#586/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/09/28 22:55 (270)
BookS!(22)■五人目■ 悠木 歩
★内容 07/09/29 23:49 修正 第2版
■五人目■
「へえっ、こいつぁまた、美味いモンだ」
大きく見開いた目を輝かせ、男は感動の声を上げる。一瞬、何事かと周囲の
注目が集まった。
「そ、そいつはよかった」
男が甘いものを好んで悪い訳でもないが、些か恥ずかしい。チョコレートパ
フェを頬張るグラウドへ、黎は半ば皮肉交じりの口調を送る。しかし当のグラ
ウドには伝わらない。
「いやぁ、五千年も封じられ僻々としたもんだが………こんな美味いモンと巡
り会えるとは、それもまた悪いことばかりじゃなかったな」
どんな人間でも時には真剣な表情を見せ、時にはクラックスした姿を見せる
ものであろう。その大小に関わらず、ギャップと言うものはあろう。だがそれ
にしても、襲撃者としての顔と、こうやってチョコレートパフェに喜ぶ顔とで
は、あまりにもギャップがあり過ぎる。黎にはグラウドと言うブックスの性格
がよく分からなくなってしまう。
「それで、あいつって、誰なんだよ?」
テーブルに届けられてから五分ほど。パフェは既にもうその半分が、グラウ
ドの腹中に収められていた。あるいはこの男、テレビに出演している早食い、
大食いのタレントとも充分競り合えるのではないかと思える。
「ん、あー、あいつね………よく知らん」
「おい、お前!」
自分をからかっているのだろうか。グラウドのふざけた物言いに、黎もつい
熱くなる。
「まあ、怒るな、少年」
一方、パフェを頬張る男は、至福の表情を浮かべたままに言う。
「実を言うと、俺も何処の誰だか、よく知らんのだ」
「………」
「男だ。雛子のコレらしいが」
グラウドは左手の小指を立てて見せた。
き 紫音のリアードもずいぶん以前から呼び出されているらしいが、グラウド
もそうなのであろうか。いまの格好といい、仕草といい、どうにも俗的なとこ
ろが多い。
いやリアードのほうは、それほど俗的でもない。ただ使う武器のためか、妙
に侍かぶれしているようではあるが。
「とにかく胡散臭いヤツだ。おれはどうも好かん」
「………そうか。ところで、お前。仲間はいるのか?」
「仲間?」
「お前以外に、ブックスはいるのか?」
「さあな。あの野郎のことだ、雛子以外に女が居ても不思議じゃないが」
惚けているのか、本当に知らないのか。
ただグラウドが「あいつ」なる人物を嫌っているのに嘘はなさそうである。
充分とは言い難いが、それなりの情報は得られた。いや不充分だと不満を感
じるのは贅沢なのであろう。何しろ情報は敵自らが教えてくれたものだ。クリ
ームソーダとチョコレートパフェで、ここまで教えくれる敵など、そうそう居
るものでもない。もしまともな軍隊のような組織であれば、グラウドの行為は
重罪に当たるところであろう。そもそもグラウドと言う男は、組織的な戦いに
は向かないのかも知れない。
店内の時計を見遣れば、時刻は午後三時になろうとしていた。
「そろそろ俺は帰るけど」
そう言って黎は席から立ち上がり、伝票を手に取った。
「ん、そうか。じゃあ俺も、帰るとするかな。今日はご馳走になったな」
満足そうな笑みを浮かべ、スプーンを一舐めしてからグラウドも立ち上がる。
会計を済ませ、共に店外へと出た。
「じゃあな」
黎は軽く手を挙げる。それに応じて、グラウドも手を挙げた。
「ああ、ご馳走さん。けど、次、敵として会ったときには、手加減しないぜ」
「分かってるよ」
とにかく自分の力を上げなければならない。己のブックスを強くするため、
自身の戦いにも後れをとらないよう。そう考える黎であった。
穏やかな笑みを浮かべる相手に、真嶋は磯部を思い出す。
(いや、少し違うな)
