AWC 欠けた星は血であがなえ 8   永山


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#3934/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/ 6/15  22:29  (200)
欠けた星は血であがなえ 8   永山
★内容
 戸土良島から春ヶ見島までは、連絡船で三十分強の時間を要した。
 夕方四時に出る船に乗り遅れると、一泊しなければならなくなる。そのこと
をしつこいぐらいに注意され、恭子は港に立った。
 港は、船が着いてからの数分間はにぎやかだったが、荷物の受け取りが完了
すると、やがて静かになった。
 連絡船を除くと、あとは数えるほどの漁船があるぐらいで、全体的にがらん
とした印象の港だった。島の奥に散見される家並みは、いずれも低い。そこか
しこに、家庭菜園を大きくした程度の畑が見えた。
 人をつかまえ、道を尋ねようと考えた恭子だったが、人影はさっさと散って
しまったので、引き返して連絡船の船長に聞くことにする。
 自分にとって大切なことだけに、サングラスを取り、なるべく丁寧に話しか
ける。
「加藤さんのお宅、ご存知でしたら教えていただきたいんですの。お医者をや
っているという……」
「ああ、加藤先生の家なら」
 幸い、知っていた。どうやら、島で唯一の開業医らしい。
 やや汗ばんできていたが、恭子は早足で加藤宅に向かった。
(本当に、あの人なのかしら)
 気持ちが急いていた。
 迷うことなく目的の家を見つけると、これまた迷わず、引き戸を叩いた。
「ごめんくださいませ」
「−−はあい」
 間を取って、返事があった。若々しく張りがある声だ。
 スリッパをつっかけた足で廊下の木板をすり歩く音が聞こえたかと思うと、
玄関の戸が引かれた。
「加藤ですが。うむ? 見かけない顔ですね」
 日焼けした顔の、白衣の紳士が現れた。
 恭子は当てが外れた気になって、内心、びっくりしていた。
 頭が白髪か禿げ上がった、老年の医者を想像していたのだ。目の前で見る加
藤は、顔にいくらか染みが浮いているが、意外と若い様子だ。
「初めまして。先日、お手紙を頂戴しました、浅見恭子です」
 頭を下げてから、封筒を示した。
「ああ!」
 ぽんと一つ手を叩き、大声で応じる加藤。
「ようこそ。初めまして、加藤哲治です。遠くから、わざわざお越しいただい
て……」
「いえ、こちらこそ、貴重な情報を……。その上、こうしてお時間を割いても
らい、感謝しております」
 初対面の挨拶を交わしながら、中へ招き入れられる。古いが、頑丈そうな造
りの家屋だった。台風がよく来るのかもしれない。
「早速ですけど、会わせていただけます? その、洋治と呼んでおられる男の
子に……」
「それはかまいませんが、今、洋治は眠っていますよ」
「昼日向からですか」
 不思議に感じた。
 手紙では、その青年が加藤医師のところに来てすでに一年以上、経っている
話だ。記憶喪失症はともかく、身体的疲労は完全に取れているはずでないのか。
「漁の手伝いをしていますからね。朝が早いんです」
 加藤の説明にとりあえず納得したが、恭子は今すぐ会いたい気持ちを抑えら
れそうにない。
「まあ、大丈夫でしょう。夜、早く眠ればいいんだから。案内します」
「お願いします」
 板が軋む廊下を行き、一つの戸の前で立ち止まった。
「手紙でも触れたことですが、改めて申し上げておきましょう。洋治は、事故
の前の記憶をほとんど失っているようなのです。たまに断片的に思い出すこと
はあっても、単語ばかりで。しかもその一つ一つが何を意味するか、本人も理
