AWC お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 4   亜藤すずな


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#269/598 ●長編    *** コメント #268 ***
★タイトル (AZA     )  06/06/30  00:01  (484)
お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 4   亜藤すずな
★内容                                         06/11/30 16:58 修正 第2版
 タイミングを見て江山君を呼びに行こうかどうしようか、迷いつつも部屋か
ら動けないでいたら、彼の方から来てくれた。さすが、分かってる。
「東野君は?」
「テレビを見ながら、身だしなみに時間を掛けてる。きっと、食事までああし
てるだろうな」
「それなら安心ね。色々考えてみたんだけど……」
「ちょっと待って。先に、声が聞こえてきた件を解明しておこう」
 メモを書き付けた便せんを広げるあたしに、江山君が言った。手が止まる。
「解明って、分かったの!?」
「多分ね。君の言ってた場所に、当たりを付けて行ってみたんだ」
「え? 司は?」
「もちろん、一緒。ちょっとコースを離れてみようって言ったら、何となく嬉
しそうにしていたし、問題ないだろう」
「まあ、ね」
 江山君、変に期待を持たせるのはよくないわよ。それはともかく。
「壁が立っていると聞いてたから、すぐに分かった。足下の星マークも見つか
ったしね。あれは集音壁だと思う」
「集音壁? 何それ」
 最初、字が分からなかったけど、江山君が便せんの隅に書いてくれた。
「元々、何のために考え出されたのかは、僕も知らない。戦争のとき、敵陣に
入り込んだスパイが、味方へ暗号を、大げさな道具なしに伝えるために作られ
たという話を聞いた覚えがあるけれど、実際に役立ったかどうかは分からない」
「実用化されてないのなら、あれも、その集音壁として、役に立たないんじゃ
ないの?」
「いや、それは昔の話。今は実際にある。離れた場所にそれぞれああいう壁を、
向かい合わせに設置し、壁の前の特定の一点に音が集中するように調節すると、
数十メートルくらいなら、普通の話し声程度で充分聞こえるらしいんだ」
 江山君の知識に感心させられ、知らぬ間に何度もうなずいていた。
「へえー、初めて聞いた。ていうことは、あの壁も施設の一つで、まだ工事中
なのね」
「工事中及び調整中ってところだろうね。案内や解説が全くなかったから、た
だの壁に見える。だからこそ、犯人は安心して危ない話をしたんだろう。工事
中なら人も来ない、万が一来ても、壁が目隠しにもなると考えたかもしれない」
「なのに偶然、あたしが聞いてしまった……」
「調節中なのによく聞こえたのは、背の高さと立ち位置がぴったりだったから
と思う。しゃがんだ途端、聞き取りにくくなったのは、ポイントがずれたせい。
逆に、松井さんが声や物音を立てていたら、向こうに伝わった可能性もあった
わけだから、危なかった」
 少なからず、ぞくっとする。二の腕の辺りをさすった。
「新しい魔法じゃなかったのは残念だったけど、解明はできた。次は、もっと
大きな問題だ」
「うん。一人でいる間、ずっと考えていたんだけれど」
 ようやく便せんメモ書きの出番が来た。半ば無意識の内に折り畳んでいたそ
れを広げ、相手に見せる。瀬野さんや苫田さんから聞いた話や、それを元にあ
たしが考えたことも、覚え書きとして記しておいた。
「魔法の使い道はあとにして、聞いた話から、あたしは串木さん夫婦のどちら
かが怪しいと思った」
 会ったこともない、顔すら知らない人を疑うのは気が引けるけど、今の時点
では仕方がない。許してもらおう。
「ただ、親子三人連れでずっと外の施設を体験していたのなら、時間的に無理
があるような気もするの」
