#5437/5495 長編
★タイトル (AZA ) 01/04/01 23:23 (199)
お題>失せもの探し 1 永山
★内容
車中、暖房を切ったままでいるには、少々厳しい季節になった。その上、ぐ
ずついた天候が続いている。
「絶対に、あいつが殺したに違いないんだ」
低く、枯れ気味の声で力説する安藤伴兵衛に、高本善一はどう返事しようか、
迷った。火を着けてからあまり経っていない煙草を、窮屈な吸殻入れに押し込
む。それを機に、高本は口を開いた。
「安藤さん、話を整理してみましょう」
「これ以上、整理のしようがあるかい。生田が加納を殺った。それだけだ」
「まあまあ。まず……安藤さんが、加納朱美を尾行していた。仕事で」
「そうだ」
「誰からのどんな依頼で尾けていたのか、教えてくれませんか」
「残念だが、そりゃあ無理だ。探偵には守秘義務ってのがある。昔ならいざ知
らず、今、おまえに話す訳にいかない」
「安藤さんは、警察の力が借りたくて、俺を呼びつけたんでしょう? だった
ら、教えてくださいよ」
「力が借りたいと言うよりも、おまえに手柄を立てさせてやろうと思ったから
さ。俺がその気になれば、一人で捕まえて、警察に突き出してやるよ」
後半に関しては、刑事時代の安藤の実力を知っているせいもあって、高本は
素直にうなずいておいた。ただ、それまでの話は簡単に受け入れられない。
「誰の手柄にするかなんて、どうでもいいじゃないですか。本当に殺しが行わ
れたなら、一刻も早く逮捕して……。そのために、状況を掴まないといけない。
安藤さんから話してくださいよ」
「依頼人の名は、口が裂けても言えん」
「じゃあ、依頼内容だけでも」
かつての部下に食い下がられると、安藤は意外とあっさり、話し始めた。
「何も特別なことはない。加納朱美の浮気調査だ」
「……加納は、既婚者ですか。それとも未婚?」
「馬鹿。そこまで話したら、依頼人が誰なのか想像できちまうじゃねえか。出
血サービスで話してやったのに、調子に乗るなよ」
「はあ、そうですね。で、生田ってのが、浮気相手なんですか」
「多分な」
珍しく、歯切れの悪い安藤を目の当たりにし、高本は眉間にしわを作った。
「多分とは?」
「確証が得られる前に、加納の姿が見えなくなっちまった。生田の別荘に入っ
たきり、出て来ない」
「それで、殺されたんじゃないかと、疑ってるんですね」
「さっきから、そう言ってるだろう」
「加納があの別荘に」
と、顎を振って、二階建てで灰色がかった外壁を持つ別荘を示す高本。気付
かれないように、かなり距離を置いて車の中から観察している。
「入って、今日で何日目になります?」
「明日で二週間。十日目でおまえさんに連絡し、今日やっと来てくれた訳さね」
「いきなり来いと言われても、すぐには動けませんよ。しかも食い物と煙草も
持って来いだなんて。それよりも、えーっと、つまり今日で十三日目ですか。
十三日間、全然見かけないんですね?」
「そうだ。この場を離れる訳にいかんから、さすがの俺も腹が減った。食料を
十日分しか積んでなかったんだ。携帯便所ならまだ余ってるんだが」
「準備がいいことで。しかし、ここ、いくら茂み越しとはいえ、ずっと車を停
めていたら、気付かれて、怪しまれるんじゃないですか」
「見つかっても、隠居老人がキャンプ三昧の日々を送っているように見せかけ
られるさ。まあ、無論、たまに移動してる。幸い、別荘までは一本道だから、
見張るための場所取りには事欠かない」
「食料で思い付いたんですが、生田だって、当然、食べ物を買い込んで来るん
でしょう? 量はどうです? 二人分あったのなら、加納朱美は健在だと……」
「それについちゃあ、何度か尾行して調べた。二日三日と経っても加納が出て
来ないから、怪しいと思ってな、徒歩で外出した生田のあとを尾けたんだ。少
し下ったところに、スーパーがある。行き先はそこだった。握り鮨に缶詰、パ
ンや即席麺、丼物のレトルトパック、飲み物は酒とコーヒーを買っていった。
保存の利く物は割にたくさん買っていったが、握りは一人前だった」
「うーん……失礼ですが、安藤さんの気付かない内に、帰ったんでは」
「それはない。俺が車で来たのは、加納も自分の車を転がしてきたからなんだ」
「じゃあ、どこかに加納朱美の車があるんですね? ここからは見えませんが」
「ああ。ちょうどこの裏側だ。すまんな、言うのを忘れてた」
「いえ」
