#5004/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/27 1:50 (200)
空白 〜 青陽寮殺人事件 5 永山
★内容
「その後、アパートに戻ったのが午後八時五十分で、これも証人はいません。
それから午後九時三十分頃に、反町と話しがしたくて寮に電話したところ、学
生の一人から反町の死を知らされ、急いで駆けつけたと言ってます。ただ、寮
全体が混乱していたせいなのか、草島の電話を受けた学生は見つかっておりま
せん。ひょっとしたら、死んだ矢田口が受けたのかもしれませんが。えー、そ
れから、寮に来てからの草島を見かけた者はいます。が、その時刻は不確定」
「こいつもアリバイなしか」
反町の死亡推定時刻は四月二十八日午後八時から九時の一時間、矢田口の方
は発見が遅かったため、二十八日の午後九時半から十一時半と幅を持って判定
されている。連城、猪狩の申し立てたアリバイにも客観性がなかった。
続いて寮から逃走する人影の目撃証言の総合報告がなされた。それによると、
犯人はほっそりした体格で、身長は低くとも一七〇はあったと見られる。身が
軽く、寮の塀を易々と乗り越えていった。他に、髪は黒であるとか、右手にナ
イフを持っていたとか、布にくるんで何かを運んでいた等の証言もあったが、
いずれも単独証言であり、また寮の灯りの乏しさから考えて信憑性に欠けると
された。何しろ、犯人は全身黒尽くめだったという証言まで飛び出したのだが、
これは証人の思い込みである可能性が極めて高い。
「体格及び身体能力の点から言って、連城由紀子は違うんでは?」
「念のためだ。証言の確度や共犯の可能性を考慮して、連城も容疑枠から外さ
ないでおく。連城の借金額が一番大きいのだからな」
このあと、故買屋や盗みの前科のある者に当たった刑事から、反町のアクセ
サリーは今までのところ出回っていないことが伝えられた。結果、単純な物盗
りの末の犯行という線は捜査方針から完全に外された。
引き続き、各捜査員に指示が与えられる。
「渡刑事は……猪狩が戻るまで手が空くだろう? ちょうどいい、被害者の両
親に会って話を聞いておけ」
「反町の両親ですか」
連休に合わせて旅行に出たばかりで、すぐには連絡できなかったのがようや
くつかまえられたらしい。
「今日の昼前、青陽寮に来るそうだ。大手企業のシンクタンクのお偉いさんだ
から、口にはせいぜい気を付けてくれたまえ」
渡は一人で寮に出向き、反町の両親と対面した。場所は以前、連城から話を
聞いたときと同様、食堂にした。
悔やみを述べたあと、ごくごく簡単に事件のあらましに触れ、捜査の進展具
合や娘の遺体の引き取りについて事務的に伝える。憔悴しきった親を前に、い
ちいち感情を揺さぶられていては、仕事にならない。ただ、警察として犯人を
必ず捕らえねばならないという思いは一層強まる。
「真弥は大学に入ってから、付き合いが急に派手になってしまい、私どもとし
ても内心、気掛かりではあったのですが……」
悲嘆に暮れる妻の横で、夫は重苦しく言った。言い終わったあと、口を真一
文字に結ぶ。後悔の念がありありと窺えた。
「つかぬことをお尋ねしますが、娘さんの交際範囲について、どの程度ご存知
でしたか?」
夫婦は顔を見合わせてなお、押し黙っていた。夫の方がやがて渡へ向き直り、
「ほとんど何も知らなかったんだなと」
ぽつりとこぼした。
「高校のとき、劇団に入るというのを認めてやって、特に問題なくやっていた
ようでした。そのせいもあって、我々は安心しきっていたのかもしれない。忙
しさにかまけて、放任主義が過ぎた……」
言葉を詰まらせる。鼻をすする音がした。妻の方は、ずっとうつむいている。
渡はこの質問の矛は収めた。
「参考までに聞いておきたいのですが、娘さんが劇団に入ると言い出したとき、
最初から認められたんですか?」
「内心は不安もあったね。だが、団長が名の知れた人だったし、会ってみて考
え方のしっかりした、芯の通った人物だと分かったので、すんなり認めたなぁ」
懐かしむ様子の夫。なおのこと湿っぽくなりそうだ。渡は話の流れの修正に
取り掛かった。
「特にもめたことはないんですね。小耳に挟んだところでは、劇団にまとまっ
た額の資金援助をしていたそうで」
「金銭面でトラブルは一切ありません。使途については毎月きちんと報告され
ていたし、私だって馬鹿じゃない、監査を時折入れたが、一点の曇りもない」
