#3386/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 8/31 21:18 (193)
処女懐胎 2 永山
★内容
フランクは大きな身体に似合わず、身のこなしが軽い。加えて、勘が鋭い方
だから、尾行のような作業もそつなくこなす。
「都合三度、アニタさんをつけさせてもらいました」
久しぶりに訪れたロビンソン邸で、博士とアベル前に、フランクは報告を始
めた。
「どうだった?」
「お孫さんは、三度とも、同じ場所に出向いています。ごく普通の家でして、
住所はそちらにメモをしておきました」
テーブルの上には、しごく簡単な報告書が置いてある。
「ここはどこなのかね? 新興住宅地として、なかなかにぎやかなところだと
記憶しているが……」
「調べさせてもらったところ、ここはドヌ=ローズという方のお宅です。この
場合、このローズ氏が何者かはさして重要ではないようで、その娘のキヌアさ
んがアニタさんと学友らしいんですよ」
「友達?」
ぽかんとした表情を見せるロビンソン博士。気抜けしたようだ。
「何だ、ただの女友達か。では、心配する必要なんてないのか」
「そのようです。キヌアさん自身も、特に悪い評判もないですし」
フランクは言葉を切った。そして唇を湿してから、再開する。ここからが少
し、問題ありなのだ。
「ただし、一つだけ、気にかかる話を耳にしました。キヌアさんは夏休みにこ
の家に帰ってから、一度も外出していない。さらに、何度か医者が出入りして
いたことがあるようです」
「病気だろうか?」
アベルが聞いてくるのを、フランクは曖昧に首を振った。
「分かりません。それからこれは完全に噂なのですが、キヌアさんは妊娠して
いるのではと、一部で言われています」
「妊娠?」
顔をしかめたのはスティーブン=ロビンソン。
「それでは、あまり評判のよい子とも思えぬが……」
「ロビンソン博士。そこなんです、不思議なのは」
「何?」
「キヌアさんは男性と付き合ったことはない。これがもっぱらの評判でした」
「……隠れて付き合っているとか」
黙り込んだ博士に代わり、アベルが話をつなぐ。
「いえ、それもないようです。大学の方まで出向いて、学生達にキヌアの評判
を聞いてきましたから。妊娠してからも、友達にまで隠すことは、まずないで
しょう」
「では、非常に唾棄すべき結論−−暴漢に襲われたという結論しかない」
「私もその可能性が高いと感じました」
「それでは、何かね」
スティーブン=ロビンソンは、うめくように口を開いた。
「アニタは、見知らぬ男に襲われて身ごもってしまった友達のことを心配して、
私達は何も明かさず、その友達の家に通っている……」
「悪い心がけじゃありませんよ」
アベルが気楽な調子で言った。
「私が言っておるのは、そういうことじゃない。何故、アニタはそのことを話
してくれないのだろう?」
「想像するに、キヌアさんはお腹の子を堕ろそうとしている。そのためのお金
が工面できなくて、困っているのではないですか。キヌアさんにしても親には
言いにくいし、アニタさんにしても博士や母親には頼りにくい」
「それなら、まあ、分かるが……。どうすべきだと思うね」
「もはや、自分達が口出しする話ではありません。それに再度、念押ししてお
きますが、今のはかなりの想像も混じっていますから」
フランクに続いて、アベルが意見を言う。
「もし、暴行事件が実際に会ったのだとしたら、コナン警部に話を通して、内
密に捜査してもらえると思います。その点を、アニタさんにそれとなく伝えれ
ば、何か話してくれるかもしれませんよ」
「そうだな、やってみるかな」
二度うなずくと、ロビンソンはこの私的な話題を打ち切った。
「魔玉の効力のことだがね。地軸の傾きに着目してみてはどうかと思うのだが」