細い眼鏡のフレームを指で押し、考える。
磯部の笑顔は、当人の愛想よさを表すものである。それに対し、いま目の前
に居る男の笑顔は、穏やかな性格を思わせる。磯部のように、心の奥底に隠し
た野望の気配は感じ取れなかった。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
やはり穏やかな口調で、古川は尋ねて来た。
「はい、率直に申し上げます。ナナさんを引き取らせて頂きたい」
持って回った物言いは苦手である。真嶋は用件をストレートな形で言葉にし
た。
「えっ」
短く上げられた声。穏やかな古川の表情が曇る。
「報道は私も承知しています。気の毒な子どものため、戦われている古川さん
には、感銘を受けました」
「はあ、恐れ入ります。ですが………」
「ですが」と言いながら、後に続く言葉が出て来ない。少し待ってから、真
嶋は自分の話を続ける。
「彼女を養女として引き取り、国籍を与えたい。詳細は申し上げられませんが、
私にはそれだけのコネクションがあるのです」
「そうですか………」
暫し考え込む古川。それに手応えを感じられない真嶋は、更なる手段を打つ。
「失礼とは存知上げますが」
そう言って、小型のアタッシュケースをテーブルに載せ、開ける。中身は札
束であった。
「これを教会に、寄付させて頂きたい」
その途端、古川は一つ息を吐く。
「お引き取り下さい」
そう返す古川の表情から、笑みは消えていた。
「ご不足と申されるなら、更にこの倍まで用意出来ますが」
「そう言うことでは、ありません」
笑みが消えたばかりか、古川にはわずかであったが、憤慨の表情が見て取れ
る。どうやらこの男は、金で簡単に動かせるタイプではなかったようだと、真
嶋は知った。
「お心遣いには感謝致しますが、近々あの子は正式に私の養女にする手続きを
執るつもりです。それに………」
「それに?」
「あの子と同じ境遇の子どもは他にも居ます。その子たちのためにも、特殊な
手段ではなく、きちんと法的に国籍を認めさせなければなりません」
「そうですか」
交渉が決裂した以上、長居は無用である。これ以上話を続け、相手を怒らせ
たところで、こちらが得るものはない。真嶋はアタッシュケースを閉じ、立ち
上がった。
「どうかこの話は、お忘れ下さい」
「そのつもりです」
「それではこれで」
真嶋は教会を後にした。
教会の外に停められた、黒塗りの車。中で真嶋を待っていたのは木崎である。
「そのツラじゃあ、上手く行かなかったらしいな」
「ああ」
表情に出したつもりはないと思いながら、真嶋は短く答えた。
「で、どうする? 俺に任せて貰えるか」
「いや」
運転席に着いた真嶋はキーを捻り、エンジンを掛ける。
「裁判のこともある。古川を始末すれば、その後子どもがどうなったか、マス
コミが関心を持つだろう」
「そうかい、俺の出番はなし、かぁい」
ふざけた口調で発し、木崎は両手を頭の後ろに回し、リクライニングを倒す。
「相手が子どもとなると、いろいろと面倒だ」
エンジンは動いていたが、真嶋はまだ車を動かさない。暫く難しい顔で、何
かを考え込んでいた。
「まず、その子どもが本当にそうなのか、確認しておくべきだろうな………」
木崎に向けたのではない。
真嶋は一人呟き、ようやく車を動かす。
「ありがとうございました」
車を降りた紫音は、運転席の人物へ、軽く会釈する。相手は亀田社長であっ
た。
撮影終了後、亀田社長の車で自宅マンションまで送ってもらったのだ。
「まあまあ、お疲れさま。今日はゆっくり休んで、次の仕事に備えて下さい」
「はい、お休みなさい」
「はい、お休み」
笑顔で挨拶を交わし、亀田社長は車を出した。疲れて、早く一息つきたい紫
音だったが、亀田社長の車が見えなくなるのを待つ。車の姿が完全に消え、手
首に巻いた時計を見遣る。午後九時三十分を少し過ぎたところであった。
