#3794/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 3/18 13:22 (200)
十三・復活 3 陸野空也
★内容
間延びした、しかしきっぱりとした調子で言った久山。
やや面食らったかのように口をぽかんとさせた堀田であったが、すぐに唇を
結ぶと、その端に笑みを浮かべる。
「そうよ。嫌い。そりが合わないってやつね」
「じゃあ、どうしてワイ・サスの仕事、受けてるんです? 狂言回しの役割だ
から、毎回出ないといけないと分かってて」
「それは恩義あるテレビ局だし、生島さんはプロデューサーとしていい仕事す
ると耳にしていたし、何と言っても数字、いいものね」
番組視聴率のことを言っているのだろう。峰川は目配せをした。
「顔を売るため。大を取って小を捨てる。これよ」
「でも……何がそんな気に入らないんです? 堀田さん、いい人じゃないです
かぁ」
子供っぽく口を尖らせる久山。
「色々あって」
対する峰川は、その一言でかわした。相手が喋り出す前に、カメラを構える。
「撮っていいかな」
「あ、いいですけど、ちょっと待ってくださいよぉ」
上目遣いに帽子を直す久山。
「はい、オッケー」
「いい? 笑って笑って。−−はい、チーズ」
シャッターが下りてから、顔を上げた峰川は、じっと目を凝らしている。
「? どうかしたんですか?」
「え? ううん、何でも」
「おかしいですよ。明後日の方を向いてます、峰川さん」
久山の指摘に、峰川は肩をすくめた。
「久山さんは子供ぶってるけど、ちゃんと見るとこは見てるのよね」
「そんな話よりも、何か見つけたんですか」
峰川が向いていたであろう方向を見当づけ、振り返る久山。
「今さら見ても遅いんだけど。撮る瞬間、何かさ、影が見えたような気がした。
それだけよ」
「影? 何か生き物ですよね?」
「ええ。現れたと思ったら、見えなくなった。何だったのかしら、あれ」
「熊とか」
首を傾げつつ、真剣な顔で言う久山。
「まさか。熊が出るような場所にキャンプ場を作るはずない。出るとしても、
注意書きの一つや二つ」
「そうですよねえ。あ、でも、江藤さんの言ってた緋野山、向こうですよね」
と、久山は腕を真っ直ぐ伸ばし、一方向を示した。わずかにもやのかかる中、
緋野山を始めとする山並みがあった。
「それがどうかした?」
「緋野山には熊がいるそうですよ」
「本当?」
「ええ。ですから恐らく、お腹を空かした熊が出て来る可能性、ないと言い切
れませんよ」
「やあね」
笑い飛ばしたかったのかもしれないが、峰川の台詞はそこでストップした。
「散歩するんだったら、湖の周りがいい」
どちらからともなく言い出し、二人は今まで来た道を引き返し始めた。
千春は芹澤の右隣に少し間を置いてしゃがむと、相手の横顔へ話しかけた。
「休憩中?」
「そうだよ。千春もか?」
「ええ。ねえ、『経済学概論』のレポート、できた?」
芹澤は抜けるような笑みを見せたかと思うと、力なく首を振った。
「……何か、元気ないよ」
「そうか? そんなことないつもりだが」
「お客さん、今の人達が最後になるみたい」
「ちょうど休みも終わる」
芹澤は石を拾い、湖に投げ込んだ。小石だった割には大きな音がして、波紋
ができたが、風の起こすさざ波にきれいな円形はすぐに崩された。
遥か向こうに、先ほど貸し出したボートが浮かんでいる。
「ボート、出ているのね。借りてったの、誰?」
「名前なんて知るかよ」
「男? それとも女の人?」
「どっちも。……思い出した。男の方は塚って呼ばれていた」
「ああ、あの人ね。どこかとぼけた顔した、年齢不詳って感じの」
くすくす笑い始めた千春。
笑い声に被せるように、芹澤が続ける。
「釣りだってさ。女の方は、髪が長い人。似合わないね」
「その人は多分、堀田っていう人だわ。似合わないって、堀田さんが釣りをす
ること? それとも二人のバランスっていう意味?」
「どっちでもいいじゃないか」
「……元気ないんじゃなくて、不機嫌なんだ、行人」
「な−−」
「怒ってる。どうしたの? 堀田さん達に何か言われたんじゃない?」
「何でそう思うんだよ」
「さっき、石投げたのを見たから。届かなかったけど、ボートめがけて投げて
たもんね」
「そんなつもり、なかったんだが……当たりだよ。あいつが−−吉河原が来る
とかして予定が狂いっ放しでいらいらしてたとこへ、あの塚って男に変なこと
言われたから」
芹澤はすっくと立ち上がった。
「やっちゃおうか、もう」
続いて立ち上がった千春が、無邪気な言い方をした。
「大丈夫かな。色々と邪魔があるぜ」
首を捻る芹澤だったが、千春は頭を横に振った。
「私は平気。早い方がいい」
「……そうだな」
芹澤も決意したかのように、強くうなずいた。
広げたままの地図を助手席に投げ出すと、車を再発進させた江藤。
「ジュウザ饅頭でも売っていれば、もっと分かりやすいんだろうがな」
自分のつまらない冗談に顔をしかめると、彼は咳払いをし、引き締めた表情
を作った。
欠伸をかみ殺した堀田から見て前方、塚は横顔にいかにものんびりとした風
情をたたえ、釣り糸を垂れていた。
「幸せそうねえ、塚さん」
「そうですねえ。どうですかねえ」
曖昧に笑う塚。
「幸せと言えば幸せであり、不幸と言えば不幸と言える」
「何、それ」