「――うん、よく考えてるね。僕が松井さんの立場で同じことを聞いたら、や
っぱり同じ結論に達していると思う」
 賛成してくれた。何だか嬉しい。
「それで、こうして推理を重ねるやり方で、仮に犯人を特定できたとして、そ
れからどうするつもりなの、松井さんは?」
「どうするって……見張って、行動に移したらすぐに止めに入る。全員を注意
して見張るよりは、ずっと楽で確実でしょ」
「どうやって止める?」
「そこにもちょっと書いたけど、移動魔法で遠くに行ってもらうか、いざとな
ったら攻撃魔法で」
「うーん……」
 難しい顔をする江山君。同意してくれたんじゃなかったの? あたしが不満
そうかつ不安そうに眉根を寄せたのだろう、こっちを向いた江山君は、ふっ、
と表情を緩めた。
「僕も見て回ってるとき、できるだけ考えてみたんだ。まず、決めたのは優先
順位。事件と起こさせないのと同じぐらい、君の秘密を守ることも大事だ」
「それはそうだけど。じゃ、攻撃魔法は封印して、移動だけで対応すれば」
「二つ目に決めたのは、この場限りの防犯にしたくないということ」
 すぐには理解できなかった。小首を傾げたあたしに、江山君も言葉が足りな
かったと感じたのかしら、唇をちょっと嘗めて、説明を補う。
「松井さんの言う通り、移動魔法を使えば、犯行は防げる確率が高い。魔法そ
のものについても、勘違い・気のせいってことでおしまいになると思う。しか
し、それだけで大丈夫なのだろうか。千載一遇のチャンスと言ったって、これ
っきりというわけじゃない。今回失敗しても、またここを訪れれば犯行は可能
なんだよ。苫田さんが管理人を続ける限り」
「そんな。じゃ、どうしろと言うのよ」
 無理難題を押し付けられた気がして、つい、口調が荒っぽくなった。
 江山君は対照的に、変わらない調子で答える。
「犯人に犯行を起こさせ、苫田さんが怪我を負うぐらいの本当にぎりぎりのと
ころで食い止めれば、警察が動いて犯人は逮捕される。苫田さんも命を狙われ
たことを自覚するだろうし」
「……そういうのって、あたしが思い描いてたのと違う……」
 自分の手のひらを見つめる。
「犯行を起こす前にというか、それが罪になる前に、犯人を止めたいの。はっ
きり言うなら、逮捕されてほしくない。苫田さんはひょっとしたら、過去にと
てもひどいことをして恨みを買ってるのかもしれないけれど、だからと言って
怪我してほしくない」
「その上、犯人には、二度と犯行を起こそうとは思わないようにさせたい……
理想だね」
 江山君は皮肉で言ったのだろうか。ううん、そうじゃないと信じる。
「だって、たまたま魔法の力のあるあたしが、人を殺そうという話をたまたま、
前もって聞いたのよ。普通に助けました、犯人は捕まりました、で済ませるの
なら、警察に通報するのと変わんないよ」
「……」
「集音壁のことが分かったんだから、警察だって信じる可能性、高くなったん
じゃない? でもそれだけじゃ――」
「感情的なおしゃべりはやめよう」
 江山君は急に強い口調で言うと、新しく便せんを一枚、手に取って、ペンを
構えた。
「理想を実現するための時間は、そう多くは残ってないよ」
「――うん。ありがとう」
 あたしもペンを持った。力が入った。

「遅いよ。何してたのさ」
 食堂で待たされていた成美の声に、東野君はありのままを、正直に答えてし
まった。
「松井さんと二人きりで、時間が経つのも忘れて、熱心に話し込んでいた」
「ちょ。その言い方は」
 焦る。司の様子が気になった。
 確かに、東野君の台詞に嘘はない。元はといえば、夕食の時間が来たにもか
かわらず、気付かないで対策を練っていたあたしと江山君の落ち度だ。なかな
か姿を見せないあたし達を心配した成美が、東野君に頼んで、もとい、命令し
て、様子を見に行かせた結果である。
「飛鳥、何の話をしてたの?」
 予想してたほどはジェラシーを含んでいない司の声に、ほっとする。まさか、
自分達がお風呂に行ってからほとんど間をおかずに、江山君があたしの部屋を
訪ねたとは思いも寄らないんだろうなあ。知られたら、恐い……。
