AWC そばにいるだけで 52−8   寺嶋公香


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#5181/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 9/30   1:52  (200)
そばにいるだけで 52−8   寺嶋公香
★内容
「……あのね、唐沢君。思ったんだけど、相羽君のピアノを見学する日に、ま
とめてできないかな?」
「あん? まとめて?」
 上半身をこちら側に傾け、顔を寄せる唐沢。
「ええ。唐沢君が来ればみんな揃うし、その日なら私も余裕があるから」
「それはなあ……」
 言ったきり、唐沢の口からは台詞が続かない。うーん、という困惑げなため
息が二度ほど漏れた。
(悪いこと言ったかしら? ひょっとして唐沢君、女の子だけを対象にしてた
のかもしれない。でも、相羽君だけ外すなんてできないし……わ、私は別によ
くても、郁江や久仁香が)
 純子の表情が、わずかに赤らんだ。頭の中ででも、言い訳してしまう。一人
で慌てていると、会話が完全に途切れた。教室内には他に人の姿はなく、外か
らの物音が聞こえるのみ。
 唐沢はしかし、無理に話をつなごうとする素振りを見せないでいた。机に片
肘をつき、手で顔の半分方を覆って、どういう判断を下すのがいいか、真剣に
思慮している。
 一方、純子は沈黙に気詰まりを覚えて、目を窓の外に向けたり、座り直した
り、あるいは手首を返して腕時計を見たりと、落ち着かない。
「一つ、確認したいことが」
 不意に言って、唐沢は左の人差し指を立てた。純子は「はいっ」と応じて、
居住まいを正す。
「相羽のピアノレッスンてのは、何時からあるのさ? と言うか、何時から何
時まで見学するつもりなんだい?」
「始まりは、朝の十時頃だそうだから、二時間ぐらい聴かせてもらって、その
あとみんなでお昼をって。午後からどうするかは、決めてない」
「なるほど。時間の融通は利くな。が、となると、もう一つ、確かめたいこと
ができた。相羽は昼から遊べるのかいな? ずっとレッスンじゃねえの?」
「そこまでは聞いてなかったわ……どうなんだろ」
 一日中レッスンを受けるという可能性もありそうだ。もしかすると、見学自
体、邪魔しているのかもしれない、とさえ思えてきた。
「確かめておいてくれないか。でなきゃ、企画のしようがない」
「う、うん。え、それじゃあ、唐沢君、みんな一緒でかまわないのね?」
「しょうがあるまいって心境だよ」
 苦笑いを浮かべ、表情をくしゃくしゃにする唐沢。うつむいて頭をかきなが
ら、「中学生の頃の再現がいいんだろ?」
 と指差してきた。まるで思いやるような眼差しが、こちらを向く。
 純子は一拍の間のあと、強くうなずいた。
(唐沢君、分かってくれてる……)
 感謝の気持ちで一杯になる。その心の片隅に、小さな疑問の芽も生まれた。
(もしかすると唐沢君は、私と郁江達がぎくしゃくしてることを知ってるの?)

 大学の立派な門を前にして、純子達は少し気後れしていた。当然、出迎えも
何もないので、自分から行かなければならないのに、ここに来て、本当に入っ
ていいのか不安に駆られる。
 白い煉瓦の道が緩やかな坂を形成して、門の向こうへ続く。そこを時折、休
日だというのにここの学生らしき男女が通りがかっては、やや不思議そうな目
で純子達を一瞥していく。
「意を決して入りましょう」
 焦れたように町田が言って、富井と井口の背を押した。彼女は、五人の中で
一番積極的で物怖じしていない。
「でもぉ」
 両足でブレーキを掛け、躊躇する富井。その不安げな顔を、純子へ向けた。
「純ちゃん、本当にここでいいの?」
「う、うん。そう聞いた。ね、ねえ、唐沢君」
 純子は唐沢に同意を求めた。本日の見学に関して、純子自身が相羽に直接頼
んだ形を取るのはまずいかもしれない――そんな意識が働いて、今日のことは
全て唐沢がセッティングしたことにしてもらった。
「ああ、間違いないよ」
 調子を合わせる唐沢。自信たっぷりに、胸を反らし、うなずいた。左肩に掛
