#73/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 02/04/21 23:10 (482)
私の出逢った名探偵 2 永宮淳司
★内容 03/05/25 13:24 修正 第3版
房村をリビングに残し、応対に出てみると、やはり昨日の二人だった。朝八
時を過ぎたばかり。約束の時間より一時間近く早い。
背の高い方、チテンマは地天馬という字を書くのだと、このとき分かった。
刑事の方は、中間といった。こちらも珍しい名前だと思う。
私達の側の自己紹介をすませると、遠藤の死を切り出そうとしたのだが、タ
イミングを掴めない。
「真に受けてやって来ましたよ。お招きありがとう」
柔和な顔で、中間が改めて挨拶をした。彼自身は自分が警察の人間とは言わ
ず、単に公務員と説明していた。
「手ぶらも申し訳ないので、これを。昨日釣った魚を、ペンションで調理して
もらったんです。お昼にどうぞ」
にこにこしながら、中間は手にした風呂敷を顔の高さまで持ち上げた。中身
はタッパー。てんぷらや焼き魚の切り身が詰めてあった。
それにしても、この中間という男、刑事にしては腰が低い。まさか、地天馬
に対して中間が嘘を教えたのではないかとさえ思えてきた。
「僕はハンターではないので、これくらいしか用意できません」
地天馬もまた、手に紙袋を持っていた。中を見ると、ボトルワインと瓶ビー
ル。軽そうに持っていたので、これは意外だった。
「冷やしておく時間が必要だから、早めにね」
「まあ、これはこれは、わざわざどうもありがとうございます」
吉口がそつなく応対する。男よりも女の方が、いざとなれば度胸が据わるの
だろうか。しかし、ごまかし通すのは避けるべきだ。そう決めたのだ。
「実はですね、今、大変なことが起きまして、全員動揺してたところなんです」
結局、私が切り出した。動揺云々と言ったのは、故意に通報を遅らせたので
はないとアピールするためだった。
「ほう。大変なこととは何です?」
中間はまだ優しげな表情をしている。これがどう変化するのか、想像するだ
けでも嫌な感じを覚えた。
「実は」
口中がからからに乾いてきた。実は、実はと連発するのは、思考能力が低下
しているせいか。
「姿が見えない内の一人、遠藤貴子が、その……亡くなってたんです」
「……死亡したと? ふむ。警察への通報はどうされました?」
相手の表情や目つきはさほど変わらなかったが、声に鋭さが加わった。
警察にはまだ連絡していない、状況はこれこれこうだと説明をする。ただし、
動機のことに関しては、現時点では口をつぐんだ。
中間はここでようやく、自分は刑事だと正体を明かし、警察手帳を提示した。
さらには地天馬も捜査に携わる者であると言った。
「通報していないのは、問題ありと言いたいところだが、あなた方、テレビや
ラジオでニュースを聞かなかった?」
「は? いいえ、昨日はテレビなんかとは縁遠い一日でしたね」
私の返事に、楠田と吉口もうなずく。
「それならご存知ないのも無理ないか。昨夜、地割れがあって、山道の一部が
通行止めになりましてね。警察もすぐには来られないでしょう」
「え、そうなんですか」
「まあ、通報はしておかないと行けない。私の方からやっておきます。電話、
ここのをお借りしたいんですが、上がってかまいませんね?」
おかしな展開だと思ったが、こうなれば従うほかあるまい。全然見知らぬ刑
事達よりも、中間に調べてもらう方がましのような気もする。
地元警察への知らせをすませると、中間は、一時的に自らが現場保存と初期
捜査を行うと宣言した。
「早速ですが、現場を見せてください」
中間の案内は楠田に任せた。あとで考えると、第一発見者の吉口の方が適任
だったかもしれないが、彼女はまだ気分が優れないようだから、外した。
