AWC そばにいるだけで 56−9   寺嶋公香


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#5406/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/31  23:15  (200)
そばにいるだけで 56−9   寺嶋公香
★内容
 目を開けると、ヒンズーシャッフルを始めた嶋田の姿があった。
「充分念じましたね? あとは同じだ。こうして切っているから、あなたは好
きなとき、ストップを掛けて」
 純子は少し考え、それから十二、心中で数えてからストップと言った。途端
に嶋田は動きを止め、左右の手を上下に大きく離す。
「間に、そのカードを入れてください。あなたのカードを」
 純子は嶋田の左手のカードの上に、スペードのジャックを裏向きに置いた。
そこへ嶋田の右手のカードが重ねられる。
「これだけなら、まだちょっぴり、不安が残る。もう少し、探してもらうとし
よう」
 カードの山をワゴン上に置いた嶋田。それを指差し、純子に穏やかに言う。
「カットを好きな回数だけ、してくれますか。あ、カットって分かりますか?」
「はい」
 純子は両手を使って、カードをカットした。今度は三回にした。
 カードから目を移し、嶋田を見上げると、マジシャンは満足げにうなずいた。
「これでいいんでしょうか」
「結構だね。いよいよクライマックスだよ。カード全体を表向きにしてほしい」
「私がやっていいんですか?」
「どうぞ、お願いします」
 純子の手で、カードの山は表向きにされた。一番下のカードの絵柄が見える。
ハートの七だ。何となく、いいことが待っていそうな予感を覚える。
「それじゃ、ゆっくりとカードを見ていきましょう。ただし、くれぐれもカー
ドの順番を崩さないように。何故なら、それはスペードのジャックがあなたの
好きな人を探り当てた結果を示しているのだから」
「は、はい……」
 場内も、いつの間にかしんとなっている。純子は静けさの中、手を伸ばし、
指先でカードを一枚ずつずらし始めた。
「まずは、あなたのカードであるスペードのジャックを探して」
 嶋田の指示がある。純子はカードを三分の一ほど動かした時点で、スペード
のジャックを見つけた。
「あ――ありました」
「取り出さなくていい。そのままにしておいて。スペードのジャックの次のカ
ードが、あなたの好きな人のイニシャルを表していると思う。見て、確かめて
ください」
 見せ場らしく、真剣で緊張感のある口調になる嶋田。純子も自然と緊張を覚
え、スペードのジャックをずらした。一際大きな黒いマークが見えた。
「――スペードの1」
 見えたままをつぶやく純子。嶋田は手の平を互い違いに合わせ、探るような
目つきと口調で尋ねてきた。
「1の別の言い方を、ご存知ですか」
「エースですか?」
「そう。スペードのエースということは、つまり、SとA。どちらが名前でど
ちらが名字かまでは分かりませんが――」
 嶋田の穏やかだが自信に満ち溢れた話し方が、揺らぐことなく続けられる。
「――あなたの好きな人のイニシャルは、これに当てはまりますよね?」
「はい」
 感じ入って、小さく、しかし明瞭に答えた。当てられたことや、スペードの
エースとジャックが隣り合わせになったことに、驚きとか不思議さとかはもち
ろん感じるけれども、それ以上に安堵する。
 どのくらい時間が経ったのか、感覚のなかった純子だが、嶋田から何か話し
掛けられ、我に返る。
「あ、ありがとうございます。こんなに嬉しいことって、本当に久しぶり」
「それはよかった。記念に、このカード二枚を差し上げましょう」
 くだんの二枚――二人のカードと表現してもいいかもしれない――を抜取り、
