AWC 空白 〜 青陽寮殺人事件 8    永山


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#5007/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/12/27   1:55  (199)
空白 〜 青陽寮殺人事件 8    永山
★内容
「反町夫妻は娘の独り暮らしを心配しており、彼女が一年生のときによからぬ
噂を耳にしたそうだ。そこで娘の進級を機に、調査と監視を兼ねて興信所の人
間を雇っている。野崎雄三という名の男だ。これまで黙ってきたのは、家庭内
の恥をさらすようで気が進まなかったかららしいが、今度のアクセサリー発見
で吹っ切れたと言っていた。娘に済まない気持ちもあったようだ」
「関係あるんですか。事件に」
「野崎は反町真弥を密かに監視していたと言ったろう? 四月二十八日の事件
当夜も見ていたはずだ。殺しに関して、何か目撃していても不思議じゃない」
「……」
「当然、私は野崎に接近したよ。真正面から訪ねても守秘義務を盾にされるだ
ろうと思い、一私人としてね。驚いた。野崎という男は狸だ。真実を知りなが
ら、自分の利益になるが故に隠し続けてきたのだから」
「僕にどうしろと」
「協力してもらいたい。野崎の話だけでは弱いし、全てを明かしてくれそうに
ない。証拠を掴むためには、別の協力者が必要なんだ」
「それが、僕だと? 馬鹿げてると思いませんか」
「思わない。無論、すぐに返事をくれと期待しちゃいないよ。そちらにも選択
肢はたくさんある。説得してくれてもいいし」
「僕なんかが関与しなくても、警察の力があればすぐ蹴りが着くでしょう」
「それがそうでもない。実は、野崎の存在を、まだ仲間に知らせていないのだ
よ。手柄を独り占めしたいんじゃなく、反町夫妻の気持ちを大事にしたかった。
こんな風に考えるのは、年を取った証拠かもしれないが」
「……少し、考えさせてもらえますか」
「ああ、もちろん」
 相手の気弱な態度を目の当たりにし、渡は内なる緊張感をふっと緩めた。つ
いこの間までしていた禁煙を思い起こしながら、懐に手を入れ、煙草を取り出
した。火を着け、「連絡を待つから」と言い残して立ち去ろうとした刹那。
 背を丸めて物思いに耽っていたはずの相手が、急に動いた。素早く接近し、
渡の腰に腕を回して密着すると、力を込めてきた。
「――何を?」
 疑問に対する返事はない。代わりに、足が浮いた。上半身が手すりの外に出
る。風の音が激しくなったような気がする。
「おい、貴様!」
 策を掴もうと手を伸ばすが、届かなかった。抵抗しようにも、渡を放り出そ
うとする力は、渡の腕力を遥かに上回る。実際には力に大差はないかもしれな
い。平地で組み合ったとすれば、柔道技で渡が勝つかもしれない。
 しかし、この状況で重要なのは瞬発力。現在の渡に欠けているものが、相手
にはあった。
 膝までもが柵を越えた。だめかもしれない。
 渡は誰かに届くことを願って、声を限りに叫んだ。
「土橋ーっ!」
 次の瞬間、靴の向こうに夜空を見た。

 手続きを無事終えて、土橋孝治は腕時計を見た。急ぐ必要はない。一服して
行こうと、ロビー片隅にある連脚の椅子の左端に腰掛けた。その座席が、灰皿
に最も近いのだ。機内では手違いで、禁煙シートに座らされた。我慢を強要さ
れた分、早く吸いたい。
 トランクを見やる。中には各学会でもらってきた資料が詰め込んである。取
り出して読んでもよかったのだが、気が変わった。日本語が読みたいと思った。
 首を巡らすと、視界に入ってきたのは新聞や雑誌の掛かったラック。未着火
の煙草をポケットに入れ、立ち上がると、大手の新聞を一綴り持って戻る。
 開く前に、改めて煙草に火を着け、くわえた。煙に目を細めつつ、紙面を凝
視する。関心を呼ぶ記事が飛び込んできた。いや、記事ではない。まず顔写真
に興味を引かれた。知っている人間だ。
 次に見出しを読む。土橋の口から煙草が落ちた。拾おうともせず、記事をし
ばらく読みふけった。
(渡刑事が死んだ……)
 その事実が頭の中で繰り返しこだまする。
 土橋はようやく煙草を拾い上げると、少しだけ迷ってから、灰皿に押し付け
火を消した。読み終えてからも長い間考え込んでいた土橋は、最初に思い描い
たよりも遅れて空港ビルを出た。
 まともに太陽の光を浴び、まぶしさに目を細めたのと同時に、土橋の肩を叩
く者がいた。
「遅かったですな、土橋先生」
 振り返ると、よく見知った顔があった。その男の鼻髭をひくつかせながらの
笑みに嫌悪感を覚える。土橋は無理をして笑い返した。
「やあ、野崎さん……何のご用ですか」

