#72/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 02/04/21 23:09 (391)
私の出逢った名探偵 1 永宮淳司
★内容 02/04/30 00:56 修正 第2版
ここに記す事件は、私が地天馬鋭と初めて逢ったときの物語である。
振り返ってみると、あれから十数年が経過している。そう考えると、何もか
もが懐かしく思い出される。
あの頃、私も若かった。今以上に愚かでもあった。初めての殺人事件に冷静
さをなくした挙げ句、失敗し、周りの者に多大な迷惑を掛けた。
本来なら、誰にも知られたくない話である。
だが、随分と時が流れた。いささか自虐的ではあるが、事実を包み隠さずに
綴ることとしよう。
あれは、そう、私が学生時代の仲間四人とともに二泊旅行に行った先での出
来事だった。旧交を温めるだけのはずが、大事件になってしまった……。
五人で細い野道を行くと、突然、前が開けた。抜けるような水色をした空と
深い青を宿した湖面、そして緑萌える山々を背景に、洒落たログハウス風の白
い建物があった。
「凄くいいところじゃないか」
そう言って楠田勝夫は足を止め、眼鏡の位置を直した。山と湖の描き出す雄
大な風景を確かめるかのごとく。ペットショップを経営する彼の目に、自然は
動物達の宝庫に映るのかもしれない。
「でしょ」
当たり前と言いたげに、遠藤貴子がうなずいた。もっとも、彼女自身は、別
荘の豪華さを誉められたのだと思い込んでいる様子が窺える。到着するまでの
車中で、散々自慢話を聞かされたものだ。
「風景もいいけれど、早く入りましょうよー」
吉口志保が、さほど大きくないバッグを両手で持ち、呼吸を乱しながら言っ
た。其の腕や、短パンからすらりと伸びた足の肌は白く、外出機会の少ない今
の生活を代弁するかのようだ。
「そうだな。俺もひと休みしたいよ。寝不足だし」
言葉通り、欠伸をかみ殺す仕種をしたのは、房村良二。髪をきれいにセット
し、濃いサングラスを掛けているため、強持ての二枚目に見えるが、実際は少
少垂れ目気味の柔和な男だ。ギャンブル好きなところも昔と変わっていない。
それどころか、趣味を商売にまでしてしまった。
「あ、今の内に言っておきます。麻雀の相手は遠慮申し上げますからね。やる
のなら、皆さんだけでやってください」
吉口は、立ち止まっているのが我慢できなくなったか、先に歩き始めた。
「そうだな。男三人は問題ないとして」
ギャンブル評論家を生業とする房村は、私と楠田を一瞥し、最後に遠藤を見
やった。
吉口に続いてすでに歩き出していた遠藤は、房村の視線に感づき、肩越しに
振り返る。
「嫌いじゃないけれど、指先が汚れるから、あんまりしたくないのよね。みん
な、手袋をしてくれないかしら」
「手袋なんかしたら、やりにくくてたまんねえや」
お手上げのポーズをした房村。学生時代、彼は盲牌が得意だった。当然のご
とく、先積も禁止令が出たものだ。
「そんなこと言わずに頼むよ。宝石、儲かってんだろう? ちょっとは回して
くれ」
「負ける気なんて更々ないんだけれど」
ジュエリーデザイナーとして成功した遠藤に、麻雀はあまり似合わない気が
する。だが、生来の賭け事好きは、彼女もまた昔のままらしい。人生の賭けに
勝って、自らの店を持ち、別荘を購入できるほど儲けたのだろう。
「儲けていると言えば、作家先生の稼ぎはどの程度?」
遠藤は遠慮が微塵もない口ぶりで、私に聞いてきた。
「夢の印税生活、左団扇ってとこかしら」
「冗談! まだデビュー一年ちょっと。新人と変わらない。むしろ、忘れられ
ないよう、馬車馬のごとく必死に書いてるさ」
「だから、旅先にまでそんな物を持って来たのか」
楠田が私の手荷物に顎を振る。ノートパソコンだ。
「いや。締切に追われてるような仕事は、今はないんだ。旅先で環境が変わっ
たら、グッドアイディアが閃くかもしれないと思ってな」
「バッグの方も大荷物だけど、中身は本? ライバル作家の本を読んで研究?」
遠藤が私のバッグをさすりながら言った。手の感触で本の角が分かったのだ
ろうか。
「本は本でも、小説じゃないよ。他人の作品を読んでる暇があったら、自分の
知識を深めたいからね。全部、資料さ」
「ご苦労なこった。その点、志保は気楽でいいよ」
楠田はそう言うと、今度は吉口に顎を振った。家事手伝いに収まっている彼
女は、もう別荘の玄関先にたどり着き、座り込んでいた。
あれだけ疲れた様子の吉口が、いざ家事となると、水を得た魚となって、て
きぱきと動いた。夕食時、おかず四品を手際よく作り、テーブルに並べる様は、
調理に無縁な私なぞには、魔法にさえ見える。
対照的に、遠藤はさっぱりだった。人間には得手不得手というものがある。
家事全般、特に料理に関する無能力を自覚し、何もしないでいる分、彼女は利
口であると言えよう。
「ぼちぼち、やるとするか」
手つきで麻雀の準備を促したのはギャンブル評論家ではなく、楠田の方だっ
た。昼間、テニスやディスクゴルフを楽しんだときも、どうも本気を出してい
ないように見えたが、夜の麻雀に備えて皆を疲れさせ、自分だけ体力温存する
作戦だったのかもしれない。そんなことを考えた。
「私、やっぱりパスするわね」
突然、遠藤が言い出した。訳を尋ねると、右の手を突き出し、甲をこちらに
向ける。
「爪が割れちゃったのよ」
中指を押さえた彼女。なるほど、切ってやすりを掛けた痕があるが、爪のよ
り深いところにひびが残っている。
「おいおい。ここまで来て三人麻雀をしろってか。そりゃないよ」
いわゆる本気モードに入りつつあった房村は、気抜けしたようにソファに倒
れ込んだ。その手前に立つ吉口に、私は目を向けた。
「じゃあ、すまないけど」
「嫌です。学生時代で懲りましたから」
「凝ったのなら、今やってくれよー」
楠田が子供っぽく言い、作り笑いを浮かべた。吉口はしばし考える風に目を
寄せ、やがてため息をつく。
「『こり』違いですっ。昼間知り合ったあの人達に電話して、頼めばいいじゃ
ない? 麻雀が好きそうな顔をしていたわ」
「そうかな」
昼間知り合ったあの人達とは、この別荘の近くにあるペンションの泊まり客
二人のことを差す。ともに男性で、一人は若い感じ(と言っても我々と同世代
だろう)のちょっと異国風の二枚目。もう一人は五十代手前の、愛嬌のある顔
をした釣り人。この二人もここに来て知り合ったそうで、釣りをしていた中年
男性に、若いのが声を掛けたらしい。そんな彼らに、さらに私達が近付いたと
いう成り行きだった。
「きっとそうよ。あの背の高い人はともかく、釣りをしていた人は絶対にそう。
部屋番号、聞いてたでしょ。私、一応、メモをしたんだから」
手帳を取りに部屋に向かおうとする彼女を、私は呼び止めた。
「確かに、明日昼にバーベキューをやるから遊びに来ませんかって言ったけれ
ど、それは社交辞令ってやつだろ」
そうして、社交辞令を発した別荘の持ち主へと視線を転じた。
「あら。私は大歓迎よ。はっきり言って、ペンションなんかよりは、ここの方
が快適。自信あるわ。距離は近いんだし、予定を早めて呼んでみたら?」
「……やれやれ。ここの主人たる君がそう言うのであれば、口出しする立場じ
ゃないなあ」
私はあきらめ、椅子に座り直した。
顔見知りする質ではないし、あの若くて背の高い男とは、もう少し話がした
いなと思わないでもない。だが、初対面の人を麻雀に引き込むのは感心できな
かった。と言うよりも、私自身が嫌なのだ。少額と言えども金の絡んだゲーム
を、よく知らない相手とすべきではないと思う。
「電話、誰がする?」
手帳を持って戻って来た吉口が、当該ページを開いたまま、他の者を見つめ
る。吉口は我々の中では人見知りする方だった。
「じゃ、俺が」
ソファからむっくりと起き上がり、房村は手帳を受け取った。ペンションの
電話番号を遠藤から教えてもらうと、電話機の前に立つ。部屋番号を確認する