「監査」
「それが援助当初の条件の一つだった」
「劇団は、援助に見合う結果を出していたのでしょうかね?」
「分かりません。お恥ずかしい限りだが、劇の善し悪しに関して、私は全く言
及できない。娘の真弥が興味を持たなければ、観ることさえ一生なかった」
親馬鹿という単語が、渡の頭の中をかすめる。とりあえず、事件とは関係な
さそうだから、これでよしとしよう。渡は聴取を切り上げることにした。
「事件解決、犯人逮捕に全力を注ぎますので、お気を強く持ってください」
言い慣れた台詞に気持ちを込め、己の取り組む姿勢をも鼓舞する。
刑事の同僚が即仲間とは限らない。それどころか反目し合い、手柄を立てる
ためなら情報隠しもざらだ。しかし、草島の話を聞きに行った鍋谷刑事は、渡
にとって幸いにも旧知の間柄だった。年齢こそ渡の方が一回り上なのだが、互
いにざっくばらんに意見を言い合える存在である。
「こっちも、どうもしっくりこんのですわ」
事務机の角に手を突き、うなだれた鍋谷。五月が始まったばかりというのに、
汗を盛大にかいている。夏本番なら麦茶が用意されているのだが、今はまだ季
節ではない。出涸らしの冷めた緑茶を湯呑みで煽ると、鍋谷は人心地ついて渡
の隣に腰を落とした。
「草島が一番怪しいと思っとったんですが、引っ張るだけの決め手に欠けるん
だなあ。会う約束をしとって会えなかったいうのは嘘で、ほんとは会って、殺
した。ありそうな線なんすがねえ」
「俺もそう思う。猪狩が犯人だとしたら、殺してすぐ山へ行ったことになる。
人を殺しておいて、山登りってのはできるものかねえ? 集中力が薄れて転落
でもしかねない。連城の方はよく分からんが、体格が目撃証言から遠いせいも
あって、何となく彼女は犯人でないと、俺の頭の中で鐘が鳴っているよ」
「でもなぁ、犯行時刻の草島のアリバイは不明瞭だが、寮に現れる直前の行動
は割にはっきりしとるんですな、厄介なことに」
「どんな具合に?」
椅子の背もたれに体重を掛けながら、ライターを弄ぶ渡。
「借りてたビデオを返すためにレンタルビデオ屋に寄ったのを、店員が覚えと
ったんです。記録も残っている。防犯カメラには不鮮明な映像ながら、草島の
姿が残ってたし、お手上げですわ」
「そうか、防犯カメラか。あれは客観的だよな」
「おかげで、草島が土橋先生の車を襲ったり、矢田口を殺したりする可能性は
薄くなった。不可能じゃないが、とてつもなく忙しく動き回らねばならん」
「不可能じゃなきゃ、いいじゃないか。……うん? 草島って奴は確か最初、
アパートから電話を掛けて事件を知り、寮に駆けつけたと言ってたんだよな」
「そうですとも。どうかしました?」
「おいおい、しっかりしてくれ。付き合ってる女の死を聞いて急いで駆けつけ
た奴が、その前にビデオレンタル屋に寄ったのは変じゃないか?」
「おお! そうだ、変だ。レンタルビデオ屋はアパートと寮とを結ぶ途上にあ
るんで、特に違和感を持たずにおったんですが、言われてみればおかしい」
しきりに頭をかく鍋谷のその顔には、再び汗が噴き出してきた。そして、恥
をかいたという思いを草島にぶつける。
「あの野郎、嘘をついてやがったか!」
「突っ込めば、何か出て来るかもしれんよな。早いとこ頼むぜ」
両刑事は草島への嫌疑を強めた。
猪狩は自ら語っていたように、五月三日に戻って来た。
(犯人でなければすぐに飛んで来るだろうし、犯人ならば悲しんでるふりを示
すためにやはり予定を切り上げて来るんじゃないか)
そう踏んでいた渡にとっては、当てが外れた格好になる。
警察に赴いてきた猪狩を前に、作戦を検討しながら腰掛けた渡。
「登山は楽しめましたか。反町さんが亡くなったあとでは、気が散ってならな
かったんじゃないですか」
「俺だってね、早く引き上げたかった。しかし、チームなんだから、勝手に帰
ることは許されないんですよ」
吐き捨て、反発した猪狩。この反応は渡の予想通りだ。
「俺一人が抜けたら、外されてしまう。暮れのアタックは、俺にとって重要な
んです、外されちゃたまらない」
「恋人の死を差し置いて、だね」
「心外だ、刑事さん。俺は訓練中も真弥のことが気になってたまらなかった。
死んだと聞いて、一刻も早く帰りたかったんですよ。それができなかったのは、
今言ったように――」
同じ主張を繰り返そうと、演説よろしく拳を握って立ち上がりかける猪狩。
彼を手で制して落ち着かせ、再度座らせると、渡は机を指先で叩いた。
