AWC 名コックでも初恋の味は分からない?   寺嶋公香


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#524/566 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/11/26  21:32  (232)
名コックでも初恋の味は分からない?   寺嶋公香
★内容                                         23/04/28 10:43 修正 第2版
「ごめん。短い間だったけれども、もう手を引かせて欲しい」
 調理部を新たに作るために大きな力になってくれた平田《ひらた》君から、突然言わ
れた。私は足元から頽れそうになるのを、必死に堪えた。活動はうまく行っていたし、
個人的にも平田君とはいい感じになりつつあるんじゃない?と思っていたから、ショッ
クは大きかった。

 〜 〜 〜

 その年の春、私・篠宮理恵《しのみやりえ》のクラス、二年二組に転校生がやって来
た。色白で、中学生にしては背がまあまあ高くて、大人しそうな見た目の男の子。
 平田|真嗣《まさつぐ》ですと自己紹介したその声も、見た目からの想像にほとんど
重なっていて、優しげな口ぶりだった。愛知県から東京の方へ越してきた飛んだけど、
訛りは特に感じられない。
 多分、その初対面の時点で、私は彼をいいなと感じ、気になる存在として見ていたん
だろう。ただ、実際には声を掛けるなんて行動には出なかった。会話といえば、学校生
活を送る上で、必要に迫られたときに必要なことを話す程度。
 そのまんまの状況が続いていたとしたら、私が平田君に個人的な要件で話し掛ける機
会は、巡ってこなかったかもしれない。
 変化をもたらしたのは、梅雨半ばの放課後。何の部活にも参加していなかった私――
調理部のような倶楽部があれば参加してみたかったんだけれどもあいにくとなく、一年
生の身分で新しく起ち上げる積極性もなかった――は、早々に帰り支度を終えて、仲の
いい友達と三人一緒に廊下をのんびり歩いていた。職員室前に差し掛かり、中からちょ
うど出て来たのはクラス委員長の中村《なかむら》君とその親友、高杉《たかすぎ》
君。一番勉強のできる優等生と一番運動の得意なガキ大将の組み合わせだ。高杉とは小
学校のときからよくクラスが一緒になったけれども、ほんと、いたずら好きで先生も周
りの女子も手を焼かされた。そんな悪ガキが中村君の一番の親友なんて、分からないも
のだわ。
 それはさておき、二人は職員室に向かって、「失礼しました〜」と挨拶をするや、す
ぐにおしゃべりに入った。その中身が、すれ違い様に私達の耳にも届く。
「な、言った通りだったろ?」
「うん、よく気付いたなと感心するよ」
 高杉が言い、中村君が肯定する。
「いや、一度でもテレビで見てたら、誰だって気付くさ。平田があのクック・タイラー
と何か関係あることぐらい」
 え?
 私は友達三人と顔を見合わせた。クック・タイラーは日本人シェフのタレント名。本
名は公表されているのかどうかも含めて、知らない。イケメンでしゃべり上手なシェフ
として、情報バラエティ番組に時々出演しており、そこそこ有名だ。
 あのタイラーと平田君にどんなつながりが? 気になって、私達は足を止め、反対方
向に歩く男子二人を目で追っていた。
「ただ、息子を紹介していたのは一度きりだが」
 つまり、平田君はクック・タイラーの子供? 言われてみれば面立ちが似ているか
も。
 そのとき、友達の一人、多田《ただ》さんが「辛抱できない!」と短く口走ったかと
思うと、前を行く中村君達にあっという間に追い付いた。そして委員長に話し掛け、何
だかんだと聞き出して戻って来た。
「高杉が、平田君とクック・タイラーが似てると気付いたけど、いきなり騒ぎ立てて間
違っていたら格好悪いから、委員長に相談したんだって。中村君はよく分からかなかっ
たから、青山《あおやま》先生に聞いてみたらという話になり、今に至る、だってさ」
「クラス担任の青山先生なら、平田君の家の事情を知ってて当たり前ね。じゃ、芸能人
に友達とかいるのかしら」
 真鍋《まなべ》さんが声を弾ませた。真面目だけどミーハーなところがある。
「それが、あまり騒ぎ立てるなと先生から注意が。私も念押しされちゃった」
「えー、残念」
「唯一、平田君のお父さんのことなら、話題にしてもいいみたい。サイン頼むとかも」
「それが限度かぁ。仕方ないね。明日にでもサイン、頼んでみようかしら」
 二人のやり取りを聞きながら、私には気になることができていた。それを二人に言っ
てみる。
「クック・タイラーの子供なら、料理得意かな?」
「さあ?」
「あ、それなんだけど」
 真鍋さん、多田さんの順に反応あり。多田さんの話の続きに耳を傾ける。
「高杉が平田君をテレビで見たのって、蛙の子は蛙みたいな紹介のされ方だったみたい
よ」
「やっぱり、料理上手なんだ」
 私は目を輝かせていた、と思う。真鍋さんが眉根を寄せて訝しげに聞いてきた。
「どうしたの? 何だか、ふっふっふって笑い声が聞こえて来そう」
 あんまりなたとえだけれども、当たっているかもしれないと認めざるを得ない。そう
こうする内に、二人が気付いてくれた。
「あ、そうか。理恵ちゃんてば前から調理部、作れたらなーって言ってたわね」
「そう。自分の腕前のこともあって、やっていける自信が持てなかったけれども、平田
君が力を貸してくれたらできるかも」
 新しく部を作ろうというやる気は湧いてきた。けれども、まだあまり親しくはない男
子に、こちらから声を掛ける勇気を出せるかどうかが問題だった。

