#213/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 04/01/31 22:54 (312)
覆水盆に帰らず 2 永山
★内容 04/02/10 18:14 修正 第2版
女子寮に戻った一ノ瀬達だったが、混乱を避けるためとの理由から、烏有、
桜井、周の男三人は立入りを禁じられた。彼らは寮生でないのだから、警察か
らすれば当然の措置であろう。
逆に、一ノ瀬は被害者の隣人とあって、歓迎された。が、学生食堂にいたと
分かると、そのムードはいささかトーンダウンした。
「では、何も見てないということだね。ううむ。しょうがない」
大庭顕(おおばあきら)と名乗った刑事は、一ノ瀬を明らかに子供扱いして
いた。事実、彼のような中年男性から見れば、子供だろう。
「じゃあ、被害者の人柄を話してもらおうかな。親しかったのかい?」
「とても親しいという訳じゃなく、世間話をする程度で。専門が違うし」
「すると、彼女の性格なんかは分からないか。怒りっぽいとか、お金に厳しい
とか……」
「お金にはみんな厳しいのが当たり前。怒りっぽくはない……けど」
さすがに逡巡する一ノ瀬。大庭はもちろん見逃さない。
「けど、どうしたって? ここ数日の間に、滅多に怒らない福水さんが怒って
いたとか?」
「数日どころか、ついさっき」
日本語にあまり長けていないせいもあって、一ノ瀬は駆け引きも何もなしに
話した。そもそも、彼女が話さなくても、福水と糸尾の仲の悪さ(水と油ぶり)
は、寮の人間なら誰もが知っている。
ともかく、見掛けた事実をありのままに説明すると、刑事は非常に興味を持
ったように頷いた。同僚の一人に声を掛けて、どこかにやらせた後、改めて一
ノ瀬に訊ねる。
「よく話してくれたね。他に、福水さんと特に親しい人を知っていたら、名前
だけでいいから教えてほしい」
益体のない心遣いを滲ませた刑事の目の前で、一ノ瀬は自分の頭を両手で押
さえた。考え込むポーズだ。
「いることはいるけど、夏休みだから寮生はほとんど帰ってるし、学園生もわ
ざわざ来てる人は、少ないんじゃないかなー」
「その辺は気にせずに、とにかく挙げてくれたらいいよ」
「いや、それはできかねる」
武士のような調子で云って、口にチャックの仕種をする一ノ瀬。刑事の苦笑
いを引き出した。
「君のような年頃の子が、友達や知り合いを思って隠すのは、よくあることだ。
云いたくないのならそれでかまわないよ」
「当然なり」
「ただ、一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあるんだ。“いとう”と
いう名前に心当たりはないかい」
「ポピュラーな名前だから、耳にしたことは何度でもあるけど」
「そうじゃなくて、そういう名前の人で、福水さんと関係ありそうな人はいな
いかってことだよ」
「どんな字を書くの?」
「いや、それは分からん。平仮名で書き遺してあったからねえ。まあ、よくあ
る『伊藤』だと思うんだが」
宙に指で字を書きながら、刑事は答えた。それから、はっとしたように口を
覆い、咳払いを重ねる。
「あー、福水さんが書き遺したんだねっ。ふみふみ。それが恐らく、犯人の名
前と警察は見てる……」
「ごほんごほん。今のは内緒だよ。他人には話さないように」
「ミーが把握してる限りじゃあ、寮に『いとう』さんはいない。学園生全体で
は分からないけど、知り合いにはいないなあ。教職員の中にいるかもしれない
し、結構広範囲だなっ。でも検索すればすぐ分かる」
「検索?」
「名簿ぐらいは公開してる。学年と専攻と名前のみだけどさ。学園内の端末を
使える人なら、誰でも見られるよ」
「我々でもかね」
「IDとパスワードが付与されてない人には無理。ハッキングするなら別だけ
どねっ。あ、先生の分はまた別。外部からでも楽々接続可能」
「分かった分かった。では、我々から学園側に依頼すると、色々と手順があっ
て時間が掛かるかもしれないから、手間を省くために、君に検索をやってもら
おうかな」
「合点承知ー」
一ノ瀬は表面上、嬉々として請け負った。
「で、どうだったんだ?」
桜井は自分の前の使い捨て容器を脇に退けると、テーブルに覆い被さるよう
にして身を乗り出した。今、一ノ瀬から事後報告を受ける形になっている桜井、
烏有、周の三名は、ずっと学生食堂で待っていた。