高本は意外の念に囚われた。安藤が謝るのを初めて見たのだ。警察職を退き、
“探偵業”に打ち込むになった現在、だいぶ丸くなったのかなと想像する。
「ついでに聞きますが、生田自身は、車を持ってるんですかね」
「いや、奴は持ってない。免許証さえないんだ。というのは……」
しばし口ごもる安藤。高本は黙って待った。
「……依頼人に電話で報告をしたら、依頼人も生田のことを知っていた。生田
は自然に優しくありたいとうそぶいて、免許証を持たない主義だとよ。そう言
いながら、必要が生じたときはタクシーをばんばん利用してるらしいがな」
「生田って男は、何者なんです? 職業は……」
「放送作家とか言う仕事らしい。俺は知らないんだが、結構有名な奴だそうだ」
「放送作家で有名ってことは、売れっ子、つまりは金持ちなんでしょうね。別
荘を持っているくらいだし」
「よく分からん。ここを本宅にしてるように見えるね。依頼人の話じゃあ、生
田は都心からちょっと離れた土地に、立派なマンションの部屋を持っているそ
うだ。こっちの別荘は、執筆に集中するために使うとか何とか言っとったな」
「依頼人てのは、テレビ局の関係者ですね」
「おい、詮索するなよ」
「独り言です、聞き流してください。さあてと、ここからは独り言じゃないん
ですが、車の故障とは考えられませんか」
「故障だあ?」
「加納は車が故障し、修理工を呼んだが、すぐには直りそうにない。浮気相手
の家にずっといられるはずもなく、車を置いたまま、タクシーで帰った」
「なるほどな。だが、タクシーどころか、まともな車がここに入り込んだのを、
このおよそ二週間、見ておらん」
「そうですか……。あ、まともな車は入り込んでないってことは、まともじゃ
ない車が来たとでも?」
「まともじゃねえってのは言い過ぎだが、郵便屋がバイクで、日に何度か来た。
新聞の方はとんと姿を見ないから、恐らく取ってないんだろう。最近の作家っ
てのは、新聞も読まんのだな」
「多分、インターネットで事足れりとしてるんでしょうね。原稿だって、メー
ルかファックスで送ればいい訳だし」
「ああ、くそっ。そのインターネットとかメールとかいうのを聞くと、じんま
しんが出る気がする」
言いながら、安藤は実際に首筋をぼりぼり掻く。高本は息をつき、「すみま
せん」と謝っておいた。
「かまわん。何となく、いらいらするだけだ」
「携帯電話は使いこなされているのに、コンピュータの方はだめですか」
「携帯電話は、刑事やってるときに何遍か持たされたからな。嫌でも慣れちま
ったよ。必要が生じれば、俺だってパソコンぐらい、使えると思うんだが……。
話が逸れたな。俺が見張り始めてからこっち、郵便屋以外の訪問者はない。確
かに、俺も不眠不休という訳にはいかんから、知らない内に来た可能性は否定
しきれないが、見ろ、周りを」
窓外を親指で示す安藤。高本は一瞥をくれたあと、先輩の顔に視線を戻した。
「ぬかるんでるだろ」
「はあ」
「降ったり止んだりした雨のおかげで、ここいらはずーっと、泥遊び状態なん
だ。お日さんが長くは顔を出さないから、ちっとも乾かない」
「何者かが行き来すれば、足跡なりタイヤ痕なりが、地面に残るはずだと?」
「そうだ。俺や生田自身の足跡、郵便屋のバイクの他には、目立つ痕跡はなか
った。実質的に、誰も来ていないと見て問題なかろう」
「宅配や何かの料金徴収も来なかったと。要するに、出入りしたのは、生田本
人と加納朱美という女だけなんですね。それで、女の姿が消えた……怪しむに
足る状況ではありますね」
「だが、それだけだ。踏み込むほどの証拠がない」
「電話してみればどうです? 安藤さんに依頼した人なら、生田の電話番号を
知ってるでしょう。そして、加納の友人だとか何だか名乗って、彼女を電話口
に出してくれと頼む」
「なるほどな。だが、加納の知り合いと名乗るのは、どうかな。警戒させるか
もしれん。何故、加納のことを知っているのだ?となる」
「しかし、そうでもしないと、加納朱美を出してくれという口実が」
「いきなり加納の名をぶつけるのは、いかにもまずい。踏み込むのと変わらん」
「では、どうします? この程度の情況証拠じゃ、俺が戻って報告しても、動
きやしませんよ。安藤さんに言っても、釈迦に説法になってしまいますがね」
「おまえ、宅配屋に化けて、探ってくれんか」
唐突な話に面食らった高本だが、意図はすぐに飲み込めた。
(なるほど、宅配便を装えば、加納朱美の名を出しても、高本自身が怪しまれ