 月曜、多田さんと真鍋さんを連れ立って、声を掛けた。実を言えば、その頃には平田
君はあのクック・タイラーの子供だって話が広まり、女子も十人以上が話し掛けるよう
になっていた。だから、私も緊張の必要はないはずなんだけど、何故か一人では無理!
と思ったの。調理部には真鍋さん達も入ってくれる約束だし、だったら付き添いもと頼
んだの。ただ、この構図って客観的には、友達に背中を押されて告白しに来たみたい
な? 誤解されない内に、早口で用件を伝える。
「あの、調理部を新しく作るつもりでいるんだけど! 平田君が入ってくれたら凄く心
強いのっ」
「調理部って料理教室みたいな?」
 帰りがけのところを呼び止め、いきなり頼んだ私を咎める気配は微塵もなく、平田君
は確認してきた。私がそうだよとこれまた早口で答えると、あっさり、「いいよ」との
返事がもらえた。
「え、いいの?」
「断る理由がないから。僕もやってみたかったんだけど、家庭科部だと手広すぎると思
って、結局部活を決められないでいたからさ」
 ラッキーだったわ。

 そこからはとんとん拍子。あっという間に調理部の設立が認められた。クック・タイ
ラーの名前が利いた。家庭科部に配慮して当面はサークル扱いとし、軌道に乗るまでは
設立当初の四人だけの活動となったけれど、充分よ。
「今日は玉子がたくさんあるので、だし巻き玉子とオムレツに挑戦してみます」
 活動は家庭科室を借り切って、一回二時間足らず。作り方はお父さん直伝のレシピを
平田君が見せてくれた。
 そのレシピ通りにやればほぼ確実に美味しくできあがるのだけれども、たまに失敗も
ある。主に火加減のせい。家庭科室のコンロは火力が安定しない場合がある。でもそう
いう失敗は、平田君も笑ってスルーしてくれた。一方、人によるミスには厳しい。たと
えば泡立て不足でなめらかさが落ちたことがあって、そのときは三人ともしっかり注意
されてしまった。
 以来、その手のミスはゼロで来てたんだけど、ある夏の暑い日、調味料を入れ忘れる
大失敗をやらかした。窓を開けていたせいで、吹き込んだ風がレシピのメモを飛ばし、
その結果、段取りも飛んじゃったというわけ。
 私達は最後の味見で気が付き、とても平田君に出せる代物ではないと分かっていた。
でも三人とも言い出せず。平田君がその料理を口に運んだときは久々に怒られるっ!と
覚悟した。
 なのに、平田君は「今日、メインの担当は誰だっけ?」と気さくに聞いてきた。私が
おずおずと小さく挙手すると、彼は頷き、「上手になった。盛り付けを含めた見栄えも
いい。この照りは簡単には出せないよ」と褒めてくれた。あれれ?
 平田君が先に帰ったあと、念のためもう一度味を確かめたら、やっぱり不味い。私が
「何で怒らなかったんだろう……」と疑問を口にすると、多田さんが即反応。
「それは決まってるでしょ。平田君、いい意味で理恵ちゃんを贔屓してるんだよ」
「言い意味で贔屓? 何それ」
「つまり、好きなんじゃあないかな」
「ばっ」
 ばか言わないで、そんなまさか。と続けるつもりだったのに、声にならなかった。ひ
とまず否定したものの、何だかほわわんとしてしまった。