既に陽が傾き、学生食堂の閉店時間が来てしまったため、場所をファースト
フード店に移した結果、内密の話をするのに声の大きさに気を使わなくていい
環境ができあがった。周りは中高生らしきグループでいっぱいだ。
「俺の記憶に、伊藤という名前はないな」
「うん。学園全体にもそれが当てはまった。検索してみたら、一人もヒットし
なかったよ。学園生も教職員もね」
「職員て、教師以外の仕事で働く人も含むという意味かい? そこまで調べら
れたんだっけ?」
烏有がさも意表を突かれたという風に、唇を尖らせる。一ノ瀬は首を横に振
った。話し言葉も一気に軟化。
「驚かしてごめんにゃ。職員のことは、刑事さんが教えてくれたんだよん。情
報の物々交換」
「なるほどね。学園も完全に内部の人間に関するデータなら、警察に提供する
のにやぶさかでないと。警察に通報したんだから、協力は当たり前ってことか
な」
「それよりさあ、ミーは犯人像が朧気に浮かんだんだ。聞いてくれる?」
蓋付きの容器に差してあるストローで、中を景気よくかき混ぜ、一ノ瀬は皆
を見つめた。周が真っ先に「ぜひ聞きたい」と反応した。残る二人も頷く。
「うちの校内や寮内に、全くの無関係者が」
「ちょっと待って。無関係者って何だい?」
烏有は眉根を寄せた。真剣に考えているのではなく、一ノ瀬の単語の選択の
おかしさに、半ば呆れているのかもしれない。
「だから、無関係な人。関係者でない人だよっ」
「部外者、だね」
「そうそう、部外者。部外者が寮内に忍び込むなんて、不可能だよね。うちの
システムから云って」
「特殊な訓練を受けた者なら、可能かもしれない。あるいは一ノ瀬のようなや
つがハッキングをして、防犯システムを一斉に切ってしまえば、侵入は容易い
だろう」
周が生真面目な口ぶりで意見すると、一ノ瀬は頭を掻いた。身体を撫でる猫
の仕種を連想させる。
「むー、これはミーの云い方がまずかったかにゃ。犯行時刻は午後三時からの
三十分間てことになってるんだけど、そのちょっと前、ごく短時間の内に、タ
イミングよく侵入できた人は、まずいないってこと」
「それなら分かった。要するに、容疑者が限定されるのだな。動機の面を一切
無視して、そのとき学園敷地内にいた人間の中に犯人がいる」
「そうじゃないよん」
腕組みをした周の言葉を、一ノ瀬は否定、いや、訂正に掛かる。
「事件は寮で起きたのだから、牛島さんの目をかすめて中に入れる人がいない
限り、容疑者はさらに絞り込める」
「おお。すっかり忘れていた。男子寮は出入りが自由なもので、そこまで思考
が及ばなかった」
「女子寮だって、女子の出入りに書類チェックはないよ。けど、牛島さんがず
っと見てるからね」
「それで、牛島さんが目撃した人物は誰と誰と誰だ?」
桜井が気負い込んで聞く。が、一ノ瀬は「そこまでは教えてもらえなかった」
とこぼし、萎む風船に似て、ふにゃふにゃと項垂れた。
「何だ。だったら、犯人を見つけようがないじゃないか」
「でも、寮生以外は出入りしなかったみたいだ、とだけ教えてくれた」
「恐らく、状況は大して変わらないな。寮生ならずっと寮に留まっていておか
しくないのだから、慌てて逃げる必要がない」
「そうかなあ。とにかく進めるよっ」
「その前にもう一つだけ、教えて欲しいことがある」
喋り出す寸前の一ノ瀬を、烏有が慌て気味に押し止めた。
「牛島さんが遺体を発見した経緯は、聞いてるかい?」
「うん。三時半を少し過ぎた頃、管理室に電話があって、一〇二の福水さんを
呼び出して欲しいと頼んできたんだって。それで牛島さんが館内放送で呼び出
しを掛けたが、姿を見せない。牛島さんは、福水さんが寮を出ていないはずと
記憶していたので、わざわざ足を運んだんだ。すると……って訳」
「ありがとう。よく分かったよ。でも新たな質問ができた。目を離した隙に、
犯人が寮を抜け出た可能性はどう?」
「何とも云えませんにゃー。刑事さんもそーゆーことは何にも話さなかったし。
どうやって入ったかの問題もあるし、今のところは、取り立てて重視しなくて
もいいんじゃないかな」
「了解した。邪魔したね。一ノ瀬君の意見を聞かせてくれ」
烏有が微笑みながら促す。一ノ瀬は腕捲くりの仕種をした。
「そんじゃまあ、ずばっと。改めて断るまでもなく、犯人は学園の関係者の中
にいる。一方、学園関係者に『いとう』なんて人がいないにも関わらず、福水
さんは『いとう』と書き遺した。この二つを矛盾なく結び付ける理屈は何?