けた鞄を負い直し、言葉を重ねる。
「ただ、俺も中まで入ったことはないから、掲示板が頼りなんだが」
「とにかく、入らなきゃ始まらないってーの」
 町田が業を煮やし、一歩を踏み出した。
「受験生が下見に来たようなものと思えばいいのよ。気にしない、気にしない。
さあ、レッツゴー!」
「あ、あのさ、芙美」
「何? まだぐずぐずしてんの?」
 きっ、と振り返った町田に、純子は小さな声で、おずおずと告げた。
「行くのはいいけれど、もう少し静かにしようよ……」
 指摘に、周囲を見渡し、顔を赤らめた町田。彼女がにぎやかに言い立てたお
かげで、最前にも増して大学生から注目されてしまっていた。
 落ち着きを取り戻して、五人揃って坂を登り始める。キャンパスの鳥瞰図を
頼りに、相羽がエリオットからの指導を受けるというホールを目指す。
「いいところだね」
 左右をしきりに見て、遅れつつあった井口がつぶやいた。うんうんと同意す
る富井に町田。
「整った施設に、自然が取り込んである感じだわ。少し、静かすぎるような気
もするけれど」
「休みだから、仕方ないんじゃない」
 そんな皆のやり取りを耳にしながら、純子は嬉しさを噛みしめていた。富井
や井口と改まって話をして、糸口を掴んで、今日、仲直りできたことになる。
そして、中学のときみたいに、またみんなで楽しく騒げるようになるはず。
「涼原さん。ほんとに来たことないのかい」
 不意をつくような形で、唐沢から問い掛けがあった。純子は顔を相手に向け、
こくりと首肯した。
「どうしてそんなこと聞くの、唐沢君」
「相羽としょっちゅう連絡取ってるんだろ。当然、ここに来たこともあるのか
と思ってさ」
「そんな、しょっちゅうじゃないわ」
 微笑し、頭を水平方向に振った純子。そのまま、真っ直ぐ前を見る。
「唐沢君こそ、知らなかったの? 男同士、よく話してるんじゃない?」
「お互い様、というわけか。相羽の奴、秘密主義な部分もあるしなあ」
「秘密主義?」
「大げさに言えばね。あいつ、俺達に黙って、重要で大事なことしようとする
じゃないか」
「……そうよね」
 真っ先にJ音楽院の一件を思い出し、肯んじる純子。
「他にも結構あるみたいだ」
 唐沢のつぶやきに、純子が聞き返そうとした折り、前を行く三人が声を上げ
た。目指すホールが見えた。
「あ、相羽君!」
 富井と井口が一層はしゃいで、手を振る。植え込みの影になって、純子のい
る位置からは見えにくかったが、出入口に通じる数段のステップに相羽が佇ん
でいた。腰を下ろしていて、ちょうど立ち上がったとこらしい。
「――唐沢、こっち」
 今、気付いた風に、手招きする相羽。少し背が伸びたようだと、純子は感じ
た。学校で接する機会を減らしたのが原因で、錯覚したのかもしれない。
「おまえが興味あるとは思わなかったぜ」
「成り行きで、着いてくることになったんでな」
 そんな二人のやり取りの終了を待ちきれないように、富井と井口が相羽に話
し掛ける。
「ひ、久しぶりだね、相羽君」
「何言ってんの。夏休み中に会ったじゃないか。勉強したこと、忘れた?」
 声が上擦り気味の富井に、微苦笑で応じる相羽。
「前より、日焼けしたんじゃない?」
 町田が感心した口ぶりで言った。こちらは、九月に入ってから通学電車で乗
り合わせることもなく、本当に久しぶりだ。
「男前になったけど、あんまり、ピアニストっぽくないわ」
「はは、見た目で弾くわけじゃないからね」
「ところで、外にいたのは、出迎えのつもり? どうせなら、門のところまで
来てほしかったんだけどな」
「いや、違うんだ。出迎えられなくてごめん。たまたま、休憩中だっただけ。
毎回の課題が、結構ハードなんだよね」
 言葉とは裏腹に、楽しそうな相羽。充実の証と言えるだろう。
「休憩って、何時からやってたの?」
 井口が腕時計を見ながら聞いた。今、十時四十五分を少し過ぎたところ。
「八時頃から」
「はっやい!」
 当たり前のように答える相羽に、聞き手の側は皆ざわつく。唐沢が半ば呆れ
気味に、ため息をついた。
「はあ、ここに八時に着こうと思ったら、何時に家を出なきゃならないんだ? 
