#3336/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 7/31 15:18 (200)
十三と黄金 6 陸野空也
★内容
鱶島は水−−雨か涙か分からない−−でかすむ目を、ジュウザへと向けた。
その巨体は、先に遊亀の方へと向かった。
半失神状態の彼女の身体を、片手でひっくり返すと、枕元に立つ。
(あ、あ)
ジュウザが残るもう一本の棒を垂直にかまえるのを、鱶島は見た。
狙いは、遊亀の右目だ……。
ゆっくりと棒の先端が降りていき、遊亀の右の眼球に触れた。触れると同時
に、ジュウザは力を込めたようだ。ぶどうの粒でも潰したような光景が、そこ
に展開された。
ジュウザは、棒を一気に突き通そうとはせず、しきりにかき回している。
新たな激痛に、遊亀の身体がぴくん、ぴくんと跳ね上がる。壊れたロボット
みたいに、規則正しく同じ動作を繰り返している。
が、それも一分と続かず、徐々に跳ねる高さが低まっていった。
ジュウザは遊亀の右眼窟−−眼球はすでに見当たらない−−から、棒を引き
抜くと、今度はそうするのが当然のように、左へと狙いを定めた。
二度目はスピードが違った。棒は遊亀の左眼球を一気に破壊し、そのまま、
脳を突き抜け、最終的に後頭部から地面へと突き立てられた。
遊亀の身体は最後に大きく一跳ねし、あとは全く動かなくなった。かすかに
漏れていたであろううめき声も、完全に絶えている。
この期に及んで、鱶島は、映画でも観ている錯覚に、瞬間的にとらわれた。
(これが、ジュウザか!)
棒を突き立てたまま、やおら、斧を取り出したジュウザ。背中にでも隠して
いたと見られる。
斧を遊亀の首にあてがうと、そのまま上に持ち上げ、また下ろすという、実
に無造作な動きで、彼女の頭部を切断してしまった。遺体の首の切り落としと
いう職業がもしあれば、職人芸と言ってよい。
ジュウザは斧を持っていない方の手で遊亀の髪を鷲掴みにし、そのまま突き
立った棒にそって、真っ直ぐに持ち上げた。棒を、奇妙な色をした液体が伝う。
棒から外された遊亀の頭部は、しばらくジュウザの手の内で転がされた後、
空き缶のように捨てられた。
ほとんど何の感動もなく目の前の光景を見ていた鱶島に、ジュウザが爪先を
向けた。
(−−逃げなくては!)
今さらながら、棒を抜こうと試みる鱶島。
だが、深く土中に潜る棒は、おいそれと抜けない。
自らの太ももを抜こうにも、長さが二メートルはある棒だ。とてもじゃない
が、一人で抜けるものでない。
鱶島は、左手で棒の上の部分を強く握った。
「うわあっ!」
声を上げた鱶島は、自分でも信じられない力で、左の足を強く引いた。
ぶちぶちと嫌な音がした。それと共に、今までにない痛みが太ももから広が
っていく。
串刺し状態から、彼は逃れることができた。だが、その代償に、左大腿部の
肉片をかなり失ったようだった。傷の具合を確かめる勇気も余裕も、一切ない。
迫り来るジュウザから逃れようと、鱶島は立ち上がった。いや、立ち上がろ
うとした。しかし、左足が言うことを聞かない。当たり前ではあるが、脱出の
ために、肉ばかりか筋をも断裂させてしまったからだ。
それでもなお、鱶島は片足で飛び跳ねようと試みる。が、雨でぬかるんだ地
面に対して、その行為はあまりに無謀で、無意味だった。不様に転倒するのみ。
地面に突っ伏した鱶島の肩を、強い力が握りしめてきた。
(ひ、ひ)
鱶島は振り返ることができなかった。
だが、肩から伝わる力に容赦はない。強引な形で、鱶島は仰向けにさせられ
た。と、次の瞬間、二本の鉄の棒が、連続して襲ってきた。
「げぇ……」
一本は胸、一本は腹、それもそのほぼ中心を捉えていた。地面へと達する仮
定で、棒は背骨をかすめたのか、妙な感触があった。
「もう逃げないよ」
早口で言った鱶島。
「だから棒を抜いてくれ」
ジュウザは何も返事をよこさなかった。
「頼む。痛いんだ」
痛いという単語に反応したのか、ジュウザは右手を胸に立つ棒へ、左手を腹
に立つ棒へと伸ばし、共にしっかと握り込んだ。
(抜いてくれるのか……?)