風に口の中で繰り返してから、送受器を持ち上げ、ダイヤルし始めた。部屋番
号の数から言って、先に若い方の部屋に掛けるつもりだと知れる。
程なくしてつながり、二、三のやり取りがあって、不意に房村が叫んだ。
「え! あの人が刑事?」
刑事と聞こえて、私達四人もびっくりした。電話機のある方向を注視する。
どうやら、釣り人は刑事が本職らしい。
「はあ、そうですねえ。あの人を誘うのはやめておきます。そうとなれば、チ
テンマさん、来てくださいませんか。お願いしますよ」
あの男はチテンマという名前らしい。変わった名字だ。どんな漢字を当ては
めるのだろう。普天間なら聞いたことがあるが。
「は? ああ、言われてみればそうですかね。あなたを誘って、あちらを誘わ
なかったと知られたら、変に勘ぐられかねない……。刑事さんが酔って熟睡し
てくれてたらいいんですがね。そこまでは分からない? それはごもっとも」
交渉は難航の模様だ。ひょっとすると、チテンマ氏自身も麻雀が好きでない
のかもしれないなと思う。麻雀が好きなら、刑事の存在など放っておいて、こ
こに駆け付けておかしくない。
最終的に私の予想通り、誘いを断られてしまった。代わりにという訳でもな
いが、明日の朝九時頃に中間と連れだってお邪魔するとの話がまとまった。
この夜は結局、遠藤に充分なハンディを付けることを条件に、入ってもらっ
た。勝敗については記すまい。覚えていないのだ。
午前〇時を回って、学生時代と違ってあまり無茶も利くまいということで、
麻雀そのものはお開きになった。
「私はそろそろ休まないと、保ちそうにないわ」
半日、こまめに働いてくれた吉口が、最後の食器洗いをしたあと、そう言っ
た。
「あら。このあと、かーるくトランプでもしようと思っていたのに」
爪を気にしていた遠藤が、それをやめて吉口を見上げる。
「トランプなら好きだったでしょ?」
「そうだけど、もう眠くって。急に疲れが出たみたい」
目をこすりこすり、吉口。その様子を見て、私は口を挟んだ。
「無理に引き留めても仕方がない。色々してくれたありがとうな。明日は、い
や、もう今日か、今日は志保のために使うとしよう。な?」
同意を求めると、他の三人もうなずいた。
でも当人は「気を遣わなくっていいって」と笑った。
「みんなと久しぶりに一緒にいるだけで楽しいし、家事が習慣みたいになって
るから。――とにかく、今はお休みなさい。また明日ね」
欠伸を手のひらで隠しながら言うと、彼女は与えられた部屋に向かった。
「どうする? トランプ?」
「やめましょ。今やっちゃうと、志保がいるときには飽きてしまってる」
鶴の一声で、トランプは延期。グラスを傾けつつ、昔話と近況報告に花を咲
かせる形になった。
「ねえ、房村君。テレビや雑誌に出るようになって、だいぶ羽振りがよくなっ
たようだけれど」
「まあね。親の遺産を食いつぶしつつ、ぼちぼちやってる。テレビは案外安い
な。雑誌で文章を書き飛ばした方がよほど実入りがいい」
「そんなことはどうでもいいのよ。海外への買い付けに同行したとき、ちょっ
と変な噂を耳にしたのよ、私」
意味深に目を細める遠藤。房村は無言でグラスの縁に唇を当てた。遠藤はや
や大儀そうに身を乗り出した。
「破産じゃないかってぐらい大負けした日本人がいたんですって。何百万、何
千万どころじゃなく、何億っていう単位で。あ、もちろん向こうの通貨単位だ
けどね。これ、房村君でしょ?」
「……何でそう思う?」
「特徴を聞いたし、あだ名が“RYO”だって現地の人が言っていたわ。日本
で大きな顔をしてるギャンブル評論家が、外で大負けしているなんて、笑っち
ゃうと言うよりも、情けなくなったわ」
「別にいいだろ。日本はまだまだギャンブル後進国さ。俺ぐらいがトップでち
ょうどいい」
自虐的な物言いのあと、同じく自虐的な笑みを浮かべた房村。こういうとき
は、サングラスがよく似合う。
「でも、大げさに言えば、日本の恥よ」
酔っ払っているのだろうか。遠藤の口は、今日は特に悪いようだ。それとも