「あのあと、またぶり返してたところに、江山君が心配して見に来てくれてさ」
 椅子に着きながら、いつもの理由で弁明を始める。
「好きなことを話題にしてたら、気が紛れるんじゃないかって言うから、ゲー
ムの話をしてた」
「なんだ、また?」
 呆れた風に笑う司。成美も目を閉じ、「だめだこりゃ」みたいな感じで、首
を左右に振った。
「うん。でも、実際、効果あったんだから。それまでは頭痛がしてて、食欲も
なかったのに」
「松井さんて、そんなにゲーム好きだったっけ。前は違ってたような」
 東野君が聞いてきた。あたしはメニューを江山君から受け取り、目を走らせ
ながら答える。……おいしそう。本当は空腹なので、余計にそう見えるのかも。
「昔はあんまり興味なかったわ。でも、やってみたら面白くて。だけど、最初
のゲームをいまだにクリアーできてないから、上手じゃないのよね」
「ふーん。普段、外から見てるだけじゃ、分からないもんなんだな」
 日焼けした腕を組み、首を傾げた東野君。その隣――そう、何故か隣に座っ
てる成美が、横目でじろりと見やる。
「ほう、普段、外からじっと見てたのか。あんたって、あれだけ大勢と付き合
いがあるのに、飛鳥まで狙ってるの」
「俺は全ての女の子を平等に見ているだけです」
 東野君の切り返しの素早さときたら、こちらにどきっとする余裕さえ与えな
いほどだ。
 遅れてきたあたし達の注文も済ませ、しばらくしたら、ほとんど同時にみん
なの料理が運ばれた。気が利いてるなと思ったら、成美が自分達の分を注文す
るときに、あとから来る人がいるので一緒に出してくださいとか何とか頼んだ
らしい。
 話題は当然、今日の感想とか、このあとどうするとかに集中した。けれど、
あたしは別の方に意識が行って、会話が素通り状態になりがち。だって、他の
モニター客が、相前後して姿を見せ始めたんだから。
 もしかしたら、姿形で犯人が分かるかも……という期待は、儚くも打ち砕か
れた。特徴的な身長・体格あるいは髪型の人は、いなかった。もちろん、串木
家の男の子は別として。
 唯一、中村さんの恋人という元山さんは、髪を肩まで垂らしていたので、見
分けが付きそうな気もするけれど、アップにしてまとめるなり、帽子を被るな
りしたら、シルエットだけじゃあ男の人と区別つきそうにない。
 次に注目、というか、意識を集中したのは声。くぐもっていたとは言え、こ
の耳で聞いたんだから、区別できる!……そう勇んだものの、結果は無惨だっ
た。携帯電話での内緒話かつ、集音壁を通して聞いたというのがよくなかった
のかしら、各テーブルから漏れ聞こえる会話にいくら耳を傾けても、ちっとも
ぴんと来なかった。相手と二人で話をしばらくしてみたら、調子や癖で、この
人かもってぐらいは分かるかもしれないが、現実的じゃないよね。
 ただまあ、ヘイズ夫妻のどちらとも除外できるのだけは、確信が持てた。流
暢な日本語だけれど、イントネーションに決定的な違いがあるもの。
「でさあ、結局このあと、何時から展示の残りを見る?」
「時間ないしな。早い方がいいんじゃない? 飛鳥は調子、どう?」
「――うん?」
 急に振られたので戸惑った。でも、会話の内容は、耳から入って来ていたか
ら、たいして間を空けることなしに答えられた。
「あ、大丈夫。むしろ、今すぐにでも」
「随分、気合い入ってるねー。食べたばっかりで歩くのは疲れるよ」
 お腹をさする仕種をしながら、東野君が言った。
「だって、あたしは外を全然見てないから、明日は朝から大急ぎで回らなくち
ゃ。展示は今夜中に済ませて、早寝早起き!」
 殊更、元気よく応じてみせる。義務を片付けて、事件を防ぐことに集中した
いのが本音なんだけれど。
「そうだね」
 口数の少なかった江山君が、みんなを見渡しながら言った。
「またいつ、体調を崩すかしれないし、早めにしておくに越したことはない」

 半分以上、駆け足状態になりながらも、展示を全部見て回った。一応、真面
目にメモを取っていったので、楽じゃなかった。途中で会った瀬野さんからは、