「いや、失礼な物言いをしてしまったようで。こちらも成果が上がらないんで、
焦ってましてねえ」
「俺がここに来たのは、事件について詳しく聞くためと、捜査に少しでも協力
したいがためだ。話してもらえないんですか」
「ええ、ええ。ぜひともお願いしたい。現在、最有力容疑者は、あなたが教え
てくれた草島なんですよ。彼について、もっと詳しく教えてもらえませんか」
「あいつが?」
意外にも驚きを露にする猪狩。
「あの男に殺人なんてできるとは思ってなかった……。ましてや、真弥を殺す
なんて、馬鹿げてる。やるんなら、俺を狙えってんだ!」
猪狩は唾を散らし、拳を机に強く打ち当てた。
「冷静に願いますよ、猪狩さん。伺いたいのは、草島が普段、反町さんとどの
ように接していたかということなんです」
「どのように、とは? 俺の知ったことじゃないと思いますがね」
「たとえば、生前の反町さんが、草島と口論したと語っていたとか」
「ああ、それぐらいなら、いくらでもあります。演劇やってる連中の特徴なの
かどうか俺には分かりませんが、しょっちゅう言い争いはあったみたいですよ。
もちろん、演劇についてです」
日常化していた口論では、動機として弱い。
「劇のこと以外で言い争ったという話はなかったかな」
「あります。真弥は自分がああいう性格のくせして、男友達のこととなると束
縛したがるところがあって、草島の浮気を怒ってましたよ。それを俺に話すん
だから、真弥も大したもんです」
「話を聞いて、猪狩さんはどう思いました? 反町さんに対して」
「え、真弥に、ですか……? もう慣れっこになってたから、別に。草島の肩
を持つ気はないしね」
「あなた自身、反町さんと付き合い始めたあと、他の女性とどうこうっていう
のはありませんでしたかね」
「さあて。どこから区切ればいいのか。はっきりいついつから付き合い出した
という自覚が乏しいんですよ。まあ、極最初の頃に、真弥から『あの女は何?』
ってな感じで文句を言われた記憶はありますが」
「最初の頃というと、一年前くらいですか。そのときの女性は、今は?」
「分かりませんね。もう付き合いはなく……何よりも彼女、留学したんで」
外語大の学生だったその女性は、猪狩が反町と親しくなるに従い離れて行き、
英国へ留学したという。
これも無関係だなと、頭の中で構築した筋書きの一つを塗りつぶす渡。
「いかん、脱線したな。話を戻します。女性関係について詰られた草島が逆上
し、反町さんを殺害したとは考えられますかね。猪狩さんの知る草島の性格か
ら、判断してみてくれませんか」
「難しいな。あいつね、訳分かんないんです。普段、俺の前ではおどおどして
ることが多かったけど、酒が入ったり、劇や自分のファッションのこととかに
なると、一度火が着いたら行くところまで行っちゃう。極端なんですよ。ああ
いう奴が喧嘩したら、加減を知らないから相手を殺してしまう場合もあるんじ
ゃないかな」
ここで言葉を切ると、猪狩は言い過ぎたとでも感じたのか、口元を拭って付
け足した。
「でも、本当に、普段の草島は人を殺せるタイプじゃない。走り出すきっかけ
がなければね。俺は草島のこと好きじゃないが、それだけは言える」
「ふむ……もう一つ、聞きたい。君が草島と取っ組み合いになったとき、殺さ
れるという恐怖感を感じたかい?」
右の人差し指を立てながら聞いた渡。猪狩はにやっと笑って、首を振った。
両腕を広げるようにして答える。
「俺のこの体格ですからね。奴がいくら暴れても、押さえつけることができた
んで、そういう恐怖感はなかったですよ。ただ、細身のくせして凄い力を出し
やがるから、何だこいつ?と呆れはしました」
草島を呼んでの事情聴取に、渡も同席することにした。
現時点で最有力容疑者と目される草島だが、まだ任意の取り調べである。具
体的な物証もないため、行動の不自然さと動機の点を突くしかない。果たして
突破口とできるかどうか、鍋谷と渡の腕の見せどころだ。
「事件直前に、被害者と激しい口論をしていたそうだね」
「え、ええ、まあ。誰がそんなことを?」
男にしては細い声だ。舞台演劇をこなすとは、ちょっと想像しにくい。
「被害者が生前、友人にこぼしてたんだよ。口論の挙げ句、かっとなって殺し
たんじゃないのか?」
「してませんけど」
草島は首をすくめ、か細い声で言った。
端で聞いていた渡は、「けど」とは何だ?と訝った。が、これが今日びの若
い連中の喋り方なのだと自らを納得させ、続くやり取りに耳を傾ける。
――続く