#5009/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/27 1:58 (200)
空白 〜 青陽寮殺人事件 10 永山
★内容
頭を掻いてみせた鍋谷は、相手の文句を封殺すべく、素早く言葉を継ぎ足す。
「しかしですな、土橋先生。おおよその目処は立ったんです。それをお話しす
る前に叱られてしまっては、当方としても立場がない」
「あ、いや、これは失礼を。鍋谷さんが感想を求めてこられるから、もう話す
ことがなくなったんだと判断してしまった。すみません」
土橋は煙草を吸い始めた。鍋谷はタイミングを計り、そして話を切り出した。
「草島が犯人です。間違いない」
「断言しましたね」
煙を吐き出し、にやりと笑う土橋。鍋谷もつられて笑った。
「奴は反町真弥さんとの仲がこじれて、寮で彼女を殺した。居直り強盗の仕業
に偽装するため、アクセサリーを数点奪い、うまい具合に乾いていなかった浴
室のタイルの隙間に埋め込む。また、逃げる手段を確保しようと、被害者の持
っていた名簿を元に、近くに住む大学関係者を物色、土橋さんに白羽の矢が立
てられたんですな」
「ふむ。迷惑な話だった、あれは」
「その後、草島はときを見計らって脱出するんだが、ここでミスのオンパレー
ドだ。興信所の野崎雄三に目撃されたとも知らずに部屋を抜け出し、さらには
寮生達にも見られた。それでも寮の塀の外に逃げ出すことに成功した草島は、
あなたを襲い、金と車を奪おうとしたが、車の方は失敗に終わる。当然、徒歩
で逃走を続けるが、追って来た寮生の一人、矢田口に追い詰められ、彼も殺す」
「ちょっと、よろしいですか」
土橋が片手を挙げて話を遮った。いつの間にやら、灰皿には新たな吸い殻が
一本増えていた。
「何です?」
「刑事さんのお話は、証拠があってのことなんでしょうかね」
「物的証拠ってやつは、確かに乏しいです。しかし、情況証拠は草島が犯人だ
と示している。まず、他の容疑者二名はそれぞれ状況が不自然なんですな。猪
狩はあの夜、相当アルコールが入っていたらしいから、殺しを行うのは厳しい。
連城は寮を現場に選ぶことがおかしい。そんなことをすれば、自分が真っ先に
疑われることぐらい、すぐに分かるはず。それに何たって、草島の奴は嘘の証
言をしとるんだから」
「なるほど」
了解した風にうなずく土橋だったが、その目は呆れを含んでいた。そんなこ
とだけで犯人にするのかという非難と嘲りか。
「草島を逮捕するための確かな証拠は、野崎が掴んでいたと思っとるんですよ。
この男、犯人を脅迫していた節が見受けられましてね。定期的に入金がされて
いた。青陽寮の事件以来、ずっと」
「ほお……」
「明日にでも野崎の別宅を徹底的に調べるつもりです」
鍋谷は最後に素っ気ない調子で付け足し、腰を上げた。
「ちょっと」
呼び止める土橋。
「今、別宅と言いましたかな?」
「言いましたが、何か気になることでもありましたか」
「いや……興信所の方が別宅を持てるというのは、意外な感じがしたもので」
「ははあ、興信所でも儲けてる奴はおりますからね。その上、野崎は強請でも
副収入があったようだし」
真顔で答えたあと、鍋谷は急に相好を崩した。
「先生が心配なのは、稼ぎのことですかね? 探偵風情が大学教授より稼ぐと
はけしからん、と」
「そんなことは思ってないよ」
「心配無用ですぞ。別宅と言っても、安普請の古いアパート。住所も場末の」
言いながら、スーツのポケットから紙片を取り出す鍋谷。それを土橋の目の
前に置いた。**町**区**アパートの三号などと住所らしきメモ書きと、
簡単な地図があった。
「ほら、こんな場所でしてね。鍵も満足なのが付いているとは思えんくらいの、
ぼろアパートだ。恐らく、脅迫のネタを保管する場所として借りたんでしょう
なあ。脅迫される側から見りゃ、証拠のネタを無理矢理取り返そうにもできな
い。いやあ、巧妙だ」
「刑事さんが犯罪を誉めるような言葉を吐くのは、問題ある気がしますが」
雑誌を引き寄せ、ぱらぱらとめくる土橋。鍋谷は大きな動作で頭を下げた。
「これは失敬を。まあ、そういう細工を講じた野崎があっさり殺されたのは、
天誅かもしれません。おっと、これまた犯罪者賛歌になっちまうか。重ね重ね、
すみませんな。とにかく、二日後には草島を野崎殺しの罪で逮捕できとるでし