「もう、お身体は大丈夫ですか?」と気に掛けられて、焦るし。心身ともに、
疲れた気がする。
 だからって、今夜は布団に倒れ込むわけにいかない。ここからが本番。
 実は、事件を防ぐ方法に、一応の目処はついていた。いくつかしなくちゃい
けないことがある。
 ドアが控えめにノックされた。五回、等間隔で。江山君との間で決めておい
た合図だ。
「もらってきたよ」
 戸を開けると、江山君が小さな紙袋を顔の横に掲げた。それを受け取り、中
を確かめる。午後にもらった解熱剤と同じ物だ。
「ありがとう。あたしが頼んでもよかったんだけど、一日に二度も言ったら、
変に思われるかもしれないから」
「分かってる」
 江山君は後ろ手に扉を閉めた。かちゃりと音がする。
 午後十時を回って、男の子と二人きりというシチュエーションは、通常じゃ
考えられない。それだけ今は緊急事態なのだ。
「それから、瀬野さんが言うには、瀬野さん本人や従業員も含めて、この宿泊
棟の方で寝泊まりするらしい。正確には、従業員の部屋は客のそれとは分かれ
ているけれど、建物は一緒」
「苫田さんだけが、管理小屋で寝泊まりするのね」
 再確認すると、江山君は静かにうなずいた。
「じゃ、十時も過ぎたし、最後の」
「うん。早くしないとね。万が一、犯人と鉢合わせしたら、台無しだ」
 あたしと江山君は揃って部屋を出ると、廊下を急ぎ足で抜け、ロビーに到着。
自動販売機の前で少し迷ったあと、缶コーヒーを買って、それから外へ出た。
目指すは管理小屋。足音をなるべく立てないよう、静かに進む。月も出ていな
い夜だけれど、外灯がそこかしこにあって、暗くはない。
 管理小屋の前に立ち、ドア横の呼び鈴を押した。
「どなた?」
 案外、早い応答に、あたしと江山君は笑みをこぼした。お酒を飲んで眠って
しまっていたら厄介だと思っていただけに、これは助かった。
 しばらくするとドアが押し開かれ苫田さんが上半身だけを覗かせる。
「ん? 中学生のお嬢さんか。おお、男連れで、こんな夜遅くに何だね。仲人
でも頼みに来たか」
 これもセクハラ発言だと思う。けど、今は気にしてられない。スマイルスマ
イル。
「こんな時間にすみません。昼間のことで、お礼が言いたくて」
「昼間のって、ここに来て話をしたことか。あんなもの、管理の仕事に比べた
ら、別に大した手間じゃない」
「でも、質問攻めにしちゃったし。明日になると、忘れちゃいそうだから」
 言いながら、さっき買った缶コーヒーを差し出した。
「あの、お酒にしようかと思ったんですけど、管理人のお仕事って、ひょっと
したら夜中もモニターを見てなきゃいけないのかなと思ったから、コーヒーに
しました」
「そいつは残念だ。警備員じゃないから、四六時中、モニター画面とにらめっ
こなんてことはないさね」
「それじゃ、買い直して来ます」
 江山君と顔を見合わせ、きびすを返すと、肩越しに呼び止める声が。
「かまわん。どうせこの時間になったら、アルコール類の自販機は使用停止に
なるはずだ。ここはホテルじゃないからな」
「そうですか。それじゃ、コーヒーだけでも」
 改めて手渡そうとする。その動作を止めて、「あ、他の方から同じ物をもら
った、なんてことはないですよね」と尋ねた。苫田さんは一瞬ぽかんとし、次
に顔の前で手を大きく振った。
「ないない。物をもらうなんて、初めてだ。お客さんからはおろか、ここの仕
事仲間からさえ、もらったことはないな」
「それは、他の皆さんが、年長者の苫田さんを尊敬してるからですね」
 江山君が口を挟んだ。苫田さんは、何だこの坊主はという風に視線を移して
から、自嘲気味に答える。
「どうだかね。まあ、この顔だしな。愛想笑いの一つでもできりゃいいんだが、
昔のことがあって、うまく笑えん。ま、あれは自業自得の面もあるんだが……」
 独り言になる。が、すぐに途絶えた。あたし達がじっと聞いているのに気付
いた苫田さんは、唇を曲げてかぶりを振った。
「今夜の俺はどうかしてる。初仕事で緊張してたところに、こういう物をもら
ったせいかもしれんな」
 握った缶コーヒーを振る苫田さん。強面が、少しだけ和らいだように見えな