はい、桜井クン」
中学教師みたいに、いきなり指差した一ノ瀬。桜井はどぎまぎする様子もな
く、考え考え喋り出す。
「うーん……そうだな。犯人の名前ではない、という可能性は端から無視して
いいのか」
これには烏有が、「死に瀕した人が、犯人以外の名前を書くとは考えにくい」
と述べた。が、すぐさま言葉を付け加える。
「被害者が犯人の名前を知らなかった場合は、書きようがないから、他の何か
で犯人の特徴を表すということはあり得るね」
「大きく『いとう』と書かれた服を着ていたってか?」
「ないだろうね。アルバイトで店のロゴ入りの制服を着ていたという目もある
けれども、この辺りに、『いとう』と名の付く店はなかったと思う」
「そういった名称以外で、『いとう』から連想できる物事はあるだろうか」
周は自問自答のように口中でぶつぶつ云い、やがて「ないな」と結論づけた。
「僅かにあるとすれば、自分のよく知らない国の言葉だろう」
「福水さんは日本語の他は、英語がまずまず得意だったように記憶している」
烏有が上目遣いに云った。
「でも、英語の隠語か何かなら、アルファベットで書くのが普通だ。故あって
平仮名で書いたにしても、英語で『いとう』……思い付かないね」
「書きかけということはないのか? 日本語で、『いとう』何たらと書こうと
して、途中で息絶えたってやつだ」
桜井の呈した疑問に、皆が首を傾げる。四人の内に、自信を持って答えられ
る者はいないようだ。埒が明かないので、烏有が自前の電子辞書で調べる。一
分と掛けずに答は出た。
「糸魚、糸打がある程度だね。動詞の『厭う』もあるが、これら三つのいずれ
も意味が汲み取れない。ねえ、一ノ瀬君。読み間違いはないのかな?」
「あ、それはないと思うよー。現場にあった字を、実際に見せてもらったから。
あれは『いとう』以外に読みようがないっていうのが、マイ判断」
「ならば、結論は一つ」
烏有の宣言に、桜井が、え?と声を上げる。
「もう絞れたのか」
「多分ね。『いとう』と書いたのは、被害者ではない、別の誰かだ。そしてそ
いつこそ犯人であると思われる」
「……考え方としちゃ面白い。罪を擦り付けるという動機もある。認めるとし
よう。だが、学園の関係者である犯人が、学園にいない『いとう』を書くか?