 管理官が入室すると同時に、新聞を握り潰した鍋谷。渡の顔写真が丸まって
しわになり、見えなくなった。
 捜査会議はいつにも増して熱気を、否、殺気を帯びていた。
 自分達の仲間だった男が、殺しの被害者になった。部屋は、渡の弔い合戦と
いう空気に包まれていた。
 捜査を開始した当初は、事故死の可能性も取り沙汰されたが、聞き込みの結
果、現場の雑居ビル近くに住む者複数名が、言い争うような声を耳にしていた
と分かり、殺人事件と断定された経緯があった。
 まず注目されたのはその言い争いの内容だが、当日は風が強く、また言い争
いの場が雑居ビルの五階より上らしかったため、はっきり聞き取れた者は皆無
だった。怒声の飛び交った時間も短かったようだ。
 続いて手掛かりになると見なされたのは、死ぬ直前数日の渡の行動である。
春陽寮の浴室からアクセサリーが見つかって以後、精力的に動き回った節があ
る。彼の手帳の予定表を見ると、反町真弥と矢田口文彦が殺された事件の有力
容疑者である三名に、別個に会うことが書き込まれていた。草島、猪狩、連城
にそれぞれ確かめると、彼らは態度の違いこそあったが、三人とも渡と会った
と認めた。渡の話は、青陽寮にまつわる殺人事件に関して証言を一つ一つ確認
するようなものだったという。
 渡の行動の真意はさておくとして、捜査陣の疑惑の目は俄然、三人に対して
向けられた。しかし、本日の捜査会議で報告されたのは、証人達が言い争う声
を聞いた時間帯、三人にはアリバイが成立していた事実だった。
「穴があるんじゃないのか」
 聴取に当たった刑事以外の面々から、当然の疑問が出される。即座に反論が
上がった。
「草島は多人数に目撃されている。ドラマの撮影には大勢の人間が関わります
からな。しかも、ビデオには、殺されるサラリーマン役の草島が映っていた。
確認済みです。間違えようがない」
「しかし、出ずっぱりだった訳ではあるまい。出番のないとき、隙を縫って現
場に行き、殺して戻るってことも」
「そんなの、無理無理。ロケ地はF県です。飛行機を使ったって、とても間に
合いやしない」
「それを言うなら、猪狩のアリバイこそ検討すべきだ。ペンションにいたとい
うだけだろ? N県と殺人現場とでは多少距離があるが、何とかならんのか」
「証人が身内だけではないのがネックですねえ。ペンション『ユーリ』の宿泊
客の多くが、猪狩友和を目撃しています。犯行時刻が真夜中だったのならまだ
しも、九時半ではどうにも……」
「連城のアリバイ、怪しくないか? こんな平日に友人の結婚式に出席だなん
て、いかにもアリバイ作りを計画したように思えなくないぞ」
「そんなこと言われましても、仏滅で挙式するカップルもいる昨今ですから。
ともかく、連城由紀子は三次会まで参加しており、アリバイは完璧です」
 いずれのアリバイも多数の証人に支えられており、突き崩すことは不可能と
思われる有り様だ。
「渡君は事件を一から洗い直そうとしていたんだろう。そうだな?」
 若い管理官が言った。同調を求めるような響きがあった。
「犯人を示すに足る何らかの証拠を掴み、直接犯人と会合を持とうとした結果、
殺されてしまったと考えるのが自然だ。しかし、我々がリストアップした三名
の容疑者は、渡君を殺した犯人ではあり得ない状況である。当然ながら、別の
犯人を想定しなければならない。青陽寮での事件の関係者で、なおかつ今度の
事件の前に渡君の接触を受けた者、さらにはその中でアリバイのない者がいる
かどうか、調べるべきだ。違うかね?」
 大した見解ではないが、捜査の方向として間違ってもいないだろう。鍋谷達
刑事は再び散った。

