#5003/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/27 1:48 (198)
空白 〜 青陽寮殺人事件 4 永山
★内容
「文学部の三年で、山登りが趣味っていうたくましい人です。クラブは当然、
山岳部で、アルバイトで稼いだ分のほとんどを登山に使うような人」
連城が微笑する。もしかすると連城自身も猪狩とかいう男子学生に好意を持
っているのかもしれない……当たりを付けた渡は、聞き上手に徹した。
「今時そこまで登山に打ち込むとは、よほど好きなんだろうね。話を聞いてる
と、頼り甲斐のある、いわゆるいい男なんだ?」
「ですね。フランケンシュタインをスマートにした感じっていう人もいますけ
ど、それは違いますよ。プロレスに猪木さんているでしょう? あの人を優し
くした感じです。名字もちょっと似てるし」
渡は角の取れたアントニオ猪木を想像してみた。
「その彼が反町さんと知り合ったのは、どういういきさつがあったんだろう?
学年違いのようだが」
「さっき、アルバイトのお金を登山につぎ込むと言いましたけれど、猪狩先輩
のお姉さんが事故に遭われて、そうも行かなくなったんです。でも、その頃、
猪狩先輩も外国の山に挑戦する話が決まっていて、あきらめきれないでいたそ
うです。そんな話を反町さんが聞いて……ああ、直接じゃないと思います。共
通の友人がいて、その人を介して知り合って。それで猪狩先輩、出世払いの約
束でお金を借りたんです」
ここでも金か。渡は予感が当たったことに苦笑を禁じ得なかった。
「いやあ、最近は借金から始まる恋もあるのかねえ」
渡の言い回しに、連城が笑い声を立てた。案外受けたことに、発言者本人が
戸惑いを覚える。
「反町さん、彼氏の多い人でしたが、猪狩先輩とは結構本気に見えました」
「根拠は」
「……何となく、そういう感じがしたから」
当てにしない方がよさそうだ。そもそも、容疑者候補の一人の証言なのだか
ら、全面的に信用するのは禁物。
渡は、連城が休みの間ずっと寮にいることと、猪狩の居場所を確認して、聞
き込みを切り上げた。
相棒の刑事とともに猪狩を山に訪ねた渡は、対面の瞬間、言い得て妙だなと
思った。長身の猪狩を見上げると、しゃくれた顎に目が吸い寄せられる。
「こんな場所によく来ましたね」
年末のアタックに備えて訓練を重ねていたら、突然麓のコテージまで呼び戻
された猪狩は、その理由が刑事の来訪と知って一層機嫌を悪くしたようだった。
「こちらへはいつから」
挨拶の後、目的を伝えないまま問う渡。
猪狩は軽い口ぶりで答えた。
「先月二十九日の昼過ぎに着いて、仲間と一緒にずっと訓練やってましたよ。
予定が大幅に狂って、いい迷惑です」
「何日まで」
「三日までですよ。当然でしょう。四日は外せない講義があるんです」
「ああ、そうでしょうな。ところでその前日はどうされてました? 二十八日
のことだが」
「うん? 二十八日は……何曜日ですか」
ほんの数日前の記憶が曖昧なのは、よほど山登りに熱中していたのだろうか。
「ええっと、水曜ですな」
「水曜ならバイト入れてないな……。ああ、いや、それ以前に、準備をしてた
んだ。ここへ来るための準備をね」
晴れやかな表情になる猪狩。流暢に続ける。
「講義が終わって家に戻って、準備を済ませました」
「そのあとは」
「六時から外で酒を飲んで、ぶらぶらしてましたね。訓練の間は断つつもりで
したから、たっぷりと」
「お仲間と一緒に?」
「途中までは。夜……八時頃にはお開きで、みんなばらばらに帰って、一人に
なってしまいましたよ」
猪狩は喋り終わってから、眉間にしわを寄せた。
「刑事さん。これはアリバイ調べというやつに似てるんじゃないですか。何が
あったんですか。どうして俺にこんなこと聞くんです?」
「……ニュースの類を見てませんね。実は、反町真弥さんが亡くなられました。
反町さんはあなたと付き合ってましたよね。それでお知らせに上がったんです」
渡は静かに告げ、相手の反応を見極めるべく、意識を集中した。
猪狩は口の中で舌をぐるりと動かし、頬を膨らませた。無精髭の目立つ肌が
軟体動物のごとく蠢く。眉間のしわが深くなった。
「本当ですか。一体どうして……」
渡は軽くうなずくだけで、猪狩の様子を見守った。だが、目の前の男が今度
