#4852/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 6/29 21: 9 (199)
飛井田警部の事件簿:消せない音 4 永山
★内容
「ものは相談なんだが、茶本君。先生から清書を託された作品、いくつかある
よね」
いかにも重大事めかして声を潜める西川。
「そりゃありますよ」
「全部が全部、依頼を受けての物かい? 中には当てもなく書いた作品もある
んじゃないだろうか」
「……なるほど、狙いは分かりました」
肩をすくめる茶本。先ほどのうろたえぶりはどこへやら、にやりと唇の端で
笑っている。
話が早いとばかりにうなずく西川。だが、相手は否定的な見解を述べた。
「ですが、赤石先生の作品には違いないんだから、僕には何の権限もない」
「お人好しなことを言いなさんな」
導いてやる。囁きながら、茶本の肩に腕をかけた。
「赤石先生の作品かどうかなんて、今さら分かりはしない。まあ、二本程度は
遺作の形で出版しよう。もう二作ほどは、赤石先生と茶本雄二、二人の合作と
いう形で世に出すんだ」
「はあっ?」
声量の高くなった茶本の目の前に、立てた人差し指を近付ける。
「大声出さないでくれ。ぼちぼちマスコミや他社の連中が集まり始めてもおか
しくない。いいかい、これは君の名を売り込むための作戦だ。君は赤石先生の
創作に一番貢献してきたんだぜ。明確な定義がある訳じゃなし、合作と謳って
も問題ないんじゃないか」
「しかし……」
「私ら出版サイドとしては、赤石先生という金の卵を産むにわとりを失った打
撃は大きいのだよ。その後継者が欲しい。やろうよ、茶本君」
「……少しだけ、考えさせてくれますか」
険しい顔付きになった茶本の申し出に、西川は大きな動作で首肯した。
(これでいい。いざというときには、茶本に全ての罪を被ってもらう。そのお
膳立てができた)
頭の中で電卓を叩く西川だった。
「いいとも。色好い返事を期待してる。それとだね……」
西川にとって、ここからがより重要だ。
「ノンフィクションの方は、どうなってるんだろう?」
「あ? ああ、あれですか。自分は取材や資料集めに走り回ってましたけど、
作品がどれぐらい進んでいたかまでは知りません。少しばかり書き始めたとは
言ってたっけ。でも実際に目にした訳じゃないし、途中の原稿を渡されてもな
いです」
「ふむ。残念だが、ノンフィクションの方はあきらめるしかなさそうだ。あー
あ、部長に何て言えばいいのやら」
泣き顔の上に苦笑いをこしらえ、いかにも悔しそうに眉を八の字に寄せた。
「ノンフィクションのことはなかったことにしてくれ。我が社の企画に関わる
ことだから、口外無用だよ。念のため、警察にもだ」
「はあ、分かりました」
西川が肩を掴むと、茶本は揺さぶられるままにうなずいた。
「それとこれはできればの話なんだが、収集した資料は、赤石先生の分も含め
て私の方で預かりたい」
「僕が集めた物も、ですか。困りますよ。あれは僕の財産です」
「ううん、仕方ないな。了解した。赤石先生から渡された資料はないね?」
「ありません」
心中、大いに安堵する西川。表情に出たかもしれない。急いで沈痛の面持ち
を作る。
直後に刑事から声を掛けられたため、話はここまでで打ち切られた。
西川は飛井田と一階までエレベーターで降り、ロビー脇の椅子に並んで座っ
た。刑事と二人きりの気まずさが第一文芸の部屋を出たときから続いている。
「社まで来るのは、勘弁してくださいよ。しかも事前連絡もなしとは、まるで
パールハーバーだ」
「いやあ、すみません」
頭に五指を突っ込み、ごりごりと掻く飛井田。苦笑いを浮かべる横顔に、申
し訳なげな様子は微塵もない。
「お伺いしたいこともあったし、一日経って分かった点も出て来たんでその報
告を兼ねて、伺ったんです。いけませんでしたか」
「いけなくはないが、時と場合を考えてほしかったということです。それで?