 村中怜奈の携えてきた情報を、氷上は下宿の自室でありがたく受け取った。
「大変だったんだから、感謝してよ。色んな人と会わなくちゃいけなくて、名
簿も大量に当たったし、電話掛けまくったし、化粧代も馬鹿にならない」
「分かった分かった」
「ほしい物があるんだけれど」
「買ってやる。ただし、今回の君の仕事及び私の収入に見合うレベルに限る」
「私だって心得てます」
 にんまりした村中が大人しくなったところで、氷上は熟読を開始した。
 最初に目を引いたのは、矢田口に関する項目に「カンニング」なる単語があ
ったこと。矢田口の極親しい友人を見つけ出し、矢田口の素行に関して何か面
白いエピソードはないかと尋ねたところ、彼は大学入学半年目にしてカンニン
グに手を染め、ほぼ全ての試験をカンニングで乗り切るようになった。その腕
前を自慢していた矢田口が、ある時期からカンニングをぷっつりやめたという。
 氷上はその時期が、矢田口が土橋の部屋に頻繁に出入りし始めた頃に重なる
と気付いた。想像をたくましくすれば、ある仮説を打ち出せなくもない。
「カンニングをしなくなったのは誰かに見つかったから、というようなことは
ないんだな?」
「あん? ええ、そうよ。『俺は足を洗った。真面目人間になるんだ』とか笑
いながら言ってたらしいわ」
「最後にカンニングをしたときの試験科目、分からないかなあ……」
「無理よ。そんなこと分かる訳ないでしょ。ばっかじゃない。常識ってものを」
「私が悪うございました」
 耳を塞ぎ、気分新たにレポートに目を通す。
 次に興味を引かれたのは、反町真弥が殺されたあと、逃げた人影を追い掛け
た寮生は十人を下らないのだが、矢田口文彦が本当にその中に含まれていたか
どうか、確認が取れていない点だった。なるほど、事件発覚直後だけに寮周辺
はざわついていただろう。寮を飛び出して賊を追い掛ける矢田口に、誰一人と
して気付かなかったとしても、仕方がないものかもしれない。
 しかし、ここでも想像をたくましくしてみればどうか。様々な仮説を見出す
ことが可能ではないか。
「矢田口文彦の、寮を飛び出すまでの行動って、分かったか? 当夜の九時以
前の行動だ」
「ファイルに書いてあるわよ。次のページかな」
 マニキュアが目を引く指で示す村中。氷上はページを繰った。
 矢田口は夕食後、午後八時までは自室にいたことが目撃されている。それ以
降は不明だ。
「こんなことがよく調べられたな」
「それは単にラッキーなだけ。聞き込みに応じてくれた相手の中に、寮生の動
きを分かる範囲で一覧にしてみた人がいて、その人から教えてもらったから楽
だったわ。どうしてそんな一覧表を作ったのかを聞いてみたら、その人も犯人
当てしようと考えたらしいの。笑っちゃう」
「なるほどな。まじで運がよかったかもしれないぞ。いいや、運がいい」
 氷上の頭の中で、犯罪の構図が描かれつつあった。

「新たな目撃者が見つかりました!」
 その報告がもたらされたとき、捜査本部は色めき立った。
「正確には、目撃ではありませんが、言い争いの声の一部を聞き取った者がい
たんです」
「今頃になってか。信憑性は大丈夫だろうな」
「ええ。浮浪者の男で、雑居ビル周辺にいたのを目撃されていたのですが、そ
の後行方知れずになっていたのが、今日になって居所を掴めた次第でして」
「それで、何と言ってるんだ?」
「言い争いの中で、『どばし』と叫ぶ声を聞き取っています」
「どばし?」
 関係者の名字と一致する。
「土橋孝治のことか?」
「分かりませんが、少なくとも渡さんの叫びには間違いないと思われます。つ
まり、当夜、会っていた人物の名前が土橋……」
 即座に総都大学へ鍋谷刑事が派遣された。無論、土橋孝治に事情を聞きに行
くためだ。その日の講義が全て終わるまで待ち、夕刻から行われた。
「つかぬことを伺いますが、今月十四日の午後九時から九時半の間、どこで何
をされてましたか」
「ああ、渡さんが亡くなった件ですか」
 先回りするかのように、土橋が言った。余裕のある態度に見えて、鍋谷は不
安になった。元々、手駒不足で乗り込んできただけに、勢いがない。相手も大
学教授、そこそこ社会的地位のある人物だけに、曖昧な根拠だけで恫喝や当て
こすりめいた聴取もやりにくい。
「僕はその頃ずっと日本を離れていまして、帰国直後に知りましたよ」
「日本にいなかった、ですと?」
 頓狂な声を上げてしまった。こりゃだめだと思ったが、念のため、裏を取ら
ねばならない。詳細を聞き、書き取るためにメモ帳を取り出した。相手に警戒
されぬよう、ポケットの中でメモを取ることもあるのだが、今この状況ではそ
んな駆け引きは不要と見た。
「ペルーとアメリカのハワイの方に学会で」
「ペルーとハワイ……。よく分からんのでとんちんかんを言うかもしれません
が、御容赦をば。文学の学会がペルーやハワイで開かれるもんなんですか?」

――続く




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