擦り付けようにもその相手が透明人間てことになるぜ」
「確かに。そこで行き詰まる」
あっさり白旗を掲げた烏有に代わり、今度は周が口を開く。
「犯人は『いとう』とよく似た名前で、文字をそのままにしておくと自分が疑
われると判断した。そこで手を加え、『いとう』にしたという見方はどうだろ
うか?」
「よいアイディアだと思うけど、どんな字にどう手を加えて、『いとう』にな
るの?」
にこにこしながら、一ノ瀬が訊ねる。周は顰めっ面をなし、顎をさすりなが
らゆっくりと応じた。
「自分は日本の人名に詳しくないからよく分からないが、『さいとう』や『な
いとう』では無理なんだろう?」
「うん。一文字加えるんじゃなくて、消さなくちゃならないねっ」
「ならば、『かとう』は……無理だな」
宙に指で字を書きながら、周はますます難しい顔をした。先とは逆に、烏有
が引き継ぐ。
「たとえば『とうの』と書こうとして、『とう』まで書いて事切れたり、『う
しじま』と書こうとして、最初の一字だけで終わったりすれば、犯人が書き加
えて、『いとう』にすることはできるね」
「それなら、糸尾さんもありってことになるぜ。『いとお』の最初二文字だけ
で、力が尽きたとすれば」
乗り遅れまいとしてか、桜井が強い調子で云った。
そんなみんなの様子を、一ノ瀬は依然としてにこにこと見つめる。
「何か考えがありそうだね。こここそ、一ノ瀬君の主張の肝かな」
「そうだよん。ミーは、『いとう』全部を犯人が書いたと考えたのさっ。それ
にね、犯人は『いとう』が学園関係者にいると思い込んで、躊躇なく、さらさ
らさらっと書いたんじゃないかって」
「思い込んで……?」
眉間にしわを作ったのは桜井。その深さが、不可解さの度合いを物語ってい
る。普段の倍ほども力を込めていそうな腕組みをして、うんうん唸る。
烏有はテーブルの上で両手の指を組み合わせて、静かに考えている様子。冷
静な態度を装っているが、一ノ瀬の考えに追い付けないのは、彼にとってかな
り悔しいことのはずだ。
周は、試されるのは好きじゃないとばかりに、沈思黙考を早々に放棄し、一
ノ瀬に質問をぶつけてきた。
「ずばり聞くが、一ノ瀬。君は、犯人像ではなく、具体的な名前を犯人として
思い描いているのではないのか」
「うーん、一応ね。でも、決定的なものはないよ。他にも当てはまる人がいる
かもしれないから」
「まさか糸尾さんではないな? 彼女が犯人なら、『いと』と書かれたのを改
竄しようとはせず、読めなくするに違いないし、罪を擦り付ける相手に『いと
う』なんていう自身の名前と似た、紛らわしい名前を選ぶとは考えられない」
「うん。ミーも同感。糸尾さんじゃないね」
このやり取りの直後、烏有が面を上げた。音を立てずに両手のひらを合わせ、
「ああ、そうか」と呟く。
「分かった気がするよ、一ノ瀬君」
「何なに? 云ってみてちょ」
促すと、既に空になったコップを傾け、溶け出した氷水をストローで吸い上
げる一ノ瀬。烏有もまた、飲み物で喉を潤し、やおら話を始めた。
「犯人は、糸尾さんを『いとう』さんと思ったんだ。恐らく、聞き間違えてね」
「聞き間違えたって、糸尾さんのことを知っていれば、間違いようがないだろ」
桜井の指摘を、烏有はまず大きな首肯で受け止めた。
「そこから一歩、論を進めればいいんだよ。犯人は糸尾さんのことを全く知ら
ず、今日、初めて彼女の名前を耳にした。だから聞き間違えた、とね」
「むむ……」
やり込められ、黙ってしまった桜井。烏有の見解で当たっているのか否を問
うように、一ノ瀬に目を向けた。
だが、彼女は何ら声に出さず、桜井から受けた視線を、烏有へとスルーした。
「糸尾という名字は珍しい部類に入ると思う。少なくとも、『いとう』よりは
マイナーだろう。聞き間違えても無理はない。だが、それが大きなミスにつな
がった。犯人は存在しない『いとう』さんに濡れ衣を着せるべく、無駄な手間
を掛けたとことになる。さて、では何故、犯人は敢えて『いとう』と書いたの
か。他の名前でもよかったんじゃないのか」
「糸尾さんに罪を被せたかった……?」
どこからどう見ても自信ありげな態度の周が、自信のない口調で訊ねる。
「その通り。糸尾さんが犯人であるように細工すれば、警察の捜査の目は確実
に彼女に向く。そう確信していたんだね。そして今日、何者かが糸尾さんに対
し、そのような確信を抱く可能性のあった場面を、僕らは一つだけ知っている」