くもない。
「ありがとさん。さてと! これ以上、夜更かししたら悪がきに認定しなくち
ゃならん。早く戻るんだ」
「はーい。おやすみなさい」
 喉まで出かかった“気を付けてください”というフレーズを飲み込み、挨拶
をして別れた。
 宿泊棟までの急ぎ足、屋根の下に入らない内から、江山君が口を開いた。
「これで関門は突破したね」
「ええ」
 あたしはうなずき、ごくりと喉を鳴らす。いよいよ、決まった。頭の中にあ
る方法が絶対にうまく行くとは限らない。でも、これで行くしかない。
 宿泊棟に辿り着き、重い扉を閉めると、そこで振り返った。
「あとは、あたしの体力に掛かってくるのね」
「言っても無駄かもしれないけれど、一応、言っておく」
 両手に握り拳を作ったあたしに、後ろから江山君が声を掛けてくる。鏡と化
したガラス戸に映る彼の顔つきは、真剣そのものだった。
「無理をするな。保たないと思ったら、途中でやめたっていいんだ。できる限
りサポートするから」
「……ありがと」
 振り向いて、右手のひらを相手に向け、人差し指だけをぴんと伸ばす。
「あんまり、目立たないようにね。特に、もしも司に見られたら、ややこしく
なりそうだし」
「どうして三波さんだけ特別扱いなのか知らないけど、夜中だから寝ぼけてい
たことにすればいい」
 江山君てば、分かってるのか分かってないのか、分かんないなあ。

           *           *

 “犯人”は、時計で時刻を確かめた。丑三つ時よりもさらに多少の時間を重
ねた現在、アキュア館の敷地内で起きているのは、自分だけだろうと思った。
(あと数時間後には、朝食の支度に起き出す者がいないとも限らない。そんな
に手間取りつもりはなくても、急いだ方がいい)
 “犯人”は、寝巻の上から黒のジャケットを羽織った。万が一にも誰かに目
撃された場合を考えると、着替えるのは賢明でないと判断した。寝付かれなく
て起き出したという言い訳が不自然になる状況を自ら作るのは、愚か者のする
ことだ。
 “犯人”は、自分の計画――殺害方法に自信があった。
 マニアというほどではないが、推理小説やサスペンスドラマは好きな方だ。
用意した殺害方法は、密室トリックというやつに分類されるだろう。遺書を偽
造できたら完璧だったが、そこまでの余裕はさすがになかった。
 ジャケットのポケットが膨らんでいるのは、凶器と、風呂場からくすねてき
たシャワーキャップをねじ込んだため。
 犯行時に自分の毛髪を管理小屋に遺す愚を避けるべく、本来なら帽子を被る
ところだが手元にないので、ビニール製のシャワーキャップで代用することに
した。無論、念には念を入れ、昼の内に管理小屋を訪れ、髪の毛の二本や三本、
落ちていてもおかしくない保険を掛けておいたが。
 凶器は、備品の延長コードを持って来た。やはり管理小屋を訪れた折に、同
じ型のコードが使われているのを確認してある。犯行後、入れ替えればいい。
 ――“犯人”は、素早い足取りで、しかし静かに深夜の廊下を急いだ。エレ
ベーターを避け、階段を使う。第三者と接触する可能性を、できる限り押さえ
たい。空調の音だけが、いやに大きく耳に届く。
 そういえば、先程から寒気を覚える。六月は蒸し暑くはあるが、エアコンを
効かせすぎではないかと思った。それとも、これからやろうとしている行為に、
知らず、恐れを覚え、鳥肌が立ったのか。
 いや、それはない。“犯人”は踊り場で一旦立ち止まると、強くかぶりを振
った。迷いを払拭する。
 これからやろうとしていることは、自分のためだけではない。自分とあの人
のためだ。復讐という動機があるのは、あの人のみ。自分はその手助けをする。
あの人が一人で復讐を遂げるのは不可能だから、こうして自分が立ち上がった
のだ。
 再び階段を降り始めた“犯人”は、一階に着こうかという最後の一歩を、ス
テップに躓かせた。爪先が引っかかっただけで、前のめりにバランスを崩す程
度で済んだが、必要以上に鼓動が早くなる。
 こんなどじをするなんて。やめておけという合図か?