解していない」
「はい」
 覚悟している。
 手紙にもあった。たまたま思い出した単語の中に、「デラ」や「天城」とい
ったものが含まれており、加藤医師が歌謡曲好きなことも手伝って、デラの事
務所へ連絡してくれたのだ。
(どうしてBITじゃなく、デラの方を思い出したのかしら……。私と過ごし
た期間の方が、あの子には印象に残っていたのね)
 幸運を感じると同時に、恭子は喜んでもいた。親子の絆の強さに。
「ですから、最初は」
 加藤が説明を続けている。
「あくまで、加藤洋治という人間を相手にしていると考えてください。私も専
門家じゃないから分からないが、いきなり、おまえは天城丞一郎だの、浅見義
正だのと言うのは、あの子に悪い影響を与えることになってしまう可能性が大
きい。真実がどうであっても」
「分かりました。守ります。その代わり、加藤さん。二人きりで話がしたいの
ですが」
「うん? まあ、最初だけ様子を見させてもらいます。何ともなければ、あと
はお任せしましょう」
 加藤は扉を控え目にノックし、その割には無遠慮な手つきでその戸を開けた。
「洋治、起きてくれ」
 部屋は畳敷だった。奥に敷かれた布団の上で、タオルケット一枚被った若い
男が、背中をこちらに向けて横になっている。
「洋治、ちょっとすまないが、お客さんだ」
「……ん、ああ?」
 わずかにしゃがれた声でうめきながら、洋治なる青年が上半身を起こした。
 日焼けした肌、髪は短く刈り込まれ、顎の辺りには無精髭さえ生やしている。
 外観は変わっていたが、しかし、天城丞一郎に、浅見義正によく似ていた。
「俺に客って、誰?」
 眠そうに目をこすり、訝る様子の洋治に、加藤が恭子を紹介する。東京から
来た雑誌記者だと言った。
「雑誌記者?」
「ああ。事故のことを調べておられる。その関係で、おまえが本当にあの事故
と関係あるかどうか、調べてくれるそうだ」
「なるほどね」
 事故の話が出ても、洋治は意外にあっさりしていた。死にそうな目に遭った
というのに、一年という歳月で克服したのであろうか。そもそも、漁の手伝
いができるということは、船に恐怖心を抱かない証拠であろう。
 挨拶のあと、恭子と洋治は、加藤を入れてしばらく雑談した。雑談と言って
も、フェリー転覆の記事を読み聞かせたり、救助されたときの心境を尋ねたり
と、いかにも取材のように装っていたが。
 洋治は、自分が記憶をなくしたことを自覚しているらしく、家族がいるのな
ら、ぜひとも会いたいと語った。
 頃合いと見たか、加藤が「患者が来るかもしれない」と言って立ち上がって
出て行くと、当然、部屋には二人きりとなる。
「少し、軽い話をしましょうか。洋治君は、好きな音楽とか、ある?」
「ある。記憶なくしても、残ってるみたいなんだ。耳が覚えてるっつうか」
 言って洋治は、長くもない髪をかき上げる仕種を見せた。
(丞一郎の癖と同じだわ)
 確信を固めた恭子だったが、それでも慎重に探りを入れる。
「どんな曲?」
「えーと、ラジオなんかで聴くんだけど、つい最近までよく流れてた『境界線
上のANGEL』や『お帰り、ヒーロー』なんて、響く感じだった」
「ふうん。あ、それってどちらも同じ人の曲よね。天城丞一郎……っていう歌
手だけど……知ってる?」
 反応が恐くて、恭子はつっかえつっかえに言った。
 だが、洋治の示した態度は、何ら変化がなかった。
「知ってるさ。ラジオで何度も耳にしたから、当然だよ。死んじゃったんだろ、
この歌手? よく分からないけど、追悼特集をよくやってる。今は二代目が出
ているって」
「あ、ああ、そうね。そうだわ。じゃあね、天城の顔は見たことあるかしら? 