る心配はほとんどない。宛名に加納と記してあるのだと示せば、生田も――彼
にやましいところがあるとして――訝しみこそすれ、目の前の配達員を疑いは
しまい。それどころか、揺さぶりを掛けられる。なかなか、まっとうな手段だ)
「かまいませんが、このなりで行く訳にいきません。色々と準備が必要です」
高本は自らのコート姿を眺め下ろし、言った。
「配達員のユニフォームなら、何とか借り出せると思いますが……そうしたっ
て、実行できるのは明日以降になりますね」
「かまわん。やってくれるな?」
「いや、それならですね。我々が生田の別荘宛に、何でもいいから宅配便で送
り付けた方が、手っ取り早くありませんか? あっ、別に宅配じゃなく、郵便
でもかまわないか。近くに郵便局か、宅配を扱う店ぐらい、あるでしょう。と
にかく、本職に届けさせて、そのときの反応をこっそり窺うんですよ」
「……それもそうだな」
自嘲気味に苦笑いを浮かべると、安藤は自らの額を叩いた。
「はい? もしもし」
「俺だ。安藤だ」
「ああ、首尾はどうなってます? 昨日の今日で、もう届けられましたか?」
「奴さん、怪訝な顔をしながらも、受け取った。それで、どうしても気になっ
たもんだから、配達員のにいちゃんをつかまえて、話を聞いたんだ」
「え? そんなことして大丈夫ですか」
「生田の別荘からだいぶ離れてたんで心配ない。生田は『これと同じ名前の女
性なら知り合いにいる。一応、預かっておこう』と言って、受け取ったらしい」
「ははーん、微妙な言い回しだなあ。少なくとも、加納朱美と面識があること
は、認めたと言えますね」
「まあな。前進には違いない。しかし、俺も二週間ここにいて、目立ち始めた
ような気がする。そろそろ、次の手を打たんといかん。家宅捜査をできんか」
「生田が女を殺害したと匂わせる何かがあればできますが、現状では……」
「ならば……。生田が郵便に動揺して、今晩――真夜中辺り、行動を起こすか
もしれない。それを挙動不審として捕らえてくれ」
「うーん。確実性がありませんが、俺もどうにか暇だから、行けなくはないで
すよ。安藤さん、俺も今や家族持ちなんで。手柄の他にも、何か埋め合わせを」
「分かった分かった。それについちゃあ、考えておく。とにかく来てくれ。な
るべく早くだぞ。それに、目立たぬようにだ」
「昨日と同じようにしますよ。任せておいてください」
「ここに来るまでの間、考えていたんですが」
安藤の車に乗り込むと、高本は差し入れの買い物袋を渡してから、意見を述
べ始めた。自らも熱い缶コーヒーを一本、手の平で転がす。
「依頼人に報告ついでに頼んで、あの別荘に乗り込んでもらえないんですか。
そうすれば、中の様子が多少分かる」
「依頼人は、顔を出すのを嫌っているんだ。ここだけの話だが、誇り高いとい
うか見栄っ張りな男でな。加納の浮気相手に嫉妬したことは言うまでもなく、
女の行動に疑惑を向けたことさえ、表面に出したくないようだ。まあ、その心
情は理解できるが、ひょっとしたら女が殺されたかもしれないという状況で、
まだ自分の姿勢を取り繕うのは、いただけねえな」
依頼された意識が薄れつつあるのか、安藤はため息混じりに言い、首をすく
めた。缶コーヒーの口から立ち昇る湯気が、外の闇をバックに白く映える。
「ぼちぼち、天候が回復に向かうようですね。天気予報で言ってましたよ」
「そうだな。今夜か、遅くとも明日中に動いてもらわんと、見張りを続けるの
がいよいよ厳しくなる」
「……依頼人は、加納朱美が死んだんだとしたら、悲しむんですかね」
「表情には出さないだろう」
「いえ、俺が言いたいのは、もっと積極的な意味でして。依頼人はとうの昔に
加納朱美の浮気に気付いており、殺意を持っていたとは考えられませんかね」
「ほほう、随分、突飛な考えだな。奈良、加納朱美が死んだとしたら、それは
生田ではなく、依頼人の仕業と言いたいんだな」
火を着けた煙草を摘んだまま、指差してくる安藤。灰皿は、先ほど空けたば
かりの缶コーヒーだ。高本は即答した。
「そうなります」
「ふん。仮にそうだとしても、妙なことがたくさん出て来るぞ。特に、元刑事
の俺に尾行を頼んできたのは、おかしくねえか」
「それは……アリバイ作りとか」
「アリバイだあ?」
煙を吐き出すのに合わせて、高本の言葉を繰り返す安藤。車内の紫煙濃度が
一挙に高まったように思えた。
「一体、どんなアリバイが成り立つと言うんだ? 聞かせてみろ」
――続く