何が分かったんですか」
「ええっと、何から話せばいいか……おお、そうだっ」
飛井田は急に大声を上げ、次の瞬間、手を打ち鳴らした。
「犯行時刻ですが、昨夜の十時四十分頃がポイントですよ」
「ほぅ。何故、そんな細かい時刻が出て来るんです?」
分かっていながら聞いた。腕時計を細工した成果が出たようだ。
「お見せすることはできませんが、遺体の腕にはまっていた腕時計、お釈迦に
なってましてね。ガラスがひび割れて、針も止まってた。そいつが十時四十分
という訳です」
「腕時計って、もしやこれと同じ型の物ですか」
こうするのが自然だろうと判断し、西川は自らの左手首を示した。刑事は身
体を斜めにして、興味深そうに目を近付ける。つらそうな姿勢を見て、西川は
腕を一層前に突き出してやった。
「ははあ……これは似てますな。私もしかとは記憶しとらんのですが、そっく
りのような気がする」
「同じですよ。これは二つある内の一つを、赤石先生からいただいた物なんで
すから」
さらに目を丸くする飛井田に、西川は腕時計をもらった経緯について説明し
てやった。
「そういうことでしたか。では同じ時計と見なして間違いないでしょう。これ
ほど立派な代物が壊れるぐらいだから、犯行時の衝撃は相当なものだったんで
しょうな」
「やはり、先生が殺されたときに壊れて、その時刻を示したまま停止したと?」
「そう考えるのが自然かつ簡単ではあります。死亡推定時刻も重なるようです
しねえ」
「しかし……当然、犯人が細工した可能性もありますよね」
敢えて危うい方向へ話を振る西川。飛井田は唇をひん曲げ、面白くなさそう
にうなずいた。
「はい。そもそも鑑識の人が言うには、殴殺だと即死か否かの判別が難しいそ
うでしてね、完璧な断定材料にはなりません。念のために伺いますが、あなた
は昨夜の八時半から十一時半までの三時間、どこで何をされてました?」
「それが死亡推定時刻で、アリバイ調べという訳ですか」
どんな表情をするのが自然なのか分からなかったので、西川はとりあえず苦
笑してみせた。
「お気を悪くされたならすみません。型通りの質問ということで」
言葉とは裏腹に、きっちりメモを取るかまえの飛井田。
「分かってます。私も編集者としてたくさんのミステリーを手掛けてきました
から。そうだなあ、社での仕事が終わったのが八時前で、近くの喫茶店で食事
を簡単に済ませた……これが八時半ぐらいでしょうか。それからは車で――自
分の車でドライブがてら、待ち合わせ場所に。十時以降は人と会ってましたね」
「やはり作家の方と?」
「いえ、プライベートです。まあ、この年齢で恥ずかしがるのも変ですが、恋
人と。この部屋を見て分かっているとは思いますが、私はまだ独身でしてね」
さらりと流すような口ぶりになる。
飛井田は別の点に不審を持った。
「夜の十時からですか」
「彼女の都合もあって。相手は看護婦なんです。名前出さなきゃいけないんで
すかねえ?」
「いえいえ。これは取り調べじゃない。西川さんに容疑が掛かってるならとも
かく、今の段階で強制はしませんよ。無論、教えていただけるならあとで裏を
取らせてもらいますがね」
「早いところ身の潔白を証明したいから、さっさとお教えしますよ。備前早苗
(びぜんさなえ)、善城寺総合病院の看護婦です」
「どういうご縁でお知り合いになられたんでしょう」
「彼女の勤務先、実は兄夫婦の病院なんです」
「ははあ、お兄さんがお医者さん」
詳しいメモを取りつつ、うなずく飛井田。
「はい。兄の仁(ひとし)は入り婿で、経営の実権は善城寺一江(ぜんじょう
じかずえ)さんにあります。うまく行ってるようでしてね。私ももう少し頭が
よけりゃ……ってところだったんですが。ああ、話が逸れた」
頭に手をやり、刑事に先を促す。
「それじゃ次は、西川さんにとっちゃあ気分のいい話じゃないんですが……赤
石さんを殺す動機のある人物に、思い当たる節がないかどうか」
質問を受け、思わず、「さあ、分かりません」とでも即答しそうになった西
川。だが、寸前で気付く。
「どういう意味ですか、それ」
険しい調子で尋ね返す。飛井田は何故だか難しげな顔付きになり、上着のポ
