#2921/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/12/29 9:35 (198)
海の泡と消ゆ 9 武雷暗緑
★内容 22/03/09 01:17 修正 第2版
部屋の錠が開かないとの苦情が、一船員に伝えられた。鍵を置いてちょっと
出かけた間に、閉まっていたという。船員は事務長に伝え、確認の後、マスタ
ーキーを持ってその客の部屋の扉を開けた。
「……これは」
部屋には死体があった。他には誰の姿もない。
遺体が発見されたとの報は、即座に我々のところへも伝えられた。現場へす
ぐに駆けつけ、死んでいたのがフィリップ・プーパルダンだと確認された。
「何故、プーパルダンが死んだんだ? しかもこんな、無関係の客室で」
現場の一等船室の客は、マーティン・ジョンソンとデボラというアメリカ人
夫婦だった。少なくとも現時点で、プーパルダンもしくはマルシャンらとのつ
ながりは見えない。
「私にも分からない……」
呆然とした体なのはマルシャン。アンドレ・レオドが死んでも毅然としてい
た彼が、動揺を露にしている。
「問題はこの凶器ですよ」
金沢は、プーパルダンの右脇腹に突き刺さったままのナイフを指差した。
「赤黒い物がこびり付いている」
下から突き上げられたような形で刺さっているナイフを観察し、私は見たま
まを言った。
「プーパルダンの血だろう?」
「いや、彼のは鮮やかな色の血だけだよ」
刑事が断定する。
「どうやら……このナイフはアンドレ氏を殺害した凶器でもあるらしい」
「な、何だと?」
金沢の言葉に、マルシャンが叫んだ。
「では、同一犯の仕業なのか」
「恐らく」
「しかし……」
再びカーター刑事。
「この部屋は密室だった。入口は廊下に面した扉一つで、施錠されていた。鍵
は室内のテーブル上に残っていた。窓はあるが開閉不可。これはどういうこと
だ?」
「密室ね」
苦笑いする金沢。
「その議論は後でいい。先に発見時の模様を聞いて、遺体の様子も大まかに見
て、それからだよ」
ジョンソン夫妻の話によると、彼らが部屋を空けたのは、あの緊急停船のせ
いだった。彼らの部屋は転落のあった場所に近く、船内放送の前に人が海に転
落したことを知った。つい野次馬根性で飛び出したそうだ。転落者が救出され
るのを見届けてから、夫妻は部屋に戻った。ところが、出るとき開け放したま
まだった扉が閉まっている。その上、施錠されていたので、船員に伝えたとい
うことだった。
当の船員の話は、簡にして要を得ていた。確認作業の後、マスターキーを手
に問題の部屋に向かう。このとき、確かに施錠されていたと明言した。解錠し、
中に入ると同時に倒れており人の姿を捉えたという。
「中に何者かが隠れていなかったろうね?」
刑事は慎重に尋ねた。船員は首を横に振った。
「私は船室の中をくまなく調べた訳ではありません。ですが、人が倒れている
のを発見してすぐ、近くを通った仲間を大声で呼びました。無論、その場を離
れずにです。そして刑事さん達がやって来るまでの間、私とお客様のジョンソ
ン夫妻と三人で部屋の入口を見張っていたも同然です。言うまでもなく、部屋
から出てきた人物はありませんでした」
念のため、ジョンソン夫妻に確認したところ、彼の話に間違いはないと分か
った。
「密室殺人だ」
カーター刑事は愕然とした言い方をする。
「何度も言ってることだが、密室は作り方よりも作った理由が要だ、カーター」
「分かってるさ、金沢。だが、こうも次々と難題を押しつけられちゃあ、嫌気
も差す」
「ともかく、大ざっぱな検視結果を聞こう」
「今度のは自分にできることは少なかった。オルレアン医師もご同様でね。何
せ、殺害時刻はほぼ明らかなんでね。転落事故が起こった時刻−−午前十時三
十五分前後から遺体が発見された十時五十分頃の間に絞られる」
「多く見積もっても、犯人に与えられた時間は二十分がせいぜいってところか
……。まあいい。死因はあのナイフによる失血で間違いないのかい?」
「ああ。そしてアンドレ・レオドを刺した凶器であることも、まず確定だ」
「お定まりの質問事項−−最後にプーパルダンを見かけたのは?」
「マルシャンの証言なんだが、展示が始まる十時までは一緒にいたらしい。そ
の後は知らないということだ。他に参考になりそうな証言は出てない。だが、
現場たる客室にプーパルダンが自分から足を運んだと思われる。だから、あの
部屋にプーパルダンが向かっている様子を目撃した乗客がいてもおかしくない。
聞き込みを続けるつもりだ」
「殺人事件があったことは、知れ渡ってしまったのかな?」
これにはカーター刑事の顔も曇った。
「残念ながら。無関係の客室で殺しが起きてしまったんだ、どうしようもない。
人の口に戸は立てられないってことだ」
天井を見上げるカーター刑事。
「ジョンソン夫妻の部屋からなくなった物はなかったのか?」
金沢は、刑事の横顔を見やった。
「そうみたいだな」
「プーパルダンの部屋からなくなった物は?」
「マルシャンに確認してもらったが、異常はなかった。君の目から見ても、両
部屋とも不審な点はなかったろう?」
「うん、まあそうだが」
曖昧に返事する金沢。途端にカーター刑事は身を起こし、気になってたまら
ない表情となる。
「何だ、何かあるみたいじゃないか」
「あるにはある」
「話してくれよ、もったいぶらずに」
「別にもったいぶっている訳じゃない。君も気付いているかもしれないしね。
プーパルダンがしていた腕時計、ストップウォッチ機能になっていた。動きっ
放しでちょこまかと時を刻んでいた」
「ああ! あれか。もちろん、気付いていたさ。だが、大したことじゃないだ
ろう。犯人に襲われ被害者が倒れた際、ショックでストップウォッチになっち
まったんだよ。普通ならそのおかげで正確な犯行時刻が分かるのだが、残念に
も、倒れた衝撃のせいで、お釈迦になっていたがな」
「そうだろうか……。もう一つ、時計には気になることがある」
「何だい、いったい」
「プーパルダンはマルシャンの腹心格だろう? その彼が、あんなデジタルの
安物をしているかね?」
金沢は首を傾げる格好をした。
金沢は、警備を再びカーター刑事に任せ、転落した乗客に会ってみようと言
い出した。
「医務室にいます」
救出に関わった船員は、いささか緊張の面持ちで教えてくれた。
「面会しても大丈夫かな?」
「そこまでは分かりませんが……とにかく、ご案内します」
その船員について、医務室に到着。ここからは船医にバトンタッチだ。
私達は自己紹介してから、本題に入った。
「転落した方は、もう大丈夫ですかね?」
「大丈夫だ。外傷はゼロ、ほとんど水も飲んでなかったし、泳ぎが達者だった
ようだから。まあ、今は疲労もあって、あの通りですよ」
船医が顎で示した先に、ベッドで横になっている若者の姿が見えた。
「眠っている?」
「そのようで」
「じゃあ、起こすのも気の毒だ。落ちたときのこと、何か語っていませんでし
たか?」
「えらく憤慨していましたよ」
苦笑する船医。
「突き落とされたって言ってね。でも、誰も信じないんで、ますます憤慨して。
それも無理ないでしょう。船員はもちろん、乗客にだってそんな危険なことす
る者がいるとは思えませんからね。私、これまで何度も航海に付き合っている
が、突き落とされたなんて客は始めて扱いましたよ」
船医は、殺人事件が起こっていることは棚に上げた、呑気な口ぶりだった。
「おおかた、自分で落っこちたのが恥ずかしくて、嘘を言ってるんでしょう」
「なるほどね。どうもありがとう」
礼を言って、私と金沢は、医務室を出た。出るなり、金沢が問いかけてきた。
「どう思う、ロック」
「どうとは?」
「あの転落した若者の言い訳だよ」
「医者の言うことが正解じゃないか? 殺人ともユニコーンとも無関係のよう
だしね」
「そうかね? 僕は信じたいと思う。事故が発生した直後の十何分かの間に、
密室殺人が起こっている。偶然にしては出来すぎの気がするのだ。作為的に落
とされたものと捉えてみたい」
「仮にあの若者が突き落とされたんだとして、誰がやったのだね? いや、そ
もそも、どちらの事件に関係していると?」
「言うまでもなく、アンドレ・レオドとフィリップ・プーパルダンが死んだ事
件の線だよ。ユニコーンは未だに動いていないから、無関係だろう」
確信する金沢だった。
そのユニコーンが、久方ぶりに動きを見せたのは、その日の夕食後であった。
それまで、殺人事件の捜査と宝石警備とに忙殺されていた金沢やカーター刑
事は、口数も少ないまま、食事を終えた。カーター刑事だけならいざ知らず、
金沢までも精神的疲労が大きく、実りの少ない捜査だと、こぼしていたのが印
象的である。
「何かメッセージが来ている」
ひと休みしようと、部屋の前まで来たとき、私はドアに挟まる紙片に気付い
た。後からゆっくりと来ていた金沢は、うつろとさえ表せるような目を、その
紙片に向けた。
私は紙片を手に取り、開いた。
「あ! ユニコーンだ、金沢! ユニコーンカードだよ、これは」
「何だって? 本当かい?」
急に元気を取り戻した金沢は、私の手から紙片を引ったくるようにして取っ
た。彼の肩越しに覗いたカードには、以下のような文面が見えた。
『親愛なるアルセーヌ・金沢剛。殺しという唾棄すべき犯罪が発生し、困惑し
ている。そちらの困惑ぶりはもっとひどいよう見受けられる。殺人事件の捜査
を並行して行っている探偵に勝利しても、フェアじゃないと私は考える。殺人
事件が解決できるまで、一時休戦としたい。さらに、こちらも可能な限り、殺
人犯発見のために尽力してもかまわない。以上に同意するならば、船尾オープ
ンデッキから花を一輪、海に投ぜよ。日付が変わらぬまでは待つ。 角を収め
たユニコーン』
「いつもより文章が長いね」
どうでもいいようなことを、金沢は言った。
「いや、それだけユニコーンにとっても、殺人事件はハプニングだったってこ
とさ」
「それで同意するのかい?」
「もちろん。勝負をフェアにやりたいという心意気、ありがたく受け止めよう
じゃないか」
「カーター刑事には知らせなくていいのか?」
私は心配になって言い添えた。
「カーターもユニコーンを理解している。これが他の刑事だったらまずいがね。
カーターなら事後承諾でかまわないだろう」
快活に言うと、金沢は船尾とは逆方向へ足を向けた。
「どっちに行くんだ」
「花だよ。一輪、バラでも買おうと思ってね。さすがに豪華客船、花も売って
いたはずだ」
笑顔で振り返った金沢。まるで、これからデートに行く青年のようだった。
花を買い求めてから、私と金沢は船尾のデッキに立った。夜、風がきつくな
っていた。
「たいして明るくないけど、見えるのかな」
辺りを見回して、私は感想を漏らした。
「大丈夫だよ。それよりも愉快じゃないか。どこかでユニコーンが見ているの
かと思うと。時代錯誤なことをやっていると、自分でも思うが……ロマンを感
じる」
どういう意味か分からないが、とにかく意味ありげな微笑を浮かべた金沢は、
手すりに左腕を持たせかけた。
「さて、分かり易くやるとしよう」
右手にある花をちらりと見てから、金沢は高くその手を挙げ、大きな動作で
花を放った。放物線を描いた赤いバラ一輪は、すぐに夜の闇とざわめく海面へ
と消えていった。
それで終わりと思い、私は帰ろうとした。しかし、金沢は動かない。
「どうした?」
−−続く