 それからまたしばらくして。
 部活でやったクッキー作りを家でも試してみたら、結構いい出来映えだった。翌日、
平田君に食べてもらおうと学校に持って行ったの。好きな人にプレゼントっていうんじ
ゃなく、料理の先生にチェックしてもらう気分。結局は褒められたい!ってこと。
 その日は部活がないためお昼休みに渡し、持って帰って食べてみて、評価を聞かせて
ほしいとお願いした。
 ここからあとは、高杉から聞いた話になる。同じ日の夜、珍しく高杉から電話があっ
た。
「平田の奴、おまえにぞっこんなの?」
 いきなり、何を?
「な何でそう思うのよ」
「おまえの手作りクッキー、うまそうに食ってたもん」
「それのどこがおかしいの。調理部の腕前を疑う? だいたい、どうして知っている
の、私があげたクッキーを、平田君が食べてるとこ」
「あっ、すまん。腕を疑っちゃいないさ。最初から説明すると、クッキーを食べるのを
見物したくて、今日の放課後、俺と細川《ほそかわ》とであいつに声を掛けたんだ」
 細川と言えば高杉の悪友で、この二人が組むといたずらをよくする。
「平田君に何かしたのね? 何したの、言いなさいよ」
「だから説明するって。実は昼休みにクッキー渡すのを見掛けて、つい、意地悪をして
やりたくなった。あいつばっかりっていうジェラシーだと思ってくれていいぜ」
「格好付けてなんかいないで、早く全部話す!」
「おお、こわ。で、平田が席を離れた隙に、クッキーにソースを染み込ませたんだ」
「何でソースなんか持って来たのよ」
「今日の給食にあったろ」
 言われて思い出す。一人に一つ、小さな袋のソースが付いていた。
「あれの余りを使った。それで……下校の途中であいつを呼び止めて、何かもらってい
たよな、見たいなあって頼んだ。見せてくれたから、ついでに食べて味の感想を聞かせ
ろよと持ち掛けたら、食べたよ、あいつ。当然、味が変だと感じてすぐ吐き出すぞと期
待してたのに、そうならなかった」
「本当に?」
「ああ。感想は美味しかった、だとさ。こっちは当てが外れて、愛の力はすげーなと冷
やかすのが精一杯。しかも平田は何のこと?って顔しやがるもんだから、ばか負けして
退散さ」
「何でそこで愛の力って話になるのよ」
「分からん? 平田はおまえのクッキーだからこそ、不味いと言わずに平気なふりして
完食した。そうに決まってる。これを愛の力と言わずして」
「ああ、もう分かった。だまれ」
 私はこのあとたっぷり説教をしてやって、電話を終えた。
 それにしても……私が作った物だから我慢して食べきり、美味しいと嘘までついた
の? 信じがたいけれど、二度もあると、そう思わざるを得ない……?
 よっぽど、すぐにでも電話し、平田君に話を聞こうかと思ったけれども、時間が遅い
と気付いたせいもあって、次の日の学校に持ち越すことになった。