「冷蔵庫はどちら?」
地天馬が突然そう言って、やっと別荘内に上がり込んだ。
「れ、冷蔵庫?」
「ええ。これと魚料理を仕舞っておかないとね」
言いながら、紙袋を掲げ持ち、さらには廊下の片隅に放置されたタッパーを
示す地天馬。
吉口が慌てて紙袋を受け取り、タッパーを抱える。だが、彼女には重すぎた
ようだ。一度に運ぶには無理がある。
「僕が」
地天馬はいち早く申し出て、紙袋ごと酒類を再び手にすると、板張りの廊下
をすたすたと歩き始める。
私達同様に吉口も呆気に取られた様子で、しばしの間、行動停止状態だった
が、やがて「あ、そこを左です」と叫び、タッパー小脇にあとに続いた。
何者なんだ?という興味が湧いた。中間刑事は彼のことを、捜査に携わる者
だと言った。意味が飲み込めない。
私は冷蔵庫のある台所に急いだ。すると、地天馬と吉口の二人がもう出て来
るところだったので、危うくぶつかりそうになる。
「僕も現場を少しだけ覗かせてもらおうかな」
そんなことをつぶやきながら、ざわめきで位置を見当付けたのか、リビング
へ足を向けた地天馬。
「あ、あの。地天馬さん。あなたは何者なんです?」
「そういえば、捜査に携わる者、と説明されたな」
立ち止まり、独り言のように地天馬は言った。
「あながち、的外れではないが、分かりにくいのが難だ。端的に言うと、僕は
探偵だ。それもどうやら、生まれつきらしい」
「探偵……」
その単語だけで充分、目を開かされたが、直後に続いた「生まれつきらしい」
で、より一層困惑の深淵にはまりこんだ。
「さて。あなたは作家だったね。名探偵には作家、つまりはワトソン役が付き
物だ。一緒に来てくれるかい?」
きっと冗談だったのだと信じたい。だが、このときの私は圧倒されて、地天
馬の後ろをひょこひょこ着いていった。吉口も遅ればせながらあとに続く。
リビングに入ると、中間刑事が手帳を開いて、いかにも捜査しているのだぞ
という空気を発散していた。
「これで皆さんお集まりですな。ご遺族には連絡しましたか?」
指摘を受け、すっかり失念していたことに気付く。ひどい話だ。中間刑事が
伝えてくれることになった。今はそうしてもらえるとありがたい。
電話をすませると、中間刑事はいよいよ本格的に行動を開始した。
「事情をお聞かせ願いましょう」
個別にではなかったが、順番に話を聞かれていった。遠藤の遺体が発見され
て以降の流れが、明らかとなる。
刑事は次に、昨夜の行動を調べ始めた。最後に遠藤を見たのは誰か、いつか。
不審な物音を耳にしなかったか等々。
「あの、中間刑事。あなたの見立てでは、これは事件ですか、事故ですか」
吉口が辛抱しきれなくなったかのように、突如質問をした。
「何とも言えませんが、倒れ方が不自然なことと、夜中にリビングに一人で出
て来る理由を考えづらいことを合わせると、事件である可能性が高いんじゃな
いかというのが、私の印象ですな」
「で、でも、殺人じゃありませんね? 傷害致死とか過失致死とか」
「いや……私は法律家ではないから断定的なことは言えないが、殺意があれば、
殺人とみなされる場合もありましょう。突き飛ばす行為は、微妙です」
「……私達の中に犯人がいると?」
「折角知り合えたのに、残念ですが、そう考えざるを得ない。今名乗り出れば、
自首が認められますよ」
中間は真面目な調子で、我々を見渡した。当然ながら、誰も名乗り出はしな
い。静けさが強まった。
「皆さんの話を総合すると」
地天馬が口を開いた。
「遠藤貴子さんがここで倒れ、頭を打ったのは午前二時半から七時といったと
ころでしょう。彼女を最後に見掛けた人が三人もいるのだから、これに間違い
はない」
あのあまり楽しくない雑談は、午前二時半頃に散会となり、私達はそれぞれ
の部屋に入ったのだ。ちなみに私がブランデーを頂きに起き出したのは、およ