普段がこのレベルになったのかもしれない。久方ぶりの再会故、分からない。
「恥と来たか」
静かにつぶやく房村。グラスを握る手がかすかに震えたが、感情の爆発はこ
らえられたようだ。
「ギャンブル自体、恥のように見なすところがこの国にはあるよな。何故だか、
泡銭を嫌う。賭け事だけじゃない。株式しかり、宝くじしかり、儲けた奴を浅
ましい目で羨むのさ。いや、君のような成り上がり者も嫌われるよな」
グラスを持った手で遠藤を示す房村。
「何ですって。言うに事欠いて、成り上がりだなんて」
「俺が言ったんじゃない。世間がそう見るって言ってるだけだぜ。怒るってこ
とは、自覚あるんだろ?」
「あなたねえ、使ったお金の穴埋めに、何やら怪しいことに手を出してるよう
だけど?」
「よさないか」
楠田が両手を横に広げ、たしなめる。
「久しぶりに会ったと言うのに、これじゃあ、酒がまずくなる」
「あらら。悪いんだけど、やめないわよ。楠田君、あなたにも聞きたいことあ
るんだからぁ」
「……やめろと言っても聞かないんなら、聞こうじゃないか」
楠田が両足を広げると、太股に両肘を載せ、手でグラスを挟み込む風にして
持つ。氷が音を立てた。
「今の内に全部吐き出し合えば、明日には忘れられるだろう」
「それじゃ、遠慮なく。やっぱり外国で聞いた噂よ。単刀直入に言うと、楠田
君、輸入禁止動物に手を出してるでしょ」
「な……」
絶句する当事者。私も言葉をなくした。房村の件よりも深刻な話のようだ。
「我々が聞いていいのか」
思わず、そんな台詞を口走り、私は房村と顔を見合わせた。
「いいのよ。親友でしょ、私達。隠し事なしで行きましょう。志保がいない今
が、ちょうどいいタイミングなんだし。――どうして知ったのか、不思議そう
な顔をしているわね」
底意地の悪い笑顔を楠田に向けた遠藤は、実際にくすくすと声を立てた。顎
を天井に向けてグラスの中身を干すと、さらに言葉を重ねる。
「宝石をお買い上げになるお客様の中には、多趣味な人もいてね。お金持ちだ
から、使いたくなるのかしら。珍しいペットを欲しがる人もいるみたい。そん
な人の話を聞くと、一人の日本人の名前がよく出て来る。楠田君の名前じゃな
いわよ。でも、ちょっと興味があって調べてみたら、あなたのお店とつながり
があるじゃないの。表向きはペット用品の原材料を調達する会社だったけど、
すぐにぴんと来たわ」
「ニーズに応えただけだ。絶滅に手を貸すような無茶はしていない。売る相手
も慎重に選んでいる」
「昔はあんなに純粋な動物好きだったのが、今は金儲けの道具って訳ね」
「見解の相違があるようだ」
険悪さが増す。裏を明かせば、二人は学生時代、短い期間だが付き合ってい
たことがある。別れても友人関係が壊れなかったのだから、安心して見ていた
のだが、これでは恨み言の一つも噴出するかもしれない。
「その辺でいいだろう」
私は薮蛇になるのは覚悟の上で、仲裁に入った。恐らく遠藤は、私に対して
も何らかのネタを掴んでいる可能性が高い。さっぱり見当が付かないが……。
「君も告発するつもりはあるまい?」
「まあね。ただの憂さ晴らしみたいなもの。それじゃ、いよいよ最後に取り掛
かりましょうか」
案の定、遠藤は私に照準を合わせてきた。身構えると、全身に力が入る。
「私のこと、勝手にモデルにしないでもらいたいわ」
「はあ?」
予想外の言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような、とはこういうことかとよく
分かる。
「とぼけないでよ。デビュー作の『紫陽花の咲く頃』に出て来た浅木久美って、
そっくりそのまま私じゃない?」
「そっくり? フラワーアレンジメントの講師見習いの女性という設定だぜ」
「花と宝石を置き換えただけよ。あとはそっくり。容貌から性格から、何もか
もね。境遇まで一致してる」
「え? ということは……君、母親がいないのか」
「白々しい」