「あの口論か」
桜井が云った。感嘆の響きがあるのは、遅ればせながら全てを悟ったものと
見える。烏有は力強く頷き、一ノ瀬に「最後まで云っていいのかい?」と聞い
た。
「いいよん。真実を射抜いてるかどうかなんて、まだ分かんないからね。こう
いう役目は、他人に押し付けるのがミーの主義!」
「やれやれ。あと少しだけなのにな」
肩をすくめ、それでも推理を再開する烏有。
「福水さんと糸尾さんの口論を目撃した面々で、糸尾さんの名前を正確に把握
していなかったと考えられる人物は、唯一人。伊豆野倫、あの人だけだね。他
にも条件に当てはまる人がいないとは言い切れないが、僕らの手にある事実か
ら導き出せる結論は、こうなる」
「烏有さ〜ん、握手っ」
一ノ瀬が両手を前へいっぱいに伸ばすと、烏有も右手だけ差し出した。テー
ブルの上に架かった腕によるブリッジに、桜井も周も苦笑いを浮かべる。そう
でもしないとやってられない雰囲気になっていた。
「だが、あの人が何故、福水さんを殺すことになったのか、動機が全く分から
ない。想像すらできないね」
烏有はそう云って座り直した。一ノ瀬は立ったまま、彼を指差す。
「動機は確かに謎として残るけどさ。その前に、烏有っちともあろう人が、大
きな見逃しをしてる」
「え?」
目が泳ぐ烏有。早く気付こうと、脳細胞を必死にフル回転させている、そん
な感じが窺えた。
「……自分は分かったつもりだが、いいか?」
シューが肩の高さまで手を挙げる。烏有はしばしの間を置いた後、「仕方な
い」と、全身から力が抜けたのか、背もたれに身体を預けた。
「犯行時間帯に、寮母の牛島さんが目撃した人物の中に、伊豆野という人はい
なかったのではないか。何故なら、その時間帯、寮生以外で寮に出入りした者
はいなかったと証言しているようだから」
「……すっかり失念していたよ。これのことかい、一ノ瀬君?」
「そうだよん」
一ノ瀬の高い声による返答に、烏有は左肘を突き、その手のひらを頬骨に当
て、こめかみ付近を指先でしきりに刺激した。だが、悩みの姿勢はすぐに解除
された。
「難しく考える必要はないな。伊豆野さんが一〇一号室に入った際、こっそり
と窓のロックを解除していたと想定すれば済む。急用を思い出したと口実を云
い、僕らと別れた彼女は、寮に引き返すと裏に回り、鍵を開けておいた窓から
忍び込んだんだろう。現場を去るのも、同じ窓から出ればいい」
「てことは……端から福水さんを殺す、計画的犯行だったのか」
「恐らく。動機面から容疑者と目されても、寮に出入りしていないことを牛島
さんに証言してもらって、アリバイ成立という狙いだったんだろうね。小細工
が命取りになった訳だ」
「もしかすると、伊豆野何とかというのは偽名かもしれないな。捕まえるのに
難渋しそうだ」
周が云った。普段は通称を用いているだけに、他の三人よりも敏感なのかも
しれない。
だが、心配は杞憂に終わった。一ノ瀬が、
「ああ、それは多分ないよっ。検索のとき、ついでに調べたんだ。伊豆野倫て
人は在籍してる。知っての通り、写真付きじゃないんで、断言はできないけど、
嘘を吐いてたら、いざアリバイ証明してもらおうってときに不利っていうか、
不審を抱かれ兼ねない。まず本名だと思う」
「なら、警察に早く云った方がいいんじゃないか。間違ってるようには聞こえ
なかったからな」
ぐずぐずするなら自分で警察に駆け込もうというのか、腰を浮かす桜井。そ
んな彼をとどめたのは、“猫”の一声。一ノ瀬は目を細め、軽く握った右手を
くいと曲げ、こめかみの辺りに当てた。
「慌てるにゃー。とっくに伝えたよん」
「何? 自信ないから、推理を俺達に聞いてもらったんじゃないのか」
「その通り党略。自信ないけど、警察には話しておいたのさっ。電話急げって
云うもんね」
「『電話』じゃなくて、『善は』!」
三人から――周からさえも――声を揃えて突っ込まれた。
警察のその後の調べにより、夏期休暇に入っても福水が帰省しなかったのは、
伊豆野との約束があったためと分かった。一人の男を巡って、彼女達の間では
確執が密かに高まっていたらしい。隣部屋になると決まったのを機に、福水は
話し合うつもりだったのに対し、伊豆野は短絡的に感情を爆発させた結果が、
事件となった。秀才も人並みの悩みや感情を持っていた訳だが、人並みの解決
策は思い付かなかったことになる。
――終