そ二時五十分前で、二十分ほどして部屋に戻り、眠りについたと証言した。
「私の証言は、単独だから信用してくれないという訳ですか」
「ええ。あなたの証言を信じると、犯行推定時刻が三時二十分から七時までに
縮まるが、やはりこの状況では、単独での証言は弱い」
断定した地天馬の横で、中間もうなずいている。この地に来て知り合ったに
しては、地天馬と中間の信頼関係は強いようである。普通、探偵と言えば警察
からは疎んじられる存在だと思うのだが。
「それにしても、この家は防音がしっかりしてるんですなあ」
中間刑事が天井を見上げながら、そんなことを言い出した。
「リビングや食堂を囲むようにして各部屋がある。なのに、誰もリビングでの
異変に気付かないとは」
「全員の共犯と言いたいんですか」
房村が気色ばむ。彼も警察相手では、サングラスを外していた。
首を大げさに横に振った中間。
「いやいや。そんなことは考えておりません。全員共犯なら、こんな家の中に
遺体を放置せず、目の前の湖に浮かべた方が、疑われずにすみますからな。恐
らく、皆さんお酒が入って、ぐっすりと眠られていたんでしょう。犯人を除い
て」
「どっかの窓でも、開けておけばよかったな。そうしたら外部犯説を唱えられ
たのに」
楠田が吐き捨てた。中間刑事はそれを聞き流し、思案げに顎をさすった。
「それでは次に、お一人ずつ、話を伺わせてもらいます。動機について、調べ
たいのでね」
全員からの聞き取りが終わり、我々四人はひとまず解放された。家族等への
電話連絡は今しばらく待ってくれと禁じられたが、仲間内で話をすることは認
められた。
四人だけの空間を作り、真っ先に確かめ合ったのは、動機のこと。もはや遅
きに失しているであろうが、それでも誰がどれだけ喋ったのか、把握しておき
たかった。
その結果、楠田以外は、自分のことを正直に話したと分かった。さらに、楠
田が遠藤に希少動物の違法輸入で糾弾されたことを刑事に話したのは、私だけ
だった。
「すまない。隠しておくと、かえってまずいと考えたんだ」
「……しょうがない。俺もいずれ、言うつもりだったしな」
こうべを垂れると、楠田はあっさり許してくれたので、ほっとする。
「俺も謝らないといけない」
何も言わない内から、房村が楠田に頭を下げた。
「な、何だよ。おまえら。気味が悪いな。早く話せよ」
「あのことも言っておいた方がよかろうと思ってな。ほれ、おまえが学生時代、
遠藤と付き合ってたこと」
「あ、それなら私も」
吉口が続いた。私も喋っていた。
「じゃあ、俺がふられたいきさつまで話したってか」
代表する形で、吉口が黙って首肯した。
楠田は学生時代、遠藤とのデート中にもかかわらず、雨のどぶ川に落ちた子
犬を助けるため、躊躇なく飛び込んだというエピソードの持ち主だ。これを聞
いた当時、呆れてしまった。しばらくしてから、二人は別れたと耳にして、恐
らく、遠藤も楠田の行動に着いていけないと感じたのだろう。
「話してもよかったよね?」
「仕方あるまい。俺だって、付き合ってたことは刑事に言ったさ。ただ、ふら
れたいきさつまではなあ。まあ、仕方ない。ああ! 思い出すと、腹が立って
きやがった」
「どうしたんだよ。今さら」
私が気に掛けると、楠田は頬をひきつらせるような仕種を見せた。無論、故
意にやったのではなく、勝手に筋肉が動いたのだろう。
「あいつの俺をふった台詞が奮っていてな。どぶ川に飛び込んだ男となんて、
臭くてできないと言ったんだよ」
「……」
発する言葉がない。吉口なんて、両手で口を覆って、目を一杯に開いている。
「どぶ川と肌を合わせているような気になるんだろ。一度想像してしまうと、
心理的に我慢できないタイプなんだなと思って、俺もあきらめをつけたさ。だ
が、今になって思うと……いや、ここらでやめておくよ」