玄関に歩を進める紫音だったが、ふと立ち止まる。
「ナンか、小腹減っちゃったなぁ」
スタジオで軽い食事は出されていた。
カツサンド、それが紫音の夕食である。しかし紫音の年齢でのエネルギー消
費量は少なくない。まして人並み以上に活動力のある少女。その程度の夕食で、
明日の朝まで保たすのは難しい。
「部屋には、何にもなかったわよね」
夜食どころか、明日の朝食べるものの用意さえないのを思い出す。
「しゃあない、コンビニで何か買って来ましょうか」
竹村の家に居たときには、こうして食べるものの心配などしたことはない。
しかしこうやって、気軽に外へ出ることもなかった。
面倒に感じつつも、その気軽さが楽しい紫音である。
マンションから五分強ほど歩いたところに、そのコンビニエンスストアーは
あった。煌々と明かりの灯った店内に、足を踏み入れる。
紫音の育った田舎にも、コンビニエンスストアーくらいはあった。ただ竹村
の家に在って、束縛を受けることの多かった紫音が訪れる機会は少ない。
気の向いたとき、気軽に店に入る。ただそれだけの行為に、紫音は自由にな
った己を実感していた。
「さて、何を買いましょうかね?」
入り口近くから、店内を見回す。弁当・惣菜、スナック菓子、ドリンクと、
どのコーナーから見て行こうか、暫し逡巡する。
「あれ? 久遠か?」
そんな紫音に横、雑誌コーナーのほうから声が飛んだ。
さて、誰であろうか。まだ知人も少ない街で、己の名を呼ぶ者の姿を求め、
視線を走らす。
「あら、迫水先輩」
漫画雑誌を手に、こちらを見る男。迫水黎であった。
「ひょっとして、私のこと、ストーカーしてた?」
「ああん、バカ言ってんじゃねぇって」
買い物を終えたところだろう。黎は弁当の袋をぶら下げていた。
確か現在、彼も一人暮らしだと聞く。夕食を買い求めに来たところらしい。
「随分遅い、夕食なんですね」
時刻は午後九時四十分を回っていた。自分も似たようなものでるにも関わら
ず皮肉混じりの言を発する。
「ああ、若いからな。晩飯は食ったけど、また腹が空いてさ」
黎は手にした弁当の袋を、掲げて見せた。
「で、そう言う久遠は、何しに来たんだ?」
「あら、買い物以外、何しに来たと思うのよ」
「あのな………何を買いに来たのか訊いてるんだよ。分かるだろう、フツー」
「夜食よ! 悪い?」
紫音はやや声を荒げる。腹が立った訳ではない。何か言い返されるのを、防
ぐためであった。
「怒ることは、ないだろう」
肩を竦めて見せる黎を無視し、紫音は弁当・惣菜のコーナーへ足を運ぶ。
思えば初めて明日香と出逢ったとき、彼女は買い物帰りであった。そしてい
ま、紫音のマンション近くのコンビニエンスストアーで、黎と顔を合わせるこ
とになった。幼馴染み同士は、家も近いのだと聞く。その二人にとって、この
辺りは生活圏だと言うことだ。即ち紫音のマンションは、二人の生活圏内にあ
ることとなる。
それが問題と言うことにはならない。
親しい友人や、今後共闘すると決めた相手の家が近いのは、それなりに好都
合な面も多くあるだろう。ただ一方では、あまり頻繁に黎と打ち合わせをして
いれば、明日香に目撃される可能性も出てくるのだ。黎が明日香の想い人であ
る以上、そうした事態は極力避けたい。
紫音がこうして気を遣っているのに、黎にはそれに気づいた様子が見られな
い。それを思うと、本当に腹が立って来た。
紫音は初めに、既製品のパンのコーナーを見る。続いて調理パンとサンドイ
ッチ。軽いもので済まそうとしてのことだったが、思い直す。撮影の合間に食
べたのはカツサンド。パン類が続くのはつまらない。結局紫音が選んだのは、
小振りなお結びの三個セット、惣菜の卵焼きと白菜のお新香に緑茶であった。
「よう、買い物は終わったな?」
会計を済ませ、店外に出ると黎が待っていた。特に黎に対し用のない紫音は、
足を止めずマンションへ帰ろうとする。