テレビや雑誌で……」
「いや、ない。この家にテレビはないし、雑誌は、手に入れようと思えばでき
るけど、わざわざ買うほどのもんじゃない」
「そう……。ねえ、洋治君。あなた、唄ったことはあるかしら。天城丞一郎の
歌を」
「唄う? えっと、いや、口ずさむ程度だよ。何回か、宴会の場で唄わされた
ことあるけど、周りの大人に合わせて、いつも演歌だったしな。あはははは」
 あっけらかんとした笑顔を見せる洋治。
「それがどうかした?」
「唄ってみせて。あなたの声、天城丞一郎に似ていると思うのよ」
「へえ、それは嬉しいや」
 また笑ったが、洋治は唄う気配を見せない。
 無理矢理唄わせるのもおかしいかと考え、恭子はしばらく逡巡した。
 挙げ句、単刀直入に聞いてしまった。
「−−浅見義正という名前に、聞き覚えはない?」
「あさみ、よしまさ?」
 おうむ返しに言った洋治の顔つきに、変化が現れた。
 リラックスしていたのが、不意に強張り、しかめっ面を作る。次いで、目線
を上げ、天井をぼーっと見つめ始めた。
「何か、心当たりがあるのねっ?」
「……ちょっと……待ってください……」
 口を半開きにし、片手をこめかみ付近に当てる洋治。やがてもう片方の手も、
反対側のこめかみに当てた。そして目を瞑る。
「何か思い出せそう? 思い出して」
「その名前」
 と、首を振りながら、目を開けた洋治。
「俺と関係あるんすか……」
 恭子はまた迷った。
 だが、もはや最短路を行く気持ちでいっぱいだった。
「実を言うと……あなたは、浅見義正という人かもしれないのよ。いいえ、浅
見義正に間違いないわ」
「俺のこと、分かってるんですか?」
 顔を上げる洋治に、恭子は黙ってうなずいた。
「浅見義正はね、フェリー事故で行方不明のままの一人なのよ。その顔写真が、
これ」
 用意してきた写真を取り出し、相手に向けて畳の上を滑らせた。
 手に取った洋治は目を凝らしていたが、そこへ驚愕が混じる。
「これ……」
「そうよ。あなたよ。似てるんじゃなくて、あなたそのもの」
「へえ……。髪、長かったんだな。ここで暮らすには鬱陶しくて、切っちまっ
たけど」
 洋治は苦笑した。髪をなでる。
「じゃ、俺には家族がいるんだね? 心配してるんだろうな」
「え、ええ。……目の前にいるわ」
 小さな声だったが、洋治はちゃんと聞きとがめたらしい。
 きょとんとしてから、「嘘だろう?」と言った。
「冗談でこんなことは言いません」
 首を振り、意識して言葉遣いを変えた恭子。
「私の名前は、浅見恭子と言うの。あなたの母親よ。そして、あなたは天城丞
一郎でもあるの」
「−−はあ? 訳が分からない」
 困惑顔の洋治を落ち着かせ、解いて聞かせるように事情を伝える。
 最初は信じられなかった様子の洋治も、天城丞一郎の記事やCDジャケット、
さらには恭子と彼が一緒に収まっている写真等を見せられ、納得しつつあるら
しい。黙り込んで、それらの資料を手に取っている。
「さあ、分かってくれたかしら?」
「あ、ああ……母さん」
 照れたように言う洋治。
 恭子は微笑ましくなった。この子がデラからBITに移って以来、こんな気
持ちになったことはなかった、と思った。
 しかし抱きしめるまではしなかった。できなかった。
「これから、どうすればいいの?」
 戸惑いに、一種の恐怖感をも加えた表情と言えばいいだろうか。洋治はひっ
きりなしに唇を湿し、目をきょときょとと動かした。
「俺は死んだことになってるんでしょう?」
「残念ながら、その通りよ。取り消すことはできるけれど、色々と手続きがあ
ってね。直ちには難しいでしょうが、大丈夫。元の生活が送れるようにしてあ
げる。任せて」
「元の……って、天城丞一郎という歌手に?」
「そうよ。歌手だけじゃなく、役者もね。大変な人気だったんだから」
 満面の笑みを見せた恭子に対し、洋治の顔には影が差したよう。
「無理だ。俺はほとんど何も覚えていないんだよ。そんなんで、できる訳ない。
歌でさえ怪しいのに、役者なんてできるもんか」
「そんなことないわ。きちっとレッスンすれば、じきに元の力が出せるように
なるわよ。母さんが保証する」
「……二代目がいるんじゃないのかい? それに、うろ覚えだけど、天城丞一
郎って人の追悼映画も作っているって、ラジオで言っていた」
「そんなのいいのよ。あなたが無事だったとなれば、全部白紙に戻せるわ。そ
れだけ、あなたの人気は凄いの。今度のことが世間に知れたら、不動のものに
なること間違いなし」
「……嫌だと言ったら?」

−−続く




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