指先でつまんで観客の方へ示してから、嶋田は純子へと渡した。思わず、拝む
ようにして受け取る純子。
「言うまでもありませんが、大事にしてくださいよ」
「はい、もちろん」
「大切なのは、常に重ねておくことです。いつも、いつまでも、二人が仲よく
いられますようにと、願いを込めて」
 純子の手に、半ば無意識の内に力が入った。スペードのエースとジャックが、
ますます強く引っ付く。

 純子がステージを降りたあとも、嶋田はいくつかのトランプマジックを披露し、
最後に大がかりなイリュージョンで締めくくった。
 純子は幸せな心地のまま、それらをただただ楽しんだ。種を見破ろうという
意識は微塵も起きず、拍手を精一杯送った。
「なかなかのアシスタントぶりだったね」
 嶋田が退いて、場内に歓談のざわつきが戻って来た頃、鷲宇が再び声を掛け
てくれた。
「今のマジックが、鷲宇さんからのプレゼントですか?」
「何故、そう思うんです?」
 面白がる口ぶりで、鷲宇が問い返してくる。声以外の、目や態度などは真剣
そのものだから、うっかりするとだまされそうだ。何か裏があるかもしれない
と心に留め置きつつ、純子は答えた。
「だって、あの嶋田さん、私をわざわざ指名した……」
「一番若い女の子なんだから、仕方ないよ」
 純子は、鷲宇の唇の端が上を向いたのを見逃さなかった。その返答とは裏腹
に、事前に嶋田と話ができていたに違いない、と確信した。
(つまり、嶋田さんは相羽君のイニシャルを知っていても、不思議じゃないの
よね。やり方は分からないけれど)
「鷲宇さんが、嶋田さんに話したんでしょう?」
「何をだい」
 テーブルからグラスを取り上げ、会話を楽しむ風に、鷲宇。
 純子は赤面を隠すため、鼻の辺りを手で覆いながら、小声で答える。
「……相羽君のこと……です」
「ははは。余計なお節介になるけれども、詮索しない方が、マジックを楽しめ
ると思うんだが」
「分かりました。じゃ、そういうことにしておきます。プレゼント、どうもあ
りがとうございました」
 すねた態度を装って、ぺこりとお辞儀する。
 ところが、これに対する鷲宇の返事は、純子にとって意外そのものだった。
「プレゼントじゃないさ」
「え、だって……」
「さっきのは、みんなのために用意した。去年は都合が着かなくて、参加でき
なかったことを残念がっていたんだよ、彼。今年はぜひというから、飛んで来
てもらったわけさ」
「……本当ですか」
「ああ。お楽しみは、これからだ。いつになるか分からないが、パーティをや
っている間に渡すからね」
 ウィンクする鷲宇に、純子はただただ唖然とした。
(今のでも、充分なのに。それによく考えてみたら、もらいっ放しで、私の方
から渡す物がないじゃない! 今からだと買う暇はないから、頭を使って何か
考えないと……)
 うつ向きがちになって考え込む。鷲宇はいつの間にか、そばを離れていた。
 しばらくして、立っているのに疲れ、また椅子に座る純子。暖房がきついの
か、外の気温が今の季節にしては高いのか、かすかに汗ばんでいた。
 考えるのを中断して、ハンカチを使おうとした矢先、場内が暗転した。夕暮
れから夜を迎えるプラネタリウムのように、ゆったりとした闇が辺りを包んで
いく。反射的にステージを見やると、スポットライトが白い円錐をこしらえて
いた。いつの間にか、舞台中央にはグランドピアノがあった。ライトに負けな
い、まぶしいくらいの白。浮かび上がるかのごとくだ。
 アナウンスを待ったが、今度は何もなかった。
 パーティ参加者がざわつく寸前に、スカート丈の長い黒系統のドレスに身を
包み、一人の女性が現れた。髪が光に照らされ、金色に見える。いや、事実金
髪なのだろう。顔立ちも日本人のそれではない。
(きれいな人……誰?)