 そう言えば……と、“犯人”は思い起こす。決行の意を伝える電話の際、あ
の人の返事はためらいを感じさせた。あのためらいは、自分の騎士道的行為に
感謝すると同時に、すまなく思うがためと解釈していたが、実際はもっと単純
な気持ちの表れだったのでは。もう復讐なんてしなくていい、という……。
 “犯人”は再度、かぶりを振った。迷いのしつこさに、呪いの言葉を短く吐
く。それは自分自身の背中を押すための呪文でもあった。少なくとも、当人は
そう信じた。
 こんな絶好の機会は、二度とないかもしれないんだ。ここまで来て、やらな
いでどうする? 今、躊躇して、後日またやり直せるのか? ぐずぐずしてい
たら、苫田にこちらの動きを感づかれる恐れだって、少なくない。あいつがこ
ちらの顔を思い出すことだって、充分に考えられる。
 “犯人”は深呼吸をした。やるんだ――決心を今一度固め、一歩を踏み出す。
足取りは確かなものとなった。
 そして、誰とも会うことなく、ガラス張りのドアの前に立った。ここから管
理小屋まで、ほんの十数メートル。標的は深い眠りに就いているに違いないが、
それで物音は最小限に抑えねば。
 注意点を頭の中で点検し終え、“犯人”はドアに近付くと、取っ手に手を掛
けた。犯行現場となる管理小屋を見据えようと、外に視線を向けたそのとき。
「え」
 無意識に声がこぼれた。次いでこれも無意識に、口を手で覆う。それから目
をこすった。
 馬鹿な。
 視界に広がる一面の銀世界に、“犯人”は何度も目をしばたたかせた。しかし、
その光景は変わらない。幻影ではなく、現実にそこに雪が積もっている。
「馬鹿な」
 また声が漏れ出たが、今度は口を覆わなかった。
 いくら避暑地で標高が高いと言っても、六月に雪? それも積もるとは……
信じられない。すでにやんだようだが、太陽が昇るまでは溶けそうにない。
 呆気に取られていた“犯人”は、我に返ると、愕然とした。計画の破綻を思
い知らされたのである。
 雪の上に足跡が付く! このあと雪が降らず、また溶けもしないのであれば、
雪に付いた足跡は、決定的な証拠となるに違いない。それどころか、この雪化
粧を僅かでもけがしてしまえば、自殺に見せかけること自体、不可能だ。
 これは……天の意志?
 決して信心深くはない“犯人”が、この瞬間、主義を変えた。人知を超越し
た存在が、馬鹿なことはやめなさいと警告を送ってきている……?
