#5006/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/27 1:53 (198)
空白 〜 青陽寮殺人事件 7 永山
★内容
素直な返事が聞かれたのだが、鍋谷はどうしても鵜呑みにはできなかった。
筋の通った理由がある訳ではない。ただ、氷上哲也という若者の外見が気にく
わないだけだ。
第一印象は勤労学生だったのに、氷上がヘルメットを外すと、弁髪が覗いた。
これでイメージががらりと変わってしまった。目が細ければ、カンフー映画に
出て来そうな風貌だ。体格も引き締まった筋肉質で、バランスが取れている。
若い連中(男)を見ると、つい、こいつと取っ組み合いになったらどうねじ伏
せるかを考えてしまう鍋谷だが、氷上には苦戦するだろうなと分析した。あの
尻尾みたいな髪を掴めば何とかなる……。
職業を尋ねると、案に反して職業冒険家などという奇妙な答が返って来た。
要するに無職なのだが、本人は様々な仕事を(あたかも未開の領域に挑む冒険
家のように)転々とするのが趣味らしい。
鍋谷の視線に気が付いたらしく、氷上は鼻の脇をこすりながら、苦笑いめい
たものを表情に作った。
「すみません、こんな格好で。信用ないみたいですね」
「そうは言っとらんよ」
見透かされたような気がして、心地よいものではない。
「吉崎さんにも聞いてください。一緒に見つけた人だから、同じ証言をしてく
れるはずです」
「ああ、それは確認済みでね」
「勝手に袋を破って、中身を取り出したことはお詫びします。こんな、殺人事
件に関係する物とは想像できなくて……本当に、すみません」
深々と頭を垂れた氷上。弁髪が一歩遅れて垂れ下がる。何とはなしに、ユー
モラスな動作。鍋谷は思わず吹き出した。
「分かった分かった。そんな恐縮せんでくれ。あー、我々としては、君の発見
のおかげで助かったんだ」
「そうですか?」
表情を明るくしつつも不安の色を残す氷上に、鍋谷は「場合が場合なら、金
一封が出るかもしれんぞ」と言ってやった。それでようやく、氷上は落ち着け
たらしかった。漫画で描いたみたいに、目尻と唇両端とを上げて笑う。
案外かわいいところもあるじゃないかと、鍋谷は警戒を解いた。と言うより
も、色眼鏡を外したとすべきか。
だから、氷上が次のような台詞を発したのに対しても、快く答えていた。
「事件について、ちょっと教えていただきたいことがあるんですが……」
五月七日、ゴールデンウィークが明けて賑わいを取り戻しつつある総都大学
を、一人の弁髪男が訪れた。広いキャンパスにあっても、その異様は目立つら
しく、すれ違う人は学生、教員、職員を問わず、たいてい振り返る。当たり前
のようにしているのは、当人と英米からの留学生ぐらいだ。
氷上はここの学生ではない。そもそも、大学生でさえない。にもかかわらず、
総都大にやって来たのは、事件に関心があるからだ。青陽寮でのアルバイトを
とっとと辞めて、事件を追い掛けることにしたほどである。
「すみません、土橋先生の部屋はどちらですか」
数ある棟を前に途方に暮れていた氷上は、通りすがりの学生を掴まえて教え
を請うた。相手は韓国か中国の人だったらしい。少しだけイントネーションの
変わった日本語で返事があった。「ごめんなさいー、知りません」と。
氷上は礼を言って、次の人を掴まえ、今度こそ教えてもらった。
「土橋教授の部屋なら、L棟の四階だな。四一六号室です」
「四階の四一六。どうもすみません。ありがとう」
忘れないように、口の中で部屋番号を唱えながらエレベーターに乗り込む。
同乗者がいなくて幸いだ。いれば、この珍しい容貌に加え、ぶつぶつ呟いてい
る危ない人と思われかねない。
ともあれ、四階まで直行できた。箱から出ると四階の案内板が目に飛び込ん
できたので、四一六号室の位置を確かめ、足早に向かう。事前に電話を入れ、
約束を取り付けている。十時四十分から三十分ほどならいいということだが、
その時刻に遅れそうで焦る。少々の遅刻は大目に見てくれるだろう。ただ、氷
上としては一分一秒も無駄にしたくない。電話で聞いたところによると、土橋
は二日後の日曜には海外出張に発つ予定で、帰国は一週間後だという。氷上に