 純子の心の疑問に答えるかのように、隣近所でひそひそ声がした。
「ニーナよ」
「そうだ、ニーナ=カレリーナだ。鷲宇さん、いつの間に……」
 その口調は、やるなあという称賛よりも、驚きの方が圧倒的に勝っている風
に感じられる。
(ニーナ……さんて、もしかして)
 純子が記憶の糸を手繰る合間にも、ニーナは笑みを乗せて、一礼をした。盛
大な拍手が起きた。
(昔、鷲宇さんが言っていたピアニストの……J音楽院出の……)
 一緒に拍手をしながら思い出す。
 ニーナが席に着く。拍手が自然と止んだあと、彼女はピアノに向かった。
 クラシックが始まるものと信じ切っていたところへ、流れ出した音は『赤鼻
のトナカイ』。ポップス色を強めたアレンジがしてあり、一層軽快で楽しげで
きれいなメロディになっている。自然と足踏みし出しそうなほど。
 最初の曲で聴衆を惹き付けたニーナは、そのあともクリスマスソングを続け
た。『ジングルベル』『ラストクリスマス』『ホワイトクリスマス』……。メ
ドレーではなく、一曲ずつ弾ききる。鷲宇から教わったのか、『クリスマスイ
ブ』も入っていた。当たり前かもしれないけれど、どれも素晴らしい演奏で飽
きが来ない。ずっと聴いていたいと思わせる。
 ざっと三十分ばかりが経過した頃、一段落。鷲宇自らがマイクを取り、舞台
のしたからニーナを紹介する。
「他人が言葉を尽くすよりも、たった今奏でられた音楽が、彼女の大部分を表
しています。ニーナ=カレリーナ!」
 再びの拍手。何度浴びせても足りないほどだ。
 鳴りやむと、ニーナは鷲宇から別のマイクを受け取り、英語で何か言った。
それを鷲宇が、ほぼ同時に通訳する。
「今年のクリスマスは、日本で過ごすことにしました。私はサンタクロースじ
ゃないけれど、この演奏がみんなにとってクリスマスプレゼントになれば嬉し
い。いっぱい、楽しみましょう!」
 満面の笑みで頭を下げる。ピアニスト言うよりもミュージシャンそのものだ。
 マイクを返して、ピアノに向かおうとするニーナを、鷲宇がちょっと呼び止
めた。そして目配せする。
「練習中の日本語で、何か一言、くれないかな」
 そう日本語で求めた。
 ニーナは右人差し指を顎に沿わせて、さも困り顔に小首を傾げた。が、すぐ
に微笑みを浮かべると、マイクを口元に持ってきた。
「私は、鷲宇兼親のやっていることが、大好きです。皆さんも、応援よろしく、
お願いします」
 堅苦しい口調だが、案外流暢な話しっぷりに、皆がどよめく。ニーナは照れ
笑いを浮かべて素早くピアノの前に座り、鷲宇の横顔は何故かしら自慢げで、
嬉しそうだった。
(わあ、いいなあ)
 純子は見ていて、うらやましくなってしまった。心の中の自分が、指をくわ
えて、鷲宇とニーナの幸せそうな様子を見つめている。
 もちろん、実のところ二人の仲がどれほどのものなのか、確かなところは知
らない。でも、ニーナが今日のためにやって来たというだけで、少なくとも最
高の友人の関係にあるのは間違いない。
 再開された演奏に耳を傾けながら、純子はいつしか気を取り直していた。
(よし、できることからがんばろうっと)
 それは、今の自分と相羽との仲に、鷲宇とニーナの関係を重ねようとした末
の決意。明日辺り、会いに行こうと思った。時間が取れなくてもいい、顔を見
るだけでいい。
 手が、仕舞い込んでいたスペードのエースに、服の上から触れた。
 その瞬間――だったかもしれない。
 某かのアナウンスメントがあったなと気付いたときには、すでに新たな人物
が舞台上に現れていた。
 一瞬、先ほどのマジシャン嶋田が再登場したのかと見紛える。何故なら、そ
の男性は同じようなマスクを目にしていたからだ。その上、これまた似た風な
タキシードを着込んでいる。
 だがよく見ると、嶋田よりも若干、小柄……と言うよりも、細身のようだ。
遠目で暗いとは言え、違いは明らかだった。
 純子が面を起こし、顎を上げるようにして、成り行きを見守っていると、仮
面の男性は、ニーナと二言三、言言葉を交わし、彼女と参加者にそれぞれ一礼
をする。そして、ピアノの前の丸椅子に当たり前のように腰掛けた。横顔が照
らされる。かなり若い。
 あれ?と思う間もなく、その男性が弾き出した。
「え、この曲」
 演奏が始まった途端、純子はマナーも忘れて、思わずつぶやいてしまった。
流れてくるのが、自分の歌のメロディだったから、それもやむを得ない。
 しかも、久住の曲ならまだ分かる。だが今ピアノから紡がれているのは、純
子が歌う予定の曲だった。
(まだ知られていないはず……)
 不思議がるのは短い間。これも鷲宇の仕掛けだと気付くのに、時間はかから
なかった。
(じゃあ、あの人も鷲宇さんの知り合いで、前もって曲を教えられていたんだ
わ。でも、どうしてニーナさんじゃないの?)
 一つの疑問が氷解しても、新たなものが浮かぶ。だが、純子は分かった。音
が教えてくれたのだ。
 純子は叫んでしまいそうなのを我慢して、唇をきつく結んだ。そして長いス
カートをひょいっと引き上げ、つまずかない準備を整えるや、ステージのかぶ
りつきまで走った。

――『そばにいるだけで 56』おわり




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