自嘲気味に笑い、楠田は首をすくめた。
四人での話が終わり、部屋のドアを開けると、待ちかまえていたかのように
中間刑事と地天馬が姿を現した。廊下での立ち話となる。
「依然として道路の復旧は目処が立っておらず、引き続き私が取り仕切ること
になります。皆さん、この別荘及び敷地内に留まってくださるよう、お願いし
ます」
「逃げたら、犯人と見なされるんですね」
楠田が皮肉っぽく聞いた。先ほどの吐露が頭に残るだけに、私としても楠田
が何を考えているのか気になる。
「怪しむことは確かですよ。まあ、予定ではお帰りは明日なんでしょう? ぜ
ひ、捜査に協力してもらいたいのです」
「分かりましたよ。俺は異存ない」
私達も楠田と同感だった。刑事は感謝しますとだけ言った。
「僕は一端、ペンションに帰らないといけない」
地天馬が言い出した。さっきよりは、丁寧な口ぶりになった気がする。
「チェックアウトの必要があるんです。今日、帰る予定だったのが、道路が塞
がって、どうしようかと思案中なんですが」
「……」
私達は互いに横目でちらちらと見やった。
地天馬の言い種が、今晩泊めてください、と聞こえたからに他ならない。
「この別荘は貴子の物だから、私達では何とも言えませんが」
吉口は遠慮がちな口調ながら、ゆっくりと意思表明をした。
「刑事さんにとっても、信用できる人が多い方がいいんでしょう? だったら、
地天馬さんも泊まればいいんじゃないでしょうか」
「これはありがたい申し出だ」
中間刑事は地天馬を、どう?という風に見上げ、返事を催促した。
「事件解決のためということで、必要が生じれば、泊めさせてもらいますよ。
皆さん、どうもありがとう」
軽く頭を下げた地天馬は、善は急げとばかり、玄関に向かった。ペンション
を早々にチェックアウトし、こちらに移るつもりらしい。
地天馬がいなくなったあと、私達四人は時間を潰すのに精一杯努力をしてい
た。遺体を安置する適当な場所がないことと、まだ今日中に地元警察がやって
来る可能性が残るため、現場のリビングルームはそのまま保存され、立入禁止
となっていた。故に別荘内を歩き回る訳に行かず、となると必然的に、個室に
こもるか、庭をぶらぶらするかぐらいしかない。
私は最初、中間刑事の動きを見守っていた。事件の関係者という理由が大き
いが、推理作家としての関心もあったのだ。だが、刑事も一人ではさすがに手
詰まりらしく、颯爽たる捜査活動の様子はついぞ拝めなかった。ただただ、地
道に玄関や勝手口、それに格子付きの窓を調べ、別荘内部及び周辺の地べたに
張り付き、遺留品を探しているようだった。
私は個室に入り、自分がするべきことにしばらく没頭してから、また外に出
た。なかなか広い庭をのんびりと散歩していると、じきに吉口と房村に出会っ
た。二人とも口々に、部屋にいると息が詰まると言った。誰もが同じ気持ちに
なるらしい。
「楠田は?」
「見てないわ。中じゃない?」
「あいつは特別、滅入ってるんじゃないか。昔付き合っていた相手が死んだん
だし、動機の面では一番疑われるだろうし」
そんな会話を交わしたあと、バーベキューをどうしようかという相談が始ま
った。視界の片隅に、バーベキューのコンロが入ったのだ。
食欲のある者は少なかったが、無理をしてでも食べておいた方がいいだろう
という結論になり、昼食の準備に取り掛かることにした。
「楠田も誘うか。気分転換になるだろ」
「いやあ、それはどうかと思う。無理に仕事させても危なっかしいだけじゃな
いかな」
「そうね。準備は簡単だし。私一人でもできるわ」
「まあ、そう言うなって。俺達も何かしておきたいんだよ」
最終的に、楠田はそっとしておき、三人で仕事を分担することになった。私
がバーベキューのコンロのセッティングをし、吉口と房村が材料の下ごしらえ