とって、今日を逃せばしばらく接触できなくなるのだ。
目的の部屋の前に着き、腕時計を見た。ジャスト十時四十分。氷上はガッツ
ポーズをしたその腕で、ドアをノックした。
初対面の挨拶をかわした後、土橋は部屋に招き入れてくれた。
「氷上君は、とても面白い格好をしているね」
土橋は自らソファに腰掛けながら、低いテーブルを挟んで正面に位置するソ
ファを氷上に勧める。
「おかしいでしょうか」
「いや、興味深いという意味だ。似合っているよ。と言っても、こんなおじん
のセンスなんて当てにならんだろうけど。コーヒーでも飲むかね」
忙しなく立ち上がった土橋は、備え付けの流し台へと足を向けた。コーヒー
メーカーが置いてあり、保温のランプが点いているのが分かる。
「おかまいなく。土橋先生にとって、私の訪問はあまり愉快でないことでしょ
うから」
「ああ、殺人事件の話だったね。忘れたいのだが、なかなか忘れられんものだ」
濃い青色のマグカップと紙コップそれぞれにコーヒーを注ぎ、両手に持って
戻って来た。土橋の勧めに、氷上は「どうも」とうなずくと、紙コップをテー
ブルに置いたまま両手で包んだ。
「お時間はよろしいですか? 私としても早速用件に入りたいんです」
「かまわないよ。十一時半ぐらいまでならOKになりそうだ」
氷上はまず、青陽寮浴室の壁から袋に入ったアクセサリーを発見した経緯に
ついて、詳しく話した。簡単なあらましは、電話をした段階で伝えてある。
土橋は氷上の話に、しきりに相槌を打ち、首肯した。まるで初めから全てを
知っていたみたいな態度に、氷上は疑問を呈した。
「実は、警察からすでに聞かされているんだよ。君から電話をもらう前……あ
れは五月四日だったから、発見してすぐだったんだろう」
土橋が答えて言う。
「そうでしたか」
貴重な時間を無駄に浪費してしまった。氷上は髪の根っこの辺りを掻きなが
ら、話を再開した。
「アクセサリーの写真のコピーをもらってきたんですが」
カラーコピーした物を取り出し、白い木のテーブルの上に置く。
「見覚えありませんか」
「……何故、そんなことを僕に?」
「反町真弥という学生が、普段もこういった物を身に着けていたかどうか、知
りたかったんです。このアクセサリーの形が土橋先生の記憶にあれば、反町は
普段から着けていたことになる」
「なるほど。しかし、記憶にないな」
コピーを一瞥し、軽く指を触れただけで興味をなくした様子の土橋は、コー
ヒーを一口すすった。見た目はそれなりに貫禄あるが、少なくともその飲む仕
種は年老いた犬のように、どことなくみすぼらしい。
「そんなことを知って、どうしようというのかね」
「……乗りかかった船ですね。白状すると私は警察の真似事が好きで、事件と
聞くとよだれを垂らしそうになる。もちろん比喩です」
冗談を真顔で話す氷上。
「さて、どこまで話しましたか……そう、反町が普段からあんな高価そうな物
を身に着けていたのなら、奪ってやろうと考えた輩がいてもおかしくない」
「ははあ……だが、その女学生が死んだ事件は、確か怨恨の線が有力じゃなか
ったかな。警察もそう言っていたようだが」
「ああ、そうでしたか。それじゃあ、偽装なのか。当然と言えば当然ですね。
アクセサリー目的の殺人なのにそれを壁に埋め込んでしまったとしたら、間抜
けだ。あとで取り出すのが面倒すぎる」
「その通りだ」
「では、反町にアクセサリーを贈った人物にも、動機があったかもしれないな。
土橋先生、ご存知ありませんか?」
「そんなこと、僕が知る訳がない」
「残念です。容疑者に関して、警察から何か聞きました?」
「……草島という男が犯人かもしれないと聞いたね。結局、逮捕には至らなか
ったようだが」
「その名前なら、私も教えてもらいました。被害者と同じ劇団員で、親しい関
係だったと。ところで、もう一人の被害者、矢田口文彦と土橋先生は面識があ
りましたよね」
「な……何を断言してるんだね」
口元へカップを運ぶ手が止まる土橋。
「君はうちの学生じゃないのに、どんな根拠で」
「舞台裏を明かしますと、私の旧友が、総都大生なんです。村中と言うんです
が、なかなかに聡い。ここ二日ほどで調べてくれましてね」
二十歳に満たない氷上の口から、「旧友」という単語が出るのは不似合いだ
