#4104/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 8/27 9:18 (200)
記憶喪失症 2 永山
★内容
サットンの言葉が終わらぬ内に、一人が手を挙げた。
「私です、サットン工場長!」
声の方を向くや、手の平をもう片方の手の拳で叩き、目尻を下げて何度もう
なずくサットン。
「おお、そうだ。君だったよ、キリー=エドモント」
「……馬鹿な! そんなはず、ありません!」
再三の金切り声を上げるフリージアだったが、サットンの厳しくなったその
目つきに、気後れした。
「君は誰だね? 何の目的があって、こんなところに潜り込んだ? 言ってみ
たまえ」
「そんな……私は元から」
「あからさまな嘘を言うな! 正直に言うんだ。働き口がほしかったのか?
だったら、考えてやらんでもないぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
食い下がるフリージアは、心拍数が上がっていくのを感じつつ、何とか皆に
自分のことを分かってもらう手だてはないか、考え続けていた。そして思い付
いたのが、工場にある記録である。
「調べてください。出勤簿があるから。私が面接を受けたときに提出した書類
や、面接そのものの記録も残っているはずです」
「そんな面倒をしてまで、自分の嘘を証明したいのかね」
「違いますっ。嘘じゃないことを、証明するんです! お願いです。早く、調
べてください」
頭を下げては、相手を見上げる行為を繰り返したフリージア。
その思いが通じて、サットンが動いてくれたのは、作業開始時刻を四十分以
上も過ぎた頃だった。
失意のフリージアは、工場に来たときのままの格好で、門を反対方向にくぐ
った。
(記録が全然ないなんて……絶対に変よ!)
納得できなかったが、これ以上騒ぎ立てるのなら警察を呼ぶと脅されたので、
一旦、引き下がろうと決めた。工場関係者の雰囲気もあって、そうせざるを得
なかった。
(どうなってんのよ? 忌々しい……。誰か、私のことを証明してくれる人を
連れて行って、認めさせなきゃ)
憤まんやるかたなかったが、それしかなさそうだ。フリージアは決意すると、
歩みを速めた。
一人暮らしの彼女は、アパートに帰っても管理者か両隣ぐらいしか、話し相
手がいない。そもそも、今抱えている相談を持ち込めるほど深い親交がある訳
でもない。
(いっそ、警察を呼んでもらった方がよかったかしら)
ふと、そんな思いが浮かんだが、頭を振って追い払う。今朝のあの混迷の中
では、恐らくうまく説明できなかったろうし、周りの勢いに押し切られていた
だろう。
「久しぶりに、お父さん達に会いに行くか」
声に出すフリージア。いわれのない孤独感を味わったあとだけに、いつも以
上に懐かしく感じられた。両親についてもらえれば、心強いとも思う。
鉄道を乗り継ぎ、小一時間をかけて両親の家に到着したフリージアは、今朝
からの精神的疲労をひとまず内に隠し、明るい表情を作って、さらには化粧の
手直しまでして、その戸を叩いた。
「どちら様で?」
この辺りも物騒になったのか、ドアは開かれず、声だけで問い返してくる。
フリージアの母親だ。父親は仕事に出ている時刻だから、今、家にいるのは母
一人であろう。
「私よ。フリージアよ」
「誰ですって? すみませんが、もう一度」
「フ・リ・イ・ジ・ア−−よ」
母も歳なのかなと苦笑しつつ、柔らかな調子で応じるフリージア。
「失礼ですが、どちらのフリージアさんでしょう?」
「……お母さん? 私よ、フリージア=オルメスよっ」
「確かにうちはオルメスですが、お母さんと言われましても……私どもに娘は
おろか、息子もおりませんが」
「ちょ、ちょっと? 開けて、お母さん!」
扉をがんがん叩くフリージアだったが、かえって警戒させてしまったらしい。
錠を下ろす音がしたようだ。
「あ、あの、お母さん。私よ、私! この声、忘れちゃったの? ねえ、顔を
見てよ。絶対、思い出すから!」
自分でも馬鹿馬鹿しいことを口走っているとは思う。勘当された訳でもない
のに、親に無視されるなんて。
「他のお宅と、お間違えではありませんか」
「いいえ、ここよ。ねえ、お母さんの名前は、ベット=オルメス。そうでしょ
う? お父さんはブラッド=オルメス」
「その通りだけれど……」
母ベット=オルメスの口調に、戸惑いが含まれた。
フリージアはここぞとばかり、言葉を尽くす。父母の誕生日や趣味嗜好、仕
事や家の間取りまで列挙した。が、話が自分自身、つまりフリージアのことに
及ぶと、何を言っても食い違いを見せる。
はっと気付いて、周囲を見渡すと、近所の人達が集まっていた。
口をつぐんだフリージアだったが、すぐに閃いた。見知った近所の人達に証
言してもらおう。どうも奇妙な具合であるけれども、こうすれば母も思い出す
だろう。
「あの、おばさん」
狭い路地を挟んで斜め向かいの女性に声をかけた。何度も会話したことがあ
る間柄だ、きっと覚えてくれているはず。
だが、その女性はフリージアの呼びかけにびくりとしたように目を見開くと、
顔を逸らしてしまった。
「あ、待って」
止めるのも聞かず、家の中に消えてしまう。
フリージアは呆然としながらも、他の人に目を向けたが、彼女と関わりにな
るのを恐れるかのように、皆、家屋内に引っ込んだり、走り去ったりする。見
る間に、人だかりは解消した。
「な……何なのよ」
薄ら寒さを感じて自らを抱きしめたフリージアは、すがる気持ちで再度、両
親の家の前に立った。
「開けて、お母さん」
返事がない。力の限り、扉を叩いても、もはや何の応答もなかった。
「開けてよ……私が何か悪いことをした?」
返事はなかった。
コナン=ヒュークレイは、警察に入り立ての頃を思い出していた。
「お嬢さん、そんなことを言われてもねえ。私の専門は殺人でね」
学生ぐらいの年頃の娘相手に、ほとほと困り果てる。
「私だって、命に関わるのよ、このままじゃ!」
「そんな大げさな……友達があなたのことを忘れた、それだけのことで大騒ぎ
するんじゃない」
「友達だけじゃないったら!」
往来で金切り声を上げ続ける相手に、コナンは耳を塞ぎたくなった。
現在抱える事件の聞き込みのため、一戸一戸を回っていたときのことだった。
玄関前で警察手帳をかざすコナンの姿を道端から見かけたらしく、この娘っ子
は、「おじさん、警察官でしょう? 助けてよ!」と縋り付いてきたのだ。
「家族もよ! うちのお母さんもお父さんも、すっかり私のことを……」
「ええっと、フリージア? そういうことは、刑事よりも医者だ。病院に行っ
て、友達やら家族やらを治してもらいなさい」
「そんな簡単じゃないんだったら! 今まで、私−−フリージア=オルメスの
ことを知っていた人全員が、私のことをきれいさっぱり、頭の中から消しちゃ
ったのよ。私、もう、どうしたらいいのか……お金も尽きそうだし。三日目で、
もうふらふら」
新手の寸借詐欺か? コナン警部はそうも考えたが、わざわざ警察関係者相
手に詐欺を働こうなんて奇特な連中は、まずいないだろう。
「工員と言ったな? なら、工場に行けば何なりと記録があるだろう? 出欠
状況とか、給料明細とか……それで証明してもらえばいいじゃないか」
「当然、そうしたわ」
フリージアは、顔をしわくちゃにして、泣きそうになっている。
「工場長が立ち会って、調べてもらった。だけど、事務のマリーったら、何て
言ったと思う? あれだけ親しかった私のことを、まるで変人扱いして、『あ
あ、この記録は間違いですね』だって! 信じられないっ」
「……本当かねえ」
未だに半信半疑のコナンは、顎に手を当て、首を傾げた。
するとフリージアがまたわめき始めたので、大慌てでなだめにかかる。
「分かった分かった。ふむ、こういう奇妙な事件を扱う知り合いを紹介してあ
げよう」
多少、お門違いかなという思いがよぎったが、コナンとて仕事の途中。こう