をする。
テニスをしたときの格好に着替え、軍手を填め、庭で作業に没頭していると、
刑事が近寄ってきた。
「ほう。食事の準備ですか。結構ですな」
「え、ええ。当初の予定通りにね。こういうときこそ、日常を大切に……」
我ながら、よく分からないことを口走った。刑事から怪しまれるのではない
かと不安を覚えたせいかもしれない。
「刑事さん、これってやはり不謹慎ですかね」
「いや。そんなことないんじゃないですか。しっかり食べてくれた方が、私は
安心しますけどね」
「もしかして……食事の様子を見物して、犯人を見抜こうと考えてるんじゃあ
りませんか」
「おお、それはいい考えだ。思い付きませんでしたよ」
答えて、にやりと笑う中間。やはり刑事だ。一筋縄では行かない。私は少し
考え、昼食に誘うことにした。
「中間刑事も、昼食、ご一緒してくださるんでしょう?」
「は? あ、そうか。当初の予定通りとはつまり、私もいただけるんですな。
ううむ。事件関係者と食事を同席するのは、ちょっとという気もするが、いち
いち食事を摂るためにこの場を離れるのは、捜査上、好ましくないですからね
え」
「いいじゃないですか。私達は魚料理をいただいたお礼をしないといけない」
「それでは、物々交換ということで。あっと、もちろん彼も――地天馬鋭も一
緒でかまいませんね?」
私はうなずいておいた。誰も反対するまい。
話がまとまり、刑事と別れたあと、私は作業に没頭し、時が過ぎるのを待っ
た。地天馬は何を手間取っているのか、なかなか戻ってこなかった。彼と話を
してみたい欲求が、強く起きている。探偵という職業に興味を持ったし、警察
から頼られているらしい点も気になった。
準備が整ったところで、私は別荘に戻った。真っ直ぐキッチンを目指し、そ
こにいた吉口と房村に、セッティング完了を伝える。
「そうか。すまないな。作家に肉体労働をやらせて」
私と同じくテニスウェア姿になって働く房村は、肉の下ごしらえをやってい
た。厚手の牛肉を、何やら赤い半透明の液体に浸している。
「それ、地天馬さんからもらったワインかい? 何ていうか、芳醇な香りが充
満してる」
「ああ。もったいない気もするが、こんなことが起きたんじゃあ、昼間から飲
んでる訳にも行くまい。そこで志保がアイディアを出したのさ」
吉口の方に顎を振った房村。彼女の方は、昨日と変わらぬ三角巾にエプロン
姿だ。
「これ、凄くいいワインみたい。いっそシチューでも作りたいわ」
「へえ? じゃ、夜はシチューにしてもらおうかな」
私が軽口を叩くと、意外にも彼女は、「それもいいか」と請け合った。
「さあ、こちらはだいたい完成。房村君の方は?」
「もう少しかな。まだまだ染み込ませたい気が……」
そう言って房村が肉の一枚を裏返した次の刹那。激しい足音がしたかと思う
と、中間刑事が我々の前に滑り込むようにして姿を見せた。
「楠田さんの部屋の鍵は?」
鬼気迫る表情で言い、手を突き出してきた。
「はっ? か、鍵なら、それぞれ部屋を使ってる本人が持ってるはずですが」
一番近くにいた私が答え、三秒遅れて、自分の鍵を取り出した。
「ほら、この通りですよ」
「合鍵はないんですか、合鍵は」
「ないんじゃないですか。死んだ遠藤が言ってましたから。どうしたんです、
刑事さん? 楠田の部屋で何かあったんですか」
「庭にいて、窓から中をふっと覗いたら、首を吊っているように見えた」
「な、何ですって?」
呆然とする私達をよそに、中間は続けた。
「声を掛けても反応がないし、窓には格子があるから叩き割っても入れない。
それで鍵を借りに来た」
「――行きましょう!」
私は刑事を押しやり、自らも駆け出した。このとき、私は自分が書く推理小
説の登場人物になりきっていた。ワトソン役なんかではない。背後に、靴下に
スリッパ履きのぱたぱたという音が続く。房村もコンマ五秒と遅れずに着いて
きた。
楠田の部屋の前に到着すると、男三人、顔を見合わせる。足下を見やると、
房村の両足からスリッパは脱げてしまい、靴下で直に板を踏んでいた。
「声を掛けても、反応はなかったんですね?」
房村がまだワインに濡れた手を振りつつ、刑事に確認を取る。刑事は大きく、
確信を持ってうなずいた。
「じゃあ、ドアを押し破るしかないでしょう」
私はこう言って、扉表面をノックした。かなり頑丈なようだが、力を合わせ
ればどうにかなるだろう。
念のため、施錠されていることを再度確かめてから、我々は順繰りにドアに
突進した。ドアはぎしぎしと軋みを立てるが、開くまでには至らない。
単独での突撃が二周りしたところで、今度は私と中間刑事とでスクラムを組
み、二人がかりでぶつかる。ぱんっと弾けるような音がして、ドアは開いた。
長い毛並みの絨毯に突っ伏したが、急いで体勢を立て直し、中間刑事、私、
房村の順番で室内に入った。
「く、楠田……」
天井の梁に長い手拭いを通し、彼は首を吊っていた。足が揺れているように
見えたのは目の錯覚か、あるいはドアを開けようと私達が奮闘した名残か。だ
が、実際には、絶命してからそこそこ時間が経過している。その証拠はいくら
でもあった。血の気のない顔、冷たくなった肉体。そして、髭に付いたあぶく
のような唾は、とうに乾いていた。
「お二人とも、身体に触らないで。……遺書はどこだ?」
刑事が鋭く命じ、次いで空間に問うた。彼は部屋や楠田の身体を念入りに探
ったが、遺書は出て来なかった。
「くそっ。これでは自殺かどうか、決め手がない」
「中間刑事」
「何だ?」
「あ、いや。鍵を探さないといけないんじゃないかと……」
目と鼻の先で死人を出し、気が立っている様子がありありと窺える刑事に、
私は恐る恐る提言した。すると相手も冷静さを取り戻したようだ。目を皿のよ
うにして室内に走らせ、同時に楠田の衣服のポケットにも手を伸ばそうとする。
が、その寸前で、動きを止め、床にしゃがみ込むと、絨毯の毛をかき分けた。
「あった……」
ハンカチを取り出し、鍵を包む。それから私と房村に、鍵を見せてくれた。
曇り一つない表面はよく乾いていた。
「これですか、この部屋の鍵は」
「ええ。どの部屋かは断言しかねますけど、私が持たされたのと同じタイプの
鍵であるのは間違いありません」
これを受けて、刑事はハンカチを手袋代わりに鍵を摘み、ドアに向かった。
内側に折れ込んでぐらついたままのドア、その鍵穴に差し込み、施錠可能であ
ることを確かめた。
「窓ガラスは庭に面したあれだけで、ロックされていた。格子を取り外した形
跡もない。ドアは施錠され、鍵はここに落ちていた……」
鍵をハンカチで包み直し、ポケットに仕舞った中間刑事は、腕組みをしてう
んうん唸った。
私は差し出がましいかと思いつつ、はっきり言った。
「密室、ですね。自殺じゃないとしたら、厄介なことになりそうな」
「あなたの仰る通りですよ」
忌々しそうな口ぶりだ。表情も、苦虫を潰したという形容がぴたりと当ては
まる。しかし中間刑事は気を取り直した風に、続けて言った。
「だが、自殺の可能性が高いと見てます。彼が遠藤さんを死なせてしまい、そ
の罪の意識に堪えかねて自殺を選んだ……辻褄は合いますからな」
「そう言われても……心情的に信じられない。楠田が殺したなんて」
私が震える声で言うと、房村も賛同した。
「刑事さん、確かに楠田は貴子を恨んでいたかもしれないが、殺すようなこと
はないですよ。考えられない」
「友人に関して、そういう意識を持つことはよく理解できますが、警察はドラ
イに、冷静に捜査を進めるのみです。今後はこの線で調べていきますので、ど
うかより一層のご協力を。まず、電話を借りてよろしいですな? 警察署に報
告を入れねばならんので」
言うが早いか、中間刑事は私達二人を部屋からキッチンへと追い払った。そ
して楠田の部屋に近付かないように言い置き、電話機へと急いだ。
カメラで写したあと、遺体を梁から下ろす。そんな憂鬱な作業の最中に、別
荘に帰って来た者がいた。言うまでもあるまい、探偵の地天馬鋭だった。
彼は事情を聞くよりも先に、楠田の遺体を目の当たりにし、
「これは僕のミスだ!」
と悔しさを露にした。どうやら楠田の死に責任を感じているらしい。
「地天馬さん、そんなに憤慨されなくても、彼は自殺なんですよ」
私は探偵を落ち着かせる台詞を吐いた。いや、実際、楠田は自殺であるのだ
と思いたかった。彼の遺体を発見した直後、刑事に言った言葉と食い違うが、
自殺と見なすことで全て丸く収まるなら、それに越したことはないではないか。
楠田の死もまた殺人で、仲間内から真犯人が出るなんて、誰も望むまい。
「自殺と決め付けるのに、僕は反対だな」
言い張る地天馬に、私と刑事とで、状況の説明をした。刑事は鍵を取り出し、
ハンカチごと地天馬に渡すまでして丁寧に話したのだ。これで分かってくれる
だろう。
「――こういうことなんですよ。遺書はなかったが、現場は、その、いわゆる
密室だった。自殺に間違いありません」
「何という短絡!」
地天馬が吠えた。そして鼻で笑うような仕種を覗かせ、呆気に取られた私や
中間刑事に対し、指を振った。
「殺人を悔いて自殺する者が遺書を記さず、鍵を床に放り出して死ぬ? そん
なことは心理的にまずないと言っていいでしょうが。違いますか、中間刑事?」
「あ、いや、しかし。発作的な自殺なら、遺書がないケースはしばしばある」
「鍵を掛けて部屋を密室状態にしてから自殺する人間は、充分に冷静と言えま
す。遺書があって、鍵が掛かっていないのなら、まだ分からなくもないが、今
回のような逆パターンは到底、容認できないね」
「し、しかし、地天馬さん。現場は完全な密室だったのは、動かし難い事実だ」
「単純な手に引っかかったようですね、中間刑事。落とし穴から救い出してあ
げますよ」
自信満々に言い、手を差し伸べるポーズを取った地天馬。小説に出て来る名
探偵を彷彿とさせる。私は事件のことを一瞬忘れ、彼の姿に痺れた。
「犯人は、ドアを破ったあと、どさくさ紛れに鍵を置いたに過ぎません。置い
たのではなく、落としたのかな? あのふわふわ絨毯なら、鍵を落としても音
はほとんどしないでしょうからね!」
「え。で、では犯人は、房村か……」
中間刑事が台詞を途切れさせ、私の方を向いた。
「ご冗談を!」
私は即座に否定した。そして地天馬に目を向ける。
「ねえ、地天馬さん。お願いしますよ。そんなとんでもないことを言い出され
ては、迷惑だ。よしんば、あなたの推理が正しいとしても、私ではない。それ
だけははっきり主張します」
「なるほど。では、もう少し推理を重ねてみますか」
地天馬はそう言うと、暫時目を閉じ、すぐにまた開いた。
「犯人は一人に特定できる。いくら考えても、同じだ」
「でしょう? それを中間刑事に言ってくださいよ。早くしないと、房村が聞
きつけ、逃げ出すかもしれないんだし――え?」
私が言葉を途切れさせたのは、地天馬の指先が、真っ直ぐ、こちらを示して
いたから。
「あなたが犯人だ」
探偵が言った。
「な、何を言うんだ! 私じゃあない」
「房村さんではあり得ないんだ」
首を振り、地天馬が静かに告げる。
「ど、どういう理由で、そう言い切るんだ、あんたは?」
「鍵からワインの香りがしなかった。それが根拠です」
「ワイン?」
私はおうむ返しに叫ぶのみだった。
「房村さんは料理の途中で、手も満足に拭かずに楠田さんの部屋の前まで駆け
付けた。彼が鍵を室内に落としたのだとすれば、鍵にはワインが付着したはず。