思わず相手を指差してしまったが、そんな自然に出た態度さえも、遠藤には
芝居と受け取られた。これはかなわない。
「散々酷い目に遭わせて、犯人かと思わせといて、最後でハッピーエンドにな
ったから、まあいいけれど。あれを読むの、本当に辛かったわ」
「偶然だ。境遇のことなんか知らなかった」
「とぼけないで認めたらいいのよ。モデル料をよこせって言ってるんじゃない
んだし。その代わり、あの作品を絶版にしてもらいたいの」
「絶版? 馬鹿な。冗談だろ」
「お生憎様。本気も本気。私の人生が切り取られて、人目に晒されてるのって、
堪えられないのよねえ」
妄想が入っているとしか思えない。アルコールが抜ければ、覚めてくれるだ
ろうが、問題なのは今の彼女をどうするかだ。
「絶版が無理なら、全面的な書き換えっていうやつでもいいわよ。そうねえ、
フラワーアレンジメントという職業はそのままでいいから、あのヒロインの容
貌、年齢、その他諸々を全て別の設定にし直して書くの。もちろん母親も健在」
「できる訳ない。受賞作にそんなに手を入れられないよ」
「あなたの腕前なら大丈夫よ。うふふふふ」
「冗談じゃあない。第一、登場人物の設定をそんなにいじったら、ストーリー
展開を変えざるを得ないし、トリックも元のままでは使えなくなる」
「それぐらい、考えなさいよ。プロの作家なんでしょ」
「何と言われてもだね、モデルにしてないんだから……。おおい、どうにかし
てくれよ」
私が男二人に助け船を求めると、房村だけが苦笑いを浮かべて腰を上げ、遠
藤の肩を押さえた。
「貴子さん、酔ってるな。いい加減切り上げて、寝るのが君のためだぞ」
その間に楠田は静かに立ち上がり、台所に行ったかと思うと、コップ一杯の
水を持って来た。それを房村に渡す。
「ほら」
水を与えられた遠藤は、存外素直に、そしておいしそうに飲み始めた。コッ
プを空っぽにすると、一息つき、まだとろんとした目で我々男三人を眺め渡す。
「言いたいこと言ったから、まあまあすっきりしたわ。酔わなきゃ言えないで
しょうが、こんなこと」
「あ、ああ」
「安心して。もうこれっきりだから。それに、誰にも言わないから」
彼女の宣言により、ようやく空気が緩む。が、不意に面を起こした遠藤はに
んまりと笑って、最後にこう付け足した。
「多分ね」
嫌な思いをしたせいで、なかなか寝付けなかった私は、遠藤には黙ってブラ
ンデーを持ち出し、ストレートで飲んだ。アルコールの力を借りて、何とか安
寧を得られたが、代わりに深夜から明け方にかけての記憶が曖昧になったよう
だ。何時に部屋に戻り、布団に潜り込んだのか、全く思い出せなかった。
その割に、朝の目覚めは爽やかに訪れた。まるで映画かコマーシャルみたい
に、寝床で上半身だけ起こし、両手を大きく突き上げる。「ああー」と声が勝
手に出た。肩の荷が下りたような、清々しい気分である。
部屋のドアが慌ただしく叩かれたのは、ちょうどそのときだった。何か叫ん
でいるようだが、はっきり聞き取れないし、誰の声かも分からない。
私が布団から飛び出てドアの隙間から顔を覗かせると、楠田が立っていた。
呼吸が荒い。その後ろには、目を充血させた房村もいる。
「朝っぱらから血相を変えて、どうかしたのかい」
「よう、無事だったか」
「無事?」
「落ち着いて聞いてくれよ。遠藤貴子が死んでいる」
「……」
「頭から血を流して倒れていた。今、志保が一人でそばにいるんだが、早く戻
ってやらないと」
「ああ、分かった。すぐに行く」
私は一旦室内に引っ込み、上着を羽織って廊下に出た。まだ頭の中にもやが
掛かった状態だ。どちらかと言えば、早朝からの思わぬ知らせにかえって頭が
ぼんやりしてしまったようだ。
異変のあったリビングに着くと、仰向けに横たわった遠藤が嫌でも目に入っ
た。薄手の寝巻姿は、美人故に色っぽく見える。だが、間違いなく遺体だった。
「志保。大丈夫か」
跪いていた吉口はすっくと立ち上がり、無言のまま顔を我々の方に向け、そ
して両手で覆った。彼女の足下にはオレンジ色の毛布が置いてあった。