 しかし。
 決心が揺らぐのを自覚しつつも、“犯人”は最後の意地のようなもので、ド
アを押し開けようとした。本当に雪なのか、雪だとしても計画を修正すること
で完遂できないか、確かめようと、いや、納得しようとした。
 と、その刹那、“犯人”の吐く息がガラスにかかり、表面に文字を浮かび上
がらせた。
<もどろう>
 それはさながら、雪の結晶が届けたメッセージのように。
「ああ……」
 “犯人”はその場に崩れるように、跪いた。肩や背が、いや、身体全体が小
刻みに震える。震えの原因が恐ろしさなのせいのか、感情を動かされたためな
のか、本人にも分からなかった。
 やがて“犯人”は落ち着きを取り戻し、立ち上がった。左の手のひらを広げ、
ガラスに浮かび上がった文字に当てる。あたかも、写し取るかのように。

 “犯人”は――いなくなった。どこにも。

           *           *

「起きて起きて、飛鳥。凄いよ、外!」
 こっちは本物の病人になったというのに、司と成美は、そんなことなどすっ
かり忘れたのだろう、ノックもそこそこに、ドアを開けて風を巻き起こしなが
ら飛び込んできた。
 ちなみに部屋の鍵が掛かっていないのは、江山君が早朝から薬をもらって、
持って来てくれたからという設定。実際は、明け方近くになっても熱の下がら
ないあたしを心配して、雪を運んでくれたのだけれど。窓から手を伸ばし、届
く範囲いっぱいに外の雪をかき集めたものだから、結構な量だった。
 でも、そのおかげで、だいぶ下がったんだと思う。それでもまだ頭がぼーっ
としているのは、もちろん寝不足もあるけれど、大量の雪を積もらせ、かつ、
それが溶けないように保とうとホワイトロールの魔法を使い続けた代償ね、き
っと。
 雪の上に一切の痕跡がなかったことは、今朝、江山君がその目で見て、知ら
せてくれた。そのことも、あたしを快方に向かわせている。
 この辺り一帯を雪で覆うという方法は、携帯電話の会話にあった「自殺とし
て片付けられる」を手掛かりに、考え付いた。犯人がどこで殺人を実行に移し、
どこで自殺に見せかけるにしたって、管理小屋で寝泊まりする苫田さんに接触
しなくちゃならない。接触したことが公になることは、犯人は嫌がるはず。逆
に言えば、接触した痕跡が誰の目にも明らかな形で残るようなら、犯行をあき
らめてくれるかも……と期待したの。六月に降る雪は、超自然的な神秘の現象
に映るであろうことも期待していたわ。
 気掛かりだったのは、犯人が毒物を使う場合。毒なら、管理小屋に犯人自ら
が近付かなくても、犯行可能だし、自殺に見せかけるのも容易そうに思える。
だから事前に、苫田さんに直接尋ねて、誰からも貰い物をしたことがないとい
う話を聞き出せた。それでやっと、計画を実行に移せたわけ。
 100パーセント、成功するとは言えなくても、成功を信じてやった。雪に
足跡も何もないってことは、成功したんだと思う。あとは、管理小屋から出て
来る苫田さんの元気な姿を見届けて、完全に安心したい。
「ほらほら、飛鳥。溶けない内に、雪合戦しようよ」
「そんな無茶な」
 窓辺に寄り、はしゃいでいる司を、成美がたしなめる。どうやら、成美の方
はあたしの状態を思い出してくれたみたい。
「江山君もまめというか、大変だね。朝っぱらから、看病なんて」
「別に、当たり前のことをしてるだけで。今日の段取りを確かめに来てみたら、
寝込んでたんだから」
 素っ気ない調子で答える江山君。その台詞を聞き付けたか、司が急に大人し
くなり、「自分も熱を出せばよかったかも」なんてつぶやいてる。まったく。
こっちの身にもなれっ!
「いつまでも邪魔をするのも悪いし、うちらだけで遊ぼうか。あの小学生の男
の子も、遊びたがってたみたいだから一緒に」
 成美が司を誘う。
「えー、でもー」
 司は江山君をちらっと見た。
「……じゃ、江山君。東野と交代ね」
「え?」
 いきなり言われて戸惑いを見せる江山君に、成美はにっこりと微笑んだ。そ
う言えば、東野君はどうしてるんだろ。
「だって、あなたが出て来ないと、司が動きそうにないし。東野の奴はどうせ、
朝のおめかしに余念がないんでしょ」
「ま、そんなとこだろうけど」
 江山君があたしの方に視線を落としてきた。
「いいよ、行って。ずっと看てもらってちゃ、悪いわ」
「そうかい? 大丈夫?」
「うんうん。折角だし、東野君にもちやほやしてもらって、女王様気分を味わ
おうかな、なんちゃって」
「女王様の使い方が間違ってる気がする」
 そんな江山君を寝床の中から押して、みんなと行くように促した。成美が出
て行くとき、「東野に襲われそうになったら、大声を上げるのよ」とアドバイ
ス?をくれて、笑わせてもらった。
 一人になると、当たり前だけど静かになって、頭が痛いのを思い出しちゃっ
た反面、これでもうぶり返すことはないだろうと気が楽になる。それに、人目
を憚ることなく、管理小屋の戸口をじっと見ていられる。
 布団から出て、窓に近寄り、首を傾けて、ねじってみた……見えない。角度
が悪く、この部屋からはどうがんばっても無理そう。
 しょうがない、元気になったことにして、外に出てみようかな。
 そう考えた矢先、
「何だこりゃ――うわあぁ!」
 と、野太い声による悲鳴が轟いた。聞き間違えでなければ、あれは苫田さん
の……。じゃ、犯行を防ぐことに成功したんだ、あたし達。
 でも、ここまで届くような叫び声を、大の男が上げるなんて、一体? まさ
か、今朝になって、犯人が犯行に及んだ?
