#4446/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 3/31 11:39 (155)
そばにいるだけで 21−3 寺嶋公香
★内容
* *
純子出演のコマーシャルが初めて流れる前の晩。
宿題を終えて部屋から出て来た相羽に、母親がボタン補修の手を置き、話し
かけた。
「終わったの」
「うん。試験が近いからって、ほとんどの先生、授業のペースを上げるんだか
ら参るよ」
「終わったのなら、とりあえず今日の勉強はなしね?」
回りくどさを感じつつ、相羽は母親と向き合う形で座る。
「そうだけど。何かあるの?」
「ええ。これを言ったら、信一、気になって勉強に手が着かなくなるかもしれ
ないものねえ」
母親の口元が笑っているのを、相羽は見逃さなかった。昔は分からなかった
が、近頃になって、親の考えていることの一端ぐらいは読めるようになったつ
もり。
「気味が悪いな。ますます気になる」
「純子ちゃんのことよ」
その言葉に相羽が目を見開くと、わざとかどうか、母の方はボタンを留める
作業を終えて、いそいそと道具を片づけにかかっていた。
相羽は小さな吐息をして、唇を噛みしめる。
(焦っちゃだめだ。また子供扱いするんだから)
気のないふりをしようと横を向き、天井を見上げる。
「涼原さんがどうかした?」
「明日、いよいよコマーシャルが流れるわけだけど、そのあと事務所に所属す
るの話になるわよね」
「多分」
「言い忘れていたことが一つあって。純子ちゃん、タレントみたいな売り出し
方をする場合は、異性との付き合いを禁止されることもあるから」
「……えっと」
何と応じようか迷ってしまい、相羽は額に手を当てた。
母は裁縫箱を仕舞うと、「何か飲む?」なんてのんきに聞いてくる。
「いらないっ。それより、その、話の続きを」
「売り出し方や事務所にもよるんだけれど、人気商売ですからね。タレントの
異性交際を禁じる事務所も少なくないのよ」
「……今頃、どうしてそんな大事なことを」
「こういうことまでは母さんの本業じゃないから、ついうっかりね。純子ちゃ
んて、誰かと付き合ってるの?」
「知らないけど……多分、いない」
返事してから、母親の表情がおかしそうにほころんでいるのが見えた。
「それなら問題ないのかしら。−−信一は我慢できる?」
「ど、どうしてそんな話になるのさ」
とうの昔に感づかれたと分かっていたものの、改めて真正面から聞かれては
慌ててしまう。顔が赤らむのを自覚し、手でその大半を多いながら、早口で返
答する。
「関係ないよ。我慢とか言われたって、さっぱり分からない」
「隠さないでいいのよ」
「……」
「私は純子ちゃんのほんの一面しか接していないけれど、とてもいい子だと思
うわ。好きになるのもよく分かる」
「……僕のわがままで、邪魔をしたくない。涼原さんがやりたいんだとしたら、
困らせるようなことを言いたくないんだ」
「そう。それは信一の考え方だから、自由でいい。でもね、本当に好きだから
こそ、伝えなくちゃいけない気持ちもある−−こういう考え方もあるってこと、
心の片隅で覚えといても損はないんじゃないかしらね」
「……分かった」
うなずくと、相羽はわずかにかぶりを振って、再び口を開く。
「とにかく、交際禁止のことはそのまま伝えておけばいいんだね?」
「まあ、そうなるわね」
「……ねえ、母さん。涼原さんが断ったら、誰が困るの?」
「困ると言うよりも残念がるわ、みんなが。本格的にやれば、人気出る可能性
充分なのにって。市川さんなんて、売り出すのに一肌脱いでもいいって張り切
っているし。タレントやモデルさんの売り込みも、コマーシャルの一つだから」
「そうなんだ……」
相羽は嘆息した。
一度は吹っ切ったはずの悩みが、また鎌首をもたげつつあった。
* *
テレビを前に正座するようなことはなかったものの、普段に比べると居住ま
いを正したかもしれない。
家族三人が揃って、テレビにこれほどまで熱心に見入るのは久しぶりだ。
純子は置き時計を見た。八時まであと三十秒ぐらい。
「いきなりコマーシャルがあるわけじゃないんだろう?」
父が聞いてきた。
「多分。ドラマだから」
「だったら、こうも緊張して待つことないか」
椅子の上で父が首を左右に一度ずつ傾けたとき、番組が始まった。
−−駅のプラットフォーム。行き交う人々はサラリーマンに学生か。パーン