った。話っぷりは落ち着いていて、堂に入っている。ソファに腰をしっかり下
ろし、膝に手を添えて朗々と歌い上げる風に語るのだ。
「……その学生は、どうして同行しなかったんだね。講義が入ってるのかね」
「本人の口からはアルバイトがあると。連休で空っけつになったらしくて」
「氷上君。君は何故、この事件に執着するんだい? 警察の真似事が好きと言
うだけでは、とても説明が付かないように思える」
「他人の頭の中なんて、計測不可能でしょう」
素っ気なく答え、肩をすくめた氷上。説明しようとしても無駄だという意志
表示に他ならない。
土橋は気分を害した風に、足を組んだ。
「解決できると思っているのかね。警察ではなく、君個人の力で」
「そんな大それたことは」
氷上は笑って頭を傾けた。弁髪を弄び、語尾をはっきり言わないまま、済ま
せてしまった。
「矢田口文彦は学部違いにも関わらず、割と頻繁に土橋先生の部屋を訪れてい
たそうですね。一部の先生方はご存知でしたよ」
「彼は読書が趣味で、読むべき古典を教えてほしいと、僕にレクチャーを請う
てきていたのだよ。一方でテニスがうまく、異性からはスポーツマンタイプと
見られていた彼は、文学青年のイメージを被りたくないと言ってね。それで秘
密にしていただけのことだ。大した話じゃない。警察にも伝えている」
「その矢田口が殺されたと聞いたとき、どう思われました?」
「何も。いや、気の毒だとは思った。だが、それ以外に何もない。氷上君、誤
解があるようだから言っておこう。僕が矢田口君と特に親しかった訳ではない
のだ。あの程度の付き合いなら、他にもたくさんの学生としてきたよ」
「なるほど。それは反町についても同様でしょうね」
「もちろん」
「分かりました。不躾な質問に答えてくださり、感謝します。ご無礼があった
らお詫びします。私はただ、被害者に共通する項目を探したいだけなんです」
「共通項、とは?」
怪訝そうに目を細めた土橋。顎に手を当てたポーズを取り、見解を付け足す。
「二人は、全く別の動機で殺されたと警察は言っていたはずだが、それに今さ
ら異を唱えるつもりかね」
「そうなります。しかし、異を唱えるというのは正確じゃありません。思い付
く限りの可能性を一つ一つ潰して行こうという考えでしてね。残った可能性こ
そ、真相なんじゃないかと」
「ふむ、条件付きで有効な方法だろうねえ。全ての可能性を真にリストアップ
できるのであれば、そして一つに絞り込むことができるのであれば」
「場合によっては、論理の厳密さは緩和されると思うんです。現実世界、実生
活、日常において一部の隙もない推理を組み立てるのは難しい。仮定ばかりに
なってしまいかねない。そこで、蓋然性や常識によって右か左かを判断するこ
とは許容される」
「それで殺人犯人にされる方はたまらない」
「裁判の判決とは概してそういうものです」
氷上はおもむろにコップを持つと、中身を一気に煽った。
「猫舌なんです」
笑いながら立ち上がり、礼を述べてから辞去した。
もっと厚着をして来るべきだったと、渡は後悔していた。
十四日、金曜日の午後九時過ぎ。五月も半ばに差し掛かり、穏やかな気候に
なったが、夜となるとたまに涼しすぎることもある。それに今、渡は吹きさら
しの高所にいるのだ。雑居ビルの外壁に設置された非常階段。そこが待ち合わ
せの指定場所だった。
寄る年波には勝てない……首をすくめ、そんなことを考えた渡の耳に、単調
な音が聞こえ始めた。階段を上ってくる靴の音だ。
「久しぶり」
外灯の薄明かりの下、相手の姿を認めると、渡は軽く手を挙げた。相手も同
じ動作で応えた。
「手紙は?」
「読みましたよ。わざわざ大学の方に送ってくるから、何ごとかと警戒してし
まいました」
「内容については?」
「……」
「まあ、しょうがない。早速だが、用件に入ろう。当然、あの事件のことなん
だが、今になって新しい展開を見せてねえ」
切り出した渡は相手の反応を窺った。相手は黙ってうなずくだけだった。
「寮の風呂場からアクセサリーの類が見つかったのは知ってるだろう? その
報告が、反町さんのご両親になされた。それから二日後、ご両親は私にだけ打
ち明けて来たんだ」
「何て?」
相手の発声は寒さに震えるような、か細い声になっていた。
――続く