わずかな期待は、あっさりと裏切られる。
ジュウザは両方の棒を、ぐるぐる回し始めた。鱶島の内臓をかき混ぜてやる
と言わんばかりに、大きな回転で、執拗に。
「きあぁ」
声がもはや、絶叫にはならなかった。
内臓を傷つけられて放っておいたら、動物はすぐに死ぬという話を、鱶島は
思い起こしていた。また、車に挽かれた犬が、アスファルト道に内臓をぶちま
けて死んでいたのを見た記憶を、蘇らせもした。
脳裏に浮かんだそれらのビジョンは、そのまま、彼自身に重ねられている。
(報い……黄金に目が眩んだ)
鱶島の肩のすぐ横に、いつの間にかジュウザが立っていた。
斧が頭のちょうど真上辺りに来た。
(冴子……)
刃が降りてきた。
私の息は上がっていなかった。ただ、雨が冷たくて、背を丸めたくなる。そ
れに恐怖心はあったから、心臓はどきどきしている。
「猫田さん、大丈夫か!」
鰐淵が、足をがくがくさせながらも、私の方へ振り返った。
「遅れるなっ」
「わ、分かってる」
「あと少しだ」
蝶野のつぶやきは、風雨の前にかすれ気味。彼の片足は、引きずられていた。
「雨が弱まってきた。行ける」
奮い立つための言葉を、鰐淵が皆に言い聞かせたときだった。
先行する鰐淵と蝶野の真ん前に、あいつの影が立ちふさがった……。
「出やがった」
鰐淵は予測していたらしく、少なくとも声は落ち着いているよう聞こえた。
距離はどれぐらいだろう。十メートルあるかないか?
獣道、足場は悪い。両脇は林で、逃げ込むには適していても、最終的な脱出
がおぼつかなくなる恐れもある。
時間の感覚が薄い。ジュウザは素早く間合いを詰めてきた。
「猫田、引き返せ!」
鰐淵のその声と同時に、ジュウザは斧を振りかぶった。
瞬間、鰐淵は蝶野の身体を突き飛ばし、彼自身は逆方向へと飛んだ。
ジュウザの斧は、ちょうど二人が立っていた地点の泥にめり込んだ。
「てや!」
鰐淵は一声叫ぶと、ぬかるみの上を横滑りし、足先で斧を弾き飛ばした。ジ
ュウザの一瞬の隙を、見事についていた。斧はゆるゆると回りながら地面を滑
り、蝶野のいる方向へと流れて行く。
「おっさん! 斧を取れ!」
「おうっ」
呼応した蝶野だったが、足の怪我が災いした。わずかであるが立ち後れ、斧
はジュウザの手に戻ってしまった。
「す、すまん」
言った蝶野の顔面から血の気が引くのが分かった。今、正に、彼はジュウザ
と相対しているのだ。
しかし、ジュウザはくるりと向きを換えた。鰐淵へと向かっていく。
「鰐淵君! 危ない!」
鰐淵は一拍だけ遅れて、林の中へと逃げ込む。
ジュウザは執拗だ。一瞬であるが斧を手放したこと、そしてその原因を作っ
た鰐淵が憎くてたまらないのか。
「逃げて!」
「お嬢ちゃん」
足を引きずりながら、蝶野が近付きつつあった。
「行くんだ。俺達は先を急ぐ」
「で、でも、彼が」
「助けられるってのかい! 怪我してる俺と、女のあんたとで追っかけたって、
どうにもならん。逃げるんだよっ」
「見殺しには」
「俺一人でも行くからな」
宣言すると、蝶野は必死の形相で前進を始めた。
「待って、待ってください! 私も行きます!」
鰐淵は、心臓が口から飛び出しそうなまでに、心拍数を上げていた。
(やっべえ)
肩越しに後ろを見やる。
斧と鉄の棒らしき物を携えたジュウザが、大股で迫りつつあった。
(まじにやばいぜっ。ちきしょう! 波風立てず、うまくすり抜けるのがモッ
