、始めよう。
塾とか用事のある人もいるだろうから、手短に」
 カードの入ったケースを持ったまま、両手を教卓についた羽根田。視線をさ
まよわせることもなく、いきなり暦を指差してきた。
「好きなトランプの数字とマークを言ってみて」
「唐突だな」
「いいから。ぐるだと思われたくないから、君を指名したんだ」
「ふん。ジョーカーでもいい?」
「……数字とマークと言ってるだろう」
 多少、苛立った口調になった。暦は笑いそうになるのを堪え、「ダイヤのジ
ャック」と言った。
「ダイヤの十一ね。今なら変えてもいいが」
「じゃ、スペードの五」
「……スペードの五、だな」
「やっぱりダイヤのジャックにしていいか?」
 みんなからくすくすと笑い声がこぼれる。羽根田は何かを我慢するかのよう
に、一旦俯いてから、面をきっ、と上げた。睨まれてしまった。
 暦とて、嫌がらせの気持ちだけでからかっているのではない。実は、羽根田
の持って来たカードのケースを見ただけで、相手のやるマジックが分かったの
だ。売られている商品そのままだから、分かって当然。暦自身は持っていない
が、仕掛けは承知している。
 そのことを言わないのはマナーだ。でも、少しぐらい困らせてやっても、罰
は当たるまい。何しろ、ケースの向きが大事なマジックなのだ。暦の言ったカ
ードによって、ケースからの取り出し方が変わってくる。記憶があやふやだと、
カードを幾度も変えられる内に混乱して、間違える可能性が高まる。
 尤も、いくら羽根田憎しとは言え、失敗を願っているわけではない。適当な
ところで引き下がろう。
「いい加減にしてくれよ。まあ、変えてもいい。ただし、これが最後だ。さあ、
言ってみて」
「二つの間を取って、ダイヤの五にするよ」
 間の意味が違うだろ、なんて声も飛んで、一層の笑いを誘う。羽根田は深呼
吸をしていた。
「ダイヤの五。それでは」
 また変えられてはたまらないとばかり、先を急ぐ。心なしか、喋りも早口だ。
 羽根田は左手首を返すと、ケースを見つめた。そして何やら確かめるように
うなずくと、そのままケースの蓋を開け、トランプの束を引き出した。
「実は今朝、家を出る前に、カードを一枚だけ裏返してきた。こういう風にね」
 取りだしたカードを、表が見えるように両手で持ち、少しずつずらしてみん
なに見せていく羽根田。扇形、と言うよりもアコーデオンのようにある程度開
いたところで、裏の模様が覗いた。言った通り、一枚だけ、裏返っているよう
だ。
「これがもし、暦君の言ったカードなら、凄いだろう?」
 観客からは、「あり得ないって」「まっさかー!」等と、上々の反応。気を
よくしたか、羽根田は笑顔を作って、暦に言った。
「暦君、引いてくれよ」
 カードをホールドしたまま、羽根田が両腕を前に伸ばす。やけに勢いづいて
いた。対照的に暦はゆっくりと右手を伸ばし、裏模様のカードを摘んだ。
「引いたら、みんなに見せて」
「分かった」
 暦は手にしたカードを、ちらっと見た。本当にダイヤの五で、ちょっとほっ
とする。ライバルの成功を喜ぶのも変だが、失敗されると気まずい。
「確かに、凄いな」
 感嘆したような息をつきながら、暦はカードを表向きにし、みんなによく見
えるように掲げた。
 すると、カードを確かめた手前から順番に、驚きの反応が波紋のように広が
っていった。拍手も起きる。
「ありがとう。さ、カードを戻してくれよ」
 安堵の様子が垣間見える相手に急かされ、暦はダイヤの五を渡した。羽根田
はそれを受け取ると、手の中のカードとまとめ、そそくさと仕舞う。
「これで僕の実力、分かってもらえたね」
 一仕事を終え、安心したのか、滑らかな喋りに戻っている。クラスメートか
らも好評の拍手喝采を浴び、さぞかし気分いいだろう。
 とにかく終わった、あとは本番を残すのみだ、と暦がきびすを返そうとした
とき、羽根田が言った。
「暦君に、同じことがきるかい?」
 挑戦的に問われて、困った。
(ああ、できるよ。そのトランプがあれば)
 調子に乗っている相手を目の当たりにして、よほど、きっぱり言ってやろう
かと思った。誘惑を抑え込むの苦労してから、首を横に振る。
「今の俺には無理」
 この答なら、嘘にならない。まあ、自己満足に過ぎないけれども。
「だろうね」
 羽根田の勝ち誇ったような態度に声。
「本番までには、レベルアップしといてよ。圧勝過ぎてもつまらない。ま、今
やったマジックは、もうしないから安心していい」
「そっちこそ、もう少し落ち着いてやれるようにな」
「――」
 自覚はあるのだろう、羽根田はぐっと言葉に詰まった。
 最後にわずかながら気晴らしができて、暦は今度こそきびすを返した。
「本当に勝てるのー?」
 石川を始め、女子の声が聞こえたので、肩越しに振り返る。その声の中に、
小倉が含まれていないと知って、ちょっぴり落ち込んだ。

――つづく





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE