#5002/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/27 1:47 (199)
空白 〜 青陽寮殺人事件 3 永山
★内容 16/09/15 04:33 修正 第2版
「先生もすでにお考えだと思いますが、その強盗が寮に侵入した強盗と同一人
物である可能性は非常に高い。逃走資金と足を得るために、偽の電話を掛け、
先生を誘い出したんです。あなたが選ばれたのは、寮の近くに住んでいるから
でしょう。犯人にとって時間がなかった」
「考えられる事態です。しかし、そうだとすれば、犯人はうちの学生か、少な
くとも僕の家の電話番号を知る者に限られる」
土橋の表情が陰る。渡はかまわずに続けた。
「財布を奪って行った男について、何かありませんか。顔を見たとか、声に聞
き覚えがあるとか、何でも結構です」
「なにぶん、緊急事態でしたからね……率直に言って恐怖を感じましたし、相
手を観察する余裕はなかった。場所も暗かった」
これには少なからず落胆した渡。何故車で追跡してくれない?と詰りたい気
持ちがあった。そこへ加えて、目撃証言の価値もないのだから。
「思い出したことがあったら、あとからでもいいですから、我々に知らせてく
ださい。それじゃあ、被害届を。……おーい!」
渡は土橋の相手をするよう警官の一人を呼び、自分は他の寮生への聞き込み
に回った。
その後、明け方になって、総都大生の矢田口文彦が寮から歩いて十分ほどの
工事現場で、撲殺体で見つかったという報告がもたらされた。連休に入っても
寮に残っていた学生の一人で、寮から逃走した不審人物を追跡していたメンバ
ーに名を連ねていた。
事件発生の翌日、朝から会議室は熱を帯びていた。
「以上のことから、犯人は総都大学の関係者、それも土橋孝治助教授に近しい
者である可能性が極めて高いと思われます」
「それはどうだろう。そこまで絞り込むのは危険だ」
若い刑事が気負い込んで言うのを、別の一人がたしなめる風に意見した。
「土橋氏の家が寮の近所にあることと氏の電話番号さえ知っていればいい。教
授助教授の電話番号なんてものは、名簿を当たれば分かるのではないかな。名
簿を見る機会のある者、つまりは学生を含めた総都大関係者という緩い範囲に
しておくのが妥当ではないか」
「そんなことを言い出すと、他大学にも番号を知る人はきっといますよ」
「事件が起きたのは総都の寮なのだから、そこまで広げる必要は感じない」
渡は捜査会議でのやり取りを聞きつつも、当夜の失態を悔いていた。矢田口
の死は明らかに警察のミスだ。学生達にも、殺人犯をただの強盗だと見なして
追跡したという不用意で軽率な行動があったかもしれないが、それ以上に警察
の責任は重い。微妙なタイミングとは言え、警察が捜査に乗り出したあと、新
たな犠牲者を出してしまったのだ。
捜査方針はほぼ固まりつつあった。大型連休を前に人の少なくなった総都大
学青陽寮女子棟に侵入した犯人は、反町真弥を何らかの理由で殺害。呼び出し
た土橋孝治助教授の金と車を奪って逃げるつもりが、車の奪取は断念し、逃走。
追跡してきた男子学生の一人、矢田口文彦に捕まりそうになったため、これも
殺害。今現在も逃亡中……このような推測に基づき捜査が進められている。
片手を挙げ、指名されてから渡は発言した。
「方針について、二、三、納得できんのですが」
「どこがだね」
捜査の指揮を執る管理官が、抑揚に欠けた調子で聞き返してきた。
「まず、総都大の関係者が犯人なら、寮生の動向についてもそこそこ知り得た
はず。ならば、寮がもっと閑散とする日を待ってもよかったと思うのですが」
「どういう意味だ?」
「連休は一週間ばかり続く。盗みだけが目的なら、その七日の中で最もベスト
な日を選ぶのが賢いやり方だということです。いきなり二十八日に決行するな
んてのは首を傾げますね。急がねばならない何かトラブルがあったのかも――」
「『最もベスト』とは珍妙な言い回しだ、渡刑事」
渡の台詞を遮り、苦笑を浮かべると管理官は続けて言った。
「犯人にどんな事情があるかは分からない。四月二十八日までに決行する必要
があったのかもしれない。現時点で我々が議論しても無意味だ」
「ですかね……。土橋助教授を呼び出したのは逃亡手段確保のためということ
ですが、殺人が計画的なものだとすると、辻褄が合わん気がします」
「殺しが計画的かどうかはまだ不明だ。被害者が所有していた某かの物を奪お
うとして侵入したが、被害者に目撃され、居直ったのかもしれない」
「それにしては、なくなった品がおかしいように思えるんですがね」
反町と親しかった学生数人の証言により、反町の部屋から消えたのはイヤリ
ングや指輪等の装飾品数点のみとされている。
「大事なもの故、誰にも見せていなかった可能性がある。友人達がその存在を
知らなくても不思議ではあるまい」
「犯人だけが知っていたということですか……」
「文句を出すばかりでなく、君の意見を言ってみたまえ」
管理官がボールペン、いや万年筆の尻を渡に向ける。若干、苛立ちの響きが
あった。広い額の端には青く細い血管が、神経質さを主張して浮いている。
「では、発言の機会を与えてくださったことに感謝しつつ、僭越ながら……殺
人が主目的だったと考えています」
場が少しざわついた。
「断っておきますと、これは自分一人で考えたことじゃないんですがね。相棒
や部下との雑談で色々気付かされることがあって」
「前置きはいい。その理由を聞こうじゃないか」
「理由と言っても大したものではありませんが、一つ目は、凶器です」
渡は凶器の不自然さを指摘した。部下からの受け売りに近い。みっともない
思いはあったが、最初に気付いた当人が管理官を前に萎縮して言い出せないの
だから、仕方ない。
「二つ目は電話による呼び出し。これがどうも気になる。突発的な殺しなら、
土橋助教授を呼び出して金や車を奪おうという考えが浮かぶかどうか」
「しかし、計画殺人なら、逃走手段自体を始めから用意しているものだろう」
凶器に関してはかすかながら首肯していた管理官だったが、この話には否定
的見解を出した。
「だいたい、大慌てで窓から逃げる必要さえない。犯人の年格好にもよるが、
学生のふりをして、堂々と正面から出ることだってできたかもしれないのに、
見つけてくださいと言わんばかりの逃走の仕方は納得できないね」
「確かに……そうです」
簡単に丸め込まれてしまった。だが、凶器の件では一本取ったのだから、こ
れで五分と言える。
管理官はしばし宙をにらみ、口元に分かりにくい笑みを浮かべると、おもむ
ろに語り始めた。
「皆の考えを総合すると、こう見るのが妥当だろう。当夜、何者かが反町を部
屋に訪ねた。話し合いを持つが決裂。訪問者は反町の隙を見て紐状の凶器で絞
殺した。慌てた犯人は強盗の仕業に見せかけようと、装飾品類を持ち出し、他
の寮生に目撃させるため、目立つ逃げ方をした。土橋氏へ電話したのはどの段
階か分からない。寮の中かもしれないし、外に出てからかもしれない。ともか
く土橋氏を呼び出し、金と車を奪って逃げようとしたが、車は失敗。走って逃
げるとまた誤算が生じた。矢田口に追い付かれ、彼までも殺してしまった」
辻褄は合うようだった。電話は寮の各部屋にあるから問題ない。
意見をうまく取り込まれた形になった渡だが、大方納得できたので引き下が
ることにした。
反町真弥と深い付き合いのあった者を中心に当たれ――方針が固まった。
連城由紀子が線上に浮かんだとき、渡は様々なことを憂慮した。単なる第一
発見者と見なし、余計な情報を与えてしまったのではないか、もしも彼女が犯
人であれば隠蔽工作の機会をくれてやってしまったのではないか等々。
「すみませんね。休みなんだから、何かと予定があると思いますが」
「いいえ。どうせ映画観に行くぐらいしか用事なかったから」
寮に隣接する食堂を借りて話を聞く。食事の時間帯を外しているので、他に
誰もいなくて好都合だ。
「君は反町さんとかなり親しかったと他の学生から聞いたが、事実ですかね」
自分の娘のような年頃の女性を相手にすることは数えるほどしかない。己の
安定しない言葉遣いに渡は苛立ち半分、自嘲半分の感情を抱いた。
「事実です。親友って呼んでも差し支えありません」
連城は刑事の内心なぞ知らぬ風に、あっさり認めた。親友という言い回しが、
やけに新鮮に聞こえる。
「反町さんには随分助けてもらってたし……」
「と言うと?」
「刑事さん、動機っていうのを探してるんでしょう? 強盗の仕業じゃない可
能性が出て来たとかって聞きました」
どこかの方言をにじませながら、正面切って尋ねてきた連城。渡は意外に感
じながらもうなずいた。念のため、「反町さんとつながりのあった人全員に聞
いて回っていることだから」と注釈を添えておく。
連城は重大な秘密を打ち明けるときのように、ため息をついてから言った。
「お金、借りてました」
「ああ、反町さんの家は特に裕福だそうだね。借りたのはどのぐらい?」
「百四十万円、です」
漠然と想像したよりも高額だ。渡はごほんと咳払いをし、使い道を聞いた。
連城が言うには、今は亡くなったイギリスの俳優ゆかりの品が去年の八月、
競売に掛けられ、それを購入するために使ったらしい。連城の手持ち分ではと
ても足りなかったのを、反町が出してくれたのだ。何でも、ホラー映画好きに
はたまらない珍しい品で、現在、連城は実家の方に大切に保管しているという。
渡には、そんな品物にそんな値が付くことも、それを欲しがる人間がいるこ
とも、さらには目の前のどちらかと言えば野暮ったい女学生がホラー好きなの
も、まるで理解できなかった。想像の埒外というやつだ。
だが、理解できなくても、こと捜査に関しては事実を受け入れねばならない。
「返済の方はどうなっていたんだろう?」
「アルバイトして、余裕のある分だけ、毎月少しずつ……」
「どれくらい残ってるのか、教えてもらえるかね」
「他にもちょこちょこっと借りたので、正確には分かりませんが、まだ百万以
上ありました」
「……それで催促されてた?」
「いえ。信じてもらえないかもしれませんが、反町さんは全然、言わないんで
す。毎月の返済だって、私が言って初めて思い出すような具合でした」
それだけ金持ちだったってことか。渡は髪に指を突っ込み、頭を掻いた。
「借用書は交わしていたのかな」
「私はそう言ったんですが、反町さんはいらないと……。だから、ありません」
反町の部屋や持ち物を調べたが、借用書めいた物は確かに見つかっていない。
証拠がないのに借りたと申し出るからには、連城にやましいところはないと
判断していいのだろうか。
しかし、たった今、連城の外見と内面の違いを目の当たりにしたばかりだ。
渡は軽々しい思い込みを避けようと、先の判断を打ち消した。
それよりも、引っかかる点が一つある。
「反町さんは、連城さんよりも年上だったのかい?」
「え? いいえ。同じ学年、同い年ですけど」
当たり前じゃないかという顔をして見返す連城。瞬きの回数が多くなったの
は、真意を知ろうとしているのだろう。
渡は手の内を明かした。
「初めて会ったときから君は被害者を『反町さん』と呼んでいる。名字で呼ぶ
のは、親友と言う割には他人行儀な感じを受けるんだが。それとも、生前、彼
女と話す際は愛称で呼び合っていたのかな」
「……ずっと反町さんて呼んでました。無意識に」
「彼女は君をどう呼んでいた?」
「えっと、普通は『由紀』か『由紀子』って呼ぶんですけど、ふざけたときな
んかは『れんれん』や『れんじょ』、『ゆきれん』とか色々ありました」
二人の力関係は明らかに反町が上だったらしいと、渡は想像した。かぶりを
振り、ドライな口調で次に移る。
「事件当夜、君はどこで何をしていたんだ?」
「大学終わってから真っ直ぐ帰って、ずっと寮にいました。寮で私を見かけた
人が何人かいると思います」
「あの夜、寮では一人にならなかったかい?」
「どちらかと言えば、一人でいる時間の方が長かったです。自分の部屋で雑誌
読んだり、音楽聴いたりして」
アリバイなしか……渡は合点しながらふんふんとうなずいた。
「ふむ。ところで連城さん、被害者の――反町さんは誰と付き合ってなかった
か、知らないか」
「男って意味ですよね」
直接的な表現に苦笑する。そんな渡につられたか、連城も笑った。
「反町さんは凄くもてたんです。美人だし、頭いいし、何て言うか洗練されて
るし。お金のあることは関係ないかもしれないけど」
「それじゃ、多人数と付き合っていたのか」
「本気かどうか分かんないけど、何人かいたみたい。劇団関係の人が多かった
から、詳しくは知りません」
「劇団というのは『ベアフット』のことだね」
この辺までならすでに調べが付いていた。反町真弥はベアフットというアマ
チュア劇団に所属していた。高校一年生のときに違う劇団の舞台を観たのをき
っかけに、いくつか観劇する内にベアフットと巡り会い、芝居の魅力にとりつ
かれた。最初はファンとして追い掛けるだけだったのだが、高二の夏頃にやり
始めるようになり、ベアフットに入った。何の経験もない高校生の反町が入れ
てもらえたのは、彼女の父親が資金提供を約束したのが大きかったようだ。
渡は瞬間的に考え、判断した。劇団関係なら連城から聞き出さなくても分か
るだろう。それ以外に絞るべきだ。
「何人かいる口ぶりだったが、劇団の外では誰と付き合っていたんだろう?」
「三年の猪狩さん。猪狩友和って人との中が有名でしたよ」
「どんな人です? 詳しく」
――続く