#3335/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 7/31 15:15 (200)
十三と黄金 5 陸野空也
★内容
私はもう一人の影が、入口の方向に現れるのを察した。
次の瞬間、余裕の笑みを浮かべていた竜崎の口から、うめき声がこぼれた。
「ぐ」
前のめりに倒れた彼は、左手で右の肩辺りを押さえている。
竜崎が倒れたおかげで、新たに現れた人影のほぼ全身が視界に入った。
巨大な影だった。
右手に斧らしき物を携えている。ひょっとすると、あの斧で竜崎を襲ったの
か。いや、きっとそうだ。ほら、何か、滴り落ちているじゃないの!
「だ、誰だ」
竜崎はうめき続けながらも、仰向けになり、上半身を起こした。
彼は右手で左の懐をまさぐっている。
かと思うと、いきなり右手を抜いた。握られているのは拳銃……?
竜崎の動きは、右肩に深い傷を負っている割には素早かった。だが、巨大な
影の動きは、それを上回っていた。
大股で踏み出すと、影は竜崎のすぐ真正面に立ち、再び斧を振るった。
ぶん。
斧の刃は、竜崎の右手首から先を跳ね飛ばしていた。拳銃を持ったままの右
手首が岩肌に当たり、からんからんと音を立てた。
「あっあー」
長い叫び声が、洞窟内部に轟く。
私達はもちろん、蝶野にしても、何が起こったのか全く理解できず、ただ呆
然と見守るしかできないでいる。
「ちょ、蝶野っ」
竜崎の額には、脂汗が浮いていた。
「は、はい!」
素直な返事をする蝶野。身体の方が動かない。
「銃、拾え! こいつにぶっ放せ!」
激しく出血する右腕を左手で押さえつつ、後ずさりする竜崎。まだ意識はは
っきりしている様子だが……。
「はい、しかし」
蝶野はおろおろしてしまっている。彼のいる場所から、拳銃の転がった位置
までは、遠すぎる。
「きゃあああ!」
突然、遊亀が悲鳴を上げた。
それで火が着いたように、他の者も−−もちろん私自身も−−口々に悲鳴め
いた声を上げ始めた。
「ジュウザ、だ」
鰐淵が愕然としたように言った。
そうだ。彼の言う通りなのだ。あの影こそ、ジュウザ……。
影は−−ジュウザは、三度、斧を振り上げた。それは手近の獲物−−竜崎の
右足首を襲った。
「がっ」
短い悲鳴。
私のいるところからでも、竜崎が全身を震わせているのが分かった。
しかし、竜崎の精神力は、まだたくましかった。
「おら! ガキ共! 誰でもいい、銃、拾え! 撃てよ!」
できることならそうしたかった。
だが、撃ち方を知らないばかりか、拳銃を握った経験がない。まず、握れや
しないだろう。そして何より、銃を拾いに行くことは、ジュウザへの接近をも
意味していた。
「馬鹿野郎っ」
叫ぶと、竜崎は力を振り絞るようにして横に転がり、残った左手を銃へと伸
ばした。
そこへ、無情にも−−竜崎にとっても、私達にとっても−−ジュウザの攻撃
が加えられた。
がしん。斧が岩を叩く音。
うつぶせのまま、声もなく横たわる竜崎からは、左手も失われていた。
ジュウザは続けて、斧を振りかざした。
そのとき、竜崎は手首のない両腕を尽き、がくがくがくと震えながらも、身
体を起こした。
「おまえらも死ぬぞ」
そんなことを口走ると、彼はいきなり、ジュウザの腹の辺りに組み付いた。
まだ動けるなんて、信じられない……。
ジュウザもさすがに隙をつかれた格好で、戸惑ったかのように動きを止めた。
「てめえら、逃げろ! 奧から出ろ! 死ぬぞ!」
竜崎の必死の叫び声に、最初に反応したのは鰐淵だった。
跪いていた彼は、勇気を振り絞ったかのように立ち上がると、鱶島へと近寄
り、
「俺は猫田、おまえは遊亀。いいな!」
と大声でわめき、次の刹那には私の方へ向かって飛び込んできた。
「掴まれ!」
そして今度は穴の外を目指してかけ出す。
後ろを見ると、鱶島と遊亀もどうにか着いて来ていた。
「立てるか、おっさん?」
鰐淵の言葉に、蝶野は夢から覚めたような反応を見せた。とろんとしていた
目が不意に開かれ、きょろきょろとせわしなく動いてから、鰐淵へと視線を合
わせる。
「お、俺」
「逃げるんだよ!」
「私は一人で行けるから」
「猫田、そうか?」
手の空いた鰐淵は、蝶野に肩を貸した。
そしてもう後方を振り返ることなく、一目散に、雨の闇へとかけ出した。
洞窟からかなり離れたところで、雨音に混じって、ぐえ、という断末魔の声
が聞こえたような気がした。
蝶野の頭の中は、まだ混乱していた。
いきなり現れたでかい奴が、兄貴分の竜崎を打ち倒し、銃で反撃しようとし
たのへ、その手首を……。
蝶野は吐き気を催し、片手で口を押さえた。どうにかこらえられた。
「しっかり……してくれよ」
蝶野を支える鰐淵が、息を切らしつつも言った。
そこが体力の限界だったか、へたり込んでしまった。当然、蝶野も同様だ。
「他の奴らは……」
振り返ると、黒猫を抱きしめた猫田が立っていた。呆然としている。
「鱶島と遊亀は?」
鰐淵が聞いたが、猫田は首を横に振るだけだった。
「はぐれたか」
息を整える鰐淵。彼は続けて猫田に話しかけた。
「電灯、持ってるかい?」