「実は今日な、俺を襲ったブックスの、グラウドとってヤツと会ったんだ」
「なんですって!」
思わぬ言葉に、大声と共に振り返る。店外にたむろする連中の視線が集まっ
た。
「ちょ、ちょっと来なさい」
黎の腕を取り、紫音は早歩きをした。
結局、協力関係を決めた以上、この男との接触を抑えようと言うのは無理な
話なのだと思いながら。
行き先は紫音のマンションであった。
確かに人前で、堂々と出来る話ではないため、それは致し方ない。ただ扉が
開かれた向こう、紫音の部屋が真っ暗だったことに、黎は気後れをする。
数秒と待たず、紫音の手で玄関の明かりが灯された。
「さっ、早く上がって、ドアを閉めてちょうだい」
あるいは紫音にしてみても、一人暮らしの部屋に若い男性が出入りする姿を
他人に見られたくはないのだろう。戸惑いはあるものの、黎はその言葉に従う。
「きょ、今日はリアードのヤツ、居ないのか?」
後ろ手に扉を閉じながら訊ねる。
部屋が暗かったと言うのは、他に誰も室内に居ないからだと考えたのだ。
「えっ、ああ、今日は仕事だったから。リアードに分ける体力を節約したの」
「仕事? アルバイトか?」
「ん、そっか、あなたにはまだ言ってなかったっけ。私、これでも一応、歌手
の卵なの。ま、今日の仕事は、どっちかって言うとタレントとしてかしら?」
「えっ………」
黎は驚くと同時に得心もする。
本間のように騒いだりはしないが、黎の目から見ても紫音は美形と言えた。
それは同年代の中に在っても、平均を大きく上回るものであった。それが彼女
自身望んでか、その道のプロに誘われて開かれた道かは分からない。しかし何
れにせよ、その世界の人間の目に触れて、放って置かれるような存在ではやは
りなかった。
「そんなことは、どうでもいいでしょう。それより詳しい話を、して貰おうか
しら」
ソファに腰を下ろした紫音は、目の前に購入して来たものを広げる。どうや
ら、黎の話を聞きながら食べるつもりらしい。
自宅で何をしようと紫音の自由だが、あるいは自分は男性として全く意識さ
れていないのではないか。そう思うとリアード不在に緊張していた黎は、馬鹿
馬鹿しくなってしまう。自分の袋から、レジで温めて貰った幕の内弁当を取り
出した。
「ちょっとした、お食事会ね。それで………どう言うことなの? グラウドと
会ったって、戦闘をした、ってことかしら」
小型のお結びを一気に半分までかじりながら、紫音が問うて来た。
「いや、そうじゃない。言葉のまんまさ………街中で、ばったり会った」
負けじと黎も、から揚げを口の中へ放り込みながら答える。それから今日の
出来事をかいつまんで説明した。
「呆れた………」
二個目のお結びを食べ終え、紫音は緑茶で喉を潤すと、短く吐き捨てるよう
に言った。
「ああ、同感だ」
「………あのね、あなたもよ。あなたにも呆れてるの」
「………」
「相手はあなたを殺そうとしたヤツ、なんでしょう? しかも別にまだ諦めた
訳じゃない。それを何、一緒に仲良く、お茶したですって! 呆れるにもほど
があるわ」
「いや、分かるよ。俺だっておかしいと思うさ。けど、成り行きでそうなった
んだ、仕方ないだろう。それに、ただ無駄にお茶していた訳じゃない」
「そうね、特に相手のリーダーの名前が分かったのは、収穫かも知れない。も
っとはっきり、どこの誰かって知れれば、いろいろ手の打ちようもあるでしょ
うしね」
「だろ?」
「ええ、詳しくはリアードにでも、調べて貰おうかしら?」
若い男女が一つ屋根の下で、同じ時間を過ごす。そんな状況に在っても、い
ま二人は互いに相手を異性として意識していない。互いの興味は雛子と言うリ
ーダーと、目の前の己の食事に向けられていた。
【To be continues.】
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