いう厄介な輩の相手を、いつまでもしている訳に行かない。
「誰よ? しょぼい警官なんかによこしたら−−」
「いや、何て言うかな。まあ、優秀な……科学者兼探偵といったところだ」
コナンの説明に、目を白黒させ、次いで疑わしげに顔をしかめたフリージア。
「科学者と探偵が、どうして一緒になるのよお」
「いいから、信用しなさい。エフ=アベルという男だ。もう一人、フランク=
シュタイナーという大男も一緒だから、頼りになるぞ」
芝居くさくも自らの胸を叩き、請け負った警部であった。
アベルは近頃、特に理由に思い当たらないのだが、不安定感をいだいていた。
自分の存在意義に関わるような大事な物が突如、欠落してしまった。そんな漠
然とした感覚が、垂れ込めるもやのようにいつ晴れるとも知れず続いている。
そんな折の不意の客人に、アベルは不機嫌になった。
「困りますよ、コナン警部」
「何故だ? 明らかに、奇妙な出来事を経験しているぞ、彼女は」
コナン警部が連れて来た若い女性をひとまず奥の部屋に案内し、アベルは、
もう一人の客−−コナン警部自身だ−−を待たせている手前の間に引き返した。
そして今、文句を言っているのだが、警部も負けていない。
「日頃から言ってるじゃないか、魔玉に関係ありそうな話なら、どんな些細な
ことでも教えてくれと」
「確かに言っています。だが、これは……」
と、扉と壁との間にできた隙間から、フリージア=オルメスを見つめるアベ
ル。
「彼女が言ってるのは、どう考えても記憶障害の一種ですよ。でなければ、彼
女自身の被害妄想」
「どちらかは分からんでしょう? つまり、不思議な現象であり、アベルよ、
あんたの領域だ」
そそくさと立ち去る警部の襟首を掴もうとしたアベルだったが、空振りに終
わった。机に向かってばかりいるから、いざというとき、身体が動かないのか
もしれない。
「任せたぞ!」
後ろ向きのまま手を振るコナンを、アベルは苦々しい表情で見送った。
それから、そこにあると認めたくないものを、緩慢な動作で振り返る。
「さて、フリージア=オルメス」
「フリージアでいいわよ、アベルさん」
どこか投げ遣りで馴れ馴れしい言い方に、「フルネームで永久に呼ぶつもり
はない」と注釈したくなったアベルだが、寸前で飲み込んだ。
「フリージア。君が警部に語ったことは、真実なのかい?」
「その前に……もう一人、フランクとかいう人がいるって聞いてたんだけど、
どこ? 見えないよね」
わざとらしく、きょろきょろするフリージア。鬱陶しいほどに長い髪が、肩
の辺りで波打った。
「フランク=シュタイナーは、使いに出て行ってもらっている。もうしばらく
したら、戻るだろう」
「ふうん。いい男?」
「フリージア」
丸テーブルの表面を、指で弾いたアベル。
「私も忙しい。真面目に行こう。さっきの質問に、答えてくれないかね」
「私だって、真剣よ! 話したことは全部本当。嘘言っても、意味ないじゃな
い。それぐらい、分かるでしょうが」
両肘を突き、ふてくされた顔をするフリージア。その目が、立ったままのア
ベルをじろりと見上げてきた。
「よし。では、最初から順を追って、聞かせてもらおう」
テーブルを挟んで、珍客の真正面に座りながら、アベルは心に決めた。自分
も真剣に取り組んでやる、と。
使いから戻って来るや、フランクはアベルを探して家屋に入った。
「アベル! ロビンソン博士の話で、有力な情報がありました……」
と、見知らぬ女性の姿を認め、台詞が止まる。
「こちらの人は誰です?」
「フリージア=オルメスよ」
アベルが答えるより早く、本人が名乗った。そして立ち上がった彼女は、フ
ランクに対して手を差し出してくる。フランクも手を出し、握手をした。
「フランク=シュタイナーです」
「大きな手ね。頼り甲斐がありそう」
「……どういういきさつで、ここへ?」
肝心のことを聞かせてもらっていないので、フランクは首を傾げるしかない。
−−続く