「掛けられなかった。怖くて」
蚊の鳴くような声で吉口が言う。私は手を伸ばし、毛布を拾うと、遺体の上
に被せた。
「誰が見つけたんだい?」
「志保だ。彼女が一番早起きしたからな」
私の問い掛けに答えるのは房村。
「早起きと言っても、午前七時ぐらいだったかな、俺が叩き起こされたのは。
遺体を確認したあと、楠田を起こし、さらにおまえを起こしに行ったという訳
だ」
「警察に知らせたのか」
「いや、まだなんだ」
「どうして? 事故だろ?」
「事故? 何故、そう思うんだ」
「だって……」
と、私は毛布を指差した。
「転んで、頭を打ったんじゃないのか。ほら、テーブルの角が、ちょうど当た
りそうな位置に来る」
「死因は俺もそうだと思うよ。後頭部をテーブルの角で打った。だが、事故か
どうかは分からないじゃないか」
「……つまり、誰かが突き飛ばしたと?」
房村は強く首肯した。
「立っていた位置から考えて、それが自然だろう。もしも転倒事故だとしたら、
彼女はテーブルのすぐそばに、テーブルに背を向けて立っていたことになる。
何のために? 推理作家のおまえなら、合理的な解釈を示せるか?」
「……分からないな」
酔いが残っているようだ。考えようとすると頭痛が激しくなった。元々、酒
に強い方ではない。
「しかし、事故にしろ事件にしろ、警察に知らせないと」
「本当にいいのか、それで?」
「……この中の誰かが、突き飛ばしたって言いたいのか」
「事件だとしたら、可能性はそれしかない。鍵はどこも開いてないんだ」
内部犯は間違いないところだ。房村はさらに悲観的説明を加える。
「仮に貴子が勝手に転んだ事故だったとしても、警察を呼べば、一応調べられ
る。運の悪いことに、俺達には動機がある」
「動機って……昨晩のあれか?」
吉口がいることを思い出して、具体的には言わずにおいた。房村と楠田がう
なずく。吉口自身も、朧気ながら聞かされたのだろう。特に質問を発すでもな
く、唇を固く閉じて成り行きを見守る。
「だけど、あれを動機と言われちゃあ、たまらないな」
「そりゃあ、俺だって同じだ。楠田ならまだ説得力あるがな」
「何だと」
いきり立つ楠田を、私と房村でなだめる。
「だからこそ、通報するかどうか、迷ってるんじゃないか」
「ああ、そうだよ。確かにそうだな。今のところ、自分が一番疑われるだろう
ってのは、予測できるよ」
投げ遣りに言うと、楠田は頭をかきむしった。
「私も疑われるかも」
ぽつりとつぶやいたのは、吉口。泣き顔も今や収まり、現実に直面した困惑
を代わりに宿している。
「何故?」
「警察なら調べたら、すぐ分かるわ。ついこの間のことなんだけれど、友達の
結婚式があって、母の大事なイヤリングを内緒で持ち出して着けて行ったの。
それをなくしちゃって……同じ物を買おうとしたら、凄く高くて、どうしよう
もないから、貴子に泣きついて助けてもらったわ。精巧なイミテーションを格
安で。そのことがあって、私、前にも増して貴子の言いなりになるようになっ
て……」
「心の底では、嫌だった?」
「いい気分はしないわよ。でも、もちろん、殺したいなんて思ったことない。
それどころか、はっきりもめていた訳でさえない。ただ、警察が信じてくれる
かどうか、自信を持てないから……恐い」
「四人が四人とも、動機ありと見なすだろうな、警察は」
私は他の三人を順に見つめながら言った。脅かすつもりはないが、重々しい
口調になる。
「だけど、通報しない訳にはいかないだろう。このまま遺体をどこかに隠して
も、いずれ見つかるだろうし、それ以前に、貴子の行方不明をうまく説明でき
るとは思えない」
「……そうだな」
私の意見に、皆が納得し、電話をしようと決めた矢先。
別荘内に、ブザーが鳴り響いた。
反射的に時計を見た。午前八時。
「まさか――もうやって来たか?」
みんなで顔を見合わせた。顔面蒼白とはこのことかと思った。恐らく、私の
顔を見た者も同じように感じただろう。
――続く