ょう。ご期待ください」
鍋谷は自信たっぷりに断言すると、スーツの裾を翻して去っていった。
土橋は扉が閉まりきるのを視認してから、残されたメモ用紙を摘み上げ、く
しゃくしゃと音を立てて丸めた。
張り込みを始めてまだ間もない。
「本当に来るのかね」
黒の乗用車内に潜んでいた鍋谷はハンドルに置いていた手を離し、辛抱たま
らず、同行させた氷上に聞いた。
「恐らく」
アパートに向けた視線を動かすことなく、かすかな仕種で肯定した氷上。外
は夜。辺りに満足な灯りはない。人通りの少ない、商店らしき物もない、うら
寂しい区域だった。
「村中――私の知り合いです――が報告してくれました。土橋教授が午後から
の講義全部を急遽、休講にして大学を離れたそうです」
「大学側には何と言ったのだろう?」
「そこまでは分かりませんが、土橋教授が予定を慌てて変更せざるを得ない状
況に陥ったのは、事実です。鍋谷刑事、あなたが訪問した直後に」
「昼から夕方にかけて準備を整え、行動を起こすのは夜、という訳か。そもそ
も、何で君は土橋先生が怪しいと目を着けたんだ?」
「そうですね……四つの殺人は同じ意志による犯行だと考えるのは、さほど乱
暴な前提ではないと思います」
「警察も同じだ。当然の見方だ」
「ならば、発端である青陽寮での事件に着目するのが、解決への近道。さて、
最初の殺人で最も不可解な動きをしたのは誰か?」
「何だ? ……うむ、草島だな。あいつは事情聴取に嘘をついていやがった。
草島の奴が犯人で決まりだと思ったんだが、確実な証拠がなかった」
「私の見解は異なります。最も不可解な動きをしたのは土橋孝治です。犯人に
よる電話で踊らされたことになっているが、自宅へ電話があったことや、犯人
から襲われたことを示す証拠は何もない。本人が言っているだけです。アリバ
イもない。可能性のみを云々すれば、土橋孝治に犯行は可能」
「だが、動機がないだろうが」
「被害者は多情な女性だったんでしょう?」
「……言いたいことは分かる……が、感心せんな。俺が言うのも何だが、無闇
に人格を貶めるのは」
「残念ながら、ときに探偵も刑事も冷酷非常な推理マシーンにならねばならな
い。あえて、冷酷にね」
身を乗り出し、ダッシュボードの上で手を組む氷上。人影が通ったが、年配
のカップルだった。氷上はシートにもたれた。
「土橋先生が犯人だとして、矢田口を殺したのはどうしてだ? だいたいだな、
逃亡した人影は土橋先生とは体格が違っていたし、土橋先生が寮に現れたタイ
ミングから言って、同一人物ではあり得ない。矢田口に追い込まれたから殺し
たという見方はできないぞ」
「そう、追い込まれたから殺したんじゃない。元々必要があって殺した」
「分かるように言ってくれんかね」
求めに応じ、氷上はまず、矢田口のカンニングにまつわる逸話を伝えた。そ
してまた、矢田口が土橋の部屋に出入りするようになったことも。
「二つの事実を極素直に結び付ければ、矢田口のカンニングを発見した土橋が、
目を瞑る代わりに矢田口に何か要求していたんではないかと想像できる」
「面白い見方だが、仮にその想像が当たってたとして、事件に関係あるか?」
「反町を殺した土橋孝治は、現場からより安全に脱出するために、矢田口を呼
び寄せたんじゃないかと思うんですよ」
「何だ何だ?」
声の大きくなる刑事に対し、氷上は人差し指を自らの唇に垂直に当てた。
「土橋孝治を犯人とした場合、目撃証言によれば、彼は逃亡した人影ではない。
過不足ない絵を描くには、土橋孝治が身代わりを用意したと考えるのが自然で
す。それが矢田口文彦。カンニングの尻尾を掴まれている彼は、土橋孝治の言
いなりだったことでしょう。土橋の命じた通りに、強盗犯らしく振る舞い、寮
から逃亡したと思います」
「身代わりと言うか、共犯だろう?」
「そうなります」
「やっぱり分からん。共犯を殺す動機は何だ?」
「殺人の秘密を知られたら、立場が逆転しかねません。無論、最初に指図する
段階では土橋孝治は殺人のことは伏せ、とにかく逃げる姿を寮生に目撃されろ
と言ったでしょう。だが、翌日には殺人発生が露見する。そうなったら、矢田
口も土橋孝治の行動を怪しむに違いない。だから、そうなる前に殺してしまお
うという訳だったんじゃないですか」