の事件に関係しているのか否かを断定する材料は、もう得られなかった。犯人
しか知り得ないことを口走ればしめたものなのだが、猪狩が慎重なのか、口を
閉ざしたままだ。
これ以上黙していても仕方ない。反町の死亡状況をかいつまんで説明した。
「信じられないな」
若干粗野につぶやき、猪狩は渡に警察手帳の提示を求めた。応じると、猪狩
は手帳にある顔写真と渡とを交互に凝視し、やがてため息混じりに首肯した。
「すみません。もしかしたら、誰かの悪戯かと思ったもので……友達の中には
悪ふざけする連中が多いから」
「いえ。にわかに信じられないのも無理ない。心中お察しします。ショックが
大きければお見せしないでおこうと思ってましたが、これ、新聞記事」
切り抜きを取り出し、相手に示す。女学生の死を報じる中程度の記事を、猪
狩は食い入るように読み始める。
大男が小さな紙片を掴んで背を丸めているその姿は、芝居臭いと受け取れな
くもない。渡は迷った。現時点での先入観は捨て去るのがよさそうだ。
メモ役に徹する相棒を一瞥してから、質問を再開した。
「捜査の必要上、いくつか尋ねたいことが……反町さんと最後に会った日を覚
えてますか」
「しょっちゅう顔を合わせてました。キャンパスでね。講義が重なってたんで
す。最後は……」
こめかみに指をあてがう猪狩。難しい顔をして唸ったが、それも短い間のこ
とだった。落ち着いた語調で答える。どこか脱力感を伴っていた。
「二十八日に大学の掲示板の前で別れたのが最後だった。講義が終わったのが
午後四時十分だったから、別れたのは四時十五分から二十分でしょう」
「ははあ……寮生の証言によると、反町さんが寮に戻って来たのが四時半頃だ
ったそうだから、そのまま直行したと見てよさそうだ」
「恐らく」
「反町さんはこの休み、大きな予定を立てていたんでしょうかね」
「さあ……ああ、思い出した。五日にドライブどうかって誘ったら、暇だった
らねと言われてしまったっけ」
「つまり、反町さんには五月五日、用が入るかもしれなかったというんだね。
不確定の用事が。何なのかは聞いてない?」
「知ってたら言いますよ」
「ところで、矢田口文彦君をご存知ですか」
「……? さあ、知らない名前だなあ」
肩をすくめる猪狩。胸が大きく上下した。
「反町さんの事件から時間をおかず、彼も殺されたんですよ」
「ええ? か、関係あるんですか」
「どうやら、反町さんを殺した人間を追い掛け、捕まえようとしたところを逆
襲されたらしい」
渡は矢田口とその死に関して概要を伝えた。
聞き手の猪狩は、総都大生が二人も死んだ現実に衝撃を受けたのか、しばら
く声も出さずに立ちすくんでいた。その内、しきりに手を閉じたり開けたりし
始める。渡は絆創膏に気が付いた。
「手に怪我を負ってるようだが、それは山で?」
「あん? ああ、これ。そうですよ。こんなすり傷程度の怪我なら日常茶飯事」
山男は、刑事の思考を先読みしたような返答をよこした。
「犯行現場に血痕が落ちてたんですか。犯人の血らしき……」
「いえ、それが、判明したのは被害者の分だけだった。なあ?」
相棒に確認を取る。本当は確認の必要はないのだが、己の微妙な言い回しに
ついて突っ込まれると面倒だ。間髪入れず、言葉を足した。
「反町さんは性格的にどうでした? 裕福な家の一人娘とあって、妬む声もあ
るようだが」
「そうですか? 俺にはよくしてくれたんで、信じられないな。傲慢なところ
のほとんど見られない、気のいい、明るい……」
「奔放だったとは伺ってます。ただ、感覚、特に金銭感覚が世間一般のそれと
はちょっと違ってて、故に周りの者から反感を買うようなこともあったんでは」
「そういう意味なら。缶ジュース五本買って来てもらうのに、一万円札を渡し、
お釣りはいらないと言ったなんて噂を聞きました。九千五百円の釣りは多すぎ
るだろうって。どこまで本当か分かりませんがね。俺が目の当たりにしたのは、
二、三度着ただけの服を飽きたと言って女友達に気前よくやってましたね」
「ふむ。交友関係について、もっと詳しく教えてくれませんか」
「さて……刑事さんはとうにご存知だと思いますが」
含みのある言い種に、渡は急いで首を振った。猪狩が犯人でない可能性を見
越し、予断を抱かせないように努める。
「いえいえ、まだ開始したばかりなんでね、白紙の状態。何でもかまいません
