AWC 空白 〜 青陽寮殺人事件 9    永山


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#5008/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/12/27   1:56  (200)
空白 〜 青陽寮殺人事件 9    永山
★内容
「世界中で開かれますよ。まあ、ある国や地方に根ざした研究テーマであれば、
その土地での開催が圧倒的に多くなる傾向にありますが、僕は世界各地の古典
文学の比較研究を大テーマにしていますから。役立つと感じれば、どこにだっ
て行きます。ああ、それと時間や費用が許せば」
 自嘲気味に笑った土橋。鍋谷は追従笑いを浮かべ、適当に首を振った。
 その後、詳しいスケジュールや同行者に関してメモを取り、現地で手に入れ
た資料等も見せてもらった。
 裏付けはまだだがアリバイは恐らく完璧だな……鍋谷は隠しきれない落胆を
背中ににじませ、土橋の研究室をあとにした。

 キャンパスは人で溢れていた。ちょうど昼食時を迎え、昼前の講義を終えた
学生達が各棟からぞろぞろと出て来る。もちろん、先生の姿も混じっていた。
前回、総都大に来たときは、これほどの人数はいなかった。
 真昼の訪問は失敗だったかと後悔を覚え始めた矢先、氷上は目的の人物の顔
を人混みの中に発見した。ここでも運がいいと思ったものの、声を掛けても届
きそうにない。やむを得ない。見失わないよう、あとをつけることにした。
 多くの学生に混じって、目的の人物――土橋も案の定、学生食堂へと吸い込
まれていった。ひとまず安心し、氷上もまた食堂へ入る。炭酸飲料を購入して
から、広い食堂内を見渡す。すでに七割方の席が埋まっていた。
 探し始めて三分近くが経過。出口に近い席に土橋の姿をやっと見つけると、
氷上は小走りで駆け寄った。土橋は一人で食事を摂っていた。幸い、前の席が
空いている。他の学生からは敬遠されているのだろうか。
「土橋さん、この席、いいでしょうか」
「ん?」
 名を突然呼ばれ、箸を止めて見上げてくる土橋。メニューはラーメンライス。
傍らに雑誌を広げて読んでいる。
 返事を待たず、氷上はにこやかに笑いながらさっさと座った。簡単な挨拶を
して、早速用件に入る。
「青陽寮で起きた殺人事件の真相に、興味ありますよね」
「それはまあ、なくはない。何か新展開でも?」
 食事を再開した土橋。雑誌を閉じたせいか、食べるスピードが上がった。
「この間、渡さんが殺されたのは知ってます? 警察の……」
「言うまでもない。あの事件で、鎮静化していた青陽寮殺人事件が再び話題に
上るようになった」
「それぞれの犯人は、同一人物だと思います?」
「さあね」
 ラーメンの麺だけを片付け、ご飯に取り掛かる。丼を持ち、箸を使って書き
込むさまを前に、氷上は「早食いは命を縮めると言いますよね」と口を挟んだ。
「炭酸飲料は歯を溶かすという俗説もあったと記憶しているが」
「その通り」
 氷上は微苦笑してジュースをすすった。
「渡さんを殺したの、誰でしょうかねえ」
「分からないな。記憶では……草島とかいう男が犯人と目されていたんじゃな
かったかな」
「あ、それは青陽寮の事件の方ね。しかし、彼にはアリバイがあった。彼に渡
さんは殺せない。それに、青陽寮殺人事件でも、目撃証言と食い違う点があっ
たので、草島は逮捕されなかったそうです。耳のピアスがね」
 自分の耳たぶをいじってみせた氷上だが、土橋は満足そうに丼を置いただけ。
「もし草島が青陽寮から逃げた人物だとしたら、耳のピアスが光らなきゃおか
しい。目撃者の誰一人として、逃亡者の耳や首筋の辺りがきらっと光ったなん
て証言していません」
「外していたのかもしれない」
「わざわざピアスを? 何のためにでしょう?」
「光ると目立つだろう。目立たないためには、外すのが一番だ」
 水を飲み、口の周りを手の甲で拭いた土橋。胸ポケットに手をやると、煙草
とライターを取り出した。
「それはおかしい。目撃されることを前提としているみたいじゃないですか」
「そうとは言い切れんだろ」
「いえ、私はそうは思いません。青陽寮の事件には、計画性の片鱗が見られま
すが、それは検討に検討を重ねた準備ではないような気がする。何かこう、慌
てふためいた中での必死さの垣間見える計画性です。ピアスをあらかじめ外す
なんて、考えられない」
「あの事件のどこに、慌てふためいた計画性を嗅ぎ取ったんだい?」
 煙草を一本取り出し、くわえる寸前に、土橋は問うてきた。
「アクセサリーです。盗むのはいいが、浴室の工事中の壁に埋め込むなんて、
偶然に頼ってる。セメントが乾ききっていたら、どうしたのでしょう? ある
いは逃走手段も奇妙だ。土橋先生を電話で誘い出し、襲って車と金を奪おうと
した? こんな危ない賭けは綿密な計画と呼べやしない」
「……すまないが、次の講義の準備があるんだ。いいかね」
 煙草をくわえたままの土橋は、床に置いていた鞄からテキストを一冊取り出
した。手で荒っぽくページを繰り、早く読みたいのだという素振りを見せる。
「分かりました。放談に付き合ってくれて、どうもありがとうございます」
 拍子抜けしそうなほど簡単に席を立った氷上。炭酸飲料を飲み干すと、紙コ
ップを握り潰してダストボックスに身体を向ける。
 と、歩き出すかに見えた氷上が、再び土橋を振り返った。
「あ、あとひとつだけ。ご忠告申し上げたいことがありまして」
「な……まだ何かあるの?」
 眉間にしわを寄せた土橋。その鼻先を遠くから指差す氷上。
「煙草、逆向きです。じゃ」
 氷上は片手を軽く上げ、さらに、その手を振りながら立ち去った。
「……」
 残った土橋は、煙草を口から悠然と離すと、苛立たしげに箱に戻した。唇を
嘗めると嫌そうな顔をして立ち、ウォータークーラーへと走った。