「身代わりをさせて、始末したのか……信じられん」
首を振った鍋谷は、アパートの方向をちらと見やってから、次の疑問に移る。
「説明を聞いて、土橋が青陽寮の事件の犯人たる可能性があることは分かった」
鍋谷が土橋を呼び捨てにしたのは、これが最初かもしれない。
「しかし、渡さんが殺された事件は違うだろ。土橋には完璧なアリバイがある。
海外に行っていたというアリバイがな」
「渡さんの件は別口で考えるんです。根っこは一つだが、枝分かれしてる……
どうやら現れたっ」
氷上が静かに鋭い声を発した。その視線の先を、鍋谷も追う。
夏を迎えつつあるというのにコートを着込んだ中年が、辺りを気にする風に
首を動かしながら道を行く。ソフト帽を深く被り、眼鏡を掛けていた。足早だ
が、やけに力が入っていると見受けられた。
「あれが土橋か?」
目を凝らす鍋谷。だが、暗くて判然としない。
「ともかく、今は見守るのが先決――ああ? 通り過ぎた?」
氷上の言った通り、コート姿の人物はアパート前を行き過ぎてしまった。見
込み違いかと互いに振り返った氷上と鍋谷だが、視界の片隅では人影の動きを
逃さずにいた。
「よし、引き返してきたぞ。お、部屋番号確認している。慎重な身振りだ」
戻って来たコートの中年は、意を決した風にアパートの裏手へ回った。
「我々も降りますか」
氷上の言に、しばし黙考する鍋谷。正規の張り込みならば、必要なだけ仲間
を動員できるのだが、今回はそうでない。
「車を静かに移動させよう。見える位置取りをしなければならん」
つぶやき、実行した。
コートの人物は三号室の裏窓に手を当てた。黒皮の手袋をはめている。茶色
く太い輪っかのような物を取り出した。ガムテープだ。三日月錠の設置してあ
る高さに合わせ、表からガラスにテープを貼っていく。それから石かコンクリ
ート片のらしき物を拾い、恐る恐る、暗闇で物を探す手つきにも似て、テープ
表面を打った。音は、氷上達には届かなかった。
コートの人物は同じことを三度やって、窓ガラスに穴を空けた。ガムテープ
を剥がし、できた穴から手を差し込み、鍵を解錠する。窓枠をスライドさせる
と、今度はかすかな音が聞こえた。
「いよいよだな」
「外に出て、準備するべきですかね」
「素人さんに言われるまでもない。君は玄関を固めろ。俺は裏に回る」
鍋谷はプロの顔付きに戻り、機敏に行動を開始した。
氷上は口笛を吹く形に口をすぼめ、苦笑を浮かべた。
土橋孝治は胸ポケットからの震動を感じ、身を固くした。携帯電話機が震え
ている。バイブレーション機能が作動したときは、誰かがアパートのこの部屋
に接近中という合図。危険信号だ。
懐中電灯を消し、玄関戸へ目線を走らせた。凝視していると、人の頭の影ら
しき物が映る。
(危ない。警察の見張りが来たのか?)
身を屈め、入って来た窓の方へ移動する。まだ目的を達成していないが、誰
かに姿を見られては元も子もない。一旦外に出てやり過ごすか。
(しかし、あれが警察関係者なら、あのまま明日まで居座る可能性も高い。そ
れではあの証拠を取り戻せなくなってしまう。反町を殺したとき、野崎に録音
されてしまったテープを)
震動を続ける携帯電話を手で押さえながら、必死に検討する。
(苦労して、野崎に遺書を書かせ、始末したばかりだというのに、何と言うこ
とだ。ここは……警察の人間を殺してでも、証拠探しを遂行すべきなのか?)
しゃがんだまま、再び玄関を見やる。おかしなことに気付いた。人影が動こ
うとしない。玄関前に立っているだけのようだ。
(……見張っているだけなのか? ならば、音を立てないように探せば……い
や、無理だ。探し出すには音を立ててしまうに違いない。気付かれるに決まっ
ている。やはり、あの人影を排除せねば……)
土橋は、二通りの手段を思い付いた。玄関の扉を開けて襲いかかるか、窓か
ら一度外に出て襲いかかるか。
(玄関を開けるのは、距離は近いが、音で気付かれ、相手に臨戦態勢を取る余
裕を与えてしまう。窓から出る方がいい。――いや、待て)
携帯電話を見つめる。これで、外で待機する協力者に助太刀を求めることも
できなくはない。声を発するのは危険だから、メール機能で文字を送ればいい。
(これ以上、あいつを巻き込みたくないんだが)
携帯電話機を取り出した。暗闇で、オレンジ色に光るディスプレイを頼りに、
操作を始める。
――続く