「お馬鹿な魚が引っかかるのを、こうしてのんびりと待っているのは楽でいい。
その反面、真奈美さん」
塚は顔だけを堀田に向けた。
「と大っぴらにできないってのは、実に辛いのですよ」
「ほーんと」
手にしていた文庫本を投げ出し、堀田は軽く伸びをした。
「奥さんの目が届かないところまで、久しぶりに来たって言うのに、テントじ
ゃね」
「ま、道がない訳ではありませんよ」
釣竿を持つ手をじっと止めたまま、薄笑いを浮かべる塚。
「さっき、管理人小屋に寄った」
「それが?」
「こっそり、これを借りました」
塚は上着のポケットに手を入れると何かを取り出し、堀田の眼前に突き付け
た。ちゃりんという音がした。
「鍵じゃないの」
「そうです。こいつのおかげで、バンガロー……四番のバンガローが自由に使
えるんですよ」
「……周到ね」
呆れた風な息をついた堀田だが、その表情は満更でもなさそうだった。
「それにしても、釣れませんねえ」
塚は鍵を仕舞い込むと、元の姿勢を取った。
「おサカナの方がヒトよりも難しい。やれやれ」
灰皿には吸い殻が盛り上がるほどになっていた。
「……人助けとは言え、危なくはないのかな」
煙草を挟んだ指を梨本へ向けながら、生島はため息とともに煙を吐いた。
「記憶喪失の奴を放り出せるかい?」
管理人の梨本は不服そうである。
「医者に診せた訳じゃないんだろう?」
「外科医には診せたが、脳や精神科の医者には診せてない」
「ほら見ろ。本人が言ってるだけじゃないか。記憶がないかどうかなんて、素
人に判断できるはずがない」
「俺が決めたことだ」
への字に口を結ぶ梨本。
「いくら生島さんでも、口出ししてほしくないね」
「そりゃな、あんただけの問題で済むなら、口出ししないよ。でも、従業員と
して雇うってのは、客にも迷惑がかかるかもしれん話だぜ。ちょっと軽率じゃ
ないかね。警察に知らせたらどうかな」
「吉河原君は、正直な人間だよ」
梨本が胸を叩くポーズをした。生島はそれに対し、苦笑を返す。
「梨本さんの人を見る目を、どうこう言いたくはないけどね。そもそも、その
吉河原隆介という名前自体、あとから付けた物だと言ったよな」
「ああ、言ったさ。記憶がない上、身分を証す品を何も身に着けてなかったの
だからね、彼は」
「何で、『吉河原隆介』にした?」
「湖に注ぐ川を二十分ほど遡った河原で倒れていたんだ。七月の終わり頃だっ
たか、胸に重傷を負って、息も絶え絶えのところを連れて帰った」
「どうしてまた、そんな場所にいたのかね」
「知らんよ。身なりはぼろぼろ……と言うよりもむしろ、ほとんどちぎれて流
されていた。上半身は完全に裸だった。登山者ではないだろうなあ。植物か鉱
物を採集してたのかもしれん。きっとそうだ」
「やばいことにつながっているとは考えられないか?」
片目で目配せした生島。
「どんなやばいことだね。教えてもらおうじゃないか」
「そういきり立ちなさんなって。そうだな、たとえば……麻薬の運び屋だった
吉河原は組織を裏切って追われる身となった。この近くの山に逃げ込んだが発
見され、逃げる途中に重傷を負った。運よく助けられた彼は、これ幸いと記憶
喪失を装い、そのまま姿を隠そうとしている」
「はっ! 馬鹿馬鹿しい。さすが、ドラマを作っているだけあらあな、生島さ
んはよ」
「ごまかすなよ。例として言っただけ。可能性がゼロとは言えんだろうが。そ
ういう危険な要素をだな、完全……はまあ無理としても九割方排除したあとな
ら、どうぞ勝手に雇ってくれ。だが、今の状況は感心できない」
「どうかする気かい? 警察に通報するか」
梨本は、半眼でにらむような表情をなしていた。
「さあて。そうしたいところだが、その前に一つだけ聞かせてくれ」
生島は目を逸らさず、淡々と続けた。
「梨本さん、あんた、どうしてあの男を助けた? いや、助けたのは怪我人だ
ったからだな。そのあと、匿ってやってるのはどうしてなんだね? あいつの
希望を聞き入れてやったのには、何か訳があるんじゃないか。そう私はにらん
だんだがね」
「……」
無言の梨本に、生島は軽い調子で付け加えた。
「訳ありなのは、吉河原だけじゃなく、梨本さんも同様らしいね」
そして相手の肩に手を乗せる。
「なあ、あんたと私の仲じゃないか。話してくれよ」
「生島さんを信用しない訳じゃないが……」
顔を背ける梨本。
生島は、ことさら快活な声を上げた。
「なあに、さっきはつい、道徳者ぶって説教を垂れてしまったが、本当の私が
そういう人間じゃないってのは、あんたがよく知っているはずだよ。もしもや
ばい裏があって、ばらさないでくれって言うのなら、誰にも話さない。約束す
る。ただ、おこぼれに預かりたいね」
「おこぼれ? そんな物、あるかどうか、分からんだろう」
「ある。嗅覚も衰えてないつもりだよ」
自分の鼻を指差すと、生島はさらに鼻をひくつかせた。
「……吉河原が、ある程度、記憶喪失だってのは、事実のようなんだ。怪我の
せいでな」
「お、話す気にようやくなったかい。さすが、梨本さん。そうこなくちゃな」
「絶対に他言無用だぜ」
梨本は、笑顔になっていた。秘密を打ち明けられる相手が見つかり、案外、
嬉しいのかもしれない。
生島が強く、ゆっくりうなずくと、梨本は舌で唇をひとなめしてから話し始
めた。
「吉河原隆介は、大金を持っていたんだよ」
−−続く