 悪い予感を打ち消そうとしても、無理だった。苫田さんの声が、続いて聞こ
えてこないのも気になる。居ても立ってもいられず、部屋を出る。管理小屋が
見通せる、ガラス張りのドアを目指して走った。
 ドアが見える位置まで来て、先客がいることに気付いた。呆然とした風に突
っ立っているその後ろ姿は、瀬野さんに違いない。
 病人らしくした方がいいかなと判断し、スピードを緩めたあたしは、静かに
近付いた。実際、走ったせいで顔が熱っぽくなってる。
 何が起きたのか、この目で見ようと、瀬野さんの後ろから覗こうとしたとき、
つぶやきが聞こえた。
「――天罰ってあるんだな」
 やっと聞こえるほどのごく小さな声だった。もしかしたら、聞き間違いかも
しれないんだけれど……。
「あの」
 声を掛けたのと、瀬野さんが一歩を踏み出したのとはほとんど同時だった。
でも瀬野さんは立ち止まり、振り返ってくれた。
「何でしょう……おや、もう体調は戻りましたか?」
「横になってたら、苫田さんの悲鳴が聞こえて、気になって」
「ああ、それなら。ほら、ご覧なさい」
 何故か瀬野さんはにやりとしたかと思うと、ガラス越しに外を指差した。
 あたしは瀬野さんより前に出、ドアに手を当てる形になって外を見た。
「あ……苫田さんが転んで、尻餅をついてる」
 雪に囲まれた管理小屋、その戸口を出てすぐの地点で、苫田さんが両足を前
に投げ出すようにしてへたり込んでいる。転倒した際に強く打ったのか、左の
肘や手首の辺りをしきりにさする様子が見て取れた。
「ど、どうされたんでしょう」
 あたしは動揺を隠しながら聞いた。
「僕も瞬間を目撃したわけじゃありませんが、雪が積もってることに気付かず、
不用意に踏み出したせいで、転んだんじゃないですか」
 当たり前の答が返って来る。誰が見てもそう考えるだろう。
 あたしが降らせた雪で、苫田さんを足を滑らせ、痛い目に遭ったんだわ。犯
罪からは守ってみせたのに、これじゃあ……。
「彼を助けなければいけないので、これにて失礼します」
 瀬野さんが行こうとする。
 あたしは心に引っ掛かったことを取り去るために、急いで聞いた。
「あの! 瀬野さんがこのお仕事で苫田さんと顔を合わせたのは、昨日が初め
てですか?」
「よく分かったね」
 瀬野さんは今までになく、ざっくばらんに言った。
「この役目、元々は別の者の担当だったのですが、事故でそいつが動けなくな
りましてね。急遽代役に選ばれたのが、自分です。苫田さんとは事前に電話で
言葉を交わしたくらいで、どんな人物が分からず、不安もありましたが」
 途中で言葉を区切ると、瀬野さんは再び外に目を見やった。
「まあ、どうにかうまくやって行けそうです」
 そう言うと、これまでの穏やかな表情に戻り、瀬野さんはガラスのドアを開
けた。入り込む空気は、案外冷たくない。
 朝日がまぶしい景色の中、慎重だが大胆な足取りで、瀬野さんは雪の上を急
いで行った。

――Period3.終




元文書 #268 お題>雪化粧>ホワイトアクセスマジック 3   亜藤すずな
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