だが、さっき渡してもらった鍵からは、ワインの香りは一切しなかった」
「そ、それは、刑事さんが拭き取ったんですよ。ねえ、中間刑事?」
私の縋るような目つきを、刑事はすげなく払った。
「そんなことはしてない。拾ったとき、この鍵は乾いていた。しかと覚えてい
るよ」
「だ、だけど……手で持っていたとは限らないじゃないか。ズボンの折り返し
に挟んでおいて、うまく落としたのかも」
「あなたも房村さんも、テニスウェア姿、つまりは短パン。ズボンの折り返し
に挟むのは無理でしょう。次は、ズボンのゴムそのものに挟んで、股から落と
したとでも? そんなことをすれば、汗や垢が鍵にべっとりと付着して、証拠
を残してしまう」
「な、何だ。それを言うのなら、私だって同じだ。私が手で持っていた鍵を落
としたのなら、やはり鍵には汗が着く。そんな愚かな方法を採るはずがない」
「手袋をしていたんでしょう? バーベキューの準備のために、軍手をね」
強弁する私を、地天馬はいとも簡単に退けた。
「だ、だが、房村の可能性を否定しただけじゃあ、だめだろ? 中間刑事だっ
て部屋に入ったんだ」
「見苦しいですよ。この犯罪を行う動機を有し、物理的にも心理的にも実行し
得るのは、あなたしかいないんです」
最後のあがきは、私自身、何の効果も期待していなかった。真の意味での悪
あがきだった。
以上が、私が地天馬鋭と初めて逢ったときの物語である。
その後、地天馬と顔を合わせる機会は全く得られなかったのだが。
私は逮捕後、罪を認め、裁判でも正直に話し、反省の態度を示した。弁護士
は情状酌量を求めた。結果、かろうじて死刑は免れ、無期の懲役刑に服してい
る。
あの晩、二時五十分に起き出した私は、遠藤貴子とリビングで鉢合わせした。
遠藤にブランデーを所望すると、快く出してくれたのだが、代わりに、私の
デビュー作を絶版にするか大幅に書き換えろという要求を、改めてしてきた。
彼女は小説のモデルにされることを心底嫌がっていたらしく、私がいくら否定
をしても、頭から信じて考えを変えようとしなかった。だが、モデルにした覚
えのない私も認める訳にいかず、交渉は決裂。私自身は軽く突いただけのつも
りだったが、酔いでまだ足下がおぼつかなかったのであろう彼女は、後ろに二、
三歩よろめくと、棒切れのように倒れた。そして……死んでしまった。
濡れ衣を着せる相手に楠田を選んだのは、警察の容疑が最も濃く、犯人像に
重なるであろうと見込んだこともあるが、楠田が私に疑念を持ったのが大きな
理由である。彼は房村とともに朝、遠藤の死を知らせるべく私を起こしに来た。
そのとき、房村は遠藤の死と死因だけを伝え、どこで死んでいたのかを言わな
かったらしい(私自身は記憶にないのだが)。にも関わらず、私は真っ直ぐリ
ビングへ駆け付けた。この不自然さに気付いた楠田は、中間刑事の事情聴取が
終わったあと、私を部屋に呼びつけ、問い質してきたのである。振り返ってみ
ると、楠田も私が犯人であるとまでは疑いを強めておらず、単純に変だな?と
思っただけだったようだが、緊急事態に私は半ばパニックに陥り、彼が背中を
向けた隙を衝き、その場にあった手拭いで絞め殺した。やってしまったあとで
自殺に見せかけることを思い付いたため、偽の遺書を用意する余裕はなかった。
代わりに現場を密室にせねばという強迫観念に囚われたのは、推理作家の性か
もしれない。結果的に、その小細工が自らの首を絞めたのだ。
全く、ついていない。あんなくだらないことで、滅多に味わえない人殺しの
経験をした。推理作家として武器になるのは確実だが、出所後、私の働く場所
はあるだろうか。
地天馬鋭は、私と顔を合わせる随分前から、親友と呼べる作家をワトソン役
に、活躍しているとは、あとで教えてもらった。他人の作品をもっと読まなけ
ればならないなと反省したものだ。
――終