 救急車が空で帰って行く。ロープが張られ、警察官が方々に立つ。野次馬が
取り巻く中、刑事が忙しなく、鑑識課員が無表情に出入りしていく。
 青いビニールシートで囲われたアパートの周辺は午後八時を過ぎ、いよいよ
騒がしくなっていった。
 連絡を受けて駆けつけた鍋谷は、真っ先に遺書を見せてもらった。
「本当だ」
 一瞥して、短く唸った。
 その自筆の書面には、殺人の告白が記されていた。反町真弥、矢田口文彦、
渡幸司郎を殺したのは自分だと。末尾の署名にある文字は、野崎雄三。
 鍋谷刑事は手袋をはめた手で、頭を強くかきむしった。最初に聞いたときは、
にわかには信じられない話だった。現在捜査中の事件の罪を認めて自殺した者
が見つかったなんて、都合がよすぎるという感想しか持てないでいたのだ。
 だが、たった今遺書を読み、現実に起こったのだと理解した。
「しかし、野崎雄三とは何者だ?」
 鍋谷の問いに答えられる者は、今この場にはいない。遺体の顔を拝ませても
らったが、こんな五十過ぎの男に見覚えはない。髪は見事なごま塩頭、両端が
細く揃えられた鼻髭という風に印象的な容貌の持ち主だから、会ったことがあ
るなら記憶していてよさそうなものだ。
 青酸カリを含んだにしては、穏やかな死に顔である。覚悟の自殺であればこ
そ、苦悶の表情も消えるのかもしれないと鍋谷は思った。
 縄張りというものがあるため、現時点では、鍋谷はこの一件に積極的参画は
できない。あくまで青陽寮殺人事件や渡の事件との関連を確認しに来ただけな
のだ。いずれ正式な通達によって情報交換がなされるだろうから、多少の先走
りは許されるだろうが、勝手に現場の物を触る訳にはいかなかった。野崎の正
体について自ら調べられない鍋谷は、仕方なく遺書の再読を始めた。先ほどは
ざっと目を通しただけだが、二度目は意味の把握に努めながら読む。
(死んだ男の手掛かりがあるかもしれん。それに、偽の遺書ということもない
とは言い切れんしな)
 気合いを入れて目を通す。早速発見があった。野崎は興信所の人間であり、
反町真弥の両親からの依頼で真弥を監視していたことが白状されていた。最優
先で確認すべき事項として、脳裏に刻み込む鍋谷。
 書面の大部分を占めるのは、犯行に至るまでの経緯である。
 野崎は真弥の行動を監視し、何らかの問題を見つけたならば、依頼者たる親
に報告することになっていた。しかし、実際に真弥の秘密を握った野崎は、依
頼者を裏切り、真弥に接近した。調査料としてまとめて金を受け取るよりも、
真弥からわずかずつ金を引き出しながら、同時に彼女の肉体も味わおうという
意図があったらしい。
 だが、真弥は野崎の想像した若い女の像からは若干ずれていた。最初の二、
三回こそ金を脅し取ることができたものの、問題の夜である四月二十八日、寮
まで真弥を訪ねて肉体関係を迫った途端、突っぱねられてしまう。そして真弥
が両親に全て話すとまで言い出したことが、野崎を窮地に追い込み、殺意へと
駆り立てた。
 かっとなって絞め殺したものの、我に返って焦った。入るときはたまたま誰
にも見られなかったが、逃げ出すところを見つかると非常に危険である。せめ
て車でもあれば一気に距離を稼げるのだが……。そう考える内に、真弥の部屋
にあった大学の名簿が目に入った。車を持っていそうな奴を寮の近くまで呼び
出し、そいつを襲って車を奪って逃げる、これだと思い、即座に実行した。野
崎が土橋孝治に目を着けたのは、土橋が先生であったこと、青陽寮からそこそ
この距離に居を構えていたことの二点が主な理由だった。
 電話を掛けて巧みに土橋を誘い出すのに成功したあと、野崎は犯行を強盗の
居直りのように見せかけるべく、真弥の部屋からアクセサリー類を失敬した。
とは言え、一時的にしろ身に着けるのはまずい。見つかったらアウトだ。でき
ればどこか半永久的に見つからない場所に隠したい。そんな思惑を抱いて、寮
内を脱出しようとした途中で、工事中の浴室に気が付いた。セメントがまだや
わらかいと見抜いた野崎は、これ幸いとアクセサリー類を埋め込む。その後、
脱兎のごとく駆け出したのだが、複数の寮生に見つかってしまった。
 必死に逃げ、絶妙のタイミングで姿を現した土橋を襲ったが、奪えたのは金
のみ。やむなくそのまま逃走したが、追って来た学生の一人に捕まりそうにな
り、挙げ句にその学生、矢田口をも殺害してしまった。
「ふむ」
 鍋谷には、まずまず筋が通っているように思えた。渡殺しについて書き記し
た段落に目を移す。それによると、殺される数日前、渡は反町の両親から野崎
のことを知らされていたとある。鍋谷は歯ぎしりをした。
(何で教えてくれんかった? すぐ知らせてくれとったら、こんなことになら
んかったはずだ)
 野崎の存在を知った渡は、当然調べ始める。すぐに接触を図ってきた。事件
について根掘り葉掘り聞いてくる。いずれ露見すると感じた野崎は、先手を打
って渡を葬った。
「……ん? 変だな」
 最後まで読んだ鍋谷は、不自然な点に気が付いた。それも二つ。
 一つ目は浮浪者が聞いた「どばし!」という叫び声について、解明されてい
ない点。が、これは些末のことだ。二つ目の方が気になる。
(自殺する理由が書かれとらん……? 犯行がばれそうになった訳じゃないし、
依頼人を裏切るような輩が良心の呵責に耐え切れずってのも妙だろ)
 三読した鍋谷だが、やはり自殺の理由はどこにもない。犯行を告白している
のだから、罪の意識に苛まれての自殺と解釈すべきなのだろうか。
 再度、頭をかきむしった鍋谷の脇を、遺体が搬出されていく。腕組みをした
鍋谷は、ふと予感に駆られて係員を止めた。
「邪魔してすまん。もう一度、顔を見させてくれんか」
「いいですよ。早くしてください」
 事務的な口調で答え、二人の係員は担架を地面に下ろした。鍋谷はシートを
めくる前に睥睨した。大丈夫、一般人の目に触れることはない。
「……やっぱり、見覚えねえよな」
 自分の額を親指の関節でつついた鍋谷。その刺激が違和感を引き起こした。
白手袋をした手を、野崎の鼻下へ伸ばす。
「あんまりいじらんでくださいよ。ほぼ調べ終わってるからいいようなものの」
「待ってくれ。こいつ、髪の毛は白いものが混じってるくせに、髭は黒々とは
ちょっとおかしいじゃねえか」
 この時点ですでに確信を抱いていた。鍋谷は死者の髭を掴むと、自信満々に
引っ張った。
「ほれ、見ろ。付け髭だ」
 発見を誇るかのように付け髭を掲げ、鍋谷は勢いよく立ち上がった。
「偽の髭を付けて自殺する奴がいるか? 普通じゃないぞ」