 〜 〜 〜

「――私のせいじゃないとは言え、ごめんなさいっ。せめて個包装にしていれば気付け
たかもしれないのに」
 前日の高杉のいたずらを大まかに説明し、頭を下げた。場所は、人気《ひとけ》のな
い裏庭の隅っこだ。
 面を上げると、平田君の表情が青ざめたように、私の目に映った。
「あの、私をかばうために不味いと言わないでいてくれたみたいで、ほんと、申し訳な
いです。今度、ちゃんとしたのを作ってくるわ」
「……いや」
 拒まれた?
「だ、大丈夫だって。もういたずらできないよう、帰る直前に渡せばいいわ。それまで
は私がしっかり見張っておく。それか、もしよければ私が平田君の家に届ける」
「いや、いいんだ」
 先ほどよりずっと強い口調に、私はびくっとなった。怒ってる? でも私のせいでな
いことは理解したはず。かといって、高杉に怒っている風にも見えない。何ていうか、
平田君……絶望したような顔になっている。私は急に不安に駆られ、彼に確かめた。
「次の部活、来てくれるよね?
「ごめん。短い間だったけれども、もう手を引かせて欲しい」
 ――大きなショックをどうにか受け止め、私は彼との距離を二歩、縮めた。
「何で? 理由を聞かないと納得できない」
「……誰にも言わないと約束してくれるのなら」
 周囲を気にする素振りの平田君。態度から一種の決意がにじむ。私は無言で強くうな
ずいた。
「少し前から異変を感じてたけど、間違いない。僕は恐らく、味覚障害を起こしてい
る」
「え」
 聞き慣れない言葉に理解が追い付かず、漢字変換に時間が掛かる。
「味が分からないみたいなんだ」
 平田君は、自分自身のことなのに“みたい”と言い表した。それだけ味覚が不確かな
んだ。
「味がって、でも、いつから? 調理部ではちゃんとお手本を作ってたじゃない」
「ぼんやりと自覚し始めたのは、夏に入る前かな。三度の食事で、薄味に感じることが
増えてきて。でも気のせいと思い、放っていたんだ。部活ではレシピ通りに作ればよか
ったし」
 深刻そうかつ申し訳なさそうな彼を見て、居ても立ってもいられなくなる。
「げ、原因は? もしかして、私達の作った料理が変で、それを食べたせい?」
 私が思い付くまま言うと、平田君は――吹き出した。え、笑うの?
「まさか、それはあり得ないよ。あまりに突拍子もないから、笑っちゃったじゃない
か」
「だったら何が」
「僕もまだ少し調べただけだからよく知らないが、亜鉛の欠乏とか、他の病気の副次的
な症状だとか、あるいはストレス」
「私達を教えるのがストレスに……」
「だから違うって。病院で診てもらわないと何とも言えないけど、篠宮さん達が原因で
は絶対にない。それよりも頼みがある」
「何でも言って」
「僕が戻るまで、調理部の活動を続けて」
「――うん」
 できる限り元気よく、うなずいた。

 その後、診察を受けた結果を教えてもらった。平田君の話によると、原因は多分、ス
トレス。お父さん、クック・タイラーからの期待が凄かったんだって。重圧を感じつつ
も期待に応えなければとがんばっていた平田君だけど、活躍の幅を広げる(名古屋から
東京に越したのもタイラーのレギュラー番組出演に合わせたため)父親を見て、意識の
外で限界を感じ、張り詰めていた糸が切れたみたいになったんじゃないかということら
しい。
「それで治りそう……?」
「完治はまだ先だけど、上向きだよ。父さん――父も凄く分かってくれて、以前ほど料
理料理と言わなくなった上に、こっちが申し訳なくなるほど反省し、しょんぼりしてい
る。でもまあテレビの仕事は契約があるから続けるみたいだ」
「よかった。あ、でも、平田君、料理をもうしないとか?」
「いや。今は離れているだけで、多分続ける」
「それならいいの。調理部に復帰して、また先生をお願いします」
 久々に心の底から笑顔になれた。平田君が不味さを指摘しなかったのは、私を好きだ
からでも何でもなくてちょっぴり残念だけど、これから再び見付ければいい、初恋を。

 終





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