ほんとにピアノ好きなんだな」
「朝から見てもらえるのは、今の時期ぐらいなんだよ。少しでもピアノに触っ
ておきたい」
 相羽は肩を少し上げ、きびすを返した。
「じゃ、そろそろ戻るとしますか」
 中に入ると、相羽の師匠であるエリオットが、何か書き物をしていた。二人
の間で短いやり取りがあってから、相羽によって純子達が紹介された。各人、
お辞儀と握手で交歓する。
 純子と握手したとき、エリオットは目配せしてきた。去年末のパーティで会
ったことを、きちんと覚えている。
(エリオットさんは私が久住淳だってことを、知っているのよね。相羽君のこ
とだから、ちゃんと口止めしてくれてるとは思うけど)
 少し不安がよぎる。
(まあ、英語だから、『久住淳』と口走ったって、きっとごまかせるわ。通訳
するのは相羽君だし)
 不安を払拭できると、純子は前に出過ぎないよう、控え目な態度を決め込ん
だ。今日みんな−−特に富井と井口――で来た主目的に沿うものと信じて。
 早速、相羽の演奏が始まった。独演会ではなく、練習なのだから、ときに中
断し、エリオットからの指示が飛ぶ。同じ箇所を繰り返し弾くことも、しばし
ばあった。
(あ、れ? おかしいな)
 時間が経過する内に、純子の内には違和感が芽生えていた。
(以前に聞かせてもらったときと、音が違って聴こえる)
 演奏の合間合間に、拍手を送る富井達を見て、最初は気のせいかとも思った。
しかし、さらに重ねて聴くことで、違和感は大きくなっていく。
(やっぱり違う。前に比べて、音が滑らかじゃないと言うか、断片的で、角が
ある感じ。これが、練習の成果なの? 前の方が、私は好き)
 不満だったけれども、感想を口に出すのは憚られて、唇を固く結ぶ純子。も
う少し長い演奏を聴かせてもらえるまで待とうと決心し、壁に身体を預ける。
 機会は直後にやって来た。
 エリオットの英語を懸命に聞き取ったところ、どうやら、好みの曲を弾いて
みなさいと言ったらしかった。相羽はポップスでもかまわないかと聞き返し、
了解をもらった。
 相羽が選択したのは、ギルバート=オサリバン。それも、純子の好きな曲。
 これなら比較しやすい。純子は神経を集中した。
 そして五分足らずで曲が終わったとき、純子は密かに首を傾げていた。
(上手なのは変わらないけど、前ほど優しくない……と思う)
 何が原因か分からない。まさか、エリオット先生の教え方が合わなかったか
らでは?と、純子はアメリカ人に目を向けた。
 すると、エリオット自身も不満そうに首を捻り、肩をすくめる仕種を何度も
していた。鼻の横をかいたり、耳の穴をいじったりと、落ち着きがない。苛立
ちが見受けられた。
 純子は、顔を起こした相羽へ振り向いた。彼もまた、浮かない顔をしている。
唇を尖らせ、眉を寄せた渋い表情。正確を期すなら、自分で自分に納得してい
ないような。
「今の彼の演奏をどう感じましたか」
 エリオットがなかなか流暢な発音で、純子達見学者に日本語で尋ねてきた。
大きく腕を広げ、笑みを浮かべている。さっき純子が垣間見た顔付きが嘘だっ
たみたいに。
 純子が感想を正直に述べようか迷っていると、先に富井や井口が賞賛の言葉
−−「凄くよかった!」といった程度の短く単純な表現だが――を口々に叫ん
だ。ほっとしたようなやむを得ないような、とにかく純子は口をつぐんだ。さ
らに彼女らから同意を求められ、調子を合わせて、曖昧にうなずきもした。
 町田は、「私は音楽のことは、さっぱりだめだから、ピアノ弾けるだけで感
心しちゃうな」と返答し、最後に唐沢は「よく分からんけど、うまいとは思っ
たよ、うん」とくぐもった声で遠慮がちに言った。
 微笑を絶やさぬエリオットは、各人の言葉を相羽から訳してもらうと、まだ
はっきりしたことを言っていない純子にだけ、再度感想を求めてきた。
「涼原さんは、どのように感じましたか」
「えっと……昔聴いたときと何だか感じが違って、戸惑ってしまいました。も、
もちろん、上手だなって思います」
 場の雰囲気を壊さぬよう、それでいて自分の感じたことを少しでも伝えられ
るよう、折半した結果の返事だ。口にしたあと、どきどきして、思わず手を握
りしめていた。
 一方、相羽の通訳にエリオットは無言でうなずくと、ピアノへと近寄り、何
ごとかを告げた。

――つづく




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