 野崎の遺書の筆跡は、野崎自身のものと判定された。
「そんなもん、野崎をだまくらかして書かせたに決まっとる。自殺に見せかけ
た他殺だ」
 鍋谷が強く主張するまでもなく、捜査の風向きは他殺の線へと吹いている。
真犯人がいるはずだ。反町真弥、矢田口文彦、渡幸司郎、野崎雄三の四名を殺
害した犯人が。
 野崎の預金通帳の中身を照会したのは、その方針の一環だ。仮に野崎が反町
真弥殺しの現場を目撃し、真犯人を強請っていたのだとしたら、痕跡が通帳に
現れるのではないか。
 見込みは大当たりだった。毎月決まった日に一定金額が振り込まれていた。
振り込み人の名はMSとなっていた。これが即、真犯人によるものとは断じら
れないが、補強材料にはなる。
「――という状況でして」
 捜査の進展具合をざっと話し終えるや、鍋谷は土橋の顔色を窺った。眼前の
大学教授はパソコンに向かっていたが、やがて軋み音とともに椅子を九十度回
転させ、鍋谷に向き直った。無表情に近い。
「折角ですが、刑事さん。僕が時間を割いて刑事さんにお会いしたのは、てっ
きり真相が聞けるものと信じたからです。それが、さっきのお話ではまだまだ
のようじゃないですか」
「いやあ、ご期待に添えず、申し訳ない」

――続く




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