トーの俺としたことが)
気持ちではいくら余裕をかまそうとしても、本心がわき起こり、感情が爆発
しそうになる。
(ミスったな。あのまま道を進めばよかったか)
がががん。
激しい音に再び振り返る鰐淵。
ジュウザが棒を振り回して、枝をなぎ払っていた。そのまま一直線に、鰐淵
を目指している。
(まるでハリケーンだ。あの力と来たら……)
一撃を食らったら、と想像するだけで身震いする。
(倒そうなんて考えるな。逃げられりゃいいんだ)
鰐淵は走りながら身を屈め、右手で泥を掴み取った。
(目を塞げば、どうにかなるかも……。だが)
三度振り返り、敵の姿を確認する。
(あいつの目……何かグラサンみたいな物で覆われてやがる。最初の泥の一撃
だけじゃあ、あのグラサンを外されたら終わり。直後に第二撃を放っても、命
中するかどうか……)
鰐淵は決心すると、着ているポロシャツのボタンを乱暴に引きちぎった。こ
れが一番、手っ取り早い脱ぎ方。
そして彼は立ち止まり、ジュウザが三メートルまで近付くのを待つ。
(今!)
泥の塊を投げつける鰐淵。
わずかな弧を宙に描き、泥はジュウザの顔面にヒット。
そして予想通り、ジュウザは目を覆っていたメタリックなサングラス様の物
を外しにかかる。
「おらよっと」
なるべく気楽な調子−−それが彼にとっての成功の秘訣−−で、鰐淵は脱い
だ上着をジュウザの顔へと投げた。
濡れたシャツが顔面にまとわりつき、ジュウザは視界を奪われた。
(よしっ)
鰐淵はすぐさまダッシュをかけ、ジュウザの横をすり抜けようとした。
「あ?」
何かに躓いた。ジュウザの持っていた鉄の棒だ。用意周到にも、木々の間の
低い位置に、水平に引っかけていたのである。
焦りが生じる。
後ろを見ずに、立ち上がろうとする鰐淵。
が、彼の背中に何かが重くのしかかった。
「ぐ……」
地面に対して突っ張っていた腕が、膝が、ぐしゃりとへしゃげてしまった。
ジュウザに踏みつけられていた。片足で踏まれているだけなのに、鰐淵は身
動きが取れない。
(何て……俊敏……)
背中に痛みが走る。ジュウザの履く靴の裏にはスパイクが生えているのか、
何かしらの尖った物が食い込んでくる感触があった。
「くそっ!」
立ち上がらんと、腕に力を込める。だが、それは逆効果であった。
ジュウザの踏みつけにさらに力がこもり、そして……。
みしみし−−めりめり−−ぐ、き。
骨のきしむ音から、折れ、砕け散る音。
鰐淵は息を飲んだ。同時に、四肢の自由が利かなくなったことを思い知らさ
れた。手足の感触が、ほとんどなくなっている。しびれが来た感じに似ている
が、ずっと強烈だった。
(終わった)
鰐淵は悟った。ぼろぼろ泣いていた。
(じきに確実な死が来る、か……。いたぶられて殺されるぐらいなら−−へへ、
こんな死に方をするなんて、思いもしなかったぜ)
彼は苦労して首を捻り、ジュウザへ顔を向けた。笑ってやるつもりだったが、
ジュウザの奴は、まだ目の泥を落としている最中だった。
(けっ。『ざまあ見やがれ、このくそったれが』笑いをくれてやろうと思った
のによ、見えねえんじゃ、しょうがない。もう限界だ、ぜ)
彼は彼の舌を、思い切りよく噛み切った。
(−−いて−−)
すぐには死ねなかったが、意識が遠くなってきた。
あとは自分の肉体がどうなろうが、知ったことではない……。
−−続く