「え、ええ。ここに……」
彼女の腕と猫の間だから、懐中電灯が出て来た。
「オーケー。俺は落としてしまったんだ。傘はなし」
今度は蝶野へと顔を向ける鰐淵。
「蝶野さんはピストルを持ってるのか? 竜崎さんみたく」
「……いや」
蝶野はわずかに言い淀むも、答えた。隠しても意味がない。
「持っていたが、落としたんだ」
「……車は?」
「ある」
今度は即答する。自分でも暗いと感じる口調だった。
「だが、キーは竜崎の兄貴が」
「一緒か、畜生。ワゴン車のキーも鱶島の奴が持ってるんだ」
「コードをつなぎゃいい。そっちの車の仕組みは知らんが、こっちのなら何と
かなる」
「なら、そっちへ案内を」
鰐淵が立ち上がり、蝶野も立ち上がった。
「猫田−−さん、着いて来いよ」
鰐淵の呼びかけに、猫のミィクが「みゃ」と、ごく短い鳴き声を返した。
額に張り付く前髪をかき分けながら、鱶島は焦燥感に駆られていた。
道を見失っている。
冷静さを欠いて、ただただ闇雲に走った結果がこれだ。
「ねえ、どっちよお、ねえ」
遊亀の間延びした声に、苛立ちが増す。
激しくなる雨に、全身はとうにずぶぬれになっていた。傘を一つ持っている
のだが、突風で煽られ、骨が折れていた。
「自分で考えたらどうだい」
「何よ。あなたが連れて来たんでしょ。地図持ってるの、あなただしい」
「二回目なんだから、君も覚えろよ」
不毛だ、と心中で吐き捨てる鱶島。現況は、つまらない言い合いをしている
ときでないのは分かっている。だが、神経がぴりぴりしているせいで、どうに
も止まらない。
「そっちこそ忘れちゃったくせに」
「忘れてはいない。ただ……雨で間違えただけだ」
「あっ、そう? じゃ、戻りましょうよ。どこで間違えたの、さあ、早くっ」
「分かってる。こっちだ。着いて来いよ」
投げやりに言うと、鱶島はさっさと歩き出した。実際のところは、こちらの
方向で合っているのか、まるで自信がない。
ばし。木を踏みつけた音がした。
風の向きが変わったような気がした。鱶島のその感覚は間違っていなかった。
行く手を塞いでいたのだ、あの影が。
「ひ!」
鱶島はその場を飛び退こうとして、後ろの遊亀とぶつかった。
「何よ」
「−−ジュウザ、ジュウザ」
息を飲んで、それだけ唱えるのがやっとだ。
遊亀もすぐに分かったらしく、甲高い悲鳴を上げて、すぐに逃げようと背中
を向ける。
鱶島もジュウザに背を向けた。
そのとき、彼の右頬をかすめて、飛んで行く物が……。
そいつは音もなく、遊亀の右肩を貫いていた。太さが一センチ大の鉄製建築
資材らしい。それが二本、並んで突き刺さっている。無論、ジュウザがその端
を握りしめている訳だ。
「いったーい! 何すんのよお!」
遊亀はしかし、肩に受けた痛みを、ジュウザからのものだとは思わなかった
ようだ。鱶島がぶつかったのだと、信じて疑わない口ぶりである。
彼女は左手を肩口に持って行き、感触を確かめる仕種をした。
「血が……出てる」
次に彼女は、鱶島の方へ向き直ろうとしたらしい。だが、肩を貫通した棒が
邪魔で、身体の向きは変えられない。
「何よお、これえ……。私の身体から……変な物が、生えてる!」
「に、逃げろ。前に進むんだよっ」
どうしてよいか見当が着かず、鱶島は、とにかく前進するよう指図する。彼
のすぐ後ろでは、ジュウザが状況を楽しむかのように立ち尽くしているのだ。
鱶島自身は、身体がすくんで一歩も動けない。
「前に進めば、抜けるって」
「い、痛いのよお」
血が止めどもなく流れている。よく見ると、突き刺さった棒が二本、まとめ
て回転している。ジュウザが鉄の棒をねじ込んでいた。
「行けよ!」
鱶島は両手で遊亀の背を押した。
それと同時に、棒が上方へと引き上げられる。
遊亀の足が、地面から十センチほども浮いただろうか。このままだと彼女が
宙吊りにされると感じた刹那、ぼきんと乾いた音がした。
遊亀は右肩から以前よりもさらに激しく出血しながら、地面に落ちていった。
肩甲骨が折れていた。
その様が、鱶島の目には、スローモーション映像のごとく捉えられた。
「う、う、う」
うつぶせに倒れたまま、腕を痙攣させている遊亀。痛みのショックで、意識
を失いかけているのかもしれない。
鱶島は血の臭いを嗅いだ。鼻の頭を拭うと、明らかに雨とは違う、ぬるりと
した感触があった。
「ひっ!」
鱶島の自由を奪っていた金縛りが、このとき解けた。
だが、再び自由を奪われるまでに、さして時間はかからなかった。
ジュウザに背を向けたまま、逃げ出そうとしたが、左の太ももに痛烈な衝撃
を受けた。
「うわ」
それだけしか言葉が出て来ないのが、自分でもおかしかった。
左足の太ももは、裏側から例の棒の内の一本で突き刺され、前方まで貫かれ
ていた。貫いた先は、大地に強く食い込んでいる。鱶島は仰向けの状態で、地
面に串刺しにされたことになる。
骨が砕かれなかったせいだろうか、痛みは皮膚のところだけで、あとはほと
んど感じない。とてつもない違和感だけがある。
(う、動けない)
鱶島にとって、今は、痛みよりも恐怖感が強かった。
(殺される!)
−−続く