ケットから煙草を取り出した。
「吸ってもよろしいか?」
二人の座る椅子とテーブルとの間には、脚の高い吸い殻入れが備えてある。
答えるまでもないと、西川は黙ってうなずいた。
「では、失礼をして」
悠然たる動作で火を着けにかかる飛井田。安物のライターを何度も打ち鳴ら
し、四度目か五度目でやっと着火した。すると今度は煙草をわざと湿らせてい
たのではと疑いたくなるほど、煙が立つのに時間を要する。
西川は貧乏揺すりをした。催促したかったが、我慢した。
(私を苛立たせて、何らかの証言を引き出そうとしてるのか? ふん。揺さぶ
りだとしても、意識すれば引っかかる訳がない)
自ら気分を鎮めようと、西川も煙草をくわえた。
刑事がライターを出してくるのを断り、自分で着けると一口吹かす。実際、
落ち着けた。仕切り直しだ。
「怪訝に思われるのも無理ありません」
根負けしたような形で、飛井田刑事が口を開いた。
「物盗りの犯行と言っていましたが、その後の調べで別の線も一応、検討すべ
きだということになったのです。……釈然としない顔をなさってますな」
「当然です。何がどういう訳で、別の線を追うようなことになったのか、納得
の行く説明をしてくれないと」
「新事実というか新発見があったんで」
新しい発見? 冷や汗が背筋を伝ったような錯覚があった。そう、錯覚に違
いない。煙草の灰を落とし、西川は続きを待った。
「発見というと大げさになりますがね、想定される犯行状況の再現をね、試み
ようとしてて気付いたんですよ」
「再現? つまり、それは物盗りの犯行を仮定してのものでしょう? 矛盾し
てるようだ」
「慌てずに。物盗りにしろ何にしろ、犯人は書斎にいる赤石さんを背後から襲
っています。状況を素直に解釈するなら、そうなる」
「ああ、そうでしょうとも」
また苛立ちが起きる。西川は煙草を灰皿に押し付けて火を消した。飛井田も
続いた。
「犯人は、書斎にこっそり入ったはずだ。気付かれないようにそーっと」
細く開いたドアの隙間に両手を差し込み、静かに横に開く――飛井田は身振
り手振りを交え始めた。泥棒役がさぞかし似合いそうだ。
「こんな風に忍び足で入っても、赤石さんは侵入者に気が付いたと思われるん
です」
「何故? 先生は扉の方に背を向けて座っていたはず。背中に目があるなら、
話は別だが」
「第三の目は背中ではなく、赤石さんのすぐ前にあったんですねえ、これが。
分かりません?」
「さっぱり。分からないから聞いてるんですよ、刑事さん」
ことさら明るい調子の声になり、西川はオーバーに肩をすくめた。
飛井田はどんぐり眼をぎょろりとさせた。
「ほう、お分かりにならないとは意外だ。机の上に鏡があること、ご存知なか
ったんで?」
「鏡……いいえ、知りません。恐らく見てはいるんでしょう。印象が薄く、記
憶に残ってないだけで」
「サイズは確かに小さな物でした。手の平に収まる程度の、四角く白い枠のや
つです。でも、用途にはそれで充分だった」
「用途。ふむ。赤石先生はその鏡を、意識して使っていたという意味ですね」
西川の言葉を受けて、飛井田はライターをテーブルの左片隅に立てた。
「こんな位置関係で鏡がありました。このテーブルが書斎机として、私の座っ
ているところが赤石さんのお座りになる椅子。ライターが鏡という訳だ。この
配置で鏡はどこを映すか」
「先生の後ろ、だな。いやいや、鏡の確度を聞いていない」
飛井田はライターに手を添え、若干斜め上に傾けた。西川はそれを見て同じ
答を繰り返した。
「それだとやはり先生の後ろだなあ。――ああ、そうか」
気が付いた。思わず、歯ぎしりしそうになったが、こらえる。
「その鏡はドアの方を映すんだ。入ってくる人物を、振り返ることなしに認識
できるように」
「そうなんです。この鏡があるからには、赤石さんは泥棒の存在に気付いたは
ず。なのに、あっさり殴り殺されている。せめて椅子から立ち、逃げようとし
てたのならまだ分かるんですがね」
どうです?とでも言いたげに上目遣いになる飛井田。
西川は頭の中で計算し、薄笑いを浮かべた。
――続く