「地軸ですか。伺いましょう」
アベルとフランクは、身を乗り出した。
デスピナ=スポックを見下ろす医師が、首を振った。眼鏡の奥、閉じられた
目が、内なる苦悩を表している。
「さっぱり……手の打ちようがない」
腹を開いたのは二日前。妊娠したデスピナが、難産の兆候を示したからだ。
しかし、お腹の中に赤子はいなかった。外見からは確かに腹が膨れていたし、
検査やデスピナ自身の体調からも、想像妊娠でないことは明らかだった。
子供ができていなかっただけなら、まだよかったかもしれない。困惑しなが
らも、腹の傷を縫い合わせた医師や関係者には、さらに困惑する結果が待って
いた。
この二日間、デスピナは苦しみ続けている。あたかも、子供がなかなか生ま
れ落ちてくれぬことに、脂汗を流す母の姿を見るようだ。ただ、露になった彼
女のお腹が真っ平らなままである点が違う。
「本人は、妊娠する心当たりはないと言っていましたが、本当でしょうか?」
「はい」
医師に尋ねられた女−−デスピナの仕事仲間−−は、力強くうなずき返した。
「彼女、特定の彼はいませんけど、かと言って誰とでも寝る訳ではありません。
それに、仕事が仕事ですから、避妊はきちんとしていました」
「女優さんでしたな」
つぶやく医師。横たわってうめいているこの若手女優が、希代の名演技をし
ているのであれば、どんなに楽だろうかと夢想する。
「中絶したくても、できなかったと言ってましたね」
「最初、妊娠したみたいと彼女が言い出したとき、当然、中絶するように勧め
ました。彼女自身もそのつもりでした。け、けれど、あの薮医者」
吐き捨てた女性は、デスピナのマネージャー兼ブッカーなのだ。
「中絶手術に失敗したんです。それも二度も。私達、とても信用できなくて、
それで別の医者にやってもらって、また失敗。それが何度も繰り返されて、も
う取り返しつかないとこまで来てしまって」
「それで私のところに来た訳でしたね……。同じ医者だから言うのではないの
ですが、恐らく、誰が行っても中絶できなかった気がするのですよ」
「どういう……」
「現状を見れば、そういう想像も成り立つと思うのですよ」
医師は額の汗を拭った。喋るだけで、何もできないのが、焦りを呼び起こす。
(普通ならざる物がついているとさえ思えてしまう……。馬鹿な! 科学が幕
開けしたばかりのこの現代に)
頭に浮かんだ考えを打ち払おうと、彼は首を激しく振った。眼鏡のずれを直
す。
「仮にそうだとして、だから、どうにかなるんですか?」
「いや……」
医師が否定したそのとき、デスピナが獣めいた悲鳴を切れ目なく発した。明
確に聞き取れたものではなかったが、「暴れる!」という語が入っていた。
同時に、彼女自身が激しく手足をばたつかせ、身をよじる。
「ど、どうしたの! しっかり!」
これまで通り、医師が鎮静剤を用意する間に、マネージャーがデスピナの腕
を取って、落ち着かせようとする。
が、今回は違った。白目をむいたデスピナの腕力は凄まじいようで、マネー
ジャーの女性が跳ね飛ばされてしまった。
「いかん」
まだ何とか冷静さを保っていた医師は、注射器を手に患者に接近する。
だが。
「これは−−」
デスピナの腹には、二日前の切開跡が生々しく残っている。その傷が内側か
ら開かれようとしている。
「あ、あ、あ」
もはや、唖然とする他にできることはない。
血がじわりとにじんだ。次の刹那、大量に噴出する。
床、診察台、医師の顔が赤く染まっていく。
血の源であるデスピナは、大きく身体をのけぞらせ、断続的にうめき声を上
げていた。
開いた腹の傷から、何かが覗いた。
(……ゆ、指? 指だ……)
「きぃああ!」
床にへたり込んでいたマネージャーが、甲高い悲鳴を上げた。おかげで、医
師は我に返る。しかし……何もできない。