して改札口。紫藤演じる女子中学生が過ぎ行き、カメラと彼女との間を香村が
走り抜ける。そのあとに続いて、大人の二人組が必死の形相で現れた。香村は
ただ走っていたのではなく、逃げているのだと知れる。
(内容、何にも知らなかったけど、香村綸が悪人役なの? 意表を突いてて受
けるかも)
純子も少しばかり興味を引かれた。特にファンという訳ではないが、このド
ラマの人気がどれぐらい出そうなのかが気になる。
スピーカーからアップテンポな歌が流れ出したかと思うと、イントロダクシ
ョンの場面にタイトルが被さる。
『天使は青ざめた』と中央寄りにやや小さめの文字が浮かび出たかと認識す
るよりも早く、その文字が画面の四隅をめまぐるしく転々とし、再び突然に真
ん中に今度は大写し。文字はいつの間にか白抜きになっており、それもどんど
ん透けていった。
そのまま第一回のだのサブタイトルだの、テロップが次々と映じられる。
それから一拍置いて、提供企業のテロップが出た。当たり前だが、美生堂の
名前もある。
このあと、コマーシャルに行くのかそれともドラマを続けるのか……。
まんじりともせず見守っていると、画面の色調が一転した。コマーシャルだ。
身を心持ち乗り出し、じっと待つ。一本目はお菓子のコマーシャル。次はゲ
ームソフトだった。三十秒が過ぎ、三つ目に。
「あっ。出た−−出た」
美生堂『ハート』のコマーシャル、少女バージョン。
ちょっぴり恐いけど待ち望んでいたものが、ついに現れた。その驚きは少し
変わっていて、何だか口がぱくぱく、腹話術の人形みたいに動いてしまう。
「あら。本当に流れたのね」
母は当たり前のことを、呆気に取られた風に感心している。
「同じだ、同じ。試写会で観たのと」
父もまた当然のことを、わざわざ指差してまで言い立てた。
純子本人はと言うと。
(顔、はっきり見えてなくてよかった……)
そんな感想を真っ先に浮かべる。
十五秒間は瞬く間に経過し、放映は四本目のコマーシャルへ移った。
しかしここ涼原家では、しばしテレビを無視する状態になる。
「よかったじゃないか。きれいに映ってて」
「そうかなあ」
「そうだとも。さすが我が娘ってところだな。あーあ、職場の仲間に自慢した
いのになあ」
いやに子供じみた言い方をする父親に、純子は眉を寄せ、声に出さずに苦笑
した。
しばらくの間、あのコマーシャルに出ている子が純子だとは明かさないでほ
しいとお願いされているのだ。お願いと言うよりも、約束だろうか。
とにかくその約束のおかげで、純子の父も母もここ数日、口元がむずむずす
る日々を過ごしているようだった。
さて、ひとまずの目的は達成したとばかり、テレビの前を離れる母親。父も
集中力を途切れさせて、釣りの雑誌を手の平の上で開いた。
純子はドラマそのものに興味を持ったので、続けて観る。ほどなくして二度
目のコマーシャルタイムとなり、今度は当然のように少年バージョンが流れた。
「ねえ、お父さん。これを観て分かるかなぁ、私だって」
「うん? そうだな。試写会のときはこれより大きな画面だったから、分かる
かもしれないと言ったが……」
案外真面目に答える父。今もテレビ画面を凝視しながら考えているらしい。
「どうだろう……? お父さんはあれが純子だって知ってるから分かるような
気がする」
「お母さんはどう?」
台所へ肩越しに振り返って、水仕事をする母に尋ねる。
母も観るべきところはきっちり観ていたようで、即座に返事があった。
「無理ね」
断定的だったので、純子はかえって戸惑う。ドラマがまた始まりはしないか
気にしつつ、尋ね返した。
「理由は? ねえ」
「それはね、あなたったら男の子の格好してもよく似合うから。小学生のとき
の劇のあれもびっくりしたけれど、今度のは完璧よ」
こちらに背を向けているので分かりにくいが、母はどうやら含み笑いしてい
るように見える。
「メーキャップのせいね、きっと」
「それって嬉しくない」
さらに文句を重ねようとしたが、コマーシャルが終わり番組が始まったので
中止する。
結局、ドラマの第一話が終わった時点で、純子は次回から欠かさずチェック
しようと心に決めていた。
コマーシャルは番組の合間に都合四度流れた。
(誰か気付いた友達いるかな? 学校行ったら、何か言われるかも……)
純子の内では、こんな不安といたずら心が同居していた。
−−つづく