から、事件に関わりそうな話を聞かせてもらえるとありがたい」
猪狩は自嘲の笑みを浮かべ、肩を大げさにすくめてから答えた。
「さっき刑事さんは俺のことを真弥の彼氏みたいに言いましたが、俺だけじゃ
なかった。他にもいた。両手では足りないくらいじゃないかな」
「それでもめたようなことは」
「誰がです? 俺と真弥が?」
「限定はしない。反町さんの男性関係が原因で周囲にもめ事が起きたかどうか」
「言うだけ野暮ってもんですよ、刑事さん」
不意に愛想笑いを浮かべた猪狩。切り上げたいらしく、時計を気にし始めた。
「俺だって結構本気でしたから、最初はね、真弥のやり方に着いていけないと
感じることもありました。劇団の打ち上げに顔出させてもらったとき、酔った
勢いで、団員の野郎と夜道で取っ組み合いになりかけたこともあります。だけ
ど、最近は慣れて、いちいち文句言うのやめてました」
「うーん。よく分からんのだが、反町さんの本命は君だったのかな」
「自分としちゃそのつもりでしたけど、向こうはどう思っていたのやら」
「じゃあ、周りの人間はどうだろう。君を本命と見なしていた?」
「大学の連中はそう見てるのが多かったんじゃないかな。でも、それ以外では
どうだか分からない。特に劇団の方じゃあ、執着してる奴もいたし……刑事さ
ん、劇団のこと知ってるんでしょうね? ベアフット」
「ああ、それくらいはな。他の者が調べているよ。それより念のため、その執
着してる奴の名前を聞いておこう」
猪狩の口から語られたのは、草島竜男という名だった。山男の猪狩に言わせ
れば、草島はちゃらちゃらした奴でそりが合わない、芸能人を目指してるとか
吹聴しているが、真弥の金を当てにいつまでもぐうたらな暮らしを続けるつも
りじゃないか……となる。
「さっき言っていた、取っ組み合いになったというのは、草島とかね」
「ええ、そうです。奴が真弥にべたべたするのだけならまだしも、俺の方を見
てにやつくもんだから、かっと来て。一応、仲直りはしたけども、どうせずっ
と真弥にべったりだったんだよな」
猪狩の話しぶりからは、確かにあきらめていた風が窺える。無論、本心は見
えない。借金の件は脇に置くとしても、反町の気ままさに我慢の限界が来て殺
した線はあり得る。そして同じことが、草島なる劇団員にも当てはまりそうだ。
渡ら刑事は、捜査への協力を盾に猪狩の早い帰宅を望んでいることを匂わせ、
コテージを離れた。
捜査員達の目線が部屋の前方に集中する。
容疑者の名前が大書きされていた。これまでに捜査線上に挙がった名前は三
つ。連城由紀子、猪狩友和、そして草島竜男だ。
現在、劇団を当たった刑事から草島に関する報告がなされている。
「元々は芸能人志望とかで、演芸場にバイトとして出入りしたり、のど自慢や
お笑いコンクールに出たりしていたのですが、反町と知り合ってからは影響を
受けたのかどうか、役者を目指そうとした節が見受けられます。と言っても、
きちんとした演劇学校に通うでもなし、反町のコネで劇団ベアフットに入った
だけなんですがね。ただ、劇団の人間の話によれば案外才能はあるようだと。
しかし、かなり個性の強い外見をしてるため、使いにくいそうで」
「なるほどな。今風のハンサムだが、赤い髪にピアスと来ては無理もない」
顔写真を手に持ち、管理官が独り言のようにつぶやいた。場に失笑が流れる。
「えー、よくあるように、貧乏しておるようです。アパートに独り暮らし。稽
古のない日はバイトに明け暮れていたのが、反町と付き合うようになって、多
少は楽ができるようになったと」
「紐か」
「まあ、それに近いですね。こう考えると、草島が反町を殺害することは損で
しかないんですが、そうも行きません。嫉妬深い面があるようでして、独占欲
が強い。実力行使に出ないのは、腕力に自信がないからだろうと陰口を叩かれ
ている始末です」
「腕力に自信ないから、女を殺して永遠に自分の物にってか?」
「考えられる動機としては、そうなります。あとはまあ、容疑者全員に共通し
ますが、借金ですね。反町の催促がきつくなかったというのは事実らしいんで、
何とも言えませんが」
「アリバイは?」
「草島が言うには、事件当夜の七時からゲームセンターにいたと言ってます。
店は客が多く、確認できてません。知り合いとも会わなかったと」
刑事が手帳のページを繰ると、乾いた音が響く。
――続く