指は鞄の口を広げるように、傷口をぐいと開いた。
ぶちぶちぶち。糸が切れる音がした。
腕が確認できた。一、二、三、四、五。指は五本ずつある。
肌の色は黒っぽい。が、それは黒人のものではない。闇の色だ。
やがて、頭部らしき塊が現れる。髪が薄く生えており、落ちくぼんだ目が睥
睨をやめない。瞳がなく、ただ白いだけの眼球のようだ。
(何なんだ、これは)
声を出せないでいる医師の前に、ついに、黒い赤ん坊は全身を見せた。
と、その瞬間−−赤ん坊は消えてしまった。空気に溶け込むように、跡形も
なく。
「……」
唾を飲み込む医師。開けた口から、荒い息が漏れる。
(とにかく、確かめないと)
診察台に駆け寄る。
デスピナは……死んでいた。
「……キムさん」
医師はデスピナの死を告げようと、後ろを振り返った。
マネージャー女史は、壁に寄りかかって、がくりと首を下に向けていた。
(失神……無理もない)
医師は眼鏡を外すと、そのレンズに付いた血の小さな飛沫を指先でなでた。
すでに乾き始めていた。
祖父に伴われて、アニタが部屋に姿を見せたとき、アベル達がロビンソン邸
に到着してから五分も経過していなかった。
最初に、スティーブン=ロビンソン博士が、孫娘からようやく話を聞き出せ
た経緯を簡単に説明した。それから、アニタに譲る。
「あとは、おまえから言いなさい」
「はい。こんなことを相談していいものかどうか、悩んだのですが……よろし
くお願いします」
彼女はアベルとフランクを順に、真っ直ぐ見つめてきたあと、深く頭を垂れ
た。波のかかった栗色の髪が肩の辺りで揺れた。
「学校での私の友達の一人に、キヌア=ローズという子がいます」
アベル達は何も知らないことにしてある。アニタには、魔術がかかった方面
にも詳しい研究者という怪しげな肩書きを使った。
「率直に申し上げますと、キヌアに男性経験はありません。少なくとも、私達
の前ではそう言っています。それなのに……彼女は今、妊娠しているようなの
です」
「変ですね」
初耳という表情をなして、アベルは尋ねる。
「キヌアというお嬢さんが嘘を言っている可能性はありませんか」
「ないと思います。実は、彼女、変調を感じてすぐ、病院に行ったそうです。
そのときに妊娠を言われショックを受けて、その場で診てもらったと」
「妊娠と分かった上で、何を診てもらったのでしょう?」
不意に顔を赤らめたアニタに対し、アベルが重ねて尋ねる。
彼女は意を決したように唇をかみしめ、それでも言いにくそうに口を開いた。
「その、処女膜が損なわれていないかどうか、です」
「……なるほど。失礼しました。続けてください」
「これも彼女からの伝聞になりますが、検査の結果、何もなかったということ
です。当の産科のお医者さんも首を傾げられ、妊娠という診断は謝りだったと、
そのときは認められたそうです。
しかし、キヌアの身体の調子は元に戻りません。それどころか、一週間もし
ない内に、お腹が大きくなる兆候が出ました。これは私自身も見ました。ほん
のしばらく会わなかっただけで、妊婦のようにお腹が大きくなって……。再度、
病院に行きました。診察結果は妊娠していると。もう、訳が分かりません」
うつむき、頭を抱えるアニタ。無理に絞り出すような声が続いた。
「今、彼女は自宅で床に就いています。全く理解できませんけど、私はとにか
く、堕胎の手術かお腹の中を診てもらうかするよう、勧めました。けれど、キ
ヌアは嫌がって……身体に傷を付けたくないのです」
「……不思議だ」
アベルら男達三人は、怪訝な表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。
「聖母の処女懐胎は神秘的に語られるが、実際に起こるとなると、実に不思議
で奇妙な……そして恐ろしい」
ロビンソン老は十字を切った。
−−続く